主体の世界とは〈夜〉。理性の眠りのなかで化け物たちを生み出すあの蕩尽のことなのだ。
文学とは本質的なものである。そうでないなら、なきにひとしい。文学とは悪を——悪の激しい形態を——表現したものなのであるがこの悪は、わたしが思うに、我々にとって至高の価値を持つものなのである。とはいってもこの捉え方は道徳の不在を促しているのではなく、〈超道徳〉を求めているのである。 ジョルジュ・バタイユ『文学と悪』序文より
五大文学雑誌の賞でいいとこまで行ったが、過去の話さ。おっと、おれが誰だかわかっちまうかもな。お手柔らかに頼むぜ?
ほかのサイトには出せねぇからよ、ここでお蔵だしってわけ。
AIなんてない頃からパスティーシュなんて出来るんだよ、ほらよ。読んでみろって。
パスティーシュだよ、AIなんてなかった頃につくったんだ。できるぜ、こんなもん。
どこにでもある話だよ。
デスクトップミュージックがしたかった。
我が妄想、乙。
僕は僕の名声欲をこの手で撃ち殺す。
世界に平和を、おまえには死を。