DTM研究会【初級】

DTMとはデスクトップミュージックのことだ、というのを念頭に置くべし。

 ピコピコとFM音源が鳴り響く中、サチは脚でリズムを刻んでいた。戦いは、後半戦にもつれ込んでいた。
 サチに対し、
「もう、怒ったゾ!」
 という、台詞のわりに気の抜けた声が浴びせかけられる。
「怒ったところで、私に噛みつくどころか甘噛むことすらできないわ、残念ね、……じゃなかった」
 そこでまた、サチは言い直す。
「残念だな」
 洞穴から一斉にワニたちが飛び出てくる。さきほどとは比べものにならないスピードでだ。が、しかし、ワニたちの攻撃をハイスピードで迎撃していく。ワニはハンマーで叩かれると、洞穴に戻っていく。そして、間を置いてワニはまた現れ、健闘むなしく出てきたと同時に叩かれ、即座に洞穴へと逆戻り。
 勝負は一瞬と言っていいほど、あっけなく終わった。
 このゲームセンター『嵐』での本日のハイスコアは、サチが戴くことになった。
 ワニワニパニック・マスターであるサチにとって、これは当然のことである。
「くっくっく。私にゃあ、勝てないね。誰も」
「それはどうですかね」
 サチの独り言を遮り、サチの後方から声がする。
 サチが振り向くと、そこには黒縁めがねをかけたマッシュルームカットの男が、めがねを手で直しつつ、直立していた。
「あんた、誰よ!」
 黒縁めがねは外国人のように肩をすくめる。
「おやおや、オンナ言葉で話す詰め襟学生服とは。これは萌えますね」
「ああん?」
 サチは血管を浮きだたせる。殴りたいが、我慢する。
「あんたが誰かって訊いてんの! 私と同じ制服じゃん。あんた、百草学園の生徒なんでしょ。名前、言いなよ」
 黒縁はゆらりと動くと前に躍り出てサチをすり抜けると、ワニワニパニックに百円を投入した。
「まずはワタクシの腕前を観てから、もう一度ワタクシの名を呼びなさい。さすれば、ワタクシの名前、一生忘れることは、ないでしょうから……」
 サチの方を振り向かずにそう言うと、黒縁はハンマーを構えた。
 そして。
 黒縁の振り下ろすハンマーの巧みさは、神業としか、言いようがないのであった。
「今年の干支はワニ年ですからね……。ワニワニパニックで遊ぶのもまた一興」
 ハイスコアが更新される。めがねの圧勝である。
「ワニ年なんて干支はねぇよ」
 と、ともかく。
 この町に着いてからそうそう、サチは敗北感を引き連れて、百草学園の門戸をくぐるハメになってしまったのだった。



 しかしなんだってんのよ、あの黒縁めがね。なーにが「ワタクシの名はクラッシャーくんだ」よ。ネーミングセンスを疑うわね。
 部屋の壁を拳で殴る。薄い壁はどかり、と振動した。
 引っ越し段ボール箱に囲まれた部屋。ここが今日から私の部屋になる。
 サチは制服のまま「うがー」と呻き、フローリングに横たわる。制服を着ているけど、今日はガッコウに行かなかった。行きたくなかった。ワニワニパニックから気分を害し、町をふらふらして、そのまま帰宅したのだ。
 ワニワニパニックやモグラ叩きというゲームは、リズム感こそが必要となる。そういう意味では、モグラ叩き系のゲームというのは、元祖リズムゲームといえるのではないか。『音ゲー』というのは、リズム云々というよりは「次にどこのボタンを叩くか」を暗記しておかないとクリアできない要素が濃厚にあって、確かに「音のゲーム」ではあるけど、「リズムゲーム」という語感に違和感を覚えたりするものだが、この『元祖』リズムゲームの類いは、純粋に、リズムに乗ることを至上とする。そこが、サチがワニワニパニックを愛する所以だ。
 ワニやモグラは、ランダムに現れるからテキトーに出現するのでは、と思われがちだが、実際は、リズムに乗ってやってくる。だから、反射神経で迎撃するといっても、要はリズムよく動けば、簡単に高得点が得られる仕組みになっている。
 サチは、ピアニストになるべく育てられたが、元来のリズム感は、そんなによくない。
 昔、ピアノ教室で、自分でリズムを取って演奏していたら、先生にひっぱたかれたことがある。何度もある。
「若い頃から、自分のリズムで鍵盤を叩くんじゃない!」
 と、怒られた。何度も、同じことを言われ、怒られ、ひっぱたかれた。「あんたのリズム音痴が、増大するだけよ! メトロノームのリズムを脳みそに叩き込みなさい」とかなんとか。
 おかげでドクタービートという機械のクリックを聴きながら、毎晩寝るはめになってしまった。自分が女の子として生きていた頃の話だ。
「うがー」
 頭を抱えてその場で転がるサチ。あーまじうぜぇ。
 ワニワニパニックに話を戻すと、だからゲームセンターで直立不動で叩いても高得点の得られるような輩は、のーみその中でリズムを刻んでいる。例えば、今日の「クラッシャーくん」みたいな奴だ。それに引き替え私は格闘家みたいに左右の脚に重心を入れ替えつつ身体でリズム刻んじゃってさぁ。あーもう恥ずかしいッッッ!
 気分をリセットするために、シャワーを浴びよう。
 頭のリセットにシャワーを浴びるなんて、女の子っぽくてなんか嫌だな、とか思いつつも、生物学的にオンナなのだから、仕方がない。これから編入するのは男子校。学生寮に入らなくて正解だったわ。そんな風に思う。ま、どーでもいっか。




 誰が悪いって、そりゃ決まってる。あの「ザマス」口調の継母、節子が悪い。全部悪い。こいつが諸悪の根源。節子が私のパパと結婚しなければ、こんなことにはならなかった。
 私は幼稚園生の頃からピアノを習っていた。パパとママは、私をピアニストにしようと思っていた。特に熱心だったのは、ママの方だった。
 でも、私が中学一年生の時、ママがガンで死んで、私はそれと同時に、ピアノを辞めた。パパは「もったいない」と言ったけど、それ以上は追求してこなかった。私のメンタルには、一切触れなかった。
 私が中学三年生に上がると同じ頃に、パパは節子というオンナと再婚した。節子は私の継母となった。
 このクソオンナ・節子はお嬢様で、結婚したときもまだ二十代だった。で、二十代なのに昔のまんがのおばちゃんキャラみたいに「ザマス」という語尾をつけて話すという、「飛んでもキャラ」だった。
 私が秋の合唱コンクールでピアノの伴奏をしたらそれ観て感動しちゃって、そこから無理矢理音楽の高校に私を入らせようとした。私は抵抗したが、節子は譲らず、結局音楽の高校に入ることになった。
 が、それは癪なので、節子に復讐すべく、私は入学早々問題を起こし、退学処分になることに成功した。
 私はピアノはもうやらない。
 ピアノを辞めると節子に言うと、節子は気持ち悪く唇を歪めて、
「じゃああなた、野蛮人なんだから野蛮人らしく、オトコになっちゃいなさいよ」
 とか宣った。
 かくして私は、ゴールデンウィーク明け、男子校に男性として、再入学することになった。一応編入という体裁をとって。
 どうやって私を「男性」と偽ることに出来たのか。金持ちの力なのか。節子はやることがえげつない。男だらけのところに女が一人だけ混じったら、どういうことになるか。悪い予感しかしない。
 だがまあ、仕方ない。私は、新たな人生を歩むのだ。三年間だけの辛抱だ。早く自立して、クソ継母のいない世界に飛び立つのだ。
 でーもー。私、一人暮らしだもんね。ぐひひ。これで気兼ねなくボーイズラヴ小説を買いまくることが可能となったのだァァッ!
 いえーい。



 夕飯をどうしようか考えた結果、引っ越し第一日目は牛丼を食べることに決定した。シャワーを浴びながらサチが三十分ほど考えて導き出したのが、牛丼のチェーン店に行くというプランである。「やっぱ一人暮らしの男といえば牛丼だ」という偏見による。
 しかし、女性が一人で牛丼屋へ入るというのも勇気が多少はいるわけで、サチもやはり、「一人牛丼」ができなかった人間の一人でもあった。これは、行くしかない。
 部屋にまだ整理してない段ボールを残しサチは部屋を出る。辺りは夕闇迫っていた。
 この町は、昨日まで住んでいた都会とは違いのどかではあるが、のどかといっても、田舎すぎるというわけでもない。それなりに栄えている。
 のどかというのはこの場合、この町が静かである、ということだ。雑踏というのはない。
 通行人もまばらだし、その通行人にしたって、自転車でふらふら出歩くオッサンや、買い物袋持ったサザエさんヘアのおばちゃんが歩いているくらいで、全然うるさくない。
 ここで自分は今日から暮らすのかー、とか思うと胸が高鳴る。電車でこの町に降り立った時もそう思ったが、やはり夕刻になって一人で歩いていると、思いは昼間の比ではない。
 ところで、牛丼屋って、どこにあるん?
 そういや、ゲーセンの位置しかチェックしてないことに気づく。スマホで地図を開けばそんなのすぐにわかるはずだが、考えがそこまで回らない。サチは、交番を目指そうと思った。おまわりさんに牛丼屋の位置を教えてもらう滑稽さにも、サチは気づかない。
 交番は駅前のロータリーに隣接して建てられていたので、チェックもなにもなくわかる。サチは駅に向かって歩き出す。
 が、商店街にたどり着いたところで、気が変わる。誰かに声かけりゃいいんじゃね?
 声をかけるといっても、オッサンに声をかけると援交かと思われるし〜、など、自分は男装した状態なのにまだ慣れていないため、ずれたことを思うサチ。ウジウジしていると、声をかけやすそうなツンツン頭のにーちゃんが一人で歩いているのを発見した。
「あの、ちょっと」
「ああん?」
 ツンツン頭のにーちゃんは、サチの方に振り向く。結構イケメンだったので、サチは鼓動が高まった。
 というか、私好みだ。が、平常心、平常心と……。
「牛丼のチェーン店、ここらへんにありませんか?」
「ああ、んだよ、喧嘩じゃねぇのかよ、紛らわしいな。つーかよ、喧嘩なら受けてたつぜ? 八王子の野郎の前に前哨戦ってのも、悪くねぇ」
 いきなり喧嘩の話になり、サチは焦る。軌道修正しないと。
「喧嘩はしません! ノー暴力」
「そうなのか?」
「そうじゃなくて、牛丼屋です」
「あ〜、牛丼屋なら、そこの角を左に曲がってすぐだよ」
 ちゃんと答えてくれた。よかった。
「ところでよぉ」
 ツンツン頭がサチの瞳をのぞき込む。
「おまえ、よく見るとすげーかわいい顔してんのな」
「なっ!」
 一歩引いて赤面するサチ。
 が、「あぁ、んじゃ、おれはこれで」とか言って後ろ向きに手を振り、にーちゃんは去っていく。
 サチはしばらく、その場で固まってしまっていた。「男としての」サチがかわいいと褒められたのには気づきもせずに。


 言われた通りの場所に牛丼屋があったわけで、あのツンツン頭も、そんなに悪い奴じゃないのかもしれない、とか思いながらサチは牛丼屋へ入る。
 食券を買ってカウンター席に入る。緊張。だって一人で入るの、はじめてだし。しかし、私は今日から男性として過ごす。約三年間。まずはそのステップとしての夕飯。これは気合いを入れなくては!
 サチが「よし!」と小声でガッツポーズを取っていると、騒がしい二人組が店内に入ってくる。
 金髪の飄々とした風の優男が一方的にしゃべり、もう片方のやつれた顔でクシャクシャの服を着た男が「うんうん」と髪の毛を手で無造作に掻きながら聞いている。二人は高校生っぽかった。
 店内はかなり空いているのに、なぜか二人はサチの隣に座る。こちらもカウンター席である。サチはカウンターを喰らった気分だ。
「でさぁ、おれは牛丼一筋三十年なわけ」
「うん? うん、そうだな、うん」
「へのつっぱりのいらん人みたいで格好いいだろ」
「でも穂村。おまえこのまえラーメン屋でも同じこと言ってたぞ。アレか、ブームなのか」
「な、なに言ってんだよ。あのときはスカル先輩がいた手前そう言っただけで、ホントはおれ、牛丼派なんだよーん」
「なんだよその語尾。無理矢理キャラをつくろうとしてんじゃねぇよ」
「またまたぁ、そんなこと言っちゃって〜。中村はおれのこと大好きだろ。知ってんだぜ。いっつもおれのあられもない姿を想像してオナ……」
 そこで金髪は殴られる。金髪は椅子からずり落ち、転げる。店員がどうしていいかわからずオロオロしている。
 なんだろこの人たち。もしかしてボーイズラブ?
 聞き耳立ててサチは勝手に興奮する。ああ、そうね、ここらへんは百草学園の生徒のホーム。男子校なんてホモの巣窟だもんね!
 金髪は椅子に戻ると、
「ところでさ〜、もうそろそろ『Cl+』から卒業しようぜ」
 と、やつれた男に言う。殴られたことに対しては気にもとめない様子。男だねぇ、いや、二人にはラヴがあるから? なんてサチは妄想たくましくする。
「オーディオインターフェイスなー。部費で落ちるかなー。厳しいなぁ」
「いや、そこは頼むよ、マジで」
「考えとく」
「やりぃ!」
「決まったわけじゃないからな、穂村部長さんよ」
 えへへ、と鼻をこすりながら穂村と呼ばれている金髪は嬉しそうにする。顔を覗いてみたら、童顔で、愛くるしい。「こっちが受けね!」とサチは思った。
 しばらくするとサチの元にキムチ牛丼が運ばれてくる。サチは男らしくばくばく食う。いや、もとから大食漢なのだが。
 二人の男の元へも牛丼が運ばれ来て、会話は中断して黙々と食べ始める。
 サチの隣に座っている中村と呼ばれているやつれた方の男が、サチの眼前にある水の入ったピッチャーを手に取る。サチは邪魔にならないように、身体を後ろに引き、よける。
「あっ……」
 中村は口を開き、ぼそりと言った。手が滑ってピッチャーを落としたのだ。
 水がピッチャーからこぼれテーブルを水浸しにする。ピッチャーは床に落ちた。
 サチはよけるのが遅く、ズボンの太もものところがびしょびしょになってしまった。
 穂村が「なにやってんだよおまえは〜」
 とか言ってる。が、言うだけである。牛丼のどんぶりを左手に、箸を右手に持ったままだ。
「すみません。あ、拭きますから」
 中村が髪の毛を掻きながら、おしぼりでサチの太ももを拭く
 太ももにおしぼりを押しつけられたサチは、
「いやああああああぁぁぁぁ!!」
 と叫び、中村を平手打ちした。「この変態ッッッ!」
 平手打ちを食らった中村は、わけがわからず平手打ちで赤く染まった頬のまま、ぽかーんと口を開けた。
 穂村は中村のその姿を見て「うひゃひゃひゃ」と笑った。
 サチは完全に、今自分は男であるということを忘れてしまっていたのであった。



次の日は早く起きた。サチは背伸びをし、あくびをかみころす。今日こそはガッコウにいかないと。
 トーストにいちごジャムを塗って食べながら、朝のニュース番組をテレビで観る。世の中は今日もこりずに情報を刷新し、自分とは関係なくころころと転がる。
 学生服を着て姿見で自分の「男の姿」を確かめると、サチは部屋の消灯を確認し、外に出る。
 アパートを出ると、郵便受けのところに黒猫がいた。にゃーにゃー鳴いてこっちを見ている。丸々と太った猫だ。首輪はつけてない。たぶん野良猫だ。ノラなのに太ってるなんて。いつもなにを食べてるのかな。うーん、ここらへんのボス猫だったりして。
 しかし、時間もないので、黒猫を眺めるのもそこそこに、サチは百草学園に向かう。今日からの私の学舎に。いや、正確には昨日から通うべき場所だったんだけど。
 この町、十字王町にはカラスが多いみたいだ。昨日来た時はそんなの感じなかったが、やはりゴミ集積所にゴミ袋がたまっている朝だからなのだろうか。
 サチが早足で歩いていると、カラスの群れがこっちを鋭い目で見ている。
 サチはカラスには構わず、歩き続ける。さすがにガッコウの位置は確認済みだ。迷うこともない。

 ガッコウに近づいていくと、だんだんと学生の姿が目立つようになる。みんな詰め襟。向かう百草学園は男子校。なのでセーラー服の生徒はいない。サチは本当は女だが、それに気づかれてはいない、……と思う。なぜ断定出来ないかというと、結構じろじろと見られているからだ。それは自分が転校生だからだ、と思いたい。
 校門に着くと、リーゼントの男が校門の柱のところに陣取って、赤いガットギターをストラップから下げ、悠然と立っていた。
 リーゼント……。男は、首から赤いスカーフを巻いていた。異様な雰囲気を醸し出しているが、誰も気にとめない風に、通り過ぎている。
 サチは「うわ〜、リーゼントォォ……」と新奇な目で男を見てしまう。と、男と目が合ってしまった。ビクッと震え上がってしまうサチ。
 男はそれに反応するかのように、サチの方を見据えながら、言った。
「それでは聴いてくれ。『メリケン波止場のだうなうブルース』……」
「…………」
 サチは立ち止まった。リーゼント男の演奏が良かったからではない。むしろ演奏も歌も下手くそだ。姿もリーゼントにスカーフと、常軌を逸している。が、そこが良かったのかもしれない。なとなく、こいつがどういう歌を歌うのか聴いてみたいと思ってしまったのだ。曲はオリジナルっぽいし。
 男が歌い終わると、サチの後方から拍手が聞こえる。サチが振り向くと、イケメンが拍手していた。イケメンの周りでは「八王子様だ」「八王子様、ステキだな、今日も」と言い合う声がそこら中から聞こえる。イケメンはリーゼントに言う。
「クソ素晴らしいクソプレイだったよ、さすが童貞ミュージック部の人間だね」
「DTMのDTは童貞の略じゃねぇって言ってんだろ」
「HAHAHA(はっはっは)! 隠さなくていいんだよ、自分が童貞だというどうしようもない紛れもない事実を」
「こんにゃろ。てめぇとは一戦交えないとならねぇと思っていたけどよぅ」
「ほほう。私に刃向かう気かね。いいだろう。生徒会会長の私に逆らうとどうなるか、目にもの見せてやろ……、ってグハッ!!」
 イケメンは話の途中で高速で走ってきた自転車に正面衝突され吹き飛んだ。
 二転半転げてから「誰だ!」と叫ぶイケメン。周りの学生たちは目を丸くしている。
「んあ? ああ、八王子か。わりぃわりぃ」
 自転車が止まり、ツンツン頭の男がぼえーっとした眠そうな顔つきで言う。このツンツン頭は昨日牛丼屋の場所を教えてくれたにーちゃんだ、とサチは気づいた。
「ス〜〜カ〜〜ル〜〜!!」
 イケメンは立ち上がると拳を握りわなわなと震わせ、自転車男を睨む。
「ああ、悪気とかはあんまりねぇからさぁ、……許してくんね?」
「スカル〜〜、今日こそは決着をつけてやろうかぁ?」
「え? なに? おれと殺し合うってか? いいぜ、みんなの王子様八王子きゅん」
「『八王子きゅん』じゃないぞ、この……」
 と、言い合いが始まったので、そそくさと退散しようと試みるリーゼント。しかしイケメン八王子に「おまえはそこを動くなオザキ!」と怒鳴られる。
 緊張が走る。
 が、そこに緊張感のかけらもない笑い声。
「オッハー。みんな揃ってなにやってんの? あ、わかった。やっと我が『だうなう部』に八王子くんが入部してくれるんだね。あっはー。こりゃ愉快。楽しくやろうよ。ねっ!」
 金髪の軽薄そうな人物は、そう言ってこの場に割り込んでくる。金髪の横には、やつれた風な男が髪の毛を掻きながら、どうでもよさそうな感じでその場を見やる。
 こいつらも昨日の……。
 と、そこでチャイムが鳴り、ジャージ服を着た、おそらく体育教師と思われるオッサンが竹刀を持ってやってくる。
「こらぁ〜! まただうなう部かぁ〜!? おまえらはいつもいつもいつも……! 遊んでないで早く教室に入れーー! 八王子もなー!」
 それに「は〜い」と答えたのは金髪の、確か穂村とかいう男、だけだったが、なんとなくこの場はそれで収束するのだった。
 危うく私まで巻き込まれるところだった……のか?
 サチは首をかしげた。



 職員室に着くや否や、若い女性の教師がサチのいる入り口まで向かってくる。
「あなたが小揺ヶ崎(こゆるぎがざき)サチオくんね」
 本当はサチコという名前なのだが、それはもちろん伏せる。
「はい。サチオです。サチと呼んでください」
 タイトスカートの教師は頷いてから、
「私が今日からあなたの担任、更木のぶ代。よろしくね」
 と言い、それから「もう、転校初日から欠席なんて。もしかして不良くんなのかな?」と、愛らしく言う。きっとこの人は生徒から人気なんだろうな、とサチは思った。
 のぶ代は続ける。
「登校すぐにあのDTM研究会と接触しちゃうなんて、災難ね。でも安心して。あんな奴らにキミを近づけたりしないからね」
 自分で言って自分でうんうんと頷いて、のぶ代は自分の事務机の方までサチを促した。
 そしてサチは事務的な説明を受け、今日から自分のクラスになる一年四組までのぶ代同伴で行くことになった。ホームルームでサチを紹介するらしい。

 のぶ代が先に教室に入り、サチを呼ぶ。
 サチが一年四組の教室に入ると、拍手が起こった。
 一瞬、義務感のようなものから拍手が起こったのかと思ったら、ちょっと違ったようである。指定された窓側の後ろから二番目の場所にサチが着席すると、後ろの席の細い手足の生徒が声をかけてきた。
「おれ、田島。よろしく」
「よろしく」
 手短に挨拶を交わすと、田島は身を乗りだし、目を輝かせる。
「キミ、すごいよなぁ。ホントにすごいよ、あの八王子先輩に見初められたんだろ!」
 すごいよ、すごいすごいと、田島は繰り返す。横合いからも、他の生徒が声をかける。
「八王子さんとオザキの奴の二人が、サチオくんを取り合ってバトルしたって聞いたぜ! すごいよ!」
 よくわからない。が、たぶん朝の出来事を射しているであろうことは予測できる。なんか、困ったことになった……。
「サチオくんは八王子さんとどこまでいったの? き、キスとか、……しちゃったの?」
 もうよくわからない。すごくよくわからない。これが男子校か……。
 どうも八王子というあのイケメンは、名前通りみんなの王子様であるのは了承できたが、パソコンの『乙女ゲー』の世界になっているような気がしないでもない。ボーイズラブには慣れているものの、その妄想される相手が自分だと、すこぶる気持ち悪い。そして、妄想してる人間達が全員男というのが、なんとも奇妙。イケメンパワー、恐るべし。
 田島が興奮しながらなんか言ってる。
「ああ、となるとサチオくんは八王子さんから生徒会にスカウトされたも同然だよなぁ。ああ、憧れの薔薇百合会……」
 うっとりして彼方を見つめる田島。イっちゃってんな、こいつ。
「あ〜、なんだ、その、よくわかんないしなんかの誤解だと思うよ。私は、あ〜、巻き込まれただけだから。あと、私はサチオじゃなくて、……サチって呼んでね」
 と、女言葉が出てしまうが、それには気づかず、「わかった、サチね」と言う横合いの生徒。田島は未だ、あらぬ方向を見つめて「ああ、薔薇百合会……」とか呟いている。
 形容しがたい雰囲気になってきたが、ホームルームの時間だったはずが、サチの周りには生徒達が群がり、質問攻めに遭う。そこは普通の学校と同じといったところか。ただ、みんな口の端々に「八王子さん」と「薔薇百合会」と、「あのオザキ」「オザキのいるだうなう部」という単語がちりばめられる。
 なんだろう、厄介なことになった気分だ。
「ところで、なんで百草学園の寮に入らないの?」
 という質問があった。
 そう、ここは基本全寮制に近いのだ。
「もしかしていいところのご子息?」
 とか話が広がりはじめる。
 まー、もうどうでもいいや。
 話題にのぼる単語のひとつひとつを突っ込んで訊けば自分のポジショニングも出来ようものだが、サチはどんどん面倒になって、それは止した。たぶん生活が安定してくればわかってくるだろう、という判断もすこしはした。が、そのテキトーすぎる判断は早計だったといえる。この百草学園のノリなんて理解しようとも思ってないのと、それは同義と言えるからだ。
 そこらへん、サチはズボラ過ぎなのだった。 サチは「なんとかなるっしょ」と思う。世の中を甘く観てるわけじゃぁ、ないのだが。
 田島達の話は続く。担任ののぶ代はもう、教室にいない。ホームルームは自然解散し、授業が始まる。
 それはゴールデンウィーク明け。ここから三年間、サチは男としてこの百草学園で暮らさないとならない。秘密持ちの一人暮らし。問題は山積みだ。
 これは、サチのポジティヴさが試されている、と言い換えてもいい。
 三年間、どう過ごそうかなんて、この時のサチは、全然思わない。ピアニストになるのが嫌で、家から追い出されたという秘密の生い立ちは、サチとしては忘れたい。
 なら、予防線を張ればよかったのだ。
 それにサチは気づかない。



授業は進む。普通に進む。サチは前のガッコウを、一ヶ月で辞めた。なので、百草学園に入ってきたのも早く、まだ一年生の五月。高校生の勉強は始まったばかりというタイミング。サチは余裕であった。百草学園は、偏差値が高いが、ついていけないほどではなかった。
 真新しい教科書。まだ新品同様のノートブック。筆記用具も、「男として」それらしくなるように、買い換えたばかりだ。
 気分も新鮮だ。クラスメイトに、厄介な人間はいない。
 新聞やニュース番組を観れば連日のいじめ自殺問題。ここには、それがないように見えた。
 それはなぜか。サチが訊いてもいないのに、田島をはじめ、クラスのみんなが口々に「薔薇百合会のおかげだ」という。どうも、その薔薇百合会という名前の生徒会が、風紀を乱すのを許さないらしい。生徒会が許さないとか言っても普通は効果がないものだが、ほぼ全寮制の百草学園の場合、「みんなの憧れ」の生徒会が動くと、自然と規律正しくなるようだ。どんな理屈だかサチにはよくわからなかったが。全寮制で噂やら伝達やら、そういったものが行き渡りやすいのか。
「これでだうなう部の連中も大人しくなればねぇ」
 田島がため息を漏らす。だから一体、そのだうなんとかっていうライトノベルのタイトルみたいなそれはなんなのだ、と尋ねたいところだが、うまく切り出せない。
 そんなこんなで、昼休みが訪れた。
 サチは弁当を持ってきていない。というか、弁当を持ってきている生徒はいない。みんな、学食を食うようだ。
 サチは田島に誘われ、食堂のあるホールに向かうことになった。サチはすっかり、田島に気に入られてしまっていたのであった。

「なんか、周囲と隔絶した空間が広がってないか……?」
 食堂に着いたとき目に入ったのは、いかにも学食! といった感じの木造の古〜い食堂と、その奥にある装飾過多ないかにもヨーロッパの貴族! みたいな空間のコントラストである。
 赤いカーテンの天蓋、白くて金色で模様のついた椅子とテーブル。そこで紅茶のカップを傾ける、……生徒会長の八王子とかいう人物と、おそらくその連れの二人組。
「なんじゃこりゃ?」と思ってサチは横にいた田島の方を向くと、田島はうっとりとした目で八王子を見ている。しかも「ステキ」とかなんとか、ジャニーズの美少年タレントを観る女の子や韓流スターを観るおばちゃんのような眼差しだ。「デンジャーだな」と、サチは呟いてしまったが、誰もそんなの気にもとめない。田島だけでなく、かなりの人数の生徒がカップで紅茶を楽しんでいる八王子とかいう奴を見て恍惚感に浸っているのだ。
 その場から動かなくなった田島を置いて、サチは食券を買ってカツカレーを食堂のおばちゃんに注文した。田島はついてくるかと思いきや、見とれたままだ。待ってられないとばかりにサチはカレーを完食。田島に挨拶してから食堂を出た。田島は心ここにあらず、であった。
 ま、ほっといて私は学園内を探索しましょうかね。
 カツカレーの味に満足したサチは、朝、職員室でのぶ代からもらった学園マップをポケットから取り出し、広げ、どこに行くかを決めるのであった。
「たんけ〜ん、たんけ〜ん、ぼっくのぉまちぃ〜」
 サチの声は弾む。


     ☆


 男子校。男子校なぁ。どこもかしこもこんな感じなのかな。よくわかんないけど。そういや中学の時みんなで「世界中の男は全員ホモ!」って言って笑ってた時期があったわね。あー、あの頃が私、人生で一番楽しかったかもしれない。

 しかしさっきはキモかった。あほらしかった。八王子とかいうのに対する過剰な憧れみたいなの、正直まじキモい。が、これにも我慢我慢。関わり合いにならなければいいだけだもんね。現実世界のガチホモ事情なんて、知りたくもないわ。ボーイズラヴは、本の中の世界だからこそ、美しい。日々、男子の二人組を見るとどちらが攻めでどちらが受けかを考えてしまう私だが、それとこれは違うのよ!
 と、本のことか妄想のこととかを考えたので、サチはまず、図書室に向かうことにした。図書室、気になるじゃん。

 図書室の扉を開けると、サチは絶句した。
 どうやらここは生徒の逢い引きの場所になっているらしい。男同士でいちゃついてるカップルのような連中が、たくさんいる。しかもそいつら、扉を開けたら一斉にこっちを見るもんだから、……怖い。
 サチは図書室に来てしまったことを後悔しながらも、足を踏み入れる。
 書架を見ると、それなりにいい本が揃っている。サチは本が好きだ。正確には、本屋が好き。あの雰囲気とかね。本屋が好きだから、玄人が唸る本がどういうものだか、少しは知っている。なので、ここの図書室のラインナップの趣味の良さも、わかったのであった。
 五、六組はいる男同士のカップルと視線を合わせないようにしながら、サチは本のタイトルを見ながら、書架沿いに図書室の奥へと向かっていく。
 一番奥にたどり着く。棚にはところ狭しとルビー文庫が並べられている。まさかガッコウの、男子校の図書室に「タクミくんシリーズ」と「富士見二丁目交響楽団シリーズ」が全巻揃っているとは思わず、脚を一歩引いて驚いてしまった。それまでセンスの良い本が揃っていたが、最奥にはボーイズラヴが置かれているとは。このガッコウ、ガチなのねッッッ!
 と、視線を書架から逸らすと、机のないところに椅子だけ持ってきて座って大判の本を開いている黒縁めがねの男がいるのに気づく。
 サチが「あ、お前は」とつい声を出してしまう。
「ああ、キミか……」
 黒縁めがね、クラッシャーくんはずれためがねを手で直しながら、本から顔を上げる。こいつ、昨日のゲーセンの。
「転校生なんだってね。みんなの話題になってるよ。百草学園の生徒は、美少年に目がないからね」
 吐き捨てるように、言う。
 サチの視線は自然とクラッシャーくんの読んでる本に目が向く。その表紙は、ローアングルから撮影された女性のパンチラ写真であり、タイトルの『ローアングル探偵団』という文字が、大きく書かれていた。え、エロ本……。
 エロ本の存在に顔を赤くしたサチを見て、クラッシャーくんは尋ねる。
「キミは、女の子が、好きかな?」
「は?」
 いきなりなんだこいつ? とサチは思う。が、答えなくては、と思う。「男らしく」応じなくては。
「好きだよ」
「そうか……」
 クラッシャーくんはエロ本を閉じる。
「ワタクシも女性が大好きでね。……良かった、キミは見込みがある。部長や先輩に、伝えておこう」
「はい?」
 頭に疑問符が浮かんで点滅するサチを無視し、椅子から立ち上がったクラッシャーくんは、その場を離れた。去り際、「読むかい?」と『ローアングル探偵団』を差し出すクラッシャーくんだったが、「いや、遠慮しとく」とサチが言うと、「そっか。恥ずかしがり屋だな」と薄く笑うのだった。
 サチは、
「もう頭がパンクしそうだわ」
 と呟いた。


     ☆


 本のにおいの充満した図書館を抜け、サチが目指すのは屋上。ガッコウというのは得てして屋上には行けないようにしているものだが、この百草学園は屋上を開放しているらしい。こりゃ、行くっきゃない。きっと生徒達がいっぱいいるだろう。屋上をキーにした小説とか、多いもんね。
 図書館があるのは二階。この学校は四階建てで、一階が三年の教室。二階が学校の各施設。三階が二年の教室で、四階が一年の教室だ。
 サチが三階から四階に向かう階段の踊り場に着くと、いきなりばっきーんという、人が人を殴って大きな音を立ち、サチにめがけて殴られた人間が吹っ飛んできた。サチが「うひ!」と声をだし避けると、殴られた男は階段を転げ落ちていった。
 転げ落ちる人影を見て呆然とするのもつかの間。迎撃をするためか殴った男も階段を降りていく。
 殴った男は飄々とした金髪。牛丼屋で、サチの隣でしゃべってた男の一人だ。
 サチをすり抜けていくとき、金髪もサチに気づいたようで、「うぃっす」と挨拶する。サチも「うぃっす」と返す。
 気になってサチが転がっていった先を見ていると、どうも転がっていった男はすぐに立ち上がった。どうやら無事らしい。
「よくもやりやがったな、穂村」
「へへーん。オザキ、お前はなにもわかってない」
「ああん?」
「キュゥべえすを舐めんな」
 転がり立ち上がった男は、朝、校門のところで赤いギターぶら下げていたオザキという男だ、というのがわかった。今も朝と変わらず赤いスカーフを首に巻いている。対する金髪は穂村って名前だったのを、二人の会話から思い出す。
「おいおい、穂村部長さんよぉ。ソナーたんの魅力に気づかないってのは、戴けないぜ?」
「オザキ、百草学園DTM研究会の伝統なんだよ、キュゥべえすを使うってのは」
「研究会が出来たのはスカル先輩が研究会つくった二年前だろが。今からでも遅くねぇ。ソナーたんに換えようぜ」
「そうは言うけど、オザキ。考えてもみろよ。DAW(だう)は、キュゥべえすの方がギタリストにはいいはずだろ。違うか?」
「部長。おれはローランドが好きなんだよ。それにキーボーディストなんだから穂村だって、ソナーたんに向いてるだろ。さぁ、新学期の部費が入ったところで、さっそくソナーたんを買おう」
「ダメ!」
「はぁ?」
「部費で新しいオーディオインターフェイス買う」
「んだと?」
「昨日中村と話し合って決めた」
「おれのいねぇところで決めやがって」
「そりゃオザキがストリートライブに行っちまったからだろう」
「うっせぇ!」
 赤いスカーフを巻いているオザキという男は吠え、穂村を黙らせると殴りかかった。
 が、健闘むなしく躱されてしまう、逆にカウンターパンチを喰らい、二階の踊り場からさらに一階に向かう階段を転げ落ちていった。
 ……赤いギターに凶暴そうな声を出すこのオザキという男、もしかして、めっさ弱いのか?
 見ていても部外者だし関わり合いにならない方が身のためだと思い、サチは眺めていた三階の踊り場から、四階へ、そして屋上への階段を昇り始めた。
 早くしないと、昼休み、終わっちゃうもん。


     ☆


 最上階にたどり着き、扉を開ける。開けるとそこは屋上だった。当たり前か。屋上にあるのは屋上だ。
 コンクリート剥き出しの、ちょっと年季の入った、そんな場所。
 見渡す景色は、この十字王町一帯が見渡せる。春の空気が、気持ちいい。サチは太陽の光に、目を細める。
「この町も、結構いいもんだろ?」
 背後から、男性声優のような、独特のヒーロー声が聞こえる。その声は、サチに語りかけている。声の主が、サチの横まで来て、こっちを見た。サチも、その声の主を見る。目が合った。また、目が合った。男はツンツン頭のイケメンで、だぼだぼの制服のポケットに、手を入れている。ツンツン頭は、サチが昨日、道を尋ねたイケメンだった。
「おれはスカル。英国の『テクノ・バッハ』エイフェックス・ツインを神と崇めている百草学園三年生。クラッシャーくんから話は聞いてるよ、よろしくな、転校生のサチオくん」
 ツンツン頭のスカルに見とれていたサチは、そういえば今自分は「男」だということに、名前を呼ばれて気づき、だらけてしまいそうな顔を慌てて元に戻す。ていうか、私の名前が割れてる?
「…………」
「緊張するこたねぇよ。なにも、取って食おうってわけじゃねぇんだからよ。百草のガチホモ連中と一緒にされちゃ、困るぜ。まあ、お前が、見てると吸い込まれそうになるくらい美少年なのは認めるけどな」
「なっ……! いきなりなにを言うんですか! 私は、その、えっと……」
 しどろもどろになる。が、体勢を立て直せ、私。
「お前、たまに女言葉になんのな。でも、それが似合うんだから面白れぇ。ボーカルとか、向いてんじゃねぇかな」
「さ、さっきからあなたは、なんなんですかッ」
 サチには応じず、スカルは話を戻した。
「この町はよ、学園が山の方にあるから気づきにくいけど、海もあって、浜辺の町でもあるんだよ。漁業はそんな盛んじゃなくて、どちらかって言うと林業の方が盛んなんだけどな。そんで、県庁の会社や工場に勤めている人間の、ベッドタウンでもあるから、人口もそれなりだ。この百草学園は、そんな立地条件の場所に建ってる。ただし、全寮制の被害があってよ。おれたちはそれを壊したくて……」
 サチは話の途中から頭に疑問符。話が逸れてる? いや、町の説明じゃなくて、今から本筋を話そうとしてる?
 と、そこにこれまた甘美な声が、後ろから。
「スカル!! どうにかしろ、このあほんだら!!」
 声に反応して、心底めんどくさそうに、スカルは相手に振り向く。
「今度はなんだよ、八王子」
 八王子。みんなの王子様が血相を変えて、スカルに今にも飛びかからんとばかりに接近する。ここに、イケメン二人が揃う。
「オザキをどうにかしろ! 喚いてんだよ、さっきから。殴り合いの喧嘩から一転して廊下でギター演奏はじめてんだよ」
「はぁ? いつものことじゃん、あいつ」
「いいから今すぐやめさせろ」
「だうなう部のことは全部穂村に任せてんだ。穂村に言ってくれ」
「その穂村と喧嘩してたんだよ、殴り合いのな。今はその童貞ミュージック研究会の部長である穂村もな、シンセサイザー持ってきて一緒に演奏してんだよ! お前がなんとかしろ、スカル! 貴様、三年生だろ、後輩の面倒責任持ってちゃんと見ろ!!」
「DTMは童貞ミュージックの略じゃねぇ」
「論点はそこじゃないッ」
「楽器演奏して騒がしいくらいが、このガッコウに『健全な』活気に溢れて、ちょうどいいんじゃね?」
「よくないッッッ」
 八王子がスカルに掴みかかる。スカルはとてもめんどくさそうに、肩をつかまれて揺さぶられている。
 ああ、なんか修羅場っぽい。
「あ、じゃあ、私はこれで……」
 その場から逃げようとするサチを、「まだ話は終わってねぇ」とか言って止めようとするスカルだったが、「こっち向けスカル。一年生を口説いてんじゃない!」と、八王子が詰め寄る。スカルはサチを引き留めるのを諦め、「わーったよ、ったく、たりぃ」と、不平を漏らす。サチはその隙に、脱兎のごとく立ち去り、階段を降りて自分の教室に戻るのであった。
 教室に着く頃、チャイムが鳴り、昼休みは終わる。サチは、このガッコウの校風が、なんとなくわかってきたような気がした。


     ☆


 ぶに〜。近所の野良猫は唸って髪を逆立てる。その黒猫の目の前には、ドライのキャットフードとミルクの入った皿がある。誰かが餌をあげてるんだな、とサチは微笑む。猫っていいな。
 猫を見て嬉しくなる一瞬。でも。百草学園の雰囲気、慣れること、出来るかな。不安になりつつ、サチは帰宅する。
 実家から持ってきたカップラーメンを食べ、サチはシャワーを浴びて、ニコニコ動画でマイリストを巡回して、布団に寝転がる。眠気は、突然のように降りてきた。

 次の日、登校すると、またもや田島がやってくる。今度は、田島だけでなく、クラスの他の生徒も目を輝かせてやってくるのだから、たまらない。
「オザキと八王子さんがサチオくんを取り合っただけじゃなくて、スカルさんと八王子さんもサチオくんを奪い合う展開になったって聞いたよ! どういうこと? ねえ。どういうこと?」
「は?」
「昼休み、いなくなっちゃうからどういうことかと思ったけど……、そっか、……そういうことなんだね」
 田島の言葉に、うんうんと頷き合うクラスメイトたち。なんだ、この連帯感は。
「あのぉ〜、誤解だからね、それ」
「屋上で奪い合う恋の行方。いいなぁ、ホント、いいなぁ。憧れるなぁ」
 ダメだ。なんか、ダメだ、こいつら。
 みんながサチの周りでわいわいがやがややっていると、チャイムが鳴って、授業が始まる。
 休み時間になると、毎回サチの周りには人だかりができた。クラス以外の生徒達も集まってくる。こりゃなんか商売をはじめたら私の店、大繁盛なんじゃないかってぐらい。
 昼休み。またもや昨日のように目線が八王子に固定されると虚ろになる田島を放っておいて、サチは学園を探索することにする。
 色々周り、最後に行くことにしたのは、音楽室だった。
 音楽室には誰もおらず、だからサチは音楽室に足を踏み入れる。
 そこには、グランドピアノが置かれている。
 私は、音楽学校をドロップアウトした。まあ、中学に入ってからはもうピアノは辞めたし、ドロップアウトもなにもない。ただ、ピアノのお稽古事をやめた程度の実力。でも。
 ピアノのふたを開け、鍵盤を見つめる。指がそっと鍵盤に触れる。サチは椅子に座り、演奏をする。
 曲目は『華麗なる大円舞曲』。サチにとって思い出の曲。サチの実の母親が大好きで、いつもサチに弾かせていた曲だ。サチにとって継母の節子なんかは、母親じゃない。父の再婚相手、恋人でしかない。私の思い出は、節子には汚させない。この思い出の曲は、純血。
 真夜中は純血なのだ。
 サチの両手の指が動く。節子の前では一度だって弾いたことのない曲を弾く。激しい曲だ。その指の動きは軽やかでいて、それでいて、猫の歩く仕草のようだ。サチはこの曲が終わるまでの間、あの黒猫のような、したたかな野良猫になる。ミルクを舐める指のタッチでアルペジオを奏で、同時にキャットダンスのノリで主メロを叩いていく。
 証明終了。
 演奏が終わる。
 私はやっぱり、ママの子だ。再確認する。
 サチは、またここに来ようと思った。サチは一人でこの学園に来て、生活を始めて、それでわかる。私はピアノが嫌いなわけじゃない。節子が、継母が嫌いなだけなんだと。節子が音楽をやれと言う。だから、断っただけだ、そんな人生に。じゃあ、またピアノを弾くか? 音楽主体の生活になって。……それはないよ。ないない。ありえない。私はピアニストじゃないから。
 演奏を終えたサチはあくびをしながら背伸びする。じゃあね、グランドピアノ。また明日、ここに来るからね。
 サチが教室に戻ると、
「今度はどんな修羅場があったんだよぉ」
 と、田島がサチに泣きついてきて、その田島以外にもゆかいなクラスメイト達がまた集まってきた。

 帰宅すると、夜になる。みんなと今日はメアド交換したりして、気分がいい。サチは、中学の頃、友達なんてほとんどいなかった。小学生の頃いじめにあって、転校するかしないかみたいな話になって、騒動の中、仲が良かった人たちと距離ができてしまったのだ。小学校から中学校には、受験しない子は地元の中学に繰り上がるだけだから、一度出来てしまった距離が元に戻らぬまま。なので、高校が節子によって音楽の学校に行かされてしまう時も、そんなに悲しいわけではなかった。少なくとも、友人関係においては。
 一人でこの町にやってきて、知り合いが誰もいない状況下に置かれてしまっても、だから寂しいと感じたわけじゃない。寂しいとしたら、それは自分の通奏低音だ。アルペジオを奏でる左手のコード弾きの音のようなものだ。普通の、私の普通の状態だ。
 布団に横になって「ベッド欲しいなー」とか思っていると、クラスメイトからさっそくメールが届く。Twitterのアカウントを取得した方がいいかな、なんて思いつつたわいもない会話を交わし、「あ、でもみんな同じ寮に入ってるから、自分の今のことを呟く必要もないから、意味ないかー」と思って、百草学園のクローズドサークルの環境を考える。
 今度放課後一緒に遊ぼうというメールに、気分をよくする。
 サチは、うまくやっていく手がかりをつかんだように、その時は思った。


     ☆


 サチの登校時間は、結構時間ギリギリだ。登校三日目にして、一人暮らしは時間にルーズになっていってしまうことを、痛感する。
 実家にいた頃も、誰かがサチを朝、起こしてくれたわけじゃない。が、規則正しく起きて、寝た。が、一人暮らしはどうだ。はっきり言って、ここまでリズムが狂っていってしまうなんて、思いもしなかった。今日は特にひどい。寝坊した。睡眠時間が短かったわけじゃないのに、起きられない。朝起きて速攻で準備して、サチは部屋を出て、周囲に誰も歩いていないのを確認してから、猛ダッシュした。
 カラスがかーかー鳴いてる。こっち見てる。まるで馬鹿にしてるみたい。寝坊した自分を馬鹿にしているのか、時間にいつも縛られている人間の生活全体を馬鹿にしているのか。それはわからない。でも、ちょっと腹が立ったのは、間違いない。
 ガッコウの校門をくぐる。オザキとかいうギター弾きは、今日はいない。
 慌ててサチが昇降口に滑り込むと、予鈴が鳴った。あと、五分でホームルーム。みんなはたぶん寮から一斉に登校するのだろう。生徒はもう、まばらだった。
 上履きに履き替えるために下駄箱を開ける。
 と、そこには、可愛いクマのキャラクターの絵柄の、封筒が入っていた。
 まさか、と思ってその送り主の名前が知らない相手であるその封筒を開き、中の便せんを取り出し、文章を読む。
 サチは、その、あきらかに男が書いたとわかる筆致のクマちゃん絵柄の便せんの、無骨な書き方の内容を読んで、絶句する。
 それは、男が書いた、「男に向けた」ラブレターだった。
 サチは周りの人間に気づかれぬよう、便せんを封筒に戻し、ポケットにそれを突っ込んだ。
「昼休み、校舎裏の百草学園創立記念樹にて、待っています」の文字に、震えるばかりだった。それは、恥ずかしくて震えたのではもちろんなく、この高校の謎の雰囲気の、ダークサイドと思われる一端を覗いてしまったような気分による、そんなものだった。


「ぼ、僕と付き合ってくださいッッッ」
「嫌です。ごめんなさい」
 即答だった。
 サチは昼休み、尾行されてないかきょろきょろ辺りを見回しつつ創立記念樹の前までやってきて、即座に、男を振った。この生徒は一年二組の小畑という名前だった。ラブレターに書いてあった。
 サチは、女としてさえ、生まれてこのかたラブレターなんぞ、もらったことがなかった。 それが、はじめてもらうラブレターが「男としての」自分にあててだったわけで、それはそれでショックだった。ショックと言えば、告白されてそれを振るという行為も、すっげー神経を摩耗してしまうという事実にショックだった。他人の好意を無碍にするというのは、きっと良心が痛むのだなぁ、でもこんな奴と付き合いたくないし……って、好かれてるのは「小揺ヶ崎サチコ」ではなく、「小揺ヶ崎サチオ」なのだが。男装してるとはいえ、そんなに私はオトコっぽいのか。さらにショックだった。百メガショック、ネオジオ。

 だいぶ疲れた。すげー疲れた。帰りたい。でも帰る体力がない。
 両手をだら〜んと下げ、猫背でサチは歩く。放課後。クラスメイト達に別れを告げて、帰宅するとかしないとか、そんなフェイズに移っていた。ふらふらとゾンビのように歩くサチは、昨日の昼休みに訪れた、あのグランドピアノの置いてある音楽室に足を向けた。
 誰もいないのを確認してから、こっそりと、だら〜んとした腕を下げて音楽室に入る。ピアノのふたを開ける。椅子に座る。
「ここはロッキンにコード弾きでもしますかね」
 と、サチはビートルズの『アイ・アム・ザ・ウォルラス』の伴奏を弾く。サチは、ポップスとかロックも弾くタイプなのである。
 ビートルズのコードというのは、理論的には実験的でトリッキーなものが多い。だが、そこがロック。今弾いてるこの曲に至っては、歌詞がぶっ壊れてる。思わず、サチは歌い出す。曲は、弾き語りになった。
 と、いきなり、サチの伴奏と歌だけでなく、そこにシンセブラスの音が混ざってきた。どこから? ってか、このコード崩し、アドリブ? なに、誰? はい?
 しかし、サチは歌と手の動きをやめない。演奏は続く。シンセサイザーの、ブラスの音色も続く。
 エンディングのA、G、F、E、D、C、Bの繰り返しを何度か行ったあと、鍵盤に音を叩きつけて、サチは演奏を終わらす。タイミングを見計らったようにシンセの音も、終止した。
 パチパチパチ、と拍手が奥の方から聞こえる。複数の音。何人か、いるの?
「誰!?」
 サチが目を向けるのは、音楽準備室の方。
 準備室の扉が開く。やはり、そこにいたらしい、何者かが。
「ぶっらぼーん」
 扉から生徒が三人、わっさわっさと出現する。声を張り上げてブラボーとか言っているのは金髪のひょうひょうとした童顔。
「穂村だよん。よっろしーく」
 金髪の童顔、穂村はうすらとぼけた感じにそう言うと、隣に来たくしゃくしゃになっている学生服を着た男の頭をこづく。それを疎ましげに見た男も、挨拶をする。
「ああ……、おれ? おれは……中村。あー、アレだ、機材購入係。あー……あぁ」
 話をまとめようと試みたのか、なにか考えながらしゃべっているようだが、まとまらなかったらしい。尻すぼみに声を縮め、髪の毛をぼりぼり掻いている。
 その中村がさらに横を見る。そこには首にスカーフを巻いたリーゼント。
「オッス! おれはぁ〜」
 演説調だ。そして、目を見開く。
「おれはオザキ!! 先輩だが、愛着を込めてオザキと、呼びつけでいいッッッ」
 よくわからない。ホント、よくわからない。なに、この人たち?
 だが、まずは訊きたいことを訊こう。
「さっきのシンセは、誰が弾いたの?」
 穂村が金髪を揺らしながら自分を親指で指さす。
「おれさ! うっひゃひゃー、かっこよかったべ?」
 そのテンションについていけない。なに笑ってんの、この人。
「ふっふ〜ん」
 穂村はいやらしそうに目を細める。「昨日の昼休みのピアノ、良かったよん?」
「なっ! 聴いてたのッ?」
 思わず高い声を出してしまう。女声を。
「聴いてたよーよかったよーさいこーだったよー」
 女の子の声を出してしまったのには気づかないのか、それについてはツッコミはない。穂村は楽しそうな口調。一方、中村は眠そうにしている。穂村のハイテンションがなければ、このまま眠ってしまうのではないか。それに、その隣のオザキは、緊張しているのか直立不動だ。この人、校門のとこで弾き語りとかするくせに、こんなとこで緊張するとはね。ホントわかんない、この人たち。
 しかし、穂村と中村には牛丼屋で会ったし、オザキはギター弾いてるしで、どうも縁があるのかもしれない。でもでも、このままだとなにか悪い予感しかしないわけで、逃げるのなら今のうちだよね。確かオザキって人はみんなから嫌われてるみたいだし、穂村とオザキ、殴り合ってたし。
 ついてない。私、絶対ついてない。運がない。
「ところで〜」
 穂村が声を張り上げた。
「我が『DTM研究会』、通称『だうなう部』へようこそ!!」
 ……そんな予感がしてたよ、途中から。すごーくフラグが立ってたような気がしてたんだよね……。
 サチは歩み寄りそうになっていたが、踵を返す。もちろん、これが懸命な判断だと思うもの。
「じゃ、私はこれで」
 後ろ手にバイバイと手を振って、音楽室を出て行こうと扉を開け、外に出ようとする。
 と、ちょうど音楽室に入ってこようとしていた人間とバッティング。ぶつかってしまう。
 サチが「きゃっ」と声を出すと、ぶつかった相手は、
「おお、お前か。なんつーか、マジ女みたいだよな、サチオきゅん?」
 そう、フラグが立っているとしたらこいつもだった。ツンツン頭のイケメンのにーちゃん。
 にーちゃんはサチを押し戻す。力が強くて、サチは室内に強制送還。
「なっ、なにすんの!」
「あー、お前、だうなう部に入れよ」
 ツンツン頭はストレートだった。直球だった。なに? みんなが関わるなって言ってたあのラノベのタイトルみたいな部に入れって? もしかして、ここにいるの、そのメンバーなわけ? ちょっと、そりゃないんじゃない? 担任ののぶ代ちゃんも、関わるなって言ってたくらいだよ?
「ううっ」
 絶体絶命。私、大変なことになってるんじゃないのかな?
「あー、まずはここに座れよ。座って話そう」
 話そう、とは言っているが、ツンツン頭のその腕の力で無理矢理、近くにあった椅子に座らされるサチ。
「三年のスカルだ、だうなう部をつくったのがおれだ」
 説明が始まろうとしていた。つーか、このはた迷惑だと思わしき集団を組織したのはお前かこのイケメン! スカルか! スカル、許すまじッッッ!!
 準備室から現れた三人もサチの近くに寄ってくる。
 逃げるのは不可能。サチは諦めて話を聞くことにしたのだった。


     ☆


「はい? なに? どういうこと? バカなの?」
「バカじゃねぇよ、本気」
 穂村は自分がバカ呼ばわりされるのを否定する。即座に否定するところが、すげーバカっぽい。
「えーっと、要するに?」
「つまり、だ」
 穂村はここぞとばかりに胸を張る。
「このガチホモくさい百草学園を、音楽の有するモテパワーによって啓蒙し、学園中をノンケに戻すのが、我が『だうなう部』の目的なのだっ」
 なのだっ、じゃねぇよバカが、とサチは脳内ツッコミを入れる。
 サチがしかめ面をしているのに気づく様子もなく、穂村は続ける。
「『だうなう部』とは、正式名称『DTM研究会』。DTMとは『デスク・トップ・ミュージック』の略だ。パソコンとかを使って、部屋の中ででも作り上げることが出来るタイプの音楽制作のことをDTMっていう言う。『だうなう』の『だう』とは、そのDTMをやるときに使うアプリケーションソフト『DAW(だう)』から来た愛称だ。DAWとは、『デジタル・オーディオ・ワークステーション』の略だ。昔、DTMが『宅録』と呼ばれてた時代における録音機材『マルチ・トラック・レコーダー』、略して『MTR』のようなものなんだ。マルチトラックレコーダーってのは名前の通り、一回で全部同時に録音しちゃうんじゃなくて、複数のトラックをマルチに使って、ひとつひとつの楽器を別々に録音、それを重ねることによって楽曲を完成させる機材なんだよ。DAWも基本はそんな使い方。ただし、オーディオデータとMIDIデータを、分け隔てなく複合的に使うことができるし、エフェクトやミキシング、マスタリングもしっかり出来るから、だからこそワークステーションの名前がついてんのさ」
 言ってることがわからない。ちっともわからない。目の前のこいつは一体なにを話しているんだ。
「話が見えないんだけど?」
 サチは口に出してしまってから、「しまった」と思った。これじゃまるで、自分がこの穂村というバカの話に食いついてるみたいじゃんか。
 穂村がさらにまくし立てようとしたところに、横合いから穂村を遮って、くしゃくしゃになった学生服を着た中村が、説明をする。
「だから、……キミに音楽をやる部活動である『だうなう部』に……、入って欲しいってわけさぁ」
「…………」
 そうだった。訊くまでもなく、部活の誘いである。察してはいたものの、話が逸れるからだんだんと見えにくくなっていたものの、どう考えてもこれは、勧誘である。
「私、帰っていい?」
 椅子から立ち上がるサチ。が、ツンツン頭を揺らしながら、スカルがサチの肩をつかんで、立ち上がったところを無理矢理押し戻して、着席させられた。もがいてみたが、立ち上がることが出来ない。
 うう、なんつー馬鹿力。
 サチがスカルを涙目で睨むと、スカルは、
「まぁ、とりあえず見学していけよ。取って食おうってわけじゃねぇんだしよ。楽器、好きなんだろ?」
 そうだった! ピアノ弾いてたの、見られてたんだ〜!
 恥ずかしくなってカチコチに固まるサチに微笑みながら、スカルは今度は椅子からサチを立たせ、
「じゃ、部室に行こうぜ」
 と促した。促したというか、強制連行された……。


     ☆


 音楽準備室は、入ると思ったより広くて、しかも意外と整頓されてて、サチは「ほへぇ……」と呟くのだった。
 そこにはコントラバスやチューバなんかの、普通は家庭には置きづらいであろう楽器類がたくさんある。さっき演奏していたと思しきシンセサイザーもある。奥の方には譜面立てがたくさん。窓のない部屋には日光があたることはない。が、それが暗い印象を与えないのは、埃っぽくないこの空間に配備された可愛い小物類と、四台ほど設置されている机の上のパソコンとそれに接続された小型の鍵盤、良い香りのする湯気を出している珈琲メイカーのなせる技。サチは「ステキ」と、声を出してしまう。
「な。ステキっしょ!」
 穂村が自慢に鼻を高くする。
 中村が「あ、ちなみに、この穂村が部長ね。二年生だけど」と付け加えた。
 さっきから緊張のせいかガチガチに固まっていたオザキが、
「お、おれたちには高い志がある。略して『高志』!」
 と叫んだ。誰だよ高志って……。
 と、そこでスカルが「お前もいい加減出てこいよ」とロッカーを手の甲でノックする。そのノックに内側からノックで返し「入ってます」と、トイレの個室のようなやりとりになる。スカルはため息を一つついてから、ロッカーを勢いよく開けた。
 開けるとそこには、大判の雑誌を読んでいる黒縁めがねの男が鎮座していた。
「あー、で、こいつはクラッシャーくんな。こいつを含めて、現在五人が、だうなう部のメンバー全員ってわけだ」
 サチに説明しているとクラッシャーくんはロッカーを閉めようとするので、スカルは脚を引っかけて閉まらないようにする。
 本好きのサチが、なんの雑誌を読んでいるのか気になって盗み見ると、タイトルは『熟女百選』というものだった。……これまたマニアックな……。
 サチはこの部屋を気に入ってしまった自分に驚きつつ、部屋がどーのじゃなくて、問題はこのだうなんとか部っていうのはどういうものか、ということだ。
「私を入部させて、つまりはどうしようってわけなの?」
 ストレートに尋ねてみた。
 それにはスカルが答える。
「このガッコウな。お前も薄々感づいているだろうがよ、同性愛者が大半なんだわ」
 ああ……、と、サチはラブレターと告白の件を思い出してため息を出す。
「だがよ、おれたちがこの体勢を覆してやろうって思ってるわけ。その手段が音楽であり、DTMなんよ。世の中には同性愛的な性的マイノリティのつくる音楽もあるけど、アレだ」
 スカルはそこで言葉を切ってから、
「セックス・ドラッグ・ロックンロール! いえーい」
「お、おう……」
 サチはちょっと引いた。なにを言い出すかと思ったら……。
 スカルは言う。
「そもそも女の子との恋愛経験がないままこんな学園の寮に放り込まれるってのが運の尽きでよ、それでみんなホモってんだぜ? ちょっと恋愛に目覚めさせてやろうって思うわけよ。女を知って、それでも男が好きだってのなら、おれとしちゃ構わないけどな」
 スカルはロッカーの中のクラッシャーくんを指さす。クラッシャーくんは指を向けられると、めがねのズレを直した。
「クラッシャーくんから聞いたぜ。お前、サチオは女の子が好きなんだってな」
「え……、ええ、まあ」
 自分が実は女だとは言えない。
「この百草学園の連中は小学生の時から『百草寮』っつー寮暮らしが大半でよ、そんな環境からホモっていくんよ。だが、外の世界を知ってるサチオきゅんなら」
「サチ、でいいです」
「おうよ。サチきゅんなら、ノンケなんじゃねぇかな、って思ってたとこに、クラッシャーくんからの報告があって」
 スカルは咳払いを一つ。
「まあ、長い話はおいといて。わりぃが、おれたちの仲間になってくれよ。おれたちの『革命』のために!」
 引き下がれるか、ここで。
 いや、できない。
 なんか、面白そう。
 ただたんにこの部室が気に入ったから、じゃなくて。
 ホントはボーイズラヴ好きだけど。
 ホントは私、女の子だけど。
 みんながこの部に関わるなって言ってるけど。
 でも、なんか。
 熱いッ!!
 この熱気。ちょっと感じながら高校生活、送りたい気分になっちゃうじゃないの。
「わかったわ」
 女言葉に戻りつつ、サチは頷いた。
「その『革命』、私も参加させて」
 だうなう部のメンバーがみんなで目を合わせ合う。
 スカルはサチを指さす。
「よっしゃ! サチが、六人目の部員だ!」
 みんなが拳を突き上げる。
 スカルはツンツン頭をピンと立てて言う。
「ようこそ、我らが拠点、だうなう部へ!!」



 入部届にサインをしたあと、部員たちは一路、牛丼屋へと向かう。サチも途中まで一緒に着いていくが、財布を家に忘れてきていたたため、牛丼屋行きを辞退する。部員の誰かにお金を貸してもらうという手も考えないではなかったのだが、こうやって男の子たちと一緒に下校するっての、なんか恥ずかしいし。
 これから男として三年間を過ごすのだ。この状況で男としてのレベルを上げておくべきなのだが、それより恥ずかしさが勝る。
「私、帰るから」
 そう言うので手一杯だった。
「お、じゃな」
 スカルが素っ気なく言う。みんなも一様に別れの挨拶をする。
 穂村が、
「そいやサチは学生寮には住んでないんだっけ。ふ〜ん、もしかしてお金持ち?」
「そういうわけじゃないけど」
 あはは、と笑って返すしかない。
 みんな「お金持ち?」って訊くけど、どうなんだろな。確かに節子の実家は資産家だけど、パパは別に普通だし。
 サチは一瞬考えたが、別にそこは自分としてはどうでもよくて、女なのを隠すために部屋借りてんだよねー、とそこで舌を出し、独りごちる。
 でもさ、ピアノが嫌でここに通ってんのに、この展開ってどうなんだろ。
 サチは道路で立ち止まる。みんなは牛丼屋に向かっていく。歩き去って行くみんなをサチが見ていると、スカルが振り向いた。目が合って、そこでサチは今度はスカルに向かって、べーっと舌を出してみた。スカルは苦笑して、正面に向き返して、歩いて行った。
 空を見上げる。
 悪くない。と、サチは思った。


 カラスの多い狭い路地を歩いて行く帰り道。太ったノラの黒猫が、今日は餌の入った皿を取り合い、他の猫と喧嘩をしていた。
 取り合う相手の猫は三毛猫で、首輪をつけていた。
 三毛猫はおそらく飼い猫なのに凶暴で、ノラは太った身体がよく動かないのか、絡み合って噛みつき合ってはいるものの、劣勢だった。
 前足を噛まれて、ノラは相手に噛み返す。すると三毛はノラの太い首の根っこを噛む。「ふぎぃ」と呻いてノラは飛び退こうとするが、相手を振り切れない。
 ノラは押し倒されて、そこから一方的に攻撃を受ける。どうにかマウントポジションから抜け出したノラは、三毛を睨んでから早足でその場から立ち去った。
 猫の世界もシビアなのね。
 しゃがんでずっと見ていたサチは、買い物袋を下げたおばちゃんが通過するとき怪訝な顔をしていたので、「あんまり近所の猫事情を盗み見ちゃいけないのかな」と、立ち上がって帰路に戻ることにするのだった。



 しかーし、私の前途は明るいのだあああぁぁぁ
 夜、サチは風呂上がりにバスタオルを巻いて牛乳をパックのまま飲み、姿見の前に立つ。
 そして、我が前途は「男として振る舞えるか」にかかっているのだあああぁぁぁ、と姿見に映った自分の顔をのぞき込み、それからからになった牛乳パックをゴミ箱に放り投げ、シュートが華麗に決まるとガッツポーズし、
「シュートが決まる私ってば、おっとこらし〜」
 と浮かれたことを言った。
 だうなう部のみんなという友達が出来て、嬉しいのだ。
 姿見で色々「男っぽいポーズ」をつくり、声を低くし「だぜ、だぜ、おれは男だぜ」と意味不明に語尾の練習をしたりをしたりと、慌ただしくしていたのだが、自分の顔をよく見たら春なのに乾燥肌になっているという衝撃の事実が判明し、化粧箱の元へダッシュ。化粧箱から乳液を取り出すと、液を肌にパチパチ叩くように塗りたくるのであった。
 明日から楽しみだわー、とサチは浮かれたまま眠りにつく。



 何事もなく次の日が始まる。クラスメイトたちは今日もサチの周りに集まってきて、わいのわいのと騒ぐ。こいつら全員倒錯しちゃってんのかー、でもまあいいや私も男のふりした女の子だしなー、とか思いつつ応対する。
 うん。小学生の頃からこんな日常を、私は求めていた……ような感じがする。
 あー、いじめダメ、絶対。
 クラスメイトは話しかけてきてくれてすごく愉快だし、部活だってはじめるわけで、もー青春。これが青春と呼べなくてどうする!
 るんるんと楽しさを引きずり授業も受けて、そのまま昼休みが訪れる。サチは学食を食べてから、図書室に行く。
 図書室の奥に、今日もクラッシャーくんはいた。
「な〜に読んでるのかな〜」
 身体を前傾しながら、クラッシャーくんの読んでる本のページを覗く。中身は裸を縄で緊縛された女性の写真が写っていた。
「ハードコアですね〜」
 るんるんが抜けないまま、サチは呟く。
 クラッシャーくんは本を閉じ、サチに向き直る。
「ワタクシ、キミのことがよくわからないよ」
 まともな返答が来た。
「ワタクシ、キミが部のみんなをかき回してしまうような気がしてね」
「どういうこと」
 サチは首をかしげる。
「キミの話し方一つとっても、キミはみんなと違う。あまりに女性的なのだ。これは我がだうなう部に取って、吉と出るか凶と出るか、判断しかねている」
「?」
「ワタクシがキミを紹介したようなものだからね、だうなう部に。ワタクシには、キミを調教する義務がある」
 サチは一歩引く。
「ちょ……調教って」
「なに、DTMでいえば、VOCALOIDを『調声』……すなわち『調教』する、みたいなことさ」
「うーん、わかんない。昨日の説明じゃ、そのでぃーてぃーえむ? それ、わかんなかったんだよね。音楽だってのは、なんとなくわかったんだけど。教えてよ」
 クラッシャーくんはめがねを直してから、
「言われなくても教えるさ。キミも部員になったのだから」
「おー、ほんじゃ、さっそく教えて……って、うん?」
 サチがしゃべっている途中で、野太い声で「いた。ここです!」と誰かが図書室奥に来た。
 声の主は、野太い声の通り、図体のでかい巨漢だった。
 クラッシャーくんは椅子から立ち上がり、
「さっそく来たか、生徒会。いや、『薔薇百合会』と呼んだ方がいいのかな」
 と、強い口調で言った。その台詞は、説明調ではあるが、サチに向かっての説明ではなく、あきらかに現れた人間達に向けた言葉だ。
 巨漢に次いで背の高く、緑がかった長髪を後ろで束ねた偉丈夫が現れ、さらに、あの、みんなの王子様である八王子がその姿を見せた。
「ここにいたのだね、小揺ヶ崎サチオくん。いや、親しみを込めて、サチ、と呼ばせてもらうよ」
 八王子は、舞台役者のように手を広げて、そんなことを言った。「童貞音楽の道に転入生を引きずり込むのはやめて欲しいんだ、クラッシャーくん」
「ハッ」
 立ち上がってまっすぐ八王子を睨むクラッシャーくんは、鼻で笑った。
「ホモホモ王国のプリンスがなにを言うか」
「貴様」
 怒りを露わにしたのは八王子ではなく、最前の巨漢であった。
「やめとけ、古田。八王子様の前で騒ぎを起こすな」
 巨漢、古田を制したのは緑の髪の偉丈夫。
「だがよぁ新木」
 古田は納得がいかないらしい。握った拳に力を入れて震えている。
 新木という偉丈夫と古田の二人のやりとりを気にしないかのように、八王子が一歩、前にでる。
「我々に、サチくんを渡してもらおうか」
「わ、私ぃ?」
 話の中心にいるのが自分だと知り、サチは指で自分を指さしてしまった。
「たいそうな人気があるようではないか、サチくん」
 なに言ってんだこいつ、とサチは戸惑う。戸惑いの表情を読み取ることはせず、八王子は続ける。
「人望……。なによりそれが大切なのだよ、我が『薔薇百合会』の運営にはね」
 クラッシャーくんは嫌悪感を露わにする。
「洗脳するのに都合がいいだけだろう、八王子」
 吐き捨てるクラッシャーくん。それに呼応し古田は、
「もう我慢できねぞおら!」
 と叫び、殴りかかろうとする。
 が、それをクラッシャーくんはリズミカルに躱し、カウンターで蹴りを入れる。巨漢をくゆらし、古田は本棚に顔面から突っ込んだ。
 どさどさと本棚の書物が床に落ちる。
「フッ。ワタクシの瞬発力を舐めてもらっては困るね。リズムゲームには、瞬発力が必須なのだよ」
 本棚に激突して倒れていた古田が立ち上がる。その目は血走っていた。
「クソがッ」
 古田はなおも攻撃の構え。さっき止めにはいっていた新木も、髪の毛を縛っていたゴムバンドを外し、指の骨をポキポキ鳴らす。その鋭い視線の矛先は、やはりクラッシャーくん。女の子であるサチは、こんな事態初めてであり、身体が震えて逃げ腰になってしまう。
 八王子はただ、それを観て笑っている。
「がはは」
 口をこれでもかとばかりに大きく開けて笑う八王子を背後から誰かがこづく。こづいた先を振り返ろうとしたところに、蹴りが飛ぶ。
 八王子もまた吹き飛ばされ、血走る目でクラッシャーくんを見ていて周りが見えていない古田の身体にタックルをかますような形でぶつかる。古田と八王子は重なるように本棚に激突して倒れた。その二人に本が音を立てて落下してくる。
 古田の上に覆い被さるかたちとなっている八王子が自分を蹴った相手を見ると、それはスカルだった。
 スカルのツンツン頭が触角のように左右にぴょんぴょん動く。
「あー、だからよぉ、八王子。いつも言ってんだろ」
 スカルはめんどくさそうに言う。「お前は自分のことしか考えてねぇって」
 八王子は古田から身を離す。頭を打ったのか、ふらふらとしていて、額を手で覆いながら、スカルの方を向く。
「お前が望む学園が、本当にみんながしあわせになる唯一の道だなんて、未だに思ってんじゃねぇだろうなぁ?」
 八王子はがっはは、と王子らしくない笑い方をする。
「なにを言うのかと思えば。……百草の歴史は、私が作り上げるからこそ、歴史となるのだ。統治とは、カリスマがいてこそ輝く。私の名前とともに以降、百草学園の名は不朽のものとなるのだ。私が思うようにすれば、それこそが皆のしあわせとなろう」
 スカルは耳を掻きながら、困った風な顔をする。それから、クラッシャーくんに向いて、言った。
「もうここから帰ろうぜ、クラッシャーくん

 それから、サチを見る。
「驚かせてごめんな。……って、おい」
 サチは泣いてしまった。声を出さないように唇を噛みながら、ひっくひっくと肩を上下させながら。
「あーあーあー」
 スカルはサチに近づき、背中を叩く。叩きながら、八王子に鋭い目線を向ける。
「おう、お前ら。生徒会ってのは、美少年をいびるために存在してんのか」
 それに対し、古田も新木も、それに八王子も、なにも答えられなかった。
 スカルとクラッシャーくんはサチを挟むようにして寄り添い、図書館から離れていき、八王子たちは無言で見送るかたちになった。
 昼休みのチャイムが鳴ったのは、それから三分後で、そのチャイムが鳴るまで、八王子達はその場から動こうとしなかったのだった。


     ☆


 水道の蛇口から水を出して、サチは顔を洗う。授業開始のベルはすでに鳴っていた。
 水道の壁にかかった鏡を見ると、目が真っ赤に腫れている。みんなに心配かけちゃうな、とサチは思う。私が泣いて、スカルもクラッシャーくんも、心配してた。クラスメイトも心配するカモだし、まいったな。
 サチは両手で頬を叩く。気合いは入った。
 サチは自分のクラスへと向かう。

 昼休みの終わり、サチはスカルに「今日は部活休む」と言っておいた。泣いたばかりで顔なんか見せられない、と思ったからだ。帰り道、それはちょっと失敗したかなー、と冷静になって思った。やはりここは明るく何食わぬ顔で部活に出るべきだったのでは、と。
 でもそんな勇気ないしー。今日はとりあえず、本屋へ行こー。
 駅前商店街の本屋でボーイズラヴ小説を買い、紙のカバーなんぞをつけてもらって、サチは帰路を進む。
 いつもの路地。いつものノラの黒猫がいた。昨日は喧嘩に負けたノラだったが、今日はお皿から盛りつけられたドライフードをばくばく頬張っていた。が、今日はノラが食べている様子を、しゃがみながら見ている触角のような髪の毛をふらふら揺らす学生服がいた。スカルである。
「スカル先輩……」
 スカルはゆっくりと振り向く。
「ああ、サチ。……あ。おれはスカルでいいぜ。先輩っつっても、ただたんにお前より二歳くらい年齢が上なだけだしな」
「はぁ」
「敬語も、いいんだぜ」
「う、うん」
 ノラの頭を撫でるスカル。ノラは大人しく撫でられたまま、気持ちよさそうにしている。
「なついてるんですね。……じゃなかった、なついて、いるんだな」
 スカルは微笑する。
「お前って、ホントおかしな奴だよな。女言葉とかも使うし。しかもそれが似合ってる。……あれか、そういう理由から百草に来たのか」
「意味がわかりません。……じゃなかった。わからないぜ」
「あーもういいよ、自然に話せよ」
「うん」
 サチも微笑み返す。笑みは、自然に出た。
 スカルはノラのあごを撫でる。ノラは「んにゃっはー」と、エクスタシー気味。それを見てスカルは喜ぶ。
「おれはお前が好きだぜ」
「えっ?」
 目が丸くなってしまい「どうしよう、私……」とキョドっていると、
「いや、お前の演奏がな。おれ、楽器が下手だからよくわかんないけどよ。でも、昼休み、弾いてたろ、クラシックのなんかをさ。あれ、ピアノが好きで弾いてるって音、してたぜ」
 とストレートな眼差しで言う。
「私、ピアノは……」
 嫌いなんです。と言おうとした。が、ここ数日の逡巡から、そうは言い返せない。ぐずぐずしすぎだ、私は。サチは自分に問いかける。私はピアノから逃れるためにここに転入した。なのに、こともあろうにピアノを頼まれもしないのに楽しく弾いちゃって、音楽の部活らしきものに入っちゃって。なんなんだろう、私。
「私、優柔不断で、わからないの。好きなんだか、嫌いなんだか」
「教えてやるよ、おれが。身体で感じりゃいいさ。好きか、嫌いかを」
 サチはぽ〜っと頭が沸騰する。まるで、愛の告白のようだ。いや、違う違う違う違う違う違う! 告白なんかじゃないからッッッ!
 振り払うように、サチは質問する。
「なんで先輩、じゃなかった、スカルはなんでここにいるの? 部活は?」
「あ? ああ。おれ、三年生だから。たまに受験勉強もしねぇとよ。部活は今日はそれでサボり。でも、知っての通りうちは学生寮ってわけで、夕飯食うのと」
 スカルはノラの鼻頭を人差し指で押す。猫は「ぷぎぃ〜」と鼻づまりの声を出した。
「こいつに、餌やらないとって思ってな。ここに寄った」
「餌与えてるの、スカルなんだ」
「そういうこと」
「ふ〜ん」
「家、近くなのか?」
「う、うん」
「あ〜、じゃ、ついでにお邪魔しよっかな」
「あああ! ダメ! ダメダメ!!」
 ちょっと引き気味になるスカル。
「んぁ、あぁ、別に無理にとは言わねぇけどよ」
「えっと、あ、あの」
「なに?」
「私にも、そのでぃーてぃーえむっての、教えてね?」
「お前、それ、クラッシャーくんにも言ってたって聞いたぞ」
 しゃがんだままのスカルに対し前傾姿勢になって、顔を同じくらいの位置に持っていき、サチはウィンクした。
「私、みんなに教えてもらうんだ」
「お、おう……」
 顔を赤くして視線を逸らすスカル。
「だからよろしくね、スカル」


     ☆


 部屋に帰ってシャワーのお湯を頭からかぶり「うっきゃー」と猿のように叫ぶサチ。なんか上機嫌になってしまう。学園でも、やっていけそうな気が、すごぉくしてきた。「うっきゃうっきゃ」と鼻歌を歌いながらシャワーをかぶり、自分はなんでラブレターをもらっても困ってしまって振ってしまったのに、スカルに笑顔を向けられると気分がいいのだろう、と考える。でも、これはきっと恋愛なんかじゃない。断じて。
 でも、おそらくこれこそが……、男の友情!!
 ひとしきりシャワーを浴びながら思考して、シャワールームからあがり、バスタオル一枚で牛乳を飲んでいたりすると、電話が鳴った。
 相手は、クラスメイトの田島だった。
「もしもし、田島です。サチくん、明日、クラスのみんなで遊ばない?」
「うん、いいよ」
「やったぁ」
 とか、そんな会話をしてから、テレビドラマの話題などを、田島はふってくる。サチはあまりテレビを観ないので、よくわからなかったが、観てないと答えると、田島は今日、そのドラマが放映する日だから、絶対観た方がいい、という。なんでも、刑事物の恋愛物語らしい。ふーん、最近はいろんなドラマがやってるんだねぇ、と返していると、「じゃ、明日」と田島は言って、会話は終了した。
 通話を切り、サチは着ぐるみパジャマに着替えてから、テレビをつける。しばらくすると、田島が薦めていたドラマが始まった。
 刑事ということで、いわゆる『バディ物』と呼ばれる、二人一組の刑事のコンビが犯人追いかけたりする話で、それに恋愛が絡んだ内容だった。なんつーか、バディ物って絶対BL妄想働かせるから、腐女子狙いよね、とうがったこと思って観ていると、また電話が鳴った。通話ボタンを押すサチの目は、テレビを観たままである。
「はい、もしもし」
「やっほーい」
「はい?」
 その気の抜けた声に、テレビから目をそらして、思わず電話を見てしまう。別に電話を見ても相手が見えるわけではないのだが。
「おっれおっれ〜。穂村だよん」
「はぁ」
 首をかしげるサチ。なんでこの人はハイテンションなのだろうか。
「明日〜、土曜日でガッコウ休みだけど、部活はやっるからでっておいでねっ、と」
「いや、明日は……」
「んじゃねー。おやすみん」
 そしてぶちっと音がして、電話は切れた。
 部屋を沈黙が覆う。参ったなぁ、とサチは思った。シャワーを浴びてた時の気持ちよさは台無しである。
 そして、電話をかけるかどうか思案し、それからサチは電話ではなく、メールで田島に明日は遊びに行けないごめん、と文章を打った。
 それは残念、それじゃ今度ね、と田島は速攻でメールを返してきた。
 サチは、罪悪感のようなものを感じたが、仕方がなかったんだ、と思い直した。
 サチはその後、ドラマの続きを観て、湯冷めしてしまう前に眠ることにした。
 早寝早起き、美容と健康! ま、朝は起きるの苦手だけど。


     ☆


 音楽準備室に到着し、サチが扉を開けるとぶわっとものすごくほこりが舞って、サチの顔面に飛び込んできた。
「うぎゃっ」
 思わずむせる。
 一瞬目を閉じてしまったが、目をゆっくり開けると、天井近くに配置してあるスピーカーの裏の方を、布をつけた木の棒ではたいているリーゼント男、オザキがいた。
「悪いな、一年生。煙かったか」
 ごほごぶぉ、とむせながらサチは、
「全くですよぉ」
 と答える。オザキは口のところをいつも首につけているスカーフで覆っている。ああ、このスカーフ、こういうときに使うんだ、と思ったが、黙っていることにした。
「来たか来たか、にゃっは」
 と近寄ってくるのは部長、穂村。その後からゆっくりと中村が来て、
「あぁ、新部員が入るので大掃除だよ」
 と言ってからぼそりと、「まあ、今年の新入部員はキミだけなんだけどね」と、付け加えた。
 部室であるこの準備室の奥の方を観ると、クラッシャーくんが3DSをプレイしていて、その画面を横からスカルがのぞき込んでいる。
「ワタクシ、思うのですよ、先輩」
「あぁ?」
「この3D画面、巨乳のために、開発されたのではないかと」
「お前、ニンテンドーがそんなこと考えたと思うか? あれじゃねぇか、飛び出すならマリオの鷲っ鼻だろ」
「いえ、その意見には賛成しかねます。昨今の美少女キャラのチチが揺れる、その画面が浮き出ることにより、既存のPC美少女ゲーム権力を、3DSが駆逐、権力構造を変えることが、出来るのです。あまねく美少女たちは、ニンテンドーの庇護の元におかれるのですよ」
「いや、言ってる意味、わっかんねぇけど」
「ですから、つまりは、3DSで、おっぱいぼーん、です」
「はぁ?」
「ちなみに、まな板的胸に関してですが……」
 なにか、とても深遠な議論を、クラッシャーくんがふっかけているようなので、サチはそちらを見ないようにした。
 中村がくたくたの服でくたくたした動作をしながら、くたくたしたしゃべり方で言う。
「あぁ、えー、この部の部長が穂村。で」
 頭をぼりぼりと掻く。「おれが副部長で、機材購入係の中村。あとのメンバーは、キミより学年が上ではあるけど、役柄とかはないから」
 そこに穂村が言葉をかぶせる。
「役職的なのはないけど、みんな、音楽の指向性が違うんだわ。サチくんはDTM初心者だって話だけど、そうだな、みんな得意なのが違うからぁ、まあ、テキトーにみんなから各々の得意ジャンル学んで、自分なりの創作法をつかんでな。よろしくー」
 かなり、アバウトだった。
「あの、私、作曲とかしたこと、ないんですけど」
 穂村はきょとんと、首をかしげる。
「え? あんなにピアノ上手いのに?」
「えぇっとぉ……」
 言葉につまったところで、中村が助け船を出す。
「演奏スキルが高い奴がみんな創作スキルを有してるってわけじゃないだろ」
「わ、私はピアノ、全然上手くないです」
 話してる側で、オザキはなおも掃除を続ける。今度は、さっきハタキに使っていたスカーフを、水を入れた足下のバケツに突っ込んでいる。それをぞうきん代わりにするらしい。スカーフ、トレードマークってわけじゃなかったんだ……。サチはオザキの方を少し見てから、視線を元に戻す。
「もしかして、が、楽典の勉強からですか? 私、理論とか苦手で……」
 いつもは強気でいることが多いサチだが、この部のことをよくわかっていないので、しどろもどろになってしまう。
「だーいじょーぶん。おれなんて、譜面も読めないっつーの」
 穂村は自分の胸を叩いた。
「それは、……褒められたことじゃないだろ、部長さんよ」
 中村が肩を落とす。
「ま、今日は掃除してから茶でも飲んでミーティングしようぜ。ざっとDTM、教えるよ」
 と、穂村が言う。
「みなさん、先に来てたんですね、すみません、遅くて」
「いーっていーって。別にテキトーでいいんだ、んなもん」
 穂村は笑った。奥の方からはクラッシャーくんが、
「これはしまった! コイキングがっ!」
 と、意味不明に声を荒げていた。

 コーヒーブレイク。珈琲メイカーから中村がカップに注ぎ、全員に行き渡らせる。
「なんか、コーヒーブレイクっつーか、ブレイクもなにも仕事してたのはおれだけじゃないか?」
 オザキが不満を漏らすが、みんな無視して珈琲の香りと味を楽しむ。
「ごくろうさん。休憩終わったらまた頑張ってね〜」
「っておい!」
 穂村とオザキがそんなやりとりをする中、サチが部員たちに尋ねる。
「この部屋にあるパソコンとかって、高いんじゃないですか」
「お〜、よっく訊いてくださいましたん」
 迫り来るオザキを押しのけつつ、穂村が言った。
「言っとくけど、ここにあるPCって、結構な代物なんだぜ。DTMってのは、昔ほどじゃないけど、それでもスペックが必要なんだ」
「へ〜」
「ふっふ〜ん。このPCにつながってるキーボード。これ、シンセサイザーとかと違って、単体では音が出ない。MIDIキーボードってーんだけどね。で、これはシンセサイザーのエミュレータ、つまり仮想的にシンセサイザーの音を、パソコンの中で再現すんの。ソフトシンセっつってね。そういうのを、DAW上で行うから、パソコンはその音楽制作の基盤であるDAW以外にも、色々と同時にソフトを立ち上げてる状態にしなくちゃならない。だから、CPUもメモリも、かなり強くなくちゃならないんだよ。必須スペックとか、ソフトのパッケージとかメーカーのサイトに書いてあるけど、ホントはそれギリギリじゃまずつくれない、と言った方がいい。まあ、そんなだから、PCもいいやつ揃えてるんだよん」
 と、穂村に続いて、中村が口を開く。
「あー、サチくんが訊きたいのはそこじゃないだろ、穂村。要するに、この機材の金の出所だろ? あー。こりゃ、スカルの家から、金が出てる。部費というよりはね」
「はい? ガッコウからじゃないんですか?」
 中村が困ったような顔をする。
「百草に入ってから、キミもこのだうなう部の悪い噂、色々聞いただろ」
「は、はい」
「それで金が出るのも部が潰れないのも、スカルのおじいちゃんがここの理事長だからなんだ」
 サチはスカルの方向を向く。スカルは珈琲を一口飲み、「あちぃ」とか言っている。猫舌らしい。
「理事長の手前、孫のつくった部を、つぶせないんだろうなぁ」
 と中村は言うと、椅子の背もたれに身を預け、かなーりリラックスした表情をする。
 穂村がニコニコ顔でサチを見る。
「そんなことより、実際に曲つくろうぜ」
「いえ、作曲理論とか、ホント苦手なんで」
 かなりかしこまって、サチは首を左右に振る。
「ピアノ弾けりゃ十分だっつーの。あとは、……気合いだ!」
「気合いィィ?」
 まさか穂村の口から、そんな言葉が出るとは思ってなかったサチは、怪訝な顔をする。
 と、クラッシャーくんは、異議を唱えた。
「しかし部長。ここはまず、オーディオインターフェイスとレイテンシーの話やMIDI規格、オーディオ圧縮形式やプラグインの規格などについて学ぶべきでは」
「堅いこと言うなって。まず、面白いと思わなきゃ、話は進まないってばよ」
 穂村は金髪の髪を光らせ、笑顔で言った。


     ☆


 穂村は、最初につくるべきは主メロなんだけど、と前置きしつつ、
「でもさぁ、最初からメロディつくれなんて言ったって、初心者がいきなりやるには面倒ごとが多いし、ドラムとベース、曲の土台つくってから、メロに入ろうぜ」
 と、提案した。
 んじゃ、DAW立ち上げよう、ということになって、PCをスリープから目覚めさせる。そして、キュゥべぇすを立ち上げる。
 普通のアプリケーションよりかなり遅い速度で、ソフトは動き出した。
「新規プロジェクト、つくろよー」
 全くどこから手をつけていいかわからない、というか説明すら受けていないサチは「ほへぇ」と生返事をしつつ、穂村の動かす画面を見ている。
「へ〜、ではー、ドラム、最初はドラムループを適当にくっつけてから、ベースフレーズをつくろうぜぇー」
「おい、待て!」
 スカルが穂村のマウスを動かす手をつかみ、動きを止めた。
「なに? 先輩」
「あのなぁ、テクノにとって、ドラムは重要なんだよ。あとBPMもな。それをお前、キャンセルしちゃぁ、作曲の醍醐味が味わえないだろ」
「テクノ?」
 サチは首を横に傾けた。
「そう、テクノは基本、BPM(ビート・パー・ミニッツ)、つまり一分間に何回四分音符を刻めるかを表した数値、こいつが重要になる。曲調だけでなく、ジャンル自体が変わってしまうんだ。そしてその、テクノの下位ジャンルによって、ドラムのキックとスネアの打ち込むタイミング、そしてベースの基本フレーズが決まる。ハウス、アシッド、トランス、ゴア、ブレイクビーツ、ダブステップ、他にも色々あるが、こいつらには各々特徴があってだな」
 スカルはいつもと打って変わって、本気の眼差しでサチに説明しだす。サチはその瞳に、ちょっとばかり吸い込まれそうになったが、慌てて笑って、平常心を取り戻した。
「スカルはテクノが好きなんだ」
「おうよ」
 と、スカルが頷くと、穂村は思い出したように、
「そういやサチはどんなジャンルが好きなの? いきなりつくるったって、スカル先輩みたいに『テクノが好きー』、みたいな奴、あるの」
「う〜ん」
 サチは考える。っていうか、この流れだと、そのままテクノのルートに行くところだったわけね。危ない危ない。私、テクノは全然知らないわ。
「クラシックを抜きにしたら、やっぱりパンクロックかなぁ。昔、『シド&ナンシー』とかいう映画を観て……」
 そこに反応してオザキが、
「せぇぇぇっくすぴぃぃすとるーず!」
 と叫んだ。どうやら、セックスピストルズが好き過ぎるのだろう。やっぱりね。そうだろうと思ったよ。
 穂村はそれを聞いて、手のひらを叩いた。
「うん。いいじゃん。パンクは、初心者にはうってつけの部類だね。テクニックいらないのが多いし」
「へぇ、そうなんだ」
 それは知らなかった。
「ギターは、弾けるの」
「弾けません」
「そっか。でもいいや。別に今日はラフつくるだけだから」
 あ、そんな簡単な話なのね。ふーん。
「どうせベース、ルート弾きだし、オザキにやってもらおうよ」
「オッス!」
 オザキ、やる気だ。新しいスカーフ、首に巻いてるし。
 クラッシャーくんがそこで、
「最初はスリーコードでいくのが良いかと」
 と、持っていた本をテーブルに置きサチの近くに寄り、話に参加しだした。
 スカルが、
「おれなんか、未だにスリーコードしかわかんねぇよ。あはは」
 と笑った。
「テクノならそれで十分なんじゃないでしょうか。ワンコードのものも多いですし」
 クラッシャーくんは、おそらくフォローと思われる意見を出した。
「そいじゃ、曲の作り方、テキトーに試してみよう。ソフトの使い方も、見てるだけでわかるはずだよん」
 と、穂村は舌を出して子供のように笑った。
 思えば、この部のメンバーはみんな子供っぽい。この子たち、ちょっと可愛いかも、とサチはくすりと笑った。

「まずは、ベタ打ちでもいいってことでさくさく説明するぜぇん」
 穂村がキュゥべえすでなにやら操作をする。「VSTインストゥルメンタルトラックを選ぶっと」
 と言って、穂村はソフトシンセのHALION SONIC SEを起動させた。
「で、音色、ドラムの奴を呼び出すよん」
 手慣れたマウスさばきで手を動かす。
「えーっと、これね、『Stereo GM Kit』っていうのを選択。そして、ドラムエディタを呼び出す」
 なにやら鉛筆マークのポインタに矢印のボタンを変え、作業が開始されるみたいだ。
「あれ? 穂村さん」
「穂村、でいいよ、サチくん」
「あの、キーボード叩いて入力していくんじゃないですか? なんか、さっきからマウスばかり動かしてますけど」
「あー、それね。DAWには、『リアルタイム入力』と『ステップ入力』ってのが、あるんだよ。もちろん、ドラムもクリックにあわせてキーボード叩くリアルタイム入力ってのもできるけど、やっぱ最初は基礎中の基礎、宅録時代からの伝統芸であるステップ入力ってのを覚えてもらう。これは、グリッドって単位で、クリックして音を『置く』ことで、ひとつひとつ入力していくんだ」
 と、そこでスカルが口を挟む。
「ドラムループっつって、ドラムキット全体の音が入ったフレーズのオーディオデータを貼り付けるって方法もあるんだけどよ、やっぱステップ入力だと、表現の広がりがパねぇ。この場合、ドラムっていえども、キックとスネア、ハイハット、タムタム、シンバルとかを、別々のトラックでつくって、各音色を別々にエディットやらPANの振り分けを行うことが出来るのに適してるから、ドラムエディタを最初に覚えとくのは後になって有利だぜ」
「さすがテクノ狂!」
 穂村は手を叩いて賞賛する。いや、これ、よくわかんないけど、賞賛なのか?
「そいじゃ、ポインタをドラムスティックツールにかえてっと」
 画面の左側に英語で音色の名前、そして右に向けて罫線みたいなのが広がっている。
「んじゃ、ほい」
 穂村がマウスから手を離し、サチを見る。
 え? もう私が自分でやるの?
 キョドっていると、スカルが肩を叩く。
 そして私は、生まれて初めて、『だう』とかいう音楽制作ソフトを動かすことになる。

 穂村とスカルの指示通りポインタでドラムの音を置いていく作業をし終えると、穂村は「オザキぃぃ」と叫んだ。
 すると、いつの間にか姿を消していたオザキが出てくる。というか床を雑巾がけしていたので見えなかったので、立ち上がって姿を現したように見えたのだ。
「ベースを、ご所望か」
「いえーす」
 穂村が首肯すると、オザキは左手の指をぽきぽきと鳴らした。
「ばっちこーい!」
 オザキ、体育会系だった……。
「ブルースみたいに十六小節でつくろうぜ」
「オッス」
 スカルの提案に乗るオザキ。上下関係が見えた気がした。
「刮目して見よ! おれのォォ八分弾きィィ」
 ちょっとダサい叫びだ。
 オザキは立てかけてあったエレキベースを手に取り、ストラップを肩に掛ける。そして八の字巻きにしてあったシールドコードをベースにつなぎ、もう片方を、PCに接続してある黒い箱につなぐ。
「ちなみに、この箱がオーディオインターフェイスっつって、楽器を接続するのに使う道具なんだよーん」
 と穂村。
 画面上ではオーディオトラックというのがつくられ、録音ボタンが押される。
 ピコピコというクリックの音。
 録音がスタートする。
 さっき入力したドラムの音に合わせ、オザキがベースでルート音を八分音符で刻んでいく。結構ロックしている。
 演奏が終わったあと、録音を解除する。
「あ、今やったみたいなのが、リアルタイム入力ね」
 説明を加える穂村。
「これももちろん、さっきのドラムみたいに、生楽器じゃなく、シンセでステップ入力することも出来るんだけど、楽器が演奏できるなら、そっちの方が早いよねー。今のだって、録音、一分もかかってないで終わったし」
「なるほど」
 感心するサチにスカルは、
「感心してる場面じゃなくてよ、つまり、今度は『上物(うわもの)』と主メロだから、ピアノ出来るサチが今度は手でキーボードを弾く番だってフラグなんだぜ、これ」
 サチは後退り。
 穂村はサチに迫る。
「さあ、弾くもじゃ〜」
「え……」
 焦るサチに、スカルは教える。
「大丈夫。上物ってたってシンセパッド系の音色で、ただ白玉コードやったり、メロで伸ばす部分に裏メロとしてアルペジオ入れる程度だから」
「で、でもその主メロ……、メロディって、どうやってつくったらいいかわかんないし……」
「大丈夫だって。さっき入れたベースのコード進行に合わせたアルペジオを崩して弾きゃいいだけじゃんよ。いっか、おれが手本、やってみるからよ」
 と言って、録音ボタンを押さず、今までつくったドラムとベースの演奏を流しつつ、スカルはキーボードを弾く。
 あれ? スカルはキーボード弾けないって言ってなかったっけ?
 いや、確かに、その手つきは拙い。が、感情に訴えかけるフレーズだ。そして、『アルペジオを崩すとメロディになる』というのが、なんとなく理解できた、気がした。
「へっへー。弾けないとか言って弾けてるじゃんって思ってるだろ」
 演奏を終えて、スカルが言う。サチは「うん」と返す。
「とっころが、だ。ジャズとか微妙に勉強すると、即興の上手い方法を、手に入れることができんだぜ。その賜ってわけ。テクだけじゃないんだ、こういうのは。感性ってやつ」
「ほへー」
 サチは口をあんぐりと開けた。
「そもそも作曲理論にしたって、クラシックとジャズ理論じゃ、だいぶ違ってくるしな」
 穂村も同調して言う。
「ジャズ畑の連中はだから、侮れないんだよーん。先輩はテクノに走る前は、ジャズピアニストのビル・エヴァンスに凝ってたからさ。それで色々調べてたみたいなんだ」
「サチきゅん。良かったら今度、ジャズのCD、貸すぜ?」
「え、ホントですか」
「嘘つかないぜ、おれはこんなとこじゃ嘘はつかない」
 実は、サチはジャズにも興味があったのだが、触れる機会が今までなかったのである。なので、この申し出はかなり嬉しかったのであった。
「と、いうことで」
 穂村はニヤリと口元を歪めた。「サチに弾いてもらおう」
「ひえ〜」
 スカルのジャジーな演奏の後、即座に自分の番。かなりプレッシャーだった。が、唇を噛んで引き締め、サチはMIDIキーボードの鍵盤に触れた。



 4テイクほどサチは即興プレイを録り直す。その四回目のプレイで、なんとなくメロディが決まってきた。どうも、先にドラムとベースのリズム隊が決まっていると、自分のプレイの手癖と相まって、自ずとフレーズは生成されていくものらしい。
「こんな体験、はじめてだわ!」
 思わず声をあげてしまう。
 そして、次こそはキメる、と思った矢先、チャイムが鳴る。
「どうやら、下校時刻のようですね」
クラッシャーくんが、校内放送用のスピーカーを見ながら言う。
 そんなわけで、ここで今日の曲作りは終わりとなった。四回録ったすべてのフレーズは、消さないでそのまま残っている。一回一回、別々のトラックに録音することにより、そういうことが出来るらしい。
 スカルがサチの、まだ弾きたくて弾きたくて悔しがっているところに、言う。
「ま、明日もあるからよ。また一日ずっと使えるんだ、明日まで頭に入れとけ」
 言いながら、各フレーズでの演奏パターンを収録したラフミックスをつくる。オーディオミックスダウンをしたのだ。そのデータは、WAVファイルになって、フラッシュメモリに入れられる。
「これ、iTunesで聴けるぜ。ほれ」
 フラッシュメモリを投げて、サチに渡す。
「今日は一緒に行くだろ」
「はい?」
「決まってんだろ、牛丼屋だよ、お前の大好きな」
 部員は皆、撤収作業に入った。


 おなかをすかせるために〜、とかなんとか話し合って、一同は牛丼屋の前に、ゲーセンに寄ることになった。ああ、ここでクラッシャーくんと出会い、ワニワニパニックで負けてガッコウをボイコットしたのだった。あの日から今日までゲーセンに行かなかったからこそ、私はガッコウサボり常習犯にならずにすんだって部分もあるのよね、とサチは考えた。そう、好きな場所にあえてあまり行かないのも上手くやっていくコツなんだわ、と。
 スカルが腕組みしながら、語り出す。
「しかし、ビートマニアのあのシリーズは良かったよな。ビートマニアは目の付け所が良かったしよ。シリーズ中、ダンスダンスレボリューションなんてあれ、ニコ動の『踊ってみた』の原型みたいなとこ、あんじゃん。歌だったらカラオケ行きゃ自分の歌見せびらかすことできるけど、ダンスって、発表する場が極端に少ない気、しないか。踊り習ってるやつって意外と多いけど、結局知らない人に見せたいってなったときゃラジカセ持って路上でやるじゃん。そりゃアコギの路上ライブもあるけど、でもやっぱそういうのと違って、足止めてくれる人、少ないし。ダンス大会やらクラブやらはオーディエンスもいるけど基本同業者にみせてるわけだから意味が違うし。でも、ダンスダンスレボリューションは自由度が高いから、流行った頃は普通にチャンス狙って、みんなゲームと関係ない無駄な動きして他の客にみせてたろ。あれ、ホント良いよな。ゲームの点数とは違う楽しみをみんなで競い合って。あれはなんつーか、昔の初代ファミコンの遊び方と、実は同じだったりするだろ。無駄さ加減が。あー、ニコ動もそこらへんの無駄なものつくるって感覚で流行ってるわけだから、やっぱ目の付け所が良かったって、改めて思うわ。時代変わってもみんな、楽しむ方向性はかわんないわけでよ」
 初代ファミコンって、あんたは昭和の人間か、と脳内ツッコミするサチ。
 中村は言う。
「スカル先輩は……、ドラムマニアから音楽の世界に入ったんですよねぇ。……マイスティック持ってゲーセンに遊びに来てるの、……おれ、ずっと見てたから、わかりますよ」
「お、そうなん?」
 どうも、やおいくさくなってきた感じの会話が始まりそうになったところに、穂村がオザキを誘って、太鼓の達人にダッシュする。
「さ、我々も行きましょう」
 と、クラッシャーくんがサチの袖を引っ張って促す。
 太鼓の達人の前にサチが来た時には、すでに穂村がプレイを始めていた。
 オザキがサチに言う。
「穂村は、太鼓の達人が好きなんだ」
 いや、見りゃわかるって。走って近寄ってたもん。
「いつも、どのデバイスで太鼓の達人をプレイするかで、みんなでもめてたんだ。iPad版が優れてるんじゃないか、コストパフォーマンスを考えて、みたいな話にまとまりそうになったとき、穂村は『ゲーセンのオリジナルに金を落とすべし』と言ってだな、おれたちはみんなでゲーセンにガキんときみたく頻繁に通うようになったんだぜ。家庭用ゲーム機やスマホアプリ、ブラウザゲームにみんな、洗脳されてるんじゃないか、って議論してな」
 と、そこにクラッシャーくん。
「我が学園が、ホモホモに制圧されているように、ね」
 ゲーム会社の人が聞いたらさぞ怒りだすような論旨になっているが、そこはツッコミを入れずに、相づちを打つサチ。
 穂村はうひゃひゃひゃひゃ、と笑いながら太鼓の撥(ばち)を叩いている。ちなみにバチという言葉には同音異義語でエロい意味もあるので注意だ!
 その後、みんなでリズム天国やマリオカートで遊んでから、牛丼屋へ向かうことになった。穂村は、
「今度行くときは時間に余裕持って行って、メダルゲームやるどん」
 と提案したが、語尾が太鼓の達人になっていたのでみんなそっちに気がいってしまい、誰がそこにツッコミを入れるかを目配せしながら伺いつつ、内容にはスルーしてしまうのであった。



 なんか私、牛丼好きキャラになってる……。
 サチは、さっきから穂村の質問攻めに遭っていた。「どうして牛丼が好きなのか」、「牛丼のどこが素晴らしいか」などをずっと尋ねてくるのだ。まじうぜぇ。
 サチが穂村から解放されたくて、横で歩いているスカルの方を見ると、
「なんかおれ、お前が牛丼に思えてきた。よく見るとどんぶりっぽい体型してるしな?」
 とか言い出すので、勢いよく平手打ちをかました。かなり痛かったはずだが、
「いってぇなぁ」
 と手で打たれた頬を押さえながら、「悪かったよ」と反省の色を見せた。
 牛丼屋ねぇ。道を尋ねるときスカルに出会ったし、店内で穂村と中村に出会った。縁があるのかな、……私はどんぶり体型では決してないのだけれど。
 サチがあごに手をあてなにか考えてるポーズをしながら歩いていると、件の牛丼屋に着いた。食券買って、ボックス席に座る。
 通常牛丼屋では早く食べて早く帰るものだが、どうもだうなう部の連中は思いきりしゃべりまくるらしい。少なくとも、今日はしゃべる気満々だ。店員もそれをわかっているのだろう、ピッチャーにたっぷり水を入れて置いていった。
「あ。ところでさ、だうなう部には顧問、いるの?」
 サチがそれまで交わされていたぐだぐだの会話を遮って訊くと中村が眠たそうな目をしながら、
「ああ、いるよ……スーザンってのが」
 と答えた。たぶん中村は放っておくと寝てしまうので、眠る前にもうちょい尋ねておこう、とサチは質問を続ける。
「で、そのスーザンてのは何者なの」
「鈴木文夫って名前で音楽教師やってる……」
 いや、「鈴木文夫って名前で」っていうか、それが本名でしょ、とか突っ込んでいると、
「うちの部には滅多に来ないよ。スーザンの奴、ブラスバンドの顧問もやってるし、なにより『薔薇百合会』も手伝ってるしな……」
 と、またしてもそのなんとか会なる、生徒会の名前が出てきた。
 中村はコップの水を飲む。
「生徒会長の八王子は、なんつーかな、……小学生の時から表舞台に立ってたから、今更自分を誇示するのを辞める気はさらさらないんだろう……。確かにカリスマには違いないんだがね」
 そこにオザキ。
「薔薇百合会に八王子が現れてから、この学園の初等部から続く悪習が、全面的に奨励されてるような感じになっちまったよな」
「悪習?」
「同性愛だよ」
 オザキは吐き捨てるように言う。「いや、別に同性愛でも構わないけどよ、それを奨励してるっつーか、それじゃないと人間じゃない、みたいな論理で学園の生徒達の思想をコントロールしてんのさ。一種の洗脳だぜ」
 なにか、かなりスケールの大きい話らしい。
 サチの知るボーイズラヴというものは、好きとか嫌いとか、その恋愛模様が主軸となる。そりゃそうだ、だって恋愛だもん、結局は好きか嫌いか、そんな等身大の話になる。
 が、どうもこの百草学園でのホモホモの話はそうじゃないらしい。どうも、個人が個人を好きか嫌いかじゃなく、思想を、集団の空気自体を、同性愛への奨励に持っていってしまうという。
 これはちょっと、いやかなり、異常な事態なんじゃないだろうか。
 みんながかなり真剣な目になって、話が進みそうになったところで、牛丼が運ばれてきた。
 店員が戻っていったのを見計らってから穂村が、
「それをどうにかするのが、おれらの役目だと思ってるんだよ」
 と、唐辛子を牛丼にかけながら言った。
「でも、具体的には?」
 サチが訊く。
「まずは、……クラブイベントを開きたい」
 いつもよりちょっと真面目な表情をしながら、穂村はサチに告げた。
「この十字王町には、男子校の他に、女子校の七草学園がある。そこが狙い目」
「狙い目?」
「おう。クラブイベントを開いて、他のガッコウの生徒達も観に来ることができるようにすんのさ。百草は文化祭ですら門戸を開いてないからさ」
 穂村はスカルを見る。「先輩が卒業する前に、やってみたいんだよ」
 スカルは牛丼を口に掻き込んでいる。オザキは穂村に同意し、「おう!」と声を上げる。
 中村はそれに対し、
「でも、どうやって」
 と、慎重派な意見。
「それなんだよな……。こういうのって結局は薔薇百合会に話を通さないといけないし」」 穂村は言いよどむ。
「一学期の中間テストを乗り切るのもままならないのにねぇ」
 中村がそう言うと、場は沈黙した。
 口火を開いたのは、スカルだった。
「でもよぉ、おれたちの活動が革命だったなら、強引にでも、そこへ持っていかなくちゃならないわけだ。うじうじしてたら、せっかくメンバーが揃ってきたのに、ただの見かけ倒しで終わっちまう」
 それには、穂村が応じる。
「スカル先輩がつくったこの部。音楽の持つモテパワーで、学園を洗脳から救わなくちゃならない。この目的意識は、ここにいる全員が共通して持ってるものだし」
 あ、それって私も含まれてるのね。サチは今更ながら、ドキッとした。
「まあ、……DTMがモテるかと言ったら……げふっ」
 鳩尾を穂村に喰らわせられる中村。
「ぐ、ぐぅ。だって、DTMって非モテじゃ……そげぶぅっ」
 さらに鳩尾を喰らう。
 ごほん、と咳払いしてから穂村は、
「当だうなう部、……DTM研究会は、音楽で楽しむだけが目的なのではなく、その先にある目的があるわけだ。だとしたら、その目標に向かって進まないといけない。そうだよな」
「部長らしいね。……おれはお前が部長だって事実を忘れてたよ」
 中村が毒づくが、それを穂村はスルーした。
「我がだうなう部は、基本クラブミュージックをつくるのが得意な連中が揃ってるんだし、それを口実にどうにかなるんじゃないかってずっと思ってる。創設した先輩が卒業する前に、一発かましてやりたい。そうだろ、みんな」
 一同は頷く。サチはこのノリに、なんだかついていけない。
 確かに、目的意識が高いのは認める。だが、本当にこんなに思い詰めるほど、この学園が退廃しているのだろうか。そこに、納得がいかない部分がある。
 例えば、女の子同士が手をつないで歩くとか、そういうのって、意外に普通のことだったりする。いちゃいちゃすること、女の子同士って、結構あるのだ。それはスキンシップの範囲。それが男子に適用されてもいいはず。男子校で、本当に薔薇の園、みたいなことって、架空の物語なんじゃないだろうか。むしろ意識しすぎなんじゃないか。
 私が昨日知らない生徒に告白された、そんなのもまああるけど、それはそいつがたまたまそういう趣味嗜好の持ち主なだけで、みんなそうなのかな。どうだろ。思えばこの学園の図書室にホモってる奴らがいっぱいいた気がするけど、……う〜ん、それはスキンシップなのだ、と、思いたい。
「とにかく」
 穂村は言った。「薔薇百合会と、話し合うことが必要だ。サチも仲間に加わったところだし。にゃー」
 そして、牛丼タイムが始まった。むしゃむしゃ食うだうなう部の面々。スカルが「やっぱどんぶり体型じゃね?」というので、サチはアッパーカットをかましておいた。スカルは呻いた。


     ☆


 帰り道。みんなとわかれて歩く。部屋に向かいながら、だうなう部のことを考える。
 そんなに学園、危機っぽいのかなー。
 うーん。わっかんない。
 でも、わかんないとかそういっていられる立ち位置じゃないんだよね、私。反旗を翻す、いわばテロリストみたいな、そんな活動に首突っ込んでる感じになっちゃってるもん、絶対。
 こう歩いていると、女子高生の姿も少しは見かける。
 七草女子学園ねぇ。
 近所の女子校かぁ。私もホントは今頃女子高生ライフを送っていたはずなんだけど。世界的に有名な「ジャパンのジョシコーセー」でいられる時期なんて三年間しかないのよ。それが私は……。
 あー、失敗したかな。でも、前のガッコウ辞めたのは自分の意志でだし。
 あんのくそ節子がっ。むきー。
 思いを巡らし歩いていると、いつものノラがいて、こっちを向いて「ぶにゃー」と鳴いた。
 サチも「ぶにゃー」と返す。
 スカルはドラッグストアで餌買ってからここに来るらしい。
 もうちょっと、百草学園のこと、訊くべきか、『だうなう部をつくった張本人』に……。
 あ、でもなんか怖い。それに、自分の目で、学園を眺めてからスカルの意見を聞きたい。そうしないと、先入観を持って百草学園を見てしまう。
 数日間、この学園で過ごしたとはいえ、わからないことだらけで、正当な判断なんて下せない。
 もうちょっと、時間が欲しい。
 単純に考えることも、大事。
 大事だけど、ここは慎重に、真剣に考えたい。
 DTM研究会につくのか、それとも生徒会側につくのか。
 反体制と体制側。
 むむ……。眠い。
 今日は早く寝よう。
 サチはあくびをかみ殺して、思考を中断させた。


     ☆


 次の日は早く目覚めた。昨日はみんなより遅れちゃったから、今日は早くでかけないと、とかそんな理由による。
 サチが用意をしてでかける。今日もカラスがたくさんいる。
 カラス。不吉なトリって気はしないなぁ、私としては。
 かなり早い時間にガッコウに着いてしまったが、校門も開いていたし、校舎の中にも入れた。
 音楽室に入ると、奥からアコースティックギターをストロークする音が聞こえた。
 サチが部室である準備室に足を踏み入れると、オザキが一人、弾き語りをしていた。
「あいらびゅ〜ん」
 どうも自作の曲らしい。
 オザキの名前の通り、盗んだバイクで走り出しそうな楽曲だった。
 部室に入ってきたサチを意識してかしてないのか、朗々と歌うオザキは、それはそれで格好が良かった。
 リーゼントは伊達じゃない、のか。サチは思った。
 歌い終わると、オザキはサチに「おっす」と挨拶するので、サチは「おはよう」と返事した。
「朝、早いね」
「まあな。お……おれは、おれはおれでおれが」
「ん?」
 オザキは咳払いを一つ。
「おれは、歌が、歌が好きなんだ」
「へー」
 自分の言葉を反芻させながら、オザキは語る。
「笑うなよ? おれは。おれはプロのシンガーになるのが、夢なんだ。歌だけが、おれを救ってくれた。今までずっとだ。おれは、自分で言うのもなんだが、内気で、可愛い子と話をすることだってできない人間だ」
 オザキはそう言って顔を赤らめ、サチを見る。
「そんな内気なおれが、自分を主張できるのが、『歌』なんだ。そしておれのつくる音楽を認めてくれるような、音楽バカな奴らの集まりが、このだうなう部なんだよ」
 オザキは抱えている赤いアコギをピックでダウンストロークした。
「サチも見たことあるだろ、おれが校門の前でストリートライブやってたところ。でも、誰も聴いてくれないんだ。世間なんてそんなもんなんだ。だが、この部の連中は、違う。協力を惜しまない。おれなんかのために。いや、おれのためなんじゃない。自分たちも率先して巻き込まれようとする。ストリートライブにも、協力してくれる、曲つくりも協力してくれる。奴らは、楽しみたいんだ。音楽で。あいつらもみんな、音楽で、歌で救われた人間なんだ」
 熱く語るオザキに、サチは彼の本気を感じる。
「この部が生徒会の洗脳を解くために奔走してる、それはこの部の一端でしかない。この学園は、閉鎖的で、世間知らずの『よい子』たちが揃ってる。おれたちなんか異端中の異端。だから、その『よい子』を言いように操る薔薇百合会が、だうなう部の理念と対立してるから、そういう理由で、おれたちはこの学園と戦うのさ」
 そしてオザキは照れたように言った。
「このDTM研究会こそ、おれの唯一の居場所なんだ」
「そっか……」
「ああ。では、もう一曲……」
 まだ歌うらしい。
 でも、それも悪くないな、と思ってサチは拍手した。
 次の歌がジャカジャカ鳴るギターとともに始まった。


 オザキが歌っているその周囲に、いつの間にか部員が集まってきた。
 曲が終わると、全員からの盛大な拍手。オザキは「さんきゅ、さんきゅ」と投げキッスして、拍手に応える。
 オザキショーが終わったあと、中村が珈琲メイカーで煎れた珈琲を飲み、和んだところで、穂村が立てかけてあったテレキャスタータイプのエレキギターをオザキに向けて差し出す。
「弾き語り終わった直後で悪いけどさ、昨日のサチの曲つくり、ギター録りやってくんない?」
 差し出されたエレキギターを手に取り、オザキは頷いた。
「いいぜぇ」
 キュゥべえすを起動させ、「最近使ったプロジェクト」で、昨日の曲を開く。
「メロの前に、ギターバッキング入れとくよん」
 と穂村。
 屈伸運動をしたオザキが、さっそくギター録りを始める。
 パワーコードの八分弾きが繰り出された。だだだだだ、と、ゲーム機のボタンを連打するかのごとき動作。
 ギター録りはミステイクすることなく終わる。というか、フレーズもなにもなく、ただのパワーコード連打だけだった。
「あ、あ〜、ベースも八分弾きだったし、ユニゾンみたいなもんよ」
 オザキは胸を張った。
 穂村は周囲を見渡す。それから、ロッカーを開ける。
「クラッシャーくんがいない」
 穂村はどうやら、クラッシャーくんを探していたらしい。
 スカルが、
「どうせまた図書室だろ」
 と言うと穂村はサチに、
「今日はサチのつくるメロとキーボード録りが終わったら、ミキシングという作業を行いたいんだよ。でも、ミキシングに詳しいクラッシャーくんがいないと、始まらない。だから」
 と言い、肩に手を置いた。「行ってくれないか、クラッシャーくんを連れ戻しに。ホモの巣窟、図書室へ」
「…………」
 サチは返答に困った。



 図書室のドアを開くとぱーらだいす。休日だというのに学生服に身を包んだ男どもがべたべたと互いの密着しあった身体をなで回す風景が広がっていた。
「これがっ、これがガチなのねッッッ!!」
 口に出さざるを得ないサチ。
 口に出すと一斉にサチの入ってきた扉側に目のピントを合わせるガチな方々。
「ひっ」
 さすがに身をのけぞった。そりゃそうだ、怖いってばよ。
 サチは顔を伏せて移動することにした。しかし、この広いとは言えない空間に日曜の午前中、カップルが四組も五組もいるなんて、異常だわ。カップルの間をすり抜けつつ、サチはホントに怖くなった。この空間に、よくいられるものだわ、クラッシャーくん。
 サチが図書室最奥に着くと、いつものようにエロ本を読んでいるクラッシャーくんを発見する。今日はテーブルにほおづえつきながら、二次元な女の子の裸体が表紙になってる書物を読みふけっていた。っつーか、守備範囲広くないか、この人……。
「たとえイミテーションラブであっても、この学園の状況は、切ないだろう。いや、イミテーション、模倣の、偽物の恋愛であるからこそ、……切ないね」
 クラッシャーくんは本に目を落としつつ、サチに向かっていった。
「本当にみんながみんな、恋をしてるわけじゃないんだ。みんな、『そういう空気だから』恋愛ごっこしてるだけなのさ。くだらない。イミテーションの学園の、イミテーションなラブ。それはもはや、ボーイズラヴですら、……ない」
 本を閉じるクラッシャーくん。ほおづえはついたまま、サチをそのめがねの奥の瞳が見た。
「ワタクシを連れ戻しに来たんだろう? そして気になるのが、なんでわざわざノンケのワタクシがここにいつもいるのか、ということだろう。……もっともな疑問だ」
 クラッシャーくんはエロ本をゴムのブックバンドで留める。
「定義の方が間違っているのさ。本当はみんな、同性愛者なんかじゃない。だって、さすがに学園全体がゲイのガッコウなんて、そういう奴を集めたわけじゃないのに成立してるなんて、おかしすぎだろ? しかも、八王子がこの学園で頭角を現すまでは、この百草も普通のセクシャリティの人間の集まりだったときてる。


 ……サチ、そう思わないか、女として」


 あ、あれ……?
 ば、バレてる。めっさバレてる、私が本当は女だってことに!!
 ヤバい。ヤバい。
 私、ぴーんち。

 サチがあたふたしていると、クラッシャーくんは言った。
「大丈夫。今ここでそれを問い詰めても意味がない。今度、ゆっくり訊くよ、その件に関しては、ね」
 サチはどうしていいかわからず、なんとか誤魔化す台詞を考えるが、なかなか思いつかない。
「ワタクシはキミを認めたわけじゃない。果たしてキミがこの学園においてどういう立場を取るべきなのか、未だ持って決めていないのだろう。そんな顔をしているよ。キミを部長に紹介した手前、ワタクシも、キミに関しては興味を持つという言葉以上に、キミについて考えている。それはともかく」
 クラッシャーくんは椅子を引き、立ち上がる。
「ワタクシがここにいるのは、『恋愛』というフィロソフィーが、自分には全く解せないからだよ。偽物の恋愛を見て、本物の恋愛に思いをはせているのさ。神聖なる性の書物を読みながらね」
 クラッシャーくんは鋭い目になる。「そう、この性なる書物でワタクシは一日三回、オナ……げふっ!」
 サチは言葉を遮ってパンチを浴びせた。
 私を女だって知ってる上に下ネタしゃべんなバカッ。


 クラッシャーくんとサチしかいない図書室の奥から入り口の方に向かって二人で歩いていくと、聞こえるような声によるひそひそ話がカップル達の間から聞こえてくる。
「あのふたり、デキてるんじゃないか」「やっぱり」「おかしいと思ったんだよ、あのめがね、いつも奥の方で本を読んでるから」「奥で、ふたりでなにしてたんだろうね」「だうなう部と言ってもしょせんは人の子。やるこたやってんだな」エトセトラ、エトセトラ……。
 この胸くそ悪い空気から脱出すべく、サチは図書室の扉を勢いよく開け、自分が出たあと、クラッシャーくんも出てきたのを見計らってから、勢いよく、今度は扉を閉めた。大きな音を立て、その木製の扉は閉まった。
 きっと中にいるバカップルどもは目を丸くしたことだろう。
 やれやれ、というため息を出すクラッシャーくんに、サチはピースサインをした。

「ちょっちおトイレ」
 サチがクラッシャーくんに断ってから、トイレに向かう。女子トイレに入るわけにもいかないので、男子トイレの個室に入る。
 個室に入ったところで、隣の個室から声が聞こえる。
「おい、トイレにひと、入ってきたって」
 野太い声がひ弱なトーンで言う。
「いいだろ、声を聞かれるくらい。むしろ見せつけよう」
 整った声が、それに応じ、サチの隣の個室がばきばき音を立てる。なんかぶつかったりしてる音。どうやら暴れているらしい。
「お、おい新木、やめろって」
「いいだろ古田。ああ、古田の唇、やっぱり柔らかいな。今日もたっぷり吸わせてもらう」
「おお……、お、お、……んん、んぐ」
 新木? 古田? で、キスしてる?
 ひっ、ひぃ!
 手で口を覆って、大声を出して悲鳴を上げるのをこらえるサチ。
 ひゃ〜、こいつらって確か薔薇百合会の……。うっひゃぁ。
 サチはトイレを使用せず、個室から出て逃げ出した。
 このことをクラッシャーくんに話すと、興味なさそうに「ふ〜ん」と鼻で笑った。
 全くなんなの、これは。


     ☆


 サチが昨日の続きでつくったメロディーは、かなりオーソドックスな進行のメロディであった。それを、穂村の言う通り、シンセリード系の音色で奏でる。
 続いての、バックのシンセサイザーパートも、ちゃちゃっと終わった。本当はそれじゃダメなんだろうけど、とりあえず、今回は終わった。
 サチが弾いたキーボードは、穂村が『パッドショップ』という名前のソフト・シンセサイザーから選んだ、じわぁっと音が流れ出す音色と、ぽよぽよ〜んとした音色だった。
 前者のサウンドでコードのルートを白玉で弾いて、後者のサウンドでメロの、音を伸ばしてるところにぽよぽよ鳴らしておいたのである。
 ここまで弾いて、サチが驚いたのは、『クォンタイズ』である。
 なんだかんだでサチはお稽古事でピアノ習っていた程度の中学卒業後すぐ、くらいの実力であり、一曲きっちりとリズムに合うかというと、かなり『ヨレ』がある。
 それを、『クォンタイズ』というものをかけると、いきなり音のリズムがかっちりと揃ったのである。すげぇびっくり。
 びっくりしたサチに穂村は、
「クォンタイズはタイミングジャストじゃなくて、すこし揺らぎを持ったリズムにするのがポイントね。ちなみに、リズム揃えるどころか、弾いてMIDIデータにした音は、さらにそこから楽器弾かないで、グラフみたいに表示されてるデータをマウスでいじりながら修正したりできるんだぜ。一からマウスだけで作り終えることだって出来るし。それらを複合して制作できるのが、DAWでの創作の醍醐味かな」
 と、自信たっぷりに説明した。
「オラ、こんなもんさ村じゃ見たこたねぇべさ」と、サチは驚きのあまり村人になり、このコンピュータ全盛の時代の音楽制作のすごさを知った。
 なにより、自分のリズム感のなさに嫌気がさしていた自分が、強力なサポートを得て音楽制作出来るという事実。
 コンピュータの力ではあるけれども、実際の自分の演奏能力があがったわけではないけれども、それでも、それでも、だ。
 こんな体験、嬉しくないわけがないのだ。
 サチがクォンタイズに痺れている間に、部員達は曲をモニタースピーカーで再生する。
「な、サチ。これだと音と音がぶつかり合って、わけわかんねぇだろ」
 スカルが言う。
「うん。特にギターとシンセサイザーが重なってる気がする。あと、主メロも」
 穂村がそこで、
「と、こうなるので、さっきクラッシャーくんを呼んできてもらったんだよー」
 と、クラッシャーくんを前に押し出した。
「さて。ワタクシ、最初ということで、簡単に教えましょう。実に簡単、基礎中の基礎のみを、今回は覚えてもらいます」
 そこから、クラッシャーくんによる簡単な『ミキシング』講座が始まった。

「やることは至って簡単。三つしかない、と言っていい。その三つとは。

 一。音量バランス。
 二。定位。
 三。エフェクト。

……この三つだけである」
「ふ、……ふぅ〜ん」
 なるほど。ぜッんぜんわからんッ。
 音量バランス?
 ボリュームを上げ下げすりゃいいんじゃね?
 エフェクト?
 エッフェル塔とかあんな感じかな。
 前後するけど最後に。その定位ってなにさ?
 あ……、あれかな、でも体位とかそういうのはちょっと……、花も恥じらう私は乙女だし……。
 そんなことを考えていると、クラッシャーくんはめがねを直しつつ、目を充血気味にしながら、ふふっと笑った。どうも、教える立場になると興奮するらしい。
 いやまさか私の思考を読まれたとか!
 テレパス!
 そう、あなたは精神感応能力者なのねッッッ。
 ……って、んなわきゃないか。

 サチは、大人しくクラッシャーくんの話を聞くことにした。

「まずは、一と三の、音量バランスと定位。このふたつを同時進行させて、そのあとエフェクトをやりながら、さらに前述の二つも決めていくぞ」
「は〜い」
「言っておくが、定位と体位は関係ないぞ」
 ……はっ!
 まさか思考が読まれてた!?
「頭の中の思考は読んでないぞ」
 やっぱ読まれてた!!

 とかなんとかやりとりしつつ、話は進む。

 定位というのは、要するに「どこら辺の位置でそれぞれの音が鳴っているか」を決めることだ、という。右方向と左方向でそれぞれ細かく音の位置を振り分け決めていく。その左右の調整と、音量、それからあとでかけるミキシング時のエフェクトなどを組み合わせると、そのサウンドの鳴っている空間の幅の大きさ、そして空間の奥行きなどを、表現できるのだという。
 実際、そのPAN(ぱん)というので左右に振り分けてみると、それだけで音がすっきりして、それぞれの音が聞こえるようになった。
 次に音量バランス。これがくせもので、作曲家タイプだと主メロや歌を大きくしてしまいがちで、プレイヤータイプだと、それぞれ自分が演奏する楽器を大きくしてしまったり、アレンジャータイプだと、とにかくオケが大きくなってしまいがちなのだ、という。
 なので、音量という、音楽にとって基本中の基本といえそうなものも、バランス取りが大変なわけで、サチは自分で曲をいじくってみて、「ああ、プロのミキサーさんてすごいなぁ」と思ったのだった。
 その上で、サウンドのエフェクト。エフェクトとわざわざここで言わなくても、実は曲をつくりながら、微妙には穂村がエフェクトをかけているのである。
 一番わかりやすい例をあげると、ギターのエフェクトである。
 ライブで演奏する時には、普通はエフェクターというのを用いる。『アンプ直』なるものも存在するけど。
 このDTMというやつ、DAWというやつ、恐るべきコトに、ギターのエフェクターすべてどころか、アンプのシミュレーションまでしやがるのだ。科学の力って、すごいね。
 で、そういうのを色々やりながらレコーディングをしていたのだが、ここで改めて、エフェクト、である。
 ミキシングにおいて主に使うエフェクトってのは大体、以下の五種類。
 すなわち、コンプレッサー、イコライザー、ディレイ、コーラス、リバーヴ、である。
 コンプレッサーってのは、音を『圧縮』するもの。
 イコライザーとは、周波数特性を調整するためのもの。音質補整、帯域バランスやトータルな周波数分布の調整をしたりするらしい。ようするに、音を聴きやすくバランス取るっていう、さっきの音量バランスや定位と、似てるようなことを違うアプローチでやってる、みたいな?
 そんで、ディレイ。これは、『やまびこ』効果を生むエフェクト。山の上で「やっほー」と叫ぶと「やっほー」と返ってくる、あれ。このエフェクトは重要、且つ奥が深いエフェクトなんだそうな。
 次がリバーヴ。反響音を操るエフェクト。大きなホールや風呂場など、かけ方次第でいろんなシチュエーションをシミュレーションする。カラオケで歌うとき、デフォルトの状態でもかなりこのリバーヴ、つまりエコーが、かかっているらしい。それほどこのリバーヴは音を誤魔化すのに有効らしく、「リバーヴ依存症」にかかってしまう人たちも多いとか。
 最後に、コーラス。合唱、である。
 一人で歌ってるのに二人で歌ってるとか、そんな感じ。一定のスピードで発音タイミングを遅らせることによって、ピッチ変化による音のうねりを加えることが出来るのだという。

 ……とかなんとか、色々ズガズガとクラッシャーくんは説明しながらDAWを操作していき、たまに「自分でやってみろ」とか言われて「はいはいさー」とか言って動かすと「あほかお前は」の言葉が返ってくるという屈辱の時を過ごしたのだった。
 サチとしては、自分が今まで結構音楽に関わってきたとの錯覚があったが、実際はピアノの演奏者としてしか関わっていなかったため、こういう世界があることに、自分の世界が広がった感覚が襲ってきて、なにかに今クラッシャーくんにいちゃもんつけられてるけど、この部に入ってよかったー、とも思うのであった。
 そして最後にクラッシャーくんんは、
「そう、そして最後に……、ビットクラッシャーだあああああぁぁぁぁ」
 と叫び、ビットクラッシャーというエフェクトをかけてしまった。
 掛けた途端、すべての音がローファイもローファイ、ハウリングやフィードバックノイズのような、つまり「ぴぎー」とか「ずがああぁん」とか、そういう破壊的な音が全体を埋め尽くす極悪な曲に変貌してしまうのであった。
 スピーカーから流れる破壊的サウンドを聴きながら穂村は、
「な。だから、クラッシャーくんはクラッシャーくんて呼ばれてるんだよ。……どんな曲でもビットクラッシャーかけちゃうから」
 と、肩をすくめた。



 食堂があるから気づかなかったが、百草学園には購買部があって、パンとかも売っているみたいなのである。日曜は「購買部」と銘打ちながら、パートのおばちゃんが食べ物を売っている。
 その購買部でだうなう部メンバーはそれぞれ好きな菓子パンを買って、部室で珈琲啜りながら食べるのであった。
「そういえば、町中には女子高生もいるけど、百草の男子と付き合うとか、そういうことないの?」
 サチが訊くとみんな、
「ないない」
 と口を揃えて言った。
「薔薇百合会直属の風紀委員が女子高生をブロックしてるからにゃー。浮いた噂がたま〜に、ごく稀にあるけど、……それも、百草側の人間によって全部粉砕されちまう。結果、このガッコウはこんな感じだぉ」
 なにが「だぉ」だよお前はー、とか脳内ツッコミを穂村に入れるサチ。
 食後はみんなで、あー、だりぃのぉ〜、などと呟きつつ和んでいた。
 またもや3DSの登場となり、みんなで画面をのぞき込み、その一台を使い回してプレイし出した。なんとものどかな風景。でもさ、ゲーム機くらい、みんなで揃えて赤外線通信で遊ぶという発想はないのかね、キミたち。
 午後のまどろみの中、ゲーム音楽が心地よく響く。
 ああ、こんな曲、つくろうかな〜、とか思っていたら、部室のドアをノックする音。誰も返事しないでドアの方を見てると、
「返事ぐらいしろ、だから童貞なんだよ! くそ童貞ミュージック部がっ」
 と威勢良く声が飛んでくる。
 ドアを開けて入ってきたのは、すべての元凶っぽく思われている薔薇百合会会長・八王子大福であった。

「新聞なら間に合ってま〜す」
「勧誘じゃないわ、この金髪タコがっ」
 穂村をあしらう八王子だが、さっきの一言に付け加えた。
「……と、言いたいところなのだが。実はな、今回、おれは勧誘に来たのだ」
 中村がポットのお湯を急須に移しつつ、
「で。誰を。場所を間違えたんじゃないですか、会長さん」
 と言うと、
「間違ってなどいない!」
 と、凄んだ。
 急須からカップにお茶を入れ、中村は八王子に差し出す。
「……ま、そう焦らずに。どうぞ。湯飲みじゃなくてすみませんが」
「おや。かたじけない」
 チョップのような手の形で挨拶してから、八王子は近くにあったパイプ椅子に腰掛け、茶を啜る。
 実は薔薇百合会もだうなう部も、仲がいいんじゃね? といぶかしむサチ。
 百草学園は初等部からあり、ほぼ全寮制なので、険悪といっても知り合いといえば知り合い同士の諍いであり、普段はこんな程度なのだ、ということは、サチには思い至らないのであった。
 ずずずっと茶を飲み込む八王子はサチを指さした。
「かなな丘コーポレーション」
 一同はわけがわからず、とりあえず八王子を見て、それから指さされたサチを一斉に見た。
「かなな丘節子さんの、子供だよね、サチくん」
「…………」
 黙るサチ。
「まさかかなな丘コーポレーション総帥のご令嬢が結婚していたなんてねぇ。しかも、相手には連れ子がいる。その連れ子こそが、サチくん。キミなんだよね」
 節子のことなんて私の知ったことじゃない。私は、ママの子だから。
「我が父が会長を務める八王子商会と、かなな丘コーポレーションは、商売敵。だが、私とサチくんは、手を組もうではないか。それはそれで、一大センセーション。学園での二人の株もあがろうというものだ。話題のタネになって、それがこの学園を動かす原動力になる」
「くっだらない。節子と私は、関係ない」
 サチは吐き捨てる。
「どうだい。薔薇百合会に入らないか。この学園は大学部まであるが、なにもこんな片田舎でエスカレータに乗っても、どうせくだらない人生を生きるだけだ。が、薔薇百合会に入れば」
 八王子はカップの底にたまったお茶っ葉をくるくるかき回してから、また一口飲む。「未来は文字通りバラ色だ」
 クラッシャーくんがくってかかる。
「ハッ。気にすることないぞ、サチ。八王子、あんたのいうバラ色の薔薇ってのは、ホモって意味の薔薇だろう」
 八王子は犬歯をむき出し、睨む。
「黙れ、三下が」
 キレて八王子を殴りかかろうとするクラッシャーくんを止めたのはオザキ。
「よせ。暴力の出るターンじゃないぜ」
 振りかぶった腕をオザキにつかまれ、睨み付けながら八王子を見るクラッシャーくん。
 穂村はいつもの明るいトーンで語る。
「おやおや、生徒会長は野心が満々だね。少年は大志を抱くってか。うちの部員に手を出そうなんて、飛んだナンパ野郎だな。要するにサチの顔借りて自分の学内政治を強固にしたいだけだろ。最悪だな、お前。サチはもうだうなう部の部員なんだ。勝手にお山の大将気取りたいなら他をあたれ。うちの部を巻き込むな」
「巻き込む、か。……なるほど。バカは違うな。たまにはいいことを言う。バカだけあって、ただの凡俗ではない、ということか」
 八王子は空になったカップをテーブルに置く。
「じゃあ、こんなのはどうだ。一週間後の中間テスの成績で勝負しようじゃないか。お前らを巻き込んでやるよ」
「ああん?」
 穂村までキレだす。
「くだらねぇこと言うなや、このホモソーセージがっ」
 と、そこに割り込む中村。
「会長。あんたは三年生。うちの部員たちと学年が違う。やるべき勉強が違うのだから、勝負にはならない」
「三年が一人いるだろ。こいつと学年首位の私が勝負するんだよ。私と、スカルがね」
 スカルは壁に背をもたせかけて腕組みしている。
「余興だよ。ちょうど誰も私と学力の差がつきすぎてしまってつまらないと思っていたんだ」
 一同は黙る。なぜなら、スカルが成績、学園最下位だからである。
 それを察知していないスカルは、かっこよく腕組みをしたままだ。
 中村はこのタイミングを見逃さない。
「会長。それだとおれたちが勝ってうまみがない。そこでどうだろう。うちの部が勝ったら、今度、そうだな、期末試験まで学校行事のない、六月の頭にでも、百草でクラブイベントを開かせてもらう、ってのは」
 鼻で笑う八王子。
「そっちこそくだらないな。バカか、なにがクラブイベントだ、この童貞どもが」
「お前だって童貞だろ。女と付き合ったこともないくせに」
 穂村の怒りは収まらない。
 が、中村は続ける。
「百草でチケットを発行して、学園外からも人も招く。イメージアップにもつながるんじゃないかな」
「……ふん。バカなりに考えたってとこか。面白い」
 イメージアップねぇ、と呟く八王子。
「いいだろう。その条件を飲もう」
 八王子はスカルを睨めつけた。
「久しぶりに、私と勝負しようじゃないか。あの頃みたいに……な」
 空気の緊迫に、この件の中央に存在しているサチは、この展開にもうなにがなんだかわからず、ただ「節子のクソババア!!」と内心殺意を抱くのであった。


     ☆


 本屋に寄るサチはしかし、昔のように女性ファッション雑誌を立ち読みすることができない。
 今、自分は男なのだ。
 そのうえ、男なのに、男同士の戦いのもとになっている。私を取り合って勝負とは。
 それが、現状。
 まいったわ。ホント参った。すべてはあのクソババアのせい。
 サチはまんがを立ち読みしたあと、帰宅することにした。
 路地を歩いていると、いつものノラ猫。立ち止まって、その猫を見る。黒い毛並みが、ちょっと汚れたまま。餌は置いてある。「スカルか……」と思うと、なんだか親近感が湧く。
 親近感って、猫に?
 それともスカルに?
 まあいいや、と立ち止まっていたサチはまた歩き出す。
 五月末。来週に行われる中間テストの成績で、八王子が勝つと、私は薔薇百合会に入ることになる。スカルが勝てば、ガッコウでクラブイベントが開催される。
 変なことに、巻き込まれちゃったな。
 そうじゃなくても、だうなう部は目をつけられてるのに。
 どんどん厄介ごとは増えていくけど、それも私が自ら選んだルートなのよね。
 自分が選んだルートに障害があっても、そう、たとえそれが障害物レースであっても、私は胸を張って進まなきゃならない。そうだよね。
 夕闇の中、拳を握るサチ。
 住んでる部屋に着くまで、あと少しの距離だ。



 百草学園に着いて自分の教室に着くや否や、クラスメイトたちの視線の集中砲火を浴びる。思わずのけぞりそうになる。みんなの視線が鋭い。怖いってば。
「サチくん」
 声をかけてきたのはいつものように田島くん。しかし、二人の会話を聞いているのはクラス中。聞き耳立てられるってのも、胸くそ悪いもんだ、と思いつつ。
「だうなう部に、入ったんだってね」
「う……うん」
「DTM研究会。彼らがやってることって、わかってないのかな?」
「楽しい……んだよ?」
「楽しいだって! それは間違ってるよ!」
 怒気を帯びた物言い。
「彼らは、この学園の風紀を乱してるんだ! それもわからないのかい!」
 え、え〜。なんて言えばいいのやら。
「この学園は、みんなで仲良く、手を取り合って過ごす場所なんだ。それを、女の子を好きになれだのなんだの。ふざけてるよ。『友愛』の精神を、彼らはもっと知った方がいい。友愛の崇高なる精神のなんたるかを!」
 友愛とか言われても……、ねぇ。
「見損なったよ、サチくん。正直に言うとね。……でも、僕はサチくんが、……それでも、好きだよ」
 はい?
「きっとサチくんは騙されてるんだ、あの音楽野郎たちにね。きっと今にわかる。友愛のすばらしさを。本当の愛を。僕は信じてる。それと」
 田島くんは笑顔でこう言った。
「なんでサチくんは、小畑を振ったの?」
 ラブレター。金曜日に告白してきた生徒の名を、口に出した。
「小畑くんは、心の綺麗な男だよ。そんな彼の純情を、サチくんは弄んだの?」
 あぁ?
「あんなに愛らしい男は、珍しいんだよ? 今からでも遅くない。小畑くんと、お付き合いする気はない?」
「いや、あ〜、ごめん」
「ひどいよ、サチくんッ!」
 田島くんはがなる。
「小畑くんは、小畑くんは!」
 かなり本気になって怒ってる……。なに、これ。
 つーか、その小畑くんのことなんて、私は呼び出されるまで存在すら知らなかったんだけど。
 田島くんは「ひどいよ! ひどいよ!」とか言いながら髪を振り乱しながら叫んでいる。
 あー、もう、なんのことやら。
 あげく、田島くんは泣き出した。
「僕だって……、僕だって小畑くんのことが……。ひっく……。す、す、……、ひっく、……好きなのに」
 泣きじゃくりはじめる田島くん。
 サチは、田島くんをそっとしておいてあげることにした。

 昼休み。朝からめっきり意気消沈している田島くんに話しかけても動こうとしないので、サチは一人で学食に向かう。ぞろぞろと学食に向かい、食券を買う学生たちの列に参加すると、自分もここの生徒なんだよなー、と実感する。
 おばちゃんからカツカレーをもらって席に座ると、緑色した髪の毛の人物がサチの背後から声をかけてきた。
「八王子様がお呼びだ、小揺ヶ崎」
 振り向くと、薔薇百合会の新木だった。食堂奥の天蓋付きのテーブルの方を向くと、みんなの王子様・八王子が手招きしている。不愉快に感じたが、サチは「ふーん」と鼻で息を出してから、カレーの皿を載せた配膳盆を持ち、仕方なく八王子の元へと歩いた。視線を浴びる、みんなの。かなり不愉快だ。なんで私は……、いや、そう嘆くのはやめておこう。
 周囲と質が違う豪華なテーブルに配膳盆を置き、椅子を自分で引いて座る。
 八王子、新木が対面(といめん)に座っていて、サチの隣には、新木に向かい合うように、古田が横に膨張した身体を主張しながら座っている。
 八王子はにこやかにしていて、スプーンでタマゴスープを啜っている。
「なんの用ですか」
 サチの声はとげとげしいが、八王子はどこ吹く風だ、といった雰囲気。
 スプーンを置いて、八王子は笑顔で応える。
「いや、キミは本当に童貞音楽をやりたいのかな、って思ってね」
「…………」
「無理矢理入部させられたんじゃないかな」
「違いま……」
 言葉を遮る八王子。
「それはいいんだ。どちらにしろ私がキミを奪うだけだからね」
「う、奪うって」
「サチくん。キミは百草学園をどう思う」
「まだ、わかりません。来たばかりだし」
「そうだろう。だから、生徒会長である私の側に居れば、安全なんじゃないかな」
「それはどういう……」
「フッ。どういうことかって? それは、キミに悪い虫がつかないようになれるってことさ。百草の校風ぐらいは、来てから日が浅くてもわかるだろう」
 その校風をつくったと目される八王子の言う台詞なのか、それは。
「かなな丘のご令嬢の息子なら、取るべきルートはエリートコースしかない。それを周囲の人間、特に血縁関係の者は願っているはずだ」
 そうかなぁ? うちのパパはテキトーだぞ、そういうのに関しては。
「帝王学を、私の元で学ぶんだ。私は三年生。来年は大学に行く。百草の大学部ではなく、もっと上のレベルの、ね。だからこの町から、私は姿を消してしまう。しかし、私には後継者がいない。ここにいる古田も新木も、共に私と同じ三年生。若くて優秀な人材が、私は欲しい。……私の元で働け。悪いようにはしない。童貞ミュージックから足を洗うんだ。まだ遅くない」
 まっすぐサチを見る八王子。サチは、その眼力の鋭さに気圧される。
 場を沈黙が支配する。食堂にいる他の生徒達は、皆聞き耳を立てている。
 この沈黙を破るのはサチではなく、八王子の方だ。
 八王子は破顔する。
「そんな怖い顔をしないでくれよ。約束は守る。私がスカルにテスト勝負で勝てばいいだけの話だからね。まあ、私が勝つに決まっているが」
 がはは、と口を大きく開ける八王子。
「カレーが冷めてしまうよ。食べたまえ」
 サチは盆を持って、立ち上がる。
「向こうで食べます」
 八王子は「そうか」と返事をする。サチの隣に座っている古田が止めようとするが、それを八王子は手で制した。
 その日のカレーの味が、サチにはわからなくなった。サチは、手に持ったスプーンが手の汗で持ちづらくなって気づいた。緊張して手にまで汗をかいていたらしい。
 すごく、悔しかった。



 放課後。部室に行くと、慎身長から察するにおそらく穂村と中村だと思われる人物が大仏の覆面をかぶり、仁王立ちで立っていた。
「えーっと、……なにしてんの」
「ふっふっふ。DTMといえば今はVOCALOIDの時代。ボカロPといえば覆面。我々も覆面してみたのだ。覆面のイケメンだああぁぁ」
「……あ」
 サチは気づいた。「覆面とイケメンで韻を踏んでいるのか」
「気づくのおせぇよぉぉ」
 穂村は大仏の覆面を脱ぎ、床に叩きつけた。
「韻を踏んでるのは音楽家だからかぁ、みたいな小粋なことも言えないのかぁぁ!」
「どこらへんが小粋なのか、さっぱり……」
「ムキー」
 覆面脱いだ自称イケメンは頭に血を上らせ、猿のような動作で暴れた。
「まあまあ、落ち着け」
 大仏の覆面をつけたままのたぶん中村だと思われる人物は穂村を押さえ込んだ。
 仏像中村は穂村に覆面を取られ、普通の中村になる。
「あー、……今日から来週の試験終わるまで、百草はすべての部活動は休止だから」
 中村が穂村を押さえ込みながら言う。
「そうなんだ。ふーん」
「ふーん、とは何事かね、サチくん」
 暴れるのに飽きた穂村は、動作をやめてサチの様子をうかがった。
「いや、そりゃそうだよなぁ、と。ここ、結構偏差値高いし私立校だし。勉強の方に力入れるだろうなぁって」
 中村は暴れなくなった穂村を解放する。
「しっかしー、サチは部に入りたて。学園にも不慣れなままで試験というのは酷な話。そっこでええ」
 いちいち大きな声でもったいぶるのやめなよ、とは言えない。穂村はたぶんデフォルトでこんな感じなのがわかるからだ。こういう奴はそのままにさせとくのがいいのだ。止めるとぶーぶー文句言うだろうし。
「不肖穂村、のぶ代ちゃんを買収することに成功しました」
「はい?」
 穂村は人差し指を立ててニヤリ。
「今日から金曜日までの、中間試験準備期間である六日間、サチは百草寮に入って寝起きしてもらいます」
「……はい?」
「ふっふっふ。親交を深めるにはお泊まり会が必須なのにゃー」
 私、本当は女の子なんですけど……男子寮ってちょっとヤバくね?
 サチはしばらくその場でフリーズした。
「さ、自分の部屋からお泊まりセット持って戻ってこ〜い」
 かなりピンチだわね、これ。でも苦情はどこへ言えば……。



 部室を出たサチは、自分の部屋に向かう道を歩く。寄り道してる余裕はない。百草学園に来てからまだ一週間しか経ってない。
 なのになんなのこの展開。まんがじゃあるまいし、毎日なにかしら出来事があるなんて、勘弁してほしい。
 もうちょっとゆるやかに色々経験したい。
 そもそもが前の学校辞めて節子と争って、そのあげく自活を約束させられて男にもなりすまさないといけなくなりつつの転入なのだ。心の負担はそれだけでもピークに近いのに。それで今度は約一週間男子校の男子寮に入るって。
 あー、もう。
 髪の毛を中村のようにくしゃくしゃにかき乱す。大丈夫、髪は女の命でも、私、今は男だから。自嘲気味にそんなこと考えてみる。
 そんな気持ちで歩いていると、前方にスカルの姿を発見した。
 声をかけようと近づくと、スカルの右手には猫の餌。それはわかるのだが、左の手には、花束を持っていたのだった。
 花束、と言うとプレゼントっぽいかもしれないが、その花は黄色い菊の花。包んでる紙も白いだけのもの。プレゼントではなさそうである。ってか、これはお墓参りだよね、うん。
 声をかけるかかけないか。悩むところだが、猫の餌持ってるし、たぶんあの路地のノラにあげるんだろうしー、声をかけるかー。
 と思ったがスカルが道を曲がる時に見たその顔は曇っていて、とてもしゃべるのはやめた方がいいオーラをぷんぷん漂わせていて……。
 サチは、声をかけず、いつもの猫の路地を通らず、遠回りして部屋に戻ることにした。



 穂村と中村に案内されるがまま、サチは歩く。
 寮は、学園の敷地内にあった。
 木造四階建ての建物が二棟。その第二宿舎というのが、向かう先であった。
 寮、ねぇ。木造アパートって感じだな、なんか。サチはそんな感想を抱く。
 寮に入って真っ先に目に飛び込んできたもの。それは、……メイド服に身を包みモップがけをしている、サチのクラスの担任教師、のぶ代であった。
「なにやってんの、先生……」
 これはどういうことなの? と穂村に目で訴えると、穂村と中村はにやにや笑った。
 戸惑うサチに、のぶ代は咳払いをひとつ。
「私が寮長の、更木のぶ代です」
 双子オチじゃなくて、このメイド服の妙齢独身女性は、正真正銘、サチのクラスの担任教師だった。
「せ、先生?」
「教師と寮長、掛け持ちして悪いのかしら」
「いえ、そういうわけでは」
「このクソガキどものDTM研究会には近づくなと、あんなに注意したのに、あなたって子は……」
「いいじゃんよ、母さん」
「?」
 母さん?
 サチは「母さん」と言った穂村を見る。中村は笑っている。
「人志、あんたここで私を母さんと呼ぶなって言ってるでしょ」
 独身で妙齢……だったはず。はず?
「更木のぶ代は、おれの母さんなんだ。いや、母さんだった、って過去形」
 早くに結婚して子供産んで離婚。子供は父親が引き取った。のぶ代の学生結婚はそんな感じだったらしい。そんなことを、中村はこっそり説明する。
 ひとに歴史ありっていうけど、世間は狭いのかなんなのか。歴史がやたらと交差する。
「人志。あんた、あのオザキなていううるさいボーカルとつるんでるから、評判がさがるのよ」
 それに、と付け加える。「薔薇百合会に逆らうのはいいけど、スカルくんは今年で卒業なのよ。理事長の息子の後ろ盾なしで、あんたらは薔薇百合会に逆らうのは自殺行為だって、わかってるでしょ」
「今は説教すんなよ。ガッコウと寮の中じゃ『母さんじゃない』って言ったの、母さんだろ」
「それとこれとは話は別よ。あんたは昔っからそう。反抗すれば格好いいって思ってる。いい加減、くだらないことはやめなさい。ひとを巻き込むのはやめなさい。この子を寮に連れてきたのは見逃すけど、それはなぜか、わかるでしょ」
 のぶ代はまくし立てる。「音楽遊びは、すぐに飽きるものなのよ。サチくんはあんたと違って、きっとすぐに飽きるわ。ここで思い出、つくっておけばいいわ」
 なんか、どんどんバカ親発言になってきたな、とサチはうんざりな気分になる。どうも、自分の息子に対し、かなり甘いってことがわかる。離婚とかそういうのもあるからなのか?
 でも父親が引き取ったっていうけど、穂村がすぐに学園内で母親と遭遇したってのは、かなりウケるわね。
「人志と中村くんからもらった日本酒はあとでおいしく戴くから。本当に、今回だけなんだからね」
 買収って、日本酒をあげたのか。なんかどんどんどうでもよくなってきた。
 穂村とのぶ代はだらだらと親子トークを楽しんでいる。その間に、中村はサチに話しかける。
「ま、ツッコミどころは満載かもしれないけど……、その荷物、泊まる部屋に置いてきた方が、……いいんじゃないかな」
 サチの手には、お泊まりセットの入ったスポーツバッグが握られている。
「そうですね」
「部屋は、スカル先輩と同室だから」
 さらっと、言う。
「はい?」
「相部屋だよ。シングルの部屋は、残念ながら、ないんでね。穂村とおれは同室、オザキとクラッシャーくんも同室なんだ。で、先輩は現在、……いや、かなり長い間、部屋は一人なんだ。きっと寂し思いを、してるかも、だしね」
 中村はサチの肩に手を置いた。
「先輩の抱き枕になってあげなよ」
 あんた、ぶっ殺すわよ?


     ☆


 鍵をのぶ代からもらったサチは二階奥にあるスカルの部屋にスポーツバッグを置く。スカルはいない。
 一緒についてきた中村が、「ほんじゃ、行くか」と促すので、よくわからないまま、ついていく。
 木造の廊下をぎしぎし軋ませながら歩いて行く。少し埃のにおいがする。あと、男くささというか、すっぱいにおいもしたりして。
 階段のすぐそばに、中村はサチを誘導する。階段そばの部屋、「ここね」と中村が指さすその部屋は、プレートに『第四談話室』と書いてある。
 中村がドアを開けて入り、サチも続いてはいると、中には赤いギターを抱えたオザキと、本を読んでいるクラッシャーくんがいた。
「ここが、……おれたちの第二の部室、だよ。談話するし、歌いもする。パソコンはないけどね。楽器はあるけども」
 中村がサチに簡単に説明した。
 オザキが「あいら〜びゅ〜ん」とか適当に節をつけて歌っている。ギターの音も、普通に出している。これ、響いちゃうんじゃん、と思ったが、どうでもいいらしい。つーか、だからみんなから煙たがれているのでは、とか思ったが、まあ、黙っておこう。
 遅れて穂村が談話室に入ってくる。
「飯の時間だぞーい」
 穂村が言うと、オザキはプレイをやめて、時計を見る。
「部長、今日はホールで食うのか」
 オザキが尋ねると、
「ま、部活も休業だし、しばらくは普通にホールで食おうぜい」
 と軽く返事をした。
 クラッシャーくんが、
「今日はポークソテー。ワタクシは雌豚が大好物ですので」
 と、なにやら意味深なのか阿呆なのかわからないことを呟いた。
「んじゃ、食い終わったらまたここに集合な」
 穂村はそうみんなに伝えてから「むふふ、ポークソテーかー」と、鼻歌を歌いながら、一階のホールに向かって歩き出した。みんなも、それに続いた。
 サチは、緊張が若干ほぐれたような気がした。


 夕飯は番号順で席に座る決まりらしい。サチは一番奥の、最後の番号の席で夕飯を食べた。
 ホールに来ない生徒も結構いる。この寮では、事前に連絡しておけば夕飯をキャンセルして、町中などで勝手に食べてもいいらしい。
 寛容だねー、と感想を漏らすサチは、自分の部外者っぽさに最初はみんなと離れて座るのが怖かったが、なんとか大丈夫だった。
 夕飯が終わったあとは、そそくさと第四談話室に戻る。慌てていたので、一番先についてしまった。
 が、ホールに顔を見せなかったスカルが、先に談話室にいた。一番先に着いたが一番乗りではなかったらしい。
 サチが姿を見せたので、スカルは一言、
「わりぃな、巻き込んじまってよ」
 と、ぼそりと言った。
 しばらく無言の二人だったが、それじゃいけないと思ってサチは、
「スカルと私、一緒の部屋だって」
 と話題を変えようとした。「私と一緒でも、いたずらはしないこと」
 ウィンクしてみせたサチだったが、スカルはそれに苦笑しつつ、
「まさか八王子にサチが気に入られるなんてな。それで勝負とか……。あいつの考えてることはわからないぜ。ったく、災難だよな、転校早々こんなことに巻き込まれるなんて。……おれたちも部活に巻き込んじまったがよ」
 と、話題を変えないで、話す。
「部活はなんか楽しそうで、私はこういうの、はじめてだし、いいんだ。生徒会長の件も、私の継母が無駄に有名だったのが悪いんだし。全然、みんなのせいじゃないよ」
「そっか」
「うん」
 スカルとサチがしゃべっていると、穂村が登場し、「ポークポーク、僕はポークソテーだよー」とブヒブヒ言いながら現れた。後ろから、オザキとクラッシャーくんも来る。
 中村は、
「おい部長。ブヒブヒって、部費のことまだ気にしてるのか」
 と、歌にツッコミを入れて入ってきた。
「もっちろーん。『Cl2+』からの脱却をはかるのだー」
 穂村に反応するのはオザキ。
「その前に、DAWを変えるべきだぜ」
「ああん?」
 にらみ合う穂村とオザキ。
 中村はため息を吐いた。
「薔薇百合会とのいざこざもあるのに部費を今すぐに使うと、……教師どもの目が厳しいぜぃ」
「かまわないってば〜」
「いや、穂村は構わないんだろうけど」
「おれっちは部長。偉いの。だからいいの」
「よくない」
 穂村、オザキに加え、中村まで臨戦態勢に入る。
 そして夜は、だらだらと更けていく。

 九時頃になって、誰ともなく「そういや中間試験バトルなのだった」という話題にシフトする。これはかなり全員忘れていた、というべきだろう。忘れていた、というより、試験勉強自体、みんな忘れているかのごときダベり時間だった、といえよう。
「でもー、おれがいるからこんなのラクショー」
 穂村は勝ち誇る。
「そっか?」
 スカルがそんな反応をすると、
「おれを誰だと思ってんの、せんぱ〜い」
 と、無駄に甘い声を出す。
 サチが会話の意味するところを理解しないでいると、中村が耳打ちした。
「……穂村は二年生の学年首位。もうすでに大学の受験勉強を始めているから、三年の問題も大体解ける。オザキも、それについで二年生の次席。昨日八王子と勝負にならないじゃないか、っていう意見がでただろ。あれは、あー」
 髪の毛を掻く中村。「むかつく話だが、一位と一位じゃ勝負にならないって意味もあったってわけだ」
「へ、……へ〜」
 マジか?
 金髪とリーゼントの二人が、秀才くんって。もはや学園七不思議とか、そういうレベルじゃないか?
 穂村はプランをおおざっぱに決める。
「先輩にまず、テストに必ず出るとこ教える。次に、一夜漬けのやり方を教える。そんで、週が残りわずかになったら、おれも勉強するから、ガッコウ休んでおれ、オザキ、先輩でぎっちぎちスケジュールで勉強。これで完璧」
 か、完璧かぁ?
 スカルは学年最下位らしい。それをどうやれば勝てるというのか。一週間しかないんだよ。
「わかった。やるだけやってやるぜ」
 スカルの方も乗り気になってきた。
 よくわかんないけど、でも、信じるしかないのかー。不安をもう通り越して、諦めて薔薇百合会で雑用することを受け入れるしかないような……。
「だいじょーびー」
 穂村がピースサインをする。
 ある意味、これでもかってくらい、頼もしいわけだが。バカ全開なところが、ね。



 さて。二階奥のスカルの部屋には、正座しているサチがいた。
「お前、なにやってんだ。寝るぞ」
「勉強は」
「今日はもう遅いだろ」
「私だって勉強しないと」
「いいから寝るぞ」
 黙るサチを尻目に着替え出すスカル。
「ちょっ! スカル。なにやってんの」
「着替えだろ着替え。制服のままお前は寝るのか」
「いや、そうだけど!」
「そうだけど、なんだよ?」
「バカ!」
 完全に後ろを向いてスカルの着替えを見ないようにするサチ。疑問を抱きつつ、スカルはパジャマ代わりの甚平を着る。
「サチは着替えないのか」
「私、トイレで着替えてくる」
「はぁ? トイレだぁ?」
「文句ある」
「いや、……別に文句はないけどよ」
「じゃあいいじゃん」
「お前、どういう育てられ方してきたんだ」
「どうだっていいじゃん」
「はいはい。わっかりましたよー」
 着替えを持って部屋のドアに向かうサチに、スカルは声をかける。
「電気は消しとくぜ。消灯までには戻ってこいや」
「着替えに行くだけ! すぐ戻るから」
「はいよ」
 ドアを閉めていなくなるまでの間、スカルはサチの背中を見ていた。
 サチは「バカスカル!」と言って、ドアを勢いよく閉める。
 その背中を、スカルは見送る。



「ところでさ、女子との接点って、本当にないの?」
 談話室のソファに寝そべりながら、サチは尋ねてみた。
 クラッシャーくんは、
「ないね」
 と、シャープペンシルをくるくると回した。
 勉強中。今頃スカルはものすごい詰め込み教育をされているだろう、とは中村の弁。サチたちも、一応勉強をしている最中なのだ。休み休み、だらだらとしながら。
「ちょっとトイレ行ってくるね」
 サチが部屋から出る。廊下を軋ませながら歩いて行くと、曲がり角で走ってきた人物とぶつかってしまった。
 尻餅をつくサチ。相手を見上げると、それはサチの担任であり寮長であるのぶ代だった。
「のぶ代先生……」
 手をさしのべられたのでそれにつかまって起きると、のぶ代は、
「ちょうど探していたところよ。よかった、見つかって。ちょっとこっち、来なさい」
 と、捕まった手をそのままひかれ、のぶ代についていくはめになった。
 どこに向かうのかと思ったら、寮の事務所だった。
「あの、走ってたみたいですけど、なにか用事があったのでは」
「もういいわ。寮には他にひともいるし、任せちゃっていいのよ。それより」
 子持ちメイド服は微笑んだ。「あなたに話があるの。サチコちゃん」
 あれ……、女だってバレてる……。

 事務所の中は、乱雑に積み上げられた本や書類でごったがえしている。そのへんに座ってて、というのでサチが来客用っぽいソファに座ると、のぶ代はインスタント珈琲を持ってやってきた。
 のぶ代がサチの向かい側に座る。
「はい。あったかいものでも飲んで」
「は、はぁ」
 ずずずっと、苦い液体を啜る二人。
「ここ、男子校よ。男子寮よ。で、あなたは女の子よ」
「はぁ。そうですね」
 またもや退学になるのかな、とサチはすごく緊張する。
「でも、……寮に泊まる申請出しちゃった手前、いきなり解除すると、本当に女の子だって、バレちゃうし、……同室がスカルくんだし、ま、大丈夫だとは思うけど」
 思うけど、なんだろう。
 先に続く言葉を待つと、のぶ代は珈琲の湯気を見て、それからサチに向き直り、
「避妊はちゃんとしましょうね」
 と、言った。
 思わず珈琲を吹き出すサチ。
 咳き込むサチに構わず、のぶ代は続ける。
「私も学生結婚だったし、こういうのって、ちゃんと考えないとダメ。私と同じ過ちを、あなたにはさせたくないの。子供を産むってのは、大変なことだから、もっとオトナになってからじゃないと……」
 なんだかものすごくよくわからない展開になってきた。しかし、ここで話を聞くのをやめると面倒ごとが増えるのは必定。サチは黙って聞く。押し黙って。
 あー、もう。
 サチが一方的に話を聞いていると、どんどんとのぶ代の身の上話にシフトしてきた。サチのことは全然関係ない話だ。
 解放されたのは二時間後。
 談話室に戻ったらふらふらになった上、中村に、
「便秘なのか。大変だな」
 との優しい言葉をもらうはめになった。
 サチは無駄に疲れた足取りで、消灯時間前に部屋に戻る。



 スカルが学習室から戻って来る前に、と思ってパジャマに着替えるサチ。畳敷きに布団を出して横になる。
 なんか旅館みたーい、とか思って俯せになっていると、スカルが帰ってきた。「ただいまー」とか言ってるが、無視無視。
 サチの横に布団を出している音が、俯せていてもわかる。
 さっきののぶ代の話を思い出してしまう。思い出すと、顔がほてって目が回る。
 うーうーうー、と唸ってから顔を上げてスカルの方を見上げて見る。
 スカルは着替え途中で、下着姿だった。
「こんのぉ、バカスカル!」
 枕を投げる。
「んだよったく。遊んでないで、寝るぞ」
「あんたはホントに気づいてないわけ?」
「なにが」
「なにがって、だから」
「だから?」
「例えば、よ。私が女だったらどうする?」
「どうもしねぇよ」
 頭に血が上る。
「バカッッッ」
 サチは布団をかぶった。
 スカルは、
「もしお前が女だったら、いや、そうじゃなくても、お前の存在は『トリックスター』って奴だな。『特異点』。つまり、お前がここに存在してるってだけで、学園は変わっていくよ。確実に。だからおれはお前を」
 スカルの声に、布団をかぶりながら耳を澄ませる。
「大切にするよ」



「スカルについて聞きたい、……ねぇ」
 中村は、ぼえーっとして、天井を見つめる。
「ノラ猫に餌を与えてる優しい奴だよ」
 そこでクラッシャーくんも話に参加する。
「八王子とライバルなんだ、先輩はね」
「それって、どういうことなのかな」
「スカル先輩の部屋に、写真立てがあるのは知ってるだろう」
「うーん、確かそんなのもあったかも。見てないけど、ほら、プライバシー保護の観点によりぃ」
「キミはバカなのか。一緒の部屋に寝泊まりする相手のことくらい、ちゃんと知った方がいいに決まってるだろ」
「う、うん。まあ、そうだよね……」
 中村がクラッシャーくんに、「相変わらずキツいモノの言い方するなぁ」とあきれている。
 スカルについての質問はそこで打ち切られ、三人も勉強を始める。基本、この寮に来てからは勉強ずくめだが、みんなとの距離も縮まってきたような気がする。サチはシャーペンの心をノックしながら、「よし、がんばるぞ」と、意気込んだ。


 スカルが「うへー、今日も疲れたぜ」と布団にぶっ倒れたところで、サチはスカルにトークを試みる。
「この写真立ての写真に写ってるのってさぁ」
「ん? 写真? ああ、それか……。隠す必要もないと思って、置いてるだけだ」
「この小学生三人で並んで写ってる写真。真ん中の女の子は知らない人だけど、左右にいるの、これって八王子とスカルだよね?」
「ああ。くだらねぇ過去だよ」
 スカルは倒れたまま背伸びをする。「その真ん中の女の子ってのは、死んじまったしな」
「……ごめん」
「いいよ、別に。この前、お前見ただろ、おれが花持って歩いてるの」
「気づいてたの?」
「気づくよ、バカかお前。……あれは、そいつが事故に遭ってこの世からいなくなった場所に、持っていったんだ」
「猫の餌は」
「そう。事故現場の近くの路地にいつもいるからな。あの黒猫が墓守なのさ」
「…………」
「そいつが死んでから、八王子は学園の政治の表舞台に出た。今も出続けてる。大学に入っても同じようなこと続けるだろうぜ。なんでも、悪ガキだった小学生のおれたちが道路でふらふら遊んでて、そいつが事故ったのは、教師や生徒会に求心力がくて言うこと聞かないから、だとさ。笑っちまうよ。そんで、八王子はカリスマ性を磨いて、生徒に対する求心力を身につけてよ」
 スカルは寝転がって肘を突き、ほおづえをついてサチを見る。
「おれは音楽が好きだしそれでDTMをやってる。だうなうメンバーもそうだ。が、おれが掲げた八王子への反抗は、……こうやってしゃべっちまうとかなりくだらないよな。要するに、頭のねじが吹っ飛んじまったあいつに対して反抗するようでいて、でも実際は教師や生徒会のいうこと聞かない悪ガキを正す奴を悪ガキが正そうとしてるって構図だからよ」
「でも、それは……えーと、だから」
「いいよ、なにも言わないで。くっだらねぇ話は、今日はこのくらいにしとこうぜ」
「うん」
 スカルは、
「過去なんて、誰でも持ってるもんだから、なにもこの話が特殊ってわけでもないさ。ありふれた物語だよ」
「……そうだね」
 そして私の事情も、特殊でもなんでもない。サチはそう思って、部屋の電気を消した。



「ふはははは。先輩はこれでもう無敵なのだああああああああああ」
 サチが寮から帰る日、穂村はふらふらした足取りでサチの元にやってきて言った。
「くっくっく。見ておれ、八王子。おれの底力によりパワーアップしたスカル先輩は、核汚染級のパワーを秘めておるぞおおおい。サチ、これでもう安心」
 どうやら帰る前にサチを安心させたかったらしい。その好意だけを受け取り、サチは部屋に帰る。一応「ありがとね、みんな」と言っておいた。
 さて。中間テスト。どういう結果になるのやら。



 テストの結果が、ガッコウの進路相談室の前に張り紙にされ、公開される。
 サチは自分の成績を見てから、三年生の結果を見る。
 最下位に、スカルの名前はない。そこにひとまず安心して、下から上に上がるように張り紙を眺めていく。
 スカル。総合点順位、二位。
 八王子。総合点順位、一位。

 ……まあ、なんとなく予想はしていたけども。

 生徒達が集まって見ている順位表。自然とだうなう部のメンバーも集まってきて、すぐに全員が集う。
「にゃんだってえええ」
 穂村が頭を抱える。
 スカルが、
「いや、みんな、すまない」
 と謝る。
 そこに八王子が古田と新木を連れて近づく。
 部員一同の目が八王子に向けられる。
「久々に勝負したな、スカル。私は満足だよ」
「そいつぁどうも」
「サチはもらうよ」
 八王子はサチを見る。
「小揺ヶ崎サチコくんを、ね」
 うっわー、すげぇ女だってバレてる……。
「あと」
 八王子はスカルに向けて一言、
「開こうよクラブイベント」
 と言った。
 だうなう部一同は息をのむ。
「なにも策略でのことじゃない。外に目を向けるのも面白いって思ったんだ。サチくんを見て、ね。我々は百草は、門戸を開く必要がある。スカルが昔から言ってた通りだな」
 そう言ってから、八王子はがはは、と笑った。



 六月の後半、日曜日。暗幕で覆われた体育館はダンスフロアになっている。。
 百草学園DTM研究会メンバーがつくった曲をiPadアプリのターンテーブルに乗せ、DJスタイルでイベントは開かれた。
 大盛況。他の高校だけでなく、一般の来場客が大勢集まった。地元の新聞の記者も多数、取材に訪れた。
 女子高生含む客たちと楽しくトークする百草の生徒。
 かわりばんこでDJをするだうなう部メンバー。今は穂村がオーディエンスをアジりながら、プレイしている。
 サチの横にいたスカルが、
「まったく。最初から交流とかしてりゃ良かったんだよ。無駄に外と隔絶して規律厳しくとか、んなのくだらねぇ。もうみんなわかっただろ、これで。カリスマが大衆を導くって図式もあるんだろうが、やっぱフロアで各自が楽しんで、その場を共有すんのが一番なのさ」
 と言うとサチはくすりと笑った。
「ねぇ、スカル。私が本当は女の子だってわかってた?」
「ああん? 関係ねぇよ、そんなん、どっちでも」
「私には、関係あるの」
 大音量でクラブサウンドのかかるフロア。その暗闇の中で、サチはスカルの頬にキスをした。
「ちょっ、お前」
 サチを正面から見るスカル。
「私たちも、おどりましょ」
 スカルは恥ずかしそうにうつむいて、
「ああ、そうだな。踊れば楽しいよな。人生はダンスみたいなもんだからよ。ただ、無心に踊ればいい」
「なにそれ?」
「格言。しかも、失敗した格言」
「照れ隠し?」
「ちげぇよ」
 二人は手をつないで、フロアの中央の方に向かう。

 祝祭の音楽は、鳴り響き続けて。
 もうすぐ、夏が訪れる。


<了>
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         
 

DTM研究会【初級】

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デスクトップミュージックがしたかった。

  • 小説
  • 中編
  • 青春
  • 成人向け
  • 強い言語・思想的表現
更新日
登録日
2025-08-08

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著作権法内での利用のみを許可します。

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