夢見はいかが

パスティーシュだよ。

 男はここのところ、眠りになかなか就けない。現代人の大半は睡眠障害をわずらっているとは言うが、男は二ヶ月前から生まれてはじめて不眠症に苛まれるようになり、この苦痛は耐えがたいものだった。
 また、やっと眠りに就けたと思ったら、いつも同じような悪夢を見る。どういう夢かというと、スーツを着こなした熟練のサラリーマンみたいな男が、眠りに入って夢の世界に来た男を、来た早々、執拗に追いかけまわすのだ。しかも、無表情で。大体このスーツの男は猟銃を持っていて、森で狩りをするかのごとく、町中で銃を乱射し、次々と人々を巻き込みながら男を追いかけ回すのだ。男はスーツから必死に、逃げて逃げて逃げて、でも結局追いつかれてその猟銃で撃たれる。撃たれて死ぬ間際、スーツがはじめて笑い、意識が遠のいたところで、男はいつも目が覚める。
 目が覚めた男は、汗でシーツがびっしょりになっているのが常だ。心拍数も異常になっていて、落ち着くのにはいつも、とても時間がかかる。
 不眠に悪夢。妻に相談したら、「病院に行けば?」と言う。
 妻に言われた通り、男は心療内科へ行く。
 セラピストに話を聞いて貰っても、「ストレスでしょう」とだけ言われ、医者から睡眠薬の処方箋をもらい、拍子抜けしたまま男は帰る。
 薬局で睡眠薬を処方通り出してもらってそれを飲んだが、全然効果はなく、眠れないし、眠れたところで無表情のスーツ男から追いかけられる夢を見るばかり。
 男は日に日に疲弊し、心療内科でどんどん強い睡眠薬を出してもらったが、効き目は全くなく、会社勤めも辛くなってきていた。
 ある日、男が会社から這々の体で家に帰ってきて玄関を開けると、男の妻が立っていて、知らない男が靴を脱ごうとしているところだった。男からは後ろ向きなので、顔は見えない位置である。
 玄関を開けた男に驚いた男の妻は、
「あら、お帰りなさい」
 と引きつった笑顔で迎えた。
「こいつは誰だ」
 男が知らない男を指さすと妻は、
「この方はセールスマンですよ。置き薬の。あ、そういえばこの方、特製の、良く効く睡眠薬も販売しているのよね。そうだわ、あなた、睡眠薬を売ってもらったらいかが? 大変評判が良いという噂よ」
「ふん! なにが噂だ。心療内科でどんどん強い睡眠薬を処方してもらってきても、未だに全く効かないのだ。無駄だ無駄だ、帰ってもらいなさい。しかもなんだ、お前はこの男を家の中に入れようとしていたではないか。ふざけるなよ、どういうつもりなんだ」
「この方に家に上がってもらってお茶を出して差し上げるのがそんなに悪いことかしら? この方の置き薬が、とても私たちの役に立っているのだから、お茶くらいなんだって言うのよ」
「ふん!」
 妻の言いぶりにそっぽを向く男。置き薬のセールスマンだというこの知らない男は、さっきは脱ごうとしていた靴を今度はちゃんとはき直す。はき直し終えてから、男の方を向き、会釈をした。
「置き薬『荒井薬品』の者です。初めまして」
「なにが荒井薬品だこの……ん? お前は……」
 男は目を丸くした。なぜなら、その置き薬屋の顔が、男が毎日見るあの悪夢の中で男を追いかけ回す、猟銃を持った無表情のスーツ男とそっくりだったからだ。この置き薬屋が着ているスーツも、そういえば夢の中と同一だった。
 置き薬屋は、夢の中では見せない笑顔を、男に現実では見せた。
「眠れないんですってね。奥さんから聞きましたよ。今日は、その眠れない件、お薬の効能と一緒に、説明して差し上げようと思っていたのです。それで、せっかくなのでお茶を飲まないか、と誘われたのです」
「なるほど。そういうことか」
 男はしかめっ面で、置き薬屋を見る。気にくわない奴だが、しかし夢の中の男とこいつが同一人物だとしたら……。
「上がれ。その良く効くと噂の睡眠薬の話を聞かせてもらおう。お茶もだしてやる」
 そうして、男は置き薬屋を家に上げ、男の妻がお茶とお茶菓子の用意をしているうちから、さっそく睡眠薬の話を聞くことにしたのだった。
 置き薬屋の話によるとどうも、心療内科で処方される薬は西洋医学の理論で考え出され、それに基づいた化学物質でできあがった薬に限られる、とのことだった。だが、この置き薬屋が言うには、自分の売る睡眠薬は西洋医学に頼ったものではなく、長年の歳月の経験則で作られた漢方医学の睡眠薬で、西洋医学では到底治療不可能な病気や症状も、漢方だと、とても高い確率で治り、その噂の睡眠薬というのも、そも漢方のものでも最強クラスの効能を示すもので、ぜひオススメしたい一品だ、とのことだった。
「わかった。買おう」
 男は説明を一通り聞いて、その噂の睡眠薬をその場で財布から金を出して買った。
 実は男は、説明を聞く前から、この睡眠薬を買うことを決めていた。なぜかというと、置き薬屋の男こそが、悪夢の象徴である、自分を追いかけ回している男であり、この『猟銃で撃つ』という行為は『ラクにさせてあげる』という裏のメッセージなのではないか、そう直感で思ったからだ。そもそもが悪夢の原因が猟銃男であり、そいつがラクにしてくれるという考えはおかしいように思えるが、今の慢性的な寝不足の中、男は自分のこの直感が、とても論理的に感じ、一人で納得してしまったのだった。
 置き薬屋は帰り、その日は早めに布団に入り、男は手元に置いた水差しからコップに水を注ぎ、その水で、置き薬屋から買った睡眠薬を飲んで、寝ることにした。
 眠りはすごい早さで訪れた。布団に潜ってこんなに早く眠れたのは二ヶ月ぶりだ。男は快適に眠りに落ちる。
 男の夢の中の景色は一変していた。いつも、森のような乱雑な街の中で猟銃使いの、あの置き薬屋の男に追いかけ回される夢を見ていたのが、この日の夢は、色とりどりの草花が咲き乱れる、幻想的な草原でのんびりと寝転んでいる夢なのだ。
 快い風が、甘いチョコレートの香りを運んでくる。蝶が舞い、鳥がポップミュージックのさえずりを奏でる。素晴らしい夢見心地だ。
 しばらく放心して、男が草原に寝転んでいると、いつもの猟銃の男が、男のそばにやってきた。
「夢見はいかがですか?」
 猟銃の男は、今まで夢の中で一度も見せなかった満面の笑顔で、男に尋ねた。
「ああ、最高だ。キミの睡眠薬は本当に素晴らしい……。こんな夢ならずっと見ていたい」
 猟銃の男は寝転んでいる男をのぞき込むようにして言った。
「ええ。ずっと見ていられますよ、この夢を。もうお気づきのことでしょうが、この睡眠薬は…………」



 男の妻と置き薬屋は、二人で裸になって抱き合ったまま、布団のシーツにくるまっていた。情事の最中なのである。
「ステキ……」
 男の妻は生まれたままの姿で置き薬屋の身体の下になったまま、顔を持ち上げて、置き薬屋にディープキスをした。絡め合う舌が、二人の親密さを物語っている。もう、二人は二ヶ月前から男女の関係なのだ。
 唇を離してから、男の妻が言った。
「私たち、これからどうなるのかしら」
 置き薬屋は腕を男の妻の首に回し、それから耳元でささやく。
「あの男はもう、永久に起きませんよ。……致死量以上の毒を飲んだんだからね」
「……これで私、あなたと一緒に暮らせるのね」
「もちろん。……愛してるよ」
「私も」


夢見はいかが

夢見はいかが

AIなんてない頃からパスティーシュなんて出来るんだよ、ほらよ。読んでみろって。

  • 小説
  • 掌編
  • SF
  • 成人向け
  • 強い言語・思想的表現
更新日
登録日
2025-08-09

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