「……3DGPS作動。感度良好。目標情報……修正。捕獲手順更新終了。最短距離……算出完了」 彼女は先ほどから独り言のように何事か呟いている。 「友紀子、聞いてる? 今日こそは絶対に一人で飛び出さないでよ!」 彼女の視界を覆う大きめのゴーグルに、彼女のクラスメイトからの通信が入る。 しかし、彼女の意識はゴーグルの映し出す三次元の映像に奪われていて、応答する気配はなかった。 「ちょっと! 友紀子! あぁ、もうどうなっても知らないわよ!」 一方的に通信が切断されると、辺りが急に静かになる。 空の彼方を泳ぐ月海鯨が発した、重低音の鳴き声が遠く響いている。 「演習ナンバー三一○六……カウント三、二、一、開始」 ゴーグルから機械的な音声が発せられ、その直後に彼女は緑月の空に向かい跳んでいた。
百年以上昔のある日突然、月は緑の月になった。 大気ができ雨が降り、海ができるまで一年もかからなかったという。 その後の調査により人が住めることがわかると、自分たちの星の資源を食い潰していた地球人たちはこぞって月へと移住した。 私の家族もそんな移住民の子孫だ。 祖先に宇宙飛行士がいたぐらいだから、地球にはそれほど未練がなかったのかもしれない。 そうして私は今、緑月に住んでいる。 この大地がどうやって生まれたのか。 それは百年以上経った今でもまだわかっていない。 しかし、それは私には全く関係のない話だった。緑月で幸せな生活を送っていた私には。 そう、少なくとも昨日までの私には――。
「――空気中の水分を捕捉。コアを中心とした指定空間への固定、あと二秒です!」 相手のサポーターが宣言した直後、ゾクッとした悪寒がする。 「清純、そこ離れるヨ!」 無表情の蓮花が鋭い声を上げると共に、空中に向けて十数枚の味見皿を投げつける。 清純がバックステップをとってその場から離れるのと、空中の味見皿が全て粉々に砕け散るのは同時だった。 辺りには砕けて舞い散る味見皿と氷柱の欠片。地面には無数の黒い玉が転がっていた。 「……防弾にもなるポリカーボネートの皿を砕くなんて、とんだふざけたトゲトゲ鉄球ネ」 感情を顔に表さない蓮花が、眉一つ動かさず悪態をつく。
――俺は夢を見ているのだろうか。 目の前では、小柄でショートヘアのメイドが優雅な仕草でコーヒーを入れている。 「さ、どうぞお召し上がりください」 微笑みを投げかけるメイド服姿は、まるで店内に咲く一輪の花のようだった。 ――しかし、こいつは……。 「どうかされましたか、ご主人様?」 微笑を絶やさない従者喫茶の店員が問いかける。 いや、だってさぁ。 「お前……男、だよね!?」
「そこのお前、叶えてほしい願いはあるか?」 ある日、私の前に現れた魔神が言った。 私は言った。 「あるわ。でもあなたにそれができるかしら?」 魔神はその言葉に機嫌を損ねた。 「ああ、できるとも! 今のわしにはどんな願いも叶える魔力があるからな!」
「おいイオータ、そっちはどうだ?」 長身の少年が眠たそうに声をかける。 「全然ダメ。さっきから『偃月刀』という物を復元してるんだけどハズレみたい。エータは?」 「俺も駄目だ。色が綺麗だったから『コウイカ』とかいう物を復元してみたけどブヨブヨして使い物にならないよ」 そう言うとエータと呼ばれた少年は瑠璃色に光るイカの墨袋を地面に放り捨てた。
「隣の星に囲いが出来たんやと!」 「……そうか、それは立派な囲いなのだろうな」 「そうなんよー、って! そこはへぇ~って言わなアカンとこやろ!」 途端に頭をはたかれる。 「……痛いぞ」 「当たり前や! 漫才コンビがボケとツッコミせんで何するねん!」 「……何をするんだ?」 「ま・ん・ざ・い・じゃボケー!」
ヨウコは美しい女性だった。一目で恋に落ちた。 彼女のために何でもやった。彼女が微笑むだけで幸せだった。 ヨウコのロッジで過ごした日々は虹色に輝いていた。 けれど、私は彼女を裏切ってしまった。 七色に輝く世界から私は逃げ出したのだ。
「お嬢様はアホでいらっしゃいますか?」 小説の一文。私はそれを読み凍りついた。なんて執事だ。主人に堂々と暴言を吐くなんて。 同時に私は憧れた。そんな本音をぶつけ合えるような関係に。
――深夜の学校。その二階の廊下で、月明かりに照らされた二人の男子生徒が対峙していた。 武骨な男子生徒はラバースーツに学ランを羽織った姿。はたから見ると救命具を付けたダイバーのように見えなくもない。 一方、対峙する痩身の男子生徒はフード付きのレインポンチョを被っている。こちらはまるでてるてる坊主のようだ。 頑強な似非ダイバーが顎に手をやりつつ話しかける。 「今回の戦い、負けるわけにはいかんのよ」 彼の周りで無数に漂っている赤い物体。その一つ一つが静電気のような火花を散らしていた。 「おや、奇遇だね。僕も今回はおいそれと勝ちを譲ることはできないんだ」 虚弱そうなてるてる坊主も背筋を伸ばし負けじと言い返す。 彼の後方2メートル、その床にひしめく赤茶色の騎馬隊人形が剣を一斉に掲げる。