愚生

これは私の隠すべき思いであります。それならば、隠しておくべきかも知れません。でも、人というものは何かに残しておきたいという欲のある生き物であると考えて居るから遺してみようと思った所存であります。面白味も特異性も何も持っては居らぬが、いつか誰かの役に立っていれば善いと思いました。

私が空を見上げた時、そこに見えたのは平生と変わらず青い空でした。この退屈で孤独な毎日をたゞ生きて居りました。それがある日、彼女に会ってからその日常は変わってしまいました。それはいつもであれば嬉しいことでありますが、私には一種の喪失感というのでしょうか訳の分からない塊が同時に生まれたのでした。彼女は私には興味が無いかのようにそこに居りました。私はそんな彼女に燃え盛る炎のように興味が湧いておりました。人と関係を持つことはとても大変なことでありますが関係を持たなければ己を知ることはできないのです。これほど厄介で面倒なことは世の中にはありません。ですが、面倒なことほど贅沢なこともありません。彼女と関係を深めていくうちに私のこころにはある感情が芽生えました。この感情は今になってもよくわかりませんでした。そして、私の中の訳の分からない塊も静かに成長していました。私はそれらを見て見ぬふりして生きていました。

「恋」という言葉は、私の生まれるずっと前から存在していたらしいです。私もその言葉の意味は知っています。でも、それが何なのかは未だにわからないまゝです。なんなら、それについて考えることは不毛だと思い、考えることすらしませんでした。それが今の結果と云うなら仕方がないと云う他にありません。
もし、恋が目に見えていたなら、私のような風流を知り得ぬ人でも考えていたかも知れません。人というのは「思い」があって「思い」を計ることができるようです。当時の私にはよく分からないと思っていましたが「恋」を知っていれば分かっていたような不要な妄想はもう、やめておくべきでしょう。

人は「愛」を欲する生き物であります。「恋」を知らぬ私でもそれはよくわかります。しかし、何を持ってして「愛」なのか、何処からが「愛」でどこまでが、「愛」ではないのかそれを知ることは無かったです。やはり、目に見えぬものは解し難いと思います。

彼女はこれらを知っていたのでしょうか。私以外の人間は理解していたのでしょうか。どこで学んだのでしょうか。私のことを「優秀だ」、「天才だ」と揶揄した奴らは知っていたのか。今となっては知る術はありませんが、できるのであれば知りたい。この先の短い私の永き欲望の終着点であります。

「人はどんな人であれ知を求めるものである」という考えは私が遥か昔から信じていることのひとつであります。老い先が短い今となってもやはり、正しいと感じます。未だ、自身を信じれなかった私を初めて信じた瞬間でありました。

己を信じれる者のみが「愛」やら「恋」やらを知れるのであるのでしょうか。今の私には知ることができるのであろうか。私は今、此の瞬間であっても彼女のことは忘れては居りません。初めて会った時と同じ気持ちであります。私が、彼女の思いを殺したのは私に「愛」や「恋」という言葉しか知らなかったからなのであろう。I love you やI miss you などという言葉は私には軽く感じてしまう。もっと思いを重く正しく伝える言葉を探していたら今はこんなことを書かなくて良かったかも知れません。私は、彼女を見失ってしまった。私は、変わらぬを願う変われぬ者でありました。言葉と行動は等価値であり、時間はすべて等価値と思っていました。それは、間違いであった。口先だけでは、人は救えません。今の私には、彼女と共に過ごした時が何よりも価値がある。だが、何もかもがもう遅い。大切なものを何一つ知らず、何一つ守れず、己を変えられぬ凡夫は此の瞬間まで生きながらえてしまった。訳のわからぬ塊を見て見ぬふりをし続けた結果、手をつけられなくなるほど大きく成長していました。無抵抗に侵食されるだけのこの身をもう、捨ててしまいたい。もし、この駄文を読む人が居たならこの命を貴方自身に埋めてください。容赦なく噛み砕き、咀嚼し、呑み込み消化してしまってください。思いを失くし考えることを止めた私の身体はもはや肉のかたまりでしかないのです。私の書き残しを肥料とし新たな生命を貴方の躰の中で生んでください。そうなれば、私の愚かな人生は報われるでしょう。あゝ、ここまで来てやっと分かった。私は「恋」をすでに知っていたのだろう。彼女は今何をしているのだろう。笑っているだろうか、泣いているだろうか。彼女の頭の中に私という存在はまだいるのであろうか。今でも、私は彼女のためであるなら全てを捧げられるだろう。あゝ、残念だ。こんな愚かな人生だが、長々と生きながらえても「愛」とは分からぬものですね。

愚生

愚生

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-12-10

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