百合の君(85)
「出海浪親が嫡子を真津太の太守に任じたそうです」
木怒山の報告を聞いて、義郎は「そうか」とだけ短く答えた。この時、「しばらくは我が子と戦わずに済む」という考えが義郎の脳裏をよぎったが、その弱気を彼は恥じた。向生館で師範をしていた木怒山を始め他の門下生から彼が学んだのは、剣術よりもむしろ人の世での生き方だった。
親もなく山で育ち、読み書きどころかろくに言葉も知らなかった彼が人の社会で他人と対等以上に付き合おうとすれば、その力で従わせるしかない。そして、その生き方で彼は将軍と呼ばれるまでになった。
「真津太も切り取ればいいだけのことだ」
そう言う自分を彼は気に入っていたが、木怒山は当然のように続けた。
「出海を滅ぼした後、珊瑚殿を喜林に再び迎え入れるおつもりは、ございませんか」
そう聞く木怒山の腹は分かっていた。義郎と蝶姫の間には子がいない。そのまま義郎に子ができなければ、義郎亡き後は先代の弟である木怒山が喜林を継ぐことになる。しかしそれは、ずっと先のことだ。実現したとしても、義郎より十五歳以上も年上の木怒山由友が死んだ後であろうから、実際に継ぐのは木怒山の子だ。
それが親心というものだろうか、と義郎は思った。義郎は自分が死んだ後のことなど考えられない。所詮私は珊瑚の種ではあっても、親ではないということだろう。とりあえずそう結論付けた。
「前にも言ったが、それは珊瑚が決めることだ。私は喜林の跡取りが誰であろうと構わぬ」
そして珊瑚を失った荒和二年十二月の夜を思い出した。あの時から、珊瑚は私の手から離れている。そして一度は取り戻した穂乃も、心を出海に奪われたままだった。私には、目の前の敵を倒し、この力を示す他ない。
「それに私が敗けて討ち死にするなどあり得ぬからな」
あの武道大会で崩れた時と同じように頭を下げる木怒山を見て、義郎はやっと安心し、満足した。
「鳥は巣から落ちた雛は助けぬ。それはお前とて同じだ。日の本じゅうを灰にしてでも、あの野盗の首をあげよ」
そう言った途端、気持ちが晴れた。そうだ、出海浪親。あやつさえいなければ、こんなことにはならなかった。
義郎はわきに置いた國切丸を手に取った。そして、八年前初めて、いや二度目に浪親と会った夜を思い出した。もうあの時のように憎しみを押し殺す必要はない。この刀の届くところまで、浪親の首は近づいている。
百合の君(85)