掌編集 52
511 今日は生徒会長
「さあ、婦人会始めるわよ〜」
ユニットのボス、スイセンさんの演説が始まった。
まだ60代の認知のないツバキさんは呆れ顔で居室に戻る。半身麻痺になり施設入居を余儀なくされたが、どう思っているのだろう?
もうすぐ90歳のスイセンさんの声は大きく通る。話し始めれば30分でも話し続ける。
周りの数人はまるっきり無関心。言葉ひとつ発さない。
カツラさんは、
「あの、ごはんまだですか?」
スイセンさんは、テーブルを叩く。
「あなたねえ……」
この前は社長とやらの悪口を延々と喋っていた。相手をすると何もできない。仕事が終わらない。
その前は彼氏に会いに行くと、エレベーターの前で待っていた。
大変な方だ。
ツバキさんが新しく入居した方と見栄比べ。海外はほとんど行った、アラスカも行った……
認知はないが虚言癖か妄想癖か?
息子に家も車も買ってやった。そのひとり息子は医者で……
ツバキさんの預入金はゼロの時がよくある。化粧品やおやつ等は職員が買いに行く。
この方に、お金がないとは言いにくい。
スイセンさんが若くなった。
「さあ、生徒会始めるわよ〜」
呆れ顔のツバキさん。
「わたくし、生徒会長でしたのよ。中学も、高校も」
【お題】 今日の生徒会長
512 使用歴40年の余裕
美容師さんに聞いた話。
顔も姿もおばあさん。
80歳を過ぎたお客様の手が驚くほどきれいで、どういうお手入れをしているのか聞いたところ、
「な〜んにもしてないわよ。ニベ⚪︎を40年間使っているだけ」
ニベ⚪︎ってベタベタしてて敬遠していた。
ベタベタがなくなるまで塗り込むからいいのかな? なんて思い、早速買ってきたばあさん。
その日から塗りたくり、夜中も塗りたくり、はやひと月。
どうかしらん?
40年続ける余裕はない。
【お題】 大人の余裕
513 神のまにまに
もみじ谷に行ってきた。
紅葉したもみじ。真っ赤な景色。
「紅葉の錦 神のまにまに」
なぜか覚えている下の句だけ。
このたびは
幣もとりあへえず
手向山
もみぢのにしき
かみのまにまに
作者:菅家(845年~903年)(菅原道真)
出典:古今和歌集 羇旅
現代語訳
この旅は急のことで、幣を携えてくることができませんでした。 手向山の神様よ。この美しい紅葉を捧げるので、 御心のままにお受け取りください。
神のまにまに 仰せのままに〜
「まにまに」と「ままに」は同じ意味で、「〜に任せる」「〜の言う通りにする」という意味。
「神のまにまに、仰せのままに」は
「神様の決められた通りに、言われる通りに従います」という意味。
おまけ。
「ままよ」
成り行きに任せること。
幸子の幸は何処にある
男一郎ままよとて
【お題】 仰せのままに
514 悩ましき日々
ない、ない、ない。
お金がない。
老後の資金がない。
余裕がないからいつまでも働かねばならない。
先のことを考える。
ああ、もっと貯めておけばよかった。
だからって、旅行できるのあと何年?
歳取れば食べられなくなるでしょ?
楽しめるのはあと少し。
だったら?
ああ、お金がまた減った。
まだまだ減るわ。七五三にクリスマス。
車検に温水器も買い替え時期に。
ああ、背中が寒くなる。
でも、あれだけはやりたいの。
白内障になったら近眼も老眼も一緒に治しちゃうの。もう、メガネいらない。なんて素敵な老後。
でも、治療費高額らしい。
補聴器も高いし入れ歯も高い。買わなくてすみますように。
ああ、もっと貯めておけば余裕のある老後だったのに。
老後のことを老後に考えてる日々。
悩ましい日々。
本来の「悩ましい」の意味は、「官能が刺激されて心が乱れる思い、様子である」
刺激よりも余裕がほしい。
【お題】 大人の余裕
515 否定しないで
認知症の方に対して、否定的な言葉や態度を示すことは避けましょう。
「それは違うよ」
「それはできないでしょう」
などの否定的な表現は、自尊心を傷つける原因となります。
(おうち病院)
わかってはいるけど、すごい入居者もいる。
今日は思い切り顔に出してしまった。
帰ってきて反省。
認知症相手に意味のない……
でも、すごい奴。
身内なら怒鳴って手が出てる。
今までも、職員とのトラブルが何度かあった。
あなたが原因で辞めていった職員もいた。
大袈裟に土下座した職員もいた。
この職員も辞めた。離職率はかなり高い。
そんな施設に、早10年。
ああ、ムカつく。
人間だと思うからムカつくのなら、豚がブヒブヒ唸っていると思うことにする。
否定しないで、仰せのままに……
でも、ムカつく。ムカつく。
眠れないくらい。
もう、施設の理念もなんのその、
尊厳?
私の尊厳はどうしてくれる?
周辺業務は最低賃金。
介護士さんはもっと大変。
暴言、暴力。
そんなあなたに介護保険と税金から毎月何万円?
介護度4だから27万円。
年間で320万円。10年で3200万円。
あと、何年かしら? 税金からあといくら?
こんなことが続くわけない。
そこまできている介護破綻。
もう施設に入れるのはお金のある人だけ。
だって、介護する人もいなくなるから。
【お題】 仰せのままに
516 妄想癖
ひとり暮らしの私はかなり認知が進んでいて、隣から苦情があったらしい。
部屋は汚物と虫で凄まじかったようだ。
この頃の私は栄養失調と病気のため灰色がかった肌色をし、こけた顔にぎょろりと大きくなった目、体中に覆う黒や青や黄色のミミズ腫れ、無数の傷跡があり、爪は異常に伸びきっていて、もはや、一人では歩けなかった。
ひとり暮らしの私は施設に収容された。
入浴し着替えさせられた。医師の診察を受けた。
妄想がすごかったらしく、自分をルイ17世だと言い張り呆れさせた。
鏡に自分の顔を写した。
人種が違う。国が違う。性別も違う。
顔もぜんぜん違う。
日に日に私は回復し押し車で歩けるようになった。体重も増え、肌も髪も健康になった。
薬のせいか、頭には靄がかかっている。
もう、自分が誰なのかもわからない。
なぜ、ここにいるのかわからない。
もう、バカなことは言わない。妄想癖は治った……
皆が言う。
「家に帰りたい」
家?
「あなたはどこに住んでたの?」
私の家は?
「宮殿に住んでた」
「はい、はい、女王様」
帰りたくない。
あんな、光も入らない不潔な部屋には。
私は入れ替わったのだ。この国のひとり暮らしのお年寄りに。
可哀想なその女性は、知らない国の過去の時代に死んでいったのだろうか?
それともやはり妄想なのか?
僕はわずか10歳で死んだフランス国王ルイ17世。
悲劇の王妃マリー・アントワネットの2番目の息子だ。
【お題】 ⚪︎⚪︎を克服したきっかけ
掌編集 52