地蔵の微笑み

 今住む街に引っ越してきてからかれこれ10年ほどになる。踏切を渡ったすぐ脇に、古びた地蔵が5、6体仲良く並んでいる。そこを通る度にチラチラと地蔵に視線を送っていたが、この10年、立ち止まってじっくり眺めることはなかった。

 どこの誰だか知らないが、どこの地蔵も決まって赤の毛糸で編んだ帽子やよだれ掛けを着せられて、大切に扱われている姿を見ると、その人情に胸が熱くなったりする。

 病院へ行く途中、バスの車窓から一体の地蔵が目に留まった。思わずあっと声を上げそうになったがバスを降りるわけにもいかず、信号が赤から青に変わるまでのわずかな時間、じろじろ見ているだけだった。その地蔵も、左右の花活けに季節の花が供えられていた。この地蔵もこの町の人々に愛されているのだと思った。

 この地蔵を見て、私は和が町の地蔵を思い出した。踏切のすぐ脇に仲良く並んでいるあの地蔵である。きっとその昔、不幸な列車事故でもあって犠牲になった身内の人間が御霊を慰めるために、金を募って建てたのだろうと思っていた。

 ある日、私は地蔵の前で足を止めた。地蔵が建っている台をじっくり眺めると、文字が掘られてあった。そこに彫られていた文字は長い歳月の間、風雨に晒されて殆んど読み取れなかった。辛うじて○○童子や○○童女といった子供の名前らしきものが確認できただけだった。

 いつの時代もそうだろうが、幼くして大切な我が子を亡くした親の悲しみは死ぬまで癒えることはない。その親も死んでしまえば、何のために誰のために建立された地蔵だかさえ、いずれは分からなくなってしまう。言い伝えでさえ伝える人間がいなくなってしまえばそれまでである。

 人はいなくなるが地蔵は残る。なぜここに佇んでいるのか今では知らない人々に、静かにやさしく穏やかに微笑みながら、やがては朽ち果てていく運命にあることを地蔵は悟っているようである。
 地蔵が朽ち果ててしまう頃には、きっと犠牲になった幼子たちの御霊は成仏し、この世に再び生まれ変わっていることだろう。

 もしかすると、赤い毛糸の帽子や前掛けは、生まれ変わって年を取った幼子たちが、そうとは知らずせっせと編んで地蔵に被せてやっているのかもしれない。余りに唐突な発想で自分でもバカげていると呆れるが、そう思うとなぜ地蔵の顔がいつまでも穏やかなのか、私は容易く理解できるのである。

地蔵の微笑み

2025年10月10日 書き下ろし
2025年10月15日 掲載

地蔵の微笑み

ただの石ころが人の手によって形になる。その石ころに人の魂は宿るのだろうか。それともその石ころが人の魂を鎮めるのだろうか。 時折、町で見かける地蔵を見て思ったこと。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-10-15

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