詩
会話
人の話を聞くのが苦手です
聞いて理解するのは疲れます
ずっと自分の中で話をしている方が楽だ
人の話が自分の中に入ってくると混乱します
話し言葉と書き言葉は別世界に属している
交錯することのない世界からそれぞれやってきた
人との会話が誰よりも苦手だから
会話に大きな可能性を見出そうとする
会話が何か現実世界から隔絶したものだと思っているようだ
会話は現れて消えていく
彼方へと消えていく
紫陽花
雨上がりの昼下がり
鮮やかな光沢を備えた紫陽花たち
葉先から思わせぶりな涙を流してみせる
さすがにやりすぎだろうと思った
男は紫陽花に対して素っ気ない態度を取ってみせた
そうしてベンチの隣の彼に少し顔を寄せた
二人とも欲情している
向こうから洒落た女が歩いてくる
怪訝そうな表情を浴びせて通り過ぎていく
紫陽花たちは恨めしそうに彼らを眺めている
自分より美しいものは許せないと言わんばかりに
秋
虫が鳴き始めている
夕方の並木道は気分がいい
犬を散歩している主婦とすれ違う
ベンチに腰掛ける老夫婦
涼しくなると寂しくなる
あの生気と熱気はどこにいったのだろう
これから訪れる厳しい季節を知らせるように
切ない調べが生い茂った草むらで鳴り響く
周辺は緑で満たされている
この色が数か月で一掃されるとは信じがたい
道を歩いた先には橋がある
橋の上から見える住宅街
その向こうに夕焼け
秋の夕日は他の季節とは違うように思えた
工場
日々を真面目に地味に生きている
朝に出勤して適当に挨拶
始業前のラジオ体操
作業中の事故はないように気を付ける
冴えない人たちが懸命に働いている
上司のおじさんはうだつがあがらなさそうな人だ
みんなに気配りしようとしてなんだか空回りしている
それでいて自分の持ち場に責任を持とうとしている
機械の流れに従って人々は動いていく
情けなさそうに見えて真剣に働いていた人たち
家庭と職場でがんじがらめになって自由のない人たち
働きはじめてからビールのおいしさがわかった
あんなに働きたくなかった工場が今では懐かしい
もう身体を悪くしてしまったのであそこには戻れない
情念
情念しか知らない
歪んだ情念がずっと私を支配してきた
情念が私を活動的にさせた
情念がないと私は何もできなかった
世界はいつも歪んで溶け合っていた
世界と自己の境界は曖昧でいつも混濁していた
言いようのないつらさはいつもあった
それがなんなのかよくわからなかった
情念はもう枯渇してきているというのに
言葉にできないもどかしさは今もある
情念が行動を促し行動を阻害する
一方で理性も旺盛だった
思えば理性から解放されることはなかった
常に理性がでしゃばるので自由ではなかった
理性という監獄の服役囚だった
言葉
言葉はどう変わっていくのだろう
人と言葉の関係はどうなっていくのだろう
言葉が今のままでい続けることができないとしたら
時間の在り方も変わってくるのだろうか
一直線だという時間の概念が変わるのだろうか
言葉の在り方と時間の在り方が変遷していく
しかし変遷という表現がもう時間に囚われている
空間は外的で時間は内的な現象らしい
時間の方が私たちの内側と呼応している
言葉の世界に充足して思考するか
言葉の世界から逸脱して思考するのか
怠惰の方へ
そろそろ書くことがなくなってきた
人生は低迷気味
本当に何もなくなっていく感じがする
このまま消滅していくのだろうか
がんばろうとする意欲がもうない
自分の中にある生来の怠惰さと格闘してきた
昔は自己を偽ろうとして無理をするだけの気概があった
もうさすがにそういうものがない
疲れたのでゆっくりしたい
自分はもうだめなのかもしれない
人生は閉塞していくのに心は落ち着いていく
それでも負の情念はまだ解消されていない
だからまだ言葉を探し求めている
心の中のごみ掃除には終わりがない
死にたい
死にたいという陳腐な言葉
歩いているときにふと口にしてしまう
ときどき大きな声で言ってしまうこともある
死にたいはよく口にする言葉
死にたいはなじみのある言葉
ずっと死にたいと一緒にやってきた
死にたいと歩調をあわせてやってきた
死にたいとは二人三脚だった
死にたいはいつでもそばにいてくれた
死にたいは私を突き放し寄り添ってきた
死にたいと多くの苦難を共にした
これからも死にたいと共に歩んでいく
憎しみ
結局自分を動かしているのは憎しみ
憎しみが深い底からやってくる
そうして全身に行きわたる
何か行動を起こそうという気になる
こういうやり方しか知らない
自分でそう思い込んでいるだけかもしれないが
その捉え方が一番腑に落ちるからしかたがない
自分の過去を憎んでいるのだろうか
だが憎しみがなくなってしまうと
何もできなくなりそうだ
だから憎しみを大事にしているのかもしれない
これではいけない
いい加減今のあり方から脱却しよう
でも脱却してどうしたいの
憎しみが自分の核なのだから
今さらどうしようもないのではないか
詩的感受性
詩的感受性みたいなものはない
いつでも散文的に考えている
批評的で理屈っぽい思考がかけめぐる
世界をそのまま受容する詩の精神
そういうものが自分にはない
常に細分化して吟味してやろうとしている
受動性が欠如している
賢しらな能動性は旺盛なのだ
疑うという行為自体が数理と相性がいいのだろうか
疑うためには冷めた自分を用意しておかないといけない
詩