隣の練習場は青く見える
図書館に行ったけれど休館日だった。かといってうまく帰れそうにもなかったので、とにかくまっすぐ進んでみることにした。図書館を横目に進むと短い階段に出くわす。
階段を上った先が空の場合はそちらに進むようにしている。いちばん好きな階段のシチュエーション。空に続く階段を上ったら大抵川が見えるけれど、今日は川じゃなかった。そこには広漠とした芝たち。芝の中にラグビーのゴールポストがあって、初めてそこがラグビーの練習場だと認識する。ゴールポストがあるだけでそこは何かの練習場になってしまうのか。家のリビングにゴールポストを置いてみたらそれは何の練習場になるんだろうね。
進む。広い練習場には人の姿がぽつぽつ。犬の姿もぽつぽつぽつ。ベビーカーに収まる子供の写真を撮る母親を眺める自分。私もベビーカーに収まって写真を撮られている時期があったのかな。自転車に乗る男女。前をゆく男の子が、ちゃんと着いてこれてる?と何度も振り向き後を追う女の子の姿を確認しているようだった。たいせつにする/されるを体現するとこんなかんじなのかも。
進む。植っている木がセロリに見える。今日会った友人がセロリにはピーナッツバターをつけて食べるよね?と尋ねてきたせいだ。絶対につけないよ。じゃありんごにピーナッツバターは?つけるわけがないよ!と食い気味に返したら、試したこともないのにそこまでボロクソに言うのは違うよ。たいして知ってもいない人の悪口を言ってるようなものだと叱られた。そうだよね。何に対しても知った気でいる顔をしているけれど私は何も知らないし知る気がないこともバレている。それじゃあ遅めの誕生日プレゼントはセロリとりんごとピーナッツバターを綺麗に包んで贈るよと言われたので、ちゃんと各々と向き合いよく噛んでわかろうとしてみることにする。それらをしっかり飲み込んで、正しく悪口を吐き出してやる。そういう誠実さ。セロリとりんごとピーナッツバターはいつだって誠実でいてくれる。相手に誠実でいることは自分にも誠実であることに繋がる予感がする。
進む。セロリの木を通り過ぎると川が見えてきた。道路と道路の隙間にあたる位置に座ると、一本の空の筋が伸びる。光にも見える。光の端を探して見つめる。光の端にあなたがいたとするなら私とあなたは遠い距離で見つめ合っていることになる。同時に、私は普段からこれぐらいの距離で人を見つめておくべきだと思う。優しくいられないならそれなりの距離の取り方がある。他人にも自分にも甘いゆえに、目の前にただ在るだけの手を自分から握ってしまうから、手を握ることができないようになるべく遠くにいたい。近すぎると全て見透かされて、浅はかであることに気づかれてしまったらみんな離れていく。みんななんていない。離れないでいてほしい人なんて本当はあなたしかいないんだよ。近すぎると離れないといけなくなるから、それなら最初からある程度離れていた方がいいんじゃないの?どうなの?じゃあ離れてみようかなんてやっぱり思えないし言わない。そのままでもいいのかな?いいよ。いいよって言うなら責任はしっかり自分で取ってね。そういう誠実さ。私たちには私たちなりの距離がきっとあるから、次会うときはメジャーとゴールポストを持って新宿御苑に集合ね。
隣の練習場は青く見える