特別
わたしがまだ高校生だった頃、体が丈夫でなかったために、学校を休みがちでした。入学式も、式の途中でめまいがしてきたので、人目を浴びながら、そろそろと体育館を出て行かなければいけないほどでした。あの時、パイプ椅子にぐったりと座っているわたしを見て、大丈夫か、と声をかけてくれて、校長先生がゆったりとした威厳ある風格で話している中、担任の先生をさりげなく呼び寄せてくれたのが、隣に座っていた白鷺君でした。めまいがしていたからだろう、と言われるかもしれませんが、その時のわたしは、白鷺君にときめいて、恋のようなものに落ちたと感じたのでした。当時、恋と言い切れなかったのは、わたしには友達が少なくて、これが友愛なのか恋愛なのか判断がつかなかったからでした。恋愛と認めれば、この上なくすばらしい友達は、わたしから見れば友達でなくなってしまう。大切な友達を失うことは、わたしの人生の財産を失うことのように思われたのでした。
わたしは入学式を序盤に撤退したので、自らの目で見たわけではないのですが、白鷺君は新入生代表の式辞をやっていたそうです。つまり、首席入学をした、優秀な生徒でした。ですが、人づきあいはあまり得意ではなかったようです。同じクラスの新入生は皆、浮ついた、ぎこちない感じでしたが、一週間もすれば打ち解けていました。孤高の空気を纏った白鷺君と、不健康で人見知りのわたしだけが、ずっと春のぬるい水面にはじかれて浮いていました。
わたしと白鷺君の席は前後でした。英語のペアワークで、左右の人ではなくて、前後の人と組むことになった時、わたしは少し安心しました。白鷺君の英語はとても流暢でした。わたしは言葉に詰まりながら、ぎこちなく文を繋いでいくばかりでしたが、白鷺君は真剣に聞いてくれたのでした。ある時、前後一組で、お互いに五つずつ質問しあいなさい、という課題がありました。お互いの好きなものなどを質問しあった後、白鷺君がふいに、その本は何、と、わたしの机上にあった文庫本を指さしました。「これはイギリスの小説で、さっき読み終わったところ」「面白かった?」「とても面白かったし、あなたも読みますか」と、本を差し出すと、白鷺君はちょっと驚いて、微笑みました。ページを少しぱらぱらとめくった後、借りておきます、と白鷺君は言いました。その時、制限時間終了を知らせるタイマーがぴぴぴと鳴って、白鷺君は前向きに座りなおしました。白鷺君の背中を見て、わたしはとても満ち足りていたのでした。
白鷺君はオーケストラ部に入っていました。それも、英語のペアワークで知りました。彼は小さい頃からヴァイオリンを習っていたようで、部活の担当パートは、ファーストヴァイオリンでした。勉学にも芸術にも、白鷺君は熱心でした。休み時間には、参考書を読んでいるか、音楽室へヴァイオリンの自主練習をしに行くかの、どちらかでした。
わたしはというと、出席率も相まって、学校の成績はあまりよくありませんでしたが、ピアノには親しんでおりました。部活には入っていませんでしたが、ピアノ同好会という、学期末の早帰りの日にピアノリサイタルを行う団体に所属していました。期末考査が七月に迫っていた六月の昼休みだったでしょうか、わたしはピアノリサイタルに向けて、音楽室の中にある小部屋のグランドピアノを借りて練習していました。防音の壁でしたが、換気のために窓を開けていたので、隣の音楽室から弦楽器の音色が聞こえていました。オーケストラ部の有志が、自主練しているにちがいありませんでした。午後の授業の予鈴が鳴ったので、わたしはピアノを片づけて、小部屋を出ました。案の定、弦楽器を片付けている生徒が数人いました。早い人はケースを背負って音楽室を出ていくところでしたが、窓際に、喋っている二人組が立っていました。白鷺君と、知らない女子生徒でした。彼女の上履きの色は青色で、上級生だとわかりました。白鷺君は、女の子と笑いながら話していて……それがわたしには衝撃だったのです。抱えていたピアノの楽譜を落としそうになりました。白鷺君とわたしは席が前後というだけの関係で、たまに本を貸し借りしてお喋りするだけで、何も近くない。何も白鷺君のことを知らない。わたしはそのことを突きつけられました。無知を思い知らされた人間はどうなるでしょう。わたしの場合には、なんとしてでもそれを埋め合わせなければならないという、脅迫にも似た欲望がわきあがってきたのでした。
もっと白鷺君のことを知りたいなら、もっと一緒にいる機会を増やすべきだと考えました。わたしは白鷺君に勉強を教えてほしいと頼みました。彼は断る時ははっきりと断る質でしたから、わたしもきっぱりと断られるかと思いましたし、そうであってほしいとも思いました。断られれば、この最初の一手さえ崩れてしまえば、わたしは諦め、思いとどまることができたでしょう。しかし、誘った日の放課後、白鷺君とわたしは図書館で一緒に勉強することになりました。
わたしたちの学校は、校舎の中に図書室があるわけではなくて、学校の敷地内を横断しながら裏門と正門を結ぶ道を渡らないと行けない別棟が、図書館として機能していました。渡り廊下があるわけでもなく、外靴に履き替えて行く必要があって不便な上、どこもかしこもぼろぼろで、なぜ今まで倒壊を免れてきたのか首をひねらずにいられない場所でした。そのような次第で、考査前というのに、勉強している生徒は手で数えられるほどしかいませんでした。司書の先生ですら、奥の事務室にこもりきりで、図書室内にはいませんでした。
閲覧室内は私語厳禁でしたが、隣の部屋の食事スペースでは話しても良いことになっていて、わたしたちはそこでノートを広げました。わたしが休んでしまった歴史の授業のノートを見せてもらいつつ、文言の意味がわからなければ、教えてもらいました。ああ、これは、遊牧民が、と、ささやく白鷺君の喉仏と、明朝体の濃い墨溜まりをさす人差し指を、わたしは同時に、ぼんやりと、しかし集中して、見ていました。いつもはここにヴァイオリンのくびれが、弓が、触れている。どう、わかった、と、説明し終えた白鷺君が首をかしげて、わたしの目は彼の揺れた前髪に引き付けられました。その下に、光も濁りもない瞳がありました。入学式の体育館で、英語の授業の教室で、何度もなんども見た、静かな目でした。それなのに、勝手に耳が赤くなるような気がしました。わかった、ありがとう、とわたしは返事をしました。
図書館が閉まってしまうので、十八時になると荷物をまとめて退出しました。帰り道は一緒でした。夏至が近くて、空の端のあたりがほんのり赤らんでいるだけで、まだ暗くはありませんでした。手持ちタイプの通学鞄が、歴史の教科書のせいでずっしりしていました。白鷺君は背が高くて、並んで立つと、近いところにいるのにずっと遠くにいるような気がしました。ふたりで歩くのはそれが初めてでした。どちらかが質問をして、答えて、そこから話を広げて、というのが数ターン続きました。英語の授業みたいでした。ちょっとした二、三秒間の無言の後、教えるのがうまくてわかりやすかったけど、他の人にもよく教えるの、と、わたしは尋ねました。いや、という言葉が、頭上から降ってきました。何かフレーズが続きそうな言い方でした。その間に、ふたりは三度アスファルトを踏みしめました。道の向こうのハトが、畳んだ翼を二度膨らませました。会話が途切れたのか、判断に迷うくらいの、短くて長い間でした。
「桜井は、特別だから」
たしかにはっきりと、白鷺君の声が聞こえて、わたしは彼を見上げました。白鷺君は、下の方を向いていて、睫毛がやや伏せられていました。いつもの冷たい表情。しかしそこにも機微があるはず、とわたしは信じていましたから、じっと、白鷺君の目尻を見つめました。けれども、どういう表情なのか、わかりませんでした。
足元がふわっとしたかと思うと、わたしの視界が揺れました。久しぶりのめまいでした。倒れ込むかと思いましたが、背中にしっかりとした支えの感触がありました。白鷺君の左腕でした。わたしの二の腕の長袖シャツのしわに、やわらかく白鷺君の爪が突き刺さっていました。そうでした、わたしは特別なのでした。特別、体が弱く、特別、授業を休みがちで、特別、たびたびめまいに襲われるのでした。白鷺君の腕の中で、気が遠くなる、わたしはそういう特別な女の子だったのです。
特別