
恋した瞬間、世界が終わる 第90話「別々の運命を被るとき」
そしてまた、別なメッセージが届いたーー
助手席のリリアナがノートパソコンに送られてくる彼らからのファイルを読み上げ、私がその内容の指示通りに運転をする。
私たちは、もう迷うことのないタンゴをする為に、そのメッセージに従い、現在地を彼らに正確に把握されたまま、目的地へのルートを計画的に誘導されることに仕方がなく委(ゆだ)ねることにした。
「ハポン……トイレ休憩の時間はあると思う?」
私とリリアナは先ほど飲み終えたコーヒーの利尿作用に恐れ慄いてしまっていた
「時間の指定はあるけど……時速何キロでとは書かれていないわ。こんな時だから、法定速度を超えても何も言われないの? どう思うハポン?」
「今の車には、法定速度を超えないように制御装置をつける義務があるんだよ。この旧い車にだって、後付けされているんだ」
「それって、GPSみたいなものなの?」
よくよく思えば、彼らが私のパソコンへのアクセスを可能にしたのは、車に取り付けられている装置の電波で、事前にもう現在地が特定されていたからなのかもしれない。
始めから私の行動は管理下にあったということか。
この心地よくない運転に気の詰まりを感じた私は、何処かへと向かう車内の窓を少し開けて、外側の景色に救いを求めた。
雨がまだ降っていたーー
外を歩く若い男性と擦れ違いざまに目が合った。
(この張り詰めた意識は、外へも影響しているのだろうか?)
信号待ちで停止すると、対向車のトヨタの大きい車を運転する女性とも何故だか目が合った。
(私たちは物珍しく見えるのか? どこが? リリアナか?)
バックミラー越しに見ると、後方の中年の男性ドライバーとも目が合った。
(やっぱり何か物珍しさを発しているのだろうか?)
信号が青になり車を発進させ加速、歩道の花壇や街路樹を横手に駆け抜けていくと、歩道寄り側の自転車レーンを軽やかに走るロードバイクが見えた。
距離が近くなって行くにつれて、私は何か不気味な考えに憑かれていることに気づいた。
(まさか、このロードバイクを漕いでいる人物とも目が合うのではないか?)
私は走行速度を、法定速度の限度まで上げることにした。
その不気味さを早く躱(かわ)し、見ることなく過ぎてしまいたかった。
花壇、街路樹、花壇、街路樹、加速に逆行してスローに横を過ぎるーー花壇ーー街路樹ーー花壇ーー街路樹ーー車輪ーーロードバイクーー自転車用ヘルメット…
こっちを見た
ーー通り過ぎても、サイドミラー越しに伝わる気配。
歩いている人、自転車を漕ぐ人、対向車を走るドライバー。
擦れ違いざまに会うすべての人たちが気づいたように凝視する。
その不気味な気配が私たちに被さっていくーー
雨が強まった
ーー音が私たちを呑み、目的地まで追走するーー
日没ーー時間は衰退して夕方になっていた。
都会であるはずが、辺りは暗く、郊外であるかのような雰囲気に。
予約されているホテルの一室に向かうことになっていた。
車が部屋近くまでそのまま入れるようだった。
「ハポン……ここはあれなところですか?」
「もしかするとそうかもしれない」
私たちは車を降り、顔が見えない仕切り越しに鍵を受け取った。
そして、用意された部屋へと向かった。
「ハ、ハポン…何か雰囲気があるところよね?」
リリアナはフィラデルフィア・フィリーズの帽子を深く被りなおし、やや暗がりの部屋のドアの近くに立ち尽くしたままで、ソワソワとしながら、どうして良いか分からない様子だった。
私はとりあえず、ドレスが入ったケースを置き、フィリーズの帽子をベッドの上に置いた。
ベッドの上に帽子を置くと、その音にビクッとリリアナは反応した。
私は、一言二言リリアナに何か言われることを覚悟したが、何もなかった。
「リリアナ」
と私が言った
「は、はい!!」
リリアナは緊張した声で返した
「パソコンを開いて、新しいメッセージがあるか確認しよう」
「そうね…そうよ……それがいいわ」
「たまには良いことを言うだろう?」
と、私が言ってみたが、冗談が通じる状態ではないようで、リリアナは顔を背けたまま、部屋のドア近くからテーブルまで恐る恐る忍び足で歩いていって、何か変なところを触ってしまわないように注意しながらそっと、パソコンをテーブルに置いた。その自分が置いた音でまたビクッと震えていた。椅子には腰掛けずに、そのままパソコンを開き、画面を見てから、私の方を見ずに新しいメッセージが来ていると言って、内容を震え声で読み上げていった。
「どうした?」
聞き取れない為に私が直接パソコンのメッセージを確認しに行った
「まだ! まだ早いの!!」
「何が?」
リリアナはパソコンを置いてその場を飛ぶように跳ねて、近くのベッドへ座った。ベッドに自分が座ったことに気づいたリリアナはまた飛ぶように跳ねて、
壁側に回転しながら飛んでいった。
私は置きざりにされたパソコンのメッセージを確認した
「リリアナ、10分以内に着替えるんだ」
「き、着替えですか!?」
壁に張り付いたままリリアナが声をあげた
「衣装はそっちのクローゼットに入ってるみたいだ。このケースの中のドレスのことは彼らも知らないのかもしれない。とりあえず、ケースの中のドレスを着るんだ。私の衣装はそこのクローゼットのものを着る」
「あとは、この引き出しに」
私は、テーブルに備え付けられた引き出しを開けた。
何かが目に映ったがそれは見ないことにした。
「この仮面を被らないといけないようだ」
私は仮面を出して、テーブルの上に置いた
「リリアナ、よく聞くんだ」
指示の内容は、私とリリアナはここで別れること
リリアナは別に案内されて舞踏会へと向かう
私は自分の車で先にここを出て舞踏会へと向かえ、と
「…何か音楽かけてよ」
私は、部屋の中の音響機器を探してみた。
TVの前のテーブルには、ゲーム機の本体が数台。
ゲームソフトがTV台の下にあるかと思ったら、何もない。
おそらく、ゲーム機の本体にダウンロードされているのだろうか。
装飾過多のLEDライトが落ち着かない気分にさせ、電気代が心配になる。
後ろを振り向くと、透けたガラスの先にバスルームが見えた。
慌てて視線を何処かへ戻そうとする中で、リリアナの姿が目に入る。
深く被ったフィリーズの帽子のつばでリリアナの顔は見えなくなっていた。
表情を見なかったことにほっ として、視線を部屋の片隅で休めることにした。
ケンウッドのCDプレーヤーが部屋の角に、置き型のライトのイルミネーションやらの乱立の中で音を発せずに待機していた。
プレーヤーの蓋を開けると、奇跡的にピアソラ のCDが入っていた。
再生すると、ピアソラ のAdios Noninoが流れ始めたーー
「これを」
私は、フィリーズのパーカーを脱いだ
「ハポンッ?!!?」
私はパーカーの下に着ていた服の胸ポケットから、リリアナが包んでくれたハンカチを取り出した
「君を守ってくれると思う」
私は自分の手のひらに乗せて、ハンカチを開き一輪の花を見せた
「…ばか。ドレスのどこにポケットがあると思うの?」
私はそういえばと思って考えてみた
「いい。肌着の下にでも入れておくわ」
リリアナは私の手にそっと触れて、体温を感じた瞬間ーー受け取った
部屋のイルミネーションのライトが、リリアナの不安と、何かを半々とにして陰影を引き立たせていた。
私はクローゼットの中の衣装を持って、バスルームに入り、カーテンを引いた。
カーテン越しにピアソラ のバンドネオンの音が届いた。
支度を済ませて、私は仮面とパソコンを手に取った
「大丈夫。タンゴを二人で踊るんだよ」
そう言って、表情を隠したまま部屋を後にしたーー
恋した瞬間、世界が終わる 第90話「別々の運命を被るとき」
次回は、7月中にアップロード予定です。