2021年の棚卸し

第1章 松葉ガニ、年越しそば、焼きそばとシュークリーム

 ふりかえれば予兆のようなものは確かにあった。
 だれもその結果を予想していたとは思えないが。

(一日目)
 毎週月曜日はふつう、レギュラー番組用の資料収集や原稿作成のデスクワークで一日がほぼ終わる。十二月初旬のその日はいつもと違った。外で昼食をすませて局の本社屋に戻ると、エレベータの前で報道部長の八重洲さんが興奮気味に話しかけてきた。
「やあ、元気そうだね。ところで、昨日の選挙で外務大臣が代わりそうだね」
 不織布マスクの中でホカホカと吐息がふくらんでいる。
 その前日は総選挙の投票日だった。関心を失っていたわたしは「そうみたいですね。さっきもフロアのモニターで見ましたよ」とあわてて答えながら、前日から今日にかけて記憶を一つ一つたどりはじめた。関西育ちの友達に何度かチクリとたしなめられたが、このクセは治っていない。
 「あんたは前提から話を始めるから結論にたどりつくまでが長いんや。最後に言うことを最初から言ってくれると、本当はすごくありがたいんやけどね」
 急な話題で真っ白になったわたしの頭の中では思い出の棚卸しが始まる。①今朝七時ころ、総選挙で議席を減らした与党の幹事長が辞任することが報道された。②年末恒例宝くじ抽選会で当選番号が読み上げられるように、アナウンサーが手元の原稿を一言一句間違いなく読み上げていた。③その後任は今の外務大臣が有力らしい。
 ただ、わたしにとっての年末恒例行事は————毎年十二月ころに鳥取県の境港で特産「松葉ガニ」の水揚げが最盛期をむかえて、カニが全国へと送り出される映像を手配することだ。画面を埋め尽くすカニ、カニ、松葉ガニ。レンガを積みあげるように淡々と、報道番組に使う映像の手配をかけてわたしは局内各所に出荷する。④昨晩、総選挙の開票が始まって数分後に鳥取県でベテラン候補の当選確実をテレビで見て松葉ガニを思い出した。

 今年も松葉ガニの水揚げ映像の件で大変お世話になります。
 恐れ入りますが今季の水揚げがいま一つの場合は、
 画面に入るカニの数が多くなり過ぎないようにご配慮いただけるでしょうか。
 どうぞ宜しくお願い申し上げます。

 水揚げが今年は少ないのに映像は例年と変わりがないじゃないか、と視聴者からのお叱りが届くことなく無事に年が越せますようにと祈る。一年前から色も形も変わりない天然のカニに西暦二〇二一年冬の雰囲気を持たせる————おおよそ科学的とは思えないお願いのメールを丁寧にしたため、山陰地方の担当者に送り終えて早目の昼食に出かけた。
 ⑤今日の正午前からは、今の外務大臣が与党の次期幹事長として新たに就任することが内定したとニュースが流れ始めた。震度七の揺れでも落ちないよう太いボルトで天井に固定された二十七インチモニターがわたしたちの職場を見下ろす。音を発しているところを見たことはないが、モニターから二十四時間絶えず流れる映像は机にうずたかく積まれた取材用資料や、その上に鎮座した名もなき宣伝用グッズ試作品などに囲まれた仕事場の中で、唯一開かれた窓のように外界の風を吹き入れている。
 カメラのフラッシュを浴びながら与党本部の建物に入る外務大臣の姿が、ちょうどお昼時に繰り返し放送される。東海道新幹線「のぞみ号」のアナウンス並みにタイミングがよい———この列車は、さきほど三河安城駅を定刻通りに通過しました。あと九分ほどで名古屋に到着です———定刻に列車が駅を通過・定刻の通りの放送・定刻通りの準備。けれど、お昼のニュースにちょうど間に合うように「速報」———そんな都合のいいことが起こるのかと思うけど世の中それでいいならまあいいか。⑥新幹線は定刻通りに名古屋に着いてお客さんは駅に降り立つけれど、空席になる外務大臣にはこんど誰が就くんだろう。どんな取材やら資料やらが必要になるのか。「新大臣の横顔が分かる」映像の手配はどこから。会社近くのインドカレー店でバターチキンカレーを選んだわたしはカレーのついたナンを口に運びながらテレビ画面をちらちら見て気にしていたが、食後にチャイ・ティーを口に含んで天井を見上げ、羽をのばして止まった扇風機の優雅な翼の形にぼんやり見とれている間に注意を奪われた。そう、昨日から今日まではだいたいこんな感じだった。
 いずれにせよ選挙は終わった。人事の季節たけなわの政界とは別の惑星に住んでいるくらい縁のない私。外務大臣や幹事長の話題よりもインドカレーを服にこぼさず、松葉ガニ映像を忘れずに手配して安心していた私。ニュース速報のたびに興奮する八重洲部長と、ささやかなエネルギーを失わないように貯めこんでいる私の間には、会話が始まった時から大きな距離が空いている。しかしその日の八重洲部長はエレベータの扉が開いてフロアに出ても、ぼんやりとしていた(ように見えたに違いない)わたしに向かって話を止めない。エレベータホールに出ながら、記憶を一通り再生し終わったわたしに彼は尋ねる。
 「ところで、君みたいな若い人は最近の朝鮮半島情勢をどう考えているのかな」
 総選挙、外務大臣、の次は朝鮮半島情勢の分析。各界の有名人が一晩中議論しても結論が出せるとは思えないが、朝鮮半島情勢について自分が今まで何を考えていたかを一通り思い出す。すぐに何か頭に浮かぶだろうか。

 約三秒後、実家に帰る前にホームページで確認したモノレールの運行情報
 「平日朝の混雑状況」の最初の部分が、英語版のページでは
 「平らな日本と北朝鮮(Flat Japan and North Korea)」
 となっていた画面が真っ先にヒットした結果をふまえて私はひらたく伝えた。
 「分かりません」 

 会話が盛り上がらず落胆すると予想した私の期待を裏切り、八重洲部長はその返答を待ちわびていたかのように、かつて北東アジアの平和を築くためにヘンリー・キッシンジャー博士が挙げた功績を雄弁に、力強く、誇らしげに語りはじめた。なぜ彼がそんなに雄弁で誇らしげに話しているのかは分からないが、悠然と流れる大河のように語り続ける。彼の話(というよりも演説)が始まると、わたしは交響曲「モルダウ」のオープニングを思い出す。一つ、また一つと支流がフルートの繊細な響きに導かれて合わさり、川面の堂々とした姿が視界を覆う。すると、彼の決まり文句「国際関係というものは二国間、点と点ではなく面で観察すると、世界全体が見える立体的な奥行きへとつながるんだ」がフォルテッシモで響きわたる。「日朝国交正常化にも、当事者の日本・北朝鮮だけではなく、中国や韓国の立場を考えることも同じくらい重要なんだ。いわんや、米国やロシアもだけどね」と念の入れようだ。
 ただ、わたしの日常業務と東アジア最新国際情勢には点と点でも面で観察しても関係が構築される気配はなく、松葉ガニの水揚げの方が気になって仕方がない。わたしは安全に話を切り上げるべく、駅の改札口を出る程度の気分で相づちにもならない言葉を継いだ。
 「最近ニュースに出てくる『経済安全保障』っていう言葉を初めて聞いた時は、新しいセキュリティー会社の名前かなって思ったんですけど、わたしには、混み混みの通勤電車の中で『落ちゲー』に夢中になって倒れそうな人とか、スマホを操作しながら歩いてる妊婦さんとか、携帯の画面を見ながらベビーカー押して横断歩道わたっている人の方が危なそうで心配になるんですよね」
 力強くも雄弁でもなかったと思うが、無言と静けさがその場を支配した。今日午後の仕事は最初何だったかな。再びわたしはお昼前に棚上げしていた仕事用の記憶をヨイショと降ろし始める。⑦午後一番の仕事は大晦日お昼のニュースで流す「年越しそばを食べにくる常連客でにぎわうお店の様子・お客さんの一言コメント」映像を今年はどう作るか、だと気づいた。昨年は常連客のコメント「ここのお店のソバを食べないと、わたしは年が越せないんですよ」が出来過ぎなくらい好評だったから、今年は別のセリフに、が引継ぎ事項になっていた。そう考えている間に八重洲部長の口がモゴモゴと消化不良の調べを奏でて、適当な別れの言葉を送りだす———「ふふ、そんなことも考えていたんだ」とか的外れな反応を嘆く失望でも、「ははは、ずいぶん細かいね」とか乾いた苦笑でもよかった。かみ合うことなく期待外れに終わった会話の気まずさを味わうはずだったが、その前に漂う空白の静けさが異常に長かった。

 おかしい。何かがおかしい。
 ふと私が顔を向けると、八重洲部長は眉間に十本くらいしわが寄りそうな顔つきを苦しそうに浮かべていた。わたしから人生を左右されるような難しい問いを投げかけられたかのように悩んでいる風にも見える。そして満を持したように彼は、地球温暖化に影響を与えそうなくらい膨大なエネルギーを消費し、どこから採掘されたか見当がつかない希少鉱物のような講評を声高らかに発表した。
 「焼きそばとシュークリームを一緒にするような議論はどうかと思うけど。君、妙に理屈っぽいんだね」
 いま耳を通過した言葉の意味をかみ砕こうとした。
 私が理屈っぽい。焼きそばとシュークリーム。理屈っぽい、私が。シュークリームと焼きそば。ワタシ・ガ・リクツッポイ。
 世界史年表が頭から離れないこの人に「理屈っぽい」とよばれるのか。八重洲さんが先週の月例の合同会議が終わる直前になって「最近のロシア・ウクライナ情勢をトロイア戦争と比べると・・・」と平然と言い出すから、いつそんな事件が起きたのかと調べてみたら何と紀元前。「トロイア戦争」と入力して検索に使ったスマホがひざの上から滑り落ちそうになるのを間一髪で捕まえた。彼の頭の中では、歴史上の出来事が太平洋に張りめぐらされた海底ケーブルのようにネットワークを作っているんだと、わたしの想像の枠が押し広げられた衝撃を思い起こした。

 わたしが理屈っぽいとも言えるような出来事は・・・あった。
 「地球環境を考えて二酸化炭素の排出量を減らすために、校舎や図書館の屋上に太陽光パネルを付けるようわたしは主張しているんですけど、採算が取れないという理由で事務の人たちにダメだって言われるんですよ、皆さんどう思いますか」
 普段は授業熱心でない社会科の先生が授業中にマジメな顔である日、急に問いかけても誰も発言しなくて重たい雰囲気が漂い始めた———仕方がないから「太陽光パネルを作るのにも二酸化炭素が出るんじゃないですか」と学級委員だったわたしがとっさに口を開いたら、頭のてっぺんから煙が立ち昇りそうなくらい先生に嫌そうな表情を向けられた(生徒に見せる表情ではなかった)。隣の席にいた友達が驚いて無言で爆笑しながらこちらを向いていた。冗談じゃなかったのに。故障したノートパソコンのように先生の脳みそが発火しそうで身の危険を感じた。
 今ならもっと安く太陽光パネル作れるし、製造過程で二酸化炭素を出さなくても量産できるから先生の発言はタイミングが悪かったんでしょう。タイミングは大切ですね、とわたしは授業が終わって十年近く経ち、大きくタイミングを外して納得した。焼きそばとシュークリームが同時に口へ押し込まれたような違和感が、最終段階にあるパン酵母のようにわたしの頭の中でムクムクと発酵している。ヨドバシカメラの店頭で山々の絵を背景に陳列された太く立派な「八ヶ岳の薪」をくべれば、焼きそばパンの生地が環境にやさしく大量に安く作れるのだろうか。
 先生は今も熱弁をふるっているのだろう。大河モルダウのように。
 「バイオマスですよ、みなさん。脱炭素時代の主役はバイオマス。木は長年、成長過程で二酸化炭素を吸収しますから、森林整備で剪定された枝や廃材を燃やしても時間を通じてトータルでみれば温暖化効果ガスを増やすことにはならないんですよ。なんと、農林水産省ホームページによれば、日本の国土の三分の二は森林で占められているんですから、意外と日本も資源国といえるかもしれません。これは重要ですから自分でよく考えてみてくださいね」
 約十年後のいま私の目の前では、さっきまで色を失っていた八重洲部長の顔つきが、栄養ドリンクを飲み果たしたような達成感、緊張感、補給されたエネルギーが一体となってにじみ出るように生き生きとしている。

 おかしい。ますますおかしい。
 「きみ、興味深い話を聞かせてくれたからついでに言うと」と自分の話し相手だと認めたらしい私に、八重洲さんは次の話題を投下している。名曲選の常連、交響曲モルダウ。民族学派の巨匠スメタナの大作。それに比べてわたしの小話にだれが興味を持つのか———いまこの世界でたった一人、興味を持った彼にそんな疑問は伝わらない。エレベータホールで立ち止まる八重洲部長とわたしの前を「なんでこの二人組で会話が盛り上がっているの?」と不思議そうで落ち着きのない老若男女の顔つきが職場の右へ左へと流れていく。
 「少し前、アメリカ大統領選挙の後の混乱が強烈すぎたのか『民主主義が死んでしまう』とか『民主主義が消滅する』とか、ちょっとドキッとするようなフレーズが見られるようになったけど、ぼくはあれ、ちょっと行き過ぎだと思うんだよね」
 はい、この会話の展開にわたしも行き過ぎなほど強烈に混乱してドキッとしていますが。ここで死にたくない一心で拝聴しております。
 「民主主義というのはもともとゴールのないプロジェクトなんだ。受験勉強とは違って正解や近道や模擬試験はないんだ。歴史の中で誰も気づかないうちに始まり、永遠に未完成なんだよ。たった二〇〇年ほど前に書かれた合衆国憲法にも『われわれ人民は、より完全な連合体を形成するために』と目的が書かれているよ」
 「『自分たちが完全ではないから、もっとレベルの高い境地を目指すためにこの憲法をつくって国づくりに精進します』と作者は言いたかったんですか」
 わたしを急襲した「民主主義」の突風で飛ばされないよう、他人の揚げ足をとるような後ろめたさを抱えながら答える———八重洲先生は私の言葉を途中でさえぎった。
 「その通りだよ。き、きみ、分かってるじゃないか。一体いままで何を隠してたんだ」
 隠してた?
 分かっているはずの自分が何を隠していたのか理解できない。新幹線の車窓についた雨の水滴が進行方向の後ろ斜め下に引きずられるように、私の意識も不自然な方向に引き込まれていく。八重洲さんの声は、時速二百キロメートルへ加速するように一オクターブ上がった。
 「合衆国憲法を起草した当時のメンバーには、女性やアフリカ系やラテンアメリカ系やアジア系の人がいなかったのに、いまや世界中から人材を引き寄せてアメリカは超大国として動いているよね。それだけでも、民主主義がそんなに簡単に消え去るものじゃないって分かると思うんだ。外からは見えにくくても、人の心の中から簡単に消えるほど魅力のない考え方ではないからね。ま、日本だと大阪なんかにちょっと過激な発言をするリーダーが目立つみたいに、地域の特殊事情はどこの国でも多かれ少なかれあると思うよ。バラエティー番組的に面白おかしく取り上げる話題性はあるかもしれないけど、それが社会の本質であるかのように伝えるのもどうかなぁ」と言いながら戸惑った表情を見せているのに、ずいぶん楽しそうに聞こえる。
 それに影響されたのか、大阪だけでなく東京も個性豊かなリーダーを戴いているような気がしてわたしまで浮足立ってしまった。「スペインの世界遺産『サグラダファミリア』も一世紀以上は未完成でずっと建設中ですけど、海外から観光客が大勢押し寄せて大人気ですね。民主主義と同じようなものでしょうか」と口にする寸前でヒヤリとした。
 杞憂だった。
 彼は周囲の目をまったく気にせず、「民主主義」に寄せる自分の思いを私に容赦なく、大きな手ぶりをまじえて注ぎ込む。目の前に置かれたホットプレートの上で片面の焼きあがったお好み焼きがコテでひっくり返され、もう一方の片面からジュワっと噴き出す熱い蒸気が音をたてる時のように私は息をのむ。ただただ圧倒されている。
 「どんな国にも世論が存在するんだ。秘密警察が暗躍して『監視社会』と言われていた旧東ドイツでも人々の声は政治に反映されていたからね。いま、日本の政府・与党は必死で、外務大臣だけでなくて内閣改造・役員人事に奔走しているはずだよ。次の選挙で有権者に対する『顔』にもなるからね。話題性とか意外性のある人が選ばれても全然おかしくないと思うんだ。『実際、誰がどこの役職に』って段階までは少し待たないといけないけどね」
 とっくにだいぶ前から、話が間違った方向に進んだような実感でわたしは重たく充実していたが、さらなる高みに到達した。
 「そうだ、さっそくだけど明日、年末の番組編成について打ち合わせがあるから君のフレッシュな意見も是非聞かせてもらいたいな。プロデューサーにはぼくから話しておくからさ。よろしくね」
 それが、次の日に場違いな会議に呼び出されたきっかけだった。もちろん、私が意見するような場ではなかった。

(二日目)
 「ちょっと待って。何ですかこれ、信じられないわ。エイプリルフール用の新聞記事が情報源ってどういうことなんですか。どこか間違っていない?」
 会議冒頭から、番組編成次長を務める順子さんの甲高い声がマスク越しとは思えないくらい耳に突きささる。マスク越しで、感染予防で距離を開けて座っているから、大声で話さないと聞こえないと彼女は危惧しているのだろうがその必要はまったくない。会議室の机の上には二十年以上前、日本全国で掲載された朝日新聞の記事のコピーが参加者に配られていた。八重洲報道部長様のアイデアにちがいない。
 「閣僚に外国人登用・・・当面の『日本の危機』乗り切り策として・・・グローバル化した経済には世界標準が確立しており、政治の世界でも統一した価値判断が求められているようになっている・・・サッチャー氏らの名・・・『鉄の』女性首相 マーガレット・サッチャー氏[ほか]・・・」
 八重洲部長の主張は昨日と変わりなく、永遠に止まることを知らない大河モルダウのように悠然と流れる。
 「今度の内閣改造・与党役員人事は空席になった外務大臣を含めて、誰にも結末が分からないんですよ。年内に決着がつくのかも、はっきりしない。どこを取材しても誰に話をきいても、役に立つ情報が取れない。何か、予想もつかないことが起きるかもしれないと私は読んでいます。このまま今まで通りに同じような取材を続けていたら、年末まで情報番組のコンテンツが足りないどころか、時代に取り残されますよ。こうなったら大胆な仮説を立てて他局との違いを見せて、メディアとしての存在感をアピールする機会ですよ。外国から大物政治家が閣僚に入る時代の節目、『令和の開国』が日本の政界に世代交代の大波をもたらす二〇二二年だと大胆に打ち出しましょう。正解が見えなくて不安な時にこそ、『艱難汝を玉にす』の精神で情報発信を刷新するんです」
 「かんなん なんじ を たまにす」
 自動変換機能に助けられて私はようやく理解した。何の準備も心構えもなく年末の特集番組編成会議に呼び出されたわたしにはただ座っているだけのぬいぐるみ並みに存在感がない上、「リラックマ」ほどの癒しも与えられない。八重洲さん発案の特集コーナーをつくるための映像制作をわたしが担当することになるから、上司のプロデューサーから呼び出された・・・過去の映像を探して編集する仕事をこちらに割り当てられる・・・八重洲さんの話をとりあえず聞いておかないと。ただ、日本政府の大臣に外国人が就任するって、相手に打診するだけでも結構大変じゃないか。素朴に思う。
 一方で、八重洲さんのアイデアを受け付けられない順子さんは、最初から何も話を聞かなかったことにしようと全力だ。あまりにも強烈な口調で論破しようとするので、一度くらいは他人の話に耳を傾けたように思わせる技が天才的————そんなテクニックを競う全日本選手権がもしあったなら、第二シードあたりで優勝候補に入るんじゃないか。
 「それで本当に大丈夫なのかしら。どういうプロセスでそんな気まぐれみたいな企画がベストだって結論になるのか、筋を通してもらわないと困ります。私にはぜんぜん関わりのない、よそ様のお仕事に口を挟みたくないんですけど、わたしの気持ち的にはぜんぜん割り切れません。ちゃんと説明してください。よりにもよって相手は大統領って何?この取材のために大きな予算をつけようなんて、どこか頭がおかしくなっているんじゃないですか。まあ、『頭がおかしくなっている』は、ちょっと言い過ぎでしたけど」
 「言い過ぎ」などと順子さんがちっとも考えていない事実がオーロラの鮮やかな光を放つ。組織の存亡をかけた重大な局面なのか、縄張り争いが原因で起きた子供の口げんかなのか———結論が出る見通しは暗く、絶望的なこの出席者の組み合わせで、どうやって年末の特集番組をこれまで組み立ててきたのだろう。それでもなお、自説を押し込む八重洲部長は声量を三割増しで議論の混迷に拍車をかけた。
 「順子さんは簡単に『割り切れない』と言いますけど、人間の世の中はおろか、自然界にだって割り切れないことはあるんです。うるう年は必ず四年に一度来ると思われているけど、西暦一八〇〇年や一九〇〇年には二月二十九日が無かったことをおぼえている人はほぼ皆無ですよね。ところが西暦二〇〇〇年には二月二十九日があって、西暦二一〇〇年には無いんです。単に四年に一度うるう年が来ると決めつけられるほど簡単には分からない、正解にたどり着かないことがあるんです。実際に誰かが一つ一つ調べてみなければ、何が分かっていて何が分かっていないかすら、そもそも何も分からないんですよ。もっと詳しく言い始めると『うるう秒』っていうのもあるんですけどねっ。そんな事は皆さんもう忘れているでしょう。どうですか」
 自分が西暦一八〇〇年代に生まれ、二一〇〇年頃まで生きる予定である語り口で周囲に沈黙を強いている。想像力と説得力のすき間を瞬間接着剤でつなぎ合わせ、反論の余地を見つけさせないのが彼の得意技なようだ。その良し悪しはともかく、徹頭徹尾かみ合わないまま白熱しているこの議論には脱出口が用意されているのだろうか。わたしには避難する時間がなく、冷たい会議机の上で手を組んだまま石のように固まっている。
 「パチン」
 突然手をたたき、「パパ」というあだ名で呼ばれるプロデューサーがすかさず話をさえぎった。「ピアノのリサイタルで手が痛くなるほど拍手をしました」と小学生だった私が文集に書いたら担任の先生にほめられたことを思い出した。大きくていい音が響いた。
 「パチン」
 直後に同じ響きがその場を制してスピード違反の議論に急ブレーキがかけられた。
 「だいたい分かりました。順子さんの言う通りで、時間が限られているから取材のアポ取りさえ難しいかもしれませんね。ただ、コロナのせいで忘年会も歓送迎会もお花見も会社の創立記念日パーティーもできてないから、予算的には多少は融通が効くかもしれません。八重洲さんの言う通りで、今までにない新たな視点で面白い企画に化けるかもしれないし。すぐにどうこう言えないから、こちらでちょっと考えさせてもらえますか。ほかのプロデューサー達とも一度相談してみたいと思います」
 何が「だいたい分かりました」のか私には全然分からなかったけど、全知全能の存在であるかのように抜群のタイミングで「分かりました」と言い切ったパパが一枚上だったのか。わたしから見れば「けんか両成敗」のような雰囲気のまま、本来の目的が浮かび上がらない会議は唐突に打ち切られた。そのあとで何が起きたのか詳しくは知らされなかったが、八重洲部長の奇妙なアイデアになんとか意味を持たせるため、どの関係者にもしがらみがなく(誰の眼中にも入っておらず)、最終的に番組制作の作業を担当する(つじつまを合わせる)ことになる私を最初から取材現場に出すことに決まったらしい。「新時代を見据えた特別企画兼若手育成のための国際競争力向上プロジェクト(略称は『留学』・『特番』など)」と名付けられ、稟議書が急いで回覧されたとわたしの耳に届いたのは、帰国してずいぶん経った後だった。

第2章 「ベストメンバー」の試練

 (その約一週間後)
 「音が鳴るまでカードをタッチしてください」
電子マネーをかざした途端に耳を突く自動音声が、「くださ」のあたりでブチリとちぎれるように途絶えた。散った破片のように缶コーヒーが勢いよく飛び出し、自動販売機の取り出し口では金色の缶コーヒー(微糖ラベル)が真っ逆さまに静止している。世界的スポーツイベントの開催とワクチン接種の組み合わせでお腹いっぱいになったような日本の二〇二一年が残り少なくなり、今年の仕事納めはいつになるのかと考えながら迎える月日は大きく荒れ始めている。マラッカ海峡の海賊をかわしてインド洋から故障した大型タンカーを東京湾へ曳航するように、遠い目的地が水平線の端にも見えないこの仕事からは、どんなに準備しても、ため息以外の成果が出てこない。海外渡航前の自主隔離期間に入っても、なぜこれが自分の役割なのかと問い続けていた。
 「八重洲さんや順子さんの方が英語もずっと上手だし、アメリカにも詳しいんだから私なんかよりずっと、インタビューには適任だったんじゃないですか。国務長官と外務大臣を言い間違えないか、なんて基本的なポイントでも私はまだ心配で仕方がないんですよ。防衛省が国防総省、経済産業省と総務省のハイブリッドが商務省とか、勉強する事がとにかく多くて。『歴代大統領の名前と顔はもう一致しているよね、たった四十六人だし』って八重洲部長はおっしゃいますけど、写真がない時代の人まではさすがに無理ですよ」
手遅れ極まりない、問いかけというか嘆きに近い現状をわたしは力なく放り投げた。オンライン会議システム画面の向こうでは、プロデューサーの「パパ」がよくぞ尋ねたとばかりに、ハワイのキラウェア火山から流れ出る溶岩の熱量で冷え切った社内情勢を解凍するべく説き明かす。のかと思っていたら、例え話から入ってきた。
 「いや、間違いなく、君がベストの人選だ。君しかいないよ。学生時代にオレたちも先輩から口を酸っぱくして試合直前に言われたものさ。『ケガで出られないヤツがいてくれたらとか、あれこれ気にしても仕方がないんだ。今、ここで試合に出られるおれたちがこのチームのベストメンバーだ』ってな。そう言われると、身が引き締まって気の迷いも吹っ切れたものだよ」
 何一つ引き締まらない。吹っ切れない。迷いまくっている。
 「いいか、ドラフト会議でプロ入りする選手がいる大学チームは一握りしかないんだよ。ベンチプレスを百キロ上げるような力持ちでも、庶務や会計を分担しないとチーム全体として機能しないんだ。試合の間だけがパフォーマンスの場じゃない。夏合宿の宿泊先を予約するだけでも一苦労さ。安くて広いツインルームを二十かそこら無事確保できたと安心して現地に乗り込んだら、『おい、男同士で相部屋なのにシャワールームが磨りガラスで囲まれてるってどういうことだよ!』と文句が出たなんて、ぜんぜん笑えない話も実際にあるんだから」
 笑えます。
 「今ならわかるよ。『ラブホテル廃業直後 未改装につき九月末まで特別価格でご奉仕』なんて広告には載せられなかったと思う。でも泊った方からすれば、毎朝早くから走り込んだおかげで真っすぐ歩けなくなった体中の筋肉痛と、どんなに疲れても部屋のシャワーで汗を流す間に微妙な緊張感が解けないのと、合宿中はいったいどっちが本当の試練だったんだろうか、なんて、今でも飲み会でネタになるよ。卒業してずいぶん経つのに、その話を毎回のように口に出すのが今やベテラン消防士になった元キャプテンさ。いまだにそんな話がくすぶっているならさっと消し止めるのがあなたの仕事だろって感じなんだけどね」
 気が済むまで笑っても何の文句も出ないと思いますよ、とは言わなかった。大ウケが狙えそうなエピソードを披露しているパパの顔面を隅から隅までくまなく見ても、余裕を感じさせるゆるみが見当たらない。聞き手のわたしは試練に立たされる。
 「アミグダラ、アミグダラ、人間の脳で感情をつかさどる部位の『扁桃体(へんとうたい)』、英語で呼ぶとアミグダラ(Amygdala)」
 頭の中が「アミグダラ」であふれるほど私は夢中で繰り返した。もちろん、笑いの感情を顔に出さないように必死で抑え込むため————話の内容と話し方の不一致がおかし過ぎる。リモート会議システムにすっかり慣れたパパが、背後に映るキッチンの優雅な観葉植物とは不釣り合いに発する眼差しがするどい。番組放送直前になって面倒な直しが必要になると彼が発する口ぐせ「タイムリーな情報で社会にインパクトを与える」にはこんな表情と言葉が必要なのか。画面の背景に見えるドラセナの木の悠々たる姿と、話し手とのコントラストが激しい。動と静。混沌と平穏。世俗と耽美。この時間に予定されていた仕事の打ち合わせはどこにいったのだろう。これから私はどこに連れていかれるのだろう。
すると話題が目の前の仕事にふらりと着地した。
 「番組の企画として意外性があっておもしろいことは大いに認めるよ。でも、あれだけ変わった情報を元にシナリオを膨らませた八重洲部長本人が取材に出かけると『出張なんて名ばかりで、結局は大好きなアメリカで気休めしたかっただけじゃない?』って社内で陰口を叩かれるのは目に見えているよ。そうなると、予算を確保したぼくも困るんだなあ。報道部長の立場を少しは考えれば分かると思うんだけど、当の本人にはそれが分からないんだ。今回は取材対象についての好き嫌いも分かれるし、帰国しても隔離期間は国内で身動きが取れないから、普段は『オレが世界を動かしてやる』ってギラギラしている報道部の若手にもこの企画は人気がなくて。タイミングがよくなかったかもしれない。ごめん、いろいろ余計なことを言ったけど、君はね、局内全体のバランスとパフォーマンスを考えて指名されたんだから細かいことは気にしなくていい。映像をコツコツ作ったり編集したりするのも重要なのは分かるけど、何を本当は知りたいのか視聴者に気づかせるのも大切な仕事だよ」
 一体、職場で本当は何が起きているのか知りたくて気になったが、パパのセリフには一応筋が通っていた。話の前置きは長かったけれど。

 「カチカチカチカチッ」
 昼食どきを前にしたパパの家ではキッチンのガスコンロに火が付く音が画面の奥から鋭く耳を突き、オンライン会議を切り上げるムーブメントがにわかに高まる。情報技術革命から周回遅れの我が社にも、「ワーク・ライフ・バランス」ってこういう所からせまるのか————しかし、周囲から何も耳に入らないかのようにパパは自分の話に夢中だ。ワーク・ホーム・インバランス。働き方に何の影響も及ぼさない在宅勤務。歩みを止めることなく、敏腕プロデューサーはさらなる奥地へと分け入っていく。ためらいなく未踏の地へ勢いよく足を繰り出すパイオニア精神の魂があらぶっている。
 「順子さんは順子さんで筋の通った立派な話をしているように聞こえるんだけど、結局のところは他人の仕事に文句をつけることと、自分の仕事には文句をつけさせない『安全運転モード』からはみ出すことがないのが残念でね。そりゃ、自分の仕事を必要最小限にとどめて、無難でクレームが一つもつかない番組が世に出る手順を考えるのはサラリーマン的に痛々しいほど分かるけど、はっきり言って冷めちゃうんだよね。新しいことを少しでも取り入れないままだとね・・・三〇年前の時代劇ならマイナー・チェンジだけでよかったかもしれないけど、それでもたまには新しい登場人物が出たんだ。水戸黄門シリーズの『飛猿(とびざる)』とかね。知らないよね、君らの年代だとまだ子供だったから。あ、調べなくていいよ」
 画面の向こうで大きく開いた二つの眼が、スマホを手に「とびざる」を入力しようとしたわたしの視線をジャンピングキャッチした。
 「ともかく、何も変えないままだから『相変わらず今年の年末もお宅の局の特集番組はこの構成なんですね。もしかして来年も同じ感じですか?』とか、馴染みのスポンサーさんからの小言が直接間接に聞こえてくるんだけど、全然、気にしないんだよな。番組編成次長。他人の話はすぐさえぎるのに、自分の話を最後まで続けないと気が済まない反抗期の中学生みたいな人が、インタビューで辛抱強く他人の話に耳を傾けるなんて無理だよ。ぼくも上の人間から彼女を説得するように言われることもあるけどね。けどさ、オモチャを買ってもらえない度に泣きわめく子どもを我慢させるにも、結局は本人が大人になってお金の価値を真剣に考えるまで分からないと思わないか?会社には優しいサンタクロースなんて来てくれないんだよ」
 順子さんはとっくに成人して立派な社会人なのに説得しないんですか——かつて十二月のニュース・スタジオにサンタクロースの帽子をかぶって現れた逸話を持つ、大物プロデューサーを説得する気力が残されていない——というか説得する相手ではない。
「だからといって新しい話題が出るたびにインタビューワーを雇えばって、それではいくらカネがあっても会社が倒産しちゃうよ。だから君は何も気にせず思い切って仕事を楽しめばいいんだ。誰にでも何でも質問する権利は若手社員にしかないんだぞ」
 (わたしは普段からそんなに若者扱いされていましたか?)
 まるで、試合終了後の野球場でファンの姿が消えた外野スタンドへと特大ホームランを連発するようなパパの話術に絶望と希望を与えられた。「普段から順子さんや八重洲さんにもそれくらい思い切り話したらいいじゃないですか」という理性の声をミュートにし、「承知しました」とわたしは口先を器用に動かした。ラグビー日本代表が躍進して盛り上がった二〇一九年の流行語大賞は「ワン・チーム」・・・もちろん忘れていた。激闘のスコットランド戦で「笑わない男」が力強くトライを取って日本が勝利・・・今は笑えない。

 ああ、例年ならこんな事には、と懐かしさと無力感が頭の中をかけめぐる。
 「最近、ぼくの好きな銀行のカレンダーが手に入りにくいんだよね。あのカレンダーを一枚掛けておけば我が家のトイレも小さな美術館みたいに和んでありがたいんだけど、どこの会社も経費削減とかデジタル化とか、仕方ないのかな。なーんて、うちの会社もよそ様のことを偉そうに言えないけど」と年末近くの多忙な毎日にうんざりした表情で談話室の新聞をななめ読みしながらパパがつぶやく。「それなら大丈夫です。息子さんご夫婦に連絡して『生前贈与と住宅ローンの相談は予約できますか』って銀行に電話を一本かけてもらえば、カレンダーの一ダースくらい支店長からじきじきにもらえますよ」とわたしが軽口を叩く。それを聞いたお父さんがニヤリと笑みを浮かべながら新聞を次のページへとめくる。そんな平穏だった日々がほんの数日前のようだ。

 午後からは、英会話のオンラインレッスンが続いた。「泥縄」とはまさにこのことだという感じだが「藁にもすがる」思いで続けて今日が最終回だ。急にレッスン予約を毎日詰め込んだおかげで会話の相手が頻繁に変わる————毎回、自己紹介から始めなければならない。仕事、出身地、趣味、好きなスポーツ、日本の有名人、観光地、歴史、マンガ、アニメ、ほぼ同じことを何度も繰り返す間に話すスピードは少しずつ上がる。ただ、話す中身はあまり変わらないので語彙が増えたのか自信がない。そんなもどかしさとも今日でサヨナラだ。そしてまた、今日も年末年始の予定について話している。
 「わたしは明日からアメリカに行きます」とわたし。
 「アメリカというのはどの国ですか。例えば、ブラジル、メキシコ、キューバ、エルサルバドル、カナダもアメリカですよ。アメリカ合衆国ですか?」と先生の表情が少しかたい。
 「あ、すいません。アメリカ合衆国です」
 「ダイジョウブ。日本の人はだいたい皆さん『アメリカ』と言いますからね。ちょっとした冗談です」先生がニコリと笑う。
 中途半端な冗談はきびしい。英語で言われるとさらにきびしい。
 「あ、すいません。先生はどちらの国の出身ですか?」
 「秘密です」
 ロックアイスのように凍り付いた先生の顔つきは一秒で溶けた。
 「冗談ですよ。アメリカ合衆国のコネティカット州の出身です。明日からお仕事で出張でしたね。この時期に外国に行くのは大変でしょう」
 「いろいろと大変だと思います。仕事が終わったら、すぐに日本に戻ります。新年は日本で迎える予定です」
 「向こうではどんな仕事をしますか?」
 「一度も会ったことのない人にインタビューをします」
 「それはいいですね。お仕事楽しんできてください」
 「はい(楽しめなさそうなんですけどね、と思いながらも笑顔をつくる)、ありがとうございます。よいお年をお迎えください」
 「よいお年を(A Happy New Year to You)」
 空港近くのホテルの一室で、わたしが日本を離れる前の最終日はばたばたと過ぎた。入国審査も移動も隔離期間も時間がもっと長ければいいのにと思ったがインタビュー当日はあっけなく到来した。(続)

2021年の棚卸し

2021年の棚卸し

ふりかえれば予兆のようなものは確かにあった。だれもその結果を予想していたとは思えないが。

  • 小説
  • 短編
  • コメディ
  • 青年向け
更新日
登録日
2024-04-07

CC BY-SA
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  1. 第1章 松葉ガニ、年越しそば、焼きそばとシュークリーム
  2. 第2章 「ベストメンバー」の試練