群青-後編-

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塀の内側で

 私は小学校卒業くらいまで良い記憶がありません。
 良いことがあったのに忘れてしまったのかそもそも良いことが無かったのかはわかりません。中学以降は良い記憶も悪い記憶もどちらもあります。

 二歳で音楽教室に入れられてから、毎週レッスンに通っていました。小学校の一年から五年までは個人とグループの2つレッスンを受けていて、週に二日行っていました。
 個人の先生はものすごく厳しくて、レッスンでやるどの曲もCDのように弾けないと合格をくれませんでした。レッスン中に時計をチラ見したら怒鳴られました。小一の時、土日に風邪をひいて寝込んでいまい、練習不足でレッスンに行った日があったのですが、そのことを言ったら「そんなのはただの言い訳だね」と言われました。いつも泣いていました。理由は自分でもわかりません。なぜか涙が出てくるのです。先生の顔を見ると、わけもなく、まるで条件反射のように泣いてしまうのでした。先生は泣くことを禁止しました。あまりにも弱すぎる私を軽蔑していたのではないでしょうか。私は感情を捨てました。心を殺しました。感情というものは、その時分の私にとって、邪魔なものでした。
 グループの方では、ただ演奏するだけでなく作曲や即興演奏もやっていました。しかし当時の私は創作がとてつもなく苦手で、苦痛以外の何物でもありませんでした。同じグループの子たちとは仲良くしていましたが、大人に気に入ってもらえるのは大人びた行動や言動をする子だけでした。私はいつも下の扱いを受けていました。何とか周囲に気に入られたくて、周りを気遣える人間になろうと思い、常に周りの様子を伺うことに必死でした。子ども同士、大人同士の仲は確かに良かった。でも私は、いつも別れた後でどっと疲れを感じました。
 家では、毎日母に強制されて練習していました。当時の私は、練習が大嫌いでした。ピアノを強制する母のことを、嫌いと思うこともありました。練習したくないから、代わりにお手伝いをしようと思って台所に行ったら追い出されたり。ピアノか勉強以外のことをやる時間など全くありませんでした。でも、飴と鞭という言葉があるように、普段の母は優しかった。普段の母のことは好きでしたし、今も嫌いではありません。好きか嫌いかと問われれば、当時の私も今の私も、好きと答えると思います。ただ、熱心だったのは母だけです。父は、母ほどではありませんでした。幼稚園児だった頃は、土日になると公園に遊びに連れて行ってくれました。
 今の両親は、いい年になった私でも大切に扱ってくれます。私は二人の間にできたたった一人の子供ですから。二人分を一人で背負っているのです。

 最も苦しかったのは小五の春です。
 エレクトーンのアンサンブルでコンクールに出ないか、とグループの先生に勧められました。私は、このような選択を迫られた場合は必ずイエスと答えるものだと思っていたので、出場することになりました。メンバーは私を入れて三人です。楽譜が配られると、四人用の曲を三人に割り振ってありました。グリッサンドという弾き方が指定されている箇所は全て私の担当だったと記憶しています。やり方が間違っていたのでしょう。指の皮が剥けて、鍵盤が薄く赤色になりました。ただ、私はそれの正しいやり方をきちんと教わったことはありませんでした。
 先生はとても”親切”で、無償で別の曜日にもレッスンをしてくださりました。ある時、あまりにも演奏が良くないということで、お叱りを受けました。よく覚えていませんが、夜の十時、十一時くらいまで教室にいたと思います。全て私たちのためです。個人的に、上を向いて歩こう、とご指摘を受けました。
 その後は、より一層頑張る、ということを母親に求められました。他のメンバーはその通りだったらしいですが、私はそんな性格ではなく、もう二度と行きたくないと思いました。でも、もう今さらやめるなんてできないと思ったのかと推測しますが、真面目にやりました。本番直後、はけてすぐ舞台袖でどこが良くなかったか、と指導を受け、褒められることはありませんでした。それでも結果は金賞で、次に進むことになりました。
 さて、ここで大問題。本選と学校の林間学校の日程が被っていました。親の方針で、習い事よりも学校を優先することに決まりました。よって、私は抜けて、他の二人だけで出場することになりました。私は割り振りが変更された楽譜を受け取ってすらいませんでしたが、二人のレッスンに"来ても良い"と言われたので、行きました。もちろん、私は蚊帳の外でした。本番直前のレッスンでは、緊張感を持って取り組みたいから来ないで、と指示されました。場違いだと感じつつ行っていた教室から結局締め出されたんだ、と感じました。先生から、いつも「笑え!」や「根暗!」と言われていました。
 何も感じないし、上手く笑えないし、暗いし、弱い。そんな十一歳になっていました。


 小学生になると、たいていのは地域の子供会に入りますよね。私だって、例外ではありません。私はそこでKちゃんに出会いました。もしこの少女が私の生活の行路を横切らなかったならば、おそらくこういう長いものを書く必要もなかったでしょう。
 Kちゃんにとっての私は、さあ、どう思われているのでしょうね。
 入学したばかりの頃の写真が私のアルバムに入っています。私とKともう一人の友人が手を繋いで掲げている写真です。三人ともまだ幼く、そして笑顔でした。

 私は、学校ではとても友達の少ない子供でした。
 小学校一年生の時には、関戸(せきど)さんという子と仲良くなりましたが、その子以外に友達と呼べる子はいませんでした。関戸さんと校庭のジャングルジムで遊んだり、鉄棒で遊んだりする以外は、ずっと教室で本を読んでいました。
 その頃クラスでは、一人不登校気味の子がいました。その子は彩寧(あやね)ちゃんといいます。たまに登校することが出来た彩寧に私が声をかけたことがありました。それがきっかけで、私たちは仲良くなりました。当時六歳でしたから、かれこれ十一年の付き合いになるのかと思うと、感慨深いものです。
 私は、一生の友達になる子たちには共通点があると思っています。単なる偶然かもしれませんが、そういう子はみんな「初めて」の日のことを覚えているのです。
 二年生では、佐和子(さわこ)ちゃんと仲良くなりました。古めかしい名前の彼女は、とても賢く、いつもトランプのスピードやババ抜き、また自由帳を使って問題を出し合ったりしていました。彼女とは、中学校も高校も同じで、今でも仲良くしています。佐和子は私の大好きな人です。
 この年のクラスは、毎日のように男子たちがケンカをしていました。「死ね」などの暴言は当たり前のように使われていました。男子たちがケンカをするとき、教室に整然と並べられた机や椅子が投げられていました。危険と判断した女子たちが、慌てて職員室にいる担任を呼びに行ったことがありました、その時、思わず大きな声を出してしまいました。その声の大きさを注意され、男子のケンカを止めに行くよりも先に、私たち女子が説教をされました。あの日の出来事は、今でもよく覚えています。
 三年生に上がると、私と彩寧、そして新たに仲良くなった亜美(あみ)ちゃんの三人でいつも一緒にいました。手術ごっこをすることが一番多かったと思います。彩寧が家にある要らない消しゴムをもってきて、それを病気の人間に見立てて手術するのです。道具はメスの代わりに定規、ペアンの代わりに鉛筆などを使いました。自由帳の表紙に大きく「カルテ」と記し、毎日の遊びを記録していました。
 私と佐和子は別のクラスになってしまいました。小学校の時は校則で「自分のクラス以外の教室に入ってはいけない」とされていましたから、廊下でトランプをしていました。佐和子、彩寧、亜美。私は充分幸せでした。
 そんな平和な年月はあっという間に過ぎ去り、私は小学四年生になりました。
 この年のクラスでは、亜美と、輝乃(きの)ちゃんという子と同じクラスになりました。
 輝乃は、今思えば少し、いえ、とても問題のある子でした。「今思えば」と付けたのは、当時は彼女に対して良い子だと思っていたからです。
 彼女は、周りの大人はもちろん、少しでも自分と合わない子に対して「うざい」などと言い、少しも口をきこうとしませんでした。特に嫌っていたある女の子からは、いつも逃げていました。距離が少し近づくだけで、彼女は走り去っていきました。
 私は「友達と一緒に過ごす」ことが当たり前と思い込んでいました。私が気付いていなかっただけでしょうが、一人でいる子なんていなかったと思うのです。一人になることが怖かったのです。恥ずかしいと思っていたのです。私は輝乃になんでも合わせましたし、亜美はなんでも私に合わせていました。
 実は、亜美はおそらく境界知能です。勉強は低学年の内容でも全然出来ず、当時からテストは十点台ばかりでした。
 そんな状況で、私は輝乃がよく使う言葉である「ウザい」の意味を知りました。人を嫌うということを知りました。それまでの私は、不平不満を抱いたとしても、その人に対して特に何も思いませんでした。この頃から、輝乃と同じように「ウザい」を元に行動するようになりました。
 私は輝乃に毒されてしまった。亜美は相変わらず私に付きまとっていました。

 さて、また進級の春を迎えました。次は五年生です。
 この年同じクラスになったのは、友結(ゆゆ)と亜美と、Kでした。初めて、Kと同じクラスになりました。友結も初めましての子です。

 始めのうちは、私はいつも亜美と二人で過ごしていました。
 しかし、どうしたことでしょう。亜美はなぜか暴力的になっていきました。少しでも私に不満があると、叩かれました。どこよりも大切な手を切ったこともありました。彼女が何を思っていたのか、私には想像もつきません。
 私は亜美の暴力を、まずは母に訴えました。
 すると、母は過剰なほど反応しました。家庭訪問の際には亜美の話ばかりでしたし、そのおかげで亜美の暴力がピタリと止まったと言うと、今度は私のランドセルを勝手に開けて連絡帳を取り出し、先生宛の文書をしたためました。その内容は、次のようなものでした。

新美(にいみ)先生へ
 いつも大変お世話になっております。家庭訪問ではいろいろお話をきいて下さり、どうもありがとうございました。その時にもご相談させていただいた亜美ちゃんのことですが、先週金曜日からはピタッと叩かれなくなったそうです。しかし、叩くことはなくなったけれど、態度や言葉でいやな思いをさせられるとのことです。
 たとえば、奈菜(なな)は鉄棒の練習で仲良くなった友結ちゃんと気が合うらしく、休み時間に遊ぶことがよくあるらしいのですが、そういう時、亜美ちゃんはジーッと見ていて、次の休み時間や帰り道、そうでなければ翌朝、怒ってくるらしいのです。顔もすごく怒っていて、怖いと言っていました。他の子がいないときにそういうことをするそうです。先生などの大人や、他のお友達がいるときはおとなしくしているので、そのギャップにびっくりするし、怖いと言っています。
 先日、月曜日、帰り道に、亜美ちゃんがマンションに帰ってから出てきて、クマのぬいぐるみをくれました。もらっていいのか戸惑いつつも受け取って帰ってきました。すると、翌朝には『返して』と言われたそうで、困っていました。学校にぬいぐるみを持っていくのはいけないし、亜美ちゃんの家に帰しに行くとまた叩かれるから嫌だということで、家族会議をして、亜美ちゃんに取りに来てもらうことにしました。いつ来ても返せるからね、と伝えたそうです。しかし、どうして人にものをあげて、次の日『返して』なんて言うんだろうね、と話しています。くれた理由は『これ可愛くないけど、奈菜ちゃんはクマが好きなんでしょ。』ということらしいのですが『いらないからくれたのにどうして?』と、本人も戸惑っています。『返して』と言ったあとに、亜美ちゃんは『嫌でしょ~?』と笑いながら奈菜に言ったらしく、それも嫌だったと話してくれました。
 今日は、『亜美にケガさせられた』と、帰ってきてすぐに言いました。帰りの会が終わり、廊下で一緒に帰る近所の友達を待っているところに亜美ちゃんが来て、奈菜の手の指を、強い力でグリグリ握ったそうです。『痛いからやめて!』と言ってもやめてくれず、本当に痛いから手を引いた時に、亜美ちゃんの水筒の紐に手が当たって擦りむいたそうです。たいしたケガではなく大きな心配は必要ありませんが、奈菜が痛がっているのに笑っていてやめてくれなかったこと、ケガをしたのに謝らなかったことに憤りを感じます。クマを返してほしいという時も謝らない、とにかくいつも謝らないそうです。
 他の友達とも仲良くしたいし、友結ちゃんも『遊ぼう!』ときてくれて、遊ぶと楽しい。でも、そのあとの亜美ちゃんの態度に、奈菜は困っています。絶交したいとまでは思っていないけど、自分から進んでは仲良くしたくないとのこと。また『お母さんだったら、もうそんな子とは口をきかないかも。』と言ったら『私はそんなことしたくない』と言います。主人は『いっぺん亜美ちゃんにキレてみたらどうだ』などと言いますが『できない』とのこと。『仕返しされるから』と。
『自分がされて嫌なことをするような友達は友達じゃないよ。あなたは、自分が優しくしてあげて、相手も同じような態度で接してくれる、一緒に居て楽しいなっていう子と仲良くすればいいんだよ』と、奈菜にはいつも言っています。
 親としては、今すぐ亜美ちゃんにどうこうしたいということではなく、ただ奈菜が学校での勉強に集中できて、休み時間も気持ちよく過ごすことができ、充実した毎日を過ごしてほしいと思っています。家でも様々なことに頑張って取り組んでいて、そこでの友達も、とても大事にしています。勉強も頑張りたい気持ちが強くあり、通信教育の教材も、読書もします。どんどん知識を身につけています。学校で、当然嫌なことや辛いことはありますし、それを上手く乗り越えていく力を身につけるのも学校だと思います。強く優しい人間になれるよう頑張って! と見守るのと同時に、これは危険だと思うことは親がサポートしなくてはと思い、連絡帳に書かせて頂きました。乗り越えていくのは奈菜自身ですが、新美先生からも気を付けて頂きたく、お願い申し上げます。
 大変長いお便りとなってしまい、申し訳ございません。今後とも、よろしくお願致します。」

 ここに書いてあることは、大方事実です。確かに私は暴力の被害者でした。しかし、面倒なことに、私は「良い友達がいない子」というレッテルを貼られることになりました。
 友結は、五年生の春の体育の授業で、鉄棒をやった時に仲良くなりました。私は鉄棒が得意でした。しかし、友結は苦手でした。友結は私に、コツを教えてほしいと頼みました。それから休み時間には友結、私、亜美の三人で鉄棒の練習をするようになりました。
 私と友結は、みるみるうちに仲良くなりました。鉄棒の練習という名目がなくとも、一緒に過ごすようになりました。友結と亜美が親しかったかどうかは、正直言って、私にはよくわからないのですが、いつも三人で過ごしていました。
 私たち三人の関係が安定してきたころ、それを乱す存在が現れました。
 それはKです。
 Kは、それまでは、ただのクラスメイトというだけで、何とも思っていない存在でした。子供会で仲が良かったのは確かですが、それは子供会の中における人間関係であり、五年一組の人間関係の中では、まったくもって重要ではなかったためです。あまりよく覚えていないのですが、友結と仲良くなりたかったのか、私に近づきたかったのか、だいたいそのような理由と推測しましたが、彼女が私たちの仲間に入りたがるようになったのです。
 コンクールの本選を休んで出席した夏の林間学校は、何事もなく終えることができました。秋の運動会も、林間学校と同様でした。
 しかし、私たちは行事など先生が見ているときではなく、春に問題になった友結のように、他の子が誰も見ていないところで、最低なことをしていました。
 Kをいじめていました。
 ある日、友結が言ったのです。
「Kのこと、どう思う?」
 私は返答に窮しました。友結の性格は、もうよくわかっていました。曲がりなりにも友達でしたから。輝乃のように「ウザい」をわかっていて、多用していました。
 私が何も答えず「うーん……」と黙ってしまうと、友結は次の一言を放ちました。
「Kってウザくない?」
 この質問に対する答えの選択肢は2つあります。イエスかノーです。でも、よく考えてみてください。この質問は、どちらを選んだとしても、私には不利になるのです。
 イエスと答えた場合、子供会における私とKの関係を、一瞬にして壊すことになります。なぜなら、友結に同調すれば、友結はKを避けるに決まっているから。友結がKを避けるなら私もKを避けなきゃいけない、そう思いました。Kを避けて友結に合わせなければ、私は友結の隣にいることはできなくなります。亜美と二人きりに戻ります。また暴力に耐えなければならないなんて、もちろん嫌でした。
 ノーと答えた場合、友結を否定しKを肯定することになります。友結を否定するということは、私がウザいと言われる番になるということです。友結が嫌いなKに味方する私も、友結の嫌いな人。そんな理屈です。
 私はこの二つを天秤にかけ、答えを出しました。ほんの一瞬しか考えなかったと思います。
「わかる~」と答えました。こうして、私はKを避け始めました。亜美は私に合わせて、Kを避けました。
 私は、この時の質問に対して何と答えるのが正解だったのか、いまだにわかりません。イエスともノーとも言わず、ただ平和を維持する方法が、わからなかったのです。
 Kが私に近づいてくると、すぐに逃げました。Kの悪口を書いた手紙を、三人で共有しました。たまにKに同調して一緒に遊ぼうと言った矢先にトイレに行き、Kが用を足している隙に三人で逃げました。Kをことごとく仲間外れにしました。
 ある日、いつものようにKから逃げた時、Kは大声で私にこう問いかけました。
「奈菜は私のこと嫌いなの?」
 私はこの時も返答に窮しました。イエスと答えれば、私の今までの汚い態度のすべてを肯定することになり、さらに、Kとの関係に更なる追い打ちをかけることになります。
 ノーと答えれば、今までの自分の態度のつじつまが合わなくなります。なぜ逃げるのか説明させられるに決まっています。この場合、どうしても友結を否定することになり、亜美と二人きりになる、いえ、それだけで済むはずがありません。友結と亜美とKが繋がり、私がいじめられたでしょう。
 この場には友結と亜美もいました。三人を前にして、私はKを好きか嫌いか、はっきり言わなきゃいけません。私には、もう語彙がありませんでした。そして、こう言いました。
「嫌いになってほしいの?」
 この答えに、明確な意図はありません。当時流行っていた少女漫画でそのようなセリフがあったことを、たまたま思い出したからです。

 それからしばらく経ち、季節が冬本番を迎えた頃、ついにKは音を上げました。

 あの日のことは、一生忘れないでしょう。忘れられないでしょう。
 真冬の水曜の朝、登校してきて教室に着くと、黒板に大きく「一、二時間目は自習」と書かれ、教卓の上には二時間分の自習プリントが積まれていました。私は「なぜ?」と戸惑いを感じながらも、友結や亜美と共に喜んでいました。そんなところに担任の新美先生がやってきて、まずは私だけを呼び出しました。少し話すだけと聞いたので、大した用件ではないと思いました。
 私は何も考えずに、先生についていきました。行き先は、特別教室ばかりが集まった南校舎の一階、相談室でした。
 あのフロアは、冬になると冷気がとどまり、そして薄暗い場所です。また、相談室は掃除されておらず、埃っぽい部屋でした。
 そこで、私はあの日の少し前に文具店に四人で遊びに行った時のことを訊かれました。
 文具店に遊びに行った日というのは、この呼び出される日のほんの数日前のことです。私、友結、亜美、Kの四人で出かけました。四人でその店に行くことは、当時しばしばありました。毎回、Kが買う物を何かと理由をつけて三人で笑いました。また、友結は様々なかわいい文房具を集めることが大好きでした。その日、友結はなんと、二万円もの大金を持ってきました。それの出どころが問題になっていたのです。友結は誰にも明かさずに、家の金を盗んで持ってきていたということが、この時になって判明しました。私は一時間目をまるまる使って、金について説教されました。
 正直、この時の金についての説教は、私にとってはまるで意味のないものでした。私は金の管理はしっかりするよう母に教育されてきたので、お小遣い帳を使って一円の誤差もないように管理していました。また、お年玉など大金が手に入った場合も、全て自分で管理していました。

 もうここから解放される。そう思っていた矢先に、新見先生はチラリと本題は金の話ではないことを仄めかしてました。
「ところで、最近どう? みんなと仲良くやれてる?」
 私は、イエスと答えました。
 生物的な直感が、私に訴えかけたのです。イエスと言え、と。
 嘘をつくことに対する罪悪感というものはありませんでした。さも当然のように嘘をつき、Kをいじめる。それが私の日常でした。
 私は相談室から解放され、すると今度はKが相談室に入っていきました。二時間自習と聞いていますから、この時には、私に一時間話を聞いた後、あとの三人にも説教をして、それで終わりだと思っていました。
 Kが相談室に入っているあいだ、私はずっと相談室の向かいにある特活室にいました。
 独りで過ごすには広すぎて心細く、また、暖房はありませんでした。休み時間にトイレに行く以外の理由で部屋から出ないよう、新美先生に言いつけられていました。私はこの軟禁状態の中で、大変暇でした。何もすることがなく、ただ適当な椅子に座ってボーっとしていました。そうして二時間半ほど過ごしていました。Kは二時間目が始まる頃に相談室に入ったのですが、それから四時間目の途中まで出てこなかったのです。ときおり先生が出入りしていましたが、中の様子は窺い知ることはできませんでした。
 私は三時間余りにわたって先生たちに拘束され、友結や亜美を含む他の子たちが何をしているのかすら、知ることが出来ませんでした。

 Kが相談室から出てきたとき、彼女の目は赤く染まっていました。いじめの話をしたのでしょう。だから二時間半も相談室から出てこなかったのでしょう。
 私は思いました。「終わった」と。
 この「終わり」には二つの意味があります。全てがバレて、私たちの悪行が知られたということ。もう一つは、やっと解放されるということです。
 しかし、これで終わったわけではありません。まだまだ先は長かったのでした。

 私とKは二人で教室に戻りました。何が起こったのか、私はすぐ友結と亜美に伝えました。Kは何食わぬ顔で席に着いていました。
 そのあとすぐ、新美先生が教室に入ってきました。そして大声で友結と亜美を呼び出し、連れて行きました。
 何も言われなくても、私は分かりました。教室を出ていく二人に私は目で訴えました。覚悟しろ、と。覚悟を決めないと、あの相談室に入ったら出てこられません。私は察していました。いじめ事件を解決しようとしているのですから、そう簡単には解放してくれないでしょう。

 私はこの日、正式にいじめ加害者になりました。

 予想通り、四時間目が終わり、給食が終わり、掃除の時間が終わっても、二人は戻ってきませんでした。昼休みになり、一人で過ごしていると、辻村(つじむら)という教務主任の先生が私のところにやってきました。
「ちょっと来てくれる?」
 何も言われなくても分かりました。またあの相談室に行くのだ、と。彼は、Kにも同じように声をかけていました。
 このあと、相談室で、いじめに対する説教が行われました。私と友結と亜美が並んで座り、反対側にKと新美先生と、学年主任が座りました。また、辻村先生がいわゆるお誕生日席に座りました。学年主任も出てきたということは、五年一組だけでなく、五年二組の授業の時間まで奪ってしまったということです。自分はとんでもないことをしたのだ、と改めて理解しました。
 あの日受けた説教の内容は、実は全く覚えていないのです。一体どんな話をしたのか、まったく記憶にないのです。
 しかし、断片的に覚えている部分が一か所だけあります。
 学年主任が私たち三人に問いかけたのです。彼女は、まずたまたまその場にあったボールを指さして言いました。
「このボールを壁に投げつけたら、どうなると思う?」
 この質問に対し、友結や亜美など皆黙っていましたが、私は言いました。
「跳ね返る。」

 それから卒業までずっと、学校の居心地は最悪でした。
 新美先生からは、無視されたり、わざと通知表の成績を悪くされたりしました。学年主任からも無視され、また、彼女はことあるごとにジロジロと睨みました。
 私はもう、何もかもがどうでもよくなりました。友達なんて、こんなものなのです。どうせ、いつか必ず壊れるんです。
 思い返せば、いつも友達は一年間でした。一年生の時の関戸さんとは、いつの頃からか全く喋ることはなくなりました。佐和子は、同じ高校に進学したもののクラスが別だったため、ほとんど話さなくなりました。彩寧と最後に連絡を取った日がいつなのか、もはや覚えていません。友達なんて、しょせん一年間なのです。友達なんて、その程度のものなのです。

 あの日の一週間後、友結は衝撃的なことを口にしました。
「もう奈菜とは遊ばない。」
 理由を訊くと、母親に私とは仲良くしてはいけないと言われたそうなのです。私は涙が止まらなくなりました。Kをいじめて、暴力から逃れようと必死にもがいて、たどり着いたところでは結局、私は独り。私の周りには、誰一人いない。
 あれを言われた休み時間のすぐ次の授業では、ずっと泣いていました。クラスメイトは、さぞかし不審に思ったことでしょう。その時、なんと私を無視していたはずの新美先生が、私の肩をトントンと叩いたのです。優しく、本当に優しく。新美先生は、私をどう思っていたのでしょう。


 六年生のクラスでは、優里(ゆうり)ちゃんという子と親しくなりました。また、彩寧と再び同じクラスになることができました。
 優里との関係は、一年も経たずに壊れました。二学期くらいから、優里は私と一緒にいることをやめ、他の子たちと一緒にいるようになりました。私はまた独りになりました。休み時間になると、いつも教室で、独りで本を読んでいました。彩寧も別の子と一緒にいたので、私はずっと独りでした。
 五年生の時にいじめをしたという事は、おそらく六年三組では知られていなかったでしょう。いじめが理由で仲間外れにされたことはありませんでしたし、いじめのせいで不利になったことは、友達関係の話をする上ではありません。
 先生方は、五年生から持ち上がりで六年生の担任になりました。一組の新美先生も、二組の学年主任も、みんな私たちの罪を知っています。私が罪人であることを知っています。
 この長いもののはじめに述べた通り、私はピアノを頑張っていました。小学校最後の授業参観の日には、保護者たちの前で歌や寸劇などを披露することになっていました。私は歌の伴奏者に立候補したのです。立候補者たちでオーディションを行い、選ばれた者が伴奏者になれるというシステムでした。毎週のレッスンではコンクールの曲の練習をしていましたから、学校で弾く曲のレッスンは時間が足りないため出来ません。私は忙しいスケジュールの合間を縫ってコツコツ練習しました。
 しかし、オーディション当日、私の演奏を聴いてくれた審査員は三人中一人しかいませんでした。クラス順かつ出席番号順に演奏するはずだったのに、なぜか三組の私がトップバッターで演奏させられたのです。審査員がまだ全員揃っていないのにもかかわらず演奏を開始させられました。それはすべて、学年主任の一存でした。私は演奏を聴いてもらえなかった上、落選しました。
 私は、先生たちの行動を、罪に対する罰だと解釈しました。先生たちは、ボールを壁に投げつけると跳ね返るのと同じように、私にいじめというものに対する罰を与えていたのです。

 私には、覚えている限り信じられる人がいません。
 親も友達も先生も、誰も私を知らないんです。好きなものも好きな人も、小出しにはしていますが、全部を明かした人は一人もいません。
 そもそも、自分を他人に「理解してほしい」と思うこと自体が傲慢なように思えます。私が他人を百パーセントわかることができないのと同じように、私のを他人が百パーセントわかることなんて、有り得ないんです。

 小学校の話は、これくらいでしょうか。中学に進みます。

 十三歳の時、とある医療ドラマを見て医師になりたいとハッキリ思いました。
 本気で将来なりたい職業を見つけたのは、それが初めてのことでした。
 特に好きなのは最終回。あの日の主人公は、いつも以上に尊かった。彼だけでなく、みんな尊かった。
 先輩も同期も後輩も全員を思っている生真面目なリーダー、それが私にとってのヒロインなのですが、指揮官になる後押しをしたのは第一話での主人公でした。「お前だから信じて任せられるんだ」と言って現場へ向かう者、指示を出すという形でみんなを守ろうと奮闘する者。それぞれがそれぞれの役割を担い、みんなが互いを信じていて、あれこそが仲間なんだ。
 私が一番好きな登場人物は主人公です。そして、もしかしたら、いわゆるリアコかもしれません。自分ではよくわからないけど、恋であると言われても、否定はできません。不器用で、孤立しがちで、でも、どこか人間らしいというか。そんな主人公のキャラと演じた俳優さんの性格には、ギャップもありつつ、似たところもありつつ。どちらもではありますが、比較してみると、どちらかというと俳優さんの方ですかね。何だか気になって仕方ないんです。

 私はあれから”死ぬ気で”勉強を頑張りました。
 二週間ほどテレビやネットなどの娯楽を断ち切ったり、学校から帰ってから深夜二時まで勉強して睡眠を削っていました。中三の夏休みには、夜通し勉強して午前七時にフローリングに直に寝転んで自分の腕を枕の代わりにして二時間くらい寝て、また次の日も夜通し勉強する、というのを繰り返していました。受験生だから娯楽などもってのほかだし、自分には寝ている暇もないと思っていました。疲れれば疲れるほど充実していると思った上に、なんだかうれしかったです。
 結果は、第一志望に合格できました。
 あのままの調子なら、きっと今は医学生だったでしょう。

 受験が終わって合格発表を待っている頃から、よくわからないけどなんかつらい、といった感じるようになりました。「猫」という曲が妙に沁みわたりました。新型感染症が流行って長い長い臨時休校になった年だったので春休みが異常に長く、普段は課題のない校風だけど課題が出て取り組んでいました。その時に初めて、勉強を苦行だと感じました。それでも勉強を続けました。部活が終わったら塾に直行して夜八時まで勉強していたので、帰宅は九時過ぎが当たり前でした。後期からは、塾での東大・京大・国公立医学部医学科を目指す生徒向けの授業も始まりました。文化祭の準備をするために朝は七時半に学校に着いていたので、家を出るのはだいた六時半、帰宅は夜十時半。これを二週間に一回。それ以外の日も毎朝は六時半に家を出て、夜九時過ぎに帰宅。
 正直、きつかったです。
 でも、私より学校までの所要時間が長い子なんてうじゃうじゃいましたし、塾に行くのも部活を頑張るのも普通です。
 高二になったら、私はクラスで議員という役職に就き、議員として厚生常任委員になり、部活では部長になり、学祭の実行委員にもなりました。委員会の会合や生徒議会は、部活に支障をきたさないために昼休みにやります。よって昼ごはんを昼に食べられませんでした。休み時間に早弁したり、僅かながらも睡眠に充てたりしていたら、当然友達と過ごせる時間なんかあるわけがありません。気がついたらいつも一緒にいた子は他の子と仲良くなっていて、私は独りになりました。そうして勉強と仕事で忙殺されている頃。
 精神疾患になりました。 
 学校に、まともに通えなくなりました。
 心はみるみる荒んでいきました。

 Twitterで病み垢を作り、そこだけが私の居場所となりました。
 この世はあまりにも難しい。人間なんてさっぱりわからない。世界はまるで監獄のよう。そんな思いを口にする人たちを見て、もしかして私もそう思っているのかもしれない、と思えました。
 また、認知行動療法により回復を図ったものの、一向にその兆しは見えなかったため、他の病気を持っていないか検査をすることになりました。その結果、私は生まれつきの発達障害者だと判りました。
 部長以外の仕事は無事に任期が終わったのでよかったのですが、部活は定期演奏会という特大イベントを残していました。私ではダメだと判断した顧問に、事実上クビにされました。自主勉強もできないし、症状のせいで授業を聞くこともできないし、部活でも私は用無しだし、子どもの頃からやっていたピアノだって、輝かしい結果を残したわけじゃない。私は今まで頑張っていたつもりになっていただけで実は何もできていなかったのだと思いました。クビを宣告された私は線路に飛び込むのに最適な場所を探そうと思い立ち、学校を抜け出して無心で歩いていました。
 ある日いつも通りTwitterを見ていると、私より二歳年下の女の子が、いじめを受けたことによるPTSDに罹った末、死んでしまったというニュースがトレンドに上がっていました。また、その加害者に対する糾弾、つまり加害者への誹謗中傷(死ね、などの言葉)がネット上に溢れかえっているのを見ました。私はそれらを読んで、加害者はなんて酷い奴なんだ、と思いました。いじめを受けた末に亡くなっているわけですから、加害者は殺人者だとまで思いました。
 気付いてください。この感情は、特大ブーメランですよね。
 私はKをいじめました。Kは自殺こそしていませんので、私は殺人未遂罪を背負っていることになるのです。
 私は殺人未遂犯。私は人を殺しかけた。こんな私に生きている価値はないんだ。そういう黒い影が、私に付きまとっているのです。
 あの女子中学生も、精神病に罹って学校に通えなくなっていたそうです。また、Twitterからの(不確かな)情報によれば、私と同じく発達障害者だったそうです。私は、見ず知らずのあの子と同じ道を辿っているような気がしました。
 つまり、今私が歩いている道の先にあるものは「死」である。
 しかし、女子中学生はいじめの被害者で、私は加害者です。全く正反対の立場です。私自身を女子中学生に重ねてはいけません。女子中学生をいじめた加害者に重ねるのが正しいでしょう。あの子をいじめた加害者たちは、ネットに実名と顔写真を晒されていました。ほんの少し検索するだけでヒットしました。これは彼らに対する罰なのだろう。先生に呼び出される等は既に行われた上で罪人として晒されていることは、いじめに対する罰なのだろう。そう思っても、私の情報はどこにも出ていません。私への罰は何? なぜ私はここにいる?
 この問いへの答えは、私なりに導き出すことができました。
 それは、「やられたらやり返す」というように、いじめられたら、いじめ返せばいいのです。
 私はいじめ返されてはいない、それなら自分で自分をいじめればいいのです。
 答えを見つけることはできましたが、どのように自分をいじめればいいのかがわかりませんでした。自分を無視する、自分の悪口を書いた手紙を回す、自分から逃げる、どれも不可能なことです。私は困りました。
 そのとき、思い出したのです。
 いじめをする奴に未来なんてない。死ね。そんな言葉を。
 そうです、死ねばいいのです。私は、私を殺せばいいのです。この世では人を殺すことは許されていませんが、もしもこの世界で1人の人間を殺してもいいのなら、私は迷わず私を殺します。なぜならば、もはや言わなくてもわかると思いますが、私は罪人だからです。私という人間は、殺されても全く構わないからです。
 もうお気づきですよね。
 ここを千晴ちゃんが読んでいる頃、私はもういないでしょう。これを世に送り出し、そして、私は私自身の手で、私に罰を与えるのです。私は監獄に生まれ、監獄で死ぬのです。中学時代、絶対に私より先に死なないでと言った先生がいましたが、彼女だって罪人が死刑に処されることに反対はしないでしょう。
 ああ、そういえば、まだ大切な記憶を書き写していませんでしたね。危ないところでした。
 かつての記録を整理して、綺麗にまとめておくことにいたします。


 まずは中学での「三年生を送る会」から。私たちが卒業する年のものです。

 一年生、二年生の時は、長いし無駄に生徒会が盛り上げてるなって思ってたけど、三年生としての三送会(さんそうかい)はどこか違っていた。まあ、三年生の思い出を振り返る会だもん、一年や二年には分からない話が多いから、あまりノれなくても仕方ない。
 最初は一年生の出し物。光る棒を持って踊っていた。きれいだったよ。きっとたくさん練習したんだよね。
 三年生あるある。あれは全部共感した。私たちが事前にアンケートに答えてるから、そりゃそうなんだけどね。可愛かったなあ。
 全員合唱で「猫」。流行りものについてはよく知らないけど、これはすごく好きかもしれないって思った。空気にのまれただけかもしれないけど、それでも全然かまわない。
 次は二年生。まずはビデオから。
 事前アンケートをもとにしてるんだよね? めっちゃおもしろい仕上がりでした。各クラスそれぞれの思い出。メガネクイズ、真田(さなだ)先生あるある、新川(しんかわ)先生のいいところ、石山(いしやま)先生の好きなところ、などなど。
 メガネクイズの時の犬居(いぬい)先生、写真写りが絶妙に良くて笑えたよ。
 真田先生あるあるの寸劇で真田先生を演じてた子、激似だった。あの子、女優になれそう。真田先生はホントに素敵な人。
 新川先生、最初からアルパカイジリされてたね。ウケる。口では嫌がってるけど、内心まんざらでもないんでしょ、わかるよ、顔はにやついてるから。ランキングの1位は「生徒想い」。そのとおり。新川先生は口が悪いけど、心の底では優しくて、すごく素敵な人。
 石山先生の好きなところ。やっぱり「かわいい」がランクインしてた。いつ見ても石山先生はかわいい。それに「優しい」も激しく同意。
 ビデオが終わったら、次は歌。去年うちらが卒業式で在校生として歌った曲だった。なんかすごく刺さった。
 次は先生たちから。三年間を振り返るビデオだった。一年の時と今、みんなだいぶ違っていたね。自分たちのこととはいえ、成長を感じる。それに、自分たちで作ったビデオに自分たちで感動してたように見えた。先生という立場であっても、気持ちはうちらと同じなのかもしれないな。
 二本目のビデオで、今度は三年生から「ありがとう」のメッセージ。みんなそれぞれ、想いを持ってる。生徒側からのメッセージのはずなのに、最後はなんと、先生方から卒業生のみんなへ、だった。もう内容忘れちゃったけど、確か「みんなといれて幸せ」みたいなことだったと思う。うん、これを幸せって言うんだろうな。

 この日の夜、総理が全国の小中高校に臨時休校を要請した。以下は翌日の記録。

 午前十時に市長から卒業式をやるかやらないかの発表があって、本当に今日が最後になるかもしれないと覚悟した。それはみんな同じだったみたい。
 まず、朝登校したら、話題はもちろん「卒業式はどうなるのか」。「今日卒業式だって」とみんなが言っていた。「うそでしょ……」と思ったら、ふいに喉にくっと形のない塊が詰まった。教室の黒板には、真田先生の似顔絵とクラス全員の名前、そして真ん中に大きく「3‐1」。
 本来は朝学習の時間だけど、誰一人として勉強なんかしていない。でも、とがめる子はいなかった。八時半をすぎた頃、ようやく教室に真田先生が来た。
「昨日のニュースを見ましたか? 私も夕方のニュースで知って……」
「もしかしたら今日が最後かもしれません……」
 語尾が波打つように震えていた。
 三年全員が体育館に集合したのは、八時四十分くらいだったと思う。
「十時に予定通り式ができるのか発表があります。もしかしたら今日が最後かもしれないので、先生方ひとりひとりからお話をして過ごします。式ができないのなら、その後卒業証書を渡します。できるのなら、簡単に式の練習をします。」
 こんな感じで学年主任が前置きして、いよいよ先生方が順に話し始める。トップバッターは犬居先生。
「本当なら一組の先生から順番のはずですが、一組の先生がどうしてもいやだとおっしゃったので、俺から話します。」
 少し笑いを取る。
「今まで授業の初めに話をしてきたのは、みなさんに少しでも社会に興味をもってほしいからです。様々な話をしてきましたが、俺は家族の話や下品な話はしたことがありません。」
 そんな犬居先生の話は、まさかのトイレについて。シュッとして便器を拭くやつ、あれをいつ使うのかについて、昔、生徒が始めに使う派と最後に使う派で議論していたのを聞いたらしい。最後派の人は、次に使う人のことを思ってのことだったそうだ。いつも全く知らない人のことを気にかけて想っている、そんな人になってほしいと。また、家族ネタははじめからおもしろいことがわかっているから話さないのだと。犬居先生の、先生としての信念が見えた。つまらないことをいかにおもしろく、興味をもってもらうか。
 次は真田先生。自身の経験について。
「教員になりたいと思っていたけど、試験に落ちて、一度は民間企業に就職しました。二年働いて、講師として学校で働かないかという話がきました。葛藤がありました。上司からは『ここで辞めるのは逃げることだ』と言われました。でも、自分の頑張りたい場所はここじゃないと思ったから、転職しました。学校で働くようになって、再び、教員になりたいと思うようになりました。試験を受けたけど、落ちて、次の年も落ちて。結局受かるまで何年かかったと思いますか?
 五年です。
 やっぱり、何回でも不合格の通知をもらうと落ち込みます。」
 一度、いや、何度も挫折してるんだって、初めて知った。
「人生には、たくさんの選択があります。目標があっても、あきらめたっていい。でも、そのひとつひとつを大事にしてください。
 あの誘いがなかったら、私はここで頑張ろうと決めていなかったら、私は今、ここにはいないから。」
 私に重なるところがある気がする。人生とは、きっと、先生が経験してきたようなもので間違いないのだと思う。
 加害者になって、毎日が憂鬱で、でも、あれから、怒涛の勢いで頑張って。
 先生も私も、後悔はしていない、きっと。
 三番目は新川先生。しょっぱなから涙声。
「私は三年間持ち上がりで受け持つのはこれで三回目になります。実は、先々週に一回目の子、先週に二回目の子が私に会いに来てくれました。どの学年の子にも、それぞれ思い入れがあります。一回目の子たちは、初めて受け持った子だから思い入れがあるし、二回目の子たちは卒業式の時に臨月で、そのあと産休に入ったから。
 3回目のあなたたちは、復帰と同時に異動になって、慣れた学校から離れて初めての子たちだから。」
 それは知ってる。
「新天地で、たくさん不安があった。
 1年の時も、2年の時も、ずっと叱ってばかりだったと思う。でも、3年になって、少しだけ、怒ることも減ったね。」
 熱さはずっと変わってないよ。
「これから先、高校、大学へ進んで行って、何度も苦しむことがあると思う。でも、何があっても、生きていてね。生きてさえいれば、必ずいいことがあるから。少なくとも、私より先に逝ったりだけはしないでください……」
 私は生きている。
 絶対にこの命を無駄にしたりはしない。
 四番目は石山先生。
 そういや、こないだの水曜日にも泣いてた。四組のみんなからサプライズされて感動して。そんな石山先生の4組に、なんだか寒さも吹き飛びました。
「えー、私はさっと切り上げます。知ってるかもしれないけど、私、一昨日も一回泣いてますからね。もう泣きません。」
 離任式で毎年、離任する先生の話聞きながら泣いてるじゃん、そんなの石山先生だけだよ。
「君たちが小学校から中学校に上がる時、私たちは小学校の先生からひとりひとりについて話をききます。その時、みんなが口をそろえて『いい子たちです』と言っていました。嘘じゃないよ、ほんとだよ。どんな子たちが来るのかなあと思っていたら、本当にみんないい子たちだった……。私は次、高校の先生方に、みんなのことを、いい子たちですと言って送り出せます。そのことが何よりも、私たちにとってうれしいです。」
 最後声震えてて、慌てて話を終わらせたように見えた。
 ずっと私は嫌われ者だった。嘘じゃなくてほんとなら、私のこと、いい子だと思ってたのかな。
 数学の先生は「人生は一次関数」の話を、美術の宮本先生は自身の波乱万丈な半生を、体育の先生はバナナの皮で滑って転んだというくだらなくておもしろい話をしていた。
 一次関数のグラフは直線。傾きがプラスなら右上がりで、マイナスなら右下がりになる。傾きの値を決めるのは自分なんだって。宮本先生みたいに、イラつく時は舌打ちじゃなくて「ペッ」って言ったら、プラスにできるかも。バナナの皮でコケてもすぐ笑い話にできるのは、それが本当にバナナだったからで、私の例え話に使うとしたら、とても笑えないね。


 次は入試の日。

 同じ学校を受験する子と改札で落ち合い、始発から四本目の列車に乗った。前日に体育館で行われた事前指導で、私たちより早く出発する子はいないということは判ってた。事実、道中で知り合いと会うことはなく、それどころか、まだ五時台で、ゴミ出しの主婦すらいなかった。いちばん力を入れて取り組んだ問題集の一冊だけしか持ってきていないのに、リュックが妙に重たかった。
 市内の端っこの駅で乗り、一回乗り換えて反対側の端っこへ。友達と話していたはずだが、何も記憶に残っていないということは、私は上の空だったんだろうね。
 二回目の乗り換えで、さっきまで乗っていた列車の青を見送った。そしたら、ホームから別の青が見えた。
 空が綺麗だ。朝日が綺麗だ。眼下に広がる住宅街を照らすオレンジ色の淡い灯り。あの何気ないけど特別な景色を写真に撮りたかった。携帯は持ち込めないことを恨むしかない。
 気分が高揚する、ということはなかった。ただその悠々と昇る姿に見惚れていた。セーラー服の襟元で結んだスカーフで眼鏡を拭き、曇りと汚れを視界から消し去る。その行動は、問題を見とおして答えを読み取る、そのための願掛けのつもりでもあった。あの灯りのように、ペンで机上を照らしてみせようって、意気込みが強くなると、同時に不安も大きくなる。もし解らなかったら、もし名前を書き忘れたら、そんな嫌な想像が頭の中を支配して、今まで全てをかけて取り組んだ成果を出せなかったら、私の中学時代は意味を持たなくなってしまうって、あのオレンジが緊張感ばかりを後押ししてきた。きっと大丈夫と自分に言い聞かせて必死に抑えつけようとしても、無意味だった。実体のない塊が喉につまる。
 しかし、あれは見事に美しかった。今までに見たどんなものより麗しかった。そういえば、あれより後は、一緒だった子とは何も話さなかった。
 先日、塾から記念品を受け取った。小さくて薄っぺらいものだったが、教室は盛り上がり、生徒たちはそれぞれに開封しようとしていた。しかし、手渡した男性の若い熱血教師が申し訳なさそうに言っていた。
「それ、今はまだ見ない方がいいと思う……。」
 そう聞いたから、第一志望の開始直前に開封すると決めてた。きっと先生たちからの応援だろう。個別のメッセージだったら一層嬉しいが、生徒は大人数なので、まさかそんなことはない。私は脆い方ではないという自負があったので、どんな感動を誘う言葉だろうと、水分ではなく養分に変えることができるだろうと思っていた。
 問題集の振り返りを終え、携帯の電源を切り、筆記用具を取り出す。準備万端となったところで、私は味方の力を受け取ろうと、封を開けた。出てきたのは、先生からのお言葉ではなくて、個別のメッセージでもなくて、特製のハンカチと母からの手紙だった。私に向かって話す声が聴こえてくるみたいだった。
 私はスカートのポケットにハンカチを、胸ポケットの生徒手帳に手紙を挟んだ。ただでさえ多めに持ってきたティッシュなどでいつもより膨れたポケットはさらに太り、腿に当たって邪魔だった。
 落ちた。第一志望で、ずっと目指してきたけど、及ばなかった。


 以降は、いつのものか分からない。日付が書いてなくて、雑になっている。


 みんな高校でいい友達に出会ってるよね。こんなに過去ばっかり見てる人なんて、私くらいだろう。なんとなく寂しい。また中学の時みたいにバカやりたい。自分のやりたいことぶちかまして大騒ぎして「バカだなぁ」って言われたい。

 昨日、ただ電車に揺られていたくて、思いついたままに飛び乗って、山を越えて県外まで出ました。まばらに建つ木造の家々が美しかった。

 終わりの時は決めたのに全然踏ん切りはつかなくて、終わったあとのことを想定しながら行動して、最初に決めたことをやり遂げようと少しずつ準備して、それでも整理をしていると思い出が沸き上がってきて、どうしても感傷に浸っちゃう。

 入学してすぐ分散登校になっちゃったとき、別れちゃったの寂しかったって言われた。

 先輩方が今日で引退しました。なんだか喪失感があります。そして、私は明日から部長になります。責任は、きちんと果たしていきたいと思います。

 何もしないで一日中ダラダラしてたなんて、罪でしかない。頭悪いのに勉強しないとか、馬鹿以外の何物でもない。何もしなくていい生活がしたい。スマホばっかりやってて、こんなの怠惰だ。だから私は駄目なんだ。

 明日がやっとテスト最終日。明日が終われば楽になる。明日さえ終われば。

 塾の先生は、どうして私を信じるの? 物理やりたくなくてサボって、「教科書が家にあるから」って嘘ついたのに、どうして「そうか」って優しい声で言ってくれるの? どうして私を信じるの? ねえどうして? なんで? 先生はどうして私に親切にするの? ここは小学校じゃないって頭では分かってるけど、わからない。どうして私は親切にされるの?

 誕生日おめでとうってたくさん来た。中学の友達からも。もう何の音沙汰もない子はもう友達じゃなくなったんじゃないの? これはどういうこと?

 塾の先生に連絡した。面と向かって切り出すのは怖かったから、メールにした。予想通りっちゃ予想通りだけど、先生は冗談が分からないタイプみたい。めっちゃ長文で送ったのに、返信はあっさりしていた。私だったら、送られてきた文章量に比例して長文で返すけど、普通はこんな感じなのかな。

 自分の大切なものを、自ら手放そうとしている気がする。こんな言い方したらまるで死ぬみたいだけど、ほぼ死ぬみたいなもんでしょ。

 酒が飲みたくて、どこならバレにくいか調べたら、どこもかしこも無理みたい。未成年はセルフレジでさえ駄目で、ノンアルならいいかと思ったら、それすら売らないって。別にいいじゃん、どうせみんないつか死ぬんだから。未成年が酒飲んで健康を害しようと、そんなの自分の勝手でしょ?

 新垢を作った。そこで知り合った人とやりとりうちに、やっと決意を固められた。その人はとっても優しくて、だからこそ傷つきやすい。彼女は同い年で、すぐタメ語で話せるようになった。死ぬときは一緒にねって約束したけど、それは絶対守らない。


 以上で終わりです。
 最後に、ひとつだけ。
 私は私の過去を善悪とともにひとの参考に供するつもりです。しかし、両親だけは例外だと思ってください。私はいままで大切に育ててくれた両親にだけはなんにも知らせたくないのです。二人が私に対してもつ記憶をなるべく美しいままで保存しておきたいのが、私の唯一の希望なのです。穢れた私など、知らなくていいのです。
 それ以外の人々には、この長いもののことを伝えるかどうか、千晴ちゃんにおまかせします。もし誰にも知らせないという結論に至ったならば、あなただけに打ち明けられた私の秘密として、すべてを胸の内にしまっておいてください。

どこまでも続く空を見上げて

 わたしはTwitterに「死にたい」と一言だけ書きこんだ。死にたいと思うことはわたしの日常で、「死にたい」とツイートすることもわたしの日常。毎日希死念慮に襲われることは、まだ誰にも打ち明けていなくて、ここだけのわたし。「ツイートする」ボタンをタップしてから数分後、愛実という名前のアカウントがわたしに話しかけてきた。
(外からリプ失礼します。もしよかったら私とお話しませんか? 呼びタメOKです。)
(ありがとうございます。わたしでよければおはなししましょう、愛実ちゃん。)
 DMいくね、と返信がきてしばらくして、ダイレクトメッセージが届いたという通知が鳴った。
(愛実です! DMきました!
 あの、どうして死にたいんですか? 突然こんなこと訊かれて嫌ですよね、ごめんなさい。)
(まあ、いろいろかな。わたしもタメでいいよ。)
(つらいね)
(ありがとう)
 これが、わたしと愛実ちゃんが、初めてDMした時のこと。
 あっという間に親しくなれたのは、きっと愛実ちゃんのコミュ力のおかげだろう。  
 わたしは独りで、薄暗い自分の部屋にいることが快適。どんどんわたしは人から離れていると思う。それでもいい。わたしはひとりが好きなんだ。人と一緒に過ごすと苦しいからひとりがいいんだ。
 ずっとそう思っていた。
 愛実ちゃんは、かつて酷いことをしたらしいけど、なぜか嫌な気持ちはしなかった。画面の向こう側にいるのは、何者なんだろう。やたら達観していて、人生は三角関数なんだよ、とか。もし愛実ちゃんが潔白な人間だったら、こんな考えは生まれなかったと思う。こんな人間になるためには、人生経験が必要だろうから。今日まで、どんなふうに生きてきたのかな。どんな人生を送ってきたのかな。
 きっと、わたしの知らない場所で、わたしの知らない感情を味わって、わたしには見つけられないものを探して、わたしにはわからない人間を見てきたんだろうな。
 そんな勘は、大当たりだったみたいだ。

 愛実ちゃんが書く風景は、どこかで見たような気がするものも多かった。
 海辺の街も、児童養護施設も、いくつもの学校も。愛実ちゃんの頭の中にあるひとつの世界が、まるで実在するみたいに鮮明なのかなって。連作と言われてもすぐには分からなかったけど、思い出した。普通の中高生がマンガを貸し借りするときみたいに、順番にデータを送ってくれた。五回目までが、六回目で一気に繋がった。確実にこの世界は実在する。わたしは知っている。
 あの日、ローカル線の始発駅から乗る客は、楽器を担いだ高校生ばかりだった。変な子、それが最初の印象だったけど、話したらわかった。すごい子だ、と。
 土手を見て、
「あの場所に大の字に寝転がったら気持ちいいんよね、きっと。」
 普通の女子中学生を見て、
「あの子は"アオイハルカ"って感じやね。『青い春、か?』でアオイハルカ。」
 車窓から景色を眺めて、
「ここは綺麗やね。死にたくなるくらい綺麗やね。
 私は穢いんよ、穢い世界に毒されとる。
 人工だとしても、架空だとしても、逆になんでもない『普通』の自然だとしても、全部が妬ましい。
 こういう世界に入りたい。私、美しいものに嫉妬するんよ――

 夏目愛実と名乗っているけど、絶対に嘘だ。
 夏目で思い浮かぶ人名は、夏目漱石。六つ目をよく読むと、ところどころで「先生」の匂いがした。結ばれているという意味で「結」とか、「希」という文字を使う熟語でパッと思い浮かぶのは「希望」で、友達がいない子を「友希」としたり、瑞々しい、つまり新鮮な希望で「瑞希」だったり、そんな人々を創る人が「愛実」と名乗るのは、うまく言えないけど、なんかわかる気がする。
 死ぬって言ってるのはフィクションじゃない。奈菜は、愛実ちゃんなんだ。あれは本気だ。
 どうか、これを見ていて……!

「スペースってこれでいいんかな……声聞かれるの恥ずかしいな……。
 あ、ねえ、見ててくれたんやね、ありがと。聞こえてる?」
「うん」
「なんか、全部分かっちゃったわ。
 わたし、高文祭に出る管弦楽団に入るためにオーディション受けたことがあってさ、会場が水産高校の音楽室やったのね。わたしよりあとの順番の子がさ、全然緊張してるように見えんかったんよ。オーディションやよ? なんかヤバい子おるなって思った。
 終わったら順路の表示に従って外に出て、そっから最寄りの駅までにさ、施設があって、公園があって、橋を渡ったら左に曲がって、少しすると駅がある。あそこ不便やない? だから電車が来るまでたまたま一緒にいた子と喋っとったんよ。その子が、あの緊張してなかった子。やたら饒舌でさ、ようわからんかったけど『美に対する嫉妬』がどうのこうの、みたいな話をしたわ。制服で分かったんやけど、友希ちゃんと南ちゃんがいる学校やろ?
 そのあと電車にも一緒に乗ったら、途中で私立小の子が乗ってきて、その子のお姉ちゃんとお母さんも一緒でさ、ずっとゲームしとる弟をお姉ちゃんが注意しとった。いい親子だなってわたしは思ったの。でも愛実ちゃんは、お姉ちゃんには何かがありそうって言ってたよね。青い春にクエスチョンをつけて”アオイハルカ”って、その場で名付けとった。
 全部覚えとる。
 全部愛実ちゃんが見た場所で、ちっさい欠片を、愛実ちゃんが大きく拡げたんやよね。
 てか、愛実って本名やないでしょ。確かミフユちゃんやったよね。」
「ほんとに分かってんやな。私も分かったわ。千晴ちゃんっていうより千晴くんって言った方がいい?」
「驚かないんや。」
「なんで?」
「しょせんネットやん、女やと思っとったやろ。まあ女なんやけど、体は男や。だから、声、低い。」
「なんでなんやろ、私にもわからんよ。
 あれ、三月やったな。課題曲はカノンでさ、終わってから駅で、なんだか似てるような子と出くわした。」
「似てるって、誰に?」
「あ、いや、別に誰でもええやろ。」
「わかりやすぅ!
 それは好きなんだって。まさにリアコや。」
「やめてよ、もう……。
 あー、それでさ、えっと、なぜかその子に色々話しちゃったんよ。
 それから急に、どうでもいい景色がやたらノスタルジックに見えるようになって、これは絶対あの子のせいって思った。その通りやったんやな。あれが、千晴くん、やったからか。」
「今、どこにおるん?」
「いざとなると、案外怖いな。」
「ビルの屋上? 船の甲板?」
「家やよ。」
「ODは苦しいだけやで。」
「わかっとる、もう充分やったもん。」
「充分?」
「大人は穢くて苦しい世界をつくってる、だから子供のうちに穢さへの免疫をつけておく。でも、そのための薬を、私はODしたんよ。だから狂った。無自覚にやってて、それが当然だと思ってて、自分から進んでやるようになった。」
「じゃあ、どこで何するん?」
「……切腹。」
(はやし)養賢(ようけん)をマネたら、今度は地獄やで。よけいに苦しいだけやと思うよ?
 調べたもん、ミフユちゃんのあの時の話。あの子はよっぽど金閣寺放火事件に、というか、林養賢に興味があるんやなって思って。
 なんか、わたしにはわからんけど、重なるところでもあるん? 金閣と一緒に燃えるつもりやった林とおんなじように、ノスタルジーな世界と一緒に燃えるつもり? 世界全部は燃やせんから、燃やさないで自分だけ切腹? それとも、林本人じゃなくて三島由紀夫のマネ?
 ああ、あと、阿部(あべ)(さだ)事件って知っとる? 金閣と同じ昭和の時代に起きた殺人事件で、林を調べた時にたまたま知った。殺人容疑で捕まった定は、殺した男をずっと想い続けていたらしくてな、ミフユちゃんが自分で自分を殺すなら、わたしはそばにいながらにして助けられなかった最低な奴や。罪人として、ずっと想い続けるわ。ミフユちゃんは法を犯したわけじゃないから、刑務所には行けんのよ。罪人やないんよ。晒されてるのは一般人の私刑で、その人たちの自己満足で、わたしは晒す方が悪いと思うんよ。
 ねえ、本当に死ぬことが正義だと思う?」
「知るか! そんなこと、どうでもいい!
 もう監獄はうんざりなんや。
 千晴ちゃんが良いわ。
 あんたなら信じられる気がする。
 あんたやから信じて任せられるんよ!」
「台詞覚わるくらい観たんやろ、いい話やん。」
「あれのせいでこんな目に遭って……もう監獄は嫌なんや!」
「死ぬのは外を見てからにしたら?」
「どうせ外なんか行けん!」
「『お前だから……
「うるさい!」
「深冬! 夜中に叫ばないで!
 …………あんた何やってんの?」
「バレた、ごめん。
 ねえ、娘の部屋に勝手に入ってくる母親とか、ありえんのやけど。」
「何を考えてるんよ。その包丁は何?」
「私は罪人なんよ。」
「死のうとしとるん?」
「なんや、わかっとるんか。」
「死ぬんやない。」
「あんたに私の何がわかるんよ。何をわかっとるんよ。私は『先生』よ、だけどいやに周りが美しく見えて、だから、穢れた私にムカつく。ただそれだけのことや。」
「深冬が生まれてきてくれて、どんなに嬉しかったか、わかる?」
「他人の気持ちなんかわかるわけがない。」
「そうか。じゃあお母さんが、深冬が何を思っとるかわからんのも、わかるやろ。汚いとか美しいとか、私にはわからん。でも、言っとくけど、私は何としても深冬を生きさせる。いつ、どんなことを、思った?」
「知るわけないやん。」
「全部聞こえとるよ。」
「ん?」
「わたしも一緒なんよ、ようわかんないんよ。だから、わかりたいと思うんよ。」
「誰かわからんけど、お母さんも、そんな感じやよ。あとでゆっくり聞くから。とりあえずこれは、」
「やめて!」
「やめない‼」
「痛っ」
「ああ‼」
「ミフユちゃん⁉」
「お母さん、お母さんが手切った、お母さんが、血やばい!」
「これくらいなんてことないわ。
 深冬こそ、しんどいんやろ。」


「結局大丈夫やったんか?」
「大丈夫、ではないんやろな。もう寝とったお父さんも叩き起こして、ド深夜に家族会議始まって、ほんと重苦しかったんやけど、なんか、まあ、絶対に死なせてはくれないってことはようわかったよ。千晴は、生きろって、思っとるん?」
「まあ、死んではいけないとは思わないけど、もしあのまま死んでたら、こうしてもう一回会うこともなかったってことなんよ。
 急な約束やけど、良かったんかね、心配されとるやろ。」
「ちゃんと帰るって言ったら送り出してくれたんやよ。」
「管弦楽団、あれ、もう二年前やよね。」
「うん。」
 駅舎は大きく、ブティックや食料品店が立ち並んでいた。その建物の外には、もう使われていない電波塔が見えている。そのまま塔に導かれるように扉を開けて外に出ると、中学生くらいの子供たちがローラースケートで遊び、キャッキャッと高い声を上げていた。
「なんよ、これ。行ってみない?」
 ミフユちゃんがわたしを誘うけど、言いながらどんどん先に行ってしまう。螺旋階段を登ると、そこからは太陽と周りの建物がよく見えた。
「空が真っ青や。水が光っとるなあ。」
 小さな看板にこの場所についての説明が書いてあって、たくさんの細かい文字が詰め込まれている。こういうものはしっかり読むタイプのわたし。
「ねえ、なんかすごいたくさんの人が入ってくよ。」
 わたしが看板を読んでいる間に、ミフユちゃんの興味はすでに別の方向を見ていた。
「なんやろね?」
「行ってみようよ。」
「相変わらずやなぁ」
「劇場やってさ、ほら。」
 スマホをわたしに見せてくれるけど、画面が暗すぎてきちんと読めない。
「ミュージカルやってさ。私、そんなん行ったことないわ。」
「行く?」
「せっかくやし。」
 劇場の方を向いて、並んで歩いてゆく。
 となりに座って鑑賞して、時々横を見て、それに気付かれると、気恥ずかしかった。気が合うんやな、と。
「すごかったな。なんか楽しいな。ね、千晴!」
「ミフユちゃんって、あの子、えっと、結ちゃんみたいや。わたしは園田くんか?」
「別に誰でもいいんよ。私が書いたんやから私っぽくてもしょうがないって。
 お、なんかあの人かっこよくない?」
「あのお兄さん?」
 こっそり指さした。
「そうそう。」
「わたしも思った。」
 顔を見合わせて、と言っても、背丈はそれなりに違う。そして、反対方向へ進むときも並んで歩いた。そのままわたしたちは駅へ向かった。
 必ずまた会おうね──


「お前また自撮りか?」
「自撮りじゃなくてメイクが……なんか後ろにいる人がめっちゃ兄ちゃんのこと見てる。あ、もう見てない。うわ、こんなところでイチャつくなよ。」
 いや、でも彼女の方、
「さてはかわいいって思ってるな。」
「可愛い妹に誘われて、これだけ素晴らしいものを観れて、サイコーだ。」
「ナルシかよ。」
 内カメラで顔を確認している妹は、きっと贔屓のことしか考えていない。ただ、楽しそうにしている姿を見るのは久しぶりだ。公演中は完全に世界に入ってしまっていたこと、それだけが悔やまれる。
 観ているというより、聴いているというより、シャワーを浴びているようだった。全身に鳥肌が立って、寒気すら感じた。感動したら暑くなるものだろうが、それすら通り越すと寒くなるのか、と思った――


 四月九日
 始まった瞬間からオーケストラに圧倒されてしまった。そこにジキルの歌声が加わると、鳥肌が立った。物語の世界に入り込んでしまったような気がした。いつもは第三者としてそこにいるのに、ジキルとハイドのすぐそばにいるような気がした。
 前半の中盤のハイド登場前、高らかに歌い上げてたんだけど、音程はさほど高くなかった。重厚感って言えばいいのかな。ここから全てが動き出した。後から調べたんだけど、舞台は十八世紀のロンドン。だから神がところどころで出てくるんだね。観ているだけのはずなのに、やたら緊張した。休憩ではホールから一旦出たんだけど、後半がいきなり大人数の歌で、学校の合唱とは全然違った。何をどうしたらあんな世界をつくれるんだろう?
 次々に豪華な衣装の人たちが死んでいって、当然リアルの火ではないけど火事にもなって、ルーシーが刺されて……
 悲痛な叫び、かな。はっきり言ってるわけじゃないのに、たぶんみんな何かが足りない。物がいくらあっても物足りない。観てるだけだったはずなのに、妙に胸が苦しかった。
 最後は結婚式のシーンだったんだけど、幸せにはなれなかった。こんな時でもハイドが登場して、また誰か死ぬのかって。もうやめてって叫びそうになってしまった。そしたらハイドとジキルはジョンに撃たれた。エマの腕の中で死んだ。それでエマが「ヘンリー、苦しかったね。」と。
 幸せになるはずだった。研究を進めて役に立つためだった。全部叶わなかった。だから悲劇ではあるんだけど、でも、苦しかったねって言ってもらえた。その時にはもう絶えてたかもしれない、残念ながらよく覚えてないんだけど、死んだら誰かがわかってくれるかもしれないって、そんな気持ちを持つ人だっているんだから、なんていうか、悲劇じゃないのかもしれない。ここに入りたい。ジキルでもハイドでもルーシーでもエマでも何でもいいから、この世界の住人になりたい。
 そういえば、昔、映画を見に行ったり、テレビでドラマを見たりすると、もしこの世界に入るならって、よく考えてたな。適当だけど、こんな言葉を言ってみたいな、とか、この言葉の口調を変えたらどうなるかなって想像してみたりとか。体を動かすことはなかったけど。頭の中では、ずっと昔から、物語が好きだったのかなって、これが思うってことで、好きっていう気持ちなのかなって、思った。あの瞬間に千晴が横にいたのも、何か意味があるのかな。

 十一月二十五日
 夕方に担任の美奈ちゃんから家電で「今から家族で学校に来てください」と言われた。留年が決まって、それは電話では言えないんだ、と思って学校に行った。父が会社から帰るのを待ってから出発したから、着いたのは八時くらいだったと思う。美奈ちゃんが出迎えてくれて、そのままみんなで会議室に行った。すると、教頭、教務主任、学年主任が立っていて、我が家と美奈ちゃんも足して、面談が始まった。
 いきなり結果だけ、教務主任から。
「卒業が認定されました」
 私は喜びと「え?」という気持ちで崩れ落ちかけた。パッと美奈ちゃんを見たら、ニコッて笑ってくれて、ほんとに卒業できるんだって。
 そのあと、追試の結果。物理が不合格。
 当たり前だけど、全科目合格しないと卒業できないから、追試が不合格なのに卒業できるのは極めて異例のこと、よって電話では言えなかったらしい。
 私が一年間授業後に補習をがんばっていたことや、追試に向けた補習をがんばったこと、手が震えて字が書けないながらもなんとか勉強したこと、しんどくても母に送迎してもらって何とか通ったこと、などなど私がやってきたことを考慮して、会議で認められたとのことでした。美奈ちゃんや保健室の先生や一年の時の桜庭(さくらば)先生、二年の時の真紀(まき)先生など、私のことをよく知ってくれてる先生たちが、なんとか私の卒業が認められるように、走り回ってくれたって。物理の教科担の伊口(いぐち)先生も「あなたが努力してたことは忘れてないよ」と追試の前に言ってくれてた。名前は上がってなかったけど、伊口先生も入っていそうな気がする。
 そういえば、美奈ちゃんは私がいるから三年五組の担任になったって、いつだったか言っていた。部活でよく知ってるから、私がいるクラスに立候補したって。よく知ってるって言ったって、うちではなくて軽音なのにね。なんとなく、父が「あの先生は将来出世するな」と言ってたけど、美奈ちゃんはずっと下っぱのままでいてほしい。なかなか会う機会のない偉い先生じゃなくて、生徒の近くにいてほしい。
 化学の先生は、症状で文字が読めなくなった私のために、追試の際問題文を読み上げてくれた。理系数学の先生は、ろくに授業を聞いていないせいで何も知らない私のために、微分やら積分やらその他諸々、ゼロから解説してくれた。コミ英の先生は、授業と全く同じ内容をゼロから簡潔に説明してくれた上に、テスト前になると毎回対策のために時間を取ってくれた。英表の先生も同じ。美奈ちゃんは日本史の担当で、真っ白な授業プリントを埋めるために手伝ってくれたり、共通テストの出願に向けて配慮の申請のやり方を説明してくれたり「補習」のセッティングをしてくれたり、もはや記憶にないくらいエピソードがある。古典のおっさん先生は苦手なんだけど、決して悪い人ではない。綺麗なことだけ言っても意味なんてないからって思うけど、決して変ではなかった。たまたま高校最後の授業が古典で、もう欠課数は問題なかったけど、長ったらしいお説教を聞くために出席した。
 私がやったことは、とにかく授業中教室に存在していることと、若干でもテストの点数を稼ぐこと、それだけである。電車に乗れない私を、母は毎日学校まで送ってくれた。家から学校まで片道一時間。私史上最悪の体調の頃は、迎えにも来てくれてた。大学入試の出願、入学手続きなど、小難しい書類が絡んでくる件については全て父にお任せしていた。
 共通テスト本番では、分からない問題は全て①をマークした。私の回答のほとんどは①だってこと。大昔に何かのコラムで、アからエの選択肢ではイが正解であることが多いというのを読んだから。こんな舐め腐ったやり方でも、合格をくれる場所はあるんだなって。卒業のために、ひたすら教室に存在することをがんばっただけで、能力なんて全然ないのに。
 一年の三学期、桜庭先生担当の生物はやたら自習が多くなった。このままではいけないと思ったんだろうけど、先生は家庭の事情を少しみんなの前で話してた。お母様が原因不明の体調不良に襲われて、先生がサポートしなければならない、と。ものすごく苦しそうに見えたから、私の興味本位という意味も大きいけど、ネットで症状を調べてまとめて、渡した。ありがとうって言ってくれて、あの後しばらく休職していた先生が復帰した時、まず一番に会いに来てくれた。もう充分だけど、またお礼を言ってくれた。結局医学の道には行けなかったけど、先生のお母様が唯一の私の患者さんってことにしてる。
 本っ当に先生方には感謝しかない。ここで書いても誰にも伝わらないけど、友達も、先輩も、後輩も、関わりのあった人には片っ端からお礼を言いたい。ありがとう。
 でも、病院の先生は、99%の私の努力と1%の周りの力だ、みたいなことを言っていたな。努力は裏切らないよ、ということなのかな。
 勉強を含めて色々やって、最後は全てが狂ったけど、全部無駄になったなって思ってたけど、何か意味があったのかな。

 十二月二十五日
 やはり私は突飛なんだろうか?
 好きなことやりたいって思うから、表現の世界に行こうと思った。私は私という人間の全てを使って仕事に繋げたい。大学には入れたけどすぐ休学して、全て放棄したら、外側から見る世界は内側から見るのとは全然違った。ちまちま記録をつけてたり、水産高校からの帰りに千晴に出逢って、私が想う世界を書いて表すようになったり。
 医師を目指して、すごく努力して、いい線いってたけど、高二で病気になって、夢破れた。私はエンターテインメントから始まった。エンターテインメントは人に夢や希望を与えられるし、苦しい人の支えにもなる。私はそのことを知ってる。もし私だからできることがあるなら、医師になれなかった私でも、医師のように人の役に立てるじゃないかって。好きなことやりながら誰かの為になる、素晴らしい。これだ!
 医師は治療法のない患者さんに対しては無力かもしれない。そんな人に対しても、治療中の人も、元気に頑張っている人にも、みんなに届けて、そのために進み続けて、私は私として……。
 昔の「思ったこと」がわからなくて「好き」とか「嫌い」とかもなかった。ろくに遊びにも行ってなくて、世間の娯楽を知らなかった。今では当たり前なテレビやネットも、自分には縁のないものだと思っていた。高校の時は、特に後半は物凄く苦しかった。控えめに言って地獄だった。
 言いたいことがあって、それを言えるって幸せなんだよ。好きなことがあるって幸せなんだよ。動けるって幸せなんだよ。
 とある俳優さんの場合、課外授業での観劇がきっかけで俳優を志した。それまではずっとサッカーに打ち込んでいた。
 私の場合、ドラマがきっかけで医師を志した。それまではずっとピアノに打ち込んでいた。
「人はよく人生の苦難を長いトンネルに例える。光の射す出口を目指し、暗闇の中を進んでいく様が、人生と似ているからだろう。人はその道を進むために様々な準備をする。ある者は灯りを持ち、ある者は地図を用意し進む。光の先にある答えを求めて。
 だが、人生は往々にして予想を裏切る。光の差す出口にきっと答えはある。そう信じて進んでいたはずが、そのトンネル自体が突然崩れたら?かすかな光すら途絶え、俺たちは行き先を見失う。」
「先の見えない暗闇に一人佇み、時に心が折れそうになる。この先に光がなかったら?歩いた方向がまるで逆で、光から遠ざかる結果だったら?
 そんな時は思い出してほしい。共に歩ける仲間の存在を。
 求めるのは光そのものじゃない。光を一緒に探すことのできる仲間だ。それさえあれば、歩き続けることができる。
 ダメなら向きを変えて、また歩き出せばいい。仲間と共に。」
 繋がって、笑いあって、一緒にいる時も個々でも尊くて、それを見てる人も幸せ。それって半端なく尊くて、そう簡単には見つからないけど私はそんなところに行きたい。無いならつくればいい。めちゃくちゃ難しいだろうけど、やりたい。
 思っている"今"こそ、見果てぬ夢、手に入れる時だ、とか、ちょっとカッコ悪いことも壊れた夢の色も、パレットに広げ、もう一度明日を描こう、とか、どんなに強い雨の夜でもそうだよ、朝はやってくるから、とか。学校で歴史をやるように過去を見返せば、案外ヒントはあるのかも。

 十二月二十六日
 ~下書き~
 好きなことをやりたいと思い、表現の世界に行く決断をしました。好きなこととは、創作活動です。私は、私という人間の全てを使って仕事に繋げていきたいと思っています。それでは、芸能界が最もふさわしいと考えました。
 私は中学1年生の時に観た医療ドラマがきっかけで医師を志し、以来努力を続けていました。勉強は元々得意でしたが、それだけでなく、これぞと思った職業に対する向き合い方によってある程度の成果を出せたと思います。
 高校2年生の時に病気になってしまい、夢破れました。私は、充実した日々も、お先真っ暗な日々も経験しました。あのドラマ以降、私の側にはいつもエンターテインメントがありました。だから、エンタメは人に夢や希望を与えられるし苦しい人の支えにもなるということを、経験として知っています。そんな私だからできることが芸能界にあるなら、医師になれなかった私でも、医師のように人の役に立てるでしょう。
 医師は治療法のない患者さんに対しては無力かもしれません。そんな患者さんに対しても、治療中の人も、元気に頑張っている人も、誰かにとっての光や支えとなりたいです。そのために進む所存です。
 プロの表現者となり、人の心に、社会に、感動という素晴らしいものを届ける。そして、誰かの人生を豊かにしていく。そのための努力や挑戦をしていきます。

青と白のドレスを纏って

 俺はあの日から、俳優を志した。いつかは俺が、舞台の上から、客席を寒くしたいと思った。
 俳優という仕事について、あの日以前の俺は勘違いしていたと思う。ただ単に、フィクションなら架空の、ノンフィクションなら実在の人物になりきって見せるだけ。そうじゃない。本を読み解く読解力や身体の使い方など、技術を持たない者には務まらない。頭の使い方も声の出し方も動き方も、何もかもを全ての役に合わせてつくっていく。文字だけのヒントしかない人間を自分にする。あたかもその人間が存在しているように見えて、伝わってくるものがあると、観客の心は動く。
 コンコンコン、と楽屋の扉がノックされて「はい」と返すと、椿が入ってきた。
「おっす、ヘンリー!」
「いよいよ初日だな。」
「そうね、緊張してる?」
「まあ、少し。」
「してねえよって言わないんだ。」
「俺も年取ったんだよ。」
「もうずいぶん経つもんね。お客さんの中で私と晶の再共演が目当ての人いるかな?」
「あんな昔の映画を知ってる人なんてマニアだけだ。舞台の固定ファンと各キャストのファン、あとはこの作品だから観に来たってところだろ。」
「"雨街"でヒロインを演じた椿深冬って結構言われたことあったよ?」
「俺はなかった。演技も心構えも良くなかった。」
「演技はともかく優しかったって。ま、昔話がしたいんじゃなくてさ、」
 微妙な褒め方だが、嬉しいものは嬉しい。
「千晴から連絡来てて、福岡公演なら来れるってさ。せっかくだし終わったら飲み行かない?」
「ああ、分かった。」
「あと、今日この後ご飯どう? ルーシーと行くつもりで予約してあったんだけど、別件入っちゃったらしくて。」
「ふ、二人?」
「そう。」
「お、おう。」
「じゃ、決まりね。ごめん、ギリギリに押しかけて。この大きなホールの中の全員を惹き込んで、」
「プレッシャーやめろ、余計胃が痛くなる。」
「なんでそんなに緊張するのよ。舞台経験豊富なのに。」
「お前がリラックスしすぎなんだよ。」
 衣装もメイクもまるで違うのに、椿が役に入れば何をやってもしっくりくる。かつてのセーラー服も、十八世紀のロンドンの女性も。ただ、なぜかいつも「ヘンリー、苦しかったね。」だけはエマではなく椿に言われている気がする。それは椿が演じているからであろうか。青ではなく純白を着ているからであろうか。
 出演者は揃っているが、第一場面の途中から主要な人物は登場する。最初はヘンリー、つまり俺。ライトで照らされて熱いステージでは、理事たちが怒りを含めた口調で議論している。ああ、いよいよだ。観に来てくださった全てのお客様を、物語の中へといざなおう。
 舞台へ一歩踏み込んだ。いつものように、この眩しいくらいの明るさは、アドレナリンを分泌させる。薬の人体実験をする許可を求める。
 病院の理事会では散々ディスられ、父についても滅茶苦茶に言ってやがる。しかし、ここはヘンリーではなく、あくまでもジキル博士として俺は振る舞う。父のために、さらには未来の患者のために有用な研究を認めないくせに、理想論ばかりを掲げる偽善者たち。こんな奴ら、ゴミクズだ。ゴミクズは捨てられて然るべき。彼らへの激しくて醜い憎悪はひた隠しにして、でもエマと一緒にいる時は癒されて落ち着く。エマは一途に信じてくれる。そうだ、君がいれば何も怖くないんだ。君が好きだ、僕は君を愛している。君は僕の希望だ。

 友人のジョンと共に夜の街へ。理事たちへの愚痴をぶち撒ける。そんなところに娼婦のルーシーがやってきて、俺を誘惑する。この娘はどこか空虚で、欠けているものは大きくて、いつも満たされていない。それでも男を相手に稼いでいるのだから、ぽっかりと開いた大きな穴を隠して生活しているということのはず。隠しているという意味では、俺とどこか似ているのかもしれない。
「自分で(私を)試してみれば?」
「そうだな……
 そうか! 自分で試せばいいんだ! 恩に着るよ、ルーシー。」
 闇を抜け、今こそ、光目指し歩き出そう。
 これまでの毎日は無駄ではない。
 迷いはない。
 今夜こそ、今こそ、運命が動き出す時。
 積み上げた全てが報われる今、一つになる──


「『人はよく、人生の苦難を長いトンネルに例える。光の差す出口を目指し、暗闇の中を進んでいく様が、人生の似ているからだろう。』
 もしそのトンネルが、突然崩れたら?」
 ヘンリーが歌っているはずなのに、私はエマなのに、婚約者を、応援できない──


 今こそ、二度とない、果てしない時だ。
 今こそ、見果てぬ夢、手に入れる時だ。
 この胸、この命が、生きる意味を見つけた。生きる意味を。
 今こそ最後だぞ。運命の試練。
 振り返ることはもはやない。
 この日を忘れないぞ。
 この時に全て賭け、素晴らしい時へ──


 違う。全然違う。振り返っていい。全てなんて賭けなくていいし、生きる意味なんて不変じゃないし、今が最後なんかじゃない──


 神よ、今がその時。
 力与えて、導きたまえ!
「生きるぞ、永遠に。悪魔を従え、世界に見せつけてやるぞ。覚えてろ。俺の名は、エドワード・ハイド──


 あなたは部屋で何をしているの。どうして何も言ってくれないの。
「『愛に抱かれた二人の世界、あれは夢。』」
 かつては私が、あなたの瞳の中にいたのに。あの頃のことは、全部夢なのかもしれない。でも私は、あなたを愛している。それは簡単には変わらなくて、確実なこと。あなたは私の、特別な人なの、だから。
「『すべて許すわ。』」
 あなただから許せるのよ。
「『生きがいそこにある、その目に。』」
 何があろうと、すべて受け入れる。覚悟はできてるわ。

 殺される役で参加した作品ですら、ここまで苦しくなることはなかった。「雨が降れば街は輝く」はかなりこたえた作品だったけど、抱えたものが大きすぎたけど、それでもここまでじゃなかった。和凛は大切な美和ちゃんを騙って、大切な人たちを守っていただけ。和凛は美和ちゃんになるために、自分を押し殺していたけど、もう嫌になって、そこで晶が背中を押してくれて、前へ進んで見つけた純粋な人間愛。"君"を、晶は教えてくれたね。
 二つの名前があることは同じだけど、別人が自分の体の中にいるということとは違う、でも共通している部分はあるはず。二つの名前で生きることは、一人分の体で二人分生きることなのかもしれないって思うから。夏目愛実だって、かつてこの体の中にいたんだよ。

 ああ、エマ・カルーの心を椿深冬が侵食しているのは明らかだから、何としても追い出さなければ。私はエマだから大丈夫、問題なのは最後だけ、のはず。

 ずっと飼われていた私に新たな世界を教えてくれたのは、あなただった。
 憧憬のせいでずいぶん苦しい思いもしたけど、今は「あなたのおかげ」って、胸を張って言えるよ。
 この感情こそが恋、なんだよね?

 理事たちは何人も殺された。ルーシーも血塗れになって、今にも死んでしまう。あの子と私は全く違って、正反対なくらい。でも、ヘンリーの燃え盛る心に暖められたことは、きっと同じよね。
 舞台では一つの体の中で二人が対決していて、スポットが当たっている上に観客の視線も集中する。さぞ苦しいだろう。一人で考えるだけでも気が滅入りそうな、いや、気が滅入る内容で、骨肉の争いを繰り広げている。体は確かに一つ、でもそこには確かに二人いた。片方の中からもう片方が出てきたって、私はわかってる。理事たちを心から嫌っていたことくらい、言われなくても知ってたから、察することくらいできる。二人とも、私が愛する人だってことよ。私は"あなた"を愛しているわ。

 今も生きている者は、エマとジョンくらい。私を生き延びさせるために、あなたはジョンに自分を撃たせる。ジョンは大きな傷を抱えて生きてゆかなければならないだろうし、あなたは今にも息絶えそう。結婚相手として、私は自信を持ってあなたを選んだ。エマ・カルーは北極星よ。いつだって私はあなたの希望の星であり、年中夜空で輝くから、私はずっとあなたのそばにいる。
 純愛ものと言ってもいいかもしれない、そんな物語の結末は、今ここで迎える。私の言葉で幕を閉じる。
 息は止まっても、一番最後まで機能するのは聴覚だって、あのドラマで出てきてた。声ならまだ伝わるはず。
 ねえ、きこえているんでしょ?
「苦しかったよね。」


 椿がなぜこの仕事を選んだのか、俺はきちんと聞いたことがない。だけど、観る者を第一に考え、その人々に何を伝えたいかを最優先することに、執着とも言えるくらいこだわる。ホンを読めば必ず何が肝か考え、自分なりに消化した上で、制作チームの一員として作品づくりに参加する。映像を拠点とする椿と舞台が拠点の俺では、異なる部分はあるだろう。しかし、我々が仕事をする目的は伝えることなのだと、椿の姿から教わった。

 映画で共演した当時も、椿の姿勢はクソ真面目だった。葵春歌という"雨街"の原作者は、2023年度高文祭の文芸部門で奨励賞をとった人。当時高校2年だった彼女には、まだ幼さが残っていた。受賞作の「犠牲者に愛と花束を」だって、あの女の子から生み出されたとは思えなかった。俺なんか比べものにならない。

 ──「これは僕の机の引き出しに仕舞っておくから、きっと妻が一番最初に見つけるんだろうね。しかし、この書の内容はきっと、ビックにこそ読んでもらいたいものになるだろう。
 僕が書いたアイデアをビックが形にしてくれたことで、僕たちはこの小屋で北軍銃を完成させた。メアリーは女中として、そして結婚してからは僕の妻として、支えてくれた。このことはきっと、北軍側にとっては偉大な功績として、南軍側にとっては巨悪として、語り継がれていくことだろう。銃は北軍に提供されている、つまり、南軍の沢山の兵士は、僕たちが作り上げた銃によって殺されている。
 父さんが僕たちを『ヘンリー』、『ビクター』と名付けた理由は、昔語ってくれたよ。ビックはまだ小さかったから、覚えていないかもしれないね。
 父さんは子供の頃、機械の開発者になりたかったそうだ。しかし、勉強に関しては、文系科目はよく出来たが、理系科目はからっきしだったそうだ。だから、父さんは二番目に好きな英国文学を研究することにした。自分は叶えられなかった夢を息子たちに叶えてもらいたいと思い、英国の小説に出てくる科学者から取ったそうだ。『ヘンリー』は『ジキル博士とハイド氏』の主人公から、『ビクター』は『フランケンシュタイン』から。
 ビックは『フランケンシュタイン』を読んだことがあるかい?
 兄さんは両方読んだよ。『ジキル博士とハイド氏』のヘンリー・ジキルは、父のために開発した薬の実験によって二重人格者となり、結末では命を落としてしまう。『フランケンシュタイン』のビクター・フランケンシュタインは怪物を作り上げ、しかし怪物に創造主である人間に対して絶望させてしまった。そして、彼は北極海を冒険する船の上で、息を引き取った。
 何が言いたいのかというと、ヘンリーもビクターも、二人とも研究の末に死んでいるんだ。父さんは何故、僕たちに悲劇の物語の主人公から取って名を付けたのだろうね。英国文学者たる父さんが、二つの小説の内容を知らなかったということはないだろう。知った上で、僕たちに名付けたはずだ。
 僕はこう考えたよ。
 父さんは僕たちに科学者になってもらいたいと思っていた。でも、科学者として成功を収めても、作り上げたものによって人間が不幸になってはいけないのだ。なぜなら、科学は人間が進歩し、幸福を手に入れるためにあるものだからだ。父さんは、科学とはどういうもので、何のために存在するのか、暗に示してくれていたんだ。このことが分かったのは最近のことだよ。
 僕たちは北軍銃を作り上げたことによって、数多くの南軍兵を間接的に殺してしまった。南軍兵のみならず、その家族や友人たちを、悲しみの海に突き落としてしまった。ならば、僕たちに待っている未来はただひとつだ。
 ヘンリー・ジキルやビクター・フランケンシュタインのように、僕たちは死んでしまうんだ。これは『科学』というものを履き違え、間違った方向に導いてしまった罰だ。
 僕は今夜、死のうと思う。ビックがついてくる必要はない。父さんが付けた名前の意味は、僕はさっき述べたように解釈したが、ビックがどう解釈しても構わないからだ。そして何より、僕の最愛の妻・メアリーをビックに任せたいと思っている。罪を被るのは兄さんだけで十分だ。そもそも、兄さんが銃を作らないことにすれば良かっただけのことだから。
 この人生、本当に楽しかったよ。
 ビックとメアリーのおかげで。」

 ヘンリーが書いたものを読んだビクターとメアリーは、ヘンリーがこのブリザードの中、自殺するために小屋を出ていったのだと確信し、夜が明けたら捜しに行こうと決めた。しかし、二人とも何となくヘンリーは既に死んでいるという考えを持っていた。あの乾いた音、銃声が何よりの証拠だ。二人はその夜、ほとんど会話しなかった。きっとヘンリーは、あの北軍銃一号を使って死んだに違いない。自分で自分を撃つのは簡単なことではないが、逆にそれが出来れば、至近距離で引き金を引くわけだから、人間は即死であろう。
 太陽が昇り、二人は当初決めた通り小屋を出た。ブリザードはまだおさまっていなかった。視界は真っ白で十メートル先すら見えない。でも、ビクターたちにもそれだけ見えないのであれば、夜に出ていったヘンリーはもっと見えなかっただろう。つまり、ヘンリーはそれほど遠くには行っていないと予想できた。
 自分たちが小屋を見失って遭難しないよう声を張り上げながら、二人は小屋の周囲を歩き回った。やがて、メアリーが叫び声を上げる。
「キャッ!」
 ビクターがメアリーの元に駆け寄ると、そこにはあの北軍銃一号が落ちていた。つまり。
 その場にヘンリーは倒れていた。小屋から見て西に二十メートルほどの場所だった。
 遺体は既に薄く雪を被っていた。どうやら銃で頭を撃ち抜き、後ろ向きに倒れたらしい。ビクターとメアリーが二人がかりで雪を払い落とすと、ヘンリーの最期の表情が明らかになった。目は開けたままで、唇を固く結んでいる。普段のヘンリーとはかけ離れた、険しい顔だった。死後硬直が進んでいたのか、それとも遺体が凍っていたのか、ビクターがそっと目を閉じさせようとしても、ヘンリーの瞼は動かない。
「兄さん……」
 ビクターはヘンリーを抱えあげると、自らの頬を冷たくなった兄の胸に擦り付けて、嗚咽を漏らした。メアリーがビクターのこのような姿を見るのは、彼が幼児の頃以来だった。
「兄さん……」
「ハリー……」
 ビクターにメアリーを気遣う余裕は皆無だったが、メアリーはその場で座り込み、空を仰いで泣いていた。
 そうしているうちに、いったいどのくらいの時間が経ったのだろうか。唐突にビクターは落ち着きを取り戻し、そしてすっくと立ち上がると、ヘンリーも銃も放置したまま小屋へと向かっていった。ブリザードは激しくなっていた。
「メアリー、こんな天気では外じゃ落ち着いて話もできない。ついてきてくれ。」
 二人ともが小屋の中に入ると、ビクターは話し始めた。声は震えていた。
「君は予定通り家に帰って。兄さんは俺に君を託したいと言い残していたが、俺には無理だ。兄さんらしいよな。ひとりで考え込んで、父さんみたいだ。それで、全部ひとりで抱えようとして……。兄さんはヘンリー・ジキルで、俺はビクター・フランケンシュタイン。銃を作る計画を立てた時点で、俺たちの未来は決まっていたんだな。兄さんは自分が全て悪いかのように思っていたみたいだけど、それは違うよ。銃を作ろうなんて言わなければ、こんなことにはならなかった。テクノロジーを殺人のために利用しちゃいけない。それはきっと兄ちゃんが言い残したように、お父さんが教えてくれていたんだ。僕は、兄ちゃんだけに罪を被せて呑気に生き延びるなんて、そんなこと、したくない。できない。ごめん。」
「ビクターさん!」
 メアリーの悲痛な声を無視して、ビクターは再び外へ出ていった。メアリーはビクターを追いかけたが、体力のある若い男に、女の力など敵わない。メアリーは追いつけなかった。ビクターはヘンリーのそばで、引き金を引いた。メアリーの目の前で、ビクターは兄の上に重なって倒れた。

 家に帰るように言い渡されたはずのメアリーだが、その後の行方はわからないらしい。二十世紀になり、都市開発が行われる時に三人がいた小屋は取り壊され、その時にメアリーが毎日綴っていた日記帳が発見された。兄弟が死んだ日の記述が最後だったそうだ。
 ただ、メアリーが残したものは大きい。兄弟が完成させた銃を使用した北軍は勝利を収め、ヘンリー・スプリングフィールドとビクター・スプリングフィールドの名は政府の上層部に知られることとなった。それはメアリーが日記に、夫と義弟の様子を克明に書き記していたからである。メアリーがもしいなければ、二人の名は闇に葬られていただろう。
 しかし、悲しいかな。北軍銃が生産された工場の名が偶然にも「スプリングフィールド造兵廠」であり、二人の苗字と一致していた。アメリカでは「スプリングフィールド」という名はありふれたものであったため、仕方ないとも言えるのかもしれない。開発者のことなど露ほども知らない一般市民は、勝手に北軍銃を"工場の名にちなんで"「スプリングフィールド銃」と呼ぶようになった。また、利益を上げようと画策した武器業者によって北軍銃は日本に輸出され、明治維新の際に利用されたという。
 これが、歴史に埋もれた二人の発明家の生涯である。武器開発による罪を懺悔して死んだ二人は、「スプリングフィールド」の名がこうして世界に知れ渡ることを、望んではいなかったのではなかろうか──

 同じ創作物からこのように発展させるなんて、俺にはできない。しかし、ジキルを題材の一つにした作品で一躍有名になった葵さんの作品の実写化で、俺は参加した。不思議なこともあるものだ。

 少しづつ葵さんの見えない部分が浮き彫りになっていったのは、椿の引き出し方が巧みだったからだと思う。家とか友達とか恋人とか、何気なく使う言葉から深掘りしていく様は打ち合わせというより議論のようだった。椿も、葵さんのように、いくらわかってもわからないほど奥深い。

「苦しかったよね」か。
 台本に書かれた言葉の中で最も大切だと言っていたのに、本番で変えてきた。
「よ」を付けたことと名前を呼ばなかったことには、どんな意味があるのだろう。葵さんは、関係あるのだろうか。

 カーテンコールで礼をする時、必ず観客の顔が見える。呆然としている人や泣いている人が多いな。何に心を動かされたのだろう、ぜひ直接訊きたいものだ。大楽までにまだまだ稽古を積んで、より良くしたい。できることなら再演も。
 小関さんは血糊でベタベタのままだが、屈託のない笑顔が少女のようで、満たされている。椿は、あれ、どこか様子がおかしいような……。儚い、という感じがする。別の意味で、まるで少女のようだ。結婚式で新郎が死んだら新婦の魂は抜けてしまうだろうが、ゲネプロまでの、強く美しい女性として生きようとするエマとは違う。純白のウエディングドレスに着られている。しかし、もう一着用意されたお嬢様の普段用ドレスも、あの姿には似合わない。濃紺のセーラー服が、良いのかもしれない。まだ若かった頃のあの現場で着ていた衣裳。
 あれが素の姿ということだろうか。
 強く美しい女性として生きようとする姿も、淡くて儚くていつか消えてしまいそうな姿も、どちらも椿なのだろう。俺より先に一人二役を演じた椿こそ、誰よりもジキルとハイドがわかるのだろう。

 観客がホールから出ていく頃、俺たちは舞台袖から楽屋に戻った。扉が三回ノックしてきっちり返事を待ってから入ってきたのは、椿だった。
「お疲れ様。今日の私、どうだった?」
「上々だろ。それよりエマ役きついだろ、大丈夫か?」
「そっちこそ、」
 着信音が鳴った。椿の言葉を遮るようだった。
「失礼。」
 通話ボタンを押す。
「うっす、久しぶり。
 ああ、うん。うん。
 そんなに急ぐのか?
 了解。」
 椿と二人で飯に行くことは、今日じゃなきゃダメというわけではない。もちろん約束を反故にするのは本意ではないが。
「すまん、今夜キャンセル。」
「ええ……」
「ごめんって。また今度行こう。な?」

 空がオレンジに変わり始める頃、とある居酒屋に来た。約束の相手は、先に来ていた。
「こっちだ、星野。」
「おお萩森! 突然でビビったぜ。」
「早速だけど、」
「待て。ビール2杯お願いします!
 いいぞ、何だ?」
「よくわからない女性によくわからない思いを持ったこと、あるか?」
「よくわからない女性、というのは?」
「いや、たまたま知り合った人なんだけど、ああ、何というか、こっちの懐に入りこんできてさ。人たらしって言えばいいかな。」
「それは、やっと次に進むってことか!
 どんな女だよ~! 会わせろよ~!」
「やめろって。」
「俺とお前の仲なんだからよ!」
 この具合なら、押せばいけるぞ!
 彼はとっくに辞めてしまったが、萩森は訓練生だった頃からの友。元奥さんとの進展を後押ししていたのは俺だし、別れて以来初めて聞く女性の話。何とか二人揃った姿を見たい。

 当然と言えば当然なのだが、萩森の様子は変だった。連れてきた女性は美麗さんと言い、華奢で色白で物静かだ。おしとやかとも表せるかもしれないが、心の中には誰も()れないというような壁を感じる。まるで人形のようだ。話を合わせてその場に溶け込んでいても、どこか浮いている感じがする。派手派手しい服装がどうも似合っていない。なんだか葉月さんと似ている。
 何でもない仕事の話を聞きながら、と言っても俺は関係者ではない彼にペラペラ話すわけにはいかないが、苦労話が多かった。よく見ると、萩森の頭には少々白いものが混じっている。
「お前、ペース早いぞ。」
 昔は朝まで飲み明かしたこともあったが、俺が出演した”雨街”を観て、自分の才能の限界を悟ったと語っていた。悔しい話だが、俺ではなく椿に心打たれて。
 萩森が葉月さんと別れたのは、つい数年前だった。
 夫婦二人で幸せに暮らしているとばかり思っていたが、現実は違った。細々と役者を続けていた妻とデザインの仕事で社畜となっていた夫はすれ違いが続き、そのことに気付いた時にはもうどうしようもなかった、と。いつも通りに家に帰ったら、別れを告げる手紙と生活用品の全てを残して、葉月さんの姿だけが消えていたらしい。
 仕事なんてほっといて、もっと一緒にいればよかった。二人で幸せになっているはずだったのに。別れるなんてやだ……。あの時の弱々しい萩森は、初めて葉月さんへのわがままを言ったのだろう。

「あの、どうしましょう?」
「俺がおぶって連れ帰りますよ。」
「私、荷物持ちます。」
「ああ、助かります。
 まったく、もう若くねえんだから。」
 美麗さんに手助けしてもらいつつ、彼を店からほど近いアパートの一室に運び込み、ベッドに寝かせた。すー、すー、と酒臭い息を吐いていた。
「今日はありがとうございました。突然なのにお会いできて嬉しいです。」
「楽しかったです。これ、もしよかったらどうぞ。」
 美麗さんがお茶を出してくれた。
「では、頂いたら帰りますね。
 あの、ところで、馴れ初めって聞いちゃってもいいですかね?」
「馴れ初め……。
 私たちは何でもないですし、今日が最後なんです。」
「え?」
「本当ですよ。」
 このクソ大変な公演期間中の俺を誘ってくるほどあいつの調子を狂わせる女性、それが美麗さん。今日が最後? 互いをまだ全然わかっていない様子だったのに。萩森はもう葉月さんの時を忘れたのか?
「あいつがこんなに飲むなんて、葉月さんを手離した時以来ですよ。だから、」
「ハヅキさん?」
「知らないっすか、元奥さん。
 あれ以来、ずっとここで独り暮らし。男一人には広いっすよね。遊びまくってたのに、すっかり大人びやがって。」
「結婚されてたんですね。」
「あいつが好きで仕方ないって言うから、俺はずっとこっそり協力してたんっすわ。ついに、ついに、バレンタインに逆チョコと指輪渡して結婚して、まあ全部俺がプロデュースしたんっすけど。まったく、なにやってるんだか。別れたくないって泣いてたのに、結局別れやがって。優しいのもほどほどにしろよって、見ててイライラしますわ。俺が出てる作品は観てるらしいっすけど、じゃあ俺みたいに追いかけりゃいいのに。」
「星野さんもお優しいんですね。」
「はっ?」
 きついと言われることはよくある。しかし、まさか優しいと言われるとは。
「お二人、いいお友達なんですね。」
「まさか。腐れ縁っすよ、腐れ縁。」
 あ、でも、そういえば椿も優しかったって言っていた。

「私はもともと、美和ちゃんの学校の隣の学区に住んでた。六年生までは峯岸(みねぎし)和凛を名乗ってて、普通に私は『あいりちゃん』だった。
 あの時は、友達いっぱいいたの。だけど三年生の時、お母さんが癌になった。手術をして、なんとか今までどおりに暮らせるように頑張ってたんだけど、駄目だった。もう転移してることが分かって、なんとか延命するしかできなくて……。
 私はいつも家でひとりぼっち。だから、お父さんが遅くなる日は伯母さん()に行くことになって、それで、花織とよく遊ぶようになった。そしたら美和ちゃんも来るようになって、三人で遊んだ。その代わり、私は学校の友達と公園に行ったりすることは減って、どんどん疎遠になっちゃった。それで、クラス替えとかもあると、気が付いたら《《ぼっち》》。
 四年生のクラスは本当に最っ悪だったな。放課は誰とも話さないで、ただただ本を読んでたの。そしたら『あいりって暗くない?』って言われるようになって。だけど、私には花織や美和ちゃんがいたから。平気だった。帰れば楽しいんだもん。
 美和ちゃんは大人しかったけど、案外喋ると止まらないタイプだったよ。花織の方には、よく懐いてたな。私より花織のほうが、美和ちゃんは気が合ったんじゃない?
 そうそう、だからだよ。正直、私は曙ってタイプじゃないんだよね。もっとごつくて男らしい人の方が好きやからさ。曙ってなんか、かわいらしいとこ、あるじゃん。
 花織がすごいたくさん曲とか教えてくれたんだけどさ、ちょっとノリについていくの大変だった。だってさ、ファンの一体感すごくない? ああいうの、私、入っていけないんだよね。花織と美和ちゃんは一緒に楽しそうだったから、合わせてたけど。でもね、ノリはなんか違っても、やっぱり、三人で歌ったり踊ったりするのは最高だった。
 その少し後だよ。
 それまでじゃ考えられないくらい陰鬱になっちゃった。いじめられてたっていうのは知ってるけど、それだけじゃないのよね。あんまりきちんと教えてもらってないけど、先生の愚痴なら死ぬほど聞いた。何でもかんでも花織が悪いことになっちゃって、ほんとはそんなんじゃないって。私が悪いんだ、私が最低なんだって自分を責めてばっかりだったから、そんなことない、花織は悪くない、って何度も何度も、言ってた。
 あのくらいの時にはね、美和ちゃんは勉強が本格的に忙しくなってきて、みんな揃うことはだんだん少なくなったの。天陽中学を受験するからって。叔父さんは医者で、美和ちゃんはそれを継ぐつもりだったんよね。
 美和ちゃんは本当は勉強が好きじゃなかったのよ。それなのに成績がどうこうとか勉強を頑張って医者になれとか、いつもいつもテキストの提出に追われて、脅迫でもされてるみたいだった。あの子も大変だったんだよ。まだ九歳とか十歳だったはずなのに。
 どんどん憔悴していって、五年生に進級するくらいの頃かな。めちゃめちゃ痩せて、手足とか棒みたいだった。かわいそうだった。
 私が六年生になる頃には、もう二人はボロボロだった。
 美和ちゃんは全然来なくなって、花織の自責もどんどんエスカレートしていって、リストカットとか、ODまでするようになった。そのあとは、もう分かるんじゃない?
 自殺を図ったっていう、あの事件よ。
 花織は学校の友達だった君を誘って(さかえ)に行った。
 ただね、君が見たよりもずっと、あの事件は悲惨だよ。
 君が飲み物を買いに行った隙に飛び降りたんでしょ。そうやって君には伝わってるのよね。形ばかりではあったけど一応捜査員としてあてがわれた警官が教えてくれた。あの時一緒にいた男の子には真実は教えないことにしたって。まだみんな小学生だったんだから。たったの十二歳だもん。うちの方から、うちで起こったことを君には背負わせないで欲しいって頼んだのよ。でも、もう君は知っておいた方がいい。君は花織の大事な友達だったんだから。君にとっても、花織は大事な友達でしょ。
 あの日死のうとしていた子は、本当はいなかったのよ。
 美和ちゃんは毎週土曜日に、朝から栄にある塾の授業を受けてた。最難関中学を受ける子のための講義ね。そんなことは露ほども知らない花織はあの日遊びに行った。私だって、美和ちゃんが土曜日に栄まで行ってたことは知らなかったの。
 私が勧めたのよ。せっかく卒業なんだから、何もかも忘れてはっちゃけて来たらって。学校の友達、一人くらいはいるでしょ。その子とどこかで遊んでおいでよって。その一人が君だよ。花織は君のことを一番の友達だと思ってた。君と遊びに行って、栄で一日楽しもうとしてた。君と花織が出掛けたのは日曜日だったね。その前の日、美和ちゃんは模試が返却されて、絶句してたんだって。毎日毎日夜中まで勉強してたもんだから、その時の模試は散々だったんだってさ。睡眠不足でテストなんか受けたって、点数取れるわけないよね。もちろん、美和ちゃんも例外じゃない。その時返ってきた模試の、前回ので成績下がっちゃったから、今度こそって頑張ってたみたいよ。
 もうその時の成績に絶望して、ただでさえ心理状態めちゃくちゃになってるのに。次の日フラフラと家を出ていって、いつも土曜日の講義に出るときと同じように電車に乗って、最後……
 そこに花織が遭遇したの。やばいところを見てしまったとでも思ったんじゃないかな。君はその時の美和ちゃんのこと知らないから、気付くはずもないよね。
 ここからはその時現場に居合わせた人に警察が聴取して分かったこと。いかにも精神を病んでいそうな子供が一人でたたずんでいたところに一人女の子がやって来て、『美和ちゃん!』って。駆け寄っていった。引き戻そうと必死になってたけど、美和ちゃんも全く動こうとしなかった。花織はなんとかホームの内側に引きずり込まなければならないと思った。ちょうどそこに電車が来たから花織は余計焦っちゃった。渾身の力を込めて美和ちゃんの腕を引っ張ったの。美和ちゃんをホームの内側まで引っ張ってぐっと掴んでさ、引き留めようとしたの。あの子なら、普通ならできたかもしれない。だけど極限状態になるとさ、人間って失敗するんだよ。美和ちゃんは痩せ細ってた。焦りもあるし、ミスしたんじゃないかな。腕を前に思いっきりのばして、手を掴んで、ぐっと力を込めたところまではいいけど、美和ちゃんの体重のわりに力が強すぎた。花織は体のバランスを崩しちゃって、前屈みに倒れた。花織はホームから落ちて、それで、そのまま轢かれた。
 美和ちゃんがその時助かった代わりに、花織が死んだ。花織は腕が取れて、首が変な方向を向いてたらしいよ。私は直接亡骸を見ていない。大人たちが、私には見せてくれなかった。花織の最期の表情は、私は知らない。
 花織は、あの子本人が自殺を図ったわけじゃない。美和ちゃんを助けようとしてた。美和ちゃんは死のうとしているとばかり花織は思った。でもね、後で美和ちゃんにも警察が聴取したらさ。美和ちゃんはホームのギリギリに立って、『ああ、ここから今飛び降りたら楽になれるのかな』ってぼんやりしてただけだった。あの子の意識は花織に引っ張られているときも想像の世界に行ってて、何が起こったのかちゃんと覚えていなかった。あの事件は、もし私が出掛けておいでだなんて言わなかったら、もしたまたま出くわすなんてことにならなかったら、起こらなかった。誰も死ななくて済んだ。
 美和ちゃんは事件のあと、精神病院に入ることになった。ずっと暮らしてた場所から遠く、空気が美味しい場所で、何もかも忘れた方があの子のためだからって。でも入院から一か月も経たないある夜、忽然と姿を消してた。美和ちゃんは、もうそれっきり。どこに行ったのか。生きてるかどうかも分からない。もし生きてたら、今は中三だよ。また受験生になって、来年、春が来たらどこかの高校に入学してるかもしれないね。
 私は一人になっちゃった。
 もう私には、誰もいない。
 いなくなってから、磯村の人たちみんなが集まって、話し合いが行われたの。まず美和ちゃんのことをどうするか。叔父さんは大学で教授を目指していたから、ていうか今も目指してるけど、家庭で事件があっただなんてことはあってはならない。そんな訳ありの人間は教授選には勝てないわ。だから美和ちゃんが消えたことに関して、表沙汰にしないことになった。美和ちゃんが将来生きていく場所を残しておくためにも。もしいつか、美和ちゃんがここに帰ってきたら、あなたの居場所はここにあるよって言えるように、あの子の場所を守ろうということになった。
 じゃあどうやってやるの?
 簡単な話だよ。誰かがなりすませばいい。
 その美和役に、私が選ばれたの。
 年齢や美和ちゃんのことをどのくらい知っていたかということを考えると、適役なのは私しかいなかった。でも私は和凛としてお母さんを守らなくちゃならない。見舞いをしたり、忙しいお父さんの代わりに検査の付き添いをしたり。だから、言うなれば私は、一人二役をすることになった。ただ、和凛としても美和としても社会で生きていくにはさすがに無理がある。そこで、お役所に登録する上では、峯岸和凛が失踪中ということにした。世の中ね、失踪するのは認知症のおじいちゃんおばあちゃんばかりじゃなくてね、むしろ十代が多いのよ。もっともらしい理由さえつければ、小六女児が突然消えました、と嘘をついても全然怪しまれない。あれこれ捜査されることもなく、普通に上手くいった。そうして、峯岸和凛は失踪中、磯村美和は今も普通に生きている、という状態が出来上がり。血の繋がった家族の内だけでは、私は和凛として居ても大丈夫。でも、それ以外の場所ではくれぐれも気を付けなくちゃいけない。
 今お母さんはかなり危ない状態なの。いつお迎えが来てもおかしくない。そんな時に、悠長に美和としてごく当たり前の生活をしてられない。朝丘高校の受験の件、許してくれないのは、私にも理由は分かる。あんまりたくさんの人と私が繋がると、美和ちゃんが帰ってきた時に何かと大変。居場所が変われば、それだけ仲良くなる人も増えるでしょ。
 高校受験の模試で駄目だったから、叔父さんの言う条件をクリア出来なかったから、もう私は今のままでいるしかない。私の居場所はここじゃないって今もずっと思ってる。でも、私が美和ちゃんとして生きて、美和ちゃんの場所を守ると決めたなら、あんまり我が儘を言っちゃいけない。だからって、いつ死ぬとも分からない自分の実の母親を放っておくの? そんなこと、出来ない。だったら、受験勉強の必要がないなら、もういっそ勉強なんか捨てて、お母さんのところに行ったっていいでしょ。美和ちゃんだって、それは許してくれると思う。
 学年が一つ下になったって、本当ならもう十六なのに中三でも、そんなことはどうだっていい。家の事情でいろいろあってずっと家にいるって説明して、別人が美和の名を騙ってることは巧く隠した。美和ちゃんが六年生の一年間は、私はとにかく家で勉強して、なんとか天陽中学に入った。一年間他の子達よりも長く勉強できるわけだから、まあ簡単に言っちゃえば中学浪人したみたいなもんなのよね。大学で浪人する人は少なからずいるし、高校浪人てのも稀にあるでしょ。私は小学校の勉強で出来ないものはなかったの。ちょっと自慢だけど、こう見えて勉強はどの科目もできたし、小学校の通知表はほとんどが二重丸だった。始めから私が美和ちゃんとして生まれていたら何もかも違っただろうね。
 私は、美和ちゃんの場所を守ってるの。花織と、美和ちゃんと、私の、思い出を守ってる。」
 この超長台詞は一発で撮影した。完成した映画ではもちろん編集が加えられているが、それでも表情、声色、纏うオーラが「君」そのものだった。ずっと「君」の後ろに座って聞いていて、それに対する返事は短いけど、肝となる言葉だった。
「どういうことを想っていて、何が好きで、何を大切に思ってるか。それが君なんだ!」
「今、決めよう。
 僕は今後、君のことをなんて呼べばいい?
 美和さんと言えばいいのか? それとも和凛さんと言えばいい? それか、どちらでもない、別の呼び方がいい?」
 俺は椿の言葉を神妙な顔をして聞いていただけで、受け止めて返すことができていない。力不足だ。今の俺にだって、まだ満足には至らない。
「ジョン! 撃て、殺せ、頼む!」
「むりだ……!」
「エマを、エマを守れ!
 もう、もう、殺したく、ない!」
 痛みに絶叫して、息絶えて、そして。
「苦しかったよね。」
 何も言わず研究室に籠るヘンリーに対し、エマは不満だったはずだ。何のために何をしているのか、なぜ何も言わないのか。この物語の中で、エマはちっとも変わらない。エマはお嬢様ではあるが、家に辟易していた。
 俺にとって、エマと過ごす時は理事への憎悪を忘れられる至福の時間だ。俺にとってのエマは、単なる婚約者ではない。単なる恋愛でもない。それが俺だけでなく、エマも同じだとしたら。ヘンリーとの時間は、彼女の心が解放される唯一の時だったとしたら。
 ルーシーと二人でのデュエットでは、二人は全く違う内容を言っている。ルーシーはどこか欠けている少女で、性的な目で見られることを仕事としていて、でも、俺はそんな気持ちは持っていない。ルーシーにとってもヘンリーは特別な存在。ルーシーはヘンリーに己に欠けているものを見出して、彼女と俺は、二人の世界に幸せに照らされた桃源郷を見出していた。
 エマは変わらない。ヘンリーの様子がおかしくなっても、北の空に年中浮かんでいる北極星のように、希望を持ち続けていてくれたんだとしたら。ヘンリーが侵されていっても、その全てを受け止めてくれていたなら。
 そうか!
 だからだ。椿だからだ。「君」がエマとなったから、一つの体で二人生きることをわかってくれたんだ。
 なんだよ、あいつ、全部私情じゃねえか。役柄が憑依しているようにも見えるけど、全部あいつの気持ちじゃねえか。
「ふっ」
 なんだか笑えてしまう。
 椿だって、どんな役でも椿なのかよ—―


 「どこか」を思っていたはずなのに、あの川の光を想い出す。まためぐり逢えるような気がする。この世は広いのに、そんなわけないのに、また会える気がする。
 私は駆け出していた。あの時はちょうどよかった服装が、今は寒く感じる。夜の電車は遅かった。今乗っている電車はもっと遅い。早くしてよ!
 駅名は覚えていなかった。風景だけが頼り、だけど、はっきり覚えているから大丈夫。あの日降り立ったあの場所で、私は萩森さんに出逢えた。
 「きらきら」は、一層輝きを増していた。でも、石畳の上に座る萩森さんは、「きらきら」よりもきらきらしている。

「星野さんから聞いたんですけど、結婚してたんですね。」
「そうなんです、黙っててすみません。」
「ハヅキさんのこと、もう少し聞かせてくれませんか。」
「僕と星野にとっての先輩です。」
「事務所の?」
「え、星野からどこまで聞いたんですか?」
「星野さんの助太刀もあって付き合ったこととか、別れたくなくて泣いたとか。」
 萩森さんの顔がかあっと赤くなった。
「イライラするそうですよ、優しすぎるから。」
 さらに耳まで赤くなったのを見て、これが葉月さんにはたまらないんだろうな、と思った。
「私、けっこう小さい時から家でいつもひとりだったんです。それで、その頃住んでたアパートで上の階に住んでたお姉さんが、ときどき遊んでくれました。母が帰らない日は一緒にご飯食べたりとかもしてましたね。やっと思い出せたんですけど、人から大切にされてても、だんだん物足りなくなったり嫌になったりして長く続かない、だから壊れるより先に自分が消える、そうすれば誰も傷つかないでしょって言ってて、私、妙に納得しちゃったんです。
 その人、如月(きさらぎ)ですって最初言ったんですけど、誕生日は八月だそうです。おかしいって気付いた時にきいてみたら、如月と名乗ってた理由は、大事な日だからって。プロポーズしたのは、バレンタインの日なんですよね?」
「はい。」
 こんなに説明してるのに、まだわかんないの?
「そのお姉さん、指輪つけてて、見せてって言ったらすっごい嬉しそうにしてましたよ。年は忘れちゃったんだけど、二月十四日、Dから……」
 大きく開いた目で、まっすぐこちらを見つめてくる。少し時間を置いて、やっと飲み込めたみたい。
「え、え?」
「星野さん曰く、俺みたいに追いかけろ、と。
 この川をずっと下っていくと、もう使われてない高校の校舎とか、子どもたちの施設とか、電車は通ってないけど、バスならあって、のどかな街です。アパートは河口から少し離れてて、目の前は土手になっています。ものすごく古くてボロボロだから、行けば分かります。」
「美麗さん……」
「ちょっと! そういうことは奥さんだけにした方がいいですよ。」
 日本に平気で人を抱きしめる人がいることは、ナショナリズムが薄まった今では不思議ではなくても、お姉さんがこれを知ったら嫌だろうし、私はお姉さんが嫌がりそうなことはしたくない。それにしても、なんか、なんていうか。
「私たち、すごいご縁ですよね――


 およそ一か月の東京公演は無事に終わった。次は仙台に飛び、そして福岡、名古屋、大千穐楽は大阪で迎える。福岡は千晴さんが観に来てくれていて、後で行く店の予約も全て千晴さんがやってくれた。若者は大将がいる居酒屋を古めかしいなどと言うが、昔はこういう安い店こそ盛り上がったものだ。盛り上がる店でアルコールの力を借りたら、きっと言えるはず。
「では、乾杯!」
「三人でお酒って久しぶりやね。」
「みんな大人になったんよ。」
「椿は千晴さんがいると訛るよな。」
 萩森は葉月さんと再会したらしい。あの美麗さんのおかげだそうだ。星野もそろそろ自分のこと考えたらどうか、と言われてしまったが、そんな相手はいないのが現状。千晴さんはそもそも難しいと思うと、何も壁がない自分はもっと積極的にならなければならないと思う。
「ほんっとにすごかったわあ、深冬ちゃんだからできる表現があるんやろな。」
「千晴こそ、あんたそのものを求めとる人がいるやろ。」
「映像や舞台と、一瞬を切り取る写真を撮ること、全然違うで。」
「じゃあ、おあいこやん。」
 あはは、と二人が笑っている。
 撮影現場では、くるくる動き回っていたかと思えば急に寂しげな顔をしたりしていた。可愛いとか美人とか、そういうことじゃないけど、妙に興味が湧いてくる人で、それが俺にとっての椿なのだろう。
 泣き笑いの二人が映るツーショットが送られてきて、幸せそうだなと思った。何が二人を繋げているのか。よくわからないけどなぜか惹かれてしまうんだ、と萩森は言っていた。葉月さんも美麗さんのように壁を感じる人で、俺は何が良いのかわからない。でも、萩森と葉月さんが二人でいると、壁が見えない。あいつと俺は違うんだ、それは当たり前のこと。だけど、気が付いてしまった。よくわからないけどなぜか惹かれる存在、思い当たる人がいる。俺もあいつと似たりよったりだ。
「そういえば、前に飯誘ってくれただろ。あれの埋め合わせはいつにする?」
「大楽終わってから、打ち上げみたいにやったら良くない? そうだ、千晴も予定合えば来なよ。」
 ああ、やっぱり千晴さんにあらかじめ言っておいてよかった。
「ごめん、ちょっと立て込んでて。」
「こんな時期に? 大変やね。」
「ごめんね、二人で行ってきて。」
「個室取るのは俺がやっとくから。行く予定だったところ、どこ?」
「うちらで行くなら普通のご飯がええわ。」
「そういうことじゃなくて。」
「星野さんがこれだけ言ってるんだから。」
 千晴さんありがとう! 助け船を出してくれる人がいるとはなんと心強いんだ!
「ええ……。」
「こんなに仲良しの人がいてさ、一緒に仕事して打ち上げ行くなんてさ、わたしうらやましいよ?」
「もう、そこまで言うなら別にダメやないけど、後悔しないでよね。」
「ああ。」
「エステサロンや。話題の最新研究に基づく施術が受けれるんよ、食事つきで。」
 俺は思わず「は⁉」と言ってしまった。千晴さんは「えっ」と反応し、引きつったままで顔が凍っている。
「後悔しないんだよね?」
 にやにや笑いながら、俺を見ている椿。おい、お前なあ!
「聞くけど、なぜ俺を誘ったんだよ⁉」
「ほんとは四人で、あ、エマとルーシーの全員ね。それで行きたかったんだけど予定合わなくてさ、初日終わったあとにマチネの二人でってことなら何とかなったの。ソワレに出る人誘うわけにいかないし、別に男が行ってもええやんなぁ?」
「だからって、俺はねえだろ!」
「しょうがないでしょ! 嫌なら蕎麦にでもすれば?」
 ハア、と思わずため息が出てしまう。ただし、決して本気でイラついているわけではない。断じてそんなことはなく、むしろこういうところが良い。
「ものすごく美味い蕎麦屋、探しておく。」
「やった、タダ飯~!」
「なんで奢りなんだよ⁉」
「あははははは、ほんっとに仲良いんやな!」
 千晴さんが爆笑している。
 ふう、ひとまず、これで一歩進んだ。

「今日はありがと!」
「わたしも、楽しかったよ。」
「あざした!」
 三者三様に別れを告げて、ホテルに戻る。俺と椿はスタッフが部屋を取ってくださったので、行き先は同じだ。タクシーを拾い、二人で乗り込んだ。
「ドタキャンした理由、萩森から連絡があったからなんだわ。」
「へえ、萩森くんが?」
「奥さんと、また一緒に暮らすことになったって。」
「最高じゃん! おめでとう!」
「奇跡みたいな偶然が重なって会えたっていう感じでさ、にぎやかだけど時間がゆっくりなところだったってよ。公園と学校と施設があるらしくて、なんか、椿と千晴さんが逢った場所と似てる気がするんだよな。まさか同じってことはないだろうけど。」
「電車はもう廃線になってて、廃校は昔の水産高校?」
「どうだか。廃線も廃校もそこらじゅうにあるから、さすがに同じじゃないだろ。」
「川があって、海が近い?」
「川沿いのボロアパートで会ったあと二人で海岸を歩いた、とは聞いた。」
「川、海、公園、廃校、施設、廃線。これが全部揃う場所なんて、そんなにたくさんあると思えないよ。」
 しばらく黙っている。どうやら少し体が冷えるようだ、と勝手に決めつけてカーディガンを脱ぎ、椿の肩にかけた。
「ありがと。」
「……ねえ、思ったんだけど、千晴とはずっと仲良くしてるし、萩森くんは奥さんと再会できたし、私はまた君と一緒に作品に参加できて、みんな繋がってるんだな、なんてね。」
 椿は俺を見上げた。
 この目を向けられると、心臓がドクっとする。今までこんなことなかったのに、急に変わった自分に戸惑ってしまうが、俺は俳優である。平静を装うことくらいできる、いや、できているはずだ。ずっと繋がっていようと言いたいが、今はまだ我慢。入念に準備を整えるためだ。
 特別の気持ちを、ちゃんと、伝えたいから。

群青-後編-

群青-後編-

過去作を大集合させた連作短編集っぽいもの (第3回恋愛創作コンテスト応募作)

  • 小説
  • 中編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-03-14

Copyrighted
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  1. 塀の内側で
  2. どこまでも続く空を見上げて
  3. 青と白のドレスを纏って