ついのすみか Ⅲ

ついのすみか Ⅲ

21 治療してから

 リンドウさんをお風呂に入れた時、お尻が痛いと訴えた。前回も言われ見たのだが、何もできていなかった。今回は念入りに見た。感染防止用の大きなゴーグルとメガネを外して見たが、よくわからない。触ってみても微妙。
「ナースに診てもらいましょうか」
と聞くと、
「いい」
と、拒否。
 リンドウさんは、心臓に持病があるので、いっさい薬を出してもらえない。頭痛薬も、痒み止めも、かかりつけでもらってください、と言われる。わかっているから頼まない。

 90歳過ぎてもしっかりしている。パットは1番薄いものを念のためにしている。
「蒸れるから、いっそはずしたら?」
しかし、それは心配なのだ。
 寝ていると痛い。お尻が圧迫されるから。掛け布団さえ、心臓の悪いリンドウさんは施設のものでは重くて息苦しいと言って、軽いものを家族が送ってきた。様子をみて、治らないなら……写真を撮れと言うだろう。

 排泄や入浴介助をするようになって驚いたことがある。私にはないものが……お持ちの方は多い。
 
 遠い昔、高校3年、親しかったうら若き乙女が痔の手術のため入院した。自分で言って笑っていたが、長い間悩んだのだろうな。

 ブティックの美しい方が、夏は日に焼けることも恐れた美のカリスマが、トイレから出てくると言った。
「鮮血が……薬屋行ってくる」
 その美しい方は極度の便秘。あらゆるものを試していたが、出なかった。おまけに貧血。数値が極端。おまけに痔?
「絶対、女の医者じゃなきゃ嫌だ」
当時、我が家にはパソコンがあったので、調べてあげた。女医の肛門科。

 彼女のあとに入ったスタッフもそうだった。足の長いパンツスーツが似合う裕福な奥様が店長に言ったそうだ。店長に言えば筒抜けだ。
「後ろからはできないって」

 痔主様は多い。それよりも驚いたのは……
 聞くに聞けない。若い職員や男性職員には。
 自分で調べました。子宮脱。ワナビ……ではなく、ナスビ。
 そういえばブティックの客が手術した、笑って話していた。
 しかし、放置されていて痛くはないのだろうか?

 民間の施設ではわからないが、提携病院以外はほとんど家族が連れて行く。提携病院は信用できないと、東大病院まで連れて行った家族もいた。
 歯科が口腔ケアに週に1度来てくれる。これは大事だ。歯が痛いと訴える入居者は多い。歯茎が腫れれば相当痛いだろう。見ているほうも辛い。

 高齢者施設に入る前には、いや、それより前に治しておかねば。虫歯、歯周病、入れ歯の不具合。メガネはネジが緩み歪んでもそのままだ。90歳を過ぎた方は、気がついた時には白内障で片目の視力を失っていた。
 水虫も治しておいて欲しい。何人の足を洗い乾かし薬を塗るやら。夫の足だって、洗ってあげたことはない……

 不思議なことがある。アズサさんの髪が真っ黒だ。白髪はほんの数十本。私が50歳くらいの時の状態。歳を聞いてびっくり。ファイルで確かめてしまった。93歳になる。髪の老化だけは止まっているのか? 
 コロナ禍で3ヶ月理美容が中止になっている。皆、髪が伸びた、ショートカットだからよくわかる。染めているコデマリさんの髪は富士山状態。ご自分で、お化け、と言う。否定して欲しくて。家族が帽子を送ってきた。リビングで黒い帽子をかぶっている。誰も何も言いやしないのに。嫌味を言うホオズキさんは亡くなった。

 アズサさんはひとり暮らしをしていた。娘さんが訪ねた時には倒れていた。脳梗塞……こういう方は多い。モクレンさんもそうだった。旦那さんが亡くなったあと子供達に迷惑もかけず、ひとりでしっかり生きてきた方が倒れて施設に入る。
 わめくアズサさんは、町内会では一目置かれているようなしっかりした方だった。ミモザさんもカリンさんも働き者だった。ヒイラギさんは……ひとり暮らしだったがひどい状態だったらしい。ひとり暮らしには多い。食べ物と排泄物と害虫でひどい状態に……
 
 カリンさんは、100歳になり賞状をもらった。部屋に飾ってある。
「おめでとうございます」
言うと泣く。話題を変える。
「旦那様も息子さんも優しいですね」
「……優しいけど、女好き」
え? まさか、既に亡くなったけど、コロナ禍になる前は毎日面会に来ていた。
 カリンさんは昔話だか、妄想だか、聞いていても意味不明。まだまだひとりでトイレに行こうとする。玄関を開けて、廊下に出て行く。ホオズキさんの次はどこにお迎えが? 男性ふたりを除き、皆90歳を過ぎている。

22 新年度

 3月は移動の月だ。新人も来る。今月はいろいろなユニットを回り、4月に正式な配属先が決まる。
 先日は男性が、昨日は女性が来た。O君のように育つといいが。O君は異動になる。4年目に入る。同じ階なので顔は合わすだろうが、少し淋しい。

 O君は、母ひとり子ひとり。母親思いの真面目な青年だ。弁当持参。ママが作ってくれるのかな? 果物のタッパーまで。ちゃんと自分で洗っている。
 心配なのはゲームで夜更かしをして遅刻すること。
 もう、そういうことはやめないとね。私は言ったよね。入れ替わりが激しいから、すぐに主になるよって。頑張って、資格も取って勉強しなさい。あとは……彼女ができたら……

 同じようにピュアな、他のユニットの男性が……彼女ができたら遅刻ばかり。リーダーが怒っていた。朝の早い仕事だ。彼女と遊んでいたら差し障る。わかっていても、仕事と彼女、うまくやれればいいけれど。

 私の息子も、かつてそんなことがあった。まだ自宅通勤していた頃。帰ってきてもビールは飲まない。どうしたのかしら? と思ったら、仕事が終わった彼女を迎えに行った。釣りに行くための大きなワゴン車で、彼女の自転車を乗せ家まで送る。若い彼女は夜、飲みにも行きたい。息子は朝が早いから付き合えない。
 それが原因で別れた、という。若い娘にはつまらない男だったのだろう。

 ゲーム、女……心配してしまう。息子よりずっと若いO君を。

 私も4月から仕事を減らすことにした。元々は週3日の3時間勤務だった。あまりの大変さに介護をやることになってしまったが、もう歳だ。腰も痛めた。もう、いいだろう? 年金もいただけるし。

 しかし、パートも増えて楽なはず。なのになぜ日曜日なのに入浴介助が入っているの? 基本、日曜日は入浴はナシ。パートも休みが多いし。
 なのになぜ、日曜日は3時間しかいない私に、風呂に入れさせるの?

 配膳、片付け、洗い物。足浴4人に入浴ひとり。バイタル測って服の用意して、入れたあとは風呂掃除にパットや服の片付け。iPadに記録。自分の着替えもある。
 今日入れたマンサクさんは、浴槽から出るときに、私も入って後ろから支えなければならない。以前、斜めの体制で腰を痛めたから。おかげでズボンはビッショリ。

 今日の早番は男性のリーダー。来るのが遅い。配膳はパートに任せパソコン見ていた。O君は、来るの早いよ。遅刻しない日は。そして、入浴する方の服も用意しておく。バイタルも測っておいてくれる。手際がいいのだ。あの子は。
 私だって手際がいい。なんとしても3時間で終えるのだ。なんたって、家にはじいさんが待っているのだ。ああいうのを濡れ落ち葉というのか?

 桜咲いたら新年度。梅は咲いても春なき私。
……イチイさんがどんどん暗くなっていく。リビングに出てこない。部屋で食事をする。施設の食事はまずいと言って残す。手をつけない時もある。買っておいた、バナナやアンパン、大きなゼリー、食事が偏る。リハビリも体調が悪いからと、やっていない。以前はひとりで廊下に出て体操したり歩いていたのに。
 本来、明るくて動くことが好きだった方だ。車も運転していたという。
 先日も入浴なのにもたもたしていた。いつもそうなのだが、私は12時には帰るのだ。何度も部屋に足を運ぶ。バイタルを測る。半分も食べていない食事を下げる。食べないから出ない。トイレに篭る。おなかが痛いと訴える。動かないで座りっぱなし。ほとんどの者がそうだ。時間がくれば食べる。食べさせられる。おやつまで。そして、座り続ける。出るものも出ない。

 10時半過ぎた。何度もお伺いに行くので、コデマリさんが「大変ね」と聞こえるように言う。毎度のことだ。この時間に入ってくれなければイチイさんの入浴は午後に回す。いっそ、そうしてくれればいいのに、ギリギリで「入らなくちゃね……」と用意をしている。部屋には荷物が多い。
 動いている私には暑すぎるエアコンの温度。新聞が散らかっている。元々勉強家なのだ。呆けないためのクイズやパズルの本がたくさんある。ビデオも自分で録画して観ている。新聞も取って読んでいるのだが……自分で考えて片しているのだそう。職員はもう放っておく。家族が持ってきた花がいつまでも置いてあるから臭気が。
 電気ポットは使わせられなくなった。火傷されたら大変だ。

 また膝に皮向けが。湯をかけると痛がった。少しぶつけただけで皮膚が薄いのか傷が多い。アザが多い。年中ナース処置だ。ろくなナースがいないと文句を言う。膀胱炎を放って置かれたことを根に持っている。
 新しいナースが入った。男性だ。若くはない。イチイさんに話したら、絶対いやだという。入浴も男性は拒否。リフト浴になったら、あんな、魚みたいに網で釣り上げられるなら、シャワーだけでいい。
 話題を変えた。戦争の話。福島に疎開していたという。父のタバコの配給に並んだ。子供の頃は不自由したけれど……そのあとは裕福だったらしい。買い物はデパート。住まいは都会だった。いい物を着ていいものを食べた。いい時代を生きた。まさかこんな所に……でも娘には言えない。

 マンサクさんはしょっちゅう娘に電話をする。娘さんは仕事をしているだろうに、折り返しかかってくる。
「頭がおかしくなりそうなんだよ」
と、娘に文句を言っている。言われたって困るだろうに。

23 昨今の状況 4

 施設にもコロナ感染者が出たが、ゾーニングで他の階は(私の階も)無事だった。ようやく収まったが、皆大変だった。事務所は朝早くから夜遅くまで、食事する時間もないくらい対応に追われていた。現場はもっと大変だったろう。特別手当が出るという。

 新年度の配属が決まったが、具合の悪い職員や長く休んでいる職員がいて、うちと隣のユニットからも手伝いにいっている。ただでさえ、職員の人数は足りていないのだ。パートは増えたが、シフトを回すのが大変なようだ。相変わらずの12時間勤務が多い。熱を出した職員もいた。コロナ渦のマスクと手洗いのおかげで、ここ2年、ひどい風邪をひいた職員はいないが、疲れがたまったのか、原因不明の熱が数日引かなかったとか。

 2ヶ月休んでいた職員が戻ってきた。実家の高齢の母親をどうすべきか? 遠い実家に帰っていた。高齢者施設は300人以上待ち。とりあえず、ショートステイに入れ戻ってきた。独身だ。いつまでも休んではいられない。

 以前、挨拶もなしに辞めていった男性も大変だった。独身で両親の介護をしていた。母親は術後ずっと病院、転院し亡くなった。父親はショートステイにひと月、1日家に戻りまたひと月。本人も腰痛、肘痛。休みが増え、負担が増えた他の職員からは冷たい目で見られ気の毒だった。
 その方が整骨院にいた。2度一緒になったが施術中。向こうは気がついていないだろう。先生と喋っていた。野球の話を楽しそうに。噂では、辞めたあと倒れペースメーカーを入れたという。仕事はまだしていないと。マラソンの好きな方だった。夜勤明けにジムに行き汗を流していた。数年共に働いた方だ。元気そうでよかった。

 私は来月から仕事時間を減らす。しかし、この調子だと、3時間勤務になっても、入浴介助が入りそうだ。
 パートはいろいろだ。やってもやらなくても時給いくらかで働く。目いっぱい、トイレに行く間もないくらい動いても。かたや「クソの役にも立たない」と陰口を言われている者も。

 他所で働き、週に1度うちに来ている男性。中国の方。奥さんは日本人。もう1年以上になるが入浴はやらせない。乱暴だから任せられない、とのことだ。足浴はやるが乱暴なのだそう。先日は爪切りをして肉を切った。それは……実は私もやった。しかし……それですむのか? 週1でも長時間、資格があるので私より時給はいい。入浴3人してくれたなら、日曜日に私に残しておくこともなくなるはず。
 それですむのか? 配膳にしても、2ユニット両方覚えた方がいいのに、
「向こう、やれば?」
と言えば、
「ボク、できない」
それですむのか? 
 周辺業務に毛の生えたような仕事で、私より高い時給。顔には出さないけどね。

 コロナ禍で感染防止のために身に付けるものが多くなった。マスクに大きなゴーグル。私はメガネの上に付ける。曇る。入浴の時には曇る曇る。それにエプロン。配膳、食介時と排泄時のエプロンを分ける。しかし入居者は分けてはくれない。カリンさんは食事中にトイレに行くからナースコールが鳴り続ける。職員はエプロンをはずし、排泄用のエプロンを付ける。紐で縛るエプロンなので時間がかかる。その間ナースコールは鳴り続ける。カリンさんが立ち上がって転んだら……エプロンのせいにしよう。

 入浴時はビニールの、足首までの長いエプロンをする。袖は付いていないが。マスクにゴーグル、長い厚いビニールのエプロン。湿気と暑さで感染前にぶっ倒れそうだ。そしてその都度洗濯、乾燥機にかける。仕事は増える。浴室は掃除した最後に次亜塩素酸をスプレーする。そして30分したら流す。30分したら私は時間外なのですが。

 夜の仕事も今月いっぱいで辞めるのだが、先日はひどかった。サカキさんが食事中に漏らしたようだ。マスクをしているのでわからなかった。職員が気がついたときにはひどかった。私はキッチンで洗い物。職員はたくさんの清拭(濡らして温かくしておいた小さなタオル)を持ってきて、サカキさんの手や頭を拭き始めた。隣のテーブルでは、かたくななイチイさんが、珍しくリビングに出てきて食事をしているのに。

 車椅子にシートを敷いてサカキさんを移し部屋に連れていった。当分戻れないだろう。イチイさんに何度も謝り、薬を待っていただいた。温め直したごはんもおかずも半分くらい残し、まずいからと、買ってあるものを食べる。だから栄養が偏る。そして便が出なくておなかが痛い……
 最近では、偏屈に、ますます扱いにくくなってきた。それこそ、食事の時間がずれるので、排泄の合間に食事を温める。都度都度エプロンを変える。不満が高まる。イチイさんは前の女性職員とも、その前の女性職員とも合わなかった。周辺業務のバイトの女の子とは合うみたいだ。延々と苦情を聞いてあげてるから。聞いてあげられる時間があるから。
 それも仕事だけど、茶葉や洗剤も補充しておいてほしい。朝忙しいのに入っていないとムカつく。キッチン周りもきれいにしておいてほしい。炊飯器の下も拭きなさい。掃除機のゴミも捨てておいて。だいたい、掃除機かけているの? 3時間何をしているの? 介護はしない周辺業務。やることは探せばいくらでもあるはず。時給はたいして変わらない。

 イチイさんは、もはやクレーマーみたいだ。取っている新聞の置き場所が違う。シーツ交換すれば掛け布団の畳み方が違うだの文句を言う。だいたい、イチイさんのシーツ交換は大変なのだ。新聞がひっ散らかしてある。本人は考えて分けておいてあるのだそうだが。
 自身の衰えを自覚していない。先日はトイレの床に漏らしたそうだ。大のほう。さすがに恐縮していたという。

24 衰え

 日々衰えていく。入居者もだが、私も。来月からは週3日の3時間勤務に戻す。
 思えば働き始めた時、すでに○○歳直前。この6年弱は、若い時より動いた。働いた。

 6年間で2ユニットの8人が亡くなった。今の、うちのユニットは……すさまじい。日中はひとりを除いて、ほとんど居眠りをしている。白寿のお祝いの賞状をいただいたカリンさんは、この頃元気がなくて心配だ。反応がない時がある。この間もナースが来ていた。でもまだ、自分で食べているから……
 先日も、私がシーツ交換をしていると、職員の声が聞こえてきた。
「カリンさん、カリンさん、どうしました? カリンさん」
 まさか? と思ってしまった。怖いけど、いつかその日は来るはず……

 ミモザさん、ヒイラギさん、モクレンさんも反応が鈍い。皆、とうに90歳を過ぎている。静かだ……アズサさんが寝ている時は。
 アズサさんの言うことは、ほんの少しわかるようになった。朝、機嫌がいいと、おはようございます、と言っているようだ。そうでない日はドアを開ける前からわめき声が聞こえる。ゲンナリする。

 こだわりが強い。飲み物もいろいろ差し入れがある。アールワン、ラブレ、リンゴジュース。ところが生憎切らしたものを欲しがる。
「今度買ってきますからね」
と、他のものを勧めてもダメだ。延々と延々とわめき続ける。そして手をテーブルに打ち続ける。
 斜め前の席のモクレンさんが挨拶しないと怒る。モクレンさんは、脳梗塞を起こし、食べる時以外は目をつぶっている。それも、何度言ってもわからない。

 職員もお手上げだ。見放す。付きっきりではいられない。わめき声にも慣れるものだが、声が大きくなると、職員もイラつく。
「大声出さないでください。みんなの場所なんですから」
 効果はないが。
 隣のユニットのサカキさんがよく来ている。こちらも90歳はとっくに過ぎているが元気だ。車椅子自走の得意な方。アズサさんがわめくと合わせて嬌声をあげる。
「はぁーん、はぁーん」
初めて聞いた時は何事かと、風呂場から飛び出した。
「ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「はぁーん、はぁーん」
 じきに慣れるだろう。

 ネコヤナギさんが、職員にはうるさがられているネコヤナギさんが、ときどきアズサさんのテーブルに近づいていく。そして、ティッシュを数枚渡そうとする。アズサさんも気がつくと手を伸ばす。互いにスッと伸びはしない。時間がかかるが受け取るとアズサさんは礼を言う。「ありがとうございます」と言っているようだ。ネコヤナギさんは満足して戻っていく。

 私は6年近くの付き合いだから、ネコヤナギさんを悪いひとだとは思わないのだが……また、セクハラ疑惑が。二十歳の女性もさわられた。新しいパートさんに、50歳前の体格のいい女性も。入浴介助はだいぶ前から男性職員の担当になっている。

 もっとひどい疑惑が。
 職員が排泄介助に入る。私は入浴介助。リビングには、反応のない、ほとんど寝ている女性が3人。なんと、ミモザさんにおさわりをしたらしい。知能犯め。無防備な時間を狙うのか? まさか、そんな卑劣な男なのか? 疑惑の目で見られているよ。監視カメラはあるのだよ。大事にならないように!

 先日は3ヶ月ぶりにようやく理美容があった。カットしたあと、ふたりを入浴。そのあとイチイさんを入浴? 無理だ、12時までに終わらない。それでなくとも、配膳片付け洗い物、シーツ交換が2床に足浴5人。入浴3人? できるわけないだろーが。
 なぜ、パートのシフトがこんなに偏るのか? いる時はウヨウヨいるのに。帰ろうかと思うくらい全員のご出勤という日がある。希望を入れたからそうなるのか? 考えもせずにイメージせずに入れているのか? 疑問。

 おそらく、3時間の勤務になっても入浴介助はあるだろう。ひとりは……ふたりかも? 1度あった。8時半に始めれば、できますね? って、食べ終わってすぐ入れていいの? 
 それにね、私は、歳なの。もう、歳なのよ。

 今日は覚悟した。時間内には終わらない。最初の頃、時間内に終わらないので、残業をつけていいのか聞いたら「帰ってください」と言われた。まさか投げ出して帰るわけにもいかない。

 イチイさんは、部屋に籠るから、リハビリもしないから動きがますます鈍くなる。もう、個浴では無理だという声が聞こえてくる。なのになぜ、私の担当に? イチイさんは、風呂に入るまでが長い。朝食が9時過ぎだ。それも、リビングでは食べない。理美容で出だしが遅いのだから、1番に入ってくれたら助かるのに。入る前のトイレも長い。いっそ、入らないと言ってくれたらいいのに。

 それでも、気を取り直して入浴させる。洗うのがまた長い。ご自分で延々と髪を洗う。リンスをしても、なおこする。それはリンスなんですが。
 浴槽につかる。ほとんどの者は、入るのは楽だが出るのが大変だ。そこで腰を痛める。イチイさんはお尻は上がらない。ますます上がらなくなった。長いビニールのエプロンをめくり、私も浴槽に入り後ろから支えた。ようやく立てば足先に力が入らないで崩れていく。私もまた変に力を入れてしまった。よほど助けを呼ぼうと思ったくらい。しかしイチイさんは男性職員をかたくなに拒む。
 もう、リフト浴にしてほしい。リフト浴のが負担はかからない。介助する方にも。しかし、あんな魚みたいに釣り上げられるなら、シャワーだけでいいと言う。

 この、おぼつかない動きでひとりでトイレに行っているのか? 時間がかかるわけだ。それより危ない。夜勤者が男性だと助けを呼ばない。危険だ。プライド、こだわりは介護される方にはないほうがいい。見ていて気の毒だ。

 隣のユニットのコデマリさんはすごい。新しいパートさんから聞き出していた。プライベートなことは話すなと言ったのに。聞き出し方が上手い。
「たまには、パパが保育園のお迎えに行くんでしょ?」
 パパはいません……なんて言う必要ないのに。
 意地悪な人はますます元気だ。

25 昨今の状況 5

 今月から勤務時間を減らした。6年前に入った時と同じ、朝7時から10時までの3時間を週に3日。
 
 隣のユニットに新しい入居者が入った。カイドウさん。92歳の女性。杖をついているが、ほとんど自分でできる。上品そうな方だ。スカートを穿いている。バッグを持ち、ネックレスをしてリビングに出てくる。
 亡くなったホオズキさんが、ナースコールを何度も鳴らす方だったので、手がかからなく楽だという。ご自分の湯呑み茶碗、箸をお持ちだ。箸の向きを間違えた職員は注意された。

 隣のユニットはしょっちゅう席が変わる。原因はコデマリさんだ。彼女が人の悪口を言えないようにする。悪口を言う相手と離す。今度の席はテレビが見えない、と怒っていた。足浴のときに鬱憤をぶちまけられた。
 コデマリさんはA職員とよく衝突する。コデマリさんは悪口が好きだから叱られる。悪口は、やめてください、と。叱られても治らない。新しく入ったカイドウさんとは同じ年だ。最初は褒めていたがやはり悪口を……

 イチイさんみたいにきらわれて、リビングに出てこなくなったりしないように。

 今日はマンサクさんの入浴介助があった。本来なら日曜日は入浴しない日なのに、午後も予定が入っていた。6年前よりパートは3人増えたのに、なぜ回らない? 
 前のリーダーのときは3時間勤務で入浴があると、恐縮してお願いされたものだが、今は当たり前のようだ。2ユニットの配膳、洗い物、片付け、シーツ交換、足浴、入浴。その後は浴室の掃除、片付け、記録…… できるならやってみろ。
 次亜塩素酸のスプレーは無視する。30分後に洗い流せないから。

 今朝はマンサクさんがA職員と揉めていた。携帯電話が見当たらず機嫌が悪かった。マンサクさんはことあるごとに娘に電話をし、愚痴を言う。こんなところにいたくない、と。
 薬を飲みたくないと言ったことから小競り合いに。Aさんも、もう少し柔らかくなればいいのに、どんどん事を大きくする。
「お医者さんに飲ませるように言われてるんです。飲んでもらわないと困るんです」
 あーあ。まるで北風さん。仕事はできる人なのに。マンサクさんの機嫌はますます悪くなる。バイタルを測りに行くと、
「なにもしたくない。オレはもう死んでるんだ……」
「お風呂ですよ」
「いやだ、なにもしない」
 早く入ってくれないと、もたもたしている時間はないのだ。あやしおだてる。媚びへつらう。
「パーマかけたの。かわいいでしょ?」

 なんとか誤魔化し風呂に入れる。「あーあ」と大きなため息を何度つくだろう? 鬱なのか? そういう薬を与えられないのか?
「死にたいの? 死ぬの怖くないの?」
怖くないそうだ。まだ80歳前なのに。
 それでも、湯に浸かれば気持ちよさそうだ。長湯だ。血圧は正常なのでゆっくり浸らせる。他所から来た職員は言う。入浴は流れ作業だと。

 新しいパートが休みがちだ。保育園児の子供がいるから大変なのだ。私も孫が1歳前から保育園に入っていたので、よく子守にいった。熱が37、5度以上あれば帰される。よく迎えに行った。タクシーを呼び保育園に行き、孫を乗せて家まで。タクシー代は嫁の稼ぎの半分弱に。帰りは1時間を歩いた。引っ越したのでふたり目の孫はどうしているか? 今月から保育園に通っているはず。

 だから、大変なのがわかるので休まれても文句は言えない。入浴も任されず、来たらラッキー、というシフトの組み方。でも資格があるから私より時給がいいのだ。ボーナスも出るのだ。
 夫に愚痴れば、歳なのに雇ってもらえるのだからありがたく思えと……
 施設で働く最年長者は81歳の方だ。洗い物のみ2時間。入居者の食事形態など、覚えられないので洗い物だけ。それでも人手不足なので助かるのだ。私も頑張ろう。

 ここ数年、新人は大学、専門学校を卒業した方が多い。若い人はしっかりしている。条件もいい。家賃の補助がほぼ全額。
 きちんと貯金をしている人が多い。結婚しない人が多い。こんな日本で子供を育てる自信がない……と。
 嫁のことを話すと辛辣だ。1歳前で保育園。2度流産してようやく生まれたのよ……と話せば、
「それで、よく生みましたね」
「子供、好きじゃないですから」
 ああ、そうですか? 私だって怖い。100年後の地球がどうなっているか。
 老後は今のように手厚くは扱われないだろう。成人させた子供にそれ以上の長い老後の面倒を見させるようになるのか?

 多いのは50代の独身女性。歳を取ると家も借りられなくなるからと、既にマンションを購入済み。身体に無理が効かなくなる。夜勤がきつい。体力に自信がなくなる。でも、ローンが……

 うちのユニットは……ネコヤナギさんが……お茶は熱いのを欲しがる。私は、レンジで温めて出す。
「熱いですよ」
「あ・つ・く・な・い」
いつもの会話だが、他の職員はぬるいまま出す。
「火傷されたらこっちの責任になるんです」
 ネコヤナギさんが、わめくアズサさんの方へ行く。見ているとティッシュを渡しに行く。ふたりで手を伸ばしアズサさんは礼を言う。微笑ましいと思うのだが、
「そっち、行かないでください」
と禁止される。ネコヤナギさんはセクハラ疑惑があるそうだ。監視されている。

26 いつまでも変わらない

 5月になった。先月から勤務時間を半分以上減らした。もう年齢的に疲れるから。
 元々週3日の3時間勤務だったのだ。周辺業務だったのだ。人手が足りなくて、見るに見かねて手を出してしまったのが良かったのか、悪かったのか?
 
 6年が過ぎたが相変わらずだ。新年度がひと月過ぎた日の衝撃。
 1年頑張った二十歳の女性が今月は休むそうだ。ようやく常勤の人数が揃えば、いつもこうなる。
 体調が悪いらしい。今まで休んだことも遅刻したこともなかった。ひとり暮らしで頑張っていたのに。
 新人には家賃がまるまる補助が出る。このまま退職…‥なんてことになったら……? 
 うちの施設は男性が育児休暇も取っている。私の知る限り2人いたが……復帰して、やがて辞めていった。

 入浴介助している新しく入ったパートがショートステイに移動した。保育園児のいる母親はよく休んだ。仕方ないと言えば仕方ないが、周りのものは迷惑だ。
 当てにできるパートが欲しい。腰痛で痛み止めを飲んで働いている常勤もいる。風当たりは強くなる。
 彼女は施設長に相談したのだろう。資格を取るために辞めるわけにはいかない。
 図々しく頑張れ! と私は助言したが。

 そんでもって、リーダーに言われた。入浴介助をふたりできないか? と。
 体がきついから勤務時間減らしたんですが。
 結局は、こんなばあさんが頼み、ですか? 

 今までは5時間勤務で入浴介助がふたりか3人。それが3時間でふたりの介助? 
 ほぼ同じ仕事をして、給料が減るだけではないか? 10時には、お先に〜と帰るのだ。何時から始めろと?
 
 風呂の用意が大変なのだ。最近、毎回浴槽の下の板まで外して掃除することになった。
 浴槽は移動するのだ。右からでも左からでも真ん中からでも入れやすいように。移動させるのには力がいる。
 ここがいちばん腰に気を使う。痛めたら辛いのなんの……面倒くさいから労災にはしないし。

 以前はそういう大掃除は年末だけだった。排水溝が汚いから、と毎回全て外して掃除をすることにユニット会議で決まったそうだ。
 入浴介助はほとんどパートがやっている。年寄りのばあさんにはなにより大変な仕事なのだ。
 しかし毎回やる必要があるのか? 月に1度でいいのでは? そのため以前より入浴開始を早めた。
 朝の9時前から風呂に入れられて……喜ぶものもいるが。

 すぐ近くにまた施設を建てている。入りたい人は山ほどいるが、働く人はいつまで経っても足りないんです。
 いつかは超勤もなくなって、休みも取れるだろう、と。そう思って頑張っているけれど、そんな人たちが疲れて体を壊して、神経を病んで辞めていった。
 
 入居者さんは相変わらずだ。
 ネコヤナギさんは相変わらずティッシュを配る。気に入った女性の入居者に配る。唯一ネコヤナギさんが人にあげられるもの。唯一の楽しみ。それも取り上げられた。そばに近寄ると注意される。
「配らないでください。感染症がはやってますから」

 100歳のカリンさんは相変わらず廊下に出ていく。行かなければならない所があるらしい。エレベーターの前から離れない。
 まだ自分でスプーンで食べストローで飲んでいる。完食している。

 わめくアズサさんの足浴は終了になった。よかったぁ。大変だった。
 どうか再発しませんように。暑くなれば再発するだろうな。これからは足浴する人が増える。誰が洗うのだ? 
 そのうち言うのか? 足浴10人できますか? なんて。

 さて、明日の予定表はどうなっているのやら?

27 大丈夫?

 4月から新年度。私は仕事を減らした。週3日の3時間勤務。
 周辺業務にすればよかったか?
「食事介助はやっていただけるのね?」
 施設長に聞かれて「はい」と言ってしまった。周辺業務なら3時間、食器を洗い、キッチンの前でひたすら洗い、乾燥だけは食洗機を使う。
 周辺業務なら入浴も足浴もなしだ。配膳、片付け、米研ぎ、洗い物。洗濯、服を各自のタンスにしまう。あとはシーツ交換。これは入浴もやる私と床数は変わらない。予定を組むリーダーはできると思って入れているのか? なにも考えていないのか?

 私は皆が食事している間にシーツ交換を2床してくる。戻れば流しには山ほどの食器とエプロン、トレイ。食器を水洗いして食洗機に入れる。食洗機とは……和食器を洗うのには向いていない。工夫してもお椀の底に水が溜まる。食洗機にふさわしい食器にすればいいのに。現場の声は届かない。声も出さないか?

 それから風呂の準備。バイタルを測る。バイタルと服の準備は本来常勤さんの仕事。しかしそんな暇はない。O君はやっていたけど。
 入浴はふたりの時は8時半に始める。食後に大丈夫なのか? 血圧の不安定な高齢者。高ければベッドに寝かせ頭を上げて、低ければ足を上げて測る。
 5時間勤務の時も入浴介助はふたりか3人だった。仕事内容はほぼ同じ。ぶっ続けでやれば倒れそう。そして、収入は減る。不満はある。周辺業務とたいして変わらない時給。人により、極端に仕事しないパート……資格があるのに乱暴だから入浴は任せられないと、それで1年以上済んでいる。暇そうに座ってテレビを見ているときもあるとか。

 考えるとムカつくので考えるのはやめた。3時間、運動しに行くと思い働く。ビニールのエプロンをして入浴介助。汗が落ちる。痩せるはず……

 常勤はもっと過酷だ。新年度だというのにひとり休暇を取った。去年入った二十歳の女性。頑張っていたのに彼女に何が起きたのか? 誰も知らないという。ひと月休むのだそう。その間、変わりは来ない。常勤4人必要なところ、3人で回している。50歳の女性が連続の夜勤。体を壊さなければいいが。皆、12時間の超勤が増える。次に具合が悪くなるのは誰だろう?

 勤めて6年になるがずっとこういう状態だった。頑張れば楽になる……そう思って頑張っても楽になる日は来ない。頑張っていた人たちが辞めていく。体を壊して、壊す前に、神経が参って、参る前に辞めていく。次は誰だろう? なんて……
 まさか、二十歳の新人だとは思いもしなかった。地方から出てきてひとり暮らしの女性。実家に帰っているのか、誰も知らない。来月戻ってくるのだろうか? 

 O君も配属が変わり苦労しているらしい。慣れるのに時間がかかるのだ。

 フィリピン人のJさんが隣のユニットで契約社員で頑張っている。正社員になりたいのだが、記録等にまだ不安があるので契約社員に。おいおい独り立ちできるように……なんて、悠長なことを言っていられなくなった。人が足りないのだ。いきなり早番を任され、一生懸命やっている。私は朝食の手伝いに行く。久々に見て驚いた。ウエストが……
 元々スタイルがいい人だが、横からみると厚みがない。羨ましいを通り越して心配になる。
「大丈夫?」
「5キロ痩せました」
「大丈夫?」
 私は何もできないが。
 忙しくて、逆に太る人もいる。大丈夫? と思うほど太った人も。片足を引きずり人の介護をしている。

 私が、夜眠れない、と言うと、ほとんどの女性が誘眠剤を飲んでいるという。内科で処方してもらう。若い女性も。不規則なシフト。誘眠剤に頼らねば眠れない。この状態がいつまで続くのか? コロナ禍で仕事を失った人もやっては来ない。敬遠されているのだろうか。

 入居者さんに大きな変化はない。もっとも3時間のうち浴室にいる時間が長くてたいして接する時間はなくなった。アズサさんのわめき声を聞く時間も減った。
 隣のユニットはしょっちゅう座席が変わっている。コデマリさんが皆と離れた席にひとりにされていた。人の悪口がひどくて、お喋りできないようにされたそうだ。悪口は虐待になりますから……と言われたそうだ。90歳を過ぎたお年寄りが納得するだろうか?
 コデマリさんを入浴させることも減った。大丈夫だろうか? 悪口を言う人は元気だ。

28 入院

 仕事の契約更新をした。4月から9月までの半年分を2ヶ月遅れで。総務の男性が契約更新を遅れるのは毎度のこと。
 周辺業務の時給を聞いてみた。もう歳だから、そろそろ介護職から周辺業務にしようか、と。
「最低賃金だから1041円ですね」
 え? 
 介護職(資格ナシ)6年目の私は1050円。差はわずかだとは思っていたが、たった9円だとは思わなかった。9円の差で排泄、入浴、足浴をやっているわけですか? 資格ナシのばあさんだからしょうがない? 

 やーめた、辞めた。9円の差で、腰痛めて腕痛めて、整骨院に通って治療費払って……
 と思いながら更新してきた。ま、国からの処遇改善手当が時給に40円上乗せされるからね。
 まあ、いいか。次には考えよう。

 今日も朝8時半から2人続けて入浴させた。血圧200超えのカイドウさんには頭を上げて、70しかないポプラさんには足を上げて寝ていてもらう。怖いけど入浴させないわけにはいかない。1番目の方は食後1時間経っていないが。
 おふたりともしっかりした方だ。ご自分で洗う。手伝うのは背中と足先だけ。こちらの都合で朝早く入れているのに「ありがたい」と言ってくださる。「小原庄助さんだ」と。

 補聴器を初めて見た。入居者さんは口に入れたり、水に漬けたりしてしまうので、きちんと付けている方はカイドウさんが初めてだ。はずすと大声で話さなければならないが。

 加齢性難聴は60代後半では3人にひとり。補聴器は高い(ものがある)。高くてびっくり。それも片耳の値段。お世話にならずに済めばいいが。一生自分の耳で聞いて、自分の歯で食べる。目は早くから悪かった。でも、文字を読むのは苦にならない。
 歯が1番成績が悪い。だから刻み食に。ソフト食に。だから、認知が進むのか? 若いうちから予防せねば。私もやってます。3ヶ月先の歯科検診を予約してくる。これは、ぜひやったほうがいい。
 
 今、ふたりの方が入院している。入院すると……気の毒だが楽だ。退院してくるまでの、束の間のいくらか余裕のある勤務。超勤はなくならないが。
 カリンさんが入院した。1番手のかかる方だ。その前にはツルマサキさんが。ツルマサキさんの入院はよくあることだが、100歳のカリンさんは初めてか? 大腿骨を骨折……? 夜勤は気に病んでいた。

 100歳のカリンさんは手術した。家族が希望した。しなければ寝たきりになってしまう。
 戻ってきたら……大変よ。100歳でも体格のいい体。ツルマサキさんとは違う。ふたり介助で離床、臥床……
 カリンさんは、術後モリモリ食べているらしい。施設でも完食していた。差し入れのおやつまで。

 隣のユニットのリンドウさんも腹痛を訴え入院した。リンドウさんは持病があるからかかりつけの病院で、施設の提携病院ではないから詳しいことはわからない。面会も禁止だろう。心臓に持病があって常に息切れがしている。迷惑かけないようにと、なるべくナースコールを押さない方だ。こちらは食も細いから心配だ。

 しっかりしていた方もさすがに95歳を過ぎると衰える。タオルを畳んでくれていたヒイラギさんは、座ったままほとんど眠っている。食事を出しても言われるまで起きない。
「ああ、眠っちゃった……」
 それでもまだトイレは自分で行く。着替えもできる。浴槽もしっかりまたげる。ときどき、わからなくなる。
「ねえ、お金貸して」
とやって来る。

 アズサさんは相変わらずわめいている。私が出勤してからずっと。ティッシュはある。ゴミを入れるチラシで作った箱も置いてある。前髪をパッチン止めで留め直してやる。それでもわめく。なにがご不満? もうわからない。だれもわからないから放っておく。長い。わめき続けて疲れないのか? 

 ツゲさんは、胃瘻(いろう)だから、ほとんど出てこない。ナースが来る頃、ドアを開けてある。童謡がかかっている。勤務時間を減らした私は、ほとんど接しなくなった。見なくなった。だから今は寂しいものだ。いるべき人がいない。配膳の時間になると必ずトイレに行ってたカリンさん。廊下のずっと向こうで泣いていたカリンさん。病院で、どうしているだろうか?

29 ショックなこと

 86歳のポプラさん。真面目でしっかりした方だ。食事やお茶の時間には、言われなくても車椅子を自走して来る。食事は常食。刻まなくていい。お風呂もほとんど見ているだけで済んでしまう、介護者にとっては楽な方。トイレもひとりで済ませパットも夜寝るときしか付けない。夜、何度もトイレに起きるというから、漏らすことはほとんどないのではないか?

 今日は朝ごはんの後、部屋に戻ったが、また出てきて座っていた。部屋の掃除の日ではないし、珍しい。いつもなら自分の部屋でラジオやCDをかけたり、体操したり、何か書いたりしているのに。
 私はシーツ交換に足浴。忙しくて声もかけなかったが、1時間くらい座っていたのではないか? 
 やがて職員と話していた。
「朝ごはんはさっき食べましたよ。忘れちゃったんですか?」
「……」 
 
 え? ポプラさんとの会話? まさか……
 ポプラさんは自分から催促するような方ではない。これから朝ごはんだと思い、ずっと座って待っていた?
 しょんぼりして自走して部屋に戻る。慰めたが、
「大丈夫ですよ。私だって、忘れますよ。サプリ飲むのや……」
 さすがに、食事したことを忘れたことはない。

 ポプラさんは田舎から出てきて国鉄に勤めた。真面目だっただろう。結婚し家も建て、息子さんとお嫁さん、お孫さんと暮らしていた。パーキンソン病になり、家族に迷惑をかけてはいけないから、と施設に入ったのだろう。

 しかし、うちのユニットにポプラさんと会話できる入居者はいない。隣の席のネコヤナギさんは10歳以上年下だが、言葉が不明瞭で怒りっぽい。何度もバカヤローと言われながら丁寧に接している。ユニット全員の名前を覚えている。スタッフの名前も覚えている。私の旦那の出身が秋田だということも、1度話しただけで覚えていた。
 ポプラさんは衰えないよう必死で体操していた。レポート用紙にいろいろ書いていた。病気のせいで、物が2重に見えるらしい。

 家で面倒をみるのは無理だったのだろうか? 会話がないと認知は進む。うちのユニットでは可哀想だ。ヘルパーさんに来てもらい、デイケアに通うことはできなかったのだろうか? 
 家族は皆働いている。誰もいない時に転んだら? そんなことを考えて決めたのだろう。いい方だ。こんなに責任感のある、誠実な方にも病気や認知症は容赦なく訪れる。

 イチイさんもそうだった。ひとり暮らしに限界を感じ、娘さんを安心させるために入居した。最初入った5階には会話できるような人がいなかった。そこで隣のユニットにやってきたのだ。コデマリさんとなら話ができるから楽しいだろう、と。
 とんでもなかった。たがいに嫌う。イチイさんは部屋から出て来なくなった。食事も部屋に運ぶ。どんどん衰えていく。そうならないように、脳トレの本がたくさんあるのに。人と接しないから驚くほど衰えていく。リフト浴は死んでも嫌だと言っていたが、トイレも人を呼ばなかったが……そうもいかなくなった。

 うちの隣のご主人もそうだ。真面目に定年まで勤め上げ、早くに奥さんを亡くしたが、ひとりで頑張っていた。ベランダで洗濯物を干していた。会えば手を挙げ挨拶をした。それが……今ではベランダに出て嬌声をあげる。朝も夜も関係ない。面倒をみるために戻ってきた娘に怒鳴られている。喧嘩になる。
 これは、聞いている方も辛い。
 私も経験してきたことだが、いつ終わるともわからない介護。親に、早く死んでくれ、と何度願ったかしれない。

 自分たちもそうなるかも……そう思えば嬌声くらい我慢しよう。自分たちは、親が死んでくれてて良かったね……なんてじいさんと話したりする。
 自分たちも早く死んであげなきゃね……

 2040年、高齢者の人数はピークに達する。介護者は今でさえ足りないのだ。どんな時代になっているのだろう? 
 ばあさんもじいさんも施設に入れず、食べ物と排泄物と虫と同居……

30 昨今の状況 6

 リーダーが作っていた週間予定表を、職員が順番で作ることになった。リーダーは3時間勤務の私に容赦なく入浴をふたり入れるが、女性職員は大変だと思うのか、入浴は入っていなかった。すると疲れが全然違う。体が楽……次回の契約は周辺業務にしよう……

 女性職員には時給が周辺業務と9円しか変わらないことをアピールしたが、たいした反応はなかった。憤慨してくれたのは娘だけだ。
「辞めちゃいなよ」

 クールな女性職員は、
「周辺業務、3人もいらないですからね」
それもそのはず。周辺業務のパートがいない日は職員がひとりでやっていることだ。手際のよい職員は洗い物も配膳も洗濯もこなす。事務処理も手早く済ませ、さっさと帰る。

 今日は入浴介助はないはずだったが、急遽ふたり入っていた。休んだ職員がいたようだ。移動していったO君が夜勤をやっていた。しばらくぶり。少し肉がついたようだ。貫禄が出てきた。まさか、太らないでよね。ヒョロヒョロだったのに。夜勤をやると太っていくか痩せていくか、極端だ。

 ひと月休んでいた若い職員が戻ってきた。スタッフルームに菓子折りが置いてあった。実家に帰っていたようだ。なぜ休んでいたか? とは聞かない。誰も知らない。施設長は知っているだろうが。地方の両親は娘が仕事に戻って安心しただろうか? まだ二十歳の娘を手元に置いておきたいのではないのか?
 ちょうど大変なカリンさんが入院しているので、仕事がいくらか楽でよかった。

 しかし、ようやく正社員が揃ったと思ったら、リーダーが濃厚接触者でしばらく休み。2歳の子供が39度の熱を出したらしい。介護従事者は3度のワクチン接種済みだ。移らなければいいが。職員は特別休暇になる。その点は安心だが。

 でも、リーダーが戻り常勤の人数が揃ったら、また次は? なんて思ってしまう。ずっとそんな調子だったから。隣のユニットもひとり足りないままだ。契約社員も超勤をしている。Jさんはますます痩せる。

 濃厚接触者が出たので入居者もしばらくの間、日に3度検温することになった。コデマリさんは敏感だから、なぜ? と聞く。90歳を過ぎていてもスタッフや入居者のことに詳しい。アンテナを張り巡らせている。
 入浴のときは、新しく入ったカイドウさんの話だ。互いに90歳を過ぎているが話が合いそうだったが……
「太ってるね」
と言われ憤慨していた。それも何度も何度も。悪気があるわけではあるまい。それくらい仕方ない。
「娘はニューヨークにいるって」
それも何度も聞かされた。いくつになっても自慢したいのか。近くにいてくれたほうがいいだろうに。

 ニューヨークで働いていたという男のお医者様もすっかり……
 突っ伏していたトネリコさんに職員が大丈夫ですか? と聞けば、隣の席のセンセイは言った。
「大丈夫だあ、この女は、仮病だ!」
あなた、お医者様だったんでしょ?
 孤高のトネリコさんがびっくりしていた。言い返すかと思ったが黙っていた。脳梗塞で入院してからおとなしくなってしまった。 

 尊大なセンセイ。足浴するが苦手だ。現役の時はどんな医者だったのだろう? お医者様が特養に? 娘は面会に来ていたときは、「おとうさま」と呼んでいたとか。どんな父親だったのだろう?
 
 それに比べてポプラさんの腰の低さ。
 お風呂ですよ、と言えばベッドで足を高くして血圧を上げていてくれる。2番目だから9時過ぎですと言えば用意して待っていてくれる。こんなに几帳面で誠実な方には認知症は避けてあげてほしい。リハビリの先生に言われ、唱歌を読んでいる。体操している。タンスの中は一目瞭然に整理してある。

 コデマリさんは家族が面会に来るので喜んでいた。孫もひ孫も何人もいる。また差し入れがたくさんあるのだろう。90歳過ぎてもふくよかで元気だ。かたや犬猿の仲のイチイさんは、ずっと腹痛を訴え検査入院する。

ついのすみか Ⅲ

ついのすみか Ⅲ

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-08-28

Copyrighted
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  1. 21 治療してから
  2. 22 新年度
  3. 23 昨今の状況 4
  4. 24 衰え
  5. 25 昨今の状況 5
  6. 26 いつまでも変わらない
  7. 27 大丈夫?
  8. 28 入院
  9. 29 ショックなこと
  10. 30 昨今の状況 6