
火こき虫
屁こき虫って知ってるだろ。手に触れると臭いやつさ。秋田のほうじゃ姉子虫っていって嫌われもんだ。本名は亀虫といって、180種類以上もあるんだ。まあ、本名と言ってはいるが、カメムシ亜目と分類された仲間のことで、ただカメムシという名のやつはいない。キンカメムシ、クサギカメムシとか、アオカメムシなどとそれぞれ名前がある。カメムシは漢字で椿象とも書くんだよ。中国での書き方らしい、理由は分からないね。きれいな色のものもたくさんある。
なに食ってるんだときくのかい、植物を吸うのが多いんだ。口を伸ばしてね。吸った跡が固まるので、亀虫の食事の後は専門家ならよくわかるようだよ。虫を吸うやつらもいてね、いろいろいるよ。ただ、吸われた植物がおかしくなるようで、お百姓さんにとっちゃ害虫だ。
寒くなると越冬のために家の中に入ってくる、見つけた人は追いかけて臭いものをだす前になんとか捕まえようとする。へたをするとそこで臭いものをひっかけられてしまう。だから紙の上に這い上がらせて、窓からぽいと捨てるのがいい。
この虫は臭いから助かってると思わないかい。どうしてって聞くのかい。考えてもみなよ、もし音も匂いもないすかしっぺだったらどうなる。いいじゃないって。よかないよ、それがサリンのような無臭の毒だったり、青酸カリのようなものだったら、われわれ死んじまうよ。亀虫自身だって死ぬじゃないというのかい。我々の胃の中の塩酸の濃いのを知ってるかい、PH1から1.5、ものすごく強い酸なんだよ、鉄まで溶かしちまう。だけど胃は火傷をしない、粘液を出して胃の内面は守られているからな。毒虫だって自分の毒にはあたらない。毒から自分を守る仕組みがあるのさ。そんなカメムシだけど美味いって食う国もあるし、いい匂いだという国もある。さまざまだね。
これは太古の森の中での話で、すでに絶滅した亀虫の話だ。化石にでてきたことはあるやつだ。虫の化石なんてあるのかって驚いているのかい、確かに昆虫は無脊椎動物の中ではいちばん進化したやつだよな。だけどな、3から4億年前に出現しているんだから、両生類並だ、まだ哺乳類がいないときだよ、だから化石になっていてもおかしくない。琥珀に入っていたりするのとてもきれいだ。昆虫の羽はキチン質なのでよく保存されていて、形がはっきりしてるんだよ。
それでこれから話そうと言う問題の虫は亀虫の仲間のようなんだ。亀虫の化石だっていろいろあるんだよ、チョウセンオオカメムシなど知られているね。日本でも化石がでるよ。だけどこの化石の亀虫ちょっと違うようなんだ、体の大きさは、長さ一センチ五ミリ、形はふつうの亀虫と同じように六角形、色は茶色で地味、口がかなり長く尖っていてね、そう、一センチもある長い口なんだ、先がラッパのようになっていている。そんな楽器があったなあ、なんていったかな。ともかく、化石としては亀虫の一種として名前が付けられていたんだ。
その亀虫が実際にいたんだ、これが九州の小さな島で見つかった。
九州には屋久島や種子島があるだろう、それ以外にも小さな島がいくつかある。その島の一つなんだ。その虫がいる島の名前は公表されていない。虫好きが行って獲っちまうといけないので公表しないそうだ。
どうして俺が知っているのかって、俺の兄貴が昆虫学者で、亀虫の専門家なんだ。それで話してくれたんだ。兄貴の話はこのようなものだよ。兄貴の名前かい。一生と書いて「かずお」ってよむんだ。亀虫の一生だよ。
一生が屋久島の虫の調査をやっているときだった。屋久島は独自の生態系をもっていて、許可がないと調査ができない世界遺産に登録されている島だ。霧島屋久国立公園でもある。大きな屋久杉は天然記念物として有名だ。
そこには九州本土ではみられない動植物がたくさんいる。一生は長い間屋久島の昆虫を調べていたのだけれど、特に亀虫を見つけようとしていた。
若い頃、誰もがきれいな甲虫、たとえばコガネムシやカミキリムシ、テントウムシ、それにカブトムシなどを集めていたときに、みんなに嫌われる亀虫を集めていたんだ。
亀虫は甲虫の範疇には入らないが、きれいな奴も沢山いる。兄貴が一生懸命集めていた姿をよく覚えているよ。
カメムシは分類学でいうと幅広いものだそうで、水の中にいるタガメや、水の上のアメンボもその仲間らしい。だが兄貴の集めていたのは陸にいるやつで、さっき言った臭いやつだ。英語でも臭い南京虫というらしい。Sting bugだ。
あの臭い匂いは虫本人にとって大事なもので、敵を嫌がらせるだけじゃなく、みんな集合しろという合図になるそうだ。フェロモンである。繁殖のためにメスオスが呼び合う大事なフェロモンでもあるそうだ。
兄貴は高校生の頃に、亀虫に生える茸のことを知ったんだ。秋のことだ、山にハイキングに行って、山間の小さな流れのわき道を歩いていると、重なった落ち葉の中からひょろっと細い針金のようなものが伸びていて、その先に黄色いものがついていた。兄貴は何だろうと思って、枯れ葉をどかしてみると、亀虫がコロンと上を向いて死んでいて、頭のところからそいつが出ていた。その亀虫を箱に入れて、家に持って帰った。調べると茸であることがわかった。耳掻き茸、亀虫茸とも書いてある。はじめて、冬虫夏草という茸を知ったんだ。蝉からでる蝉茸、蟻からでる蟻茸、いろいろある。ただとても不思議なのは、茸に寄生された虫は弱って土の上や中で死んで、茸が生えてくるようなのだが、亀虫茸の場合は飛んでいる最中でも、突如、死んで土の上に落ち、茸が生えてくるという。亀虫にとってぽっくり病さ。
兄貴は研究者になってから、屋久島でも亀虫茸を見つけて喜んだ。それで周りの小さな島を徹底的に調べたんだ。するとその化石と同じ仲間の亀虫がみつかった。口が細く伸びて先がラッパのように広がっている奴だ。色は赤っぽかったな、兄貴は仮の名前だといって、化石亀虫って呼んでいたけど、それにつく冬虫夏草もあるだろうと探したのだけれど、見つからなかったと言っていた。
ともかく、そのとき、化石亀虫をみつけ、十匹ほども捕まえたんだ。環境省の許可を得て、研究のために持って帰ってきた。
捕まえた虫は大学の飼育室で飼育しはじめた。新しい種類の虫をみつけると、詳しくからだや生態をしらべ、雑誌や学会で調査結果を発表するものだ。
新しい亀虫をみつけて、研究室の仲間はとても喜んでくれた。兄貴は一部の化石亀虫を自分のマンションに持ち帰り、飼育をはじめたんだ。誰にも言わずにね。僕だけには誰にも言うなと見せてくれたんだ。身近においておきたかったんだと思う。
マンションの兄貴の部屋の一つは亀虫の飼育室になっていてね、愛玩用のきれいな亀虫がいつも飼育されていたよ。だから化石亀虫も飼育箱の中で元気だった。
大学と自分の部屋の亀虫を飼育しながら、毎月のようにその島に化石亀虫の生態調査に行ってたよ。
なにを食べているかって言うと、化石亀虫は茸だそうだ。屋久島で茸を食べているところを捕まえたんだ。捕ってきた十匹すべて違う茸でみつかった。毒茸も食べていたようだからどのような茸でも食べることができるようだ。実際に飼ってみるとマッシュルームもエレンギーも何でもよく食べたようだ。マイタケやシメジ、松茸までも与えたが、どれでもいいようで、マッシュルームを一番好んだので、楽でいいと言っていた。
それで不思議なことを発見した。ラッパのような口で汁を吸っていたのかと思ったら、違ったんだ。ラッパのような長いものは吻ではなくて、口はその下にあった。ゾウサンのようなものだ。普通のかめむしは伸ばした口の先で汁を吸うんだけどね。
それじゃ、いったいそのラッパのようなものは何か。奇妙なものだ。兄貴は調べに調べていたよ。でもなかなか分からないようだ。
その間に、大学の飼育室でも自宅でも化石亀虫はどんどん増えて百匹以上になったと言っていた。
亀虫は臭くて大変だろうといわれるが、化石亀虫の匂いは臭くはなく、どちらかというと、茸のような匂いだそうだ。
ともかく、兄貴は化石亀虫の発見の最初の論文を書き、子供用の科学雑誌にも、兄貴の写真いりで、亀虫の噺がのったりしていたね、
それから二年たっても、兄貴は化石亀虫のラッパのような鼻のようなものの、役割がわからないといっていたな。化石亀虫のビデオもずいぶん撮っていて、みせられたものだが、鼻のようなもので何かしているような場面はなかったな、時々ひくっと動かすけど役割はわからないな。
新しい亀虫をみつけて、彼は幸せにちがいなかった。亀虫の話を弟の俺にするときにはとても嬉しそうだった。
その半年後、兄貴は警察に捕まってお目玉を頂戴した。マンションの自分の部屋が火事になってしまったんだ。火はおかしなことに、でどころがわからなかった。幸い、台所や兄貴の寝室には煙の充満しかなかったが、大事にしていた亀虫たちがぜんぶしんでしまった。みんな焼け死んだんだ。
火事で兄貴が亀虫を飼っていたことを知ったマンションの住民が兄貴に臭い亀虫を飼うのをやめて欲しいといってきた。火事を出すほどだらしないのが亀虫を飼っていると、逃げて自分の家に入り込むんじゃないかと思ったからだ。
そのようなことがあってしばらくしたときまた事件がおきた。今度は兄貴の大学で小火騒ぎがあった。それも二箇所から煙が上がった。兄貴の研究室の机の上から火があがり、机の上の書きかけの論文や紙類がみな焼けてしまった。それだけではなかった、隣接する虫の飼育室からも煙が出た。夜中に見回っていた守衛さんが、見つけ、消火活動をしたのだが、飼育室の亀虫は全滅した。兄貴はタバコも吸わないし、火を使うようなことをしなかったといったのだが、大学はともかく管理不行き届きで兄貴を減給にした。兄貴のマンションが火事になったことを大学は知っており、また起こさないようにとの仕置きだったのだろう。
そのようなときだ、ニュージーランドの研究所からお呼びがかかり、兄貴はそこで亀虫の研究をすることになったのである。
化石になった亀虫の仲間が生きていることを発見した兄貴は、世界に名前が知られていたのだ。兄貴の発見が重要なものだということをそのとき初めて知ったよ。商社勤めの僕には研究の世界はむずかしくてわからない。
兄貴は両親のことを僕に託してニュージーランドの研究所にいった。もしかすると、日本には帰ってこないつもりではないだろうか。
兄貴の大学で飼っていた貴重な化石亀虫は全滅してしまったが、兄貴と一緒に亀虫研究をしていた後輩たちが九州のいくつかの大学で化石亀虫を飼っており。日本の化石亀虫の研究はまだつづけられているわけだ。
兄貴の一生はニュージーランドで新たな化石亀虫研究を始めた。
ニュージーランドには小さな島もたくさんある。兄貴は化石亀虫をさがすため、しらみつぶしに調査をしたようだ。
メイルで連絡はし合っていたのだが、五年たった頃、いきなり兄貴から電話がかかってきた。電話口の向こうからうれしそうな声がきこえてきた。
「つかまえたよ、化石亀虫を」
ニュージーランドの小さな島々のひとつに、同じように屋久島の近くの島でみつけた亀虫と同じように、茸を食べる鼻のような長いラッパ型の突起を持った亀虫を見つけたんだといっていた。日本で見つけた亀虫に近いものらしい。ただ見つけたのは一年前だそうで、新たな面白い生態が明らかになったので電話してきたようだ。
「面白映像がとれたんだ、まとめたので、DVDをおくるよ」
「メイルに添付するの」
「いや、二時間の映像に纏めたんだ、メイルに添付できないから、航空便で送るよ」
「長い鼻のようなラッパの役割がわかったんだ」
「いやまだだけどね、想像はできている、そのうちはっきりさせて、論文に書いて雑誌にのったらはっぴょうするけどね」
兄貴はそういって電話を切った。
そのDVDが今日届いた。兄貴の解説の手紙もはいっていた。
プレーヤーにかけると、主人公の化石亀虫が木についた白っぽい茸の襞にかじりついている写真が現れ、僕には分からないが学名らしきラテン語が書かれている。その下には英語でAntipodes Fossil Stingbugと英名がある。日本語に訳すと、アンティポデスの化石亀むしである。アンティポデという島は、ニュージーランドの南極に近いところにある諸島の一つで、気候は屋久島とは反対にずいぶん寒い。この島には固有の鳥や生き物がたくさんいて、ペンギンや海性哺乳類の生息地でもあり、亜南極地域である。貴重な動植物が見られるのは屋久島と同じで、世界自然遺産の島として管理されている。
映像の監修者として、兄貴の名前があり、このDVDは日本ように編集されていると見えて、猫の手カメムシとあった。体長は1.5センチほどのようだ。
どうして猫の手なのか、後のほうを見れば分かるだろう。
アンティポデス島とは面白い名前である。反対の足という意味だけど、どうしてこんな名前がついているか、後で調べたのだが、イギリスから反対のところにあると考えられ、反対の足、アンティポデスと名づけられとあった。
映像がかわると、猫の手亀虫が木の枝についているたくさんの茸に取り付いているようだ。タイトルの写真に出てきた木につく茸で、兄貴の手紙には、末広茸とあった。解説として、世界中、南極をのぞいてどこにでもでる茸だが、アンティポデス島にはたくさん生えていた。とあった。
屋久島の島の化石亀虫は落ち葉の間に生えているどのような茸にもとりついていたが、アンティポデスでは、末広茸だけをたべているとあった。
木の枝一面に生えている末広茸の上にいる猫の手亀虫のラッパのような長い鼻の先から、一瞬赤い光が見えた。
そのあと、末広茸をみんなして食べ始めた。うつっていたのは十匹ほどの猫の手かめむしだったが、茸を一つ食べ終わると、どいつもラッパのような鼻を上に向け揺らした。そのあと木の幹をつたわって下に降りた。木々の間は苔のようなものが生えていて、そこに下り立つと、円陣をくんで、ラッパのような鼻を中心に向け、お互いの鼻同士をすりあわせた。それが終わると、長い鼻ラッパを左右に揺らしながら歩いていく。一匹一匹を見ると、その様はとても滑稽でもあるし、ほほえましい。時々苔を触りながら前に進む。触覚の働きもしているのだろうと兄貴の手紙には書いてあった。
ラッパのような鼻で仲間の判別と、食べ物の判別をしているらしい。
歩いていく様子を見ていても、茸は全く生えていない。屋久島とはずいぶん違う。
末広茸の生えている木をみつけると、十匹そろってみきをのぼっていった。末広茸に足をかけ、鼻ラッパを茸の襞の中にいれると、赤い光がでて、そのあとかじり始める。末広茸の大きさは大きいものだとかめむしと同じほどだが、必ずすべて食べてしまう。朝の食事のために全部で三つの木に登り末広茸をたべた。したがって、一匹三つの茸を食べたことになる。
亀虫というのは汁を吸うんだが、この亀虫は齧ってたべてしまう。
気になっていたのは鼻ラッパが末広茸のひだにいくと、赤く光ることだ。そう思っていたら、画面が変って、猫の手亀虫の鼻先が赤く光ったところが拡大された映像になった。ライターみたいだと思った。火が飛び出していた。兄貴の手紙には、食事前の「火ふき」と書いてあった。つづいて、末広茸を焼いてあたたかくしてたべているようだとあった。本当に火をふいているようだ。
三つの樹木の末広茸を食べた亀虫は、最後食事の木の幹に張り付いてねむりについた。食後の休憩かと思っていたら、映像は夕方になった。夕方までそこで寝ていたのである。また末広茸を食べるのかと見ていたら、たべずに、それぞれ木をおり、ゆっくり歩いて林の中にちっていった。食事は早朝の一回だけのようだ。夜行性のようでこれから森をあるくようだ。
化石亀虫は途中でほかの亀虫とであうと、お互いちょっと火ふきの先をぶつけていた。挨拶のようだ。映像の中で他の個体と出会った一匹が、長い火ふきをまっすぐ上にのばした。先の広がったところを上に向けたんだ。するともう一つの方の亀虫が自分の火ふきを相手の上にのばした火ふきに巻き付けた。すると、巻き付けた亀虫が後ろ足で立ち上がるような格好をして、腹を相手に見せた。火ふきを垂直に立てていた個体もやはり後ろ足でたち、腹をあわせた。どうも後尾をしているようである。対面交尾の昆虫は珍しい。しばらくそうしていると、時間にすると五分ほどだろうな。通常の交尾はあっという間に終わるものだそうだ。天敵にねらわれやすいから、交尾をする時間は短いものだという。この亀虫の交尾時間が長い意味はまだ分からないようだ。そのあと二匹は別れ、火ふきを巻き付けた方は、杉の木に戻って皮の中にもぐりこんでしまった。雌のようである。一方、火ふきを垂直に立てた奴、おそらくこれが雄のようだが、林の中を歩き出した。
また別の雌を探して交尾するのだろうなと思ってみていると、前のほうから一匹歩いてきた。少しばかり小さいのできっと雌だろうなと思ってみていると、雄は前と同じように火吹きを垂直に立てた。雌は雄の火吹きに自分の火吹きをまきつけるのだろうと見ていると、全く違った。
火吹きを垂直に延ばした雄が、あわてて火吹きを降ろし、逃げるような格好をした。だが遅すぎた。雌の火吹きからとても強い炎が噴出し、雄を丸ごと黒焦げにしてしまった。
あの小さな亀虫がこれほどの火を噴くのかと思われるほど、苔の上が明るくなった。
どういうことなのか、兄貴の手紙には、繁殖期に気に入らない雄と出会うと、燃やしてしまうんだ。気に入らない遺伝子を持ったやつは絶やしてしまうという本能行動の究極のものだ、などと書いてあった。
相手を燃やしてしまった雌の亀虫は林の中を歩いていってしまった。
画面が変った。やはり夜中の林の中、一匹の雄の亀虫が歩いていく。これも猫の手亀虫の不思議な行動である。
ゆっくり歩いていた猫の手亀虫の雄が突然早足になった。脇から他の猫の手亀虫がでてきて、同じ方向に向かって走り出した。中には雌も居る。
三匹の雄と二匹の雌が、火吹きを前に突き出して走っていく。行き着いたところに一匹の猫の手亀虫がころんところがっている。死んでいるようで腹から柄の細い茸が生えていた。耳掻きのようだ。
橙色の亀虫茸だった。見て目どおりの耳掻き茸という別名のある冬虫夏草である。
五匹は周りを取り囲むと、冬虫夏草のだいだい色の頭のところにむけて火ふきを伸ばした。
すると、ぱっと、あたりが明るくなるほどの火が冬虫夏草の頭からあがった。冬虫夏草はもちろん亀虫の死体もめらめら燃えはじめた。
燃え尽きると五匹の猫の手亀虫はその後、散り散りに歩いていってしまった。
一匹の猫の手亀虫がまた亀虫茸にであった。やはり橙色の茸である。だが猫の手亀虫はちらっと見ると通り過ぎていった。それは大きな蟻からはえていた。火を噴くのは亀虫からはえる冬虫夏草に対してだけのようだ。
亀虫茸が自分たちにとりつかないように燃やしてしまうのが火吹きの役割なわけである。
DVDを見て兄貴の業績に敬意を表したいと思って、ニュージーランドに国際電話をかけた。ネットでメイルではなく、直接話そうと思ったからだ。
「兄貴すごいね、こんな亀虫がいるとは驚いた、日本では化石亀虫が火を噴くことはしっていないんだろ」
「いや、国際発表をしたから、もう知っているよ、共同研究をしようかといっているところだよ」
僕はふっと思い出した。
「もしかしたら、兄貴の家の火事や、研究室の火事は猫の手亀虫がやったんじゃないかな」
「うん、俺も気がついたよ、でもいまさら警察に言うことはないと思う、ほうっておいていいよ、それよりな、この亀虫、DVDでは末広茸にあやかって、猫の手亀虫って書いたけど、名前を変えるよ、「火こき虫」にする」
僕は笑った。
「屁こき虫をもじったんだ」と笑うと、兄貴は、
「まあね、でもさ、おもしろいじゃん」
とやはり笑っていた。さらに兄貴は、
「今火吹きの構造を調べている最中なんだ、体内でつくったアルコールに火吹きの鼻の中で点火し噴出すのだろうと考えている。実際にこの亀虫の体の中でどのようにアルコールがつくられるのかわかってきたんだ。この亀虫は寒いところで育っているせいか強いアルコールを作って体にためている。それをつかって体をあたためてもいるらしいよ、この亀虫をあつめて今すりつぶして、アルコールがどのくらい採取できるか調べているところなんだ、いいアルコールのようで、使い道はあるよ」
「火こき亀虫がアルコールの原料なの」
「そういうこと、たくさんふやしてね」
兄貴はそんなことを言っていた。
それから一年後、ニュージーランドの研究所から、兄貴が大怪我をして入院したといってきた。英語だったので不案内な僕には詳細は聞き取れなかったが、命には別状はないと言っていた。それだけわかって少し安心し、すぐに飛行機の切符をとった。
ニュージーランドにつき、大学病院に入院していると聞いて、すぐにタクシーで向かった。
病室に入ると兄貴が僕のほうをむいて「おーきてくれたんか、すまんな」
と大きな口をあけて笑った。元気そうではある。彼の顔には一円玉ほどの大きさの火傷が数え切れないほどついていた。手にも足にも火傷の跡が無数にある。
「火こき虫にやられちまったよ」
「どうしたの」。
「千匹ほどに増えたさ、すりつぶしてアルコールを抽出をしようと考えていたんだ、だけどいつの間にか飼育室から逃げ出して、研究室にいた俺を襲ってきたんだ。シャツの中にまで入ってきて、火吹きから火を吹きやがった、全身やけど」
「兄貴を亀虫の敵だと思ったんだな」
「その通りだよ、生態学だけでおわらせておけばよかったんだな、アルコールを取って人間のために使おうなんて考えたからいけなかったんだ」
「火吹きは自分の防御のためにある、それでその千匹の亀虫はどうしたの」
「あいつら、自分の火吹きで自分を焼いちまった、焼身自殺をしたんだ」
「火吹きは自殺の道具でもあったんだね、切腹か、火こき虫は日本人みたいだね」
火こき虫
私家版第二十二茸小説集「桃皮茸、2026、269p、一粒書房」所収
茸写真:著者 秋田県湯沢市秋の宮 2018-9-29