
ポックリンの木
二羽の鴉が道端に生えている小さな木の根元でなにやら突いている。
下駄屋の隠居と足袋問屋の若旦那がたまたま通りかかった。
「ご隠居さん、鴉たちが木の下で何か取ったようです」
「冬になる前にたくさん食うておこうということだろう」
鴉が舞い上がった。若旦那が見上げた。
「ありゃあ、茸のようです」
「ほう、おまえさんは若いから目がいいね、あたしにはなんだか分らなかった」
そう話している二人の目の前に、空高く舞い上がっていた二羽の鴉が嘴を下にして、すーっと落ちきた。そのまま道ばたに突き刺さり首が折れた。
「おや、鴉たちはみんな死んじまいました」
「頭に当たらなくて良かったですね」
「ほんとに、嘴があんなに土に突き刺さっているじゃないか」
死んだ鴉のそばにより、ご隠居さんが鴉の目をのぞき込んだ。
「真っ白な目をしてます、あっという間に死んじまったようだね」
「あの茸は毒だったんですかね」
「だがね、そんなに早く効く毒はないだろうね」
「どうしたのでしょう」
「わからんね、ところで、そこに生えている木は何の木だろう」
「今まで見たことありませんね」
二人が道端の木に近寄ると、若旦那が根元に白い小さな茸を見つけた。
「茸の生える木のようですよ」
「きっと毒茸に違いないね」
若旦那が茸を踏み潰した。
江戸の終り頃の話でございます。
昭和になり、さらに戦後となると、いったん焼け野原になったその場所もずい分様変わりをして、広い空き地となっている。
そこで缶けりをしていた子供たちが、置いてあった大きな土管の中から飛び出した二匹の猫を追いかけた。二匹とも何かを咥えている。
「茸だぞ」
猫たちは白い茸を咥えている。
子供たちが声を上げながら追いかけた。
白い雌猫と茶虎の雄猫は子供たちに追いかけられて逃げていく。ところが空き地の草むらに入ったところで急に見えなくなった。
走り寄った子供たちが草をかき分けていくと、草の中で二匹の猫は目を白くさせて横たわっていた。
「死んでる」
「ほんとだ」
「毒茸だったんだ」
「でも、猫が茸を食ったんか」
「さわっただけでも毒だったのかもよ」
一人の子供が猫を触ろうとした。
「やめとけ」
少し年上の少年がその子供を押さえた。
「茸はどこにいったんだ」
茸が見当たらない。
「食っちゃったんじゃないか」
「猫が茸喰うわけないよ」
「うちの猫は沢庵かじった」
「腹減っていたら喰うかもね」
空き地の土管の脇に、まだ背の低い木が生えている。根元には茸が顔を出していた。
時代は移り、その場所には新しい神社が建立され、まわりは住宅街になっている。
近所の奥さんたちがスーパーの前で世間話をしていたところへ、チワワとボルゾイが仲良く並んで道を歩いてきた。
「あら、あの犬、いつもはあの女優が彼氏といっしょに連れ歩いていたのじゃない」
「そうね、今日は犬だけで散歩なのね」
「おかしいわね、あの女優さん、昨日、夜の番組にでていたわよ、生出演で」
女優と呼ばれている女性は、そのスーパーの近くのこぎれいなマンションに住んでいた。そのあたりとしては近代的で華やいだ建物である。
「今日はお疲れね、昨日、テレビで彼氏の話をしていたもの」
「へー、でもいつも違う男と犬を散歩させていたよね」
みんながうなずいた。
二匹の犬が通り過ぎようとしたとき、一人の奥さんが叫んだ。
「あ、あの犬たち、茸もってる」
チワワとボルゾイは口に茸を咥えていた。
「ほんと、どこからもってきたのかしら」
奥さん方が見ていると、犬たちは前を通り過ぎて、スーパーの隣の店の前にいった。その時、犬たちははたと立ち止まると、ぱたっと倒れてしまった。
「あ、犬たちどうしたの」
奥さんたちが走って犬のそばに寄った。
犬は目を白くして死んでいた。
「やだ、死んでいる」
「交番に連絡しよう」
一人が、携帯を取り出した。
二匹の犬が死んだ理由はわからなかった。
おまわりさんが自転車でやってくると、保健所に電話をした。
おまわりさんは奥さんたちにいろいろ聞いたが、見ていた奥さんの誰一人として犬が茸を咥えていたことは言わなかった。彼女たちは、おまわりさんの来る前に、犬の周りで茸を探した。だがみつからなかった。
死んだ犬は女優が手厚く葬った。なんでも、玄関をすこし開いたままにしたために、仲のよい二匹の犬が勝手に出てしまったようである。いつもの散歩道を二匹だけで楽しんだようだ。死因は分からなかった。
そのようなことがあってから一月たった。
女優の住んでいるマンションの三階から植木鉢が落ちた。女優の部屋からだ。植木鉢は道に砕けて土がちらばり、木がころがったが、幸いにも人通りがないときで、けが人などはなかった。
厚化粧の今風の女優がもつにしては珍しく古風な、古い木が一本植わっている地味な盆栽である。しばらく誰も気が付かなかったが、本人がベランダにでて気がついた。
下を見て独り言を言った。
「やだ、落ちちゃった」
女優はビニール袋とシャベルを持って道に下りてきた。
散らばった土と割れた植木鉢、それに転がっていた木をビニール袋に入れると、しばらく何か探すようにあたりを歩き回ったが、あきらめたのか部屋に戻った。
「やんなっちゃう」
女優はベランダにでると、使っていないどんぶりに土をいれ木を植えなおした。土が足りなかったので下に降り、道の植え込みの土をもってきた。
「ポックリンの木、高かったんだから、後で植木鉢買ってこなきゃ」
彼女が女優としてデビューしたてのころである。ボーナスを初めてもらったとき、自分の家の近くにある新しい神社の夏祭りで買った。実家はマンションから近い。
屋台が並ぶ神社の境内を歩いていると、盆栽を売っている爺さんがいた。椅子に腰掛けた爺さんは、地べたに並べた盆栽を見てぼーっとしていた。誰も足を止めようとはしない。
女優が通り過ぎようとしたとき、老人が女優に声をかけた。その当時、今よりキャピキャピしていた女優に盆栽など似合いそうにもないのにである。
屈むと地面に付きそうなほど顎鬚を長くのばした老人は言った。
「お姉ちゃん、幸せになる顔してるね」
女優は誰にでも愛想を振りまきたかった。それが商売繁盛の要だからだ。
「そーを」
「このポックリンの木を飾っておきなさい、運が向いてくるだけではなく、幸せのままに、ぽっくりと死ぬんだよ」
「へー」
「どうだい、一万円にまけるよ」
彼女がそのときボーナスとしてもらったのが五万円だったから、相当高い木だ。
しかしデビューできた彼女はちょっと有頂天になっていた。それにその木を見たとき、これを自分のものにしないと、今の運が消えてしまいそうな気がして、買ってしまったのである。
「お姉ちゃん賢いね」
老人は新聞紙でその盆栽をくるんだ。
しかし家にもって帰ったときに、一万円で買ったとは言えなかった。それが十六歳の時のことだった。十年たった今、いちおうの生活はできるし、頻繁ではないがテレビにも呼ばれ、週刊誌には時々名前がでるようになった。実家の近くにマンションも買えたし、それもこの木のお陰かと思うようになっていたのである。
ポックリンの木は水をさほどやらなくても緑の葉が覆い、冬にも枯れない。そして面白いことに、時々根本から二本の松茸に似た茸が生える。自然にしぼむこともあるが、ベランダに出しておくと鳥が突いて持っていってしまうこともある。
女優は植木鉢を買ってきた。ポックリンの木を植え直し、テーブルの上に置いた。
夕方、マンションから少し離れた一軒家で、老夫婦が突然死した。次の日の朝刊の地域版に小さくのっていた。
死因はわからず、苦しんだ様子もなく、突然の死に襲われたようであった。土瓶蒸しを食べた跡があり、内容物を警察で調査した結果、茸の土瓶蒸しで、毒の成分はなかった。仲のよい老夫婦で、朝夕、必ず散歩を欠かさないことは、そのあたりで良く知られていたようである。女優のマンションの前の通りも、車があまり入ってこない、夫婦のいい散歩道だった。
その日、女優の部屋に若い男がいた。
「結婚式いつにする」
「そうね、週刊誌は六月だって騒いでいるわ」
「その通りにするのかい」
「うん、そして、私、女優やめようかな、看護婦さんの勉強する」
「大変だよ、看護婦さんて」
「でも、あなたの手伝いするの」
「そりゃ、かまわないけど」
「ねえ、今日、結婚届けだそう」
「いいよ、院長先生と、部長に保証人になってもらうから」
そのあと、二人はマンションをでて、病院に行き、その後市役所に行って結婚手続きを済ませた。
マンションに帰ってくると、
「疲れたね、ビールでも飲もう」
冷蔵庫のビールをとりだしテーブルについた。
二人は顔を見合わせて、乾杯をした。
医者がテーブルの上の盆栽を見た。
「ずいぶん渋い趣味だね、盆栽なんて」
「うん、ポックリンの木っていうの」
「ふーん、かわっている名だね」
「運が良くなるんだって、もう十年にもなるのに大きくならないけど、いつも青々しているの」
「根本に大きな茸が生えているね」
「いつも二つ生えるのよ」
「食べられるのかな」
「どうかな」
彼は茸を一本引っこ抜いた。
女優も一本引っこ抜いた。
「焼いて」
「うん」
女優は医者から茸を受け取ると、電気オーブンに入れた。すぐホカホカに焼けた。女優は茸を皿に載せ、醤油を入れた皿とともに、医者の前に置いた。
医者は手をのばし、熱々の茸をとると、醤油につけて食べた。
「うまい」
女優も同じようにして食べた。
「おいしい」
ビールをぐーっと飲むと、ふわーっと幸せになり、二人でベットに倒れ込んだ。手を繋ぐと、何か言おうとしたのだが、声になる前に目が白くなって、そのままである。
テーブルのポックリンの木の蜂の脇に、市役所の印が押された結婚届があった。
次の日、二人は発見された。
警察は騒がれないようにしっかりと調査した。だが死に至る原因はみつからなかった。もちろん食べた物や飲んだものは警視庁の科学捜査室で調べられた。ビールにも食べたとみられる茸にも毒など含まれていなかった。
自殺するはずもなく、他殺でもなく、これには誰もが困った。死因は不明である。
ポックリンの木は、その後、女優の実家に引き取られていった。
しばらくして、その家の庭に植えられたということである。
そこは江戸時代、その木が生えていたところである。
ポックリンの木
私家版第四茸小説集「茸人形、2018、234p、一粒書房」所収
茸写真:著者 宮城県松島 1997-9-16