ラザンノーチスの闘技士

ラザンノーチスの闘技士

2023年:全て書き直しました。
過去に書いた作品から一部キャラクターの名前など変更しています。

目次
01:午後の『円卓』Ⅰ
02:セフィリア・アストレア
03:トァザ
04:午後の『円卓』Ⅱ
05:アンダー・アーロン
06:開戦演説
07:第一戦
08:第二戦
09:ザルバニトー
10:午後の『円卓』Ⅲ
11:第三戦
12(終):ラザンノーチスの技巧士

01:午後の『円卓』Ⅰ

 13時。
 私は眼鏡越しに懐中時計の針を睨み、ため息を吐いて胸元にぶら下げる。

「あぁ……まだお昼じゃん……」

 眩しすぎる陽射しに目を細め、恨めしい顔つきで空を見上げる。
 不貞腐れながら日光を浴びていると、いよいよ瞼が引き攣ってきた。あまり健康を省みない(たち)だと自負しているが、せめて目の下のクマくらいは化粧で隠しておきべきだったと後悔する。

 抜けるような青空は雲一つなく、太陽は少し傾いて額をじりじりと焼いている。
 予報通りの真夏日だ。
 ここしばらく不安定な空模様で蒸して仕方がなかったが、風もからりとして悪くない。

 ……なんてね。引きこもって白くなった肌は早くも痒みを帯びている。日傘を持ってくればよかった……いや、日傘なんて家にあったかな……。

 カメラが、私の座る席を捉えた。
 姿勢の悪い私の姿がモニターに映され、観客席からはざわめきが起きた。
 聞こえないふりをする。

「あーぁ……」何度目かのため息。

 せっかく珍しく早起きをしたのに、こんな日は市場にでも買い物に行きたい。
 溜めてしまった洗濯物を片付けるのもいい。
 普段なら絶対にしない部屋の片付けだってやるかもしれない。

 ともあれ――それは叶わないのだ。

 私は『円卓』の技巧整備士席(セコンド)背凭(せもた)れに身を預け、目を細めて空を睨んでいた。

 こんなにいい天気なのに……。

 こんなにいい天気なのに、私たちは戦争を始めようとしている。

「ばかみたい……」

02:セフィリア・アストレア


 私は技巧整備士(ぎこうせいびし)。セフィリア。
 セフィリア・アストレア。女性。歳はまぁ……秘密ってことで。

 IDEAの加盟国である第六国家ラザンノーチスの闘技士(とうぎし)『トァザ』を作り出し、現在も彼の専属技師を務めている。わかりやすく例えるなら、格闘技の選手がトァザで、私は彼を育てたトレーナーというわけだ。

 ……ちなみに、最高技巧整備士団IDEA(Illuminated Dexterity Experts Association)というのは、堅苦しい肩書であるが、平たく言えば平和維持組織で、存在そのものが抑止力だ。彼らが一人いるだけで、国は無益な戦闘行為を回避できる。
 加盟する上で同意を求められる条件は以下の三つ。

 ・『あらゆる国家間の衝突に際して、国が民を徴兵することを禁ずる』
 ・『最後通牒の告知後、戦争に突入する場合はIDEAの認可を受けた資格保有整備士とその闘技士が戦闘行為を代表する。国は自衛以外の兵力を保有することを禁ずる』
 ・『武力紛争や内紛などの国内での争いにおいて、政府はIDEAの認可を受けた資格保有整備士とその闘技士を用いることはできない。戦闘介入の判断は資格保有整備士とその闘技士の判断に委ねられる』

 ――要は、国が認めた代表者同士で勝敗を決するのだ。それにより大霊戦争のような悲惨な歴史を繰り返さないで済む。大勢の人の命が失われることを回避できるというわけだ。

 さて、話を戻そう。

 自己紹介も済んだことだし、次はなぜ私がうんざりした顔で早起きして、円卓にいるのかについて……とはいえここまで読んでくれた方はすでにご存知かと思う。

 私はトァザを作った整備士であり、
 トァザはこの国、ラザンノーチスの闘技士だ。
 つまり戦争をする。

 ――宣戦布告はつい先日に告知されたのだ。
 内容は以下の通り。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

         【第六国家ラザンノーチス戦争突入の告知】

 第六国家ラザンノーチス 最高技巧整備士資格所有者
 セフィリア・アストレア 殿 及び闘技士『トァザ』に通達


 この度、第六国家ラザンノーチス(以下、『ラザンノーチス』)と第八国家ラバニス(以下、『ラバニス』)の間において緊張を高めていた深刻な領土問題が発生し、双方は協議を重ね、和平的解決を模索してまいりましたが、残念ながら合意には至りませんでした。

 ラバニスは、ラザンノーチスに対して条件付き宣戦布告の最後通牒を告知しました。ラザンノーチスは真摯に交渉を続けるべきと考え、ラバニスの提案を慎重に検討しました。
 しかしながら、その要求はラザンノーチスの主権および国益に重大な影響を及ぼすものであるため、断固として拒否する決定を下しました。

 本状況を鑑み、ラザンノーチスは国家自衛のため、戦争へと突入する決定を下しました。円卓もこれを承認いたします。

 よって、ラザンノーチス任命の最高技巧整備士セフィリア・アストレア殿におかれては、ラザンノーチスの安全と繁栄を守るため、『トァザ』と共に速やかに円卓へ参集されたい。

 ラザンノーチスの闘技士『トァザ』よ、困難な時にこそ真の力が発揮されるのです。整備士セフィリア・アストレア殿と共にその拳が遺憾なく発揮されることを期待しています。

 なお、本命令に対する拒否権は認められない。
 本命令に応じない場合、セフィリア・アストレア殿が保有する技巧整備士国家資格は即刻剥奪され、併せて国家反逆罪により身柄を拘束する。


                 最高技巧整備士団IDEA
                 代表 ブラッドレイ・ジャンヌ=ダルク
                 第六国家ラザンノーチス
                 国王 ガストー=ソル・ホーエンハイム

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 別に寝耳に水という話でもない。二国間の緊張はニュースでも取り上げられていた。
 ……とはいえ代表の厚顔には呆れたものだ。よくもまあぬけぬけと私を円卓に呼び出したな。とは、思う。

 まあ、私は望んでこの地位にいるのだし、船旅で世界を回った挙げ句、この国に居を構えたのも私だ。何事も平和が一番だと思うが、戦争が始まるっていうならこの国のために頑張るつもりだ。

 私はトァザと共に昇り詰めてきた。そして他の誰でもなく私と彼が、国を背負って立つ戦士だ。

 そうして、私は迷う余地もなく『円卓』への招集に応じた。

03:トァザ


 円卓はその名の通り大きな円を描く建造物だが、そこに話し合いの(テーブル)はない。
 語り合う言葉はもはや尽き果て、力でもって雌雄を決する闘技場だ。

 円卓内部の外縁は観客席が囲うように並び、外側ほど段が高くなって中心を見下ろす形になる。最も遠い席では望遠鏡を持参しない限り満足に観戦もできない距離がある。そのため、円卓の四方には大きなモニターが設置されており、カメラで中継した映像が映される。

 中央にはリングのみ。
 二つの国の運命を決めるにはあまりにも華のない、押し固めた土の舞台があるだけ。
 両サイドはセコンドの席と通用口が設けられている。今、私が座っているのはこのセコンドの席だ。カメラによって私の顔はモニターに映され、たくさんの視線が注がれている。

 極力意識しないように努め、目を閉じて呼吸を整える。

 一時間後にはこの円卓は戦場となる。
 国の行く末を決める大きすぎる責任が、私たちの背中にのしかかっている。

 はっきり明言しておくが、トァザが壊される可能性もある。相手の闘技士を再起不能なまでに破壊する未来もある。どちらの運命を辿るにしろ、観客席からは怒号や悲鳴が飛び交うことになるだろう。
 今はまだ理性的な彼らでも、明日の自分の命運がこの決闘に懸かっている。
 観戦チケットを勝ち取った者たちだけではない。会場外で固唾を呑む人々、ラザンノーチスから中継を見守る者たち……私の背にのしかかるのは、国民およそ31万4000人の未来だ。

 まさにこの(テーブル)全賭(All bets)けというわけ。

 今も会場には、期待と不安に満ちた様々な声が混じり合い、雑音となって響き続けている――その声が一斉に沸いた。まるで爆発したみたいだった。

 モニターは依然として私を映しているのがわかった。
 私と、私の後ろに現れた彼を。

「セフィ」

 静かな駆動音とともに近付く足音と気配。背中にかけられる声は深く重く、でも少し泣き出しそうな、雨を運ぶ鉄床雲を思わせた。

 振り向かずモニター越しに彼を見る。
 私の名前を気安く呼べる、ただ一人の存在。

「調子はどう? トァザ」

「いつも通りだ。最終メンテナンスの途中で居なくなるから探した」

 上背のある青年。名をトァザという。
 銀色の髪と赤い瞳。南の血統が色濃く出た褐色の肌。筋肉質な体躯がよく似合っている。

 彼は開戦に備えて上裸だった。
 私が作り出した闘技士だ。

「ふふ、……円卓の整備士は優秀だから問題ないでしょ。この土壇場まで私がメンテやってるとレギュレーション違反を疑われるし」

「そうは言ってもだ」トァザは食い下がる。「彼らがもし敵国に買収されていたらどうする。専属整備士なんだからそばで見ていなくては……」

「でたー、お小言」

 私は露骨に嫌な顔をしてみせた。相変わらず真面目だな、トァザは。

「円卓の整備士が金で動くわけない。……そこは信頼してるから大丈夫」

 不満げな顔をして腕を組み、トァザは気持ちを切り替えて舞台を見つめる。
 その横顔に私は見惚れる。

 トァザは、一言で表すなら猛々しい馬ようだ。鎧のように磨き抜かれた筋肉――『鍛え抜かれた』と言わないのは、その筋繊維の大半が私の技巧によって作られたものだからだ――は美しく、戦神と形容するに相応しい。

 彼の筋繊維一つ一つに人工筋繊維がコーティングされ、生来の人体に調和する。人工皮膚と同素材であるため、排熱も兼ねて一部繊維が露出している。筋肉量は人の六倍に達するが、まるで神が初めから想定していたかのように配置され、人の姿を保っている。――もっとも、筋繊維を収める(フレーム)も戦闘に耐えるため、全て技巧に置き換えられているのだけれど。

 制作者である私が言うのもなんだが、彼は芸術品だ。並の整備士では闘技士を人らしく仕上げることすらままならない。多くの整備士は維持する気概すら持っていない。美意識というものが、世の整備士には足りないのだ。

 まったく……闘技士は国の象徴だというのに。
 美しい国には、美しい闘技士が必要なのに。

 トァザの肉体はどんな一瞬を切り取ったって美術館に飾られる彫刻よりも美しい。何せ私が作り上げた最高傑作(マスターピース)なのだから。

 私を見つめる緋眼(ひがん)双眸(そうぼう)は、彼本来のもの。
 素材を活かした、一点物だ。

「ジロジロ見ない」

「いいじゃん、私の作品なんだから。……我ながら惚れ惚れする」

「……まったく、セフィは……」
 トァザは少し膨れて、私そっくりにため息をした。
「一度戻ろう。額が日焼けしてる」



「ラバニスの闘技士はどんな奴だろうな」

 控え室にて。
 部屋に備え付けられたモニターを二人で眺めながらトァザは呟く。
 モニターには未だラバニス側の姿は見えない。

「さぁね。昼間もセコンド席には来なかったわね」

「敵情視察は失敗か」

「……ま、どんな相手だろうと私のトァザが負けるわけないけどね」

 ――本心だった。
 ――けれど、もしかするとトァザには強がりに見えたかもしれない。

 ラザンノーチスは大陸地図上にある国土面積六番目の国だ。
 第一国家アリストランド、第二国家セーレム、第三国家アマステラ、第四国家マグナシム、第五国家シグラード、そしてラザンノーチス。後ろには第七国家ユグド、第八国家ラバニス、……この八つの国家が『円卓』協議によって定められた八大国家である。
 その他の小さな島国は八大国家のいずれかと協定を結ぶ発展途上国であり、『円卓』では国家単位として認められてはいない。

 円卓が作られる前、世界は混沌の渦中にあった。
 この星の採掘資源である霊素が枯渇の危機に瀕すると、世界は戦争へ突入した。
 これが初の世界大戦、世にいう『大霊戦争』。

 その戦争は30年に及び、この星はリンゴを齧るような速さで削られ続けた。大陸が抉られ、地図は穴だらけでは済まなくなり、もはや三百程の島の集まりとなった。

 ラザンノーチスは戦前主要都市とは離れた田舎だったこともあり、戦後も広大な土地に豊かな自然が残った。疎開していた子供や、避難民によって健やかな発展を続けてきた。現存する古い街並みと、新しい時代を感じさせる経済成長の都市景観が共存する美しい国だ。

 今回戦争を吹っ掛けてきたラバニスは第八国家。元々友好的な関係を築けていたのだが、何を焦っているのかここ数年ラザンノーチスに強行的な態度を取り始めた。今年に入ってからはラザンノーチスの保有している島国の周りをうろつき出し、あまつさえ所有権を主張し始めたのだ。もちろんラザンノーチス側は一貫してその主張を受け入れず、ラバニスの最後通牒も当然跳ね除けた。

「……とはいえなぁ……」

 一年前、ラバニスは第七国家ユグドにも戦争を起こし勝利している。二国間は戦前から睨み合う敵国同士であるからこの戦争には納得がいく。そして円卓での戦争の結果、ユグドの国土はラバニスに占領され、管理していた発展途上国もラバニスが全て勝ち取っている。

「……味を占めたにしても、浅はかだよ」

 少なくとも数年前までのラバニスは利口な国という印象があった。
 ――この戦争の裏には、きっと何かある。

 眉間に皺を寄せている私に、トァザは問いかける。

「どうした?」

「んや、きな臭いなってさ」

 確かにラザンノーチスは戦後から円卓での戦争経験は無し。甘くみられるのも否定できない。
 だがしかし、私とトァザの存在はそれなりに抑止力の効果を持っているはずだった。船旅の果てにこの国に根を下ろし国の代表に選ばれるまで、いろいろな国で決して少なくない腕試しをしてきた。その戦績は――無敗。最高技巧整備士の試験もトァザと共に一発クリアした。

 つまりラザンノーチスはトァザの無敗記録と私の最高技巧整備士資格の最年少記録の威光によって他国を牽制している。そこに臆さず侵略を行うという決断をラバニスは下した。……それほどの揺るぎない自信を持てるほど、ラバニスの闘技士と技巧整備士は優秀なのか?

04:午後の『円卓』Ⅱ


 ――13時47分。
 開戦予定時刻まであと13分と迫り、円卓は厳かな緊張感で満たされていた。

 セコンドの席で私とトァザが待機しているところ、闘技場を挟んで向こう側、ラバニスの代表者が初めて姿を表した。

「随分待たせてくれるわね……」

 私は背凭れから起き上がり、眼鏡のレンズを望遠に切り替え相手の姿を観察する。ブラウンのスーツに身を包んだ仮面姿の男性と、オレンジ色の長い髪を風に踊らせている純白のドレス姿の娘。まるで舞踏会に参加する貴族のようだ。ここがどこなのか分かってるのかと言いたいくらいに綺羅びやかで、場違いだ。

「やけにキラキラしてるな」

「ていうか……私と歳が変わらないんじゃない?」

 ドレス姿の娘は円卓の審判に向かって歩み寄ると慣れた動作で裾を捌いて優雅にカーテシーを一つ。こちらまで声は届かないが、遅刻の非礼を詫びているようだ。ということは整備士資格保有者なのか。
 後ろで待つ男は背を伸ばし胸を張って、杖に両手を重ねている。オフホワイトのシャツは袖を丁寧に折り、金色のサスペンダーでズボンを吊っている。瀟洒にまとめているがどこか嘘くさい物腰だ。襟元のボタンは留められておらず、荒くかき上げた白髪交じりの髪と仮面にあまり似合っていない。
 その瞳がこちらを捉えていることに気付く。

「――っ!!」彼の視線が鋭く突き刺さる。私は反射的に望遠レンズを跳ね上げた。……瞳を技巧化している?

「驚いた……こんなの初めてだ」私は視線で射抜かれたことに面食らいながらも、気を取り直して再び望遠レンズを装着した。「でもまた見ちゃうもんね」

「行儀が悪いな……」隣に座るトァザはまたお小言をぶつくさ言っている。

「闘技士の方は首から名札下げてる。なになに……『アンダー・アーロン』」

「なんだと……!?」

 トァザはその緋眼(ひがん)を凝らして見つめるが、目は技巧ではなく生来のものなのでこの距離では見えないだろう。

「アンダー・アーロンと言ったか!?」

 トァザが珍しく取り乱して私の肩を掴んで揺さぶる。こんな顔をするのは初めてかもしれない。

「ちょっ……! そんなに驚くなんて、知ってる人なの?」

「……いや、……いい。……なんでもない……」

 歯切れの悪い返事をして肩から手を離す。その表情は怒りを隠しきれていない。明らかになんでもなくないけれど、引き結んだ唇は話す気はなさそうだった。
 ただ一つ、トァザは教えてくれた。

「あいつは絶対に闘技士じゃない。整備士だろう……」

「……」私は何も言えず目を見開いた。

 トァザは何か知っているらしい。嘘を言っているとは思えない……なら、アンダー・アーロンは生体のまま自身の眼を技巧に取り替えたということになる。それは信じがたいことだ。
 それに、彼が整備士ならば、闘技士は――

 私は懐中時計を取り出して時刻を確認する。

「50分に両者挨拶。……とにかく、リングへ行きましょう」私はトァザの大きな手を取り立ち上がる。

05:アンダー・アーロン


「ラザンノーチスの技巧整備士がうら若い乙女とは、いやはや驚きました」

 そう言って握手を求めたのは、アンダー・アーロンだった。ラバニスに認定された最高技巧整備士……どうにも怪しい。

 仮面から覗く口元は口角が吊り上がり、笑い皺が深く刻まれていて柔和に見せているが、拭いきれない陰惨な印象がある。先程のトァザの態度を見ているから私が色眼鏡で見ているというのもあるかもしれないが、まるで張り付いた笑みで戯けてみせる道化師のような……どうにも剣呑な痩せぎすの中年だった。

「いえいえ、うら若くなんてありませんよ。私はセフィリア――」

「『セフィリア・ジャンヌ=ダルク』。ですよね? ご謙遜を仰らないでください。貴女のことはとてもよく知っています。最年少IDEAメンバー入りは大きな衝撃でした。整備士で貴女を知らない奴はもぐりです。貴女は将来を約束された家を自らの意志で出て、第六国家ラザンノーチスの代表技巧整備士の座を勝ち取っている。お会いできて光栄です」

「え、ええ。ありがとう」

 私は握手に応じて言葉に詰まる。
 ――『うら若い乙女』とか言っておいて、……こいつ、私をどこまで知っててこの戦争を吹っ掛けたの……?

「おっと、これは失敬。私から名乗るべきでしたね。私は第八国家ラバニス代表の技巧整備士アンダー・アーロン。
 そしてこちらが闘技士ティカ」

 紹介された少女は近くで見ればより幼く見える。なによりも、私は彼女を一度整備士だと勘違いした。これが何を意味するか――姿形が人の形から逸脱していないのだ。

 一体どこを技巧化しているのか、一目ではわからない。もちろん注意深く観察すれば見抜けないものじゃない。二の腕まで覆う長い手袋や、体を隠す豪奢なドレスも、人の目を欺くための工夫なのだろう。外見は確かに一級品。だが、腑に落ちない違和感が彼女にはあった。

「……さて、後ろに従えている彼がまさにラザンノーチスの単機最大戦力。トァザですね」アーロンは話題をトァザに向ける。

「えぇ、私のパートナーです」

 私がアーロンの対面から一歩横にずれた後、やってしまったと思った。一歩前に踏み込んで横に立つトァザの表情が敵意を隠そうともしていない。まさに一触即発の怒りに燃えていた。私からはトァザの表情は見えていなかったが、アーロンはトァザの怒りの表情が見えていたはずだ。挑発のために誘い出したのか。

「貴様――」

「『無敗のトァザ』。最高技巧整備士団IDEAの代表ブラッドレイ・ジャンヌ=ダルクの娘が作り上げた最高傑作」

 期待していますよ。とアンダー・アーロンはにこやかに告げる。

「その名で呼ぶな……彼女の姓はアストレアだ……」

「トァザ」私は名を呼んで制止する。

 闘技士が人間に手を出すのは重大なルール違反だ。

「……随分と私のことにお詳しいのですね」

 私は笑みが強張っているのを自覚する。

 この男は私の過去を掘り下げて嫌味を言うのが好きらしい。

 ――そうだ。私はジャンヌ=ダルク家の娘。
 過去に大霊戦争を終結させた叔父、マルドゥーク・ジャンヌ=ダルクの無二の力に憧れ、その血を継ぐ家柄を誇り、技巧に固執していた。
 しかし、父からは才能を否定され、母からは愛されなかった。
 自ら捨てた椅子だ。……その椅子は。
 トァザと出会わなければ、家出をすることもなく、整備士になる夢も諦めていたかもしれない。

 安い挑発にもならないはずなのに、仮面越しの笑みが神経を逆なでする。思わず助けを求めたくなったが、それより先にトァザが動いた。
 私を庇うようにアーロンの前に立つ。

「……俺を忘れたわけではないだろう?」

 トァザはアーロンに言う。声は怒気を含んでいる。

「ちゃんと、覚えていますよ。5年前の終戦記念式典――」

 ――当時、少年兵とは名ばかりの、使い捨ての駒として扱われていたトァザは、テロ組織に所属していた。
 マルドゥーク・ジャンヌ=ダルクによる戦争終結から65年を祝う平和記念式典で、彼は自爆テロを決行した。そこで私とトァザは出会ったのだ。

 全身に尋常じゃない脂汗をかいて、きっと必死に暗記した台詞なのだろう口上を、繰り返し叫ぶ少年。

 『この世は不公平だ。
  霊素も、畑も、
  武器さえも奪われた俺たちにできるのは、
  泣きじゃくることだけか?

  円卓よ我々の声を聞け。
  鼓膜に突き立てる叫び声を。
  円卓よ我々の涙を見ろ。
  瞳に焼き付く正義の涙を』

 ぼろぼろの服を脱ぎ捨てる少年の腹には、よく手入れされたピカピカの爆弾が巻かれていた。
 それを見て逃げ惑う人々。
 呆然として立ち上がれない私……。
 彼と私は、目に涙をためて見つめ合った。そして……少年の肉体は私の目の前で爆ぜる――

 ――嫌なことを、思い出させる。

 現実に引き戻すように、トァザの決意が聞こえた。

「アンダー・アーロン……俺はお前を許さない……!」

 この宣言は闘技場の観客席にも届き、人々は色めき立つ。ざわめきは広がり、アンダー・アーロンは杖を腕に引っ掛けて拍手してみせた。

「素晴らしい決意ですね。闘技士としてあるべき姿……(わたくし)は大変感動しました」

 アーロンは笑みを崩さない。まるでトァザの怒りが台本であるかのように、トァザの決意がショーの演出であるかのようにアーロンは称賛の拍手を送る。

「国を背負って立つお二人の美しい絆……これぞまさしく愛」

「ふざけるな」トァザは見当違いの称賛に苛立つ。

「いいえ、愛ですよ。恥ずかしがらないでください。……闘技士は屍から作られるとはいえ、元は一人の人間」

 アーロンはトァザを素通りして、私に向けて言葉を続ける。

「ねえ、そうでしょう? セフィリア・ジャンヌ=ダルク。貴女は彼のように顔の整った青年の死体に霊素を注ぎ、補助脳を埋め込んで自分好みに改造した。それがしたいから、技巧整備士になったんでしょう?」

「やめろ! セフィリアはそんなことしない!」トァザはまたもアーロンの前に立つが、アーロンは構わず首を横から出して私に迫る。

「貴女は女性で、闘技士は男。当然自らの作品を溺愛しているのでしょう?」

 トァザはアーロンの肩を掴むが、これ以上力を込めるとリング外での暴力行為になるかもしれない。トァザは私に視線を送る。場を収めるためにも私が応えなければ……。

「失礼な方ですね……。私は確かにトァザのことを最高傑作だと評価しています。ですが、私と彼は国の為に信頼関係を結んだパートナーです。技巧整備士になったのも、他意はありません」私は毅然と言い放った。

「へえ、なるほど死体に恋愛感情はないと」アーロンの仮面の奥の瞳が細く嗤う。

「まさか、そう仰るあなたは屍体性愛(ネクロフィリア)の気があると?」

 私は何か言い返してやりたくて、つい口を衝いて出てしまった。
 悪手だった。

「はい」アーロンははっきりと応える。「『パートナー』ですよ。……朝も夜も」

 あまりにも堂々と明かすものだから、私とトァザは面食らってしまう。
 アーロンは肩を掴むトァザの腕を払うと自身の作り出した闘技士、ティカを手招きした。

 ――うそ……そんな……。

 彼女は無表情に指示に従い、アーロンのそばに歩み寄る。
 まだ幼いティカの肩に手を回し、くしゃくしゃとオレンジ色の髪を撫でた。その手付きは娘を愛でる親の姿と受け取るにはいやらしさがあり、見ていて不快だった。アーロンは従順なティカにキスをして、見せ付けるように脂下(やにさ)がる。中年の男と生きていれば未成年の可能性がある少女……その関係性を想像したくない。
 仮面の奥のじっとりとした視線が私を見つめていた。その意味に気付いて背中が粟立つ。

 拳を握り、反射的に目を逸らす。
 その時、私は気付いた。技巧整備士であり、一人の女だからこそ、ティカの身体には闘技士に必要のない改造が施されていると――戦慄した。

「まるで生きているみたいでしょう? 屍を素体に作られる闘技士としては、臓器の防腐処理なんてせずにさっさと技巧に置き換えるものですが……(わたくし)の美意識とでも言いましょうか、例え闘技士でも、人の姿形を維持している方が美しいと思うのですよ――」

 アーロンは自らの言葉に賛同するように頷きながら続ける。

「――世の愚かな整備士は、闘技士を人の形に維持しようとする気概すらありません。まったく……美意識というのが欠如している。美しくない。
 その点、貴女よく分かっていらっしゃる。貴女のトァザは美しい。……ですから私は……てっきり同好の士なのだと思いましたよ」

「……違う……」

「おや? ……どうかしました?」アーロンはティカの首に手を回して頬を撫でながらにこやかに訊ねる。

「私は……貴方とは違う」

 同じ美意識……? 同好の士?
 ――一緒にしないで。

 あんたみたいな最低最悪な奴、初めて見たわ。

「率直に申し上げます。軽蔑します。」

「……ふふふ。良い顔になりましたね……私ゾクゾクしてまいりました」

「そうですか。……では、そろそろ開戦ですし、失礼します。行こうトァザ」

「……ああ」

 腹に据えかねる。
 全く以って最悪だ。
 国とか整備士とか、そんな肩書きなんて関係なく、あいつは倒さなければならない。私の全細胞がそう告げている。

06:開戦演説


「泣いていたな」
 セコンド席に戻るなりトァザが言う。

「泣いてなんか――」

「セフィじゃない。相手の闘技士だ」

 トァザが言うには、ラバニスの闘技士はあの時泣いていたという。私には人形みたいな無表情にしか見えず、感情は読み取れなかったが、彼の目は少女の僅かな機微を感じ取ったのだろう。
 それでなくともアーロンの振る舞いは不快だ。身体をいいようにされて悲しみこそすれ喜ぶものはいない。泣いているというのも理解できる。

 アーロンは「闘技士は屍なのだから人権はない」という口ぶりだった。自作の愛玩人形に個人の趣向を反映させる……それが技巧整備士の特権だと恥知らずに言うだろう。

「これから開戦だというのに、戦い辛いな」

 闘技士ティカは、囚われている……。
 そんな幼気(いたいけ)な少女に向かってトァザは拳を振るうのだ。

「情けは無用だよ。トァザ。
 勝って、あの闘技士を楽にしてあげよう」

 トァザの拳が一瞬、硬く握りしめられる。

「……あぁ」

 迷いを振り払い、リングに向かうトァザの背を叩き見送る。相手側は既にリングの上で開戦を待っていた。



 14時。
 両国の国王陛下が開戦演説を行う予定だ。

 空にはモニター中継用カメラドローンが飛び交い、(とんび)のように闘技場を旋回している。両者リングインに伴い会場は興奮は最高潮に達した。遮音と安全確保を兼ねた透明な結界防壁が展開され、彼らの声援は遠くなる。

 会場のスピーカーからはラッパの音色が響き渡り、後に続く鼓笛隊が開戦時刻を告げると、モニターは国王両名を映し出した。円卓に用意された玉座からそれぞれ立ち上がり、国民は再び割れんばかりの歓声を上げる。

 私はリングに目をやると、トァザが背筋を伸ばしてストレッチをしているのが見えた。
 本人的には居住まいを正す程度に誤魔化しているつもりだろうが、太陽が照らす闘技場で肉体美の黒い輝きは思っている以上に目立つ。
 私の視線に気付いて、トァザは手を振る。私は手を振りかえしながらも顎でモニターを指した。しゃんとなさい。

 トァザはストレッチをやめて、まっすぐにモニターの方へ体を向ける。 

 次に私は、ラバニスの闘技士を眺めた。
 先ほど見たドレスは変わらず、その上に外装を追加したか、曲線美を描いていた小さな肩は鎧で覆い隠されている。白い肌、白い鎧、オレンジ色の長い髪。全ては微動だにせず沈黙している。
 その姿はどこか所在無く、迷子のように見えた。

 スピーカーから小さくノイズが漏れる。マイク音声が繋がったのだ。円卓所属の整備士団が今回の戦闘立会人を務めるという旨の短い挨拶の後に、両国国王が紹介され、開戦演説は始まった。
 会場の観客席は緊張の面持ちで静かに傾聴している。
 先ずは最後通牒を告知した側――ラバニスの国王演説。

「敬愛するラバニス国民の皆様、そして長き友邦であったラザンノーチス国民の皆様へ。
 IDEA加盟国の一員として、そしてラバニスの指導者として、私は誇りを持ってこの場に立っています。

 ……私は、重大な決断を下すためにここに立ち上がり、あなた方に向けて開戦宣言を行います。

 ラバニスは、国土面積こそ小さな国ですが、海中資源に恵まれ、経済的にも発展を遂げてきた自由の国であります。しかし、私たちの自由は今、ラザンノーチスとの国土の領有権を巡る争いによって脅かされています。私たちは平和的な交渉の道を試みましたが、残念ながらその道は閉ざされ、ついには合意に達することはできませんでした。この結果、私たちは最後の手段として戦争を選ばざるを得なくなったのです。

 私たちラバニス国は、まだ記憶に新しい旧第七国家ユグドとの戦争に勝利した経験があります。ユグドは国土も人口も我が国よりはるかに大きな国家でした。それでも、我々は勝利したのです。
 ……これは私たちの勇気と団結の証です。この経験から学び、我々は再び勇敢に立ち上がり、我が国の自由と安全を守るために行動しなければなりません。

 ラザンノーチスの国民の皆様へ。我々は本来、敵対する運命ではなかった。私たちはただ、自国の権利と自由を主張しているのです。戦争は私たちが望んだ結果ではありませんが、私たちはこれ以上、抑圧されることなく、誇り高く生きるために闘わなければならないのです。私たちは、あなた方が抱える痛みや損失を理解しようと努めています。しかし、私たちラバニス国民も同様に苦しんでいるのです。互いに理解し合い、和解することができれば、平和的な解決も可能です。

 ラバニスの皆様へ、度重なる戦争は私たちにとって困難な時代と言えるでしょう。しかし、私たちは逞しい。私たちは自由を信じている。今再び団結して立ち向かわなければなりません。私たちはユグドとの戦争で証明されたように、困難に立ち向かい、勝利を収めることができるのです。私たちの自由と繁栄のために、国家と共に戦いましょう。

 ――そして、我が国が戦争に勝利し、栄光を手にした暁には、マルドゥーク・ジャンヌ=ダルクが提唱した国家統治思想が、ついに我がラバニスによって実現されるのです」

 この瞬間、ラバニスの本当の狙いが露わになった。

 観客席の反応は当然真っ二つだった。
 ラザンノーチスの国民は不満を溜めて、『円卓』の観客席の向こう側半分を睨む。そこかしこから怒号が飛び交い、一部の観客は拳を振り上げて叫んだ。一方で興奮のあまり涙を流す者さえいた。
 一方ラバニスの国民は称賛一色。ユグドとの戦争の興奮から冷めきっていないのか、もう戦勝の妄想に酔っている。

 だが、重要なのは最後の一言だ。誰も最後の一言にまで注意深く聴いていないのか……私は舌打ち一つ、脚を組んで目を閉じる。静かにラザンノーチス国王の演説を待つ。

「我が第六国家ラザンノーチス国民の皆様、そしてラバニス国民の皆様へ。私はラザンノーチス国王ガストー=ソル・ホーエンハイムである。

 皆、大いに混乱していることだろう。しかし、まずは落ち着いてほしい。この重大な瞬間に、私は立ち上がり、あなた方に向けて開戦を宣言する。
 最後通牒を突きつけ、宣戦布告を行ったラバニスに対し、我々もまたこの場で応じねばならない。

 まず初めに、我々は平和と対話を重んじる国家であり、それは今も変わらない。大霊戦争の終結から七十年……戦場は世界から円卓へと移った。だが、それでもなお戦争は悲劇であり、破壊と苦痛をもたらす。私たちは過去の歴史の闘争から学び、現代社会での対話と外交手段を第一に重んじてきた。

 ラバニス国民の皆様へ。我々はあなた方の主張や願望を理解している。現代においても、戦争は無理解と社会の分断を引き起こす。我々はその痛みを共有し、和解の道を模索する意志がある。我が国は、協力と寛容の精神に基づき、平和的な共存を追求してきた。
 ユグドとの戦争において勝利を収めた事実は否定しない。しかし、戦の勝利を誇示することは、我々の誇りではない。悲しき過去から学ぶべき教訓があるとするならば、それは、平和を愛し、戦争を回避する努力を怠らぬことだ。

 我々ラザンノーチス国民は、ラバニス国民と同じく、自由と尊厳を求める。しかし、自由とは他国を侵略し、紛争を引き起こすことではない。我々はIDEAの掲げる正義を尊重し、同じ価値観を持つ友邦と手を取り合うことを望む。

 この円卓にて、未来の分水嶺が決することとなる。だが、まだ対話の余地があるのならば、今日の戦争に白旗を掲げることを、私は拒まない。

 我が国の民よ、どうか心を一つにしてほしい。ラバニスの誤れる国家思想を打破するために、我々は歩みを共にする。
 私は国王として、IDEA加盟国の代表の一人として、ラバニスの蛮行を許さない。そして、この円卓に勝利を飾る暁には、大切な隣国、第七国家ユグドを解放することを誓う。
 私は屈しない。
 我々は屈しない。
 ラザンノーチスの誇りは揺るがない。我らが勝利を収めるとき、ラバニスの驕り高き太陽は、光を失うこととなるだろう」

 会場の反応は先程とは反転した。ラバニス側からブーイングの嵐が届く。

 私は一人の国民として、拍手で国王を讃えた。
 蛮行を許さない……全くもって同感である。

 通常、円卓で行われる戦争に賭けられるのは、最後通牒の内容の撤回と、島国の領有権の獲得だ。戦勝国はそれらの権利を手に入れることになる。
 しかし今回は勝手が違う。

 ラバニスははっきりと告げた。
 『国家統治思想を実現する』――と。

 通常勝ち取れるものではない国家そのものをぶん取ろうとしている。発展途上の島を巡る所有権を争っていたはずなのに、勝てば国家全てを手に入れる気だ。
 実際、先の戦争でラバニスは第七国家ユグドを征服した。

 それに、『統治』という言葉も引っかかる。
 ユグドを合併吸収したのではなく、実効支配したということだ。それは重大な侵略行為ではないのか……?

 ラバニス国王は『マルドゥーク・ジャンヌ=ダルクが提唱した』と言い含めていたが、私の知る限り、平和維持に身を捧げたマルドゥークの思想とは異なっている。

 私は隣の空席を叩いた。

「くそっ……!」

 最高技巧整備士団IDEAの思想は侵略でも統治でもない。同盟だ。
 尊敬する祖父の提唱した平和を歪曲するラバニスは許せない。

 アンダー・アーロンも一国家に属する以前に円卓の技巧整備士だろうに。ラバニス国王の危険思想を否定するべき立場なのに……。

 いや、あいつにそんな期待をするのは無駄なのだろう。とっくに腐っている男だ。

 譲らない正義が渦を巻く『円卓』の中、国家としても、個人としても、絶対に負けられない戦いが始まろうとしていた。

07:第一戦


 『円卓』――闘技場は安全面を考慮して建材はArtificial(アーティフィシャル) Obsidian(オブシディアン)で構成されている。これは人工的に精製された物質で、外観は黒曜石に似ている。この星に存在する物質の中で突出した硬度と靭性を持ち、物理的な衝撃にも、高エネルギーにも傷つくことはない。技巧整備士団の発明の一つだ。

 リングでは、両者が向かい合っていた。

 第六国家ラザンノーチスの無敗の闘技士、トァザ。
 その面持ちは理性的だ。内に抱えていた迷いを捨て、国の代表としてリングに立っている。

 対するは第八国家ラバニスのティカ。
 着せられたドレスと鎧を剥いでしまえばその見た目はあどけない少女だ……トァザとの体格差はおよそ倍以上。ウェイトもウィングスパンも差は歴然で、二人がただの人間であれば勝負にならないだろう。しかし、技巧というのはその常識を軽々と超越する。

 私はトァザに声をかける。試合前の最後の指示だ。

「わかってると思うけど、機動力に警戒して」

 トァザは耳を傾けて頷きを返す。
 この体格差で勝負を挑むとなれば、一番はそこだろう。

 警報が鳴り響き、リング中央から半径30メートルの範囲は闘技士以外立ち入り禁止となる。
 霊素によって形成された内部防壁が積層展開し、セコンド席の安全が確保された。ここから先、許されるのはただ見届けることのみ。
 国民の座っている観客席と、両国国王の玉座が設られた来賓席はさらに厳重な防壁によって完全な遮音状態となり、リング内の音声は別途設置されている収音マイクや観戦ドローンを中継される。

 防壁に遮られた警報はそのままフェードアウトし、円卓からは観戦者に対するアナウンスが流れる。

 『現時刻より、第六国家ラザンノーチス対第八国家ラバニスの第一戦を、ここに開幕いたします』

 ――ウゥゥゥゥゥ……。

 再三にわたる警報が円卓全域に鳴り響き、回転灯が黄色く灯る。何人をもリングには侵入させない厳戒態勢が危険性を物語る。
 形式こそ格闘技を模倣しているが、これから行われるのは戦争なのだ。
 飾り気のない無機質な開戦警報に観客席から歓声は上がらず、皆固唾を呑んでリングを見つめる。

 警報が鳴り止み、残響が空に溶けてゆく。
 円卓は厳かな沈黙に包まれる。

 闘技士はまだ動かない。
 じっと睨み合い、互いに腰を落として構えている。
 脚は間合いを探りながら、ゆっくりと時計回りに移動を始めた。
 息遣いは細く張り詰めて、両者攻撃の好機を伺う。
 技巧が臨戦態勢に入った駆動音をマイクが拾う。

 トァザが足を止めた。それに合わせて相手も歩みを止める。

 私にはこの光景がいつも不思議に思えた。
 トァザはきっと攻撃を開始するだろう。それがわかっているのに、この一瞬が引き延ばされているような感覚に陥る。
 まるで世界が時を止めたみたいだった。
 ただ目の前にあるのは、神々しい彫刻のみなのだと、そう錯覚してしまう。

 しかしそんな幻想は次の刹那に吹き飛ばされる。激しい霊素の輝きと衝撃。人々の目を置き去りにして闘技士はぶつかり合う。

 仕掛けたのは当然、トァザだった。
 前腕部の技巧から霊素を纏わせ、一足飛びに敵の懐に踏み込むと拳を叩き込む!

 鳩尾(みぞおち)を狙って突き出した拳に対してティカはドレスを捌いて膝で受ける。金属同士がぶつかり合う音がした。溢れる光と火花に私は思わず目を閉じて顔をそらす。

 衝撃波が防壁を打ち鳴らし、鈍い音が響き渡る。

 私はてっきり、振り抜いた拳が膝を砕いたのではと期待したが、ティカは体制を立て直し、吹き飛ばされた分の間合いを自ら詰めた。
 反撃を警戒したトァザは固めた裏拳で横薙ぎに払う。だが、ティカは空中で身を翻し、かかと落としを繰り出している。
 脳天に刺さる紙一重のところでトァザは身を屈めて後退、空を掻いた脚の勢いに任せてティカはくるりと一回転する。

「やっぱり機動力……!」

 私は見逃すまいとセコンド席の手すりにしがみつく。リングの衝撃が手に伝わる。
 ティカの攻勢が続いていた。

 接近するティカはわざと足運びを左右に振って、ドレスの揺らめきでトァザの目を惑わせる。後退する判断が遅れたトァザの懐に潜り込むと、細い腕を構え、貫手を繰り出した。爆圧に防壁が震える。
 どこにそんな力があるのか……その勢いはまさに兵器そのもの。

 弩砲(バリスタ)のような鋭い衝撃をトァザは掌で横に弾いて受け流す。まともに喰らえば腹に穴が開くところだった。

 円卓は強く揺れ、観客席からは悲鳴が上がる。空襲を受けているのとそう変わらない爆発と衝撃の殴打が防壁を叩く。

 両手の貫手を受け流すことでティカには隙が生じた。それを見逃すトァザではない。伸ばした両腕をしっかりと掴み、頭突きを繰り出す。

 ――必中だ!
 私は心のなかで叫ぶ。

 しかしティカはスウェーバックで辛うじて勢いを殺し、突き出したトァザの顎に右膝蹴りと左脚のサマーソルトキックを繰り出す。予想外のカウンターにトァザは星を散らす。
 首を振って距離を取る。手応えを確信していたのか、ティカも追撃はせずに体勢を整えた。人間であれば顎が砕けていただろうし、最悪脳震盪だ。機動力を生み出すティカの足はかなりの脅威だ。

 私は唇を噛む。
 ……体格差と膂力(りょりょく)不足を補う足技は理に適っている。それらを底支えする技巧も強力、……アーロンのやつ、技巧の腕は確かなようだ。

 だが、機能を脚に集中しているということは、裏返せば弱点になる。ティカの脚を破壊すれば戦況はぐっと有利になるだろう。

「脚だ! トァザ、脚を狙え!!」

 果たして私の声は防壁越しに届いたか、トァザは鼻から流れる血をそのままに、ティカを睨む。頭突きが掠ったときの傷が頬に一つあるのみで、少女にダメージは見られない。
 トァザは掌を大きく開くと拳を握り直し、技巧のギアを一段上げた。兵装を展開するつもりらしい。

 ティカは乱れた髪をそのままに、無表情に見つめ返している。

 再びトァザから仕掛ける。威圧的な大股で距離を詰め、前腕の筋繊維の隙間から技巧が露出した。拳と共に杭を打ち込む打突兵装(パイルバンカー)だ。

 これまでトァザが築き上げた無敗神話は、この兵装によって成し得たものだ。両腕部に格納された霊素を杭型に生成し、射出――対象に打ち込まれた後に爆発する。彼の格闘スキルと合わせて、効果的に弱点を破壊する技巧。狙うのはもちろん少女の脚――

 一方でティカも兵装を解放する。
 柔らかな少女の脹脛(ふくらはぎ)から素肌のテクスチャが剥がれ、薄皮の下に折り畳まれていた技巧が展開された。細い足が左右に分かれ、縦に開かれたスリット部から霊素が刃状に形成された。

 形容するならば、それは剣の靴。
 三日月のように鋭く冴えたスティルツだ。

 トァザは相手の殺意に足を止め、冷静に距離を取った。(つるぎ)となった両足でくるくると踊るティカ。纏う雰囲気はがらりと変わり、視線さえどこか遠くを見つめている。隙だらけのようにも見えるが不用意に間合いに入るのは愚行か……トァザはまたも攻勢を相手に譲る。

 ティカの兵装には浮遊能力が備わっているらしく、(きっさき)はほとんど点で接地しているのに歩行に支障はないようだ。
 両者は一度間合いを広げ、攻撃が収まる。
 トァザが攻めあぐねるのは、剣のリーチ分背丈が上に伸びたティカの変化を観察するため。そして微睡むような少女の表情が読めないという理由もあった。

 乱れた髪に、裂けたドレスの裾……熱に浮かされたように敵意の失せた少女の顔……その顔がふとトァザを見下ろして視線が交差する。

「なんだ……? ラバニス側の様子が変だ……」

 ティカは不意に構える。と言っても戦闘の構えではない。
 優雅に、指先まで美しく……舞台舞踊の曲が始まる前の構えだ。

「なに……してる……」

 トァザは困惑し、思わず拳を開いてしまう。だが――

「危ない……!」

 氷上を滑るように一歩、二歩とリング上を移動する。ティカの足捌きはそのまま剣捌きとなり、トァザを襲う。
 身のこなしは予測不能の舞踊……閃く剣戟(けんげき)を間一髪でやり過ごす。くそ、油断した!

 ティカは踊り子のように回転しながら蹴り技を繰り返す。懐に潜り込もうにも剣のリーチは長い。回転運動を加速させたかと思えば、不意に速度を緩め、細かいステップでトァザに迫る。一見して足捌きに規則性があることは分かるが、踊りの知識がないため対応できない。
 トァザは翻弄され、串刺しにしようと突き立てられる剣を躱すのに精一杯だ。見ているだけでハラハラする。しかし意識を足元ばかりに囚われてはいけない。

「トァザ!」

 私は思わず叫ぶ。ティカの両腕が貫手の構えになったからだ。

 防壁越しに私の声が届いたのか、それとも殺気に気付いたか、トァザは貫手に反応し、横に跳んで回避する。
 反撃のために中距離から杭を射出するが、文字どおり足蹴にされてしまう。攻略の糸口が掴めぬまま、ティカは踊るように距離を詰め、再び剣の舞でトァザを襲う。思うままに翻弄されている!

「……今は相手の呼吸に合わせて……っ」

 私は祈るように呟く。反撃のときは必ずくるはずだ。

 ティカはもはやトァザを見ていない。ステージの上で踊るように、回転とステップを繰り返す。舞台の上に蟻がいる位にしか思っていないのだろうか。
 だが、いつまでも翻弄されてはいられない。トァザは回避行動の中で規則的なリズムを掴みかけていた。少なくともティカが何かしらの律動を保っているのは理解している……踊っている以上、攻撃の周期が限られていることもすぐに気付いた。

 トァザは意を決したようにティカの間合いに踏み込んだ。足捌きのステップに合わせて不格好ながら足踏みをして回避すると、拳を振るって脚の破壊を試みる。しかし、ティカは踊りながら膝で受け止め、足を伸ばして切り上げようとする。身を捩って回避。剣は顳顬(こめかみ)を掠めた。
 一歩、二歩とスケートのように剣閃が地面を滑る。その隙間を縫ってトァザはリング中央に移動した。間合いが開くとティカは距離を詰める筈だ――トァザは攻撃の癖を掴んでいた。
 予想通り、ティカは跳躍してトァザの脳天を狙い着地する。トァザは剣の軌道を読んで回避、そのまま右腕を引いて反撃の構えに繋げた。

 ――ここだ……!
 トァザの表情が変わる。

 着地後の牽制に行われる回転斬り……移行時に現れる僅かな隙。
 ティカはバレエのように、腕を伸ばしきらずに指先まで構える……きっと生前、何度も練習し身に染み付いた癖なのだろう。もしかしたら、少女は命を落とさなければ今も舞踊の練習をしていたのかも知れない。

 そんな無表情で夢うつつの闘技士に残る魂の残滓(ざんし)をトァザは垣間見た。開戦前に見た少女の表情……微かに滲む悲しみが痛いほど理解できた。

「っ……! うおぉぉぉ!!」

 トァザは叫ぶ。
 思わず胸咽ぶ行き場の無い感情を拳に乗せて――

 地面を踏み込み叩き込んだ渾身の一撃。
 固く握り込んた拳骨は剣の腹を強かに叩き、兵装に向けて杭を射出した。霊素と霊素がぶつかり合い、衝撃が剣を砕いた。
 ティカは梯子を外されたようにぐらりと体勢を崩す。

 トァザは次に左手の指を揃えて伸ばし縦一文字に手刀を振る――指先は斥力を発生させ、少女の左脚を太腿から抉るように破断した。損壊した(フレーム)から圧力が逃げ、ショットガンのような勢いで血飛沫が噴き出す。
 両脚を失い、ティカはリングに身を打ち付けて転がる。

 ……トァザは少女の頭を掴んで投げ飛ばした。

 闘技士の少女の躰はぴくりともせず、屍に戻された。
 防壁に背中からぶつかり、無抵抗に四肢を放って地面に転がる。

 決着か……。
 (いささ)かショッキングな光景に観客席は悲喜交交(ひきこもごも)にざわめいた。

 戦争が形を変え、大勢の命が失われることのなくなった現在……国を代表する闘技士は円卓で死闘を繰り広げる。
 そして、闘技士は屍を素材に作られているため人として数えられない。故に闘技士が壊れたとしても、この戦争の死者は0人。字面だけで見ればこれ以上なく平和的解決がなされたこととなる。

 だが、この光景は……凄惨そのものだ。

 呆気なく、第一戦の決着がついたことを円卓のアナウンスが告げる。

 ラバニス側のセコンド席手前。糸の切れた操り人形のように(たお)れているティカ。
 トァザは投げ飛ばしたままの体勢で、怒りに歯を食いしばりながらアーロンを睨んでいた。
 きっと彼の中には葛藤もあっただろう。しかし闘技士を生み出す側――整備士である私には、彼の胸中を推し量るには遠すぎた。

 ティカの両脚は破断した肉から精製血が噴き出して血染みを地面に広げている。ラバニス側の整備士達がアーロンに変わり応急処置を施すために賢明に働くが、少女の顔には生気がない。注ぎ込まれた霊素が枯渇しているか、補助脳にもダメージが及んでいるとみえる。

 観客席が状況を理解するとラザンノーチス席から地鳴りのような歓声が湧く。

「……これで終わりだな」

 円卓から中継されたトァザの声が響く。
 どうやらアーロンに向けて放った言葉らしい。
 モニターにはアーロンの姿が映される。

 彼は仮面の奥で笑っていた。

「これはまだ前菜……お楽しみはこれからですよ」

「お前のフルコースに興味はない。次は主兵装(メインディッシュ)で来い」

 第一戦はトァザがダウンを取り、終わりを告げた。

08:第二戦


 円卓の規定では闘技士は第一戦の終了後、技巧整備士席(セコンド)へ戻り十分間のメンテナンスタイムを受ける。

 許可されているのは、第二戦に備えて事前申請した予備の技巧の取り付けと、消費した霊素の補充の二つ。
 メンテナンスタイム終了後に闘技士が復帰できず、戦闘不能と審判が判断した時点で敗者が決定する。ラバニス国民は固唾を飲んで見守っている。

 歩いて戻って来れたのはトァザのみ。
 ティカは担架に乗せられてラバニス側の技巧整備士の施術を受けているようだ。このまま行動不能なら話が早いのだけれど、アーロンの口ぶりからしてそう簡単にはいかないだろう。

 私はトァザの損傷具合を確認する。下顎は出血こそあれどフレームは無事。全身に細かな裂傷を受けたが大きな問題はなさそうだ。振り返ってみれば、第一戦は冷静な立ち回りだった。
 消耗した霊素を補充するためにトァザを椅子に座らせ、ケーブルに繋ぐ。

「ところでなんだけど」私は問う。「……アンダー・アーロンとはなんの因縁があるの……?」

 開戦前から気になっていたことだ。トァザは明らかにアーロンを憎んでいる。
 ただの敵国の整備士というよりも、以前から面識があるようだった。

「……俺が闘技士になる前だ」トァザは遠い目をした。「……セフィと初めて出会ったとき、俺はテロ組織に所属していた。……わかるよな」

 私は頷く。

「大霊戦争がマルドゥークによって強制的に終結に向かった後、世界は争いをやめた……これは平和になったという意味じゃない。マルドゥークの生み出した兵器、技巧や闘技士というものが世界から軍事力を奪っただけだ。
 ある国では、劣勢から反転攻勢に転じようという時に終戦を余儀なくされた。軋轢は依然として存在し続ける……いくつかの国はこの戦争の終結に納得していない」

「……わかるよ」

 祖父、マルドゥーク・ジャンヌ=ダルクが生み出し、世界を平らげた技巧。――その終戦のタイミングが少しでも違えば、現在の戦勝国と敗戦国の情勢は変わっていただろう。
 勝ち逃げできた国は大満足だろうが、一方的に敗戦国のレッテルを貼られた国は当然不満が湧く。

「当時敗戦国の一つだった島国で、俺は生まれ育った。当然暮らしは貧しいし、大人たちは皆、今の世界を恨んでた。……テロ組織が立ち上がったのは自然な流れだった」

「うん」

「子供の頃からその価値観の中で育てられ、少年兵として教育を受けた俺は、あの時、腹に爆弾を巻いて、君と出会った」

「それで?」

「『平和式典会場を狙え』と指示していたテロ組織のトップ……戦争屋が、あの男、アンダー・アーロンなんだよ」

 私はトァザの話を聞いて、重く口を閉じる。
 なるほど、と思った。

「だから知り合いみたいな感じだったんだ」

「……俺は、あいつだけは許すことが出来ない。神を語り、信仰を植え付け、人の命を(もてあそ)ぶクソ野郎だ! 今だって少女を……っ、子供を戦場に立たせて笑ってる……!!」

 トァザは目に涙をためて切々と訴える。
 あいつが憎い。あいつが憎い。
 そんな姿は初めてかもしれない。

 そんな彼を目の前にして、私の中から湧き上がる感情が、うまく言葉に出来ない。トァザの気持ちが痛いほどわかる。でも、単純な共感とも違う気がして――

「え、セフィ……? なんだ、急に」

 私は、トァザを抱き締めていた。
 汗と土埃にまみれた青年の頭を胸に抱き寄せて、未だ言葉は出てこない。

「……なんて言っていいのかわかんないけど……なんか、こうしたくなって」

 脇目も振らず技巧の研鑽に明け暮れた私にも、もしかしたらあったのかも……。

「これはあれかな、母性ってやつ」

 私は戯けて見せるが、トァザは何も言わず。少しだけ緊張を解いて私の胸に身を預けた。

 てっきり、そういうものはないんだと思ってた。
 英雄である祖父マルドゥーク・ジャンヌ=ダルクの家に生まれ、物心つく頃から技巧に触れ、思春期には屍を解剖して寝食を忘れるような私に、愛だの恋だの母性だの……とっくの昔に捨てたか、最初から持ち合わせてないものだとばかり。
 それが、他人の情動に心を寄せるなんて、自分でもびっくりだ。

「……『痛い』って」

「んぇ?」

 トァザの呟きが何を意味しているのか分からず聞き返す。強く抱き締めてたかな?

「ティカが、『痛い』って言ってたんだ」

「戦闘中に? 会話をしている様子は見えなかったけど」

 トァザは首を振る。

「言葉じゃない。霊素に意志が宿るんだ。ティカが兵装展開して様子がおかしくなっただろう。あの時リング上ではティカの霊素が漏れていた」

「マシントラブルが起きてたってこと?」

「ああ」

 トァザは頷き、私の腕から離れる。真剣な表情だ。

「勝手な憶測だが、彼女の身体は技巧と馴染んでいない可能性がある。
 兵装展開時に痛みを訴えている……普通は開戦前にメンテナンスを万全にするはずだ。それに、痛むなら声を出せばいい」

「アーロンの整備不良かな」

「もっと恐ろしい。あいつはティカを闘技士としてすら見ていない。ただの消耗品扱いだとしたら……」

 私はちらりとラバニス側のセコンド席を見る。整備士達がなにやら集まっていて様子は窺えない。

 確かに、ラバニスの闘技士は前情報がなかった。
 普通なら先の対ユグド戦で活躍した闘技士が出張ってもおかしくないのに、新しく拵えた闘技士を引っ張り出してきた。消耗品扱いというのなら、納得できる。

「でも、開戦前に遅刻を詫びていたのはティカだったよ? その時は審判と会話してる風だったけど……」

「いや、身振りはティカだったけど、口を動かしていたのは終始男の方……アーロンだった。
 ティカは声帯を取り外された可能性がある――」

 トァザはとんでも無いことを言う。
 声帯を取り外した? なんの意味があって?

「なんでそんな……」私は嫌な予感がした。

「――頭を掴んだ時、ティカの悲鳴が聞こえた。でも不自然だったんだ。声を出そうとしても出ないような、音の鳴らない笛に息を送るような掠れた悲鳴だ……」

「痛みを訴えるティカをレギュレーション通過するために声を奪った」

 私は結論を言い当てる。

「表情も、身体機能も、全部操られてるなら……」

 それは、激痛だろう……想像するだにぞっとしない。
 第一戦を思い返せば、ティカの動きはぎこちなかったように思えなくもない。だがあくまで憶測に過ぎないし、私達が勝手にそう思っているだけかもしれない。特にトァザはアーロンを憎しみのフィルター越しに見ているのだから。……だけど……。
 アンダー・アーロン……あの男ならやりかねない。

 トァザが視線厳しくラバニスの技巧整備士達を見つめる。男達に囲まれてティカの姿は見えない。私の胸が、得も言われぬ嫌悪感にざわつく。



 第二戦。
 このままラバニスの敗戦ならいいのにと思う私の願いをよそに、見つめる視線の先、ティカは立ち上がり、リングへ歩きだした。

「はぁ――」頬杖をついてため息を一つ。
 胸元にぶら下げた懐中時計を開き、時刻を確認する。
 針は14時30分を指していた。
「――一日が長い……」

 闘技場では両者再び向顔(こうがん)
 完全に破壊したと思ったが、ティカは戦闘続行が可能なまでに復帰している。相変わらず人形のような無表情で、ぼろぼろになったドレスといくつかの鎧を纏っていた。破れた裾から覗く少女の脚は技巧が剥き出しの無骨なものに取り替えられている。これがアーロンの言っていた『主兵装』だろうか。

「ラバニス国民の皆様、ご安心ください」

 円卓に聞き覚えのない機械音声が響く。アナウンスとは別の、人工的に調整された、抑揚のない女の子の声……。

「第一戦は前座に過ぎません」

 その言葉がティカの口から発せられている……肉声ではないことから、トァザの予想は当たっているのだと確信した。
 声帯を奪われた少女はスピーカーを埋め込まれ、軽薄なアーロンの言葉を発している。

「思い出して頂きたい。円卓での勝敗は決してポイント制ではないのです。……最終的にリングに立ち続けた者が勝者。そうですよね?」

 その言葉にラバニス側観客席は微かに活気づいた。第一戦でダウンを取られたとはいえ、それが敗戦を意味するわけではないのだと、(にわか)に希望を持つ。

「なんだこの茶番は……」トァザは腕を組み、不満げに審判に視線を送る。「こんなスピーチ、聞く必要があるのか?」

「まぁまぁ、ラザンノーチスの闘技士トァザ。少し付き合って頂きたい」窘めているのは声だけで、ティカは視線さえ交わさない。「腹ぺこな君の希望に応えてメインディッシュを用意しました」

「その余裕な態度が気に入らん」

「心中お察ししますよ。ですが、いきなり主兵装をお見せしてはせっかくの円卓が興醒めですので」

 トァザはわざとらしくため息を吐く。怒りを呑み込んだのだと、私にはわかった。

「……お前と話す気はない。勝手にしろ」

 まともに取り合ってはアーロンの思う(つぼ)だ。トァザは銀髪頭をぼりぼりと掻いて閉口する。

「それは残念……では改めて続けさせてもらいます。
 私はまだ闘技士として半人前でしてね、アーロン様の助けがないと真価を発揮出来ないのですよ」

 アーロンはあくまでもティカの声として話すつもりらしい。……自分のことを『アーロン様』って……。

 私は頬杖をついたまま、冷やかにスピーチを眺める。何を言ってもやめる気はないだろうし、いちいち関わるのもごめんだった。
 なにより、円卓の規定では開戦前に降伏の申し出があれば傾聴する義務がある。『命乞い』を認めているのだ。……このスピーチを審判が制止しないのは、円卓がラバニスのパフォーマンスを命乞いとカウントして、恩情を掛けているのだろう。そう思うと私もいくらか溜飲が下がる気分だった。

「少し、与太話をしましょう。
 ――とある国は、近頃敗戦を喫したばかり。国土は宣言通り戦勝国のものとなりました。敗戦国の貴族達は保身のためにいち早く亡命の算段を立てましたが、もちろん戦勝国は見逃しません。貴族達を追いかけます。
 そんなとき、一人の少女が現れます。
 この少女は、貴族一家に生まれ育ち、敗戦したあとも誇りを捨てなかった温室育ちの世間知らずでした。
 そしてこう言うのです。『私は逃げも隠れもいたしません。どうか我が領土の民を解放しなさい』と。
 ……なんとまぁ愚かで気高いのでしょう!
 きっと幼い頃からお菓子をつまみながら英雄譚や御伽噺を聴かされて育てられたのでしょう。きらきらとした無垢な勇気に感銘を受けた戦勝国は、少女に対して取引きをしたのです。
 『その身も心も明け渡すというのなら、かわりに民の命は見逃してあげよう』と――」

 トァザの全身から炎のように霊素が溢れ出す。人工筋肉に流れる冷却血(クーラント)が温度上昇に追いつけず、噴き出した排気で髪が逆巻いている。まさに怒髪天だ。

「トァザ! あの真面目バカ……!」

 聴き流せばいいのに馬鹿正直に聞いていたらしい。つくづく挑発に弱い男だ……闘技士として血の気が多いのは結構だが、玉に(きず)だ。
 とはいえこの話しがユグドの顛末を語っていることは誰でもわかる。誇り高い貴族の少女も……誰のことか明白だ。

「民の命のためにその身を差し出した結果が闘技士か……っ! この人でなしが――」

「おお、恐ろしい顔をしますねトァザ。……ですがアーロン様は悪くないのです。『できることなら親の元へ帰してあげたい』とご尽力してくれています。生憎、私の家族が天国へ行ったのか、地獄へ行ったのかわからなくてですね……」

「貴様どこまでも……!」
 トァザは奥歯を噛み締めてアーロンに殴り掛かる。

 拳はセコンド席の防壁に阻まれ弾かれる。そして違反行為に警報が鳴り響く。闘技士はリング外の人間に向けて攻撃を行ってはいけない。

「彼女の誇り高い精神を弄び、あげく死してなお肉体を愚弄など……!!」

 セコンドにゆったりと座るアーロンは口角を吊り上げる。
 いや、ほくそ笑んだと言ってもいい。

 生前の関わりからトァザの性格を把握しているのだろう。どう挑発したら冷静さを奪えるのかもよくわかっている。一連の挑発行為はトァザの違反行為を誘発するためのものだった。

「トァザ! 挑発に乗らないで!」

 私は声を張り上げる。だが届かない。内部防壁が私の声を弾いているのだ。
 そうか……だからアーロンはティカに喋らせているのか……。

 円卓にはアナウンスが響き、違反行為を咎める。即刻停止しなければペナルティが課せられるとまで言っている。トァザをこのままにしてはいけない。

「あーもうっ! ……まずいまずい!!」

 私はセコンド席からリングへ身を乗り出した。
 内部防壁とリング外周の狭い隙間は辛うじて人ひとりが移動できるスペースがある。

「トァザ!」私は走り出す。

 整備士がリング内に侵入するのも警告対象だ。
 それでもトァザの違反行為よりは軽い。背に腹は代えられない。

 リング内の半径30メートル。
 ラバニス側セコンド席まで約90メートルの距離。
 毎日引き籠もっている整備士の私には遠い。

 二度目の拳を振り上げるのが見えて、必死に呼びかける。

「トァザ!! 私を見なさい!」

 警告無視を続けて不恰好に走る。いくつものドローンが私をモニターに映すのがわかる。荒く息を吐いて、汗だくで、防壁に頬がこすれて眼鏡もずれてしまっている。そんな私が円卓全域に晒されている。

 やっぱり目の下のクマが酷いな、私……。

「……セ、フィ……? なにしてるんだ警告されてるぞ!?」

 トァザの目に光が戻り、我に返る。
 私は怒鳴った。

「どっちが!」

 トァザは、はっとして拳を降ろした。自分の違反行為を自覚し、両手を上げてリングへ戻る。しかし、燃え盛る怒りは消えていない。思い出したかのようにアーロンに語りかける。

「アーロン。お前は言ったな。『ティカの家族が天国へ行ったのか、地獄へ行ったのかわからない』と」

「……ええ」

「答えを教えてやる。天国にいるぞ」

「ほう、それはどうして?」

「決まっている」トァザは振り向かず吐き捨てた。「地獄の門は、お前のためだけに開くからだ」



 『現時刻より、第六国家ラザンノーチス対第八国家ラバニスの第二戦を、ここに開幕いたします』

 開戦警報が鳴り、回転灯が円卓を黄色く照らす中、私は審判からの警告を受けながらセコンド席へ退避する。

 正直、反省はしていない。
 警告なんて可愛いものだ。

 トァザの違反行為が続けば技巧の使用制限が課せられる可能性があった。そうなれば第二戦はこちらがダウンを取られていただろう。

 スピーカーから淡々と流れる開戦アナウンスが止み、私は椅子にへたり込んだ。運動不足で足がぴりぴり痛む。肝を冷やしたのもあって、嫌な汗がどっと吹き出て首筋を伝った。しかし休んではいられない。

 私はすぐに手提げ鞄から端末を取り出し、ユグドの貴族名簿を総覧した。先の戦争により、およそ半数のステータスが『行方不明(Missing)』と記載されている。おそらく亡命……島国のいくつかに身を隠して生き延びているとみえる。
 ティカの名前で検索をかけると一人該当した。性別、年齢、そして顔の判別できる切り取りの画像が添付されている。どこか草原で遊んでいる写真だろう――オレンジ色の髪が風に踊っていた。間違いない。

 『ティカ・ペネロレッタ 女性 15歳』

 ――ステータスは死亡と記載されていた。 家族情報も引き出せた。一家全員、死亡。

 アーロンの与太話と照らし合わせるなら、彼女は悪辣な侵略行為を行うラバニスに対して抗議し、民の命と引き換えに処刑された。そして遺体を技巧化……本当に、どこまでも悪意の塊だ。アーロンという男は……。
 私は端末を握る手が震える。唇を噛み、トァザに願いを託す。

「勝てよ……トァザ……」

 リング内では開戦直後に変化があった。
 第一戦とは明らかに異なるティカの脚部技巧が開戦に合わせて兵装展開されたのだ。

 ドレスに隠れた下半身は人の姿から変化し、内部技巧が裾から覗く。真っ白な(フレーム)と人工筋肉が煙を噴きながら再構成されていくのが見えた。

 トァザはこの隙を逃すまいと接近を試みるが、ティカの脚部兵装から熱線が照射され、迂闊な先制攻撃を咎められた。

 排熱の白煙でティカの姿は見えなくなる。内部防壁に煙が充満して観客席がどよめくが、円卓の整備士団は一時的にリング内の空気を強制的に循環させた。

 一気に煙が晴れていく。
 そこには、変わり果てたティカの姿があった。

 ドレスの裾は技巧に巻き込まれてズタズタに切り裂かれ、風に揺れている。その裾から飛び出したのは猟犬を模した砲口と、異形を支える獣の脚、脚、脚……。合わせて六本、三体の猟犬が円卓を睨む。

 観客席から(おのの)く声とざわめきが広がる。異形の闘技士は決して珍しいことではない……むしろありふれているのだが、少女の生前を伝えられ、目の前で醜い姿へと変貌する様は誰もが思わず総毛立つ。
 ――それは神話に出てくる哀れな娘『スキュレー』に似ていた。

 獣の脚、爪先は矛のように尖り、第一戦に見せた武器と同様に霊素の刃が燐光を放って青白く輝いている。

 私は目の前の少女の変貌に言葉を失う。
 この驚きは観客席の困惑とは違う。もっと、技巧整備士としての視点から観た驚きだ。

 第二戦の開戦前まで、ティカは人ひとりの質量と姿形だった……兵装展開を経ての明らかな体積増加、常人の理解を超える技巧――

「これだけの兵装展開と質量変化……あいつの言ってた『主兵装(メインディッシュ)』って……まさか――」

 ――最終兵装……!?

 最高技巧整備士団IDEAの開祖、マルドゥーク・ジャンヌ=ダルクが大霊戦争の際に各国の保有する兵力を殲滅した圧倒的な力。当時の混沌を切り拓いたのは単騎の闘技士、マルドゥークの作り上げた『ケルビム』によるものだった。
 そして、その闘技士には異名がある。
 口々に語られ、紙面を飾る決まり文句――『空を覆う翼』。
 人類が到達した武力の到達点……最終兵装。

「ありえない……!」

 ……いや、ありえないということはない。……が、受け入れられない。
 並の整備士には決して到達することの叶わない高みなのだ。私ですら最終兵装の開発は苦い思い出と共に封印している。

 最高技巧整備士団IDEAのメンバーには最終兵装の開発と実装が許可される。それは兵装の保有こそが国家の抑止力になるからだ。
 そして抑止力というのは、簡単に行使してはならない。最終兵装は、国家が軍事力(闘技士以外の兵力の投下)によって脅かされている状況以外、原則使用禁止である。

「そんな……なんで……」

「慄きましたねぇ……ふふふ」

「!!」

 円卓内にアーロンの声が響く。どうやら、ティカの兵装を経由して語りかけているらしい。ドローンは私とアーロンをそれぞれモニターに映し出す。私が今取り乱している姿が筒抜けになった。

 トァザが割って入る。マイクを持たない私の代弁者となった。

「なぜ最終兵装を展開している! 円卓内での開戦はラバニス国家を軍事力で脅かしてはいない!」

 そうだ。この場において最終兵装の展開は必要ない。

「いやいや、そちらの国王はこう仰いましたよ。
 『この円卓に勝利を飾った暁には、大切な隣国である第七国家ユグドを解放させる』
 『ラバニスの驕り高き太陽は、光を失うこととなる』
 ――と。これは加盟国に協力を要請し、我が国ラバニスに対して多数の兵力を向ける軍事行為であることは明白」

 ティカは右手を前方に伸ばし、トァザを指差した。兵装の猟犬は首を伸ばし、獲物を捉える。

「……めちゃくちゃだ」トァザは青褪める。

「曲解……拡大解釈よ!」野次を飛ばす私の声は届かない。

 リング上、トァザが摺足で後ずさると、猟犬は堰を切ったように駆け出す。戦車(チャリオット)の御者のように、猟犬を従えたティカは追い立て、指先から熱線を照射する。
 トァザは逃げ道を焼かれ、背中に猟犬が襲いかかる!

「私はか弱いラバニスを救済したいだけですよ。ンフッ、フフフッ…クハハハハハ……」

 アーロンの笑い声が残響する。
 私は椅子から立ち上がりトァザを見つめる。牙に爪、そして熱線。攻撃を捌き切るので精一杯……いや、捌ききれていない……。
 圧倒的な手数に為す術もなく傷を負っていくトァザ。
 私は、頭が真っ白になる。

 ――こんなはずじゃなかった。
 ――おかしい。ありえない。

 傷だらけのトァザは猟犬の脚を掻い潜り、ティカの股下を通ってリング反対側へ駆け出した。反撃の手段はないまま、必死の逃避行動だった。戦力差がありすぎるのだ。
 ティカの繰り出す六本の矛と、凶悪な牙の生え揃う猟犬の首、そして指先の熱線が鞭のように迫る。

 防戦一方。
 私の手はじっとりと汗に濡れていた。
 思考が停止する一歩手前。どうする。どうしたらいい。目の前の状況を打開する術が見つからない。

 時間の問題だった。トァザの叫びが円卓に響く。
 六本の矛がトァザに向かって降り注ぎ続けたのだ。文字どおり槍の雨、避け続けるのは無理だった。トァザは右足を矛に貫かれて動きが止まる。痛みに強張った体に猟犬は飛びかかった。

「ぐあぁ――ッ!!」

 あらゆる刃が、深々とトァザに突き立てられた。

「トァザっ!!」

 トァザは猟犬に肩と脚を咬み付かれたまま力尽きて、串刺しのまま倒れることもできない。既に意識を失っていた。
 猟犬は首を振りトァザの肩を喰い千切る。脚を咥えていたもう一方の猟犬もトァザの体を踏んで抑え、肉を引きちぎった。

 リングは彼の体から散らされた血飛沫で染まる。
 観客席からは悲鳴が上がり、四肢をもがれた遺体が転がった。

 『第二戦を終了いたします。両国代表の技巧整備士は、第三戦に備え、メンテナンスタイムに入ってください』

09:ザルバニトー

「……ご……めん……セフィ」

 トァザは担架に乗せられ、ラザンノーチス側担当の整備士達によってセコンドへ運ばれた。

 現実感が薄れる。目の前の光景に思考が働いていない。
 トァザは、酷い有様だった。

 応急処置をしながら次の指示を待つ整備士に囲まれ、なんとか輸血と予備の技巧を集めるように指示を飛ばす。

「……貴方の、せいじゃない」

 担架に横たわるトァザの姿を見つめ、私はなんとか励まそうとした。しかし言葉が続かない。
 右腕は肩から先がなく、両足も膝下から食い千切られ、全身の技巧は猟犬の矛と熱線によって融解して溶け落ちていた。辛うじて繋がっている左腕も神経が切れてしまっている。唯一原形を留めているのは胴体と頭のみ。厳密には肋骨のフレームは歪んでいて、腹部二箇所にも刺突による穴が穿たれている。人工筋繊維のダメージも著しい。

 トァザはあの状況で兵装を盾にすることで急所を死守したのだ。本当によくやってくれている。

「……第二戦、ティカの意思は何も感じられなかった……」

 トァザは血塗れで口からの血を吐きながら呟いた。
 虚ろな瞳がかすかに笑みを作る。

「はっ……なにが、メインディッシュだ……。味なんてしないぞ……」

「喋っちゃダメ」

「……俺達は、勝たなければならない」

「分かってるから、話さないで」

「『無敗でなければ意味はない』」

「――!」

 トァザは動揺している私を叱責するかのごとく断言した。
 その言葉は、過去に私が放った言葉だ。

「……大丈夫だ。セフィ」トァザが血の気のない顔で微笑んでみせた。

「ごめんなさい」

 私はトァザの頬を撫で、気づけば、頬を伝う涙を拭おうともせずにいた。



 『この世は不公平だ。
  霊素も、畑も、
  武器さえも奪われた俺たちにできるのは、
  泣きじゃくることだけか?

  円卓よ我々の声を聞け。
  鼓膜に突き立てる叫び声を。
  円卓よ我々の涙を見ろ。
  瞳に焼き付く正義の涙を』


 五年前。
 幼い頃から叔父マルドゥークの英雄譚を聞かされて育った私は、ジャンヌ=ダルク家の御令嬢だった。
 自他ともに認める技巧への類稀なる才能と、思春期という多感な時期もあって、私は闘技士に魅了されていた。

 ――私もいつかは祖父のような存在になる。

 そう信じて疑わない。
 わがままで、独善的な……はっきり言って誰も手がつけられない問題児だった。

 例年、終戦日を祝して行われる記念式典に私はしぶしぶ参列した。親子で参列しなければならないのは好きじゃなかったけれど、父も母も嫌いだったけれど、祖父の功績を讃える式典に参加するのは嫌いじゃなかった。

 会場で、見慣れない青年を見る。
 ぼろぼろな服、痩せこけた体。身長は私より高いから、年は上なのだろうか。それにしては気弱そうな態度。この場に相応しくない貧相な出で立ちだったが、泣き出しそうな瞳は揺らめく炎のようで……とても美しい緋眼だった。

 ――目の前で、青年の身体は壊れていく。

 脳裏に焼き付く強い光と、熱波。
 降りかかる彼の血液と、骨肉の欠片。

 死ぬかもしれないと思った。
 祖父の英雄譚でしか語られない暴力が私の身に降りかかり、初めて恐怖した。
 しかし、彼の捨て身のテロ行為は私を傷付けることは叶わなかった。
 メディナが身を挺して私を護ってくれていた。

「お怪我はありませんか? セフィ」

「……気安く呼ばないで、平気よメディスン」

 『メディスン』――私の姉だったもの。生前の名前はメディナだった。
 姉は生まれつき体が弱くて、いつも父と母から愛されていた。……結局死んでからも父の闘技士として生き続け、姉のように振る舞い両親からの寵愛を一身に受ける。
 もう、死んだくせに……。

「いいわ、私のことは大丈夫。……それよりさ、あの死体、私が貰っていい?」



 三年前。

「いい? この世界に神なんていないし、天国なんてない。そもそもあなたは死んでんの。ここがあなたの『あの世』なわけ。わかった?」

 祖父の威光を追いかけこの世の全てを平らげる程の強さを求めるセフィリアの地獄のような試作開発の実験体となった俺は、幾度となく肉体を切り刻まれた。
 四肢はユニット化され、最適化の度に俺の体は技巧に置き換わっていく。
 全身のあらゆる筋肉が黒くコートされると、技巧化されずに残ったのはいよいよ髪と両眼だけとなった。

 彼女は俺よりも幼いのに、自分の意志で未来を描いていた。
 野心があり、救いなんて求めてない。
 『神なんて信じないわ。自分が救いの手になるのだから、信じる神を持ってどうするの?』――それが彼女の信念だった。

 ……俺には、手が届かない存在だ。
 俺はずっと神に縋って生きてきた。貧しい国に生まれ、いつか救われる日を求めて生きていた。

 あの時もそうだった。
 記念式典に紛れ込み、多くの悪しき戦勝国の人間を道連れにしたら、俺の魂は天国で救われると教えられた。この世を(ただ)す行いを神は必ず見ている。そして俺の正義を褒めてくれるのだと。

 日々の中でセフィリアと心を通わせ、俺の中で価値観が変化していくのがわかった。
 彼女のもたらす技巧の痛みは、俺の罪を洗い清める罰だった。
 彼女と共になら、本当の意味で貧しい国を救えるかもしれない。俺が闘技士として、(セフィリア)(つか)いとして円卓に立てば、真の平和が訪れると、信じられる。

 『いい? トァザ。無敗でなければ意味はないの。唯一絶対の力こそが戦争を消し去る抑止力になる。それこそ神話級の、平和を司る神になれる』

 セフィが求めるのなら、俺はどんな痛みにだって耐えてみせる。

 ……ある時、セフィリアはザルバニトーという兵装を作り上げた。
 俺にはよくわからないが『最終兵装』というらしい。
 祖父に比類するために必要な力だと、彼女は嬉しそうに語った。

「さあ、耐えてみせてね。トァザ」

 ザルバニトーと呼ばれる技巧の四肢を接続し、俺は寝台に縛り付けられ固定される。全身には針や吸着性の計器コードを取り付けられ、俺の心拍や脳波、その他あらゆる身体反応がモニターされる。

 新しい技巧を試すことはこれまでもいくつかあった。
 だが、この四肢はこれまでのどれよりも容赦がなかった。

 セフィリアが外部接続されたレバーを降ろし、起動スイッチを押すと、補助脳に格納されていた霊素が俺の体内に循環するのがわかる。
 異変はすぐに起こった。

「……っ、ぐ、ぁ――」

 耐え難い激痛に俺は身悶えする。纏わりつく計器を取払いたい衝動に駆られるが、神経遮断された四肢は応えない。
 それでも俺の背筋は跳ね、何度も寝台に頭を叩きつける。正気を保てそうにない。そう思った。

「ぐあああぁぁぁ!」

 まるで、溶けた鉄を体に流し込まれているみたいだった。全身にどれだけ力を込めても堪えられるものではない。歯を食いしばることもできず、ひたすらに絶叫する。

「越えてみせなさい。トァザ
 ……貴方は私の闘技士。最高傑作の極致に辿り着くべきなの」

 『無敗でなければ意味はない』
 『唯一絶対の力こそが戦争を消し去る抑止力になる』
 『無敗でなければ』……『無敗でなければ』――

 耳に届く彼女の言葉を、何度も何度も繰り返す。自分を見失わないために、正気を保つために。

 セフィリアは計器を確認し、操作盤の一つを捻った。何かしらのレベルを一段上げたのがわかる。全身にかかる負荷が増し、残り僅かな俺の精神を肉体から追い出さんと責め立てた。

 強大な力、飲み込めない痛みを押し付けられ、俺は涙も涎も流れっぱなしだった。
 俺の生まれ持ったあらゆる属性は剥ぎ取られ、血管に溶岩が流れ込んで皮膚は雷で出来ていた。

「うああぁぁぁっ!」

 呻き苦しむ俺をセフィリアは無感動に見つめる。まだ行けるはずだと視線が語りかけるが、応える余裕はない。

「神、さまっ、……ぐああぁぁぁ!」

「神様なんていないのよ。あなたがそうなるしかないの」

 俺の絶叫を涼しく聞き流し、セフィリアは言う。

「助けて……、助けて! セフィ――!!」

 バン。と、彼女は緊急停止に拳を叩きつけた。
 スイッチ一つで俺は痛みから開放される。全身が焼け焦げた臭いがして、頬を伝う涙が蒸発した。

 全身が引き攣って、俺の体じゃないみたいだ。
 俺は咽び泣いて、許しを請うようにセフィリアに謝罪を繰り返す。

「……ここが、限界みたいね」

 そう言って、セフィは俺を抱き締める。

 ……こうして、自分の体さえも灼いてしまう最終兵装(ザルバニトー)は封印された。



 第二戦後、技巧整備士(セコンド)席にて。

「ザルバニトーを使おう……セフィ……」

 覚悟を決めた表情で、トァザは言った。

「……でも、あれは封印したはず……」

 私は戸惑いを隠せず、トァザに問いかける。
 トァザは横目に私を見て、言った。

「……封印場所を忘れたのか?」

「……!」

 円卓だ。
 あの時、私は自身の作り上げた最終兵装を封印した。
 誰の手も届かない場所――私の兵装を保管するにふさわしい場所は、円卓以外にないと、封印したのだ。

 壊れたトァザの四肢に、替えはある……!

「で、でも! ……レギュレーションチェックをしてない!」

 トァザは口角を微かに吊り上げる。

「……居なかっただろ……レギュレーションチェック」

「まさか……!?」

 トァザは顎で方向を示す。
 整備士達が持ち込んできた私の技巧の山、事前申請を通過したケースの中に混じって、古びたトランクが置かれていた。

「お守りみたいなもんだ……ここにきてまさか役に立つとは」

「耐えられるわけない――」

「俺は覚悟を決めたぞ。セフィはどうなんだ……!」トァザは語気を強めて叱責する。「アンダー・アーロンは俺たちの過去だ。振り払うべき過去なんだ」

「過去……?」

「そうだ。強さのみに囚われていた昔のセフィであり、俺の昔のトラウマ。それがアイツなんだ。
 必ず倒す。俺にもう一度、神器を授けてくれ」

「トァザ……」

 私達は、どうしたってこの戦争を勝たなければならない。

 ――涙を拭い、頬を打った。迷いを振り払うように。

 そして私は宣言する。

「最終兵装『ザルバニトー』を使用します」

 人工筋肉の接続を外すようにと続けざまに整備士達に指示をして、第三戦に備え交換の用意を整えた。
 トァザの食い千切られた技巧を交換するため、迅速に作業へ取り掛かる。

「ごめん……耐えてみせて、トァザ」

 仰向けに寝かされたトァザは目を閉じ、頷く。

「大丈夫だ。今の俺達になら出来る。
 この状況を打開するのは、俺達だけだ。……俺達だけ」

 闘技士と技巧整備士。
 トァザと私でなければ、この戦争は止められない。

 私は覚悟を決めて『円卓』に三時間のテクニカルタイムアウトを申請した。

10:午後の『円卓』Ⅲ

 『円卓』はラザンノーチス技巧整備士の申請した三時間のテクニカルタイムアウトを了承した。

 テクニカルタイムアウトとは。
 円卓での第二戦後に各国代表の整備士が一度だけ申請できる施術時間である。但し、申請は一度だけ、その上次の戦闘(第三戦)で勝ちを収めなければその次の戦闘(第四戦)で霊素補給不可のペナルティが課せられる。なにより、この時間で敵国も技巧を仕上げる猶予が手に入る。
 つまり先に申請した国がペナルティを背負うため、本来は我慢比べの駆け引きが伴うものだ。私達は第三戦でティカを破壊しなければ敗戦が確定するだろう。
 それでも、今の私達には他の手段はなかった。ここで申請しなければ第三戦すら望めない。戦闘不能と判断されて敗戦となる。

 円卓から流れるラザンノーチスのテクニカルタイムアウト申請のアナウンスに、ラバニスの嘲笑とブーイングが響き渡る。『悪足掻きはよせ』、『潔く負けを認めろ』と、悪口が耳に届いた。

 確かに悪足掻きだ。
 だけど、潔く負けを認める訳にはいかない。

 辛酸を浴びせられる思いだが悔しがる暇はなかった。漏出する霊素を堰き止める安定剤をトァザに投与すると、補助整備士が腹部二箇所の止血と応急処置を行う。技巧の交換準備は彼らに任せて、私は古びたトランクの中身と対峙する。

 円卓の保管庫に眠っていたトランクは四つ。ずしりと重く、中には金属の塊によって構成されたトァザの手足が収められている。力に魅せられた当時の私が生み出した兵器は、軽量化を軽んじていたのだと実感する。強さに固執して、なんにも見えていなかったのね……。

 ――久しぶり、ザルバニトー……。

 私が生み出した、最も手に負えない問題児。

 今の状況では、トァザの四肢をスペアに取り替えた所で勝利はない。それはわかっている。かといって、最終兵装を上手く扱えるかは未知数だ。いや、どうだろう……トァザに接続した後で起動する保証はない。

 私はトランクを開け、重い右腕を引きずり出す。ダークグレーの緩衝材にすっぽりと収められたその腕は炭のように黒く、鈍い光沢がある。トロリークレーンで吊り上げ、作業台に移すと台が軋んだ。見た目は人間の腕一本。その重量は想像以上だ。
 額に汗を滲ませて換装用ハンガーまで運ぶと、固定具に各部を接続した。これをあと三回、左腕と両足分繰り返す。

 頭の中ではこの後の施術をイメージしようとするが、不安ばかりが膨らんでいく。

 どうしたって賭け勝負……私達が負けてしまえば、どうなるのだろう――ふと、そんな考えが頭をよぎる。

 開戦前に見せたアンダー・アーロンの視線……品定めをするような、じっとりとした性的な眼差しが、私の恐怖をより具体的なものにした。
 この戦争であの男はティカを使い潰し、勝利を収める。
 そして敗戦国から次の闘技士となる素材を調達し、他の国に戦争をふっかける。
 円卓に立つのは……身体を弄りまわされ闘技士となった私……。

 ティカ・ペネロレッタと同じ運命を辿り、トァザはきっとこの世にいない……考えるだけで背中が粟立つ。そんな未来はごめんだった。

 『そんな未来はごめん』……?
 私がそんなことを言えるのだろうか?
 整備士である私だって、トァザの体を散々弄ってきたじゃないか。

 ――ダメだ。
 私は首を振る。
 ――そんな自問自答がしたいんじゃない。

 ザルバニトーに換装する。これは決定だ。その後に起きるであろう問題、トァザとの親和性の調節をクリアしないと。

 過去にトァザと接続した時、ザルバニトーは装着者を灼き尽くす勢いだった。兵装の補助脳に格納した高エネルギー化された霊素が、どうしてもトァザ自身を傷付けてしまう。何か最適化の目処はあるかと知恵を搾るが、今の私から見ても改善案が思い浮かばない。
 破壊と美を兼ね備えた、ザルバニトーは最高傑作の中の最高傑作だ。

 なら、今回も結局トァザに適合できないかもしれない……それならやはり、スペアの四肢で挑んだ方がいいのではないか……? それで勝てるのか……?

 私の指先はまた温度を下げる。行き詰まった思考は鈍ってしまう。

 ……スペアの技巧の方が安定しているけど、ティカに勝てる見込みがない。トァザだってザルバニトーへの換装を望んでる……あぁ、もう……!

「クソッ……っ! クソッ! クソッ! クソッ! ……泣き言を言うな、セフィリア・アストレア!!」

 私は自責の念に思わず叫ぶ。
 不安は消えないが、気休めでもいい。
 奮い立たせないと泣きたくなる。
 糸口はあるはずだ……私は換装用ハンガーに固定されたザルバニトーの右腕で拳を作り、私の頭を殴らせる。

 私を赦してくれるような痛みが必要だった。
 悩みを忘れさせてくれるような、人の形を失うほどの罰をつい求めてしまう。
 この世界に神なんていないと、私は知っているはずなのに。

「……人の形を、失う……?」

 私は何か重要な見落としに気付いたような気がして、トァザを見つめる。

「この世界に神はいない……そうだ……」

 トァザは四肢を取り外され、輸血も完了している。霊素安定剤によって意識はないが、顔色はすっかり良くなっていた。

 闘う意志を無くしたら、技巧整備士は勤まらない。
 国家の戦争を引き受ける技巧整備士と闘技士は切り離せない二人組(ツーマンセル)だ。

 トァザは無敗の誓いのために全てを(なげう)った。
 私は……無敗の誓いのために何を捨てる?



 二時間経過。
 ラザンノーチス側セコンド席では、一心不乱にザルバニトーを分解する私がいた――第三戦まで、あと一時間。

「補助整備士は、ザルバニトーの四肢それぞれの兵装基盤に動的磁器ケーブルを装着してください。各自、装着できたら私に伝えて」

 私の指示に整備士達は頷き、急いで作業に取りかかる。
 その一方で私自身はトァザの第七頸椎に埋め込まれた補助脳を取り外して、霊素複製装置に接続した。次に、元々用意していたトランクを開けスペアの技巧四肢、両腕と両脚を全て分解し始める。

 いよいよセコンド席の床は足の踏み場もない程に部品が散らばり始めた。血液やオイルが辺りを汚して、そこかしこに人の肉片が転がる。陰惨な殺人現場の様相だ。

「セ、セフィリア・アストレア……! これから分解するんですか……!? 間に合わないですよ!!」

 準備してきた全てのスペアを手当たり次第に壊していく私を見て、さすがの補助整備士も驚き、正気を疑う。

「そんなことわかってる……! それでも可能性はこれしか無い……。
 最後の、最後の敗戦のカウントギリギリまでには間に合うように力を貸して……!」

 もとより間に合うなんて思っていない。私はただの人間だ。技巧整備士なんていう役職について、神に近い人間なのだと思い上がった事もある。

 おかしな話だ。その時の失敗作、力に溺れた当時の私そのもののような問題児が、今になって必要になるなんて。
 でも、過去を乗り越えるには、まず向き合わなくちゃいけないの。
 分解して、見つめなおして、整理して繋ぎなおす……。

 ザルバニトー……ねぇお願い。力を貸して――!

 私は祈りながら全ての分解を終える。そしてワイヤーの神経束を途中から切り取り、スペアの四肢側、ワイヤー神経束に接続する。組み立て方は頭の中にしか無いので、技巧整備士達に口頭で指示を出すことは出来ない。

 なので私が右腕を再構成している間、可能な限り私と同じ術式(オペ)を左腕に行うようにお願いした。わからない部分、見逃した手順はその場で私が対応する。骨格(フレーム)の組み立てが終わると、整備士はその形状を眺めて息を呑む。ありあわせの部品から、トァザの技巧を再構成していったのだ。

 私は人工筋肉の移植を丸投げし、右腕を整備士に託す。

 ――大丈夫。残り時間36分。

 焦りからかセコンド席は浅い呼吸音が響く。国家の命運が、残り36分に賭けられている。
 まだザルバニトーの両足の組み立て作業がまるまる残されている。

「ザルバニトーの右腕が完成しました……!」整備士が震える声で報告する。「でも……本当にこれであっていますか……?」

 自身のない声に私は作業の手を止めて、完成したという右腕を一瞥する。

「ありがとう、……手が空いてる補助整備士は右腕をトァザに接続して。仮接続でいいわ、最終接続は私が行います」

「り、了解……!」

 整備士が不安がるもの無理はない。設計図の無い土壇場の悪足掻(アドリブ)き、こんな無茶によく付いて来てくれている。

「セフィリアさん、兵装基盤に動的磁器ゲーブルを接続しました!」

「四つ? 全て完了したのね? 補助整備士同士でダブルチェックして。四つ全て」

 私は右脚の組み立てを中断し、同時進行していた霊素複製装置を確認する。モニターに表示されたステータスは問題なく完了(Complete)の文字が映されている。トァザの霊素も私に協力してくれているのだと信じて、気を引き締める。

「各補助脳をこちらに交換して、ザルバニトーに組み込んで下さい。……あ、あとトァザを起こしてあげて」

「はい……!」

「気をつけて。複製体とトァザ本人の補助脳を間違えないように確認して、刻字で見分けがつくから」

 補助脳を整備士に手渡し、再び右脚の分解を始める。残り時間24分。間に合え……、間に合え……!

 右脚の技巧も同じようにワイヤーの神経束の取り替えと、人工筋肉の交換をして組み立て直す。当然この術式も鏡写しのように左脚を整備士達が担当した。

「右脚出来ました。……仮接続お願い」

 最後に左脚が終わり、仮接続に回す。手の空いた私は息つく暇もなくトァザの右腕に駆け寄り、最終接続を行う。

 筋繊維の配置は脳に叩き込んである。
 私は瞬きも忘れてトァザとザルバニトーを繋いでいく。

 トァザは少し朦朧としているが、再起動して目が覚めていた。

「……セフィ……どんな感じだ……?」

「やれることはやってるけど、とにかく時間がないわ……!」

 トァザは円卓のモニターを見上げ、メディカルタイムアウトの残り時間を見つめる。

「……ぶっつけ本番だな。……大丈夫。俺はセフィを信じてる」

「いえ……」ちらりとだけトァザの目を見る。「私がトァザを信じてる」

 左腕、右脚、左脚……残り時間3分。やはり時間はオーバーする……! 敗戦までのカウントダウンを含めても、もう猶予はない。

「複製完了した四つの補助脳はザルバニトーに接続した? ……了解。」私はトァザに向き合う。「ぶっつけ本番……! ザルバニトー神経接続開始……!」

 私は外部接続されたレバーを下ろすと同時、円卓からはアナウンスが響いた。

 『メカニックタイムアウト、三時間が経過しました。これより第三戦を開戦致します』

 全ての施術は完了した。しかし、ここからが正念場だ。

 ザルバニトーから流れ込む霊素の流入によりトァザは強制的に気絶した。……定着するまでは起きないだろう。少なくともバイタルに乖離反応の兆候はない。

 今行った施術では、トァザの補助脳の『摘出』・『複製』・『接続』を行った。これはザルバニトーに格納された霊素の同期率を底上げするための術式だ。
 そしてザルバニトー側には『分解』と『再解釈』。を……それによりザルバニトーは、いや、トァザは人の姿から外れてしまった。

 トァザは無敗の誓いのために全てを(なげう)った。
 私は無敗の誓いのために、プライドと美意識を捨てた。

 私は完璧を諦めた。
 私の思い描いた最高傑作にトァザを同調させるのではなく、トァザに合わせてザルバニトーのスペックを落とし、あえて不完全なものにした。トァザにかかる負荷は大幅に軽減するはずだ。そのかわり、兵装の攻撃力も落ちている。……勝てるかどうかは、彼次第だ。

 大丈夫。私は心の中で唱える。トァザを信じる。

 ここからが正念場。
 やることは全てやった。後は適合することを祈るだけ。

 円卓の観客席は不審なざわめきが溢れ出す。ラザンノーチス側の闘技士が一向に姿を現さないからだ。

 私はドローンに見つめられ、モニターに映される。目を閉じて、トァザを待つ。

 円卓に現状を伝えることは出来ない。もし、トァザの施術は終了していること。その上でトァザの霊素が安定するまで時間がかかることを伝えてしまえば、円卓は現時点を持ってラザンノーチスの闘技士が戦闘不可能であると判断するだろう。

 目を開き、リングを睨む。
 禍々しい最終兵装(スキュラ)の砲口をこちらに向けて、ティカは静止している。

 私は懐中時計を握りしめて祈る。

 ――お願い……トァザ……!!



 『第六国家ラザンノーチスの闘技士トァザに通告します』

 『直ちにリングに現れない場合、第三戦は戦闘続行不能であると判断します』

 『その時点で第六国家ラザンノーチスの敗戦が決定いたします』

 私は後ろを振り返る。
 トァザは未だ昏昏としていた。

 『10カウント、開始』

 モニターが暗転し、無情にもカウントダウンは始まった。
 ラザンノーチスの客席からがなり声が飛んでくる。一方で敗戦を悲観した発狂が混ざって耳に届く。

 …9、…8、…7、…6、……。

 補助整備士はプレッシャーに耐え切れず、気を失って倒れた。仲間がうろたえながらも肩を支える。皆唇まで真っ青だ。きっと私も同じ顔をしているだろう。

 ラバニス側の観客席が責め立てるようにカウントダウンを数え始めた。ラザンノーチスの技巧整備士席(セコンド)で、私の脚が震えている。

 負けてしまうの……?
 お願い、起きて……!
 
…5、…4、…3、…2、…1、……――

11:第三戦

「うおおおぉぉぉ――!」

 円卓に咆哮が響き渡る。トァザの声だ。

 ラザンノーチスからは安堵の歓声が上がり、ラバニスからは嘆息とブーイングが巻き起こる。

 トァザはセコンド席から飛び出し、リングに躍り出た。
 モニターのカウントは00:00.63で止まっている。間に合った!

 銀髪を掻き分け、天を衝く角が生え揃う。これは意図した技巧ではなく、補助脳同士の統制を取るためのセンサーにトァザの霊素が循環したものだ。

 体躯は肉体美を脱ぎ捨て、技巧によって歪められている。
 腕は長く引き伸ばされ、前腕に至っては通常の人体比率の1.5倍はあるだろうか。節くれ立つ五指に至るまで、その異形の比率は続いている。その姿はまるで翼のようだった。

 一方で、大柄な上半身を支える脚もまたザルバニトーに置き換えられている。いっそう(たくま)しくなった両足は獅子のようで、ただ仁王立ちをしているだけでも威風堂々たる出で立ちだった。

 四肢は炭のように黒々としているが、排熱によって芯から赤く仄明るい。ザルバニトーの骨格(フレーム)から伝わる灼熱が、外部筋繊維の隙間から荒く息をするように火を噴き、しゅうしゅうと音を立てている。触れるもの全てを切り裂くかのように皮膚は帯電し、(いかづち)が鋭く駆け巡っていた。

 ザルバニトーは破壊衝動の権化だ。秩序なく暴れて狂う暴君を、トァザはこの制御してみせた。

 ――ザルバニトーが、起動している……!

 私は確かに見届けて、緊張の糸が解けた。
 椅子に倒れこむ背を、補助整備士が支える。そのままトァザを見つめた。

 円卓にいた誰もが圧倒された。
 切り替わったモニターに映るアーロンの姿は、貼り付けていた笑みが剥がれていた。

「トァザ……っ」

 本当に、負けてしまうんじゃないかと怖かった。
 もう、涙が止まらなかった。

「すまない。心配をかけた」

 トァザの声が円卓に響く。

「補助脳が増えたせいで、自分の意識を統一するのに時間がかかった……だが、セフィの祈りが聞こえたんだ。みんなの祈りも……」

「いいの、いいのよ……ありがとう」

 防壁に遮音されているので声が届いているはずがなかったのだが、トァザは応える。

「きっと俺の霊素が円卓に拡散したんだろう……お前の声も、確かに聞いたぞ――」

 言葉はティカに向けられる。

「――『殺してくれ』と、そう言ったな」

 トァザはザルバニトーを構える。

「ティカ。死してなお肉体に魂を閉じ込められ、アーロンに尊厳を犯されている。そうなんだな……?」

 猟犬の上に鎮座しているティカには最早トァザが見えていないようだった。
 石像のように白く濁った瞳に、涙の跡が一筋光る。

「俺は、救わなければならない……世界も、お前も!」

 トァザの覚悟が円卓に響き、それに応えるように円卓はアナウンスを開始した。

 『現時刻より、第六国家ラザンノーチス対、第八国家ラバニスの第三戦を開戦致します』



 トァザの霊素は、彼の頭蓋に収められた技巧による人工脳と第七頸椎の補助脳、そしてザルバニトーの四肢にそれぞれ一つずつ。計六つに分散されている。

――この問題児(ザルバニトー)の現状の課題は、霊素の意識統一の難しさだった。そもそもこの兵装は、人の姿を維持しながら身体能力を底上げするために、様々な生物から抽出した情動アルゴリズムを取り込んでいる。その結果、身体駆動系の飛躍的な改善を狙ったのだ。

 肉体(ハードウェア)はそのままに、精神(ソフトウェア)を強化する。
 このコンセプトで私が作ろうとしたのは――人の形をした怪物だった。

 当時の私は、闘技士を人の姿に収めることに美しさを見出していた。しかし、その負担を無理矢理トァザに押し付けた結果、彼には乖離症状が現れた。ザルバニトーに格納していた補助脳がトァザの意識を侵食してしまったのだ。

 テクニカルタイムアウトの三時間で行ったのは、解釈の反転。
 ザルバニトー側の補助脳にトァザの情動アルゴリズムを複製し、反対に技巧のフォルムを動物的な骨格構造へと組み直した。精神(ソフトウェア)はそのままに、肉体(ハードウェア)を変化させたのだ。

 私のくだらない美意識を捨て、人の形を逸脱することでトァザとザルバニトーが調和した。

 何より――トァザに宿る強い意志。
 補助脳がいくつあろうとも目的はただ一つ。

 アーロンの野望を打ち砕き、ティカを救い出す。
 その揺るぎない闘志がザルバニトーと共鳴している……!

「聞こえてるよな。セフィ……俺はここに誓う」

 トァザの声はスピーカーを経由して私に届く。

「俺は、決して負けない……! 無敗のトァザだ!!」

 観客席は熱狂と混乱の渦にあった。
 トァザが勝つのならきっとティカはその命を召し取られるだろう。あるいはティカが第三戦を凌いだのなら、トァザは次の戦闘に霊素の補給は行えない。必ず敗戦する。
 円卓に集う全ての人間の未来が、この一戦で決まるのだ。
 誰もが恥も外聞もなく自国の代表に声援を送り、リングは嵐のごとく沸き立っている。

 ――17時。

 視線の先、トァザは立っていた。
 ザルバニトーは絶えず排熱し、鉄火(てっか)した技巧が燐光を放つ。

 一方のティカも、テクニカルタイムアウトの間に最大限の技巧拡張が施されたのだろう。
 彼女の姿は生前の面影を失い、臨界している砲口は溶鉱炉のように光を溢す。

 無敗の闘技士トァザ。最終兵装ザルバニトー。
 悲劇の闘技士ティカ。最終兵装スキュレー。

 観客席が見守る中、両者は超接近戦ひ踏み込んだ。
 力と力の衝突。矛と(かいな)の鍔迫り合い。
 噴出する霊素が質量を持った刃となり、激しい火花が飛び散る。

 衝撃波は防壁を叩き、一瞬だけ許容値を超えた破壊力に罅が生じた。
 しかし、観客は目を逸らすことなく、リングを見つめ続けている。
 ここは戦場……死線なのだ。慄いた者から命を落とす。そう思わせる裂帛(れっぱく)がリングに響く。

 嵐の中で叩きつける暴風雨のように、防壁はリング内の爆発を受け止め、戦況を観客席へ伝える。闘技士の放つ一撃一撃は見守る国民の臓腑を揺らし、あらゆる兵器を凌駕する威力で放たれている。

 弾けるように間合いが開いた瞬間、ティカは猟犬の本能に任せて素早く突進する。
 トァザはそれを受け流したか、通り過ぎざまに火花を散らして閃光が瞬いた。
 群れをなす猟犬の陣形が崩れた。一頭が鼻面を溶解されて口から煙を吐いている。

 トァザは雷鳴を轟かせながら、両掌を前に向けて構える。指先にはこそげ取って蕩けた犬の首が握られていた。

「強い……!」私は思わず呟く。

 スペックを落としたはずのザルバニトーが、真価を発揮できている。

 リング上ではティカが指先を向け、熱線を放射する。
 だが、トァザは涼しい顔でそれを弾いた。
 ザルバニトーの装甲はその程度の熱では決して溶けない。

 私は勝ちを確信した。
 ――この時点でザルバニトーは未だ最終兵装を展開していない。

 ティカは両手で構え、指先を一点に集中させて熱線を束ねた。威力は増大し、リング内の空気がプラズマ化し始める。それでもトァザはザルバニトーの外装で弾いてみせる。一歩、二歩とティカに向かって距離を詰めだした。

「……無駄だ、アンダー・アーロン」

 ティカは大きく息を吸い込むように背を仰け反り、大口を開けた。
 頬の人工皮膚が裂ける。息を吐くように熱線を吐いた。防壁に拡散して戦況が見えなくなる。モニター越しにトァザを追いかける。

 トァザは吐き出された熱線の下を潜って回避していた。
 ティカの視界から姿を消すと一気に懐まで潜り込み、掌底の構えで猟犬の首を掴んだ。
 技巧に宿る灼熱で装甲を溶かし、スキュレーの内部フレームを雷による一撃で破断する。

 三頭いる猟犬のうち二頭が首を落とされ、ティカはがくんと体勢を崩した。
 たたらを踏んだティカに対してトァザは飛び蹴りを浴びせ防壁に叩きつける!

 防壁は衝撃で大きく(たわ)み、今にも割れそうな悲鳴を上げた。円卓全体に残響が尾を引いて、それに負けない程の歓声がラザンノーチスの観客席から上がる。混ざり合った音の波は巨大な獣の咆哮のようだった。

 ラバニスの侵略を拒むトァザの意思は、ザルバニトーに補助脳に増幅されて確固たる闘志となる。

「セフィ……最終兵装を起動する」

 トァザならティカを救える――私は神に祈り捧げるように指を折り重ねて見守った。

「ザルバニトー……展開……!」

 宣言に呼応するように、技巧の四肢が一層強く燐光を放ち、積層構造の外装が多重展開される。
 隙間から噴き出す排熱に光の粒子が混じっている。それはトァザの補助脳に格納している霊素であり、質量を持った二振りの大剣へと変化した。

「なんだと……っ!?」

 アーロンは顔を歪めた。
 その嘆きはティカを通じて、円卓に響く。

「それは……最終兵装か……!」

「だとしたらなんだ」トァザが応える。

「あり得ない……!? あの娘は、ジャンヌ=ダルク家を出て行った出来損ないの技巧整備士だろ……?」

 アーロンは髪を掻きむしり、仮面が落ちる。

「なぜ……なぜ最終兵装を内蔵している………!?」

 私はほくそ笑む。
 大誤算だなアンダー・アーロンめ。

 その通り。私はジャンヌ=ダルク家を出ていった。
 父から才能を否定され、名家の名を捨ててラザンノーチスに流れ着いた。

 齢13歳でトァザを作り上げ、15の頃にはザルバニトーを完成させた。祖父マルドゥークの生まれ変わりを自負し、その才能は父を震え上がらせた。

 天才すぎたのだ。私は。

「「慄いたか………? アンダー・アーロン」」

 私とトァザは指を差し、第二戦で浴びせられた言葉をそっくり返す。

「ラザンノーチスが最終兵装を展開するなど、ありえない! こんな戦争は無効だ……!!」

「先に使ったのは貴様だろう。今さら糾弾できないさ。……ここで終わりだ! アーロン!!」

 トァザは大剣を天へ掲げる。
 猟犬はもがくようにリングを這うが、もはや逃げ場はなかった。スキュレー鎮座するティカはこの時を待っていたかのように、掲げられた大剣を見上げていた。

「どうか安らかに……ティカ・ペネロレッタ」

 振り下ろされた剣閃は大きく弧を描いてティカを両断する。激しい燐光がリング全体に爆ぜ、灼熱のザルバニトーが刃に触れたものを全て灰に還していく……。

 私にも少女の声が聴こえた気がした。

 ――あ、りが……とう………。



 『第三戦。第八国家ラバニスの闘技士、ティカ消滅』

 ラバニスの戦闘続行不能は誰の目にも明らかだった。
 リングに立つのはただ一人、トァザだけだ。

 『現時刻をもって『円卓』を終了します』

 こうして長い長い一日が終わり、円卓は終戦を告げる。

 私は口を尖らせ細く長い息を吐くと、複雑な心境で虚空を見つめた。……最後の声は、ティカの声だろうか。きっとそうだろう。
 彼女の『ありがとう』に相応しい整備士なのだろうか、私は。

 日はすっかり傾いて、あれだけ肌を焼いていた陽射しもいつの間にか熱を失っていた。ラバニス側の観客席は酷く落胆した者達が椅子から立てないでいるのがみえる。……安心しなよ、ラザンノーチスはあんたの国より人道的だ。
 私は心のなかで吐き捨てた。

 かくいう私も椅子から起き上がれそうにない。背凭(せもた)れに丸めた背中が隙間なく引っ付いて、お尻には根が生えている。

「お疲れ様でした」補助整備士は満身創痍で壁に背を預けてへたり込んでいた。しかしその表情は明るい。「流石でした」

「こちらこそありがとう……貴方達がいなければ、『無敗神話』は達成できなかったわ」

 技巧整備士席では互いを称賛し合う拍手が響き、闘技士の帰還に一層沸いた。

 トァザは拍手で出迎えられることに目を丸くして、照れたようにはにかんだ。

「……お疲れ様。セフィ。みんな……」

「何、言ってんの……私の台詞よ」

 差し出されたトァザの手。私は指先で温度を確かめて、充分にザルバニトーが冷めていることを確認してからしっかりと握りなおす。手を引かれて立ち上がると、よろけたふりをしてトァザを抱きしめた。

「お疲れ様。格好良かったよ。トァザ」

12(終):ラザンノーチスの技巧士

 激動の『円卓』から一ヶ月が経ち、私の日常は少しずつ落ち着きを取り戻した。
 ここでは少しだけ、私達のその後について紙幅を割こうと思う。

 あの後、ラバニスの代表技巧整備士アンダー・アーロンは戦争犯罪に問われ身柄を拘束された。第七国家ユグドのペネロレッタ一家に対する不正取引きと、正規手続きのないティカの技巧素体化、及び霊素の不正拘束――一連の死者冒涜の罪を問われ、IDEAの資格は即刻剥奪された。

 一方で彼は『トァザの最終兵装展開は不正であり、『円卓』の条約違反である』と指摘した。だが、ラバニス側が先に最終兵装を行使しているため異議申し立てを円卓は拒否。私達のザルバニトー使用は不問となった。実際、トァザが事前申請を通しているし、敗戦にカウントダウンもコンマで間に合っているのでこちらの潔白は当然だ。

 トァザは「戦争屋としての余罪も全て遡及してほしい」と不満顔だったけれど、これだけの罪を上乗せされてしまえばもう二度と会うことはないでしょう。例え生きていたとしても、ラバニス国民が許さない。

 ティカ・ペネロレッタは霊素を完全に喪失。わずかに残された技巧は煤けたガラクタとなり、何も残らなかった。その魂が安らかに眠ることを祈るばかりだ。

 敗戦となった第八国家ラバニスは……国土も民も何一つ奪われなかった。円卓で争点となっていた発展途上の島国の所有権をラザンノーチス領土であると宣言し、呆気なく平和な日々へ戻った。
 ……いや、奪われたものが一つある。ラザンノーチスの権限によってユグドの国土は返還された。アーロンと関わりがあるとされる国のトップ数名は責任を問われ、連日ニュースを騒がせている。

 戦勝を飾るラザンノーチスは、まだしばらくお祭り騒ぎだろう。私とトァザが街に出ると交通機関が麻痺してしまうので外出を控えるようにとまで通達された。

 私としても、しばらく外に出る気はなかった。日傘も持たずに技巧整備士席に居たせいで、おでこが日焼けしてしまったのだ。
 赤くなった額でパパラッチされるなんてごめんだね。

 ……ちなみに、散らかり放題の我が家を探せば日傘はあった。自分で買った覚えがないのでトァザが用意してくれたものだろう。日焼け止めも洗面台の下にクーラント原液タンクと共に保管されていたが、何年ものかわからないので使わなくて正解だ。

 トァザの四肢はザルバニトーから普段のものに戻した。
 あの問題児は日常生活には危険すぎるし、大きな図体では嵩張(かさば)って不便だからだ。

 ――そして、今日。

 第六国家ラザンノーチス国王ガストー=ソル・ホーエンハイムの宮殿にて、この私セフィリア・アストレアは戦勝の誉れに預り、招集された。
 そこには現最高技巧整備士団の団長ブラッドレイ・ジャンヌ=ダルクも同席している。

 あの日開戦告知に名を連ねた二人から、功績を認められたのだ。
 久しぶりの父との再開だった。

 ――緊張するなぁ……。

 滅多に着ないドレスにめいっぱい腰を絞られ、猫背を伸ばされた私は少しだけ息が苦しい。

 会場では、それはもう盛大なパーティーが開かれていた。私達の活躍に国が総出でお祝いしてくれているのだ。きっと宮殿の外でも街の皆が浮かれているだろう。私は市井の街並みを想像した。顔見知りの街の人達の笑顔が思い浮かぶと、私もつられて顔がほころぶ。……今度こそ、晴れた日に買い物に出掛けたいものだ。洗濯物と部屋の掃除はトァザに押し付けてしまおう。

「……久しぶりだな」

 その声は――と振り返る。
 ブラッドレイ・ジャンヌ=ダルク。
 私の才能を否定した父親。

「元気そうで、何よりだ。セフィリア」

「えぇ。お父様」

 笑顔を取り繕ってにこやかに答えた。
 薄っぺらい笑顔を自覚して、なんだかアーロンみたいだな、なんて思ったりする。

「結局お前を技巧から切り離すことはできなかった。少し残念だよ」

 父の冷たい物言いに私は皮肉を返す。

「『蛙の子は蛙』ですわね。それとも、『鳶が鷹を生む』の方がよろしいかしら」

「蛙が似合いだろう。お前は大海を知らないからな……」

 私は皮肉を返されて笑顔が強張る。
 父は構わず続ける。

「『十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人』だ。屋敷にいた頃と比べ、腕が落ちたな」

 言葉から滲む圧力。
 相変わらず私の才能をあまり歓迎していない事をひしひしと感じるが、私はもうあの頃とは違う。

「そうかもしれませんね」私は両手を胸元に合わせて瞳を伏せ、同意してみせた。「きっと、諦めることも大切でしょうね……」

「……お前には――」

「ですが」畳み掛けようとした父を制す。「私が鳶だとしても、いえ、井の中の蛙だったとしても、トァザがいます。彼は立派な鷹よ」

 父は私を憐れむような顔をした。
 昔からそうだった。私が才能を褒めて欲しいとき、なぜか父はこんな表情をする。

「……本当は、お前が鷹を生み出すだろうとわかっていた」

「え――」

 父は私の肩に手を置き、真剣な顔で言う。
 初めて見る表情だった。

「いつか私の思いを理解する時が来る。屍を解剖し、技巧を生み出す神童など認める親がいると思うか?」

 私はその手を取り、握り返す。

「認めさせてみせますわお父様。私が跳ねっ返りなのはご存じでしょう?」

「セフィリア……」

「ご機嫌よう。(ママ)とメディナによろしく」

 そう言って父に微笑むと、振り返らずにその場を立ち去る。
 その先に私を待つトァザを見つけ、その手を握る。

 父の真意は理解した。
 この世界はまだ混迷の中にある。激化していくであろう『円卓』の渦中(リング)に娘を巻き込みたくないのだろう。だから父は私の才能を歓迎しないのだ。

 けれど、これは私の人生だ。

「……いいのか? 親父さんなんだろう?」

 トァザは不安そうに言った。折角の再開なのに剣呑な口喧嘩を交わして別れたのだから、不安に思う気持ちもわかる。でも心配はいらない。

「いいの。……それよりさ、トァザ」私は気分を切り替えていたずらっぽく笑う。「|踊り《Shall》|ま《 we》|しょ《 dance》?」

 そう言って手を引いてみせると、トァザはもう足を(もつ)れさせた。

「踊りは苦手だ」

「ふふ、知ってる」

 いじめるのは程々に、改めて手を繋ぐ。

 ――この先の未来も、トァザと共に切り拓く。

 私は最高技巧整備士団IDEAのメンバー。
 セフィリア・アストレア。
 第六国家ラザンノーチスを代表する闘技士トァザの専属技巧整備士だ。


                ――完――

世界観設定やキャラクターなど設定資料まとめ

❖世界観

【大霊戦争までの流れ】
 神話上の出来事『災禍戦争』。(最後の異世界転生譚)
 近代で勃発した『妖精戦争』。(岐の迷境踏破譚)
 そして、現代で起こった世界大戦が、『大霊戦争』となる。

 近代の妖精戦争終結後に魔呪術(マギカ)が廃れ、科学という新しい技術が世界を牽引した。
 この世界を満たす霊素は真鉱石に代わる燃料として利用された。科学技術は魔呪術の才覚がなくとも万人が使える。革新的な文明の利器である。世は大霊素革命時代へ突入。

 しかし霊素は掘り尽くされ、枯渇危機に陥る。
 そして世界は国家間を跨ぐ大規模な戦争へ突入した。これが初の世界大戦、大霊戦争である。

 その戦争は30年間に渡り、リンゴを齧るような速さで星は抉られ続けた。
 悲しいことに人の死体から霊素は取り出され、死者数に比例して燃料は潤沢となる。
 戦争は正義を失い、貴族は貧民を殺し、貧民が貴族を殺す。無秩序な革命――世界は混沌に包まれた。

 マルドゥークが戦争を終結させたのは70年前。
 大陸が抉られ、地図が意味を成さなくなり、この星は約300の島の集まりとなった。

 当時、武器商人であり戦時下に戦略技術局長として徴兵されたマルドゥークは事態を憂い、秘密裏に新兵器を開発。
 資源に乏しいため、容易に入手できる遺体を素体とした兵器製造の技術『技巧』を確立。
 技巧により生み出された『闘技士』は、自国も含めたあらゆる軍を壊滅させた。

 彼が独断で行ったのはクーデターに他ならないが、歴史というものは勝者が作るものだ。
 新世界秩序が打ち立てた彼を糾弾できるものはいなかった。

 国土は海原に浮かぶ島ばかり。
 それぞれの島がどの国に所属するのかも曖昧なまま貿易船団が行き交うようになった終戦後、マルドゥークは『円卓』を建設。戦争の残り火を消して回った――これが技巧整備士団の前身である。

 終戦と平和の象徴となる円卓に賛同する国が手を取り合い、今後の戦争は闘技士によって行われる形になった。

 『あらゆる軍備を円卓は認めない。これは、あまりにも多すぎる犠牲と混沌への戒めだ』

 そして50年後(本編の20年前)。
 平和記念式典にて、マルドゥークは第一線から退く意思表明の引退演説と、意志を継ぐ者達からなる『最高技巧整備士団IDEA(Illuminated Dexterity Experts Association)』の設立が語られた。
 これから先、争うことがあるならば、円卓に認められた代表者による代理戦争の形をとることが決定した。

 "Illuminated Dexterity Experts Association (IDEA)"は、「世界で最高レベルの技巧を作り出す者の集団」という意味を持つ。

 Illuminated ――知識。洞察力。
 Dexterity  ――器用、巧妙。
 Experts   ――専門家、熟練者。
 Association ――集団、協会。

 55年後(本編の15年前)。
 マルドゥーク死去。
 世界はその死を悼んだ。
 団長であり息子であるブラッドレイは葬儀を執り行い、マルドゥーク無き世界でも混沌の萌芽を摘み取る力を発揮した。

 65年後(本編の5年前)。
 セフィリアは13歳。幼い頃から叔父の英雄譚を聞かされ育った御令嬢だった。
 そして技巧への類稀なる才能、思春期もあって強い力に魅了されていた。はっきり言って誰も手がつけられない問題児だった。

 例年行われる記念式典に参列。
 会場で自爆テロを敢行する青年トァザと出会う。
 少女にとって始めて生で見る暴力だった。戦争とは憧れてはいけないものだと気付く。

 67年後(本編の3年前)。
 セフィリアは家を出て単身で技巧を学ぶ。
 自分の才能はひけらかすための飾りじゃない。叔父に憧れているのなら、意志を継ぐ、覚悟と実力が必要だった。
 新しい技巧を求め国を転々としながら、トァザの遺体を素材とした闘技士を制作。ブラッシュアップを繰り返す。
 強い技巧を作るという執念に取り憑かれていたセフィリアは、テロという間違った力の在り方を憎んでいた。
 叔父が達成した絶対の力……その抑止力による平和を維持することがフィリアの目標だった。


【トァザとセフィリア】
 マルドゥークが戦争を強制的に終結させたため、戦勝国と敗戦国の禍根は残り続けている。
 人口も資源も枯渇している国で生まれ育ったトァザは親も知らず、テロ組織の中で育ち、自爆テロを行い死亡。

 闘技士として生き返ると、事態が飲み込めずセフィリアに襲いかかる。
 一人でも多く道連れにして死ぬことで、天国へ行けると、神に愛されると聞かされ育ったのだ。

 セフィリアは技巧を停止させてトァザを落ち着かせると、無神論者の立場からトァザの主張を一蹴する。
「神はいないし天国なんてない。そもそもあなたは死んでここにいるの。ここがあなたの『あの世』なの」

 そして、強さを求めるセフィリアの、地獄のような技巧試作開発の実験台となった。
 身を焦がす痛みと、授けられる超常の力。
 日々の中でセフィリアと心を通わせ、価値観は次第に変化していく。
 彼女と共になら、貧しい国だって救えるかもしれないと、本当の平和が訪れると信じられるようになった。

 セフィリアはザルバニトーを作り上げるが、その強大な力を制御できなかった。
 呻き苦しむトァザの姿に心が痛み、己の限界を感じてしまう。
 装備した闘技士さえも灼いてしまう問題児、最終兵装(ザルバニトー)は封印。
 義肢ごと取り替え、安定性の高いものに置き換えた。

 研究のための船旅の中でトァザと打ち解け、家を継がずラザンノーチスで最高技巧整備士団資格を取得。

【なぜセフィリアは家を継がないのか】
 セフィリアは技巧整備士になることを父から反対されている。才能を否定され、ただ家の跡継ぎを産むための娘だとされた。
 そして母からも、愛されなかった。

 セフィリアには『メディナ』という姉がいた。まだセフィリアが産まれる前にジャンヌ=ダルク家の一人娘として育てられたが、生まれつき体が弱く、流行病で亡くなってしまう。母マリーは心に穴が空いたようで、セフィリアに対して放任的になっていた。
 家に反抗しているのは、親にかまって欲しい寂しさもあるのかもしれない。

 時系列ではここから本編につながる。


【キャラクター】
セフィリア・アストレア 年齢不詳。23(逆サバで成人のふりをしている。18)。
 ラザンノーチスの技巧整備士。
 無神論者でジャンヌ=ダルク家の娘。
 最高技巧整備士団IDEAに加入前から最終兵装を作り出した驚異の天才だが、父からは才能を否定されている。金髪と白い肌。目を酷使したせいで視力が悪く度のきつい眼鏡が手放せない。
 過去に戦争終結させた叔父マルドゥークの絶対的な強さに憧れ、家柄を誇り、力に固執していたが、少年兵だったトァザの人生を知り、考えを改める。今は、ジャンヌ=ダルク家にいるだけじゃ技巧の未来に発展はないと考え家出を決意。
 姓をアストレアと偽り、実力でラザンノーチスの技巧整備士に登りつめた。

トァザ 年齢25。
 技巧により形作られた肉体美を持つ。
 武器は前腕に仕込まれたパイルバンカーで、拳とともに懐に打ち込む肉弾戦を採る。
 最終兵装はザルバニトー。霊素を実体化させることで二振りの大剣を召喚し、対象を溶断する。
 見た目は青年で肌は黒く髪は白い。瞳は緋眼。
 闘技士になる前は貧しい国で少年兵とは名ばかりのテロ組織に所属していた。
 無神論者のセフィリアが若くして才能を発揮していることにショックを受け、安易に神を語り子供をテロに参加させる洗脳行為になんの救いもないと知る。

アンダー・アーロン 年齢36。
 狂った技巧整備士。
 本来技巧の制作には死体を用いるが、彼は生身である自身の肉体を技巧化して不正強化している。
 ユグド内紛を裏で操り、次はラバニスに加担して世を混沌へと導こうとする。この物語でセフィリアとトァザによって野望は打ち砕かれる。

ティカ・ペネロレッタ 年齢15。
 ユグドの御令嬢であったが、内紛で死にゆく民のためにアーロンに身を捧げた。
 生きたまま技巧化手術を施され、闘技士となった。
 最終兵装は脚が展開する、神話の怪物『スキュラ』のよう。
 フレキシブルな八本脚に狼のレリーフが施された技巧は排熱と銃口。武器は脚の矛。

マルドゥーク・ジャンヌ=ダルク 74歳で逝去。
 最高技巧整備士団IDEAの開祖でありフィリアの叔父。
 国家統一思想のために作られた『円卓』に自身の霊素を秘密裏に保管している。

ケルビム
 マルドゥークが創り出した闘技士。
 多数の軍隊を相手に単騎で殲滅する、圧倒的武力を持つ。
 今は形を変えてマルドゥークと共に『円卓』のレリーフに眠る。

ブラッドレイ・ジャンヌ=ダルク 年齢40。
 セフィリアの父。
 最高技巧整備士団の団長。闘技士であるメディスンはどの国にも加担しない抑止力の役割を担う。

マリー・ジャンヌ=ダルク 年齢39。
 セフィリアの母。
 技巧整備士とは関係なく静かに主婦をしている。
 物語にはあまり出てこない。過去に長女メディナを亡くしている。

メディスン
 ブラッドレイの闘技士。
 マリーとともに家事をこなす、優しい霊素の持ち主。
 最終兵装は感染(インフェクション)。頭部に浮遊しているユニットを相手に飛ばし、メディスンの人格に書き換える。

ラザンノーチスの闘技士

 ライトノベルのようなキャラクター設定、戦闘描写に力を入れてこの物語を書きました。
 改稿前はセフィリアやそれぞれのキャラクターの過去や成長について描ききれなかったのですが、そのあたりも加筆して描写できたので満足です。

 全体的にはとにかく格好良く、血沸き肉踊るライトノベルになるように頑張りました。
 世界観設定も一応連載に耐えられる程度には練ったつもりですが、霊素や技巧の技術面はかなりふわふわしてるので、雰囲気で楽しんで頂けたら幸いです。

ラザンノーチスの闘技士

………時刻は午後13時。抜けるような青空は雲一つなく、ここ数日で一番の快晴。私達は今日、戦争を始める。 メカアクション・ファンタジー。

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • アクション
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-28

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 01:午後の『円卓』Ⅰ
  2. 02:セフィリア・アストレア
  3. 03:トァザ
  4. 04:午後の『円卓』Ⅱ
  5. 05:アンダー・アーロン
  6. 06:開戦演説
  7. 07:第一戦
  8. 08:第二戦
  9. 09:ザルバニトー
  10. 10:午後の『円卓』Ⅲ
  11. 11:第三戦
  12. 12(終):ラザンノーチスの技巧士
  13. 世界観設定やキャラクターなど設定資料まとめ