空を仰げば君がいる

空を仰げば君がいる

 つい最近、日本が生んだ名歌手・西城秀樹(以下・愛称であるヒデキと表記)が歌った名曲「 ブルースカイ ブルー」を聞き直す機会を得た。

 この曲は、ヒデキのヒット曲であるのはもちろんのこと、何年にも亘る闘病の末に死去した際、葬儀で、しかも出棺の時に流された曲でもあり、ヒデキの死去から7年を経た今でも涙なしには聞くことができない歌である。

 最盛期の活躍をリアルタイムで知らない世代ながら、度重なる脳梗塞の再発にも屈せず、不屈の闘志を燃やして懸命にリハビリに励み続けたヒデキの姿は、エンターテイナーという立場を大きく超えて、一人の人間として生きとし生ける者に生きる意味とは何かを深く考えさせた。今思い出してもその姿は健気で涙が滲むものだから、この曲を聞くことは避けていたところがあった。

 その名曲をヒデキの息子である木本慎之介くんがBS日テレで放送されていた歌番組「現役歌王 JAPAN」に出演し、その決勝で歌ったらしい。私はそんなことは全く知らなかったから放送は見ていなかったが、その歌声を聞いてみたくなり早速Youtubeで聞いた。
 彼の第一声は父親のヒデキに瓜二つだった。やはり以前、尾崎豊の息子であり歌手の尾崎裕哉が父のヒット曲である「I LOVE YOU」を歌った時ハッとさせられたが、あの時と同じことを思ったのを思い出した。そう、遺伝子の不思議である。 親子というだけでは授からないものというのが親の才能であったり、顔であったりスタイルであったり、親のいいところ長所であり、似てほしくないところに限って似てしまうのが病弱な体質であったり、困った性格の短所である。しかし、その長所をしっかりと受け継ぐことのできた彼らは、ありきたりだが奇跡と言えるのかもしれない。それを職業に選んだとなれば尚更である。

 話を元に戻す。ウィキペディアによると、この歌を歌った本家のヒデキは当時23歳。作詞をした阿久悠はこの時、「今は分からないだろうけど、大人になったとき、きっとこの詞の意味がわかるよ」と、まだ青年だったヒデキに話したという。それ以外のエピソードとして、この歌は人妻との禁断の愛と別れを描いたもの、はっきり言ってしまえば不倫の歌である。とはいえ、そのものズバリというストレートなものではなかったが、この歌がそんな歌だとはこれを書くに当たり調べるまで、私は露にも思わず聞いていた。
 この歌は少し言い方が悪いが、不倫なんていう俗っぽいものではなく、そんな低次元のものでは決してない。男の一代記、一世一代のロマンというような、それほどのスケールを持った壮大な歌だと思っていた。そう思った理由は、この女性がもう世人ではなく、死ぬまで青年が愛し続けたという風に私が解釈していたからだと思う。
 上記したように、ウィキペディアには人妻との禁断の愛と別れということしか書かれていない。従って、この女性が何歳なのか、今生きているのか死んでいるのかさえ分からない。青年が生涯をかけて愛したのか、歌詞を読んでもその後のことまで書かれていないから、後は聴き手が判断しろということなのだろう。私がそう解釈したとしても何ら問題はあるまい。
 この青年は女性と別れた後、新たな恋をしたのか結婚したのかしないのかそこまでは分からないが、それからだいぶ年をとり、自身が人生の黄昏時を迎えた頃、風の便りでこの女性の死を知ったのではないだろうか。そして、その女性との愛の日々を、無鉄砲で若かった自分を振り返っている歌なのだと、長いことそう思っていた。
 今はもう本当に会えなくなってしまったその女性に思いを馳せて、悲しみに打ちひしがれながら空を仰ぎ、ある意味永久の別れを告げる究極のラブソングであると。
 阿久悠先生が生きていらしたら何とおっしゃるか分からないが、書かれていない歌詞の行間やその後の世界を私はそう解釈している。

 これを歌った慎之介くんの歌であるが、環境としては、当時すでに大スターであったヒデキと、まだキャリアはこれからという差はあるが、この歌を歌った父親のヒデキより2歳若いというだけで、年齢はさほど変わらない。出だしこそ父親のヒデキと聞き間違うほどの酷似はあったが、歌唱スタイルはヒデキとは全く違うものである。
 当時すでに、個性的な歌唱スタイルというものを確立していたヒデキが、この歌の歌詞をどこまで理解して歌っていたかは私には分からないが、溌剌とした清潔感溢れる歌いっぷりであり、レコーディングされた歌唱はあくまで若々しい等身大の青年ヒデキである。しかし、「傷だらけのローラ」で聞かれるような、ヒデキの通常の歌唱スタイルよりは幾分だが、力まずさらっと軽く歌っている印象を受けた。
 リリースから歳月を経たライブパフォーマンスでの歌唱は、ヒデキ自身の人間的な意味での大きな成長と、内面の充足感が歌詞の解釈にも歌声にも表れ始め、歌手として深みが増していく一方だった。古稀を迎えたヒデキの歌唱が聞けなかったのが、返す返すも残念である。

 対照的に、慎之介くんの歌はまだヒデキ以上にこの歌の歌詞の意味を理解できていない、まだまだ青い青年というクセのない爽やかさ溢れる歌唱はある意味、当時のヒデキの感覚と何ら変わらないのではないかと思う。ヒデキ節が炸裂していないレコードでの抑えた歌唱と比較しても、また違った意味で素直で手垢のついていないフレッシュさがあり、それはそれで真っ直ぐで素敵である。まだまだ始まったばかりという印象は否めないが、せっかく親から授かった素晴らしい声があるのだから、ステップアップしていってほしいと願わずにはいられない。

 二世となると、本家の歌を心から愛しているファンからすれば、その歌声にヒデキの面影を見る人、ヒデキのように歌ってほしいと願う人、ヒデキと比べたがる人、それぞれ思うことがあるのは当然である。ただ私は西城秀樹という稀代の名歌手が歌った歌を、その血を分けた息子が歌い継いでくれるのであれば、それを歌い継げるだけの才能がある息子であるならば、ヒデキもこんなに嬉しいことはないのではないかと思っているし、そうなるのが自然の流れだと思っている。 自分の大切な持ち歌であるからこそ、たとえ息子であろうと妥協は許さなかったのではないだろうか。それだからこそ、これから歌の勉強はもちろん人として様々なことを経験し、人間として深みが増せば、自ずと歌に反映されるのではないだろうか。今はこれが精一杯で十分なのかもしれない。

 ヒデキが独自の歌唱スタイルを確立したように、慎之介くんには慎之介くんらしい自分の歌唱スタイルというものを、回り道をしながらでも時間をかけて確立していってほしい。そして、もしこの「ブルースカイ ブルー」のように、ヒデキの他のヒット曲を歌うことがあった時、意識せずに歌った歌声がヒデキに似ているのであれば、どこかのフレーズを歌った時に、歌い回しが気がつかないうちにヒデキになっているのであれば、それはもう二世という次元を超越した、文句のつけようがない持って生まれた彼のものである。血の繋がりがある以上、意識しないで歌う方が意識して歌うよりどれほど困難か、それは本人がよく分かっているのではないかと思う。二世という宿命は彼を生まれた時から包み込んでいる変えようがないものである。だが、そんなものはぶっ壊して、木本慎之介としてこれからも歌って勝負していってほしいと、ヒデキをはじめ誰もが願うところではないだろうか。
 私はヒデキの歌う「ブルースカイ ブルー」も大好きであるし、慎之介くんが歌う「ブルースカイ ブルー」どちらも好きである。親子であることと声が似ているという共通点以外、その歌声には他に何もないのである。もし、あるとすれば1970年代と2020年代という時代の隔たりと、歌を聞いて感動する人間の心の普遍である。

 それにしても、病があったとはいえヒデキは余りにも早い旅立ちであった。生きていたらまだ70歳である。死んだ人間に、「もし」という言葉は使いたくないし考えるだけ愚かな話だが、もし歌を歌えない状況になっていたとしても、稀代の名歌手である必要はない。私たちにとってはさびしいことではあるが、ヒデキには子供たちのために父親として生きて、その成長を見守り時にはアドバイスをするという生き方もあった。
 子供が成長していくのであるから、生活のためのお金が必要で働かなければならないという、父親としての切実な事情もあったと思う。そんな悠長なことは端の者であるから言っていられるのかもしれないが、それでも子供たちの成長を見守るという選択肢があったわけであるから、もっともっと生きて欲しかったと思うのが私の正直な思いである。

 時が経てば経つほど、人は空を仰いで大切な人を思い出す時間が増すものである。空を仰いで思い出す度に泣きたくなる人がいるということは辛いことだが、それはきっと誰よりも幸せな人生であるのかもしれない。

空を仰げば君がいる

2025年9月2日 書き下ろし
2025年9月3日 「note」掲載

空を仰げば君がいる

時が経てば経つほど、人は空を仰いで大切な人を思い出す時間が増すものである。空を仰いで思い出す度に泣きたくなる人がいるということは辛いことだが、それはきっと誰よりも幸せな人生なのかもしれない。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-09-03

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted