【ハロウィンパーティーの招待状(前)】

単行本からWebへと変更にあたり、一部加筆修正。
ともに原案を考えてくれた友に心から感謝を。2025.9

幽霊屋敷

 深い深い樹海の奥、そこは月の明かりも太陽の光も届かない底知れぬ闇に閉ざされた森だ。枝葉は侵入者を拒むよう絡み合い、獣の息遣いのような風が近づいては離れ、木々の隙間を吹き抜ける。やがて視界が開け、一本の道が現れた。人々の往来で踏み潰されできた道ではない。石を敷き詰め舗装されていたであろうその道は、雑草にまみれ、黒ずみ、まるで大地に走った傷痕のように朽ち果てていた。辺りには、幻想的な光の粒が漂っている。蛍のように瞬くが、冷たく、陰鬱で、目を凝らせば森の闇に溶けていった。歩を進めれば進めるほど、やけに背筋に冷気が這い登る。空気そのものが生きているかのように、脚に、肩に纏わりつき、なぜかとても重い。
 やがて、それは古びた屋敷へと繋がった。長い歳月を雨風に晒されながらも威容を保つ佇まいは健在だ。近づいて門を押し開くと、錆びた蝶番が悲鳴をあげた。屋敷には灯りひとつとなく、足元の荒れ果てた草木も、長年誰も足を踏み入れていないことが容易に推測できる。だが、奇妙なことに、屋敷の壁は蔦も蔓も一切貼りついていない。まるで手入れをされているかのような違和感は、あるいは内側から植物すらも近づけない何かがあるのだろうか。
「あ、兄貴、ほんとにここ誰も住んでないんすよね?」
「この有様を見れば分かるだろ」
「ですよね」
 男が二人、屋敷へと歩み寄る。衣服は煤け乱れ、お世辞にも綺麗とはいえない姿だ。兄貴と呼ばれた男が躊躇いなく扉へと手を伸ばす。その背に続くもう一人は、足を止めては動かし、無意識に喉を鳴らした。
 ガチャ……——。
 扉を開くとカビた臭いが鼻を突いた。キィ……と扉の立てた音は小さな悲鳴のように長く、淀んだ空気の向こうへ吸い込まれ、不思議と屋敷の外にも内にも広がっていく。まるで、自分たちの存在を辺りに告げてしまったかのようだった。
「ひぃ……っ……」
 恐る恐る暗がりに一歩踏み入れると、埃と蜘蛛の巣に覆われた光景が目に飛び込んでくる。しかしそれ以上に視線が刺さる。背後から、そして頭上から、屋敷のあちこちの闇から伸びてくる視線のような感覚に、男の心臓は脈打ちを速めた。
 男は目を凝らす。兄貴の肩越しに覗く屋敷の奥は、ただの影にしか見えないのに、そこに得体の知れない何かが潜んでいるようにしか見えない。
「ほんとに……廃屋敷なんすね……」
「その昔、お偉い貴族様が住んでたって話だ。金目のものを探すぞ」
「もったいねぇ、誰も盗りに来ていないなんて」
「見たろ、あの獣道。俺らも来るのに苦労したんだ。それ相応の宝がなけりゃ来ねぇよ」
「そりゃあそうっすね。あの壺とか、埃被ってっけど高そうっすよ。……それにこの床に落ちてる紙も……ボロボロだけど、普通の紙じゃなさそう……年代物っすよ」
 そう言いながら男は玄関に落ちていた紙を拾う。兄貴と呼ばれた男も、拾われた紙を見た。
「文字はかすれて読めないが……手紙だな。いや、勅命書か?」
「勅命書? あの、王族とかが出すやつっすか? なんでこんなとこに?」
「たぶん、この屋敷が王族のものだったんだろ? しらねえけどよ。それより、そんな紙っぺらよりもっと金になりそうなもん探すぞ」
「分かったっす!」
 兄貴と呼ばれた男が、散らばっていた手紙を乱暴に蹴飛ばし投げ捨てる。埃が舞い上がり、黄ばんだ紙片がふわりと宙に浮かんだ。その光景に、もう一人の男は背筋を少し強張らせながらも、従順に頷いた。
 屋敷の奥へ進むと、薄暗い廊下には骨董品が整然と並び、壁には高価そうな絵画、台座には金の彫刻までもが鎮座していた。二人は卑しい笑みを交わしながら、売り払った後の金の計算に思いを馳せた。
 その時。
『ふふふふ……』
 廊下の闇の奥、それははっきりと耳に届いた。柔らかく、しかし肌を這うような声が。
「今、声が……」
「は? 気のせいだろ」
「で、でも……女の笑い声が確かに……」
「気のせいだ」
「はい」
 兄貴の言葉に押し潰されるよう、男は渋々頷く。だが、不安は体を蝕み、鼓動がうるさい。耳の奥で自分の血が鳴り響くようで音が少し遠く感じる。恐る恐る周囲を見渡も、その間にも兄貴は躊躇なく先へ進んでしまい、慌てて男はその背を追った。
 手前の部屋と思しきドアを開ける。客間のようだ。壁には絵画がいくつか並び、棚や机には磨き抜かれた美術品が整然と並んでいる。場違いなほど豪奢な空間に、二人は思わずいやらしい笑みを浮かべた。
 だが、その笑みを掻き消すよう、再び耳に声が届く。
『こんにちは……』
「えっ……」
「あ、兄貴……」
バタン!!
「なっ?!」
「ドアが!!」
 背後の扉がひとりでに閉まる。重く乾いた音が、閉ざされた空間に何度も響き回る。思わず男はドアノブを捻るも、それはびくともしない。そこに、目でもあるかのような視線を感じ、男は咄嗟に手を離す。部屋の中、またしても声が聞こえたような気がした。ぞわりとした気配に撫で回されたよう、定まらない視線をようやく前を戻した瞬間、男は目を疑った。そこに、女性が佇んでいたのだ。
 白い影のように色素の薄い彼女は、しっかりとこちらを見つめ微笑んでいる。纏う白いワンピースは細部がぼやけて見えないのに不思議と美しく、瞳も深淵に引きずり込むような暗い光を宿している。
「兄貴?」
 隣の兄貴に呼びかけるも、声が震える。魅入られたかのように兄貴の体はしばし動かず、彼はただただ首を横に振るばかりだ。
『いらっしゃい。どちらさま?』
 儚げな女性の声だけ部屋の隅々に染み渡るよう響く。兄貴は必死に目を凝らし、何かを探している。
男は兄貴と目の前の女性を交互に見返し、息を呑んだ。兄貴には見えていない!
『まぁ、わたくしとお話してくださるの……?』
 唐突に耳元で声がする。兄貴は返事をするよう首をゆっくり縦に振った。肯定かと思うも、兄貴の表情に、それは意を決したのかと男も合わせて頷いた。
「何がお話だ、モンスターめ! どこにいる?! 出てこい!! ぶっ殺してやる! ここから出せ!」
 兄貴は恐怖を怒声に変えて叫び出す。その瞬間、空気がひび割れるように揺れたかと思うと、男の目の前に、淡く白い光がふわりと浮かび上がった。
「……え」
 兄貴が、消えた。今の今まで目の前にいた兄貴の姿が、跡形もなく消えてしまった。男は瞳を大きく見開いて、無意識に後ずさった。けれど、そこに己の足の感覚はなく…………——。
「……はぁ、せっかく話し相手ができると思ったのに、残念だわ」
 女性が吐息混じりにそう零すと、呼応するように二つの人魂がふわりと彼女の前に浮かび上がった。淡く青白い光はゆらゆらと揺れながら、言葉も音もなく、ただ彼女の周囲を漂う。
「せっかく楽しくお話できると思ったのに……」
 寂しげな声が虚しく部屋を満たし、消えていく。
「わたくし、ただあなたとお話したかっただけなの。それに、どこかでお会いした? 気のせいかしら」
 曖昧な問いと、諦めた声色。彼女は何もないところに頬杖をついて、小さくため息をついた。
「もう一人の方は失礼な方ね。モンスターだ、殺すだなんて……酷いわ。とても悲しかった」
 人魂を指先でこつりと爪弾くと、それらはあっけなく姿を消した。

 ここは、幽霊屋敷。いつからか幽霊が棲みついていると噂され、何人もの盗賊や冒険者が挑むも、帰ってきた者は誰一人としていなかった。
 幽霊は無邪気に現れる。話し相手がほしいと話しかけてくる。
 彼女と話をするということは、どういうことか。それは、契約を交わすことと同義だ。

幽霊との契約条件は三つ
 一つ、幽霊が望んだ時どんな時でも話し相手になること
 一つ、幽霊を怨みや憎しみ恐怖の対象で見ないこと
 一つ、幽霊と近しい魔力や心を持っていること

 この条件を満たせる存在などないに等しく、満たせるとしたらそれは人間ならざるもの、もしくは人間でありながら人間でなくなった存在でしかない。
 幽霊は知らずに契約しようとしている。ただひとえに話し相手がほしい、それだけのために。己の力の脅威を知る由もなく、幽霊はため息を零しながら呟く。「話し相手がほしいわ」と……——。

出会い

 ざっ……ざっ…………。
 夜露を含んだ草木が擦れるたびに、湿った匂いが放たれる。鬱蒼とした森を歩く一人の男がいた。彼の衣服には一片の泥もついていない。木漏れ日のように、時折月明かりに照らされるその姿は、舞台に上がった役者のように整って見えた。そばに誰かいたものならば、その香りと美貌に思考を奪われ、危うく足を止めてしまっただろう。
「はぁ……(思い出したくないのに頭から離れない。どうしてこうも、人間は愚かか)」
 吐き捨てるような長いため息。だが、その表情にはわずかな陰りしか浮かばない。何かに絶望したようなものではなく、ただ憂いているだけ表情だった。
 彼の歩みに迷いはなかった。手ぶらで、迷い人にも旅人にも見えない。男には行く宛があったのだ。その昔に滅んだ、この地に拠点を構えていた貴族がいた。彼は遠い記憶を辿るように、滅んだ貴族の屋敷へと進んでいく。
 ふと周囲が淡く揺れた。ちらほらと集まり出す白い光は、霊魂そのものだった。数は次第に増え、道を照らすように集まっていく。男は少し楽しそうに薄く微笑んだ。珍しい光景なのだ。霊魂同士が惹かれ合って群れるなど、滅多にない。霊魂達は蛍のようにちらちらと瞬き、暗い森を一時の間、幻想の庭に変えた。
 やがて、一本道が現れた。長い年月に苔むし崩れていても、人の手で拓かれたその造りは隠せない。導かれるように男は歩を速める。木々の影を抜けた先、月を背にして姿を現したのは、豪奢な屋敷だった。
「へぇ……気に入った」
 思わず洩れた声に、満足と期待が滲む。
 およそ百年の荒廃を纏いながらも、屋敷は威厳を失っていない。生き物の気配はないが、怨念のざわめきが屋敷全体の空気を震わせている。それでも男は一歩も怯まず、正門をくぐる。
 庭も道も荒れ放題だった。絡まる蔦、乾ききった花壇。彼は眉をひそめた。
「(さすがに、酷い荒れようだ。苦手だが、住むなら手入れをしなければ)」
 庭とは呼べない庭は、建物の中庭まで続いていた。男は淡々と当たり見回して、ふと目を見開いた。目に飛び込んできたのは一角の薔薇園だった。白薔薇が整然と咲き誇っている。周囲の荒廃が嘘のように、そこだけが今も息づいていた。
 小さな疑問を胸に男は薔薇に近づく。それは通路に囲まれた中庭だと分かった。そこからでも屋敷内に入れそうだったが、男は改めて正面玄関前に戻った。扉は鍵がかかっておらず、すんなりと中に入る。目に入ったのは埃や蜘蛛の巣だらけの屋敷内だった。
「……っ」
 思わず足を止める。予想以上の荒れように、男はしっかりと顔をしかめる。鼻と口をハンカチで覆い、重苦しい空気を吸わぬように歩を進めた。
「……なっ」
 男は思わず室内へと踏み入れようとした一歩を止めた。
「(なんて汚いんだ! 予想以上だ)」
 今日最も、男は顔を歪めた。不愉快以外の何物でもない様子で、男はハンカチを取り出し鼻と口を覆いながら屋敷の中を眺めた。
 吹き抜けのロビーからは、二階へと続く階段がある。手前は、玄関を挟んで両側に部屋があるようだ。その奥にも、それぞれ部屋が続いている。先程、外から視認できた中庭は、またその奥で繋がっているようだ。
 まずは一階から見て回ろう。男は手前の部屋から順番に見て行くことにした。暗く湿った廊下を歩いていると、男は突然立ち止まった。数秒と待たず、女性の笑い声が聞こえてくる。
『ふふふふ……』
 笑い声は上品ではあるが不気味さを帯びている。辺りを見回すも、誰もいない。が、気配はある。彼はその気配に向かって苛立ちを隠さず声を放った。
「姿を現せ。不愉快だ」
 話しかけられたことに驚いたように息を呑む音がした。続いて声の主があっさりと姿を現した。
「まぁ、こんなに早く見つけてもらえるなんて、初めてだわ」
 現れた女性は友好的に微笑んでいるが、その姿は透けていた。
「(何かが巣食っているとは思ったが、こいつは地縛霊か? 面倒はごめんだな……。立地も屋敷も気に入ったんだが……残念だ。探し直しか)」
「ふふふ、いらっしゃい、どちらさま?」
 幽霊は嬉しそうにニコニコと優雅に微笑みながら挨拶をしてくる。その佇まいや仕草に、彼女が生前に貴族など教養も地位もある者だったと分かる。男は顔からハンカチを外し、幽霊相手に物怖じせず、貼りつけたような愛想笑いで礼儀正しく言葉を返す。
「挨拶もなしに失礼した。貴女がいらっしゃるとは思わず、勝手にお邪魔して申し訳ない」
 男はまるで幽霊の存在に気づいていなかったかのように謝罪の言葉を述べ、頭を下げた。幽霊から敵意は感じないことからも、これが最善であると判断したためだ。その予想は当たり、男の言葉に幽霊は両手で口を覆い驚き、嬉しそうに言った。
「まぁ……勝手に入ってきた方に謝罪の言葉を言われたのは初めて! 今日は初めてづくしね。心が踊って生き返ったようだわ」
「先程は失礼したね。とても素敵な場所だ。ここには貴女一人で?」
「えぇ、わたくし一人よ。それで、どうして入ってきたの? いつもはすぐ人魂にしてしまうのだけれど……といっても、したくてしているわけではないのよ。勝手になってしまうの。わたくしは話し相手がほしいだけなのに……。あっ、話が脱線してしまったわね、ごめんなさい。それで、あなたはどうして入ってきたの? とても丁寧な紳士だから聞いてあげるわ」
「ありがとう。実は、私は南の紛争地域から来た者で、住処を追われてしまって」
 男はここに来た経緯を素直に説明した。下手に扱い、呪われては面倒になる。嘘をつかない方が良いと判断したからだ。彼女は怨霊の類で、その強さも肌で感じるほどだった。幽霊は時折、相槌を打ちながら静かに男の話を聞いた。
 男は人間ではなかった。人間より遥かに長い時を生きている、吸血鬼だった。吸血鬼はその者にもよるが、基本無益な争いは好まない。静かな場所で好きなことをしながらのんびり過ごすのが好きな種族だ。それはこの男も例外ではなかった。静かな環境と、広くゆったりした場所があればいい。それを彼は人間に奪われた。戦争だ。
 昔から人間同士の争いは絶えない。戦争のたびにあちこちで難民が押し寄せ、戦争区域に近い街や国は混乱している。吸血鬼の彼も、戦争に巻き込まれて住処を失ったという。
 新たな住処を探すため、幾日も歩いた。条件は二つ。静かな環境と、広い住処。彼は貴族出身だと言った。そのためか、この屋敷も広いとは言わなかった。
「それで、ここを新たな住処として内見していたわけだ。貴女がいると知らずに」
「なるほどね。そういうことなら、わたくしが案内してあげるわ。部屋も余っているし、よかったらどうぞ」
「ありがとう」
 幽霊の申し出に吸血鬼は愛想良く微笑んで返す。幽霊は屋敷内を丁寧に説明していく。吸血鬼は興味深げに話を聞きながら見ていき、ある場所で目を輝かせた。
「すごい……!」
「あら、読書がお好きなの?」
「えぇ、とても。特に人間の書物は読み応えがあってね。彼らならではの発想が、私には新しい。ここは素晴らしい蔵書の数だ」
「わたくしが生前にコツコツ貯めたもの……だと思うの。今はもう読んでいないけれど、生きていた時はたくさん読んでいた気がするわ」
「そうか。生前の貴女に感謝しなくては」
「ふふ、ありがとう。ねぇ、どう? ここは気に入った? もしよろしければ、ここに一緒に住んでくださる?」
「そうだな……とても魅力的な申し出だ」
 屋敷を見渡しながら答える吸血鬼の言葉に、幽霊は嬉しそうに微笑んだ。
「是非、ここに住んで。一緒に暮らしましょう? わたくし、長いこと独りで退屈だったの。人魂にならない方なんて、初めてよ。あなたがいてくれると嬉しいわ」
 幽霊の言葉に吸血鬼は相変わらず愛想良く笑って返すが、すぐには頷かなかった。家主が快諾してくれたのだ。本来なら喜ばしいことだ。そもそも吸血鬼はここを住処にするために来たのだ。吸血鬼の彼にとって、多少悪霊が巣食っていようがどうでもよかった。しかし、先住人がいた。それも屋敷に巣食う強力な地縛霊が。吸血鬼はいくらか思案しながら、幽霊の次の言葉を待った。幽霊は上品の中に楽しくいたずらを考える子供のような笑みを浮かべながら言った。
「でも、条件があるわ」
 その一言に、吸血鬼は警戒するように目を細めた。幽霊の条件がどういうものか、彼は知っているからだ。それは契約に近い。内容によっては魂すら取られかねない。吸血鬼は、やはり別の住処を探そうと、どう断りを入れようかと考え始める一方、最初と変わらず敵意を感じない幽霊の態度にここに住む場合も考えていた。
 幽霊は嬉しそうな笑みを浮かべながら言った。
「条件は、わたくしの話し相手になること。いい? ここに住んでいい代わりに、わたくしの話し相手になって? わたくしが家主よ。家主のいうことは聞いてもらうわ」
 幽霊の提示した条件内容に、吸血鬼は驚きを隠せなかった。幽霊の様子は変わらずだ。むしろ、初めての話し相手ができると喜んでいるような興奮と緊張が混じっている様子だ。その姿を見て吸血鬼はようやく表情を和らげて微笑んで答えた。
「(無意識なのか? 幽霊が出す条件の意味を理解していない。だが、指摘する必要もないか……)あぁ、分かった。その条件を飲もう」
「そう、よかったわ!」
 吸血鬼が条件を飲んだことに、幽霊は喜んだ。その様子に、自分の考えは当たっていたことを吸血鬼は認識した。幽霊は自分の存在がどれほどのものかを理解していない。条件とは名ばかりの契約を結んでいることを分かっていない。幽霊は言葉通り、話し相手が欲しかっただけなのだ。そして今、幽霊は初めての話し相手ができて喜んでいる。
「そうしたら、お部屋はどこがいいかしら。二階は見晴らしがいいわよ。それとも吸血鬼さんなら地下の方がよろしいかしら?」
 ここまで無害な幽霊もいるのだな。吸血鬼はこれから先、楽しく静かな日々を過ごせそうだと思いながら幽霊に話しかけた。
「勝手ながら、私からも二つ、お願いをいいか」
「なに?」
「借りる部屋の掃除と庭の手入れ、そして図書室の自由な利用を許可してくれ」
「構わないわよ。あと、それだと三つね」
 面白い人は好きよ、と上品に微笑みながら彼女は許可した。
 吸血鬼はまず図書室から掃除しようと決めながら、実害のない安い条件で無事に住処を手に入れたことに喜んだ。

幽霊と時間

 見慣れた庭に、見慣れた屋敷。少し強い風が抜ける夕方の庭先で、幽霊は陰る空を見上げた。ゆっくりと風を吸い込む。思ったより湿った風が鼻腔をくすぐって、幽霊は知らぬうちに瞑っていた瞼を開いた。
 目の前の花壇では、花が風に揺れている。枯れてしまった花や頭を垂れた花が、風に煽られて花びらを庭から森の彼方へ飛ばしていく。
「いつ咲いたのかしら、残念」
 風がさらに強くなる。視界の端で、自分の髪が風に揺れる。暗い灰色の空の中に揺れる白金の髪は、そのまま宙に溶けて消えてしまいそうに見えた。
 カタンと、金属音がした。掃き出しの窓が風で開いてしまったかと後ろを見やると、そこには同居人の吸血鬼がいた。彼が窓を開けたようだった。
「雨が降りそうだ」
 ふわりとした袖の服装に身を包み、風になびく髪を邪魔そうに押さえながら彼は幽霊に呼びかけた。すっかり屋敷での生活に慣れ、彼は慣れた手つきでいくつかの窓を閉めていき、幽霊を室内へと促す。誘われるままに部屋へと入り、幽霊は庭を振り返った。
「花壇のお花、いつの間にか咲いたのね」
 満開の時を見たかった、咲いたのはいつかと幽霊は話す。乱れた髪を整えながら話を聞いていた吸血鬼は、口元に手を添えて考える様子を見せてから、幽霊にこう答えた。
「……満開は先週だ。最初の蕾は、その一か月か少し前あたりに色づき始めて、一週間近くは咲いていただろう?」
 吸血鬼の答えに、幽霊は納得していない様子で小首を傾げる。あわせて吸血鬼も、不思議そうに幽霊を見つめ返した。彼女はいつも庭にいるだろうに知らないはずがないと、吸血鬼は違和感を抱いた。
「そう、一か月前なのね……」
 幽霊は呟く。蕾の話を反芻して、幽霊は窓の外へ視線をぼんやりと飛ばした。次第にポツポツと雨が降りだし、カタカタと窓ガラスが風に揺れた。
「ねぇ」
 室内を振り返り話しかけようとするが、そこに彼の姿はなかった。ソファにも、ラグにも、奥の戸棚近くにも、いない。あちこち見渡して、幽霊は少し困った顔をして部屋を出ていった。
 廊下をすり抜けて、奥の図書室へ。きっとここにいるだろう。
 幽霊は壁をすり抜けて図書室へ向かう。案の定、吸血鬼はそこにいて、いくつかの本を選んでいる最中だった。
「もう、話の途中じゃない」
 棚の上の方へ手を伸ばした吸血鬼の頭上、本棚の中から幽霊はひょっこりと顔を出す。不意打ちに目を見開く吸血鬼を、幽霊はいたずらっ子のようにくすりと笑った。
「……そうだったのか」
「そうよ」
 幽霊は吸血鬼が取ろうとしていた本を取って、ゆるりと床へと降り立つ。足のあるようなないような曖昧な長いワンピースの裾は、床に触れようとするあたりで、曖昧に消えて見えなくなったり見えたりを繰り返した。
「ありがとう」
「いいえ」
 めぼしい本を数冊抱えて、吸血鬼は部屋の椅子に腰かける。幽霊も同じく椅子に腰かけて、両手を合わせて微笑んだ。
「ねぇ、庭のお花の話。もう少し聞かせて」
「あぁ、構わないよ」
 傍らの机に本を置いて、吸血鬼は幽霊に体を向け、ゆっくりと話し出した。
「……あれが枯れ始めたのは、ここ数日だ。先週は、見事に満開だった。控え目な香りの、多弁花なんだな。小振りだが、花びらが波をうち、一斉に咲くと白い刺繍の絨毯のようで、豪華だった。蕾が大きくなり始めて、色が変わり始めたのが、一か月と少し前。その時も、今みたいに雨がよく降っていたな……」
 一度話を区切って、吸血鬼は深い瞬きをした。深い赤の目が、景色を思い出すように虚空を眺める。
「今日よりも、もっと優しい雨で、風も穏やかだった。葉を揺らす雨の音や、水溜まりを跳ねる雨の音がよく聞こえて、静かで……土の潤う匂いがはっきりと漂って……恵みの雨が、止んでは降ってを繰り返し、続いた」
 それに比べてやや強めに吹く今日の風と雨に、幽霊が天井を仰ぐ。
「今日は、元気な雨ね」
「そうだな」
 指を組んで、吸血鬼は脳裏の記憶にある景色を眺めて、淡々と続ける。
「雨が、しばらく続いたんだ。数週間、だったかな。静かな雨が降ったり止んだり……覚えていないか?」
 不意に深紅の瞳とかちあって、幽霊ははたと思考を止めた。何度も瞬きをして、幽霊は目を反らす。
「そうだったかしら」
 幽霊は記憶を辿るが、思い出せるのはここ何日かの晴れと、その前も曇りや晴れしか思い出せない。時折、雨の日があったと思うが、そんなに続いた雨の日があったかどうか……あったようにも思うけれど、それは昔の記憶なのか、よく分からない。
「……おまえ、どこにいたんだ?」
 まっすぐに見つめて問う吸血鬼に、幽霊は心当たりがなくて小首を傾げる。吸血鬼は青く透き通った幽霊の不思議そうな目を見ながら、引き続き日にちを口にした。
「ここ数日だ、おまえが姿を見せているのは。その前は一か月以上、もぬけの殻だった」
「もぬけの殻?」
「言葉通りだ。多少は俺も、おまえの気配は分かる。それが、全くなかったんだ」
「わたくし、いつものように庭にいてよ?」
「……」
 幽霊の物言いに、吸血鬼が眉をしかめる。言葉を選びながら、彼は問う。
「……前に、おまえが見た庭の、蕾はどうだった?」
「やっと蕾らしいものができてきた……と思うのだけれど、違うのかしら」
「今日、ここに来る前は、何をしていた?」
「いつも通りよ。目覚めて、屋敷を見回して、庭に来るの」
「……目覚めて?」
「あら、おかしい」
「眠っていたのか」
「わたくし、確かに目覚めたわ。うたた寝してしまったのね」
 幽霊の応答に、吸血鬼は手で口元を押さえてあからさまに驚いた表情を見せて固まった。幽霊は状況が飲み込めず、愛想笑いで間を繋いで待っていた。やがて吸血鬼もつられたように笑いだし、珍しく歯を見せて笑った。初めて彼がそんなに笑うので、幽霊ははにかみ破顔した。
「くく、俺が、こんな、人間と同じように、思うとは」
 楽しそうに目を細めて、吸血鬼が笑う。なんだかよく分からないけれど、彼が楽しそうで、幽霊も合わせて微笑んだ。彼は続ける。
「彼らによく言われるんだ。時間の流れが違う、同じ時を生きていない、と。おまえといると、俺もそう感じるんだな」
「そうなの?」
「そういうことだろう? さっきもそうだ。おまえが窓の外を眺めて黙るから、話は終わったと思った」
「そうだったのね」
「すまない。俺が気づくべきだった」
 恥ずかしがるような苦笑いをして、癖のように口元を隠そうとする吸血鬼の手を、幽霊はやんわりと掴んでゆっくりと膝元に下し、彼女は頭を横に振った。
「違うの。そうではないの」
 幽霊は冷えた両手で同じくあまり体温の感じない吸血鬼の手を包んで一度深く頷いた。
「あなたは、わたくしに、時をくださったの。わたくしの時は、止まっていたのだから」
 真剣に驚く吸血鬼に、ほんのり悲しそうな、それでいて慈しむような、儚い微笑みを宿して、幽霊は静かに瞼を閉じた。
 彼女は語る。
 決まりごとのように気がつくと毎回庭に足を運び、花を眺めていた。花が咲き、枯れて、また花が咲く。移り行く時の流れは早いのか、それとも遅いのか、前に見た景色との違いが、違う気もするし、勘違いな気もして、よく分からなかった。
 それでも、それが日常で、それが当たり前で、それで満足だった。それ以上に何かを望もうと思いもしなかった。いくつかの草花は枯れては咲くが、大切な庭の白い薔薇は、いつ来ても必ず綺麗に咲いているからだ。だから、むしろ、そんなに時が経ったようには見えなかった。それこそ、時が止まっているように思えていたのだ。
 それを、吸血鬼は変えた。彼が何か月と留守にして帰ってきたと言っても、幽霊にはそれくらい経った気もするし、ほんの数分前にも思えていた。始めは信じようにも実感がなく、軽い違和感しかなかった。そうして話を重ねるうちに、彼が身近なものの変化を教えてくれるようになり、違和感の正体を知った。
「昨日は花が咲いた、今日は雨だと、あなたが話してくださるから、わたくしに時の流れができるの。あぁ、そうだったって、わたくしの勘違いでなくて、本当にそうだったって思えるの。わたくし一人では、それも曖昧になっていて、いつまでも、気づけなかったわ。だから、感謝しているの、ありがとう」
 嬉しそうににっこり微笑む幽霊に、吸血鬼は話を咀嚼するようにゆっくりと驚きを消し、それから自由なもう片手でぽんぽんと幽霊の両手を撫でた。
「そんな大げさな」
「また、お話してね」
「あぁ」
 ひらりと両手を離して、幽霊は満足そうに立ち上がり、ひらひらと手を振って律儀に部屋のドアから出ていく。同じく数回手を振って吸血鬼がそれを見送る。
「……」
 もう少し、話題を増やすかな。
 ふとそんなことを思って、吸血鬼は軽く吐息を漏らす。傍らに置いた本を取り上げはしたものの、吸血鬼は幽霊の言葉を受けて、今までの彼女の振る舞いや言葉を思い出す。結局、彼女の出ていった方向を太陽が空を半周するくらいしばらく眺めていた。
 それからも、幽霊は変わらず吸血鬼の元を訪れた。彼は図書室からめぼしい本をいくつか持ち出しては、隣の書斎にあるソファで読書をしているので、見つけるのも容易かった。話し相手になってほしいと言われた手前、吸血鬼は一つ一つ、律儀に答えていく。彼は、決して自分のことを話さないひとではなかったし、あれからよく色々な話をしてくれるようになった。聞けば答えてくれるし、たまに土産を持って帰ってきた。
「町の娘がくれた。おまえ、香りの強いものが好きそうだから。水を抜いてドライフラワーにすると良いと聞いた」
 またある時は、大きな荷物を抱えて帰ってくる。
「それは、なぁに?」
「パーティーの準備品だ。いつか幽霊も招かれるといいが」
 またある時は、項垂れた女性を抱えて帰ってくる。
「どうしたの、怪我人?」
「あぁ、見つかった。今は見逃してくれ」
 またある時は、一通の手紙を読みながら帰ってきた。
「なんで姉さんは俺がどこにいても見つけ出すんだ」
 彼に届いた一通の手紙は姉からの手紙だったようで、それを片手に少し嫌そうに話す吸血鬼を、幽霊はにまにまと楽しそうに眺めていた。
「お姉さんは、お元気そう?」
「あぁ、とても。念願の町で人間達と住んでいるって。相変わらずとても元気そうだ」
「あなたも人間と一緒にいたのよね」
「昔な。俺は二度とごめんだ」
「ふふ、楽しそうなのに」
「もう一度あんな慌ただしい生活なんて、ぞっとする。俺はいやだ。ここがいい」
「ふふふ」
 手紙を封にしまいながら、彼は辟易してため息を漏らす。幽霊は姉の話をする吸血鬼が好きだった。姉のこととなるといつもより感情的に話す彼に、ついつい顔を緩ませた。
 長いこと話をしているうちに、幽霊は吸血鬼に姉がいることを知った。彼は、独り立ちをして巡った町のことや、ここに来るまでのいくつかの出会いを話してくれた。幽霊も同じく、屋敷のこと、庭の白い薔薇のこと、ここを訪れた人達のことを話した。幽霊は特に来訪者の話を楽しそうにしていて、その中でも吸血鬼と出会った時の話を好んでしてくれた。吸血鬼は、何度となく聞いた話を、毎回根気強く最後まで聞いていた。
 吸血鬼が幽霊屋敷に住みついて、何十年か経った。彼は毎年秋頃に決まったいくつかの町を訪れているようで、会ったことのない町娘が、成長し、年老い、孫を持つ話を、幽霊は楽しそうに聞いて、続きを待っていた。
 秋も深まり、それらの町を訪ねてしばらく留守にしていた吸血鬼が屋敷に戻った頃。たまたまそれは、時折訪れる幽霊が姿を見せない時期と重なった。持ち込んだ荷物の中身を確認して、吸血鬼は思うところがあり腕を組んでしばし考え込んだ。
 もぬけの殻となった幽霊屋敷は、どこまでも果てしなく広い空間に取り残されたような、歪な解放感を宿している。普段、幽霊が見える時に感じるかすかな屋敷を守るバリアのような気配は、それでいて、心地よい閉鎖空間を作り上げていたのかと、吸血鬼は思う。もぬけの殻の屋敷で、彼は持ち込んだ荷物を地下にある部屋へと運び込み、闇に消えた。
 時刻は深夜をとうに過ぎ、丸くなり始めた月はすでに西の地平に消え失せている。うっすらとした星明かりだけの書斎で、ゆるやかに空中の塵がきらりと舞い、続いて影が動く。吸血鬼が戻ってきたのだ。
 上はシャツ一枚の緩い姿でソファに深く腰かけて、お気に入りの一冊を開く。青い装飾に銀の模様の入った表紙が、ほんのりと星明かりを返して瞬いた。
 淡々と、夜の時間が流れていく。時折、ぱらりと紙をめくる音と、ひゅうと風が吹き抜ける音だけが部屋の空気を揺らした。
 不意に、生い茂る木々が騒めき、少し大きな風が吹いた。風に舞う葉が、窓ガラスを掠めて音を鳴らして落ちていく。
「……?」
 そこに、かすかに違和感を覚えて、吸血鬼は文字を追う視線を止めた。はらはらと、落ち葉の音がする。そこに、ザーザーと、何かの低い音が混じって聞こえたのだ。
「……」
 本を閉じ、視線だけを動かす。部屋の中に異変はない。射し込む星明かりも穏やかで、まとう空気もやけに澄んだままだ。
「起きたのか?」
 声をかけ、しばらく待ってみたが反応はない。
「……」
 遠く、近く、波打つようにノイズ混じりの低い音が騒めく。
 吸血鬼はゆっくりと立ち上がる。その顔から感情が消えた。
 無機質な視線が室内を見渡す。部屋全体が呻き声を上げるように、耳障りな音が低く蠢き、近づいては遠ざかる。右から、左へ。上から、下へ。わざと平衡を崩すように雑音は回る。叫び声のような、泣き声のような甲高い音も聞こえてくる。
「……」
 来訪者だと思った。幽霊不在——実際は不在ではないかもしれないが——に乗じて、何者かが侵入してきたのかもしれない、と。吸血鬼の彼には、それが幽霊同様、霊魂の来訪者だと感じていた。肉体を持つ者ならば、彼には正体が分かるのだ。
 闇を這うように、彼は部屋を出て、振り返る。音は部屋に留まっている。やはり、部屋に何か、いる。
「姿を現せ」
 この屋敷の家主もそうだった。向こうからすぐには姿を見せない。同じ要領で声をかけ、しばらく待ってみたが、やはり反応はない。危害を加えられるような身の危険は一切感じない。向こうが姿を現すまで、吸血鬼は待つことにした。部屋に戻り、同じソファに座り直す。先程のように本を読むふりをして、吸血鬼は目線を落とした。
『ごめんな』
 突然、耳元で言葉を聞いた。瞬時に吸血鬼は動くことをやめた。
 何かが、そこにいる。見えないが、何かがそこにいて、次第に目の前が暗く霞みがかり、己の手元の視界さえも遮っていく。
「……」
 吸血鬼は空気の波風すら立てないように静かに、本当に静かにゆっくりとソファから立ち上がり、己の座っていたところを振り返った。
『……なかっ……め………………た……』
 言葉にならない声を放つ灰色の何かは、形を留めずにソファからゆらりと立ちのぼる。歪な塊となって、ゆらり、ゆらりと揺れながら、後を追うようにゆっくりと吸血鬼の方へ動いてくる。
「……幽霊……なのか?」
 来訪者の霊魂にしては、あまりにも幽霊の気配だった。声こそ別人だが、それはあまりにも幽霊と同じものに思えたのだ。
 一歩後退ると、それはのそりのそりと後をついてくる。吸血鬼は問うが、それは意に介さずただただ言葉にならない雑音を繰り返した。
『……かっ…………い…………』
「……」
 もう一歩、それが進む向きからずれて退いてやると、それはのろのろと目の前で彷徨い始めた。手を伸ばすように塊が形を変えては、ソファの向こうに這うようにずれていく。
「(来訪者ではなく、幽霊本人か……?)」
 正体はまるで分からないが、やはりこちらに危害を加えてくる様子はない。吸血鬼は別の椅子に座り直して、それが陽光に掠れて見えなくなるまで様子を見つめていた。
 幽霊は、読書をするわけでもなく椅子に座ったまま動かない吸血鬼を見つけ、てっきり眠っているものだと思い、ブランケットを持ってきて彼にかけようとした。二人が目線を合わせた頃には、空には太陽の代わりに月が浮かんでいた。
「……あぁ、ありがとう。考え事をしていた……おかえり?」
「ただいま? ふふ、おかえりはわたくしかしら」
「ただいま」
 眠っていたと思われる幽霊に異変はなく、吸血鬼はあれこれ巡らせていた頭を止めて、それ以上深く考えるのをやめた。大事なことに気づいてしまったのだ。
「それと、ようこそ、かな」
「?」
 肩にかかる幽霊の髪を一掬いして、吸血鬼は呟いた。意味が分からず愛想笑いを返す幽霊だが、吸血鬼はそれに構わず、少し急いだ様子で地下室へと向かった。幽霊も不思議そうに彼に続いて地下へと降りた。
 地下にはいくつか部屋がある。吸血鬼が屋敷に住むと決まった当初、彼は地下の部屋を所望したが、実際はほとんどそこにいない。だから、幽霊も地下に降りることがなかった。
「いつの間に」
 そこには多種多様な包装のされたお菓子や飲み物、その他の梱包資材などが所狭しと置いてあった。元も倉庫として使われている部屋だ。今でもその機能は健在のようだ。
「やっとだ。やっと招かれたんだ」
「なんのこと?」
「おまえ、鏡は使えるのか?」
 あれこれと梱包したり、包みを剥がしたりしながら、吸血鬼は問う。幽霊は傍らで作業を眺めながら答える。
「えぇ、ちゃんと鏡に写るわよ。写らない時もあるけれど」
「見てみろ」
 持ち歩いていたらしい小さな手鏡を渡して、吸血鬼は自分の首元を指で示す。何かと思い、幽霊は示された箇所と同じように自分の首元を鏡で見て、それからぱっと吸血鬼を見返した。
 吸血鬼は含み笑いして、自分の手のひらを見せた。そこには、自分の首から肩にかけての、鎖骨の上に浮かび上がった模様と、違うが似たようなものが描かれていた。自分にある模様は大きな針のようで、吸血鬼のは羅針盤のような形をしていた。
「これはなぁに?」
「招待状だ」
「前に話してくれたパーティーの?」
「あぁ、よく覚えているな」
「たくさんのお菓子を持っていくのよね?」
「あぁ」
 キャンディーの詰まった小さな瓶を渡して、吸血鬼は笑う。
「失くすなよ」
「えぇ?」
 少し得意気に彼は言う。何がなんだか分からなくて、幽霊は曖昧に返答した。
「でかける支度を……あぁ、どうしようか。外にでかけるなんてこと、ないよな」
「???」
 必要な荷物を一つの箱に詰め込んで、吸血鬼ははたと気づいたように幽霊に問うた。
「……どこか、行くの?」
 いくらか思案して、吸血鬼はいくつかの箱を片手で担ぎ、屋敷の入り口まで幽霊を促す。荷物を置き、ここで待つように告げて彼は一度屋敷の奥へ去っていった。
 箱には、いくつもの瓶の飲み物と、先程もらった飴の瓶と同じものと、その他様々な小さなお菓子の詰め合わせが入っていた。色とりどりの包装は、見ているだけで心踊った。
「すまない、待たせた」
 楽しく眺めているうちに、彼は戻ってきた。でかける時に必ず身につけている見慣れた黒いマントを羽織り、よく見かけるブローチ状の金のフィブラではなく、たまに見かける銀のチェーンを飾っている。彼は黒く大きなストールと、よく見かける金のフィブラを差し出した。
「これを、羽織って」
 ばさりと、厚いストールが幽霊の肩を包む。ふわりと樹木の香りがした。首元で軽く重ねフィブラの針で留める。厚さのわりに軽くて、肌触りはなめらかだった。
「どこへ行くの?」
「そのパーティーだ。おまえ、幽霊になってからここから出たことは?」
「……ないわ。わたくし、この屋敷から外は、行けないもの」
 幽霊の答えに吸血鬼は頷いて笑った。目を閉じるように幽霊の顔を己の手を覆って、彼は優しく囁いた。
「だったら、気に入ると思う」
 何をしてくれるのか期待に胸を膨らませて、幽霊は言われるままに目蓋を閉じる。すると、真っ暗な視界に、一つ、また一つと小さなオレンジ色の光がぼうっと灯っていく。
「さぁ、こっちだ」
 吸血鬼の声がした。いつの間にか目を開いていたようで、傍らの彼は幽霊に手を差し出していた。されるがままにその手を取って、幽霊は暗がりの中、辺りを見回した。
「ここは? あれはなに?」
「あれは、ジャック・オ・ランタンだ」
 真っ暗な闇の中、吸血鬼は幽霊を導くようにその手を引き、もう片手で近づいてきたオレンジの光を掴まえ、辺りを指し示しながら説明する。掴まえられた光はやがて大きくなり、頭ほどの大きさの、中身のくり貫かれた何かでできたランタンになった。
「毎年この時期になると、招かれた者には、こうやってしるしが浮かび上がるんだ。おまえの、その肩にあるしるしと、俺はこの、手のひらのしるしだ。これが、ハロウィンパーティーの招待状だ」
「ハロウィンパーティー? 招待状?」
 吸血鬼の持つランタンが、笑った気がした。周りの光を改めて見返すと、それはカボチャをくり貫いて顔のような窓を作り、中は人魂のような、蝋燭の火のような灯りが入れられたランタンだとはっきり見えてくる。
「ハロウィンパーティーは、あの世もこの世も関係ない。それに、どこでもあるのなら、しるしがあればおまえも行けるはずだ」
 さあっと風が吹き、黒い煙の中にいたように闇が消えていく。
 見上げると空には満点の星々が、上弦を過ぎたばかりの月は見る見る間に満月になり輝き、いくつかの流星群が通って消えていった。視線を戻すと、目の前には石畳が続き、色褪せたレンガ造りの建物まで、点々と先程のオレンジ色の光が道しるべのようにふよふよと浮かんでは消え、また灯った。
「やぁ、荷物は先にいただいているよ、吸血鬼さん」
 唐突に話し声が聞こえ、幽霊は吸血鬼の方を見る。彼の視線を追って足元を見ると、何人もの小人が彼と話をしていた。
「あら」
 なんて小さな人達かしらと、言いかけて幽霊は閉口する。彼らが腕がなかったり頭が割れていたりする壊れかけの人形だと分かったからだ。何か恐ろしいものでも見たように幽霊は吸血鬼を見やるが、彼は導く手を強く握り返しただけで、建物の中へと幽霊を促した。
「離すなよ」
 吸血鬼が小声で告げる。建物の周りは多種多様なモンスターや人達でひしめきあっている。自分達に話しかけてくる者達の波を、吸血鬼とともに幽霊は愛想良く笑ってすり抜けた。
「伯爵」
 その中でも一際大きな骸骨がいた。それを呼び止めて、吸血鬼はそこに幽霊を連れて行く。
「……あぁ……あなた、もしかして何の説明もなしに彼女を連れてきたのかい」
「すまない。だが、もう夜明けが近い」
「だめだよ。ここは初心者には刺激が強いんだから」
 注意される吸血鬼を、幽霊は物珍しそうに見つめていた。骸骨はオシャレでしょと、自らの首にかかるスカーフを指して、顎をカタカタとさせた。笑っているようだった。
「あの……」
 戸惑いながら幽霊が話しかけると、骸骨は軽快に幽霊に笑いかけた。
「はじめまして、マダム。良い羽織だね」
「彼から借りているの」
「そう。随分と大切にされているんだね」
 カタカタと笑っているように骨が鳴る。幽霊はなんとも形容しがたい気持ちで、話を聞いていた。いつの間にか、吸血鬼は幽霊から手を離していた。彼は彼で、そばにいる誰かとを話している。それは帽子やタキシードは見えるが、全く中身が見えない透明人間のようだ。透明人間は吸血鬼と話をして笑っているようで、吸血鬼の肩を手袋越しに何度か叩いて肩を震わせた。
 その様子に驚いていると、一緒に彼らを眺めてから、骸骨は優しい声色で幽霊に話しかけた。
「いろんなモンスター達がいるでしょう」
「えぇ……」
「そのキャンディーも羽織も、失くさないようにね。楽しい夜を過ごすために、そして、無事に元の場所に戻れるように。それらはこの子の立派なお守りだ」
「そうなのね……」
「伯爵、これで足りるだろうか。彼女は元は人間だ。俺も、どこまで扱えばいいか……」
「十分だよ。この子はもうモンスターだからね」
「お守りなのね、ありがとう」
「あ、あぁ」
 骸骨がカタカタと両肩をすくめて笑う。
「見たところ、あなたは囚われた魂のようだね」
「幽霊屋敷の家主だ」
 傍らの吸血鬼は、既にいくつかの飲み物の瓶を片手に抱えていた。話も終わったらしい。
「準備はできた」
「おや、早い」
 骸骨が骨だけの両腕を大きく広げて、内緒話をするように指を立てた。
「さぁ、改めて紹介しよう、囚われの子よ。ようこそ、ハロウィンパーティーへ。ここはね、様々なモンスター達の集まる、秘密の場所だ。この世でも」
「あの世でもない、どこでもあって、どこでもない、秘密の場所、だろ」
 急かすように吸血鬼が続き、骸骨はカタカタと笑う。
「そうだね」
「だから、彼女も来られると思ったんだ」
「この子に、屋敷の外の世界を見せたかったんだね。すてきなことだ」
「住まわせてもらっているからな。それに、しるしは俺がどうこうできるものじゃない」
「それで焦って来たの?」
 次第に状況が飲み込めて、幽霊は両手を合わせて息を飲んだ。
「……わたくし……」
 見回せば、骸骨と吸血鬼の向こうに、可愛らしい帽子を被った女の子や、ウサギのような人影に、見た目は至って普通の紳士淑女もいる。それぞれ楽しそうにお菓子を配ったり見せびらかしたりして、酒を片手にわいわいと盛り上がる集団もいる。
 そういえば、地面にきちんと触れて立っている。手を伸ばせば、彼ら二人の手を難なく握り返せている。
「わたくしの……」
 幽霊は困惑した表情を少しずつ歪めて二人にしがみついた。
「……屋敷の中が、わたくしの……世界の全てでした。それで、よかった……それが、全てだったの……。屋敷の外に出るなんて、考えたこともなくて……。彼は、わたしくの時を動かしてくれて、初めて花が枯れることを思い出したわ。それなのに、屋敷の外なんて……考えたことがなくて」
 幽霊が一度言葉を区切って、話しながら俯いてしまっていた顔を上げる。
「それに、なんの不思議もなく……意識しなくても、あなた達に……触れられるの」
 今にも泣きそうなわりに嬉しそうな顔で、幽霊が笑う。
「二人で遊んでおいで」
 骸骨も笑う。吸血鬼もやんわりと手を握り返して薄く笑った。
「せっかくだ。見て回ろう」
 幽霊は思い切り空気を吸い込んで、思い切り息を吐いた。甘い香りをはじめとした様々な香りがないはずの食欲を誘い、少し湿った石畳がないはずの足に生温かな感触を伝える。頬をなでる少し肌寒い風に、ひんやりと冷たい吸血鬼の手と、ざらざらとして固かった骸骨の手。
 あぁ、知ってしまった、外の世界を。幽霊になって、ずっと屋敷の中で世界は完結していた。それでよかった。何も不自由もなく、満足していた。
 それが、知ってしまった。こんなにも不自由なく相手に触れられて、ここに自分が在る。こんなにも楽しい世界があるなんて。そんな世界に、自分も行けるなんて。
「えぇ、連れて行って」
 彼は時を流してくれただけじゃなかったと、幽霊は改めて噛みしめて、オレンジの光に心を踊らせた。

小さな迷い人

 ハロウィンパーティーを知ってから、幽霊は秋を感じると楽しそうにするようになった。何か月も気配を消して戻ってきた頃に秋が過ぎていると、それはそれは落ち込んだ。
 吸血鬼は地下に必要なものを持ち込んでは、そこからパーティーへと持ち込んでいるようだった。幽霊は使わなくなっていたダイニングテーブルを復活させ、そこで二人一緒に準備をするようになった。お菓子や飲み物といったものは、毎回吸血鬼が用意した。幽霊は庭の花を使ったり、吸血鬼が持ち込んだ物をアレンジしたりして、毎回楽しそうに準備をして招かれることを持った。
 今年もパーティーの準備をと町へ下り、用事を済ませ屋敷へ戻ろうとする道中。夜も更けて風が肌寒く感じる森の中で、吸血鬼は不審な人影を見つけた。よく見ると、まだ幼い痩せ細った少年少女だった。二人で身を寄せあい、恐る恐る森の中へ歩んでいく。数年に一度あるかないかの迷い人だった。
 何も持たず、服にも一度転んだ程度の汚れしかない。やつれてはいるが、今すぐ餓死したり病死したりするようなものでもない。少年の方は辺りを警戒する気力はあるようで、少女の方はそれについていくだけだった。
「……」
 吸血鬼は足音を立てた。わざと分かりやすい物音を立てると、少年達は物陰に隠れて吸血鬼を指さした。彼の持つ大きな袋から、分かりやすく色とりどりの食べ物が顔を覗かせる。少年達はそれを見つけて、荷物を持つマントの男が吸血鬼とは知らずに、こそこそと跡をつけていった。
 マントの男が屋敷の扉を開き室内へ入っていく。かすかに女性の声が聞こえた。二人は、閉じ切っていない扉の向こうの暖かそうな明かりに、吸い込まれるように近づいた。
 警戒心と好奇心を抱きながら屋敷に近づいて、扉の隙間から中をそっと覗いてみる。暖かい蝋燭の火がいくつも見えた。マントの男は見当たらなかった。
「……だれも、いない……?」
 ゆっくりと扉を開き、少年はじっくりと室内を見渡して、それから少女を抱きしめた。
「大丈夫、大丈夫」
 少年の声が震える。抱きしめあいながら、二人は一番身近な燭台の蝋燭の火に近づいて暖を取ろうとした。
「あら、いらっしゃい」
 ゆらゆらと揺れる蝋燭を見つめていると、建物の奥から声がした。先程の女性の声だった。二人は声の主を見つけて、顔を明るくした。そこには、寒そうな薄手の白いワンピースを着た、淡い金髪の女性が立っていた。
「あの、えっと」
 少年が言葉に詰まってしどろもどろに相手を見上げる。少女はほっとしたのか、その場にぺたんと座り込んでしまった。それを見て幽霊が拾い上げるように近づき肩を抱く姿を見て、少年も緊張の糸が途切れたように同じくその場に座り込んだ。
「あら、いけないわ。寒かったでしょう」
 少女は寒さに震えていた。幽霊は慌てて屋敷の奥に消えると、大きめのブランケットを何枚も持って戻ってきた。滑るように動く幽霊を、まるで飛んでいるようだと、少女は不思議そうに眺めていた。
 幽霊に導かれ、二人は大きな部屋へと通される。幽霊は暖炉に火をくべると、暖まるように二人を暖炉の前に促した。
「実はね、今、ちょうどたくさんのお菓子があるの。よかったら食べていって」
 幽霊は安心させるように二人の背をぽんぽんと優しく撫でてやる。疲れきって少女は幽霊に凭れかかった。その様子を微笑ましく見つめるワンピースの女性の姿に、少年もようやく表情を穏やかにした。
「お二人は、ご兄妹?」
「うん、妹だ。ぼくがおにいちゃん」
「うん、おにいちゃん」
 ブランケットを深く被り、少年はまだ寒くて体を震わせている。幽霊は少年の髪を何度も丁寧に撫でてあげた。
 不意に物音がして、少年はびくりとした。幽霊もあわせて音のした廊下に視線を向けた。蝋燭の火に照らされた長い影が近寄ってくる。少年ははっとした。森で見かけた男の人が、そこにいたのだ。その男の人は女の人の前までやってくると、手に持っていた瓶を二本、女の人に手渡して、笑わない顔で淡々と自分達を見てきた。
「よろしければ、どうぞ」
「あら、気が利くじゃない」
 瓶ごと温めたようで、それは直接持つには少し熱すぎた。ブランケット越しに妹が先に受け取ると、両手でそれを包み込んで頬に寄せた。
「あったかい」
 女の人がもう一つの瓶を渡してくる。瓶の口から白い湯気がたち、見るからに温かそうだ。中身はミルクのようだった。少年は思わず唾を飲み込んだ。男の人は続いて小さな包みを渡してくる。
「どうぞ」
「あ……ありがとう」
「ありがとう」
 包みの中身は、ジャムを挟んだビスケットだった。二人は恐る恐るそれらを口にする。少女が二口目は大きく頬張って美味しそうにするので、少年も続いてビスケットを口にした。何回か咀嚼して、飲み込む。少年は、そうして俯いてしまった。
「……こわかった」
 ぽつりと少年が呟く。あら大変、と幽霊が反応を返すも、少年は意気消沈したままミルク瓶を握りしめた。
「こわかった」
 少年が泣きそうな不安な顔をするので、思わず幽霊は少年を抱きしめて、その頭を撫でて囁いた。
「もう、大丈夫よ。怖かったわね。大丈夫。もう、大丈夫よ」
 その様子を、吸血鬼はただ淡々と眺めていた。
「……なんだ」
 好奇の目を向けられる。じいっと見つめてくる少女の視線に、吸血鬼はふいと目線を背けた。空の瓶を片づけようと伸ばした手に、少女が触れようとした。反射的に吸血鬼の方が身を強張らせ手を引いた。
「おおきな手だね」
 少女は目を輝かせて吸血鬼を見つめていた。
「耳もおおきいし、人間じゃないみたい」
 暖も取れ、腹も膨れ、余裕が出た様子で少女は兄から離れ、不用意に吸血鬼に近づく。かたや吸血鬼は居心地悪そうにしながらも、膝をついてしゃがみ、少女と目線を合わせる。
「見ての通りだ。人間ではないよ」
 少女は幽霊を見返して二人を比べてから、吸血鬼を見直した。
「すごいね。耳がこんなに大きいし、こうなってる。目もきらきらしてる。きれいだね」
 安堵の笑顔を見せて、少女は吸血鬼の耳を真似るように自分の耳を引っ張って、笑みに目を細めた。逆に吸血鬼が目を見開いて不思議そうにするので、幽霊はくすりと笑った。その隣で不安そうにする少年は顔を歪ませた。
「良かったじゃない。怖がられなくて」
「……あぁ、正直、驚いている」
「ねぇ、違うよ。このひとは……きっと、こわい」
 少女に同意を求めるように視線を投げてから、少年も吸血鬼と幽霊を見比べて言う。
「だって、おねえちゃんは、ふつうだけど……でも、このひとは…さっきから、こわいんだ。ぜんぜん笑わないし……その爪だって……なんで、そんなに爪がとがってるの?」
 今度は少年が話しかけてくる。吸血鬼は自分の手を眺めて、しばし考えてから答えた。
「……なんだろうな。掴むため?」
 自問自答して吸血鬼が自分の拳を見つめて真顔を上げるので、幽霊はおかしくて笑ってしまった。
「……え、じゃ、じゃあ、耳は?」
「よくきこえるため、だよね?」
「あ、あぁ? そうだな」
 少女が代わりに答え吸血鬼が頷くので、少年はそれを聞いて目を見開いた。そこまで問いを聞いて、吸血鬼は表情こそ変えないが内心面白がり始めていた。少年の次の問いを待った。少年は幽霊にしがみつき、吸血鬼をじろじろ見ながら問いかける。
「……もしかして、目も?」
「あぁ、よく見える」
「……さけてないけど、口も……?」
「あぁ、獲物を喰うためだ」
「……えもの?」
「人間だ」
 少年は訝しげな顔をして、じっと吸血鬼を見つめるので、吸血鬼はしばし反応を待った。少女も、同じく閉口して二人を見つめた。
「まるで、童話の、女の子と狼みたいね」
 先に、幽霊が微笑み答える。少年はまさにそれだと言わんばかりにこくこくと頷いた。かたや少女はきょとんとして皆を見返した。
「おにいちゃん、おおかみなの?」
「そう見えるか?」
「ううん」
「怖い?」
「ううん」
「やめろ、こいつは悪いやつかもしれない」
 少女の手を握りしめて、吸血鬼と少し距離を置きながら、少年はまた恐る恐る話し出す。
「……お話の悪いやつは、女の子を食べちゃうんだ。おねえちゃんは無事だったけど、だまされちゃだめだよ! このひとは、ぼくたちも、おねえちゃんも、みんな食べちゃうかもしれない」
 真剣な少年の警戒に、幽霊は唖然としてから微笑ましそうに笑みを浮かべ、吸血鬼は喉を鳴らして声を押し殺して笑った。
「おねえちゃん、逃げよう!」
「大丈夫よ。彼、悪いひとではないもの」
「でも、このひと、ほら、おおかみと一緒だよ! とがった歯してる! 逃げよう!」
「でも」
「食べられちゃうぞ!」
 戸惑う少女の手を無理に引き寄せ、少年は吸血鬼を睨みつける。恐怖に染まった顔で少年は少女を急かすので、少女は不安から泣き出してしまった。
「うわあぁん!」
「泣くな、逃げろ!」
「おにいちゃあああん」
 兄に強引に引っ張られながらも、少女は変わらず二人に手を伸ばして助けを求めた。走り出した二人はあっという間に部屋から消えた。残された二人はお互いに顔を見合わせて、吸血鬼は一言謝罪した。
「すまない。こんなに怖がるとは」
「子供だもの。まだ泣き声が聞こえるわ」
 急ぎ足で二人を追いかけると、屋敷に来た当初のように二人は身を寄せあって震えていた。吸血鬼は自分が追いかけては逆効果だと、幽霊に任せて暗闇に身を潜めた。
「泣くな!」
「おにいちゃああん」
「泣くなって」
「ママー!!」
 そう、少女が叫んだ瞬間だった。
 急に、吸血鬼ですら悪寒がした。体の芯から凍えさせるそれは幽霊からだった。灰色の煙のような冷気が彼女の周りに取り囲む。渦巻く煙は少年達も吸血鬼をも囲う。蝋燭の火が消えた。
「許さない……!」
 幽霊は人が変わったように、低く呟いた。灰色の煙は、明らかに吸血鬼にまとわりつき、縛りつけるように重くのしかかる。彼は耐えきれず地に膝をつく。子供二人は急に暗くなって声も忘れて怯えているようだったが、灰色の煙に包まれるように覆われて姿が見えなくなった。
「許さない許さない!」
 幽霊は取り憑かれたように、それだけ繰り返し始める。まとわりつく煙を振り払いながら、吸血鬼は抵抗するよう立ち上がった。幽霊は次第に宙へと浮いていく。吸血鬼は慌てて彼女の手を掴み戻す。容易く幽霊は引き戻され、虚空を見つめていた目線をゆっくりとこちらに向ける。だが、目が合わない。
「目を覚ませ」
 掴んだ手が実体を失くすようにすり抜ける。腕を掴み直して何度か問いかける。許さないと繰り返しながらも、瞳孔のぼやけた淡い色の眼はじろりと吸血鬼をはっきりと捉えた。吸血鬼はもう一度問いかける。
「目を覚ませ! 何を許さないんだ」
「……え?」
 はたと、我に返った幽霊が吸血鬼を見返す。と、同時に煙も一瞬で消え去った。幽霊は掴まれた腕を見て、それから改めて吸血鬼を見直す。
「……なんのお話だったかしら?」
 照れ笑いのような曖昧な表情で笑えば、幽霊ははにかんで小首をかしげる。平然とする幽霊に遅れて、吸血鬼は慌てて強く掴んでいた手を離した。
 彼女の手をすり抜けた時、一瞬焼かれたような感覚がした。なんともない己の手を見つめてから、幽霊に視線を移す。何事もなかったかのように消えた燭台の蝋燭の火をつける幽霊に、声をかけようとして、吸血鬼ははたと辺りを見回し、口を噤んだ。どこにも、子供の姿がなかったからだ。
「どなたか、いらっしゃるの?」
 かすかにふわりと風がそよぐ程度に空気が揺れた。人魂にされたんだなと、吸血鬼は思った。幽霊の問いかけに、吸血鬼は身なりを整えながら、さぁと肩をすくめた。
「もしかして、もうお帰りになられたの?」
「…… あぁ、“かえられた”よ。少し、有名な童話の話をして」
 違和感が拭えないまま、吸血鬼は幽霊に適当な言葉で受け答える。何十年もの記憶を遡りながら、あぁ、あれだと思い当たる。視界を覆う灰色の煙は、以前、書斎で遭遇した存在と似ているのだ。あれと同じくらい重く、吸血鬼の彼ですら冷たく感じた。
 そもそも、おかしかった。滅多にいない屋敷への迷い人だが、それでもあそこまで長時間生き延びた者はいない。幽霊が甲斐甲斐しく他人の世話を焼く姿も初めて見た。
 何食わぬ顔で蠟燭に火を灯し、微笑んでいる彼女を眺めながら、吸血鬼はこれだけ長くいるのに彼女を知らないなと改めて思うのだった。

魔女の物語

 その日は、バケツをひっくり返したような雨の日だった。地面に伏せる女性から血が止めどなく溢れ、地を汚し、雨が洗い流していく。彼女はそれを無表情で膝をついて見ていた。その目は雨なのかまたは別のものなのか、濡れていた。
 地に伏せる者が弱々しく手を彼女に伸ばす。その手が頬を優しく撫でると、弱っているとは思えぬほどの優しい頬笑みを浮かべて言った。
「大丈夫、あなたはひとりじゃない……あとは、よろしくね…………」
 自分の頬に伸びた手を、壊れ物に触れるように握り返した。言われた内容が頭を駆け巡り、現実を突きつけるのを感じた時、唇を噛み目の前の現実を否定するように首を弱々しく横に振る。そんな幼子のような行動をする彼女に、横たわる女性はそれを微笑ましく見つめ口にする。
「あぁ……可愛い私の愛弟子………あなたと過ごせた時間は…素晴らしいものだった……私に生き甲斐をくれて…ありがとう………可愛い可愛い…私の…猫ちゃん……」
「……っ…ぃゃ……」
「ふふ、ほんと可愛い……大好きよ………」
 やっと絞り出した否定の言葉に笑顔を返し、ゆっくり目を閉じた。頬に触れていた手から力が抜ける。握った手から滑り落ちそうになった手を慌てて掴み直した。笑顔を携えたまま動かず声も発しない女性に、彼女は更に首を横に振り否定の言葉を口にする。
「いや、……いやだ……だめ……ダメだってば…! 私が嫌って言ってるの!! 起きてよ! ねぇ起きてってば!! いやだ、いやだいやだいやだぁー!!!」
 彼女の悲痛の叫びは土砂降りの雨の中にかき消されていく……——

 魔女が生まれ落ちる時は天気が悪い。誰の言葉だったか、今はもう分からない。しかし、その言葉だけは残り続けていた。その言葉通り、彼女が生まれ落ちた日は雷の鳴る嵐の日だった。豪風に負けない元気な産声をあげて彼女はこの世に誕生した。そして、彼女の元気すぎる産声で納屋は軋み屋根は一部壊れた。
 彼女は幼い頃から魔力を多く保有していた。幼い体に多すぎる魔力は毒となり、よく体調を崩し魔力の暴走も起こしていた。赤子は泣くのが仕事だ。言葉を喋れない分、泣いて意思表示をする。しかし、彼女の場合泣くたびに魔力が溢れることが多かった。彼女の母は常に魔力に当てられながらご飯をあげていた。手伝ってくれる者はいない。父は彼女を恐れ近づくことはなく、近所の人も彼女の産まれた時のことを聞き、噂にし、近づかなかった。
 彼女の母は孤独だった……。自分が望んで産んだ子供。でも、こんな結果を望んではなかった。
 誰が想像できるだろうか? 自分の産んだ子が、多すぎる魔力により毎日毎回泣くたびに大なり小なり魔力を溢れさせるなど。その強力な魔力に当てられながら苦しみながら育てるなど……。誰も想像できなかっただろう。
 そんな助けのない生活をして一年。彼女の母は、狂った。父は彼女を外鍵の小屋に押し込め、母を看病した。少なくとも愛はあったのだろう、母には。妻にした女性だ、子育てを押しつけた罪悪感もあったのかもしれない。一歳になったばかりの自分の娘よりも、妻を優先するくらいには。
 一歳になった彼女は、幼いながらも自分のおかれた状況をなんとなく感じとっていた。
 だから、泣かなくなった。
 食事は来る。少量の食事が日に三度。小屋には寝る場所は作られている、粗末なボロボロの寝具。雨風を凌ぐ屋根や壁はある、今にも壊れそうな屋根と壁。彼女が無意識のうちに覚えた魔法は、防壁の魔法だった。寒さや暑さ、隙間風を防ぐ防壁魔法。ボロボロの薄い毛布に包まりながら覚えた魔法だ。
 二歳になる頃には水魔法を覚えた。幼少期はとにかく栄養を摂る必要がある、しかし少ない食事量では十分な栄養はとれず常にお腹を空かせていた。そんな彼女が覚えた生きるための魔法だ。飲み水を作る水魔法。
 そんな生活を続けて四歳の時、パタリと食事が来なくなった。変わりに家の方からは賑やかな笑い声と赤子の泣き声が聞こえてくる。
 母が、子を産んだ。彼女は姉となった。しかし、自分の弟もしくは妹を見ることは今後ないだろう。なんとなく、彼女は察していた。
 このままでは飢えて死ぬ。わずかな食事でも常に腹を空かせていたのに全く来なくなくなった今、いつ死んでもおかしくない。
 彼女は、家を出た。
 ——捨てられたんじゃない、私から捨てたんだ。
 心の奥にある悲しみに顔を背けた。ボロボロの小屋から出るのは簡単だった。
 初めて外を見た。右も左も分からない。でも何となくこっちに進めば誰かに会うという直感はあった。それは彼女が保有する魔力が多いからこそなのだが、今の彼女はそれを知らない。
 目指すは一番近い町。ボロ切れの服を纏って薄汚れた姿でひたすら歩いた。栄養不足の四歳の幼子が歩くには辛い道を、ひたすら。舗装されていない凸凹の道に、何度も足を取られながら必死に歩いた。振り返ることはなかった。
 大人の足なら何分もかからない道を何時間もかけて歩いた頃、疲れと足裏の痛みと空腹で歩を止めた。道脇に座り込み足の裏を見た瞬間、彼女は眉間に皺を寄せた。ずっと閉じ込められ、ボロ切れを服代わりに着ている彼女に靴などという足を守ってくれるものはなく、そんなものがあることすら彼女は知らない。生まれた時から素足が当たり前だと思っているし、服もこれが当たり前だと思っている。大人と子供で着るものが違うかもしれないというのは感じていた。それは親の服装を見ているからだが疑問に感じるほどではない。そして、ここに来るまで誰一人として会っていないことから今の気持ちは一つ。
 ——足痛い、お腹空いた……。
 血は出ていないが、赤く腫れた足を見つめた。四歳の幼子には辛い選択を迫られた。また歩くか、ここで立ち止まるか。進む道の先に家も町も見えない。通り過ぎた道の先には、まだ家が見えている。
 何時間も歩いたが、進んだ道はほんのわずかなことが分かり悲しみが込み上げる。これは、彼女には初めての外で幼い身体に栄養不足による体力のなさの結果なのだが、今の彼女には知る由もないことだ。
悩みこんで俯いていた時、目の前が人影により暗くなった。不思議に思い顔を上げると、そこには女性が立っていた。母以外で、初めて見た女性だった。
 いきなり現れた人物に唖然とする。そんな彼女の胸中とは裏腹に女性はニコッと明るく笑い言った。
「はじめまして、あなたと同じ魔女です」
 それが、後に彼女が師匠と慕う女性との出会いだった。女性は何も話さずじっと見てくる彼女に、不思議な顔を見せ目線を合わせるためにしゃがみ、もう一度話しかけた。
「はじめまして、あなたと同じ魔女です。あなたは…ここでなにしてるの?」
「………」
「……足、痛いの? とても赤くなってるものね」
「………」
「こんな道端で座り込んで……休憩中かな? あそこに見える牧場があなたの家?」
「………」
「牛さん、おっきいねぇ〜。私、牛って食べるのも見るのも好き。でも、一番好きなのは〜〜猫!! 可愛いもの!! あなたはどう?」
「………」
 何も返さない彼女を無視して女性は喋り続ける。一通り喋り続けたあと、女性はようやく疑問に思って彼女に聞いた。
「あなた、もしかして……話せない?」
「………」
 彼女は困った。話しかけられ質問されているのは分かる。でも、なんと言えばいいのか言葉が分からない。生まれてから話したことも泣き声以外で声を発したこともない。ずっと小屋に閉じ込められ、食事を持ってくる父は彼女を見ることもなく話かけることもなかった。唯一言われたのは「食え」だ。その単語すら意味が分からない。ただ、持ってきたのはご飯だというのは理解した程度だ。乳飲み子の時に世話していた母からは、苦しみを耐える声以外で聞いた言葉は「早く終わって」だ。
 彼女は、自分の名前すら呼ばれたことはなく、自分の名前も知らない。
 言葉を教えてくれる人も話しかける人もいなかった。
 こんなに話しかけてきた人は、目の前の知らない女性が初めてだった。なんと返せばいいのか分からない。困惑の他に感じた感情は、喜びだった。
「えっ! ちょっとどうしたの??!!」
 いきなり無表情で涙を流した彼女に、女性は驚き戸惑った。彼女は自分の頬が濡れているのに気づくと、頬を手でそっと触った。
 泣いている。
 そう自覚した途端止めどなく涙がこぼれた。叫ぶような声が耳に届くと同時に喉が痛くなってくる。自分の声だ、と自覚しても止まらなかった。
 女性はそんな彼女の姿に戸惑いを見せたが、何かを察したかのように顔を引き締めると抱き締めた。背中を優しくぽんぽんとあやす様に撫でて、伝える。
「……大丈夫だよ、泣いていいよ…傍にいるから」
 彼女はそれに更に声を上げて泣いた。女性は彼女が泣き止むまで手を止めず、ずっと抱き締めた。
 彼女は、数年ぶりの涙をたくさん嬉し涙として流した……。

 この出会いから数年後……。彼女は今、あの時の女性と共にいた。齢十二歳になった彼女は今、ふくれっ面で女性を探していた。姿を見つけると声をかけた。
「ちょっと師匠! また私を置いてったでしょ!!」
「あら、黒猫ちゃん。おかえりー」
 師匠と呼ばれた女性は、ふくれっ面でプリプリと怒る彼女に胸中で愛らしいと思いながらも、それを口に出した瞬間更に怒るのは分かっているので黙って別の言葉をかけた。彼女は師匠のその飄々とした態度に、更に言葉を投げる。
「置いてくなんて酷い! なんで私を置いてったの?!」
「黒猫ちゃん一人なら、無事に帰れると思ったから」
 ふふっと効果音がつきそうな笑顔でサラッと答える。それに、彼女は眉間に皺を寄せながら反論する。
「それは! 確かに、私は師匠の愛弟子だし? 別に、大型モンスターが何体来ようと、置いてかれようと、平気だけど……でも……でも……!」
 言葉を途切れさせ下唇を噛み締める彼女に、師匠はそっと彼女を抱き締めた。
「私はもう…子供じゃない……」
「そうね、立派な魔女で可愛い私の愛弟子の黒猫ちゃん」
 そう言いながら腕を解かず、彼女も拒むことはなかった。
「……ひとりにしちゃいや」
「ごめんなさいね、私の可愛い黒猫ちゃん……許して」
「……いいよ。でも、今日は一緒に寝てくれなきゃいや」
「あら、可愛いお願いね。もちろんいいわよ」
 引き取られた数年で、彼女は師匠に完全に心を開いていた。彼女は師匠に、尊敬と敬愛を抱いていた。師匠と過ごした日々は彼女にたくさんのことを教えてくれた。
 人間の常識、魔法使いの常識。
 魔力の使い方、魔法の使い方。
 魔法の知識、生きる知識。
 戦い方、守り方、逃げ方。
 そして、名前と共にたくさん注がれた愛。
 けれど、師匠が彼女の名を呼ぶことは少ない。それは魔法使いの常識で教えられ理解している。
 魔法使いにとって、名前とは魂に結びつく真名。真名を知られるというのはとても危険なこと。それは魂を野晒しにするのと同じこと。だから、普段は魔法使い達はあだ名で呼びあう。そして師匠が彼女につけたあだ名は【黒猫】だった。
 彼女は、与えられた名もあだ名も気に入っている。なぜなら大好きな師匠がつけてくれたからだ。その名に恥じないように彼女は努力した。見た目も、力も、知識も。全ては師匠と一緒に暮らしていくために。
 彼女は、師匠以外はどうでもよかった。国の人が困っていても感謝されても恐れられても、どうでもよかった。その中で王族は嫌いだったが、師匠は優しくお願いされたら手を貸すのでいつも渋々言うことを聞いていた。例え理不尽なお願いでも、師匠は手を貸した。それは、彼女が十四歳になった時も変わらなかった。
 彼女は不貞腐れた顔で師匠と朝食を取っていた。師匠はまるで可愛い子供を見るような優しい瞳で彼女を見て、いつものように優しい声で話しかけた。
「まだすねてるの? 私の可愛い黒猫ちゃん」
「すねてない。怒ってるの」
「まぁ、そうなの。可愛いわね、ぷりぷり怒っちゃって…ほんと可愛い」
「むぅ……。師匠ってば、とりあえず可愛いって言っとけば私が機嫌直すって、勘違いしてるでしょ」
「そんなこと、思ってないわ。いつも可愛いと思ってるから、それを素直に口に出してるだけよ。ねっ?」
 同意を求めるように、師匠の隣にちょこんと座っている使い魔の黒猫に声をかけた。黒猫はいつもの光景だと呆れた鳴き声を出した。そんな様子に彼女は更に頬を膨らませ言う。
「ごまかし禁止! ていうか、あの王様ほんと嫌い! 師匠に何度も助けられてるくせに、なんであんな偉そうなの! 王子だっていつも気色悪い目で私のこと見てくるし、王妃は高飛車だし、ほんと嫌い!!」
「落ちついて、黒猫ちゃん」
「落ちつけない!! ねぇ、師匠……こんな国、出ようよ」
 ここ最近、彼女が言う台詞だった。彼女の実力は師匠と並ぶほどになった。この国にこだわる理由もない、師匠がいるからここにいるだけ。今なら足手まといにならないで共に旅ができる。そう思うから発した言葉だ。師匠は言われるそのたびに困ったように笑い首を横に振り拒否する。そして、言うのだ。
「無理よ、ごめんね」
 なぜなのか、教えてはくれない。彼女は悲しい気持ちになるけど、むりやり聞き出そうとはしなかった。しんっと朝食の席に静寂が訪れる、それを破ったのは師匠の声だ。
「あっ、そうだ、黒猫ちゃん。あなたにプレゼントよ」
「なに?」
「手を出して」
 ニコニコと笑いながら言う師匠に、彼女は呆れと嬉しさを混ぜながら素直に両手を出す。手に乗せられたのは黒い煌めく石だった。すぐになんなのか分かった。
「……これ、ブラックダイヤ?」
「そうよ、正しくは原石だけどね。それに魔力を注ぎながら使い魔を作るのよ。あなただけの使い魔をね。私の使い魔もブラックダイヤから作ったの。宝石の中でもダイヤは純度が高くて魔力が注ぎやすい。その反対にブラックダイヤは難しいけど、成功すれば他のどんな媒体よりも強力で長く生きる壊れにくい使い魔ができる。あなたなら大丈夫なはず。だって、私の愛弟子だもの」
「師匠……」
「ふふ、信じてるわ。私の可愛い黒猫ちゃん」
 そう言いながら師匠は彼女の頭を撫でた。
 彼女は師匠に「私の黒猫ちゃん」と呼ばれるのも優しい声で呼ばれるのも話しかけられるのも優しい瞳を向けられるのも抱き締められるのも頭を撫でられるのも隣にいるのも全部全部好きだった。

 好きだったのだ。
 ずっとずっと一緒に過ごしたかったのだ。

 土砂降りの雨の中、冷たくなった師匠の前で呆然とする。その時、腕に弱々しく何かが触れた。目線だけを向けると、そこには黒猫がいた。
「……師匠の使い魔…」
「…にゃー………」
 弱々しく鳴いて、黒猫はブラックダイヤに戻った。師匠の魂が肉体から離れた証拠だ。彼女は黒猫だったブラックダイヤを手に取る。魔力を注ぎ加工を施し、師匠が被っていた帽子にチェーンを巻いて括りつけた。帽子を胸の中で抱き締めた。
「……ひとりじゃない…ひとりじゃない…」
 何度か自己暗示の様に呟いたあと、立ち上がり帽子を被る。魔法で亜空間を作ると師匠をそこにしまった。自分と師匠しか知らない見晴らしのいい場所に埋葬するために。
 師匠が亡くなってから、すぐに王族に呼ばれた。王命で王子と婚約することになった。正直気持ち悪いし嫌だったが、師匠のことを思い受け入れた。何度も何度も貴族から庶民から、依頼を受けた。全部全部どうでもよかったが、師匠のことを思い、受け入れた。王子は自分にいやらしい目線を向けてきたが無視した。手を出されるのだけは嫌だった。師匠に愛され育てられた、師匠のために磨き上げたこの体を汚されたくなかった。王子は学園で浮気していると報告してきた令嬢がいたが、どうでもよかったので無視した。
 そんな感情が動かない灰色の日々をひたすら過ごした。師匠を思いながら……——

 師匠からの最後のプレゼント
 ブラックダイヤの原石
 毎日毎日毎日毎日毎日毎日、師匠を思いながら
 魔力をたくさんたくさんたくさんたくさん注いだ
 毎晩毎晩、涙を流しながらたくさん注いだ

「……っ……師匠……ひとりにしないでよ……」
 そんなある日、たくさん注いだ魔力に答えるように、ブラックダイヤが虹色に光り輝いた。その現象に彼女は涙を止めて呆然と見つめる。ブラックダイヤは石とは思えない柔らかい動きで姿を変えていく、一つの姿に形を成していき光が納まっていく。その姿に彼女は戸惑いと喜びが溢れる。
 使い魔は一声鳴く。
「にゃー」
 美しい黒猫だった。
 使い魔ができてから、彼女の気持ちは少し浮上した。相変わらず国の人間はどうでもよかったが師匠と黒猫のために受け入れた。
 しかし、それを崩したのは王子だった。いつも断っていたお茶会だったが、王命として出ろと言われたために渋々参加した。
 彼女は良くも悪くも有名人だ。可愛い姿と溢れんばかりの知識と力、ほしいと思う者は多いがそれと同じくらい恐れる者も多い。ワガママな性格というのも有名だった。扱いにくく、素直に言うことを聞かず必ず二言三言、むしろ五言文句をズバズバ言っていく。そんな彼女が素直に言うことを聞いていたのは今は亡き師匠のみだった。だから今彼女を諌める者はいないと言われていた。そんな彼女が、一人でお茶会会場に現れた。周りは騒然としている。
「……つまんない」
 ケーキを食べながら彼女はこぼした。肩に乗る黒猫はしっぽを揺らしながら同意するように一つ鳴く。ため息を零し帰ろうかと考えた時、声がかかった。その声に表情を無にしながら振り返る、案の定そこには一応の婚約者である王子が知らない女を侍らせて立っていた。
「よう、来たな」
「はい、王命なので」
「素直に言えばいい、俺に会いたかったとな」
「頭お花畑なのは相変わらずね。この国の将来は地獄だね」
 会話にならない会話を繰り返す。無表情で淡々と返していく彼女に王子は気にした風もなくニヤニヤ笑いながら話しかける。隣に立っている令嬢は気に入らないような顔で彼女を睨んでいた。
「(何この女……誰? ……少し前に報告された浮気相手?)」
 なんとなく当たりをつけて言った。
「その人が学園で特に親密に関わっている令嬢ですか?」
 そう言うが早いか令嬢は顔色を変えて言った。
「やはり、あなただったのですね!!」
「はぁ?」
 いきなり言われた言葉に彼女はわけが分からなかった。しかし令嬢は被害者のような顔で目に涙を溜め王子にしなだりながら言った。
「申しましたでしょう、殿下。彼女こそ私に害をなそうとしている真犯人だと」
「なんと……誠だったか」
「彼女は私と殿下が親しくしていることが気に入らず、悪しき魔法を使い、私を呪おうとしているのです」
「……はっ?」
 令嬢の言っていることが一つも理解できない彼女は、ただ首を傾げるばかりだ。何も反論しない彼女に王子には見えない角度で勝ち誇ったような笑みを見せ令嬢は言った。
「この国のために、そして殿下のために今すぐに婚約を破棄することを勧めますわ」
「……なるほど、そうか…」
 王子は腕に当たる令嬢の胸に視線を向けながら真剣に悩むふりをするが、鼻の下が伸びているのを隠せていない。どれほどスケベなのかと彼女は侮蔑の視線を王子に向けた。そして、令嬢がしようとしていることがようやく合点がいき言った。
「そんな面倒くさいことしなくても、喜んで婚約を白紙にするけど。私、したくて婚約してるわけじゃないし」
 言い終わらぬうちに王子は言った。
「やはり魔女は危険だな…あの女も危険な存在だった。父を誑かし脅していたんだ」
「……はっ?」
 王子の言葉に彼女の怒りが膨れ上がる。それに気づかぬ王子と令嬢は、いかに魔法が危険か、魔法使いが危険か、そして特に魔女が危険かを説く。王族に所属している魔法使いは王族が管理しているが、師匠と彼女は所属していないから危険だと言った。いつも脅されていた、この婚約も彼女に脅されたから受けた、と宣った。その言葉を信じた周囲の貴族は、彼女を責めたてる。王子と令嬢は周りを味方につけられたことで優位に立てたと思ったのだろう、得意げに笑った。そして、王子は言った。
「婚約を破棄し、王族を謀り暗殺をしようとした罪で処刑だ。やはり危険な魔女は初めからこうするべきだった。お前も死ねばよかったのだ、あの女のように」
「…………っ……!」
 ドンドン怒りが膨れ上がる。師匠を貶された、自分と師匠の美しい日常を汚いもののように言った。あんなに尽くしていた師匠を馬鹿にした。嘘八百を並べて……許せない!
 彼女の怒りは頂点に立つ。パンっと何かが弾けた。
「……(この国、潰す……! 同調した周りの奴らも同罪だ!!)」
 何も言わず立っている彼女に、王子は勝ちを確信した。堂々と騎士を呼び彼女を捕えるように言った。
 制御の首輪をつけられた。使い魔の黒猫は逃がしておいた。強引に連れられる時に帽子が床に落ちた。
「あっ、帽子……」
 ふっと我に返る。帽子に目線を向けた時、王子が帽子を拾い上げた。
「なんだこの汚いものは、この高貴な茶会に相応しくない。捨てておけ」
「ほんと汚い……あっ、この石は宝石ですわ。私、これだけ頂いても?」
「んっ? あぁ、いいぞ。落ちていたものだからな」
「っ………… (殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す)」
 王子が帽子から宝石を取ろうとした瞬間、黒猫が現れ帽子をかっさらって行った。いきなり現れた黒猫に王子含めた会場にいる貴族は慌てている。
 彼女は少しいい気味と思いながら、大人しく騎士に連れて行かれた。

 数日が経った……。
 その日は、バケツをひっくり返したような雨の日だった。後ろ手に縛られ、呪文を唱えられないように猿轡を噛ませられている。暗い牢屋から出された彼女は今、大罪人として処刑されそうになっていた。
「お主は王子の婚約者にも関わらず、王家に敵対し、王命を無視し、果ては自らの婚約者とその友人である令嬢を殺めようとした! これは立派な国家反逆罪だ。よって、今からお主を処刑する!!」
 彼女は馬鹿馬鹿しいとでも言うように鼻で笑う。
「(何言ってんの、このタヌキハゲジジイ。息子も馬鹿だし、親もほんと馬鹿)」
 彼女の処刑を見ようと、国中の者が集まっていた。貴族を始め平民、果ては奴隷まで……。頼りにされ恐れられ嫌われていた彼女の最後を、酒の肴にしようとたくさんの者が集まった。誰も王が言っていることに疑問を抱いていない、抱く必要はないのだ。理由などなんでも良いのだから。だから、彼女を救う者など一人もいない。
「刑を執行せよ!」
 処刑人によって荒々しく処刑台へと連行される。その間、あちこちから罵倒の言葉が彼女に向けられる。自分の元婚約者はニヤニヤしながらこちらを見ている。
「(別に愛してないけど、ムカつく)」
 愛したことなど一瞬もない。見た目も性格もタイプじゃなかった。ただただ、自分をいやらしく見つめる視線に吐き気がした。腐っても王族の一人、殺すわけにはいかない。だから、関わらないように避けていた。
 あいつは女癖が悪かった。でも、構わなかった、婚約がなくなるなら万々歳だったが、アイツらは侵してはならない一線を越えた。
「(絶対に、許さない…………)」
 タダで死ぬつもりはない。そもそも死ぬつもりはない。
 やるならド派手にやって、後悔させてやる。
 この国は……大嫌いだ!!
 首がギロチン台に固定される。王が手を上げ、下ろした。
 刃が迫る………………首に当たった。
 ざわっ……ざわっ…………
 見物人達が騒ぎ始める。それもそうだろう。ギロチンの刃が首に到達した筈なのに、彼女の首は繋がったままだ。処刑人は慌てたように王に視線を向ける。王は何が起こっているのか分からなかった。
 彼女が起き上がった、欠伸をこぼしながら。
「もう終わり? 満足した?」
「なっ……なぜ生きている!」
「当たり前でしょ? だって、私、強いもの。この国で二番目に……あっ、今は一番か。一番強いって忘れたの? ギロチンなんかで死ぬわけないじゃん」
「弱体の魔法をかけたはずだ!!」
 そう叫んだのは魔導師団団長だ。彼の言葉に彼女は呆れたように返す。
「あんたの雑魚魔法が私に効くわけないじゃん。なんで分かんないの? まじ、無駄」
「っ……!!」
「さーてと…もう囚人ごっこも飽きたし、もう、この国、滅ぼしちゃうよ?」
 彼女の言葉に王は慌てたように言う。
「なっ、何故だ! お主の故郷ではないか!!」
 その言葉に彼女はあっけらかんと言う。
「だって、この国、嫌いなんだもん」
 その顔は、可愛らしかった。
 あっという間だった。
 まずは平民を殺った。次は奴隷に催眠をかけ憎んでいる貴族を襲わせた。催眠をかけていない奴隷も、便乗して殺っているのを見た時は思わず笑ってしまった。その光景を動けないように魔法をかけて王族に見せつけた。王族達は苦しそうに顔を歪めていた。特別に王子には自分のお気に入りの令嬢が嬲り殺されるのを目の前で見せてあげた。涙を流していたことに更に笑ってしまった。
「なぜこんなことを……」
王子が問う、彼女は不思議そうに言った。
「あなたから始めたんでしょ。私の大事なものを傷つけて……。だから、お返し」
「……大事なもの? もしかして、あの茶会でのことか? そんなことで……」
「あっきれた! 全然分かってない! やられたら〜やり返される覚悟くらいしとくもんでしょ。私に喧嘩売ったのは運が悪かったね。私、あなたのお父さんにも怒ってた。でも、約束があったからね、我慢してたんだよ? それをあなたが台無しにした。何もかも!」
「……ぁあ」
「しょうがないよねぇ?」
 ニコッと無邪気に笑いながら彼女は言う。この惨劇を繰り広げている者とは思えないほど無邪気な笑顔だった。
「そんなに私のことを……」
「あっ、やめて」
 嫌な予感がした彼女は王子の口を喋れないよう魔法で縫いつけた。そして、はっきりと言う。
「わたし、あなたが、大嫌い、最初からね」
 子供に言い聞かせるように伝えた。
 その後、国に二つの影があった。
「………」
 呆然と国だった地を元王は眺めている。その横に彼女は佇み言った。
「……やっと、恨みを晴らせる。私の師匠を殺した、罪人……ずっと、あなたを探してた……。師匠はあんなに強いのに、なぜかこの国から出なかった。この国に縛りつけられてた理由……あなたが師匠の真名を盗んで、魂を縛りつけて、利用するだけ利用して、捨てた……! ほんとムカつく。大っ嫌い。ずっと殺してやりたかった」
「……なぜ、殺さなかった?」
「師匠に言われたからに決まってるじゃん。あとはよろしくねって。だから、今までそうしてきた! なのに! 師匠からもらったたくさんの大事なものを、私と師匠の美しい思い出を、あなたのバカ息子が汚したから……もう、こんな国、消すことにした」
「…………そうか……」
 そう言ったあと、彼女は晴れ晴れとした笑顔で王をギロチン台にかけて刃を下ろした。
「ギロチンも不発のままじゃ、可哀想だもんね」
 国を滅ぼした彼女は、その地を後にした。師匠から受け継いだ知識と宝物を持って。
「でも、みんな、馬鹿だよね。私が口を塞がれたくらいで魔法が使えないとか思い込んで……口にしなくても使えるに決まってんじゃん」
 ポンっと音を立てて彼女の手にキャンディーが現れた。それを舐めながら、この後を考える。
「……んんー、どっかに面白い人いないかなぁ……」
 彼女の肩に黒猫が、ふわりと音もなく乗る。重さを感じない存在に彼女は視線を向け言う。
「さぁ、行こう。私の可愛い黒猫ちゃん」
 黒猫は一つ同意するように鳴いた。彼女は師匠が褒めた笑顔を浮かべる。この後数年もしないうちに、彼女が幽霊屋敷を見つけ愉快な仲間達と出会うことを、この時の彼女はまだ想像もしていなかった。

魔女の旅路

 青々とした草原にぽつりとある小高い丘の上に人影が一つ。まだ幼さの残る顔立ちの少女が立っていた。足元には綺麗な毛並みの黒猫が一匹、少女に話しかけるように一つ鳴いた。
「うん、分かってる。行こうか」
 暖かな風が吹いて彼女の黒い短い髪をなびかせる。横髪が顔にかかったのを耳にかけながら、彼女は黒猫に答えると、黒猫に向けた視線をさっきまで見ていたものに戻す。にこりと笑顔を浮かべ明るい声で言った。
「じゃあね、師匠。また来るから」
 師匠の墓碑にそう伝えると墓碑の周りに永久結界と永久保護の魔法をかけて、足取り軽くその場を後にした。墓碑にかかったブラックダイヤが見送るようにキラリと陽に当たり光った。
 師匠と出会い別れた地、そして自らの手で滅ぼした国を去った。
 ザザーという波の音を聞きながら、魔女は岩場に腰掛け考えていた。魔女の足元では黒猫が貝殻で遊んでいる。
「さて、どうしようかな…どこに行こうかなぁ」
 国を滅ぼしたことに後悔はないが、行く場所を決めていなかったので立ち往生してしまっていた。海を眺めたり、黒猫がカニと格闘している様を眺めたりしながら、思い出すのは師匠との会話——
「師匠って、全然年を取らないよね」
「えっ? そんなことないわよ。最近は顔の小じわが気になってきてね…黒猫ちゃん並みのピチピチさがなくなってきたわ…」
しょぼんとしながら魔女の両頬をムニムニ弄る師匠に、魔女はされるがまま話す。
「しょんなこと……なぃ……とぉもう……」
「黒猫ちゃんの頬はモチモチねぇ、ふふ」
 にこにこ笑いながら頬を弄る師匠に構ってもらえて少し嬉しく思いながら、聞く。
「師匠は、人間じゃないんだっけ?」
「そうよー、だから黒猫ちゃんを見つけられたのよ。人間より魔力を感じ取ることが得意なの。黒猫ちゃんは魔力が有り余りすぎて、幼い体に収まらなくて垂れ流し状態だったからね。でも、私の故郷には、魔力を感じ取ることが得意な人ばかりだったなぁ…魔力遊びも良くしたわ」
「そうなんだ……師匠の故郷、興味あるなぁ。行ってみたい!」
「ふふ、いつか一緒に行きましょうね」
 ——悲劇が起きる前の、他愛のない師匠との会話だ。
「師匠の故郷……」
 魔女は静かに呟いた。その故郷がどこにあるのか、詳しい場所を聞く前に師匠とは死別してしまった。だけど、大まかな場所は聞いていた。
「森がたくさん密集してて、暖かい場所」
 なかなか人が立ち入らない奥地にあると言っていたのを思い出す。それがどこなのかは分からないが、それを探す旅も悪くないような気がしてきた。
「よし、決まった!! 森を探す! 行くよ」
 魔女に声をかけられ、ヤドカリに猫パンチしていた黒猫は魔女の肩に戻った。それを確認した後、魔法で船を造ると魔女達は乗り込んだ。
「目標は…鬱蒼と生い茂る森の奥地、師匠の故郷!!」
 ワクワクした声音で言う魔女に、黒猫は答えるように一つ鳴いた。船旅を続けて一週間が経った頃、魔女は船から島影を視認した。
「やっと、陸が見えた…船旅も最初はいいかもと思ったけど、何もないから退屈!」

 船から見えた陸に着いたのは、それから二日経った頃だった。砂浜に降り立ち魔法で作った船を消す。ぐるりと周りを見渡し何があるかを確認した。降り立った場所は崖に囲まれていた、海を正面にした崖から一人分の木の階段が不格好ながら木と縄で取りつけられていた。崖の高さはそんなに高過ぎず緩やかにカーブしている。崖の終着点からは僅かに緑も見える。
「……う〜ん……無人島ではなさそうだね」
 魔女は取り付けられている階段を使い崖を登った。不安定な階段を登り十分弱、ようやく崖の頂上に辿り着くと、目の前には草原が広がり、その中心部には白い小さなドームテントのようなものが転々とあった。よく見ればヤギや馬らしき動物もいる。
 魔女は見たこともない光景にワクワクしてきていた。
 まっすぐドームテントに近づいてみると人影が見えてきた。最初に見えた老婆らしい人影へ近づく。老婆は切り株のようなものに腰掛け鶏に餌を上げていた。人の気配でも感じたのか魔女が話しかける前に顔を向け、魔女を確認すると驚いたような表情で声をかけた。
「おや、お前さん…海から来たのかい?」
「うん、そうだよ」
 老婆の言葉にサラリと答える。その返答に老婆は更に驚いた表情をしたが、すぐに緩やかな優しい笑顔を向けて言った。
「そうかい…よく来たねぇ」
 恐らくこれがいつもの表情なのだろうと感じることができた。初対面でもわかる優しい穏やかな雰囲気を出しながら老婆は続けた。
「遠いところから来たんだねぇ…船旅は疲れたろう? ご苦労だったねぇ」
「おばあちゃんはここで何してんの?」
 その空気感は悪くないと思いながら魔女は質問した。
「見ての通り、鶏に餌をあげていたんだよ。お昼の時間だからね」
「ふーん…そういえば私もお腹空いたな」
「おやまぁ、そうかい。私もお昼がまだなんだ。良かったら、一緒に食べていくかい?」
「いいの?」
「あぁ、もちろんだとも」
「じゃあ食べる!」
 魔女の返事に老婆はニコニコ笑いながら自分の家に案内した。老婆の家はすぐ近くにあった。その間に会った他の人達は見ず知らずの魔女に優しく挨拶していった。
「いらっしゃい」
「よく来たね」
「よかったら、ゆっくりしていってね」
「可愛いお嬢ちゃんだね、いらっしゃい」
 この村に住む村人全員が老婆のように優しい人達ばかりなのだと思った。それは村の雰囲気からも感じ取ることができた。
 この村に来てから一週間、魔女は老婆の家に間借りして過ごしていた。この村の雰囲気がすっかり気に入っていた。一週間過ごしてわかったことは、この村は移動する村で、村人達はいわゆる遊牧民だということだった。
 季節に合わせて一定の決まった場所を転々と移動するらしい。だから、村人の家も運びやすいテント型にしているのだという。魔女はこの村で知らない世界や体験したことのないことに触れて楽しく過ごしていた。
 ただ一つ面倒なことがあるとすれば、一人の少女に懐かれてしまったことだ。この村に来て二日目の時に出会ったその子は、元気な声で魔女に話しかけてきた。最初は普通の子だと思った。その子以外の子供達も魔女に話しかけてきていたから、大して気にしていなかった。しかし、その子は他とは違った。
 子供達にせがまれ目に楽しい小さな魔法を見せた。子供達はとても喜んでいたし、お礼も言われた。魔法を使ってこんなに喜ばれお礼を言われたのは初めての経験だった。今までは国の為、困った人の為に使うのは当たり前で喜ばれることも少なく、お礼もほとんどなかったから、魔女は嬉しくなり、その後も子供達と楽しく遊び別れた。
 他の子が帰った後、その子は来た。そして初めの時と同じように元気な声で言った。
「私を弟子にしてください!!」
 聞けば、その子はお世話になっている老婆の孫で村長の娘だそうだ。断ったのにその後も何度も何度も魔女の元に来て、弟子にしてくれと言われる始末。
「あれさえなきゃいい子なのになぁ…」
 魔女は弟子を取る気はない。面倒だからだ。しかし、お世話になっている老婆の孫、無下にするわけにもいかず、のらりくらりと話を逸らして断っている。
 椅子に座りウサギを撫でながら日向ぼっこしていると、ドタドタと元気な足音が聞こえ察した。
「今日もきた……」
「まーーじょーーさーーーん!! おはよーーーー!!!!」
「………」
 今日も元気に挨拶する少女は、魔女の前に着くとニコニコ弾ける笑顔を向け言った。
「魔女さん!! おはようございます!!」
「……おはよー」
 元気いっぱいの挨拶に気圧されながら挨拶し返す。魔女とは象的に少女はニコニコと元気な顔で話しかける。
「今日も一緒にあそぼ!!」
「……遊ぶだけならいいよ」
「遊ぶだけ、遊ぶだけ。ニシシ」
 無邪気な笑顔を見せる少女に魔女は苦笑いをしながら、少女と今日も遊ぶことにした。
 少女と遊ぶのは今回で三度目だ。初めて会った次の日から何度も誘われたが断っていた。しかし、しつこく魔女に絡む少女を見た他の村人達の温かい目線と老婆の「孫と遊んでくれてありがとうねぇ」の台詞に魔女は折れることにした。
 そうして、遊ぶことになったが、魔女はこの少女は策士じゃないかと思えることがあった。自分が魔女に絡むのを村人達に見せることで魔女が折れるように仕向けたのではないか、と。そう思うのは、少女は「弟子にして」と言わなくなった代わりに「遊んで」と言うようになった。そして、いざ遊ぶと色々魔法に関する質問をしてくるのだ。
 少女も少なからず魔法を使えるようで、魔法を使った遊びをしたいと言ってくる。魔女が魔法を使えば負けるのは必然。そして、少女は質問するのだ。少女の純粋な興味と素直な賞賛に負け魔女は答える。それが繰り返される。
 魔女は思った。
「…あれ、私……弟子にしてる?」
 ぽつりと呟いた魔女の言葉が聞こえた少女は言った。
「違うよ、魔女さん。弟子じゃなくてー、友達で生徒!!」
「友達で生徒…なにそれ」
 少女の言っている意味がわからず聞き返す。それに少女はニコニコ笑いながら答えた。
「一緒に遊んでるから友達でしょ? でも、なんで負けたのか…どんな魔法を使ったのか質問したら教えてくれるから魔女さんは先生で、私は生徒! こういう魔法って、大きな国だと学校ってとこで教えるんだってー。でも、私は学校いけないから…でも、魔女さんが教えてくれるから嬉しい!!」
 魔女は嘘や偽りや負の感情を読み取るのが得意だ。それは幼い頃から培った経験によるものだ。だからこそ、魔女は分かった。
「(嘘はついてない…ほんとに嬉しいんだ。私に魔法を教えてもらうの…魔法ができるようになるの…)」
 まるで毒気を抜かれた気分になりながら、魔女は言った。
「分かった。これからも教えてあげる、魔法の使い方。先生としてね」
「ほんとに!? やったーーー!!!」
 ぴょんぴょん飛び跳ねて喜ぶ少女は、ハッと気づいたように飛ぶのをやめて真剣な顔で魔女に言った。
「でも、一番は友達だよ? 友達で生徒なの。わかった?」
「…っふふ…わかった。友達で生徒ね」
「うん!!」
 ニコニコ笑う顔を見ながら魔女は思った。確かにあの老婆の孫だな、と。優しく素直で相手を癒す雰囲気は同じだった。それはこの村の住人ほとんどが持っていた。穏やかで優しく温かい村、だから魔女は留まることにしたのだ。とても、居心地がいいから。
「(一生に一度の師匠体験もありかも)」
 嬉しそうに笑う魔女を少し離れたところから見ていた黒猫は気分良さげに尻尾を揺らした。 師匠になると決めた日の夜、魔女はベッドに寝転がりながら考えていた。
「師匠になるって決めたけど……どう教えればいいんだ?」
 今まで誰かに何かを教える経験をしたことがない魔女にとって、これからどう少女に指導すればいいのか想像ができずにいた。自分の師匠はどうだったか参考にしようと思い返した。
 最初に教わったのは、言葉だった。親とすら話したことがない魔女にとって、言葉を教えてくれたのも、初めて会話したのも師匠だった。
「でもこれはあの子には必要ないな…」
 次に教わったことを思い出す。言葉の次は、文字の読み書きと、その意味だった。たくさんの言葉には色々な意味が含まれていて、それが魔法にも大事なことだと知った時の感動は今でも忘れがたい経験だった。
「魔法は、言葉と知識。だから、いっぱい本を読んで、たくさんの言葉を知りなさい——師匠から教えてもらったんだっけな……」
 師匠の優しい笑顔を思い出し、心が温まるのを感じながら、魔女は少女にどう教えるかのやり方を見つけた気がした。
 朝になり、家主である老婆と朝食を食べているとノックの音と一緒に声がかかる。
「まーじょーさーーん、あーそびーましょー!」
「……早くない?」
 やって来るのが過去一番早い少女に、魔女は少し引いていた。魔女とは反対に老婆はニコニコ笑顔を浮かべながら扉を開く。
「おばあちゃん、おはよー!」
「はい、おはよう。ずいぶん早く来たねぇ、楽しみだったんだねぇ」
「うん!!」
「朝ご飯はもう食べたのかい? まだなら一緒に食べるかい?」
「そのつもりで食べずに来ちゃった、えへへ」
「そうかいそうかい。用意するから椅子に座っておいで」
「うん、ありがとう!」
 少女を交えて朝食を済ませた後、魔女は少女と共にいつもの遊び場にやってきた。魔女は少女と対峙し話し出す。
「遊ぶ前に伝えることがあります」
 魔法で出した伊達メガネを指でクイッと上げながら話す魔女に、少女は雰囲気に合わせるように姿勢を正して聞く。
「はい」
「当たり前だけど、あなたには魔法の知識が足りません。技術も足りません。その状態で魔法を使うのは危険です。分かるね?」
「はい、分かります」
「なので、魔法の知識を教えます!」
「はい、先生!」
「はい、そこの人!」
 ビシッと手を伸ばす少女に魔女は魔法で出した指示棒で指した。学校に行ったことがないはずの二人は先生と生徒の空気感を楽しんでいる。
「魔法の知識って本を読むんですか?」
「ほんとは読んだ方がいいんだけど、ここに本はないし…私もさすがに本は持ってきてないけど…でも、頭の中にぜーーんぶ入ってるから問題なし」
「ぜんぶ?」
「そう、全部! 師匠から受け継いだ何千という知識と、師匠が持ってた何千という本をぜーんぶ読んで頭の中に入れた。そして、身につけた! 私があなたに魔法を教えてあげる」
「師匠の師匠?」
「そうよ、私の師匠は世界一強い魔女だった。その唯一の愛弟子がわ・た・し」
「すごーい!!」
「私が教えるんだから、しっかり身につけてね」
「はい!」
 魔女は指示棒と伊達メガネを消した後、少女に改めて質問した。
「さて、一口に魔法って言っても、属性があるのは知ってるよね。あなたの得意な属性は、風だね?」
「うん、そうだよ」
「なら、次に得意なのは光か火だね」
「…んん? 私は風しか使えないよ?」
 魔女の言っていることがわからず、少女は首を傾げる。それに対し魔女は思った通りの反応をした少女にニヤリと笑みを向け伝える。
「チッチッチッ……そんなことはない。人はね、必ず複数の属性が使えるんだよ。ただ、得意不得意があるだけ」
「えっ、そうなの!」
「そう。まぁ、みんな気づいてないけどね〜」
 そう言いながら魔女は少女の魔導具を確認する。少女の魔導具は初心者用の安価な品物だった。魔女は納得したように一つ頷き、少女に言った。
「魔法を使うのは明日にして、今日は魔法の属性のこと、教えてあげる」
「分かった、よろしくお願いします!」
「はい、よろしく」
 少女の反応に満足そうに頷いた後、地面に近くで拾った木の棒で絵と文字で魔法の説明をしていく。少女は隣に座り、時折質問しながら興味津々で話を聞いていた。
「つまり、魔法の属性は全部で五つあって……火と水と風と土と光で……一つが得意だとそれに似通ったものが覚えやすいかもしれないの?」
「そういうこと。例えば、火が得意な人が水を覚えようとしても難しい。だって、火と水は天敵だからね。だけど、火と光は共通してるし、火と風は相性抜群だから覚えやすい。もちろん、例外もあるけど」
「例外?」
「その人の性格的なもの。まぁ、大体得意な属性は性格に付随してるから、よっぽど意外性がないとありえないけど。例えば冷静な性格だけど熱い心持ってる熱血漢みたいな」
「なるほどー」
「あなたの場合は自由人だから風魔法が得意。だから…」
「火か光が覚えやすい!」
「大正解! さて、次は風魔法の使い方ね」
「はーい!」
 元気よく返事した少女に満足そうに笑みを浮かべ、地面に木の棒で風魔法について書いていった。
その日は昼休憩を挟みながら日が暮れるまで、魔女は少女に魔法の属性について教えた。別れた後、魔女は一人、遊び場に残っていた。
 魔女の手には少し古い杖が握られている。それは魔女が魔法を覚え始めの時に使っていたものだ。初心者用の魔導具ではあるが、少女が使っているものとは雲泥の差がある貴重な素材を使っている。魔女の膨大なコントロールされていない魔力を受けてきた杖と説明すれば、それを察することはできるだろう。しかし今は、コントロール技術が上がり魔導具なしでも魔法を使うことができる魔女には、必要のないものでもある。
「あんなやっすい杖じゃ…練習にならないからね」
 そう呟くと杖に魔法をかけていく。古いそれは真新しい魔導具へと、少女専用の杖に変わっていく。出来上がりを見て、魔女は満足気に笑顔を浮かべ、黒猫に話しかけた。
「どう、いい感じじゃない?」
 話しかけられた黒猫は一つ鳴いて返事をした。
 次の日、いつもの遊び場に二人で来た後、魔女は少女に昨日別れた後に作った魔導具の杖を渡した。渡された少女は驚いた後、飛び跳ねながら喜び、その姿を見た魔女は渡して良かったと嬉しく思った。
 自分が師匠から渡された杖は、師匠も師匠から渡されたそうだ。受け継がれたそれを今度は自分の弟子に渡す。魔女にとって恐らく最初で最後の弟子。いつまでか分からない一緒に過ごすこの時間で、自分が教えてもらったことをたくさん伝えようと思った。
「私の指導にしっかりついてくるんだよ」
「はい!私、頑張る!」
 それからの二人は、時に師匠と弟子、また時には友達として過ごしていった。魔女は遊牧民達と共に移動しながら、少女に自分の魔法知識を教えていった。魔女の指導は丁寧で、少女は実力をあっという間につけていった。
 村に来てから三か月が経った。風魔法が得意な少女はこの頃には、光魔法の練習に取り組んでいた。
「そういえば、モンスターも魔法が使えるって言ってたよね?」
杖で明かりを灯しながら質問してきた少女に、魔女は村人から貰ったリンゴを齧りながら答えた。
「うん、そうだよー」
「モンスターみんな使えるの?」
「んんー、その認識はあまり正しくないかな。モンスターにも人間と同じように色々いるからね。賢いものは使えるって感じ」
「賢い?」
「そう。………少し教えておこうっか」
 真剣な表情になった魔女に少女は練習していた手を止めて向き合う。魔女はゆっくり話し出す。
「モンスターにはね、会話できるやつと、できないやつがいる。私達が気をつけなきゃなのは、できるやつ。なぜか、分かる?」
「…なんで?」
「魔法には、何が必要って言った?」
「言葉とその意味を理解すること……あっ」
 なにかに気づいた少女に魔女はいい子というように頭を撫で、話す。
「そう。意味が理解できるってことは、対等ってこと。私達がする行動によっては脅威にもなる。だから、気をつけなきゃいけない。それに、モンスターは人間が使えない闇と聖が使えるからね」
「……闇と聖?」
「そっ。その二つを人間は使えない。私は魔女だから使えるけどねぇ」
 少女は続きを促すように魔女を見た。魔女はその視線に気づき話を続ける。
「魔法はみんな複数使えるって言ったね? それはモンスターも一緒。そして、モンスターには闇魔法と聖魔法の適性がある。まぁ、聖魔法は使えるモンスターを選ぶんだけど……基本弱点だからね。でも、やり方によっては使えるのは確か。そんで、闇魔法が、一番厄介」
「なんで?」
「聖魔法はね、基本的に支援と治癒に特化した魔法なんだよ。闇魔法を相手にする以外、攻撃には向いてない。でも、闇魔法は別。あれはね……所謂呪いだから。戦い方ミスれば、死に直結することもあるんだよ」
「……死…」
 魔女の話に少女は生唾を飲み込んだ。緊張した顔の少女に魔女は気にせず続ける。
「闇魔法に対抗できるのは、聖魔法だけなの。だから、会話できるモンスターに会ったら喧嘩売らない。敵に回していいことないからね。余程人間に恨みを持ってなければ見逃してくれるから。会話できるモンスターは基本長寿だし争い好まないやつのが多いの。敵に回るってことは、余程のことがあった証拠」
「……なるほど、分かった。喧嘩売らない、挨拶して逃げる、だね」
「うん、そういうこと」
 少女の理解力の高さに魔女は満足そうに笑い、頭を撫でた。大人しくしかし照れくさそうに頭を撫でられている少女を見ながら、魔女は思っていた。
「(師匠もこんな気持ちだったのかな…なんか、分かってきたかも…)」
 弟子に構いたくなる師匠の気持ちを察し始めた魔女だった。
 それから更に月日は経ち、村に来てから一年が経った。遊牧民達と共に移動していた魔女は、一際濃い魔力を感知して足を止めた。魔力のする方向に目線を向けると、そこは他の場所とは明らかに森の濃さが違った。
「……鬱蒼と生い茂る森…」
 足を止めた魔女に気づいた少女は、魔女の元に駆け寄り話しかけた。
「師匠?どうしたの?」
「…目的の場所、見つかったかも」
「目的の場所って…師匠の師匠が住んでたとこ?」
「そう」
「そっか、それじゃあ…ここでお別れ?」
 少し悲しい声色を出す少女に気づき視線を向けた。そこには想像通りの顔をした少女がいた。魔女は一つため息を零し、少女の両頬を優しく抓った。
「なんて顔してんの。ちゃーんと、村の準備が終わるまではいるよ。それに、あなたが私の最初で最後の弟子なのは変わらない」
「……ほんと?」
「ほんと。ほら行くよ」
 少女の手を掴み、魔女は歩き出した。
 数日後、移動を終えた遊牧民達はそれぞれの場所にテントを立てていく。一時間もすれば張り終えたテントがあちこちにできてくる。魔女が間借りしている老婆のテントも少し前に既に立て終わっており、今は老婆と二人でお茶をしながら最後の別れの挨拶をしていた。
「…そうかい、もう行くんだね」
 少し悲しそうな老婆の姿に、魔女は少女の姿を思い出していた。
「(…やっぱり血縁者だな…悲しむ姿もそっくり)」
「…それで、いつ行くんだい?」
 悲しいのを隠した笑顔を浮かべる老婆に、魔女は有難いなと思いながら話す。
「明日には、行こうかな」
「そう。なら、今日は孫も一緒に豪勢な夕食にしようかね」
「そんな、悪いよ」
「いいんだよ。孫の師匠ってのもあるがね…私にとっても魔女さんは孫みたいな存在になってるんだよ。だから、先の幸せを願って夕食を作りたいんだ」
「…そっか…ありがとう」
 老婆の言葉が嬉しくも照れくさい魔女は、少し素っ気ない礼を言った。老婆は気にした様子もなくニコリと笑った。
 その日の夕食は、老婆が言った通り豪勢だった。少女の両親だけでなく、親戚も集まり賑やかな食卓となった。王室のパーティーに比べれば質素なものだったが、魔女にとっては比べられないくらい豪勢で幸せな食卓だった。師匠以外の誰かと食べて、幸せを感じるのは初めてなことで魔女は離れがたい気持ちに目を背けた。
 翌朝、日が昇る前に魔女は老婆の家を出た。扉を開けようと手をドアノブにかけた時に老婆の声が耳に届く。
「またいつでも、遊びにおいで」
 老婆の言葉に胸が温かくなるのを感じながら、ドアを開けた。
「ありがとう…」
 小さく言ったお礼の言葉を残して。
 森の方に歩いていると、その先に少女が立っていた。魔女は予想通りという顔で、少女の前に立った。
「相変わらず、早起きだね」
「何も言わずに行こうとするなんて、酷い」
「ごめんごめん」
 軽い謝罪に少女は気にした様子なく、話す。
「これだけ、聞きたくて…」
「んっ? なに」
 魔女の優しい声に、少女は今までの日々を思い出した。しつこく絡んでも面倒くさそうにしても魔女は優しかった。師弟の関係になって、なかなかできない魔法にも魔女はずっとつきあってくれた。ワガママなような魔女だけど、少女にとってはいい師匠だった。堪えていた涙が勝手に溢れてきた。
「…っ…また………会える?」
 泣きながら聞く少女に、魔女はいつも少女に見せていた優しい表情を浮かべながら頭を撫ではっきり伝えた。
「必ず、また会えるよ。だって、私の唯一の愛弟子だもん、黒兎ちゃん」
「黒兎…?」
「覚えてる? 魔女にはあだ名があるって。魔女のあだ名はね、師匠が弟子にあげるとっておきの贈り物なんだよ」
「…贈り物…」
「そっ。私の愛弟子って証拠」
「私は、黒兎」
「そうだよー。ぴょんぴょん飛び跳ねる黒猫の弟子なあなたにピッタリでしょ?」
「へへ、うん!」
 涙で濡れているがいつもの笑顔を見せた黒兎に、魔女は安心した。
「私の教えたこと、忘れないでね」
「忘れないよ、だって唯一の愛弟子でしょ?」
「そうだよ。私の可愛い黒兎ちゃん」
 黒兎に見送られながら、魔女は村を後にした。なんとなしに立ち寄った村で初めての経験と想いをした。いい寄り道をした
と思いながら、森に足を向ける。
「さて、次はどんな出会いがあるかな…」
 肩にいる黒猫に視線を向け話しかけた。
「次はとびっきり面白くて退屈しない人に出会えるといいね」
 黒猫は肯定するように一つ鳴いた。鬱蒼とした森を休みながら歩くこと数日。魔女は目の前の存在にどうしたものかと思っていた。
「途中から、師匠の故郷じゃないのは察してた。でも、人魂がたくさんいる森なんて面白そうだから歩き回ったけど……これって、幽霊屋敷だよね……」
 魔女は屋敷やその周辺を取り囲むように覆う大きな闇魔法に入るべきか悩んでいた。悩んで数分、闇魔法の術式を調べることにした。
「呪いにも色々あるし、私、聖魔法使えるし…強いし、なんとかなる」
 その大きな闇魔法は、呪いではあるものの死に直結するものではなく、まるで何かから屋敷を守っている結界のようなものだと分かると足を踏み入れた。
 広い庭を進むと、正面玄関に辿り着く。
「……屋敷を覆ってる魔法に隠れて気づかなかったけど……もう一つ、別の存在もいる?」
 屋敷内に二つの存在がある。魔女はますます興味をそそられた。
「屋敷全体にかかってる魔法を使ってる存在も気になるけど、その中で自我を保てるほどの魔力を持った存在……しかも、共存してる。こんなの、初めて見た」
 闇魔法を使う時点で、モンスターであることは確実だった。しかし、モンスターは基本群れないと聞いている。それなのに、ここにいる存在はそれに反している。
 魔女は面白いと思った。自分の知らないことが起きていることに興味が湧いた。普通の人間ならば、この場を去るだろう。しかし魔女は普通じゃなかった。面白いことを体験したい貪欲さ、自分は強いという傲慢さ。この二つが魔女を屋敷へと誘った。

魔女とモンスター達

 屋敷を正面から見上げる。曇り空から時折射し込む午後の陽射しが、ちらちらと屋敷の窓ガラスに反射する。カーテンのかかっていない窓の中は真っ暗で、廃屋敷は闇魔法に包まれているせいか、空気が淀んでいる。陽射しがあるのにひんやりとしたそよ風は、並の人間には体調を崩すほどの悪寒に思えただろうが、魔女には気に留めるまでもない悪霊のいたずらだった。
 ほんのりと妙な香りがした。甘いわりにくどくなく、香木の香りより深く、やけに癖になるような香り。
「……うん、気になるね」
 使い魔の黒猫が毛を逆立てて威嚇の声をあげる。少し、嫌な予感がした。聖魔法をまとうか悩んで、それ以外の魔法で身を包む。もし、会話できるモンスターならば、出会い頭に威嚇になってはいけない。
 玄関の扉に近づこうと、魔法をまとってから数歩で、その扉は自ずと開いた。そこには、一人の男が立っていた。相対した瞬間、香りの正体は彼だと判明した。
「……珍しいお客様だ」
 男は優しく微笑んで魔女を出迎える。黒いロングジャケットの精巧な刺繍よりも、すっと佇む立ち居振る舞いよりも、何よりも先に、その微笑みに目を奪われた。
「遠路はるばる、よくお越しくださった。ここには……」
 本能が、聖魔法を使えと警鐘を鳴らす。それでは喧嘩を売るのと同じだと、魔女はなんとか衝動を抑え込む。
 ゆっくりと男が近づいて見えた。何かを話しているようだが音が聞こえない。代わりになぜか自分の声がぼんやりと耳に届いた。ルビーのような深紅の眼が、有無を言わさず視線を外させてくれない。するりと片手を取り上げられ、男が手の甲に挨拶のキスでも落とすように身をかがめたように見えた。
「にゃー!」
 一度の瞬きの間に使い魔の黒猫が男に飛びかかったようで、男は黒猫を片手で掴み吊るし不思議そうに見つめている。黒猫はじたばたと身をよじり男の腕を引っかくも、男は動じない。
 取り上げられたはずの手はいつの間か離れて、男は数歩前の、先程いた玄関の位置に戻っている。
「……ねぇ、あなた……今、私に何をした……? 私が遅れを取るなんて思わなかった。今の、魔法っぽかったけどそうじゃなかった。私に何をしたの?」
「……分かるのか」
「なめないでよね。魔法に関しては、私、天才だもん。でも、今のは魔法じゃなかった」
 男がゆっくりと丁寧に地面に黒猫を戻してやると、黒猫は一目散に魔女の元に戻っていく。黒猫の警戒しきった態度とは正反対に、魔女は興味津々に男に近づいた。屋敷よりも先に、その男のことが気になって仕方なかった。
「魔法じゃないけど魔法だったよね? すごい! どうやってやったの? 魔法が発動する気配がなかった。何だったの? 何したの?」
 魔女は暗い屋敷から引きずり出すように男を陽の光の下に連れ出す。強引に手を引かれ、男は驚いて終始魔女を見つめていた。オレンジのはっきりした眼差しが興味津々に語りかけてくる。男は魔女から手を離すと、深々と頭を垂れた。
「……不躾に、失礼した。あれは、簡単な暗示だ。ここに来た目的を話してもらった」
「暗示? はぁ? やっぱ闇魔法じゃん? 魔法使った?!」
 唐突に驚く魔女だが、見開いた目は細められ、瞬時に難しい顔になる。
「私、もしかして何か喋った?」
「えぇ、ここに来た目的を」
「なんて言ってた?」
「……噂を知らない、探している場所ではない、偶然ここを見つけた」
「うわぁ……しっかり暗示かかっちゃったじゃん。魔法じゃない暗示なんて、そんな反則技ありなの?」
 悔しさと戸惑いに魔女が顔を歪ませる。男から身の危険も感じず、魔法ですらなく、完全に想定外で油断していた。男は眩しそうに屋敷を見上げた。
「……ここは、幽霊屋敷だ。見ての通り、周りは霊魂に囲まれており、家主が幽霊だ。遺産目当てだか、彼女目当てだか知らないが、時折ここは狙われる。それで、先に目的をお伺いした。貴女に強い聖魔法の気配を感じたもので、先手を取らせていただいた」
「あなたも魔女なの? 違うよね? なのにそんな細かく魔力が分かるんだ!」
「……珍しいか?」
「とても! あなたってモンスターよね? 人間にそんな耳の人なんていないもの。あなたも闇魔法を使うの? だから聖魔法の気配が分かるの? さっきの暗示も魔法じゃないし、あなた、ほんとに何者?」
 臆せず聞いてくる魔女を、男はしっかりと見つめてわずかに何度も視線を動かす。つい先程は動けなくなった魅惑的な何かを宿していた真っ赤な瞳は、今は見たことのあるモンスター特有の無機質なものに戻っている。
「……私は、吸血鬼だ」
「はぁあ?! じゃあ、なんでこんな昼間に外にいんの?! 太陽って大丈夫なの?」
 魔女はすっとんきょうな声を上げ、長い間を置いてから、一人くすくすと笑い出した。
「なんなの、ほんとに、笑っちゃう。モンスターって群れないはずなのに、吸血鬼と幽霊が二人一緒にいるなんて。あなただって、吸血鬼だって言うのに太陽が大丈夫だし、さっきの暗示も魔法じゃないし」
「あれは、私の特性とでも思っていただければ。先程は失礼した」
「ううん、当然だよ。だって、闇魔法を使うモンスターの住処に聖魔法を使う人がやってきたんでしょ。闇の天敵だもん、聖魔法は。そりゃあ警戒するって。それが分かられちゃうとは思わなかったけど」
「貴女はきちんと風の護りでお越しくださっただろう。聖なる護りではなく」
「それも分かるんだ」
「もちろん。だからこちらもお伺い立てですんだ」
「そうなんだ、ありがと。でも、暗示が特性かぁ……それは、ずるいなぁ。そういうの、知らなかった。会話できるモンスターって、ほんとに違うんだね。争いを好まないって聞いてた通りだし、思ってたよりすごい!」
「……貴女は、魔女だろうか。そこの黒猫は使い魔か」
「うん、そう。私、魔女。こっちは私の大好きな使い魔」
 ぴょんと魔女の腕の中に飛び乗って、それから黒猫はじっと吸血鬼を値踏みするように睨んだ。
「ごめんね、この子、なんだかすごくあなたを警戒してる」
「それが普通だろう。魔女とはいえ、貴女は人間だ。私が手を出さないか不安なのだろう」
「何もしないでしょ?」
「えぇ、もちろん。貴女の言うように私は、”会話できるモンスター”なのだろう?」
「ふふふ、そうだね」
 相変わらず紳士的に微笑む吸血鬼に、魔女が楽しそうに笑うので、黒猫が機嫌悪そうに唸る。その体を撫でてやりながら、魔女は吸血鬼に促されるまま屋敷へと入っていく。
 室内に入ってすぐに、白い風が吹いた。緩い帯状に見えた霧のようなものは、ゆるりと屋敷のロビーを楽しげに舞った。
『ふふふふ……』
 優しく楽しげで柔らかい声が響く。声とともに白い霧のようなものは吸血鬼の隣へと舞い降りると人の形を成していく。組まれた両手が、その手の奥にレースの胸元が、胴体が、腕が、スカートが、そうして目を閉じた淡い金髪の女性が目の前に現れる。ゆっくりと開かれた瞼の向こうの瞳には、瞳孔がなかった。
「あら、いらっしゃい」
 優しく微笑む姿は、生きているごく普通の女性とぱっと見は変わらない。透き通るほど色素の薄い人はいる。けれど、よく見れば彼女の髪の毛の先やスカートの裾など、至る所が実際に透明なのだ。
「……初めて、ここまでしっかり、見たかも」
魔女は驚きを隠さずに幽霊を見つめる。はにかみ笑いながら、幽霊は緩やかにお辞儀をして見せる。魔女も慌てるように挨拶を交わした。
「ええと……こんにちは?」
「あ、こんにちは」
「ふふ、あなたは怖がらないのね。素敵」
「あぁ、俺の時も恐れなかった」
「ねぇ、この一帯を囲ってる闇魔法って、あなたの魔法だよね! とても面白い魔法を使うんだね。外から中に入る分にはものすごく簡単なのに、中に入ったら出られないようになってる! 外にいる人魂はこの結界みたいな魔法を作るための下僕だったりする?」
 魔女は興味津々に幽霊に問いかける。小さな体で大きくはしゃぐ姿が可愛らしくて、幽霊は思わず魔女の両手を掴んで微笑んだ。
「まぁ、そうなのね。全く知らなかったわ。屋敷について、魔法について言われたのは初めて! それに、女性の方とお話ができて嬉しいわ。心が踊って生き返ったようだわ」
「ていうか手、握れるの?!」
「もっとお話してくださる? わたくし、魔法のことはさっぱりなの」
「モンスターって魔法の知識ないの?! なんで使えてんの!」
「わたくし、使おうと思って使っていないわ。生前に……教わったかもしれないけれど、何も分からないわ」
 この屋敷を覆う大きな結界のような魔法は、そんな簡単にほいほい作れるような代物ではない。それを、なんでもないかのように幽霊は言ってのける。
「うわぁ……人間の町にいただけじゃ、こんなこと、知らなかった……!」
 腕の中の黒猫がひょいと床に降りると、魔女の足元から後ろに隠れてしまう。
「あら」
「彼女は、魔女だ。噂でここを訪れたわけではないそうだ」
「あら。ここへは何しに?」
「うーん……実はね」
 魔女は事の次第を話した。師匠の言っていた場所を探そうと思っていたが、特に目的がなかったから目的にした程度だ。面白そうな屋敷を見つけたから立ち寄った。本当にそれだけだという。
「帰る場所もないし、絶対行かなきゃいけない場所もないし。まぁ、師匠の言ってた場所は、見つかったらいいなーとは、思ってるけどね」
 特段悲しむ様子はなく、魔女はさらりと口にする。立ち話もどうかと、一行は中庭のテーブルへと移動する。闇魔法の結界具合が、少し変わった気がした。
「二人は、なんで一緒にいるの?」
 魔女が疑問を口にすると、吸血鬼が簡潔に答えてくれた。彼は戦争に巻き込まれ住処を追われ、ここに辿り着き、そうして二人は共に暮らすようになったという。吸血鬼にも戦争があるのかと聞くと、人間の戦争だと、彼はそう一言だけ答えてくれた。
「あなた達も大変なんだね。馬鹿な人間が馬鹿なことするから」
「そうしたら、あなたもここで一緒に暮らしましょう。部屋は余っているし、こんな年頃の女の子が、行く当てもないのも、かわいそうだわ」
 幽霊が魔女に住処を提案する。素直に喜ぶかと思ったが、魔女も魔女で、少し悩んでから答えた。
「嬉しいんだけど、一回屋敷の中、見させてもらってもいい?」
 その申し出は当時の吸血鬼と同じで、モンスター二人は顔を合わせて小さく笑った。
「わたくし、ずっとここで独りでしたの。そこに吸血鬼さんがいらして、とても楽しくなったわ。彼に不満があるわけではないの。けれど、わたくし、あなたともたくさんお話してみたいわ。可愛い魔女さん」
「ふふ、退屈しないなら、いいよ。私もここが気になっちゃって、面白そうだから来ちゃった」
 二人は他愛のないおしゃべりをしながら、屋敷を見て回る。どの部屋も使っていないところは手つかずの状態で、自分のものとなる部屋は大掃除が必要だった。それよりも、魔女は幽霊の話を、幽霊は魔女の話を面白そうに聞いていた。
「絶対、犬より猫の方が可愛いって! 私の師匠だって猫派だったんだよ!」
「ふふふ、黒猫ちゃん、可愛らしいものね。可愛い使い魔さんね」
 次第に話がそれながら二人は部屋を見て回るというよりおしゃべりで時間を費やした。
「うん、いいや。決めちゃおう。私も、今日からよろしく」
 改まって握手を求める魔女に、幽霊は心から微笑んで歓迎した。
「まぁ、嬉しいわ。あなたなら、大歓迎よ」
「ふふ、よろしく」
「よろしくね、魔女さん。でもね、ここに住むなら、一つだけ、わたくしと約束してくださる?」
「なに?」
 幽霊は、嬉しそうに微笑んで魔女と握手している手を強く握る。
「わたくしの話し相手になって。わたくし、女性同士でおしゃべりしてみたかったの」
 そう言って、吸血鬼の時のように条件を出して、幽霊は魔女に微笑みかける。魔女はにんまりと微笑み返して、繋いだ手をぶんぶんと振った。
「もちろん、よろしくね」
 魔女が屋敷に住むと決まって、まず、部屋の話になった。幽霊の薦めもあり、魔女には屋敷二階にあるとても見晴らしの良い部屋が与えられた。片づけに関して幽霊は心配そうにしていたが、魔女はそれくらい魔法であっという間だと意気揚々と語っていた。
 だが、実際の部屋を覗いて、魔女は思わず絶句した。
「……ここ?」
 部屋のカーテンは開いていて、今は西陽が部屋を横切るように射し込んでいる。西陽に照らされた家具に荒らされた跡はなく、どれも当時のまま時を止めたように、しかし、ごちゃごちゃと細かいものがごった返した部屋だった。
「片づくかしら」
 申し訳なさそうに呟く幽霊に、魔女は物言いたげな顔を向ける。あまりに釈然としない表情は心配しているようにも見えて、幽霊はさすがにこの有様の部屋を一人で片づけるには荷が重いのかと思い、魔女に優しく微笑んで言った。
「わたくしで手伝えることがあったら遠慮なくおっしゃって?」
「家具とか、全部好きにしちゃっていいの?」
「えぇ、好きにして。もう、ここは魔女さんの部屋なんだから」
 散乱とした部屋を前に、魔女はもう一度言葉を躊躇った。
「……ねぇ、二階ってここだけ? 他にも部屋はある?」
「あら、こちらが良いかしら」
 幽霊があれこれと見せてくれる度に、魔女も魔女で納得いかなそうにあれこれと質問をする。そうして二階の部屋を全て見比べて、魔女は改めて最初に招かれた部屋に落ち着いた。
「幽霊、魔女」
 二階に、吸血鬼が上がってくる。愛想良く微笑んで返す幽霊とは正反対に、吸血鬼は難しい顔をしていた。
「一つ、お聞きしたい。魔女、貴女はモンスターと呼ばない人間と同じと考えていいのだろうか。生憎、私は魔女について詳しくないもので、教えていただけると助かる」
 丁寧に尋ねてくる吸血鬼だが、質問の意図が分からず、幽霊と二人して顔を見合わせる。
「ごめん、意味が分からない。モンスターでない人間?」
「例えば食事について。モンスターを喰う魔女もいると聞く。一般的な人間と同じ食事の者もいると聞く。貴女はどうなのか」
「私、普通だよ。普通にごはん食べるけど?」
「……では、キッチンをどうにかしなくては」
「はぁ?」
 嫌な予感がした。
 魔女は吸血鬼に案内されて一階に戻る。廊下を辿った先のドアを開けて、魔女は呆れ返った声を上げた。
「今までどうしてたの?!」
 ぶら下がったいくつかのフライパンや鍋は錆び、棚の食器類は埃を被っている。薪をくべたままのキッチンストーブは灰もそのままだ。当時の生活の跡そのままに、時が経ち、風化したようなキッチンだった。
 魔女は改めて思い直す。彼らは、幽霊と吸血鬼である。食事を必要とするのか疑問でしかない幽霊と、恐らく人間の生き血が食事であろう吸血鬼の二人だ。キッチンが放置されているのも無理はない。
 それどころか、まだ問題はありそうだ。
「魔女さん?!」
 ゆっくり二階から降りてきた幽霊とすれ違う。魔法でするすると廊下を飛び、魔女は屋敷の中を見て回る。入口付近の部屋は、仕方ない。どれも特に自分に必要ではない個室だ。その奥の図書室、書斎は部屋前の廊下ごと綺麗になっている。綺麗な廊下は地下に続いている。知りたいのは、そこじゃない。
 書斎の向かいに、ドアがある。魔女は恐る恐るそれに手をかけた。
「……そうなる、よねぇ」
 遅れて二人がやってくる。そこは洗濯場や風呂場といった水回りが集約されていた。案の定、どれも近年に使った形跡がない。これは大掃除だと、魔女は頭を抱えた。
「ねぇ、必要なところは全部片づけちゃうよ」
「ありがとう、助かるわ」
 面倒そうに項垂れる魔女とは正反対に、幽霊は嬉しそうに微笑んで快諾した。
「私、掃除しに来たわけじゃないんだけどー……」
 やる気なさそうに愚痴たれながらも、魔女は両手を広げて大きく風を集めた。集まる魔法の風は、つまらなそうな魔女の心情を映したように、無慈悲に一気に屋敷をすり抜けた。
 魔女が来てから、屋敷の生活は一変した。彼女は魔女とはいえ人間である。かたや、住人の二人はモンスターだ。生活の至るところで齟齬があり、そのすり合わせのためにお互いが驚きの連続だった。
 初日で屋敷の水回りは一新し、二日目には魔女の部屋はファンシーな部屋へと変貌した。少し毒々しい色のカラフルな大きなクッションが所狭しと床を占領し、中に何が入っているのか分からないが装飾の凝った缶や、大小様々なぬいぐるみ、造花や何かの詰まった瓶や、いくつかの魔力の込められた宝石など、彼女の好きなものに囲まれた部屋になった。
「ふふ、明日ね、吸血鬼が教えてくれた町に行ってみようと思うんだ。森の中に隠された人間のいない町なんて、とても楽しそうじゃない?」
 魔女は自室に戻るとクッションの海となったベッドにダイブする。傍らにすり寄ってきた黒猫に笑いかけると、魔女は仰向けになり天井を眺めながら楽しそうに黒猫に話しかける。そうして魔女が自室で眠りにつくようになるには、少し時間がかかった。

 話は、魔女が屋敷に来て数日目の夜まで遡る。夜も更けた暖炉の前で、魔女は火にあたりながら持参したクッションに埋もれるように眠っていた。大きなフードのついたモコモコした暖かそうなナイトウェアに身を包み、大きめのクッションを抱えるように眠っている。フードから覗く黒に混ざるオレンジの髪が光にちらちらと暖炉の明るい光を返す。それを遮るように、影が覗く。手元で不安定に握られたままのコップをそっと指から離し床に置くと、床に落ちているブランケットを拾う。
「にゃあぅ」
「これをかけるだけだ」
 黒猫が隣の吸血鬼に向かって牽制するように鳴く。一度だけ笑って、吸血鬼は魔女にかけるためにブランケットを広げる。吸血鬼は改めて魔女を見下して、手が止まった。
 魔女とはいえ、人間だ。加えて、まだ大人とも言い難い年齢の少女が、蹲って眠っている。吸血鬼には、その姿が酷く小さく見えた。
「(これで収まってしまう体のどこに、あれだけの魔力が収まっているのか)」
 一つ、大きく長いため息をついてから、吸血鬼は魔女にブランケットをかける。
「なぁん」
「……んふふ」
「起きていたのか」
 重そうな瞼をうっすらと開けて、魔女は黒猫を抱きしめると楽しそうににやにやと笑った。
「なーに、じろじろ見て」
 傍らのコップを拾い、吸血鬼が相槌代わりに肩を竦める。黒猫に頬ずりをして、魔女は一度大きく深呼吸をしてから起き上がった。
「寝てる間に変なことなんて、させないけどねー」
「だから、眠らないのか?」
「はぁ?」
「それとも、貴女は眠らないものなのか? 人間とは夜ごとに眠りにつくものだろう」
 突然、吸血鬼がそう質問してくる。魔女は魔女で、すぐには質問の意図が分からなかった。
 二人してダイニングに移動すると、自ずと席に着いた。魔女は肘をついていくらか考え込む。吸血鬼が返答を待っている間に、幽霊がふよふよと降りてくる。話の流れが分からず幽霊は吸血鬼に視線を送るも、吸血鬼も肩を竦めて首を横に振った。
「ねぇ、思ったんだけど、あなた達って寝ることあるの?」
 魔女は改めて目の前のモンスター達に向き直る。
 そう、彼らは眠らない。この数日、一睡もしていない。
「……もしかして、失礼を働いていたか」
「あら、そういうこと? 気づかなくてごめんなさい」
「申し訳ない。貴女の眠りを私達が邪魔していたのか」
 吸血鬼の問いに、幽霊もはっとしたように口元を手で覆い、二人して謝罪を口にする。そうじゃないよと、魔女は笑って返した。
「純粋に不思議に思って。あなた達って、そもそも寝ることあるのかなって」
 少し気怠そうにテーブルに体を預けて、魔女は二人を眺める。隣の吸血鬼を一瞥してから、幽霊は顎に手を添えて視線を飛ばした。
「そうねぇ……わたくしは……眠っているのかしら。実体のない時なら、あるわ。たまにね、あまり長くこうやって触れる実体でいると、そのうち宙に戻ってしまうみたいなの」
「宙に戻る?」
「えぇ、誰にも見えなくなってしまって……いるのだれけど、みんなからは、いなくなるの。まるで世界から、わたくしだけ切り取られたように……。けれどね、ほんの一瞬なの。わたくしにとっては、ほんの一瞬。それって眠っているとは違うのかしら」
「たまに突然いなくなるよな」
「吸血鬼さんの話では、一瞬ではなく何日も経っているのよね」
「眠っている間は違う形の霊魂になりはしないのか」
「違う形?」
「おまえが眠っている間に、屋敷で霊魂を目撃したことがあってな。他に住人は?」
「お客さんだったのかしら。ここにはわたくし達以外には誰もいなくてよ」
「そうか」
「魔女さん、わたくしの答えはこれでいいかしら」
「うん。吸血鬼は?」
「私は人間達と同じだ。人間と同じく、横になって、眠る」
「え、うそ。いつ」
 意外なくらい驚いて魔女が話に食いつく。吸血鬼は当然のように答える。
「いつ……だろう。一か月後かもしれないし、半年後かもしれない」
「なにそれ」
「幽霊もそうだろう? 実体がある状態が、魔力なり体力なりを消耗するから、休息をとるように消える」
「わたくし、疲れていたのかしら」
「そう考えると、数日だったり一年以上だったり、おまえが戻ってくるまでの時間にばらつきがあることに説明がつく」
「えぇ? わたくし、一年も眠っていることなんてあったかしら」
「何回もあったよ。季節が一周するから、気づいていなかったんだろ」
 二人のやり取りを、魔女は淡々と聞きながら眺めていた。
「……いいなぁ。魔法じゃ、どうにもなんないじゃん」
 ぽつりと魔女が呟いた。羨ましそうな声色と反して、その顔には悔しさや不服さが滲み出ていた。
 たった数日、魔力を使い続けても全く問題はない。疲れは魔法で癒せた。魔力が枯渇することもない。このどうしようもない気怠さは、睡眠不足のせいだと明白だ。こればかりは、魔女であろうと人間にはどうしようもない。彼らモンスターとは違うのだ。別にモンスターである彼らを怖いとは思わない。単純に四六時中動いている彼らの気配にまだ慣れないのだ。
「やはり、無理をさせていたのか」
「ごめんなさいね。何か、不都合があったらおっしゃって」
「できる限り協力しよう」
「ふふ、二人とも、ありがとう」
 客人のもてなしに困るように二人してあたふたする姿がおかしくて、魔女はくすりと小さく笑った。
「それと、もう私はゲストじゃなくてシェアメイトでしょ。私に合わせてくれるのは嬉しいけど、私にできることがあったら、そっちこそ遠慮なく言って」
「ふふ、ありがとう」
「あぁ……ありがとう」
「そうしたら、魔女ちゃんって呼んでもいいかしら?」
「あはは、いいよ」
 おかしそうに笑う魔女を見て、幽霊は心底嬉しそうな笑みを浮かべた。
「改めて、よろしくね、魔女ちゃん」
「うん、いっぱい話したら眠くなっちゃった。部屋に戻るね、おやすみ」
「おやすみなさい」
「おやすみ、良い眠りを」
 そうして魔女が屋敷で初めて眠る夜、二人のモンスターは一晩中、中庭から動かず星空を鑑賞しながらおしゃべりをしていたという。

 数か月が経つ頃には、屋敷の生活にすっかり慣れ、屋敷の周りにも慣れ、半年も経つ頃には、吸血鬼同様に魔女も土産を持ち帰るので、屋敷はますます賑やかになっていった。特に、幽霊が紅茶の香りを好むと判明してから、魔女はあれこれと茶葉を取り寄せるようになった。
「ねぇ、朝からずーっとそこに座ってるけど、何してるの?」
 庭で水を撒き虹を作るように魔法を操り遊んでいた魔女が、庭先に座り、紅茶が入ったカップを手に持ったまま庭を眺めている幽霊のところにやってくる。傍らには冷め切ったティーポットも置いてある。
「それ、もう冷めて、美味しくないんじゃない?」
「大丈夫よ。わたくし、いただくのは香りだけなの」
「そうなんだ! 実際飲んだり食べたりはしないの?」
「わたくしの食事はこうなの」
「この前、吸血鬼がごはんを作ってくれたけど、あれ、幽霊的にはちゃんと食べてたんだ」
「あのひと、ずるいわよね。あれだけ料理ができるのに、ずっと秘密にして」
「キッチンがあれじゃあ、料理も何もないよね」
「どこの国の料理だったのかしら」
 何気なしに幽霊の隣に座り、同じく庭を眺める。陽はだいぶ傾き、眩しい西陽をこちらに向けている。
「吸血鬼はなんとなく想像つくけど……幽霊は今まで何も食べてこなかったの?」
「えぇ?」
「だってキッチンは使われてなかったじゃん。そうやって紅茶も淹れられなかったでしょ?」
「わたくし、食べ物でなくてもいいのよ」
 幽霊はティーカップを持ち上げて見せて語る。
「いただくのは、香りなのだから」
「それでいいんだ?」
「えぇ。吸血鬼さんも、たまにポプリやオイルをくださって……いただくとね、この紅茶のように、その香りがなくなるの」
「…………あ、ほんとだ!」
 魔女はさらりと香りを確認するも全く茶葉の香りがしないので、改めてしっかりカップに鼻を近づけ確認してみたが、やはり香りが全くなくなっている。幽霊はカップをポッドの隣に置いて、沈みゆく太陽を眺めながら目を細めて微笑んだ。
「きっと、何も食べなくても大丈夫なのでしょうね」
 幽霊だもの。そう言って幽霊が笑う。陽光が地平線に隠れ、徐々に幽霊の姿は暗がりに溶けず発光するように白さを返す。その姿を見て、魔女は妙に納得してしまった。
「私、モンスターには何度も遭ってるけど、二人のことは全然知らないんだよね……。眠ってる時の話なんて、すごくびっくりした。こんなに時間の感覚が違うなんて」
「あれは、わたくしと彼でも違うのよ」
「そうなの?」
「えぇ。わたくしには、時はなかったのだから」
 そうして幽霊は、吸血鬼が訪れた当時の話を語ってくれた。魔女はそれを真剣に聞いていた。彼ら二人とは時の流れが違うんだなと思っていたけれど、そもそも幽霊は流れていなかったんだなと、魔女は思う。それはそれは楽しそうに目を輝かせて語るので、魔女も楽しくそれを聞いていた。いくつか話を脱線しながら、幽霊は最後にハロウィンパーティーの話をしてくれた。
「行ってみたい! どうやって行くの?」
「しるしがあれば行けるわ。しるしが、招かれた証拠なの。その日になると、しるしが浮かび上がるの。わたくしはここ」
 そう言って首元を触って幽霊は続ける。
「魔女ちゃんもきっと招かれるわ」
「それって選ばれる資格とか基準とかってあるの?」
「どうかしら……」
 興味津々に魔女が聞いてくるが、幽霊にはそれ以上のことは分からなかった。
「吸血鬼さんなら、知っているかも」
 聞くが早いか立ち上がり、魔女は幽霊を振り返る。大きな帽子を被り直して、宵闇の中でも、はっきりといたずらっ子のように笑う魔女が見えた。
 夜の帳が下りきる前に空が青と紫に深く染まるように、影が夜に溶ける頃、屋敷の廊下にぽつぽつと灯りが宿り、屋敷は揺らぐオレンジと赤に深く染まる。はっきりと行く先を見つめる蝋燭の火と似た色の瞳は、小さないくつもの炎の光に照らされてまるで白のような強い輝きを宿していた。
 リン、と音がして、彼女と同じように燃えるオレンジの、けれど感情の読み取れない眼がこちらを見つめている。彼女の使い魔である黒猫だ。黒猫は先導するように書斎のドアの前で待っていた。
「入るよ」
 何度かノックをしてみるとかすかに返事が聞こえた。ドアを開くと思いの外ひんやりとした、真っ暗な室内に魔女が呆れかえる。同じく部屋の中を覗いた黒猫は、瞬く間に暗闇へと消えた。
「待ってよ!」
 部屋の明かりを灯すと、黒猫はソファに座る吸血鬼の隣にいた。魔女はいくつかの燭台の火を大きく揺らすと、やんわりと部屋の中を暖めながら黒猫へ歩み寄り、その前でしゃがんだ。
「吸血鬼って、暗くても見えるんだね。この子みたい」
 吸血鬼の代わりに、にゃーんと黒猫が応える。吸血鬼が小さく笑うので、魔女は小馬鹿にされたと思い頬を膨らませた。
「なによ」
「いきなり明るくしたら眩しい」
「あ、ごめん」
「俺もだけど、その子もだ」
「あなたも眩しいの? ごめんね」
 黒猫の脇を抱き上げて顔を合わせて魔女が言う。多少物申す様子で黒猫が身をよじった。吸血鬼は微笑ましそうに二人を見て薄く笑った。
「で、なんだ。何か用があるんだろう」
「そうそう。ハロウィンパーティーについて聞こうと思って」
「あぁ、聞いたか」
 吸血鬼が席を詰めてやると、魔女は同じソファに座ってにこにこと楽しそうにあれこれと質問をした。彼は聞かれるままに魔女の問いに答えていった。
「それってあなたが幽霊の分のお菓子を用意してるってこと?」
「あぁ、幽霊の分も含めて、色々な。あいつ、配るだけでもらってこないから、ある意味助かっている」
「どうして?」
「二人とも食べない」
「あ、そっか」
 腑に落ちたようで魔女は一度納得するも、疑問を感じて小首を傾げた。
「あれ、でも幽霊って香りを食べるんじゃないの? あなたも紅茶を飲んでなかった?」
「あいつが好む香りは昔から決まって強い香りばかりだ。俺も人間達の真似事はできるが、おまえらみたいに味は感じない」
「そうなんだ!」
 魔女は驚いてから、思うところがあったのかくすくすと笑い始めた。
「いっぱい行ってるのに二人ともお菓子を食べないなんて、すごくもったいない」
「今度は、なるべくもらってこよう」
「その前に私も行きたい! 招かれたらいっぱいお菓子を用意して行くんでしょ? 配った分、もらっていいんだよね? たくさん用意できる?!」
 わくわくして話す魔女があまりにも素直に期待に目を輝かせるので、吸血鬼は堪えつつも小さく喉で笑った。
「トリック・オア・トリート」
「トリック……? なに、それ」
「パーティーへ行くなら覚えておけ。大事な合言葉だ。トリック・オア・トリート」
「トリック・オア・トリート。どういう意味?」
「ごちそうを差し出せ。でなければ俺達はおまえに悪さをする」
「すごい脅し文句」
「くだけて言えば、お菓子をくれなきゃいたずらする、かな」
「急に可愛い。それでお菓子をもらうんだね。トリック・オア・トリート?」
「あぁ、トリック・オア・トリート」
「それって、あげなきゃいけないもの?」
「やらないと、何かしら相手にいたずらされる」
「いたずらって、具合的に何するの?」
「それぞれだ。脅かす者、追いかける者、呪う者、幻覚を見せる者、金縛りに遭わせる者、追い剥ぎのように奪う者、変身させてしまう者」
「うわぁ」
「向こうでは自由だが、戻ってきてから影響のあることは誰もしないよ。合言葉であげてしまったものは戻らないがな」
「幽霊、それで記憶を取られてはいないよね?」
「はは、それは世話ないな」
 吸血鬼が楽しそうに腕を組んだ。魔女もそれはないかと苦笑いをした。
「さすがにそれはない。あれは幽霊の特性だ。配るものも、いつも十分持たせている」
「幽霊って、自分では用意しないの? 毎年のことでしょ」
「本人も用意したがるし、それに、毎年でもない」
「毎年招かれるものじゃないんだ?」
「というのも、俺も幽霊も……言っただろう、一度眠りについてからが長いんだ。楽しみにしているとはいえ、毎年ハロウィンに向けて起きていろとは言えないだろ」
「それって調整できないの?」
「どうだろう……俺はどうにでもなるが、彼女が調整できるか、俺も知らない」
「へぇ、もう勝手知る仲だと思ってた」
「無駄に時が経っただけだ」
 吸血鬼は少し口の端を上げて答える。魔女もつられて少し笑った。
「それでも、良き家主で良き同居人なのは、間違いないよ」
 吸血鬼は立ち上がり、少し考え込む仕草を見せた。
「もし、よかったら……幽霊について、一つ、頼まれてはくれないか」
 吸血鬼は困ったような、躊躇うような、曖昧な表情をする。書斎の本棚に向かい、そのうち一つの引き出しに手を添えて、一度彼は魔女を振り返る。
「屋敷に来て早々、巻き込むことになり心苦しいんだが」
「早々でもないでしょ。もう半年も経ってるし、今更、なんの遠慮もしないで」
「そうか、ありがとう」
「それに、それって……私が知っておいた方がいいもの?」
「ここに住む以上、知っておいてほしい。不測の事態に巻き込んで……巻き込まれても、おまえなら問題ないとは思うが……」
 魔女も立ち上がって、その戸棚の前に歩み寄る。怪訝そうにする吸血鬼に、魔女は呆れたように軽く息をつく。
「煮え切らないなぁ。なに? 私じゃ頼りない話?」
 引き出しから巻かれた紙切れを取り出して、吸血鬼は魔女と向き直る。
「いいや、むしろおまえが強力な魔女だから、話しておきたい。何事もなければ、それでいいんだ。ただ、もし、誰かや何かが、幽霊に危害を加えるようなことになったら……どうか、助けてほしい。俺は聖魔法は使えない。恨み辛みといった霊魂を鎮めるのは聖魔法なんだろう?」
「ふふ、いいよ、任せて。私もここは気に入ってるし、幽霊もあなたも、この屋敷も全部。何かに襲わせもしないし、私が守ってあげる」
「ありがとう、心強い」
 得意げに、でも優しく微笑む魔女に、吸血鬼は安堵の色を見せて言った。
「いくつか、話しておこう。俺の知る、幽霊について」

幽霊についての秘密

 吸血鬼が差し出した紙切れは、経年劣化して黄ばみ、端はよれ、全体的に汚れていた。黒のインクで書かれた文字らしき跡は汚れてしまい、いつの時代のどこの国の文字か分からない。
「……まず、知っているだろうが、彼女はこの屋敷の地縛霊だ」
「うん、それも、けっこう強力に呪縛されてる霊魂だよね」
「そのようだ。それだけ、生前に、強烈な何かがあった」
魔女は手渡された紙切れをひらりとさせて問う。
「それと、この紙切れが関係あるんだ?」
「あぁ、話が早くて助かる」
魔女の隣の席に戻り、吸血鬼は一呼吸を置いてから言葉を紡ぐ。
「数世紀前の話だ。この近く——いや、少し遠く、東の方の——いくらか国境線を変えている国があるだろう。国旗にやたら豪華な紋章が入った」
「東の大国のこと?」
「あぁ。当時はこの一帯も同じ国だった」
「へぇ、そうなんだ」
「閉鎖的な国だった。都のある辺りは特に、俺みたいなモンスターがつけいる隙がないほど、閉鎖的な。だから、中のことは知らない。外で頻繁に見かけたのが、その国の教会の騎士団だ。個人的には教皇国家のようなイメージがあるかな」
「実際、そういう国だったって聞くよ」
「そうなのか?」
「本当は王制だけど、実際は教会が統治してるような国。昔は王族が強かったかもだけど」
「そうなのか」
「幽霊はその国の人間だったってことね?」
「屋敷の立地と、この文書からして、そうだろう。当時の……だいたい四百年から二百年前だろうか。その教会の騎士達が、こういったものをよく使っていた。縁の飾り模様がまさにそれだ。俺も覚えがあるから当時のもので間違いはない。その頃によく使われた謳い文句があって、それが書いてある」
 魔女は手に持つ紙に綴られた、もう読めない文字を指でなぞる。
「……なんて書いてあるの?」
魔女の指に続くように、吸血鬼が紙の上を爪先で辿る。
「聖騎士の聖剣によって退治する」
「なに、それ……」
「その教会に仕える聖騎士が、そうやって罪人を裁く」
「罪人? 幽霊は何か罪を犯したの?」
「それについては、追って話そう。もう一つ、俺が分かるのは」
 吸血鬼は話しながらもう一度紙切れを今度は何度か指で小突いて言う。
「血だ。ここ、血なんだ」
 次第に、少しずつ、吸血鬼が声色を低くする。魔女はますます神経を研ぎ澄ませて一字一句を聞いた。
「汚れで見えにくいだろうが、ここら一帯、血溜まりに落ちて濡れたような血痕……男の血だ」
「よく分かるね、そんなこと」
「まぁな。性別は特に分かりやすいんだ。さすがに俺も、あまり年月の経った血痕だと年齢は分からない……はずなんだが、これは、明らかに、幼い……子供のものだ」
「血痕は新しいってこと? だって紙は古いんでしょ?」
「そもそも数百年前に技術も材料も失われている。紙も血痕と同じように時を止めているのなら、あるいは」
「それは分からないんだ」
「さすがにそれは分からない」
「幽霊屋敷って……幽霊が化けて出た時に、屋敷ごと全て時が止まるもの?」
「屋敷ごと全て、ではないだろうな。庭が典型的だ。白薔薇は恐らく時を止めているが、それ以外の庭は時が流れている」
「その血痕は時を止めてて、だから新しく感じる?」
「だと思う」
「その文書って、普通は聖騎士が持ってるもの?」
「あぁ、通常はその聖騎士だな」
「……」
「……続けていいか?」
「うん」
 相槌を打ち、魔女は一度視線を吸血鬼に戻す。
「もう一つ、俺が知っているのは、灰色の霊魂について」
「灰色の霊魂?」
「耳障りな雑音を出す、灰色の煙のようなやつだ。この幽霊屋敷、彼女以外にも何か、いる」
「なにそれ! え、全然気配を感じないけど!」
 紙切れを吸血鬼に押し戻して魔女は驚いたように周りを警戒する。紙を受け取り、元の状態に緩く巻き直しながら吸血鬼も部屋を見回した。
「灰色の煙状の霊魂で、意思疎通はできない。必ずこの書斎に現れて、ひたすら同じことを呟き、一定時間で消えていく」
「分からなかった。悔しい……。そんなに気配がないの?」
「出現している時にしか気配がしないんだ。それも幽霊と似た気配だ。無理もない。あれも幽霊と同じで、呪いや未練といったものに囚われた霊魂だ。あれは彼女自身かもしれないし、分身か、別人かもしれない」
「ふぅん」
「その灰色の霊魂と同じような、灰色の煙のようなものを、幽霊が吐いたことがあってな」
「吐く?」
「体中から漏れ出す……が、正確な表現か。その時の彼女は、灰色の霊魂のように、一時的だが意思疎通ができなくなった。彼女は『許さない』と口にしていた。灰色の霊魂は『ごめんな』だった」
「……」
 隣で考え込む魔女の様子を窺いながら、吸血鬼は話を進める。
「以前、子供の迷子がここに来た時があって、その時なんだ、幽霊がそうなったのは」
「子供」
「あぁ、兄と妹、どちらも年端もいかない幼子だった。妹の方が泣き叫んだ直後、幽霊が煙を吐いて意思疎通が取れなくなった」
「……その、紙についてる血も、子供なんだよね」
「あぁ」
「いくつくらいか、分かる?」
「おおよそだが、まだ骨も肉も柔らかい……これくらいの、大きさ、かな」
 吸血鬼が子供の身長を示しながら答える。魔女は思い当たる節があるように眉をひそめた。
「あのさ……私、部屋を二階にもらってるじゃん。あれ、どう考えても子供部屋なんだよね。片づけてる時に幽霊に何回か聞いたんだけど……玩具とか机とか……幽霊は処分しちゃっていいって、見覚えないって言うの」
「あぁ、なるほど……子供部屋か」
「どう見ても子供部屋だったでしょ?」
 答える代わりに今度は吸血鬼が眉をひそめる。魔女は言葉を選びながら言いにくそうに話を続ける。
「二階ね、いろんなものが……そのままで。幽霊と、直接関係ないかもしれないけど……全部片づけちゃうには、怖くて。誰かの思い出かもしれないものばかりで、だから、キッチンもそうだけど、極力元々あったものはそのままにしてある」
「そうだったのか」
「その、二階の部屋も、たぶん、それくらい、幼い年の……子供部屋で……男の子も女の子もいそうだった」
「二人、か……」
「その血痕の少年って、ここで死んでる?」
「恐らく、多くの血を流してここで亡くなった。時の止まり方といい、この少年と幽霊のどちらも同じ時に亡くなっていると考えるのが自然だ」
「幽霊の……子供だったり、するのかな」
「どうだろうな。彼女は自分の生い立ちを話さないから、分からない」
「それは私も気になってた。つまりさ……話したくない、話せないってことでしょ」
 魔女は一度大きく深呼吸をする。
「ねぇ、一度、話を整理していい?」
「あぁ」
 魔女は一つ一つ指折りつつ言葉を紡ぐ。
「幽霊は、その昔、ここで死んじゃって地縛霊になった。屋敷には子供部屋があって、ここで幽霊と血痕の少年が同時に死んじゃってる」
「……」
「当時の国の王族と教会の公の文書を持って聖騎士がここに来て、幽霊が罪人扱いされてる」
「……」
「幽霊は前に、子供がきっかけで変になった。その変な状態と同じ状態の霊魂が、この屋敷にはいる」
「……」
「あってる?」
「あぁ、概ねその通りだ」
 じっと聞いていた吸血鬼が肯定に頷く。魔女はそれを見て、まだ納得していない様子で指先を口元にあてて小首を傾げた。
「わざわざ王族の許可を得て聖騎士が動いたわけでしょ? もしかして、幽霊って……実は王族だったのかな……?」
 思い悩む魔女に、吸血鬼も指折り話す。
「……例えば王族だとして、国外追放は免れたが、この辺境に住まなくてはならなくなった。少年は少ない使用人の一人で、最終的に教会は動き、二人はここで処刑された」
「うん……」
「例えば、幽霊は生前、親子で亡命して流れ着いた先がこの屋敷だった。だが、聖騎士に見つかり、その手から逃れ切れず、ここで親子諸共、処刑された」
「……」
「例えば、元々幽霊はここにいて、少年が逃げ込んできて、匿ったせいで殺された」
「……ありえる」
「幽霊が罪人かもしれないし、その少年が罪人かもしれない」
「あ……そっか。え、でも、それこそ、何の罪?」
「それは分からないが、その少年こそ、化けて出ていてもおかしくないだろう?」
「もしかして、それが灰色の霊魂?」
 はっとした様子で魔女は吸血鬼に向き直る。吸血鬼も頷いて答えた。
「確証はないが、灰色の霊魂の正体には妥当だろう」
「それか、もしかしてその少年と一緒に逃げてきたお父さんとか?」
「どのみち、幽霊とは違う誰かになるよな」
「だね」
「俺は何度もそれと遭遇しているんだが」
「待って、おかしくない?」
 急に魔女は話に割って入る。一度言葉を区切り、吸血鬼は魔女の言葉を待った。彼女は顔をしかめ、視線を泳がせる。
「幽霊って、吸血鬼が来るまでずっと一人だったんでしょ。だからお話してって言ってるわけで。じゃあ、何? その霊魂って吸血鬼が来てから出現したの?」
「……化けて出たのが俺の後だとしても、どのみち家主の彼女が知らないはずがない」
「でも、幽霊はそれを知らない?」
「あぁ、俺は何度も遭っているのにだ」
「なんで知らないの……? 知ることができない?」
 魔女の言葉を聞きながら、吸血鬼は腕を組んで一呼吸置く。
「俺はその霊魂がどうしても気になるんだ。今のところ危害を加えてくる様子はないが……あれだけの地縛霊になった彼女と同じ状況で亡くなっているとしたら、いずれ彼女と同等の存在になりかねない。どちらも呪いの霊魂だ。あれが彼女を乗っ取る形になれば……屋敷もただではすまない」
「それで、話してくれたのね」
 魔女の言葉に吸血鬼は頷き、顔を手で覆った。
「もし、あれが悪さをするようなら、止めてほしい」
「なるほどね。だいたい、分かったよ」
 納得したように魔女は頷いた。何事もなければ、それでいいと、吸血鬼は再度繰り返す。
 魔女も、今の幽霊が好きだ。彼女がどうにか変わってしまうというのなら、それが彼女の望む変化ではないのなら、その脅威から守ろうと、まだ見ぬ灰色の霊魂への警戒とともに心に誓った。

忘れられた幽霊の記憶

 屋敷には、誰も踏み入らない部屋がいくつか存在する。何年もそのままで埃を被り、カーテンもあったりなかったり、まるで最初から存在していないように放置されたままの部屋だ。
 そのうちの一つが、嫌でも目に止まる屋敷の入り口付近の部屋だ。壊れた椅子や机、中身の出てしまった本棚や、散乱したまま何十年も経ち日に焼けてしまった本や紙切れ、花であっただろう何かの屑がこびりついた花瓶に、中途半端に開かれたカーテン。いくつかの壊れた陶器の器やアクセサリー入れだったと思われる蓋のとれた木箱。加えて溜まりに溜まった埃が、それらを覆っている。
 廊下を挟んで反対側にも放置された部屋があるのだが、その部屋はまだドアが閉まっている。問題の部屋は、長年ドアが半開きのままになっていた。ドアの奥側は外から見えないが、廊下から覗き見られる景色は、そこだけ別世界に繋がっているように荒れている。
 事の発端は、廊下にその埃や臭いが漏れてきたことだった。普段なら気にしないのにと部屋の前を通りかかった吸血鬼は思う。もう何十年もこの部屋の前は通っている。魔女が住み始めて数か月。彼女の部屋は問題の部屋の真上に当たる。二階が賑やかになったことで、屋敷全体が緩やかに時を戻しているように感じた。
 吸血鬼は手に持っていた籠や紙袋を床に置くと、部屋のドアに手をかける。ドアの蝶番が錆びたのか、経年劣化で歪んでしまっているのか、半開きになったまま、うんともすんとも言わない。無理に動かそうとすれば、蝶番が悲鳴をあげ、ドアノブが軋んだ。腫れ物にでも触るように手を離し、吸血鬼はそろりと部屋を覗く。着ていたマントの裾が埃の溜まった床を拭いて、埃が舞い上がった。
「……」
 思った以上に、中は悲惨な状態だった。何かが暴れたようにも、誰かが荒らした後にも見えた。吸血鬼はマントが汚れないように腕に抱えつつ、その顔を半分覆って部屋の奥へと進んでいく。
 パキッと音がしてガラスが割れた。瓶の破片のようだった。
 廊下からは見えなかったが、棚の上には大きめのノートほどの大きさの、立派な額縁のわりに子供の落書きのような稚拙な絵が飾られていた。人が四人。どう見ても、両親と二人の子供といった、四人家族の絵。
 吸血鬼の中で、一つの憶測が急激に実感を帯びていく。
 導かれるように、そっと、その絵に触れた。立派な額はガラスも嵌められていて、触れたガラス表面から埃が剥がれ落ち、鮮やかな黄色や赤の絵の具が見えた。
 それ以上、触るのが躊躇われた。吸血鬼は逃げるように窓に向かった。いくつかの転倒した家具を跨ぎ、窓辺へと自然と足が急ぐ。
 あれは、兄と妹だろうか。それとも、姉と弟だろうか。それとも、双子……——
「……!」
 思わずマントの影に隠れた。勢いに任せて開けたカーテンの向こうから、穏やかな陽の光が容赦なく射し込んできて目が眩んだのだ。吸血鬼は窓に手をかける。鍵はかかっておらず、簡単に開きそうだった。
 軋んだガラスと木の音がして、すうっと部屋の中を風が駆け抜けた。緩やかに風が舞い、いくつかの紙切れが宙を舞った。部屋の中の空気は何百年振りに入れ替わった。
「何をしているの?」
 ドアの影から、幽霊が顔を出す。吸血鬼はぎくりとした。今から絵を隠しに動くのも不自然だった。吸血鬼はマントに隠れたまま片手をひらりと振った。
「……換気だ。臭いが気になってな」
「言われてみれば……少し、独特な香りね」
 幽霊も物珍しそうに部屋を見渡す。お互い、長年この屋敷に住んでいるが、必要のない部屋にはとことん近寄らない。懐かしむようにも、目新しいものを眺めるようにもして、幽霊は床に倒れた花瓶を拾うと近くの机にそれを置いた。
「ドアを閉めようと思ったんだが、困ったことに、どうにも動かない」
「壊れているの?」
「あぁ。動かそうと思えば動かせそうなんだが、俺がやると壊しそうで」
「それはいけないわ。魔女ちゃんなら、直せるかしら」
「頼んでみるか」
「あら」
 思わず幽霊が顔を明るくする。先程の絵を、彼女は見つけたのだ。反射的に手を出そうとして、吸血鬼は思い留まる。幽霊はその絵を手に取り、慈しむように微笑んで目を細めた。
「ふふ、可愛い絵ね。ここにあったのね」
「知っているのか?」
「えぇ、もちろん。わたくしの……——」
 楽しそうに幽霊は話をしようとして、急に固まった。
「どうした?」
「…………え……?」
 突然、困惑した様子で幽霊は眼下を見つめて息を吞む。何事かと思い、吸血鬼は幽霊の視線の先を確認した。
 そこには、一通の手紙があった。日に焼けていない封筒は、湿気を吸ったのかよれているがしっかりと文字が書かれ、特徴のあるシーリングスタンプが押印されていた。
 憶測のパズルは、はっきりと空いたピースを埋めていく。
「……あぁ……」
 困惑したが顔は急に驚きに青ざめる。まずい、と吸血鬼は幽霊の元に駆け寄り、何よりも先にその手紙を取り上げ幽霊の視界から隠す。
「幽霊」
「……どうして……」
「幽霊」
 声をかけるが、こちらを見ない。何度か声をかける。だが、全く声が届いていない。彼女は何もない宙に腕を伸ばし、何か幻覚を見ているように、虚空に話しかけ始めた。
「……どうして…………、……」
 声になる言葉と、唇だけが動き話している言葉があった。吸血鬼は数舜、声をかけるのを忘れて聞こえぬ声の言葉に見入ってしまう。
 不意に視界が遮られる。灰色の煙だった。はっとして吸血鬼は幽霊を揺さぶった。
「幽霊」
「……、……」
 埒が明かない。どうしたものか。吸血鬼はおもむろに幽霊の肩を抱くと、彼女を窓辺の陽の下に連れていく。
 昼の強い陽光が目に届く。光に我に返ったのか、幽霊は何度か瞬きをする。射し込む陽光が眩しすぎて、二人して目を細めた。
「どうしたの、急に」
 いつも通りの表情に戻り、幽霊は眩しそうに微笑む。
「ふふ、なぁに? そんなに見つめて」
「…………すまない。さぁ、魔女にドアを直してもらおう?」
「そうね。それは動く?」
「あぁ、窓は動く。動かないのは、ドアだけだ」
 吸血鬼は幽霊に話しかけつつ窓辺から遠ざかり、一度魔女の住む部屋の方角を見上げた。
「日中だから、庭かキッチンか」
「庭に誰かいるみたいだから、そこじゃないかしら」
「あぁ、そうだ。この本を持ち出していいか。後で読みたい」
 棚の上に置いてあった本を手に吸血鬼は問う。手紙をそこに見えないように隠して。
「えぇ、いいわよ」
 振り返り際に幽霊が微笑む。つい今しがたの表情も、感情も、何もかも部屋に置き去りにするように、何事もなく。幽霊の後を追うように吸血鬼も部屋から出ていく。一度、飾られた家族の絵を見返して、吸血鬼は腕の中の本を強く握りしめた。
 穏やかで暖かな陽気がロビーや廊下を包む。中庭には、いつまでも変わらず咲いている白い薔薇の他に、子供の背丈ほど伸びきった草むらに埋もれながら黄色やピンクの小さな花があちこちに生えている。案の定、魔女は中庭にいた。
 何かの瓶を片手で転がして、魔女は二人に手を振った。
「幽霊! 見せてくれてありがとう。吸血鬼もいいところに。これって、なんか意味あるもの? 今もこれってパーティーに持っていくものなの?」
「……まだ持っていたのか」
「これはね、わたくしの思い出。大切な初めてのパーティーの思い出なの」
「ふうん」
「それでね、魔女ちゃん、お願いがあるのだけれど」
「なに?」
「ドアの閉まらない部屋があるの。そのドアを閉めてほしくて」
「あぁ、ロビー脇の部屋?」
「えぇ」
 話をしながら一行は件の部屋の前まで移動する。ドアが前にも後ろにも動かないだとか、中は荒れ放題だとか、カビ臭いだとか、埃がたまっているだとかの話を聞きながら、魔女は呆れ返ってしまう。
「それって、臭いものに蓋じゃん。掃除しようよ」
「とは言うものの、誰も使わないしな」
「吸血鬼さんが、だいぶ片づけてくださったのよ」
 魔女は呆れてものも言えない状態で部屋のドアを一度確かめている。魔法なしの魔女の力では、びくともしなかった。中を覗いてみると、確かに部屋は荒れていて、以前には気づかなかった何かしら嫌な臭いがした。
「めちゃくちゃだね。ドアを直すついでに、ここも掃除しちゃおっか」
「この本の臭いも取れるか?」
「あは、なんでもできるよ! 任せて!」
 彼女のかけ声と共に、さっきまで全く動かなかったドアも窓もバタンバタンと音を立て全開になる。
「全部、吹き飛ばしちゃえ!」
 大きく風が吹く。散乱していた本が本棚へと、落ちた時の巻き戻し映像のように整然と戻っていく。倒れた花瓶は棚に戻り、ガラス窓についていた埃も窓から外へ、森へと飛んでいく。家具の隙間に落ちていたであろう埃や蜘蛛の糸、枯れた花の跡や得体の知れない何かのゴミも全てかっさらい飛ばしていく。力強い風は、それでいて優しく器用に家具の周りを撫でていき、容赦なく森へと流れていく。
「わぁ、さすが魔女ちゃん」
 楽しそうに部屋をぐるりと見回して幽霊がはしゃぐ。風の強弱具合や元の位置に戻っていく物達を眺めながら、二人はただただ魔女の魔力に感心した。
見違えるように理路整然と片づけられた部屋は、少しの本棚と、机と椅子、小さめの棚と、いくつかの飾られた絵や花があったと思われる花瓶があり、客間だったことが明らかになった。
 最後に窓を魔法で閉じて、魔女は得意気に両手を腰にあてて威張ってみせる。
「どう? スッキリしたでしょ」
「あぁ、すごい」
「魔女ちゃん、すごいわ」
 あまりに素直に二人が感嘆の声をあげるので、魔女も少し照れくさくなってはにかんだ。吸血鬼が抱えている本も、新品のように紙の匂いがした。
「ふふ、さすがね」
 二人して自分の家ではないように見回す。壁紙の経年劣化による破損やカーテンの色褪せはそのままだが、きちんと片づいたことで古びた時計や家具も良い味を出して見えた。
「あら」
 棚に置いてある額縁に入った絵を見て幽霊が優しく微笑む。
「ふふ、可愛い絵ね。ここにあったのね」
「……知っているのか?」
「知らないわ」
 幽霊はさらっと返して両手を軽く合わせて笑う。
「さぁ、一仕事した魔女ちゃんに、ご褒美ね。美味しいクッキーがあったはずよ。パーティーの話も途中だったし、中庭でみんなでいただきましょう。紅茶を淹れてくるわ」
 そうして楽しそうにキッチンへと向かう幽霊を見送って、二人は示し合わせたように目線を合わせた。
「ねぇ、その絵って、もしかして、もしかする?」
「あぁ、恐らく」
 棚の上の飾られた絵を見てから、魔女は話しかけようとし、吸血鬼は手紙を差し出した。
「これ、どう思う?」
「今度はなに?」
 吸血鬼も魔女も、お互いに怪訝そうな顔をする。
「これは、男の名前だ。ここに押された印は、当時の教会が使っていたものとそっくりだ」
「……ねぇ、その名前って……幽霊の旦那さんだって言わないよね?」
「やはり、そうなるよな……」
 二人して頭を抱える。数舜の沈黙を、先に吸血鬼が破る。
「この手紙を見て、幽霊が灰色の煙をもたらした」
「この絵は大丈夫そうだったね?」
「それもな、先程も全く同じ会話をしているんだ。知っているかと聞いたら、もちろんだと答えた。今は知らないと答えただろう」
「……ねぇ、幽霊は家族四人でここに住んでて、子供は絵の通り、男女だった。そこに聖騎士が来て、みんな理不尽に殺されたから、地縛霊になった。生前のことは話さないのは、覚えてないから。灰色の霊魂は……幽霊の家族……そうでしょ?」
「あぁ、その通りだろう」
 魔女は顔をしかめて絵を見つめる。静かに本の中に手紙を戻して、吸血鬼も絵を一瞥してから、その視線を部屋に飛ばした。
「やはりあの霊魂とは会わせられないな」
 吸血鬼が、額縁から絵を丁寧に取り出す。額の中に隠されているものはなかった。絵も、それ以上の発見はなさそうだ。
「あ」
 魔女が思わず声を漏らすので、吸血鬼は彼女の視線を追い、絵の裏面を見た。そこには、はっきりと拙い字で、文字が書かれていた。

パパとママとぼくたち、なかよしかぞく

「それは、なぁに?」
 二人は背筋が凍った。二人とも絵に集中していたせいか、幽霊の気配に気づいていなかった。
「……あら」
 幽霊は吸血鬼が持ったままの紙を、じっと見つめている。その様子を見守りながら反応を待っていると、幽霊はやはり慈しむように微笑んで、少しだけ憂いを帯びた。
「可愛らしい文字ね。なかよしかぞく。ふふ、すてきね」
 幽霊はそれだけ言うと、律儀に動くようになったドアから外へと出ていく。
「冷めないうちに、いらっしゃい。もうできているわ」
 呼吸が止まっていたようで、魔女は思い切り息を吸い込んで、吐いた。吸血鬼も似たように何度も瞬きをした。
「焦った」
「絵は、問題ないんだな」
「手紙はまずいなら、やっぱり教会のせいかな」
「だろうな」
 そうして二人は足早に庭へと向かった。陽はだいぶ傾いていた。

 幽霊が魔女に見せた白い模様の瓶は、はじめて屋敷から外に出た記念の品でもあった。何十年も前のハロウィンパーティーで吸血鬼がお守りと称してくれたもので、元々飴の入っていた瓶だ。金属でできた金の蓋には赤や青のいくらかのペイントがされていて、本体には白いペイントでウサギやキツネなどの動物が描かれている。
 ガラス越しに空を見上げると、それはキラリと光って、一度だけスペクトルを返す。空を飛んでいたウサギ達は、ゆっくりと降りてきて、庭の白い薔薇に紛れてしまった。
 瓶越しの世界に、まだ何かが動いていた。白くぼんやりとしたもやのようなそれは、身軽にジャンプをするように、草むらの中から現れては消えてを繰り返す。光の塊のような、煙の塊のようなそれは、目で追いかけていると二つのもやが繋がって動いているようだった。
『キャキャキャ……アハハ!』
 聞き間違えのような、笑い声がした。高くて楽しそうな、まだ幼い子供の笑い声。幽霊は瓶を顔から離すと、不思議そうに中庭の花達を見つめた。
「どなた?」
 幽霊は声をかけてみる。それは意に介せず笑い続けていたが、急に動きを止めて、じっとこちらを見ているようだった。
「ふふ、いらっしゃい」
「お待たせー!」
 怖がらせないよう微笑んで話しかけたと同時に、魔女達の声もした。幽霊は魔女達にひらりと振り向くと、嬉しそうに庭の一角に手を差し伸べた。
「新しいお客さんみたい」
 そうして紹介された方角で、白い何かがふよふよと動いてこちらに近づいてきた。幽霊よりも吸血鬼が、吸血鬼よりも魔女が、より一層驚いた表情をして、魔女は幽霊に、吸血鬼は白いもやに駆け寄った。
「ねぇ!! ちょっと?!」
「え、え?」
 楽しそうな幼い笑い声が庭のあちこちに反響する。魔女は幽霊を庭から視線を反らさせるように自分に向き直らせ、吸血鬼は幽霊からそれらを隠すように二人の間に立った。目の前の白いもやは、八の字でも描くようにうろうろとして、草むらの中から出てこようとしない。むしろ、出てこられないように見えた。
「どうしたの、二人とも」
『お迎えかな』『お迎えだね』
『待ってたの』『待ってたんだよ』
 二人の返事よりも早く、反響する笑い声がしっかりと、言葉を発する。幽霊は恐る恐る、お迎え、とだけ繰り返した。
「……お迎え…………?」
 幽霊はゆっくりと草むらの側へと歩み寄る。普段から瞳孔の分かりにくい瞳は、深淵を写すように深い闇を宿して、全く虹彩も分からなくなっていた。それでも、はっきりと幽霊は吸血鬼の後ろの草むらを見つめ、彼の後ろからひょこりと現れた二つの白い姿を見て、その目を丸くする。
「……あぁ……わたくしの……」
 白いもやは、やはり草むらから出られないようで、そこに広がるようにもやを広げていく。これ以上は危険だと直感し、吸血鬼は幽霊を引き離そうとその肩を掴もうとした。が、その手は空を掴み、幽霊の体をすり抜けた。
「あぁ、いけない。逃げて……ダメ……」
 幽霊はその場で崩れるようにしゃがみこんだ。その体から、うっすらと煙が現れてくる。傍らの吸血鬼の片腕は、紫の風船のように膨れ上がっていた。
「大丈夫?!」
 煙に巻かれていく二人を目の当たりにして、魔女は慌てて吸血鬼に駆け寄った。珍しく吸血鬼が呻き声を漏らすので、慌てて幽霊から引き剥がすように力一杯に彼の服を掴み引いた。反動で、二人は雑草の上に倒れこんだ。
 幽霊は草むらの手前でしゃがみこみ、白いもやとお互いガラス越しに見つめあっているようで、お互いがそれ以上に手を出さない。
「あぁ、わたくしの愛しい子供達……ダメよ……この子達を奪わないで……!」
 煙はどんどんと増えていき、庭にもやがかかったように視界を悪くしていく。吸血鬼を強引に引きずり幽霊から離すと、魔女は両手を掲げた。
「油断しないでよ!」
「あぁ、最悪だ。灰色ではなく幽霊本人がこうなるとは」
「それよりも、腕! ほら、見せて! それ、呪いだから聖魔法で一発だよ。この煙も全部、吹っ飛ばせばいいかな?!」
「待て待て。俺も幽霊も壊す気か」
「なんでよ」
「確かにおまえに幽霊のことを頼みはしたが、あいつを消せとは言っていない」
「そんなことするわけないじゃん。聖魔法でみんな浄化しちゃえばいいんでしょ?」
「それがまずいんだ。多かれ少なかれ、聖魔法は俺達みたいなモンスターに効くんだ。おまえの魔力では、下手したら、幽霊は完全に消えるし、俺も戻るどころか悪化する。それに、あの子供らしき霊魂は脆弱すぎる。いくら手加減しても消してしまう。恐らく、それはまずい。今の幽霊は、あの口振りだと、子供を失いたくなくてああなってしまっている。子供に手を出してはまずい」
 説明をしながら、吸血鬼は自らの腕に爪を立て、抉るように指が腕に深く押し込まれていく。体液か血液か分からない液体が腕から流れていくほどに、彼の腕が元に戻っていくのを、それこそ魔法を使ったようだと、魔女は痛そうにしながらも終始を見てしまった。
「なんだか、そういうの見ると、モンスターなんだなって思う。魔法使ってないじゃん」
「実際、モンスターだしな」
 煙はどんどん増えていく。それが二人をかすって、今度は二人の髪をわずかに焦がした。魔女は煙を軽蔑するように睨んで、二人に風をまとわせた。幽霊は両手で顔を、胸を押さえて、何かを探しているように辺りをゆっくりと見回している。
「きっかけが、以前も今も、子供だ。子供を何かから守ってい
るんだろう」
「光魔法でいったん見えなくさせる?」
「子供がいたと自覚してしまっている。今から意識を反らすだけで収まるとは思えない」
「んー……」
「暗示や呪術で封印するにしても……呪いに呪いの上乗せは、向こうが上手だろう。期待できない」
「子供や幽霊を浄化させないで、幽霊の意識や記憶から子供を消す……?」
「できるか?」
 魔女は鋭い視線を幽霊に向ける。彼女は体から漏れ出るように灰色の煙を吐き、それをまとったまま頭を抱えている。何度も同じ言葉を繰り返し、何かを怖がり否定するようにぶつぶつと呟いている。
 煙は単純な呪いが具現化したもののようだ。子供の記憶に触発されて煙が現れているのだ。それを紐解けば、幽霊を浄化させないで助ける方法はありそうだ。
「……その前に、煙だけ浄化かな!」
 もう一度仕切り直して、魔女は両手を広げた。それに反応するように、幽霊が魔女を睨むように見つめて、顔を何度も横に振り、後退った。
「あぁ、ダメよ……逃げて……」
 最後にそう呟いて、幽霊は体中から大量の灰色の煙を吐き出した。
 渦を巻いて、庭を埋め尽くしていく煙は、視界を奪い、魔女と吸血鬼をも飲み込んで、重くのりかかり押し潰そうとしてくる。魔女は吸血鬼の腕を思い出して咄嗟に結界を張った。
「はぁ?! ちょっと、吸血鬼! 前に言ってた灰色の煙ってこんなに?!」
 煙が低い轟音を立てて渦巻くせいで声を荒らげて魔女が問う。
 隣にいるはずの吸血鬼が何か返答したが聞こえなかった。ガコンと大きな音を立てて中庭のテーブルと椅子が傾き、へし折られた。体を震わせる重低音とのしかかる煙に、魔女は膝をついた。
「もう!」
 魔女が結界を強く張る。オーロラ状の膜が二人を包むが、それを壊すように酷く地鳴りがした。
「許さない許さない……わたくしからこの子達を奪うなんて、許さない!」
 幽霊は灰色の煙に姿を消していく。結界だけ別世界のように、辺りは一面に灰色になった。魔女は両手を広げたまま何かを探している。魔法で轟音を相殺しようとも雑音は二人の会話を容易く何度も遮った。
「ねぇ、さっきの白いやつ! あれって草むらから出られないっぽい? 灰色のやつも、そういうのありそう?!」
「灰色は恐らく書斎の中だけだ! どれも動ける範囲が決まっているとみていい!」
「任せて!!」
 そうして広がっていくオーロラ状の膜は、中庭を包み込むように大きくなっていく。それに比例して、耳障りな轟音も遠ざかった。
「魔女、幽霊を……任せていいだろうか。外の……森が騒がしい」
「変な気配がいっぱいしてるよね。幽霊の呪いにあてられたかな」
「下手に巣食われても面倒だ。追い払ってくる」
「煙は中庭だけっぽいけど、気をつけてね。室内まで通路作るよ!」
「ありがとう」
 返事とともに渡り廊下まで魔女の結界が伸びる。吸血鬼はマントに身を包むと、さっさと結界の外に姿を消した。
「許さない……わたくしの愛しい子供達を、許さない!!」
 幽霊の声だけが聞こえてくる。いくらか、吸血鬼らしき声も聞こえたが、言葉までは聞き取れなかった。
「どうして、どうしてなの。やめて。殺さないで。どこに逃げればいい? どこに?」
 吸血鬼が無事に屋敷から出たのかは、分からない。分からないけれど、これ以上幽霊を放置しておくのも危険な気がした。
 魔女は大きく息を吸いこんで、大声を出すように魔力を放出させた。オーロラの膜が波打って、その衝撃が外の煙へと伝達していく。光の粒が、それを押し退けるように、いくつも、いくつも、魔女を中心に、一気に現れた流星群のように灰色の空を流れていく。
「ねぇ、幽霊。こっちだよ!」
 魔女は大声を出して幽霊に語りかける。灰色の煙は次第に筋状の雲になり、次々と流星群に消されていく。
「幽霊、こっち!」
 既に涙を流している幽霊は、はらはらと泣きながら驚くように魔女を見つめ返す。その涙は黒く、眼球も、伝い落ちる頬や唇も、白い服も、黒く染めていた。
 結界を収縮させて、ゆっくりと魔女は幽霊に近寄る。幽霊は魔女に手を伸ばすようにして、それは宙で止まった。
「森へ逃げましょう。それから、町へ逃げるの。誰かに助けを求めて……あぁ、ここにいてはダメ。逃げるのよ」
 まるでそこに誰かがいるように、幽霊は宙に話しかける。魔女はその手に触れず、幽霊の目の前に手をかざして囁いた。
「こっち。大丈夫。こっちだよ」
 魔女の言葉に導かれるようにして、二人はゆっくりと目蓋を閉じる。すっかり夜になった空を、魔女の流星群が何回も彩り、二人が目蓋を閉じると共に、暗い夜が大きな網を広げて落ちてきた。

 目蓋の裏に描かれたものは、小さな子供の姿だった。活発な男の子と女の子が、草原を駆けている。続けて、知らない男性が話しかけてきて、映像はぐるりと回り、幽霊屋敷そっくりの建物を映し出す。
 あぁ、生前の幽霊の記憶だと、魔女は思った。
 それは、男と喧嘩しているようにも見えて、抱き締められたのかと認識できた。
 追体験は、そこで一気に場面を変えた。
 今度は、見覚えのある手紙を男が持っていた。吸血鬼が見つけた教会絡みの手紙だなと思う。男は酷く落胆し、こちらに悲しげな辛そうな顔を見せた。
 そうして、また、映像は飛んだ。
 今度は、幽霊本人がそこにいた。元の金髪の方が色が少し濃く、瞳孔の分からなかった水色の瞳は、繊細な薄茶色を宿した水色だったんだなと思う。幽霊がこちらを見上げてくる。会話をしようとしたが、体は意思とはリンクせず勝手に話している。
 上から見下ろす視界に変わっていて、台の上から覗いているような気がした。ものすごく下から先程の子供達が笑いかけてくる。やっと、それが双子だと確信した。年齢は、まだあの血痕の少年まで至っていない。少年が両手で誇らしげに持つものは、荒れた部屋で見つけた幼い絵だった。きっと、旦那さんの目線だなと思った。
 そうして、映像は馬上の人物に変わった。
「なにをぼさっとしている!」
 怒声が聞こえた。魔女は己の体を動かして、あぁ、嫌な役になっているなと辟易した。
「私なんでここなの」
「なんだ。なにか文句でもあるのか」
 声すら自由に出て、ばつの悪そうにして押し黙る魔女は、甲冑を着た男の立場になっていた。聖騎士かそのお付きの者か、まぁ、そのへんだろうと思った。共にいた男が馬から下りるので、あわせて下りて様子を見守る。足の長さに、少し驚いた。
「悪魔の使いを聖騎士の聖剣によって退治する! 悪魔の使いを匿いし者、庇う者は悪魔に洗脳されたとして同じく聖騎士の聖剣によって退治する!」
 男は文書を読み上げた。吸血鬼が書斎で言っていた紙はこれかと思った。ということは、こいつがこの後どこかのタイミングで少年を殺すのかとも思った。
 目の前の数人の人間達は、騎士の言葉にその場でじっと身を堅くしている。男達がいくらか話していると、唐突に元気な声がした。
「お父さん! お母さん!」
 楽しそうな、嬉しそうな、ワクワクした表情で子供二人が駆け寄ってくる。魔女は駆け寄ってくる子供達を見た。活発そうで、聡明そうな男女の子供達だった。
 自分の視線に気づいたのか、幽霊は恐れるように子供達に手を伸ばす。
 あーあ、これか。
 口には出さないが、魔女は辛そうに顔を歪め、手をかざした。
 幽霊がいっそう顔を強張らせた。
 時は、そこで、完全に止まった。
 幽霊は恐怖に戦いたまま固まっている。そういえば、今の自分は聖騎士だか何だかの姿だったなと、魔女は苦笑した。
 傍らでは、国の騎士らしき男が、幽霊の夫らしき男を串刺しにしようと剣を構えている。あと、ほんの数秒で、それは貫かれるだろう。
 魔女は、ゆっくりと幽霊に近づいた。子供達を抱きしめようと必死に延ばされた両手。恐怖に染まりながらも、きっと幽霊は何よりも子供達を優先したのだろう。
 可愛かっただろうな。
 愛しかっただろうな。
 魔女は、庇おうと差し出されている両手の先の、子供の姿を消した。指先を回すだけ簡単な仕草で、それは容易く崩れて消えていく。続いて、夫と、隣にいる騎士の姿を消した。男達は、ガラスが壊れるように、その場で静かに音もなく崩れ去っていく。映像だとは分かっていても、誰かの大切な人を壊すのは、良心を咎めた。隣にいる幽霊に、そっと話しかけてみる。
「案内して、中庭へ」
 声が聞こえたのか、聞こえていないのか、数秒の間を置いてから、幽霊はゆっくりと瞬きをして、こちらに微笑みかけた。
 もう、いつもの瞳孔の分からない瞳に戻っていた。
 あぁ、惜しいな。まだ色の混じるすてきな瞳を見ていたかったな。
 魔女は幽霊に案内されて中庭へと辿り着く。そこは、隅々まで手入れがされていて、薔薇だけでも様々な種類が少しずつ飾られていた。その中でも一際目を引いたのは、やはり白い薔薇だった。
「すてきでしょう」
 そう言って微笑んだ幽霊の頬を最後の濁った涙と透明な涙が混ざりあって落ちていった。

 あれから数か月。幽霊は深い眠りについているようでまだ起きてこず、書斎の灰色の霊魂も、中庭の白いもやも、あれから一切出てこなくなっていた。
「記憶をいじる?」
「そう。他人の記憶に入ってって、あれこれいじっちゃう系の魔法」
「呪いや暗示とは違うのか」
「それは効かないって言ってたじゃん。だから、直接いじっちゃえばいいかなって」
「そうか……」
 納得していない様子で吸血鬼がソファで肘をつく。魔女は一度話を終わらせたが、吸血鬼の態度が不服でもう一度口を開いた。
「ねぇ、けっこうすごい魔法なんだけど、信じてないでしょ」
「……単純に、信じがたいんだ。直接なんて……できるのか」
「だって、私だよ?」
 当然とばかりに魔女がけろりと答えるので、吸血鬼は改めて魔女の末恐ろしさに脱帽した。

幽霊の物語

 ゆっくりと目を閉じる。宙にぷかぷかと浮かんでいるような感覚。それはまるで水の上にいるようだ。何も考えず、思考を深層へと持っていく……。
 シャボン玉のような不安定な球体の中に、忘れたはずの記憶が息づいている。忘れているはずなのに、それは自分の記憶だとはっきりと認識できる。その記憶を、まるで映画を見るように視聴する。懐かしいと思う気持ちと、あの頃に戻りたいという悲しみが綯い交ぜになっていく。
 あぁ、それはまさに、とても幸せな記憶……——

 雲一つない青空、爽やかな風が吹く。そんな日に彼女は産まれた。
 父は泣きながら喜んだ。涙を流しながら妻に「ありがとう」と言い、娘に「会えて嬉しい」と言う。その姿に母は頬笑みこの人が夫でよかったと思ったそうだ。
 父と母はとても優しかった。使用人達も優しかった。皆の優しさと愛に包まれて、すくすくと育った。貴族としての礼節は、母から学んだ。優しく時に厳しく教えてくれた。父は甘かったので、母がいつも怒っていた。でも怒る姿も素敵だと父は言うので、母は困ったように笑っていた。
 十歳でデビュタントを済ませ、その後婚約者と顔を合わせた。貴族なら愛がなくても結婚するのは当たり前のことだ。でも、両親を見て育った彼女は愛がほしいと思っていた。
 彼はとても素敵な人だった。優しく誠実、彼女もその誠実さに答えようと相応しくあろうと努力した。その甲斐あって貴族界隈からは令嬢の鏡と言われるまでになった。二人でお互いを知る努力をした。そのおかげで愛よりも深い絆を得た。
「君が僕の妻でほんとに嬉しいよ」
「わたくしも同じ気持ちです。あなたが夫でよかったわ」
 見つめあいお互い笑みを深め、神の前で愛を誓い口付けを交わした。皆が祝福してくれた。幸せな時間……——

 夫婦生活も良好だった。夫は仕事をこなし、彼女は家を守った。貴族の妻として社交界に出ては縁を深め、情報を得て夫を助けた。夫も家を盛り上げるべく仕事を頑張ってくれた。
 すれ違いがあれば話しあい解決し、なんでもない楽しいことも話して共有しあうことで更に絆を深めていった。そんな二人は社交界では、“理想の夫婦”と呼ばれるようになった。

 少し経ち、子供を授かった。元気な双子の男女だ。夫は驚いていたが「お疲れ様、ありがとう」と笑顔で言ってくれた。彼女はこれからこの人と一緒に育てていくのだと思った時、希望と期待と一緒に少しの不安が過ったが夫に笑顔を向け言った。「これからもよろしくね」と。
 この時代での双子は畏怖すべきものとされていた。【悪魔の使い】と言われ、生まれた瞬間に片方を殺す家もあるそうだ。でも、夫は殺さなかった。彼女はそんな夫を誇らしいと思うと同時に、この人の妻になれたことを喜んだ。
 でも、両家の両親はそうではなかった。彼女の両親は悲しみ、義親は憤慨した。
「諦めよう。次がある」
「そいつらは悪魔の使いだ。家に災いを呼び込む前に殺せ!」
 それぞれの両親から浴びせられた言葉が突き刺さる。
「(次? 次って何? この子達は今を生きているのに)」
「(殺せだなんて、酷い。自分の孫なのに、可愛いわたくし達の宝物なのに!)」
 彼女は何があってもこの子達を守ると強く決意した。
「(全ての悪意から守る。わたくしと夫の二人で……)」
 夫は領地に引っ越そうと言ってくれた。王都に居てはこの子達に危害が及ぶと考えたのだ。もちろん彼女は賛同した。
 領地の家の近くにある森の奥深くに、屋敷を建ててくれた。この静かな場所なら安心してこの子達を育てることができる。
 彼女とその夫と子供達、そして最低限の使用人を連れ暮らすことになった。使用人の人達はとても優しかった。

 月日が経ち、双子は元気に育っていた。二人一緒に手を繋いで走り回る姿は天使のように可愛らしい。悪魔の使いと言った人の気持ちが理解できない。元気すぎて泥だらけになって帰ってくる姿も、怒りたいのにその笑顔を見た途端に怒れなくて困ってしまう。かけがえのない時間だ……。

 最近、夫が頭を抱える時間が増えた。どうしたのかと問いかけても、「大丈夫だよ」としか言わない。なんでも話しあってきたのに、話すことを止めた夫に疑心が生まれた。
 そんな時、両親から手紙が届いた。なんでも緊急で会って話したいとのことだった。しかし、彼女は会う気がなかった。可愛いこの子達を歓迎しない親など、こちらから縁を切るだけだ。手紙にこの子達について触れていないことも、彼女にとっては怒る理由の一つだった。
「なぜ可愛がろうとしないのかしら?」
 双子は悪魔の使いという古い人達だったのだと、残念な気持ちも生まれていた。
「こんなに、わたくしとあなたにそっくりな可愛い子達なのに」
 彼女は夫に手紙のことを話した。しかし夫は上の空で生返事ばかりする。
「ねぇ、わたくしの話を聞いているの?」
「えっ? あっ…あぁ、ごめんよ…。それで、会いに行くんだっけ?」
「もう、聞いていないじゃない。行かないわ、自分の孫を可愛がらないどころか殺すことに賛成する親になんて」
「……あぁ、そうだね…」
「……本当にどうしたの? わたくしには話せないこと? 妻に話せないことってなに?」
 この屋敷の主は確かに夫だが、屋敷を管理し守っているのは妻である彼女だ。夫が仕事で何かあればこちらにも影響が出る。
 それもあり、話してほしいのに夫は何も言わない。心配と屋敷のことで気持ちがごちゃ混ぜになっていく。
「もしかして…他に相手が……」
「違う! 君以外にありえない!」
 一番嫌な予想は夫の言葉に否定され不安の大半が消えていくのを感じた。夫は意を決したように言った。
「父が…教会に……言ったそうなんだ。僕達の子供が双子だと……」
「えっ?」
「今までは、僕から口止めしていたのだけれど…最近父の周りで不幸が立て続けに起きて…更に母まで床に伏せってしまって…それで、この子達のせいだと」
「なっ……そんな! 濡れ衣もいいところじゃない! ありえないわ!! 確かにお気の毒なところもあるけれどあの子達は関係ないわ!」
「分かっている! でも、父は聞く耳を持たなくて……」
「……はぁ……それで、教会はなんと?」
 今ここで夫に感情をぶつけても何の解決にもならない。彼女は深呼吸したあと居住まいを正して話を聞いた。夫の父の話を聞いた教会は、真実かどうかを調べたらしい。
 それはそうだろう、いきなり「孫が双子だ」と言われて相手が貴族でもすぐ信じるわけにはいかないだろう。調べその話が事実だと掴み、そして今も尚育っていると分かると教皇にまで話は及び、国王陛下に話がいったそうだ。教会の権力は今は王家と同等。一貴族の子供を双子だろうと勝手に殺すことはできない。だから、王家に許可を取るために話をしたのだ。
「それで、王家は何と?」
「……許可、すると……」
「そ、そんな……! ねぇ、いつ、来るの?」
「手紙には一週間後と……」
「(どうして。いやよ、許さない。ダメ……こんなことは、許されない)」
 子供部屋で寝ている我が子達の寝顔を夫と二人で見つめる。
すやすやと眠るその姿は妖精のようだ。
「必ず……守ります。必ず……」
「あぁ、そうだね……」
 だけど、彼女は酷く無力だった。

 夫から伝えられた次の日に、王家の使者と教会の聖騎士が屋敷に乗り込んできた。王家の使者は書状を広げて見せながら叫ぶ。
「悪魔の使いを聖騎士の聖剣によって退治する! 悪魔の使いを匿いし者庇う者は悪魔に洗脳されたとして同じく聖騎士の聖剣によって退治する!」
「なっ……」
「早すぎる…手紙に書いてあった日と違う!」
 使用人達は後退りじっと身を堅くした。庇う意思はないとすぐに分かった。
「……分かったわ……」
 今はそれよりも子供達だ。早く逃がさなければと思った時だった。
「「お父さん! お母さん!」」
 子供達が笑顔でこちらに駆け寄ってくる。いつもは言うことを聞いて礼儀正しくするのに、今日に限っては違った。その理由はすぐに分かった。
「(白い薔薇…わたくしの好きな花)」
 そろそろ咲くねと、四人で話していた。庭に出て咲いたのを見つけたから、早く見せたかったのだろう。無邪気な笑顔で駆け寄ってくる。
 王家の使者と教会の聖騎士は、二人を見つけると目を鋭くし睨みつけ言った。
「悪魔の使いがいたぞ!!」
「殺せー!!」
「だめ!」
 彼女は慌てて二人を守るように抱きしめた。その時背中越しに夫の呻き声が聞こえる。静かに振り向くと夫は剣に刺されていた。
「(泣きたくなる……でも、今は泣けない。二人を、大切な宝物を守らないと……!)」
 困惑する二人の手を握り、むりやり引っぱり走り出す。聖騎士が後ろで呼び止める声が聞こえる。
「逃げるわよ!」
 啖呵を切って走り出したはいいものの、彼女は見慣れたはずの森が迷路のように広く、目が眩んだ。
「(どこに逃げればいい? 森を駆け抜け近くの街に行けば人
混みに紛れ込める。まずは森に…!)」
 だけど、子供と女性では逃げるには遅かった。すぐに聖騎士に追いつかれしまう。
 子供達を背に庇い、彼女は聖騎士と対峙する。
「そこを退け。悪魔の使いを庇い立てすれば、お主も切るぞ」
「退くわけがないでしょ。わたくしの可愛い子供達なのよ! 悪魔の使いなんかではないわ!」
「悪魔の使いを産むだけでなく、育てたお前は罪深い! なのに、まだ罪を重ねるというのか!」
「わたくしはただ愛する夫の子を産み育てただけよ。何も罪など犯していない。あるとするならば、怖いくらいに幸せだったことだけよ!」
「小賢しい!! ええい、ならばその罪とともに死ね!!」

 パンっと球体が壊れた。長い映画を見終わったかのような疲労感が襲う。
 あの後、子供達はどうしたのだろうか?
 どうか無事であってほしいと想うが、難しいだろうとも思う。ならば、せめて来世では幸せに生きてほしいと願う。
 可愛い可愛いわたくしの双子。愛する夫と二人で育てることができて、とても幸せだった。

 そう、幸せだった。
 なのに、くだらない慣習のせいで
 迷信に踊らされた愚かな者達のせいで
壊された……。

 静かに暮らしていたのに……
 邪魔しないようにしていたのに……
 許さない
 許さない、許さない
 許さない許さない許さない
許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない
許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない
許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない 許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない
許さない許さない許さない許さない許さない…………許さない。


 思考が浮上していくのを感じる。ゆっくりと目を開けた。
「……あら、何を許さないのだったかしら?」
 また一つ、記憶が消えた感覚がする。とても大切な記憶のはずなのに……何を忘れてしまったのか、分からなくなっていく。
 それでも、確かに、覚えているものがある。
「とても幸せだった気がするわ。ええ、とても幸せだったの……ふふふふ」
 嬉しそうに笑う幽霊の声が古びた屋敷に響き渡るが聞く者はなく、ただ白い薔薇が答えるように揺れただけ。
 たくさん愛をもらって、与えた気がする。
「でも、誰に……?」
 思い出せない。
 頬に手を当て首を傾げる、その姿にも優雅さが現れる。
 幽霊はゆっくりと目を閉じる。プカプカと浮かんでいるような、それはまるで水の上にいるような感覚に包まれていく。たくさんの愛と、幸せに包まれるように……——

パーティーの準備

 待ちに待った十月最後の日。朝、待望のそれは現れた。
 遡ること約一週間。幽霊と吸血鬼がキッチンであれこれ準備をしている時から、それは始まった。屋敷のキッチンはアイランドテーブルがあり、そこかしこに様々なハーブが用意されていた。ふわりと優しく香るものから、しっかりと香を放つものまで様々だ。
「何してるの?」
「あら、いらっしゃい」
 魔女がキッチンを覗くと、幽霊が何かを作っていた。隣では別の作業をしている吸血鬼もいる。ボウルの中の柔らかくなったバターへ、砂糖とはちみつと卵とを混ぜている。目の前に小麦粉の入ったボウルがあり、何かのハーブが入っているようだった。
「シナモンの匂いがする」
「あたりよ。それと、ナツメグやクローブを入れて、バターケーキを焼くの」
 嬉しそうに作業しながら幽霊は話しかける。オーブンは既に熱せられて、いくらかの熱気を醸している。
「これね、ソウルケーキっていうの」
「ソウルケーキ?」
「合言葉にあわせて、これを配るの。ハロウィンパーティーの合言葉はご存じ?」
「聞いたよ。トリック・オア・トリート」
「うふふ、そうね」
 シナモンなどの混ざった小麦粉をふるい入れて、彼女はそれらを混ぜながら楽しそうだった。
「幽霊が作ってるから、ソウルケーキなの?」
「ふふふ、違うわ」
 話しながら魔女も手伝いをはじめる。隣で別のものを梱包していた吸血鬼が、皆の分のティーカップを用意している。
「せっかくだ、何か飲んでいくか?」
「あら、それならとっておきの茶葉があるわ。少し待ってね」
 砕いたナッツ類やミルクを加えて、できあがった生地を整えていく。円盤状の生地にナイフでゆっくりと軽く十字の跡をつけ、そうして焼いていくのだ。幽霊はそれらを焼き始めると、楽しそうに棚の中を探しては、あれだこれだと魔女に話しかけ
た。
「あ、それいいね」
「ドライフルーツも一緒にどうぞ」
 優しいハーブの香りに包まれたキッチンに、湯気が立つ。紅茶を淹れてから、魔女はダイニングテーブルに着席して、幽霊と二人で時間を待つ。吸血鬼は一つの皿を用意して何かを並べている。
「ハロウィンパーティーのこと、話してよ。焼けるまでに時間がかかるでしょ」
 魔女は嬉しそうに催促する。幽霊は各自のカップにドライフルーツを添えていく。
「まず、合言葉ね」
「トリック・オア・トリート」
「ふふ、そうね。言われたら、お菓子をあげてね。みんないつも選んでくれるわ。たまに、こちらにもくれるひともいるの」
「そうなんだ!」
「小さな方達もいるから、足元に気をつけてね。あとは、なにかしら」
「ジャック・オ・ランタンっているの? なんかすごいひと?」
「いや、名前の通り。ただのランタンだ」
 吸血鬼がやってきて、テーブルの中央にいくつかのチョコレートを差し出す。幽霊はティーポットからの淹れたての紅茶を、香りを肺いっぱいに吸い込むように深呼吸してから、吸血鬼の話に補足した。
「真っ暗な闇を抜けて、ハロウィンパーティーに着くの。その時に、ランタン達が照らしてくれるわ。迷子にならないために、行く先を照らしてくれるの」
「迷子? それって絶対ならないもの?」
「大丈夫よ。ねぇ?」
「あぁ、その心配はいらない」
「ふうん」
「あと……一応話しておこうか。招かれたらだが、伯爵に顔合わせをしてもらう」
「誰それ」
「長身の骸骨だ」
「あぁ、骸骨さんね。わたくしも何度もお会いしているわ。とても紳士な方よ」
「初めて招かれた者を、彼に会わせる習慣があってな」
「ふうん」
 魔女は紅茶を息で少し冷ましてちょっとだけ口にする。待ちきれなかったように目の前に出されたチョコレートに手を伸ばして彼女は楽しそうに笑った。
「あとは、しるしだっけ。招かれるとできるやつ」 「えぇ、そうね。それがないと行けないもの」
「それっていつできるの?」
「いつかしら?」
「当日の朝だ」
「あと一週間かぁ……私だけ留守番はやだなぁ」
 テーブルに項垂れる魔女を見て、幽霊は両手に持っていたカップを置いて、その頭を撫でてあげた。

 十月三十一日の朝。それもまだ早く朝陽が昇り切ったくらいの時刻。それは突然大声から始まった。二階の自室のドアをバタンと大きな音を立てて開ければ、飛ぶように、いや、実際飛びながら魔女は階段を無視して吹き抜けから下へ飛び降り、くるりと向きを回転させれば、ロビーから図書室、書斎へとやってくる。
「ねぇ!」
 大きな音とともにドアを開くも、そこに人影はない。慌てて違う部屋もさらりと見渡しながらキッチンへと急ぐ。魔女は喜びを抑えきれないように慌てて走り、キッチンで何か用意をしている二人を見つけて思わず足を速めた。
「ねぇ、これ!」
 珍しく息を切らして、魔女はキッチンへ入るならおもむろにスカートの裾を上げる。勘違いをした二人が顔を反らすなり口元を覆うなりして反応するが、魔女はそんなことはお構いなしに声高らかにはしゃいだ。
「ねぇ、見てよ! これでしょ! 二人と模様が違うけど、私も招かれたってこと?!」
 魔女はしきりに訴える。まぁ、と感嘆の声を上げて幽霊が喜んだ。遅れて吸血鬼も状況を把握し思わず口元を緩めた。
「おめでとう。行きたがっていたものね」
「やったー! ねぇ、何持っていけばいい? 向こうって魔法使える? 私の分はある?」
「ええと、持ち物は……、魔法ね、ええと、使えたと思うわ」
 思いついたことを次々と口にする魔女に、いちいち幽霊が慌てて答えようとする。
「二人とも落ち着け。まだ朝だ。パーティーもしるしも逃げない」
 声を抑え気味に笑って、吸血鬼が二人にそれぞれの籠を持たせた。
「え、籠?」
「配るのだろう。これで持っていけ。失くすなよ」
「もしかして、これがあなたのお守り?」
「お守り?」
 幽霊の問いかけに魔女が疑問に思うも、吸血鬼は曖昧に微笑んで返すので、幽霊が代わりに答えてくれた。
「毎回ね、彼が用意してくれるの。きちんとこの場所に戻ってくれるように、迷子にならないようにって、お守りらしいの」
「へぇ」
 どさりとたくさんの荷物が目の前に置かれた。吸血鬼は好きなものを籠に入れるようにと言うので、魔女は一つ一つ包装されたマフィンをいくつか選び、幽霊はバニラの匂いが漏れるほど強いマシュマロを選んで籠に入れた。相手の籠を見ながら、お互いがお互いの真似をする。結局二人とも似たようなものをそれぞれに籠に入れた。

 昼を過ぎても、魔女は忙しなくあれだこれだと、長期の旅行にでもでかけるかのようにあれこれと必要なものを聞いてくる。最初は相手をしていた吸血鬼は、昼過ぎには書斎に籠ってしまった。魔女は幽霊を連れて、早めのティータイムを取った。
 楽しそうに魔女はハーブティーを淹れる。カモミールやローズヒップ、ディルシードにセントジョンズワート。様々なハーブで作られたそれは、自然と気持ちを落ち着かせた。
「おまじない、やってみる? 簡単な遊びだよ」
 魔女は持参していた缶を持って、その中いっぱいに入ったビスケットを見せた。
「まぁ、たくさん」
 甘さに加え、しっかりとした独特な香りのあるビスケットは、特にシナモンと蜂蜜が強く香った。
「サーオインのおまじないってやつを、ちょっとアレンジしたんだ。この中にメッセージが入ってるから、それで願いが叶うか、占うやつ」
「へぇ、面白そうね」
「私が作ったんだから、良い結果しかないけどね」
「ふふふ」
 そうして幽霊に一つ、おみくじのように取らせて、自分も一つ取った。
「昔は中に予言を書いた紙を入れてたらしいんだけど、私はよく知らないし、ハロウィンパーティーでどんな出会いがあるかなって、作ってみた」
「あら、すてきな出会いがあるといいわね」
「良い結果しかないからね」
 くすくす笑って魔女が先にビスケットを割ってみる。中には折った紙が入っていて、開くと少しおどけた女の子の絵が描いてあった。
「あ」
「可愛い絵ね」
「本当に女の子の友達ができたらいいな」
 続いて幽霊が割ってみると、中から飴やチョコレートの描かれた紙が出てくる。
「ふふふ、わたくしは、食いしん坊さんね」
「たくさんお菓子がもらえるといいね」
 魔女は楽しそうに幽霊の持つ紙を眺めて楽しみを思い描くように天を見上げる。
「んふふ、あのね、このおまじないは少し効力があるの。そうなりますようにって、チャンスを呼び寄せるおまじない。そうなるといいね」
 そうして笑いながら、魔女は次のビスケットを手にした。

 夕方近くになると、吸血鬼が部屋から出てきて、二人を探した。そろそろ日が暮れると、夜になるから準備をしておけと、彼は二人に問うも、二人は準備万端だというように食べ物や飲み物で山盛りになった籠を見せて自信満々に笑うので、吸血鬼も小さく笑って頷いた。
「じきに夜だ。忘れ物のないように」
「大丈夫だよ!」
「楽しみね」
 二人はもうすでに今行けるとばかりにダイニングテーブルの椅子から立ち上がる。吸血鬼はふと二人の手元のテーブルに散乱しているメッセージカードを見つけ、驚きの色を見せた。
「古い遊びをしていたんだな」
「知ってるの?」
「サーオインのおまじない、だろう」
「うん。本当は割った欠片の形で占うんだよね。やり方を変えちゃった」
 魔女の描いた簡易的な絵を見ながら吸血鬼は頷いた。
「伝承や伝統は、形を変えるからな。それも本来は人間が冬籠りをしている間の遊びだろ」
「そうなの?」
「冬になると人間達が家に籠るんだ。ほとんど出てきやしない。モンスターも、その時期に活性化する者が多い」
「聞いたことあるかも。昔はね、冬の間は家でじっとしてるのが決まりだったんだって。冬はモンスターの季節なんだってさ」
「今はそんなこともないわよね?」
「時は移ろうものだ」
 メッセージカードを拾い上げて吸血鬼は魔女に問う。
「おまえだって、もはやハーブは使わないだろう」
「料理じゃなくて、魔法にってことよね」
「あぁ」
 キッチンにぶら下がったままのラベンダーのドライフラワーを見上げて吸血鬼が問うと、魔女は少し懐かしそうに語った。
「ああいったものを使うんだよな?」
「古い魔法はね、そういうのを触媒にするの。パセリとか、セージとか、あとローズマリーにルーに、タイムにラベンダーとかね。魔法といっても簡単な魔除けのおまじないで、誰かにあげたり、家に飾ったりして使うの。このおまじないと一緒」
「そうなのね」
「でもちゃんと効果はあるよ。これもそうだし」
「ふふ、それは楽しみにしているの」
 魔女は女の子の絵が描かれた紙を手に取ると、テーブルに置いてある籠にそれを入れた。
「そろそろ時間?」
「あぁ、行こうか」
 吸血鬼はいったんロビーへと二人を促す。聞けば、別にどこにいようとハロウィンパーティーへは繋がるようだが、ここが一番安定するらしい。
 浮かれた二人はそれぞれの持ち物を確認し、魔女は改めてしっかりと帽子を被り直した。
 すると、ふわりとロビーの中を光が浮遊した。灯りのついているロビーでも、それはしっかりそこに浮いていて、三人がそれを目を追った瞬間。辺りの明かりが消えた。
「わっ」
「あら」
 真っ暗になった空間で、同じ光だけがふよふよと浮いている。
「さぁ、行こう」
 暗闇で目が慣れない中、魔女はいきなり背を押されて反射的にびくっとしてしまった。声の主が分かるので、魔女は暗闇で見えないにも関わらず、びくついてしまった自分が恥ずかしくなって帽子を深々と被った。
「魔女ちゃん、いる?」
 ふわりと風が吹いて、籠を持つ手に何かがかすった。幽霊の手だと分かって、魔女は籠を腕に通すとその手を掴んだ。
「あちこちに浮いているのがジャック・オ・ランタンね」
「触れる?」
「触れるし、掴めるはずよ」
 幽霊に言われて魔女は一つの光に狙いを定めて思い切り掴んでみる。それは固くて丸い何かだったようで、何かと考える暇もなくみるみるまにカボチャの形をしたランタンへと変わっていった。魔女はわくわくして手を掴み前を行く吸血鬼に問いかける。
「もうすぐ?」
「あぁ、灯りを辿った先の……見えてきただろう」
 洞窟を抜けたように、そこだけ明るく、がやがやと賑やかな声も聞こえてくる。ほんのり青い光の中にランタンのオレンジの光が点在して見える。少し湿ってぬかるんだ地面に気をつけつつ進んでいくと、地面は舗装された道になっていった。
 ひらけた場所に出た。オレンジの光のいくつかが街灯だったことが分かった。たまに肌寒い白い風が吹いて、それが霊魂だと気づく。家主の幽霊と違い、形がなく、ただ風のように舞っているだけだった。
「わぁ」
 魔女は嬉しそうに辺りを見回して、どれも見逃さないように目を見開いている。広場には見たことのないモンスターや人々がいっぱいで、いくつかのひと達はこちらを見つけて挨拶をしてきた。
「また会えた! 元気? 噛んでいい?」
 突風が吹くように、魔女の隣にいた吸血鬼が突然後方に音を立てて倒れこんだ。ガシャンと音が続いて、彼が持っていた瓶類が地面に転がった。
「あはははは、ごめん」
「……これ、おまえが責任もって配れよ」
 赤いチャイナ服に身を包んだ若そうな女だった。帽子を被っていて、吸血鬼に馬乗りになって笑っている。魔女は呆気にとられて二人を見つめていると、彼女は目線だけを動かしてじろりと魔女を見てきた。土気色の死んだような肌をしていて、笑っているのに、目は全く笑っていない。少しぞっとして、魔女は魔法を身構えようとして、幽霊にその手をやんわりを包まれた。
 彼女は不自然に立ち上がって、不自然な格好で瓶を拾った。吸血鬼もいくつかを拾ってやりながら、押しつけるように女に瓶を渡している。見ていると、彼女はどうやら肘が曲がらないように見えた。
「これ、全部配ったら噛んでいい?」
「いってらっしゃい」
「あはははは、いってきます」
 嵐のように去っていった女を淡々と見送って、それから彼女に踏まれて汚れたマントを外して身なりを整えている吸血鬼に話しかけた。
「なんだったの、あれ」
「何回かお会いしているキョンシーちゃんよね? いつの間に仲良くなっていたの」
「前に誤って噛まれて、それから懐かれている」
「ふふ、さすがだね。キョンシーってさ、噛まれたらみんなキョンシーになっちゃうんでしょ? ならなかったから嬉しいんじゃない?」
「……それは、嬉しいものなのか?」
「知らなかったわ。キョンシーに噛まれるとキョンシーになってしまうのね」
「あのねぇ……」
 魔女は呆れて肩を落とす。そういえば使い魔の姿がないなと、あれも招かれないと来られないのかとふと思った。視界の奥の方で、先程の女が手足の大きな狼男の子供とじゃれあっているのが見えた。
「二人ともこちらに」
 少し目を離した隙に、幽霊と吸血鬼は遠くに行っていた。慌てて後を追おうとするが、小さなブリキの玩具の行列が足元を遮る。左にも右にも、ひと、ひと、ひと。魔女は周囲を確認してから、ふわりと足元を浮かし、大きくジャンプをするように二人の元まで跳んだ。
 上空から見た広場は、幽霊や吸血鬼以上にどう見ても人間ではなさそうなひと達と、一見人間に見える、もしくは本当に人間の人達が見えた。各々、楽しそうに談笑している。前方の幽霊達へ視線をやり、着地に場所を開けてくれたところへと落ちていく。二人の近くに背の高い骸骨が、落下の際に被っているシルクハットを軽く上げて挨拶をしたのが見えた。
 着地の勢い余ってわざと幽霊に抱きついた。幽霊は驚いたが、魔女がいたずらっ子のように笑うので、幽霊も楽しくなって笑い返す。吸血鬼は腕を組んで淡々とこちらを見つめているが、彼なりに笑っているようにも見えた。
「はじめまして」
 骸骨が話しかける。魔女も帽子を取って深くお辞儀をした。
「この子から、よく話を聞いているよ。ここを楽しみにしてくれてありがとう」
「はじめまして。私、魔女よ。あなたの話も少し聞いているわ」
「それはよかった」
 骸骨は改めて吸血鬼と幽霊を紹介するように手を伸べて、癖のあるカタカタと骨のぶつかる音を鳴らして笑った。
「彼らからここの話は聞いているかな」
「ばっちり! ランタンのことも、しるしのことも、お菓子のことも、お守りも、合言葉も!」
「そう」
 カタンと微笑むように音がする。
「その籠を失くさないようにね」
「やっぱり、これ、お守りなの? 本人が何も言ってくれないんだけど」
「あの子らしいね」
 少し考えたように骸骨がない頬の肌を掻いて、それから魔女、そして幽霊を見て内緒話をするように人差し指を立てた。幽霊は意味が分からず愛想笑いを返す。
「少し、いいことを教えよう。夜の子にもあなた達から教えてあげて。囚われの子よ。あなたにも、この子と同じように食事ができる日があることは、ご存じかな」
「?」
「なにそれ!」
 幽霊よりも先に魔女が知りたそうに反応する。骸骨はカタカタと笑って続きを話した。
「ここに来る日を覚えておくといい。その日が終わり太陽が昇るまで、あなたは人の子と同じように食事を許されている。試してごらん」
「まぁ……」
「知らなかった」
「さぁ、夜の子よ。最高の夜を奏でておくれ」
 骸骨は吸血鬼の背を押して、やんわりと彼を広間の中央へと 連れていく。同様に二人も手招きして、骸骨がカタカタと笑った。
「ようこそ、この世でもない、あの世でもない、どこでもあって、どこでもない、秘密のハロウィンパーティーへ」

【ハロウィンパーティーの招待状(前)】

【ハロウィンパーティーの招待状(前)】

ハロウィンと、モンスターと。 地縛霊の「幽霊」と、放浪の「吸血鬼」の物語、そして類まれな才能の「魔女」の物語。

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-08-28

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 幽霊屋敷
  2. 出会い
  3. 幽霊と時間
  4. 小さな迷い人
  5. 魔女の物語
  6. 魔女の旅路
  7. 魔女とモンスター達
  8. 幽霊についての秘密
  9. 忘れられた幽霊の記憶
  10. 幽霊の物語
  11. パーティーの準備