月の血

月の血


あと少しで到着する。月では研究所の同僚たちが待ちわびていることだろう。
宇宙船は月の明かりがまぶしくなるところで時空航行を終え、丸っこい姿を現した。
窓から月を見る。
彼は十年ぶりに天の川銀河の反対側、はるかに遠い、5500万光年先の乙女座銀河のブラックホール近くからもどってきた。宇宙創世と生命誕生の解析のために宇宙研究機構から、はるかに遠い銀河のブラックホール観察にでかけた研究者だ。
銀河系には必ずブラックホールはある。天の川銀河系のブラックホールは1000光年はなれたところにあり、専門に調べるチームが解析をしている。ブラックホールに近づきすぎると戻れない危険性があるので、かなり離れたところの星から観察をする。
だが、なんだあれは。
月を見た彼は眼をみはった。
黄色に塗られた月の表面から赤いものが吹き出している。
マグマであるはずがない。
望遠にしてスクリーンに月の表面映像を拡大した。
クレーターは月の顔だ。
ドームのかかったクレーターは中が見えない。
いくつものドームのないクレーターの真ん中からどろどろと赤いものが噴出している。
月には地球人の町がいくつもの大きなクレーターの中に作られている。クレーターはドームで覆われて、土から空気を作る酸素、窒素作成装置で供給され、人々は地球と同じ生活ができる。月の表面にある大きなクレーターのおよそ0.1パーセントにはドームがかかり、彼の働いている宇宙創生研究所もその赤の一つにあった。
 彼は宇宙船の月の表面をさらに拡大した。どのクレーターも、赤いものが吹き出している。町のあるクレーターが見つからない。
月は宇宙への旅をする基地として発展してきた。地球から宇宙に旅たつには、まず月にいく。旅行業者のステーションは月にあり観光船が頻繁に発着する。
彼の所属する宇宙研究機構の主要な研究施設も月にあり、たくさんの研究者が時空航行可能な宇宙船でいろいろな方面に探索旅行にでかける。
 彼はまだ誰も行った事のない、乙女座銀河のブラックホールのデータ取ってきたところだ。地球年で10年ほどかけブラックホールを観察し続けた。帰還するにあたって一番近くの星に自動観察装置を組み立て設置した。
長い旅だったが、我々の科学的物差しでは測ることのできないなにかがブラックホールにある。それしかわからなかった。天の川銀河系にもブラックホールはある。それはそのブラックホールが明らかになったときから、数百年観察が続けられているが、それと同じで、ようするに全くわからないといってよかった。
 だが全くの徒労といったものではなかった。その銀河系のブラックホールを取り囲む星のいくつかから、地球の生物のもつ遺伝子分子構造の一部と似通った構造をもつ、分子のかけらが採取された。
その星ではいったんは生命が誕生しかけたが、挫折したものと判断した。生命は複雑な化学反応によりなりたっているわけだが、生命体になるという偶然は、太陽系にしか起こらなかった可能性が見えてきたのは収穫だった。
生命はこの宇宙で同時に生まれる可能性があった。だが、どこでもうまくいかず、太陽系のわれわれの地球だけがうまいくいっただけのようだ。生命誕生を失敗した宇宙は、本来なら消滅するはずだったが、太陽系に生命が誕生してしまったことから、いまだにこの宇宙は存在し、生命が宇宙を変えるまで、膨張しつづけているのだろ。彼が10年かけて得た結論である。
 採取した遺伝子の切れ端と思しき化学物質は地球に持ち帰り、研究者たちに提供して、生命のなりたちを明らかにする糸口になるかもしれない。その星の上の遺伝子のような構造のものがどのような遺伝子に成長したのか、どのような性質の生き物を生むも情報を持っていたのか興味は尽きない。
 時空航行中は宇宙の物理の法則がなりたたず、地球との連絡がとだえる。時空の間隙をすべるように移動する宇宙艇は、作られて間もない、彼が乗っている宇宙艇も当時できたばかりのもので10台のうちの一つである。大きな宇宙艇を作ることもできず、一人の利しかなかった。
乙女座銀河から電波で連絡をしても、10年では地球に届いていない。すなわち、彼はこの10年、どこから連絡もはいらず、孤独な毎日を過ごしたことになる。
出発したとき、月に何も異常はなかった。この十年間で変わってしまったことになる。
いくつかのクレーターには赤いものがたまっているのがみえる。なかには噴出した赤いものがあつまって、月の表面から流れるように宇宙にただよい始めている。いったいあれはなんだろう。

月のそばに姿を現した宇宙船から、宇宙船管理センターに帰還の連絡がいった。応答はなかった。地球にも連絡をいれたが、その返事もない。
彼は火星の宇宙基地に連絡をしようとした。
そのとき、突然、緊急連絡装置がしゃべりだした。
 「月の異変により地球人は月と地球から火星に緊急待避をおこないました。必要な宇宙船は火星に連絡ください、月に近づかないように」
 地球から発せられている緊急信号のようだ。
 なにがおこったのだろうか。急いで火星に連絡をとった。火星からはすぐに火星に向かうように指示があった。
 彼は時空宇宙船を近高速モードにかえ、火星に向かった。

 火星は相当寒い星である。最初火星には宇宙船などの乗物を作る会社や、宇宙産業の工場などがつくられていたが、今は地下深いところに何層もの町が作られ、地球人が暮らせるように建設がはじまっていた。それは地球環境を守るために行われた政策で、地球はできるだけ自然を残し、人は火星に住もうという国連の方針に沿ったものだった。かなりの人が火星に住んでいて、地球に緑を楽しみに行くといった生活をしていた。
火星に着いた彼は火星に移設された宇宙創生研究所に行った。
月にあった研究施設の全員がそこにいた。
 「おかえり」
研究室に行くと、所長を始め、みんながあつまってきた。
 「おどろいたろ」
同僚が、モニターに映し出されている月の表面を指差した。
 「なにがおこっているんだい」
 「月が呼吸してるんだ」
 「なんだい、そりゃあ」
 「5年まえになるかな、月の裏側のクレーターから、赤いものがいきなり吹きだしたんだ、予期しないことでね、前の日まで月の内部もモニターされていたんだが、なにもなかった。それが一晩で、ドームのかかっていないクレーターから赤いものが噴出してね、月の司令長官がすぐ火星に移動する命令をだした、俺たちも、すべてを置いて、逃げたよ、賢明な措置だった。実験途中のものを放り出してきたのは残念だったが、データーは火星の施設にバックアップされていたからだいじょうぶだったけどね」
「冗談いっているんだろう、月が生命体なんて」
 「いや、本当だ、噴出したのは血だ」
「血、って、人間のからだの中の血なのか」
「同じように膜に囲まれた酸素を運ぶ液体だ」
彼の頭はなかなか整理されなかった。
「俺は、乙女座銀河の星から、遺伝子と同じような構造の分子を採取したよ、生命は他のところでは作られなかったと思った、だけど、何で、月が生命体になるんだ」
「なにもわからないね、この5年間、月を観察しているが、もう月の中には血管もできている、今までの常識が通じない、もともと宇宙の存在も矛盾だらけだから」
所長も独り言のように言った。
 確かにそうではあるが。
 「月に血管ができたって、酸素を運ぶにも、月には酸素がないじゃなけど」
 「地球人が作ったドームの町には酸素供給装置が動いている」
 「月はそこから酸素をとっているのか」
 「そうだ、あの装置は月の土から酸素を合成する装置で、太陽エネルギーで動いているから、ずーっと酸素を供給し続ける」
 「それじゃ、地球人が住むようになったので、月が生き物になれたということか」
 「そういうことになる、地球人はあわてて、月を捨てて、火星に逃げてたわけだ」
 「月が生き物になったって、それでどうなるんだ」
 「わからない、研究機構のトップが、我々の理解を超える出来事で、宇宙の創世と同じレベルのできごとだと考えている」
 「我々は生き延びることはできるのかな」
 「運命は月がどのような生き物になるのかわかったとき、と研究機構長は言っていた」
 同僚がこれを見てと、壁にかかっている大きなモニターに月の内部の映像をうつしだした。
 「月の体内だ、その中で月を動かす、動力の元になるものを作っている。それをクレーターから噴射することで、移動するようになると思うよ」
 「月が動き回るか」
 「そうなるな、ロボットを乗せた自動宇宙船が月に着陸している。地表や地下の観察データーが送られてきている、月の温度が上昇し、土の面が固くなって、皮のようになっているんだ」
 「もしかすると、月は地球から離れていくわけか」
 所長も同僚たちもうなずいた。
 「そうなると思う、月は地球にはかまわないで、新たな生き物として、宇宙の中に出て行く」
 「生き物だと、一人で生きていくのはつらいだろうな」
 彼は頭に浮かんだことを言った。
 「宇宙の創世を調べるために、一人だけで10年、周りに話をする人もいない、地球とも連絡ができない、つらいものだったな、同じことを、月も生命体になり、人間と同じような脳をそなえたら、そう考えるのでしょうね」
 「そうだね、とすると、仲間を探しに行くのかもしれないな」
 「月と同じ生命体を作りだすかもしれない」
 「月が子どもを産むわけだ」
 「月の中にすでに生殖器官ができているかもしれない、いや、分裂で増えるほうが早いな」
 そのとき、月が動き出したと、緊急アナウンスがあった。
 モニターには動き出した月が地球から離れ、太陽の方向に動きだした。ずいぶんの早さである。光速に近い、すぐ水星に近づいた。水星を一周すると、金星に向かい、やはり、一周すると、今我々のいる火星に向かっている。
 「なにをするつもりだろう」
 「ぶつかることはないだろうね」
 月はあっという間に火星のそばにきた。
 月は少し離れたところに止まりくるくるまわっている。
 しばらくすると、火星の衛星、フォボスとダイモスの地表から、赤いものが噴出し始めた。やがて、火星の衛生は脈打ち始め動き始めた。
 「フォボスとダイモスが生命体になった」
 「月が生命なら、我々と話ができないのだろうか」
 「こころみてはいる、だが、我々とは違う生き物で、話をする口に相当するものはない」
「脳波のようなものは」
「われわれの感じ取ることのできるものは今までなかった」
 月はフォボスとダイモスをひきつれて木星に向かった。 
 「惑星の衛星を仲間にするつもりだ」
 彼は叫んだ。水星と金星に衛星はない。
 「あ、そうか、だから、一周しただけで火星に来たのか」
 所長は彼の言ったことを地球の大統領に伝えた。
 その様子は家々のモニターに映し出された。 
 まもなく月は木星に到着し、72個の木星の衛星が息づき始めた。
 月は74個の衛星生命体を引き連れて、宇宙をすすみ、土星で66個、天王星で27個、海王星で14個の衛星を生命体にして太陽系からでようとしていた。
 やがて、月を入れて180個の新たな生き物は、太陽系から出て行くと突然姿を消した。
 「時空航行になったようですね、どこにいくのかな」
 彼がつぶやくと、所長も
 「あの生命体はなにを目的にしているのだろう」
 とつぶやいた。
 「我々地球人だって、存在の目的がわからない、彼らはそれを知ろうと旅にでたのでしょう」
 それを宇宙の果てに探りに行って帰ってきたところだ。彼はそう思った。
 「あの180個の衛星だった生命体はもどってくるだろうか」
 同僚が言った。
 「故郷は懐かしいから、もどるかもしれない」
彼は言った。さらに
「やっぱり太陽系は生命の誕生のためにあったということがわかった、地球人が月を生命体にした、それが人の使命だったのかもしれない」
とも言った。
 人を数えるときは、何人という、何個は無生物につかう、人間以外の動物は匹だ。異星人だったら人でいいのだが、新しい形式の生命体だ。なんと言ったらいいのだ、やはり180人だろうか。
 月にもう一度会いたい。何とか話をしたい。
 時空宇宙船で追いかけることはできないだろうか。
 彼は本気でそう思った。

月の血

SFです

月の血

10年ぶりに銀河系の奥から地球に帰ってきた男がみた月はーーーー

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-08-15

Copyrighted
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