疲れた
さすがにちょっとつらいな。穢れは言葉を発するなということか。本当に疲れてしまった。天才がどうのとかなんなのだろう。なんで自分で考えないのだろう。なんで自分の生活と、自分が読んだ作品を結びつけて考えようとしないのだろう。作品から得られた経験はずっと閉じたままで、この作品はわからない人間は愚かだみたいなことばっかり言っている。他人はどうでもいいじゃないか。あなたが大事に思っているのならそれでいいのに。なんであんなに他人を批判する必要があるのか。疲れた。天才が、天才がってなんか言ってるけれど、あなたはどうしたいのってよく思ってた。作品があって自分の人生があるのではなく、自分の人生があって作品があるのだと思う。結局はそのはずだ。
限界まで我慢して忖度していれば、何を言ってもいいと思っている。もう疲れた。自分より見識の低い人間を槍玉にあげて、古典作品持ち出して恫喝するのはさすがに品がないと思う。なんでそんなことをするのか。どうせ俺が死んだら、また小説のネタにでもすればいいじゃないか。いつもの小説だろ。人生を外側から眺めて、人生を俯瞰して、どうしてこんなことにあくせくしているのだろうみたいなものでも書いていればいいじゃないか。自分の人生を生きろよ。無謬で不動の自我が世界を社会を大衆を裁断して切り付ける。そんなのばっかりじゃないか。批評ならそれでいいけれど、小説はそうはいかないだろう。自我を動かせよ。小説を読んでいても、まったくこっちの自我が動かない。揺さぶられることがない。書いているときに自我が動いていないんだろう。それは、おまえがわかっていないだけだ。わかる人にはわかる、わからない人にはわからないのだ、という論法だろうな。もういい、もういいよ。
疲れた