無題
私は死んだ方がいいのかもしれない。自分の素性をさらそうとすると、容赦ない攻撃にあう。何を言ってもいいと思っているみたいだ。神の名の下であれば何を言ってもいいらしい。無謬で不動の自我が、世界を両断する。我慢してきたけれど、そろそろ限界かな。苦心して自己の中にあるものを文章にしようとすると、徹底的に攻撃してくる。まあ、あっちの方が正論だものな。大衆受けもするだろう。すみやかに死ねということか。おまえは文章を書いても、害毒をまき散らすだけだから、消えてなくなれということか。
これだけ機械に囲まれた生活をしていて平気なわけはないだろう。人間の思考のあり方も変わっていかざるをえない。それを指摘すると怒り出す。現代社会の問題について真面目に考える気なんて初めからないんだ。もう疲れた。自分なりに自然科学と人文学の関係を考えて、どうすればいいのかと思ってきたけれど、特に人文関係の人たちの示す攻撃がつらかった。何を言ってもいいと思っているらしいね。あの人たちは壊れたことがないんだろうと思った。優しさがないと思った。苦痛の経験は人によって違うから、私の言っていることは主観に過ぎないのだけれど。壊れた状態のまま、機械のように労働する苦しさなんてわからないだろう。そんなことを言葉で表現しようとすると蔑まれる。
無題