受け手と作り手
作品から感銘を受ける能力と、表現する能力は異なるのだろう。双方を伸ばすのは難しく、場合によっては相殺しあう能力なのかもしれない。受け手に求められる能力と、作り手に求められる能力と言ってもいい。ある人が作品から深い感銘を受けたとする。それは本当にこれまでの人類が経験したことのない深い経験だったとする。しかし、彼に表現する能力が伴わないとこれは苦しいことになる。感銘する能力と、表現する能力は違うからこういうことは起こりえる。もちろんある程度重なるところもある。小説を書くにはある程度小説を読んでおいた方がいい。映画を作るにもある程度映画を見ておいた方がいいというのはある。このあたりはジャンルによってかなり差がありそうだ。
作品から深い経験を受けたとしても、その経験を自分の中で大切に大事にしたままでは、表現の方には結びつかないのかもしれない。深い経験を実体験に溶かし込んでいく作業がどこかで必要な気がする。生活と作品からの経験を厳密に区分けしたままでは、その経験をひたすら掘り下げるような状態になってしまい、自己充足していってしまう。現実の世界を軽視した状態では、作品からの経験が宙に浮いたままでいつまでも自分の中で昇華されない。どこかで作品と実生活を融和させる必要があるが、それは難しいのだろう。なかなか簡単にできることではない。
表現するためには地道な努力も必要なのだろう。コツコツと何かを積み重ねる経験を持たないと、なかなか作るという作業は難しそうだ。受け手は感動しなければいけないが、作り手は冷めていないといけない。書いていて思ったが、やはり日々の生活に対する態度はわりと重要になると思う。
あまりうまくまとまっていない。また機会があれば考えてみます。
受け手と作り手