漫画『リエゾンこどものこころ診療所①』個人的な感想

漫画『リエゾンこどものこころ診療所①』個人的な感想

《ジャンル》漫画/児童精神科

《ジャンル》漫画/児童精神科

※あくまで私個人が感じた感想に過ぎません。
ご参考までによろしくお願いします。


第1巻では、
①発達障がい(ADHD / ASD / LD)
②強迫性障がい
③うつ病
④双極性障がい
についてのエピソードが漫画で描かれております。

「自分を理解してくれる」という「良き理解者」として、心にそっと寄り添って安心感を抱かせてくれる優しさを感じます。

是非、作品を通して「理解を深める」一助になれたら幸いに思います。

「子どもと向き合うということは、自分と向き合うこと」ー本文の言葉よりー


【所感①:全体的な感想について】
障がいを持つ当事者からの立場や視点だけではなく、本人の周りにいる家族や医療従事者、支援者、そして学校側の視点も含めて描かれているため、視野が偏りにくく、客観的・俯瞰して捉えやすいと感じました。

自分を理解してくれる人が1人いるだけでも、「自分はここにいて大丈夫なんだ」、「自分が悪い訳ではないんだ」と安心できます。
「良い・悪い」ではなく、「ありのままを受け入れる」ことが安心に繋がります。


【所感②:大切なことを思い出させてくれる】

「どうしてそんなことをするのか」と、本人の行動を「問題」として捉えるのではなく、「どうしたら本人にとって安心できるかな」と、前向きに当人の気持ちを理解することの大切さを教えてくれます。

また、「なぜ、そういうことが起こるのだろう」と、疑問を持って「つまずきや困り事」となる「壁」を「どうやったら取り壊せるかな」と建設的に考えていくことが問題解決に繋がっていきます。

周りからすると問題に感じてしまうその行動には、子どもたちからの「助けて!」というメッセージでもあるということ。

人と人との衝突は、「助けて欲しい!」という魂の叫びのぶつかり合い。
その叫びは、不安や孤独感、苦悩、葛藤からが募りに募って、怒りという感情が奥底から込み上げてきて、「助けて!」というメッセージ同士のぶつかり合いのように感じます。

1人で抱え込み過ぎたり、自分の思い通りにいかない時はどうして良いのか分からず、そのままその感情を相手にぶつけてしまう時に衝突が起こってしまいやすい。

「怒り」という感情は、思った通りに出来ない自分に対して怒っている感情なのか。
自分ではなく、相手のせいだと押し付けて自分の責任から逃れようとしているのか。
それとも、思った通りに相手が動いてくれないから怒りで相手をコントロールしようとしているのか。
「怒り」という感情には、色々な見方や視点が他にも沢山あるかと思います。

誰も悪い人はいない。
皆んなそれぞれ言葉にしなくとも「助けて!」っていうメッセージを送り合っている。

「話し合うこと」は、困り事に対してみんなの気持ちを確かめ合いながら理解を進めるためにも必要なこと。

漫画に登場する人たちの心境を理解しようとした時、
「この方はどういう想いや物語があってここまで辿り着くことができたのだろうか。
どんなメッセージを伝えようとしているのだろうか」
という視点を持って今回は読んでみました。

人それぞれ、感じ方や見えている視点、世界が異なるもの。

自分が見ている世界(主観)と相手が見ている世界との間にしっかりと境界線を引いて、分けて考えることが感情に振り回されないでいられる1つの手段。

要するに、「主観」と「客観」(事実)を
分けて考えるということが大切。

主観に捉われないように、「客観的」(事実)に物事を冷静に判断して対処することが大切。

主観に捉われると、感情的に物事を判断しやすくなるもの。

そうなると、物事を冷静に判断したりすることが難しくなるもの。

「相手の理解に努める」ということは、
自分の価値観や考え方などの「我」を一切入れないということ。

そして、相手がみえているものや感じている世界をその人と同じ目線になって眺め、その人がどう見えているのか、どう感じているのかを想像して一緒に心で感じ取ること。

相手がみている世界を想像した時、一緒にその場で同じ体験をしているような心地になり、とても心がワクワクしてきて、喜びのエネルギーで溢れる。
相手の笑顔が見られる時が私にとっての幸せでもある。


最後までお読みいただきありがとうございました。

漫画『リエゾンこどものこころ診療所①』個人的な感想

漫画『リエゾンこどものこころ診療所①』個人的な感想

読書感想文/漫画/児童精神科

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-07-28

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