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子供の頃から、俺には困った性癖があった。
書店や図書館で、本棚の前に立つのがとても苦痛だった。
目撃した人はみな驚き、クスクスと笑い、最後は不思議そうに俺の顔を見るのだ。
本棚に対面した時、自分の意思とは関係なく腕が伸びて、俺はドイツ語辞書を手に取ってしまうのだ。
それが大判だろうがポケット版だろうが関係なく、ページを開き、俺は68ページを探す。
なぜかいつも68ページなのだ。
あせりのあまり指が震え、額には汗までかくほどだ。
68ページを見つけると、ほっと息をつき、辞書を閉じ、俺はやっと本棚に戻すことができる。
自分の意思とは関係なく、目に入ったドイツ語辞書すべてにこれをやる。
どうしても止めることができない。
そうやって俺は成人した。
ある日、仕事の関係で、ある証券が必要になった。
それが保管されていそうな祖母の書斎へと、俺は足を踏み入れた。
祖母は故人だが、書斎は生前と変わらず、そのままになっている。
しかし目当ての証券は見つからず、
「ここにまぎれているかも」
と俺は祖母の本棚に目を向けたのだ。
俺のために、屋敷内のドイツ語辞書はすべて事前に取り除かれ、別の場所に移されていた。
だが俺は目にしてしまった。
見落とされたドイツ語辞書をただ1冊、俺は祖母の本棚に見つけたのだ。
体中から汗がどっと噴き出すような気がした。
あの性癖がまた俺に取り付き、支配するのだ。
気がついた時には辞書を開き、俺は68ページを目にしていた。
でも奇妙なのだ。
俺はそこに手紙を見つけた。
ページの間に挟まれ、祖母の手書き文字で俺の名があるから、俺宛てなのは間違いない。
俺はすぐに目を通した。
『この手紙に添えてある書類は、とても重大なものです。判断は自分自身でしなさい。自分のためを思うなら、その書類を今すぐ焼き捨てるのです』
その書類は折りたたまれ、手紙と一緒に封筒に入っていた。
目を通し、俺は母の部屋へ向かった。
母は自室におり、テーブルの前で読書をしていたが、俺の足音にゆっくりと顔を上げた。
俺が黙って、祖母の手紙をテーブルの上に置くと、母はため息をついた。
「とうとうお前が真実を知る時がきたのね…。その書類を燃やしてもいいのですよ。お前の叔父はきっと不満だろうけれど」
叔父とは母の弟のことだ。この屋敷に同居している。
どういう職業のどういう人物かは省略するが、素行から言って誇れる叔父ではない。
母は書類を指さした。
「それはお前の出生証明書なのですよ」
「だけど、この書類によると…」
「その書類は、お前が私の実子ではないことを証明するものです。お前の叔父、つまり私の弟がどうしても欲しがっている書類でもある」
「……」
「弟は、私たちの目を盗んで勝手に家捜しまでする人だけど、読書なんて馬鹿らしい趣味と公言して、本棚にだけは手を触れないから」
「どうして?」
「実子でなく、本当はお前には相続権がないと知れば、私の財産はすべて弟が独り占めするわ。お前は孤児で、ある日この屋敷の前に捨てられていた」
「そんな……」
「その出生証明書は、お前と一緒にカゴに入っていたの。私たちはお前を拾い、世間体もあって、役所には実子として届けたわ。その出生証明書が表ざたになれば、お前は相続権を失うでしょう」
「生前から、おばあさんもすべてを承知で?」
「私の弟は恐ろしい人間よ。今でも誇れる弟ではないけれど、若い頃からずいぶん悪いことをしてきた。そんな弟に一銭でも相続させるものですか」
「だけど……」
「さあお前、今すぐに決めなさい。当家とは縁のない孤児として、財産を相続することなく、あの叔父とは縁を切って生きるか。あるいは当家の跡取りとして、しかしあの男の親戚として生きるか」
「俺の奇妙な性癖は、これと関係あるのかな?」
「それはわかりません。お前の祖母の霊がさせたことかもね。出生証明書はドイツ語辞書の68ページに隠してあるのだから、お前の注意をそこに向ける必要があったのでしょう」
「でも…」
「さあ決めなさい。燃やすのなら、ここに必要な道具がありますよ」
母はテーブルの上に小皿とマッチを置いた。
☆
出生証明書は明るく燃え上がり、わずかな灰だけが残った。
母は読書に戻り、俺は部屋を出て、そっとドアを閉めた。
偶然だが、廊下で叔父に出会った。
「やあ叔父さん、外出してたんですか。お帰りなさい」
明るく声をかけると、何を感じたか叔父は驚いた顔をしたが、すぐに返事をした。
「ああ、ただいま」
年老いた母は先も長くない。
それを叔父は指折り数え、それまでに何とか出生証明書を見つけ、俺を屋敷から追い出すつもりでいる。
だがそれは不可能になった。
俺は母の財産を引き継ぎ、この屋敷で生きるのだ。
俺は若いが、叔父は母と同年輩。もう勝負は見えている。
最後に、俺の困った性癖のことだ。
母が言うとおり、原因は祖母の霊だったのかもしれない。
この日以降ウソのように消え、俺が悩まされることは二度となかった。
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