俺の姿


 それは奇妙な光景だったかもしれない。
 年老いた僧が、セーラー服を着た娘に、うやうやしく話しかけているのだ。

「お久しゅうございます。わしが仏門を志したのは、あの寺でお目にかかったのがきっかけでございました」

 朝の通学路。
 駅も近く、雑踏の中の出来事だ。
 人目もはばからず手を合わせ、僧は深く頭を下げたが、俺はこともなげに答えた。

「それは、お前が饅頭を盗みに忍び込んできた時のことか?」

「仏様の供え物を盗むなど、我ながらなんという悪さか。今でも深く恥じております」

「気にするな。私は笑っていたのだぞ。腹をすかせた小さな子供に、誰が盗みをとがめだてしよう」

「恐れ入ります」

「しかしお前、どうして私の正体に気がついた? ここは学校も近い。この姿なら目立たぬと考えたのだが」

「信号機でございます。あなたが近づくと、すぐにどの赤信号も、うやうやしく青に変わる。駅からここまで、あなたは一度も立ち止まる必要がなかった」

「その代わり、まわりの運転者たちが目を白黒させておる。信号が赤から青へと、まるで猫の目のようにクルクル変わるのだから」

「菩薩様には、信号機でさえ敬意を表するのです」

「野良猫たちの話では、私の像は先ほどトラックに積み込まれたそうだ」

「それはよい知らせでございます。そのトラックがもうすぐこの交差点を通るので?」

「その通り」

「思えば長い年月でした。寺に泥棒が入り、あなたのお姿を彫った仏像を罰当たりにも盗み出した」

「賊から仏像を買い取ったのは、ある男だった」

「ご存知でしたので?」

「身寄りのない孤独な老人で、寺で私を見かけたおり、死んだ娘の面影を見つけ、そばに置きたくなったそうだ。それで賊に依頼し、盗み出させた」

「なんと罰当たりな」

「老い先短い者だ。ほんの数年、その老人の屋敷に飾られても、どうということはない。だが数週間前、老人はとうとう死んだ」

「はい」

「賊がまた動き始めた。像を持ち出し、別の誰かに売りつける魂胆だ。だから私は、屋敷の見張りを野良猫たちに頼んだのだよ」

「とうとうその返事があったのですな」

「像を積んだトラックが、間もなくこの交差点を通過する」

「どうやって取り戻すおつもりで?」

「それは黙って見ているが良い」

「はい」

 数分後、俺の言うとおりトラックが突然現われ、交差点を横切るかと思えたが、大きな音を立て、不意にタイヤがパンクしてしまった。
 ハンドルが切れなくなり、トラックは暴走する。
 そして電柱に突っ込み、ようやく停止したのだ。
 運転手はサッと車外に飛び出し、けが人はない。
 誰かが通報し、パトカーのサイレンが聞こえるには2分とかからなかった。
 サイレンを耳にするなり運転手が姿を消したところで、僧が俺を振り返った。

「この後はどうなりますので?」

「すまぬがお前、トラックの積荷が盗難品であると警官に教えてやってくれまいか。そうすれば像は、すぐに元の寺へ届けられよう」

「承知いたしました」

 手を合わせ、僧はもう一度うやうやしく頭を下げた。
 しかし修行僧はともかく、俗人には仏法など縁遠い。
 僧の話など、警官はてんで信じなかったのだ。

「なあ坊さん、通りかかったあんたが、なぜトラックの積荷のことを知ってるんだね?」

「やれやれ、なんと説明すればいいのかな」

「賊の共犯として、あんたを逮捕することもできるんだぜ」

「弱ったな…」

 異変が起こったのはこの時だ。
 何の前触れもなく、トラックの車体がガタリと大きく傾いたのだ。
 電柱に衝突して斜めになり、そもそも不安定ではあった。

「若いお巡りさんや、危ないぞ」

 僧に肩を押され、警官はすんでのところで難を逃れた形になった。
 トラックが横倒しになったのは、数秒前まで警官が立っていた場所なのだ。
 あのままあそこにいたらと、考えるだに恐ろしい。
 冷や汗をかいている警官とは逆に、僧は上機嫌だった。

「おやお巡りさん、倒れたおかげで、トラックの車体に穴が開いたぞ。中身が見えておる。ほら、まぎれもなく仏像だね」

「なんだって?」

 あっけに取られている警官をしりめに、僧はこちらを向いた。
 そして体を深く曲げ、感謝の合掌をして見せたのだ。

(合掌)

俺の姿

俺の姿

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-05-22

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