
童心転じて
5月3日、昨年に引き続き、今年もまたゴールデンウィーク中に上演された松山バレエ団による森下洋子さん主演のバレエ「くるみ割り人形」を見に、渋谷オーチャードホールに出かけた。昨年は同じ会場で新「白鳥の湖」を見たが、早いものであれから丸一年が経ってしまった。
思い返せば昨年末、同バレエ団による森下洋子さん主演の「くるみ割り人形」を見た時は、行きも帰りも冷たい風に頬を撫でられて、いささか師走の感傷に取り込まれてセンチになったが、今年は一年待たずして、また「くるみ割り人形」を見ることが出来た。何となく私の頭の中では「くるみ割り人形」といえば、平和な冬の催しという認識があるせいか、新緑の眩しい汗ばむ季節に観るのは妙な気分だったが、今回「くるみ割り人形」を見に行ったことで、私はそれまで知らなかった嬉しい事実を知ることになった。
事の始まりは、昨年「くるみ割り人形」を見に行った帰りのことである。念願だった舞台を見終えた私は、感動冷めやらぬ状態のまま名残惜しくも客席を後にし、舞台を見終えた人々でごった返しているロビーに出ると、ひと息つくべく飲み物片手にソファへ腰を下ろした。
ここにいる大勢の人たちと今日の感動を分かち合ったのかと思うと、一人で舞台を見た私だったがどことなく心が温まる思いがした。出し物が出し物であっただけに、観客の中には親御さんと一緒の子供さん方も多くおいでだった。そんな小さな観客である子供たちを喜ばすためか、バレエ団のスタッフが用意したであろう大きな風船のくるみ割り人形や、クリスマスツリーが何箇所かに飾られてあるのもいかにもクリスマスシーズンらしく、広いロビーに華やぎを添えていた。
そんな中、クララに手紙を書こう、もしくは出演者のみんなに手紙を書こうというような触れ込みで、ロビーの一角にポストが設置してあるのに目が留まった。その周りに設置されたテーブルには、赤や黄色やピンクといったペンと、色付きの文庫本くらいの小さな紙が置かれていた。
私は今日、この感動をこのまま一人胸に納めて、易々と会場を後にすることは出来なかった。どうにかしてこの思いを、私の大好きなクララを演じた森下洋子さんに何としてもお伝えしなければ、とても帰る気にはなれなかった。しかし、そんな方法は何一つとしてない。諦めるより仕方がないと思ったそんな時、私はこの「魔法のポスト」を目にしたのだった。
渡りに船と言わんばかりに私は嬉しくなって、一生懸命に手紙を書いている子供たちの間を縫って紙とペンを手に取ると、そこから少し離れた階段の手摺のところで森下さんに思いを込めて、今の私の思いを認めた。ちょうどこの公演の前日、森下さんはめでたく76歳の誕生日を迎えられていた。誕生日の祝福と、また会いに参りますと、読む人のことも考えず酷く読みにくい字で、心の赴くままに書いた。さすがに名前まで書くのは気が引けて、無記名でそのままポストに手紙を投函した。
これを松山バレエ団のスタッフの方やキャストの皆さん、そして森下さんもご覧になるのかと思うと私は嬉しくてたまらなかった。私の思いが森下さんに伝わるのである。こんなに嬉しいことはないではないか。 この手紙を書いたことで、私は少し気持ちに落ち着きを取り戻し、舞台の感動に包まれながら家路に着いたのだった。
それから半年が経ち、前述したように私は森下さん主演による「くるみ割り人形」を再び見た。この舞台を見たことによって、すっかり忘れていた昨年書いたこの手紙の存在を思い出すことになった。青天の霹靂とはこのことか。松山バレエ団の公式インスタグラムの中に、私の手紙を見つけた。
子供たちがクララ宛に書いた可愛いイラストや、たどたどしい字で書かれたメッセージをまとめた「みんなからクララへのお手紙」と題されたリール動画に大人である私の手紙が、場違いにも子供たちのそれの中に混じっていたのである。
私は、こども「くるみ割り人形」を見に行った覚えはないのだが、まとめられたリール動画には翌日のこども「くるみ割り人形」の時に書かれた手紙と、前日の手紙の中からそれぞれ選ばれたものかもしれない。子供たちに混じってただ一人、大の大人の私の手紙が紛れ込んでいたのは偶然か必然か。私には分からないことだが、ただ一つ分かったことは私が書いた手紙をきっと、森下さんは目を通して下さったのだろうということである。
そういえば思い返すと、あの日あのポストの周りで手紙を書いていた大人は私以外には見当たらなかった。いい大人がクララへ手紙なんか書く筈がないと、誰もが思っていたのかもしれないが、そんな「大人」である私はクララに手紙を書いた。いや、厳密に言えば、クララを演じた森下洋子さんに手紙を書いたのである。こんな公になるのだと分かっていたら、もう少し、いやもっと綺麗な字で手紙を書くべきだったと反省しているが、今となってはもう遅い。
どう考えたところで、私が書いた手紙は子供が書いたものではないと、誰の目から見てもそれは明らかだった。クララを演じたのが森下さんだと分かっていることや、森下さんが前日誕生日だったということや、その森下さんの名前を漢字でフルネームで書いていること。そして、その他に書いたメッセージの文字が漢字であり、しかも縦書きであることや選んだ言葉や言葉遣いも子供のそれとは違うこと。そんな点から判断しても、幼稚園生や小学生の子供の手紙ではない。そんな私の手紙がなぜ、純粋無垢な子供たちの中に混じって掲載されていたのか。
そんなに深い意味はないのかもしれないが、私が思うに、これはバレエ団の方々のやさしさだったのではないかと思うのである。童心に返ったように、いや、ある意味大人になっても童心のまま、こうして子供たちと同じようにクララへ手紙を書けば、自分の思いが森下さんに届くと信じた私は、ただ思いを込めて手紙を書き、それを何のためらいもなくポストに入れたのである。そんな私の気持ちを汲んでくれたのではないだろうか。
好きな人には自分の気持ちを伝えたい。たったそれだけの単純な理由から、その思いに任せて書いた乱筆乱文極まりない、決して褒められた手紙ではなかったが、変な見栄など張らず、素直に書いて良かったと思っている。
童心転じて
2025年5月7日「note」掲載