蜂の子


 ある日、祖母が死んだ。
 自然な老衰で、朝目が覚めると息をしていなかったのだ。
 両親はため息をついた。
 通夜に葬式、墓の手配と忙しい数日間になるのは目に見えている。
 そのために両親が二人とも出かける必要があり、その間は俺が一人で留守番をしなくてはならなかった。
 祖母は布団に入り、仏壇の前に寝かされている。
 そのとき、線香の煙と匂いが漂う中に俺が気付いたのは、かすかな羽音だった。

「何の音だろう?」

 キョロキョロすると、なんと一匹の蜂が祖母の口元に止まるところだった。毒々しい黄色をしたでかい奴だ。
 だがもう遅い。
 追い払おうと俺が手を伸ばしかけた時には、蜂は祖母の口の中へ姿を消していたんだ。

「いいのかな?……」

 恐る恐る近寄って、祖母の口をそっと閉じてやることしか俺にはできなかった。
 村には変わった風習があって、死体は焼かず、そのまま土に埋める。
 母親に言われ、花や線香を持って、俺は毎日のように祖母の墓に通うようになった。
 だから事件の第一発見者も、自然と俺になった。

「あれは何だろう?」

 いつものように墓へやってきたのだが、地面に大きな穴が黒々と口を開いているのを見つけ、ひどく驚いたのだ。
 穴があるのは、ちょうど棺が埋まっていたあたりで、人が通り抜けられるほどの直径がある。
 家へ飛んで戻り、俺は両親と警察に知らせた。
 だが犯人はもちろん、何が目的かもわからず、やってきた警察官も鑑識官も首をかしげるばかりだった。
 もちろん棺の内部は空っぽで、祖母の死体は影もない。
 しかし山中のことゆえ目撃者もなく、捜査にも成果はなく、時間が過ぎていった。
 何ヶ月かして事件のことも忘れかけた頃、俺はある用事のために大きな町へ出かけたのだが、偶然に映画館の前を通りかかり、そこで気が付いたのだ。
 映画館の前には看板が掲げられ、上映中の映画が派手な絵と文字で宣伝されている。
 その絵の1枚が俺の目を引いた。
 ところが、

「これはお祖母ちゃんだ!」

 主演女優。といってもデビュー間もない新人なのだが…。
 まったくその通りだった。
 あの女優は祖母に違いない。ずいぶん若返ってはいるが、面影ははっきりしている。
 娘時代には大変な美少女で、年頃になると縁談を求める釣書が何十も届いたという話は俺も聞いていた。
 古いアルバムに残されている写真も多い。
 それをよく知っている俺が、見間違えるはずはない。

「あれはお祖母ちゃんだ。間違いない」

 町へ出かけるたびに映画館の前に立ち寄ったが、そのたびに宣伝絵は描き変えられていた。
 もちろん毎回、祖母の出演作ではなかったが、何ヶ月かおきに祖母の元気な顔を見ることができた。
 祖母は、スターへの階段を着実に登っているようだった。

「お祖母ちゃんは新しい人生を始めたんだ」

 だけど俺は、映画ポスターの話など両親にはしなかった。教えてやっても混乱するばかりで、なんの役にも立つまい。
 そう思って、自分の胸に収めておくことにしたんだ。
 俺が風邪をひいてしまったのは、ちょうどこのころだ。
 特に寒い日々だったのでもなく、冷たい思いをしたのでもない。
 だけど数日の間、咳が止まらなくなった。
 両親は心配し、俺に風邪薬を飲ませた。
 とはいえ病院へ行くほどの症状ではなかったし、学校を休むこともなかった。
 だからあの時も、俺は下校途中だった。
 学校のあるあたりを離れると、家は途端に少なくなり、友人たちとも別れ、俺は一人きりになる。
 道も、田んぼの間の細い道に変わる。
 突然、俺は咳がしたくなった。

「あれれ、もう直ったのかと思ってたのに…」

 立ち止まり、俺は口に手を当てた。
 咳はいったん収まったかに見え、出る気配が消えた。

「あれ?」

 そこでまた咳の気配。

「?」

 喉の奥に、なんだかむずかゆいような奇妙な感覚がある。
 俺は少し力を込めた。

 ゴホン。

 咳が出た。
 だけど変なんだ。
 咳だけじゃなく、何か別の物も一緒に喉を通り抜けていった感じがある。
 何かが俺の喉の内側に触れていった。
 俺は手のひらを見た。
 そして、自分の喉の奥から何が飛び出したのか、はっきりと知ることができた。

「死ぬ前には、おばあちゃんもこんな咳をしてたのかなあ」

 もう一度咳が出た。
 また同じような感覚があり、再び何かが俺の喉を通り抜けていった。
 それは、さっきの1回目と同じように手のひらに乗っている。
 もちろんどちらも生きていて、足を動かし、羽も小刻みに震わせている。
 2匹の蜂…。

蜂の子

蜂の子

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-02-24

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