ねらわれた村

 これは俺の祖父の物語だ。
 祖父の名はデンスケといい、子供時代には田舎の小さな村に住んでいた。
 その町で小学校に通ったのだが、デンスケの家は踏切番を職業にしていた。
 現代では想像もつかないが、列車が近づく踏切で車や歩行者を通せんぼする遮断機。
 あれを手で動かす仕事だ。
 列車が近づくと下ろし、通り過ぎると上げる。
 あるとき、噂が村を駆け抜けた。
 近々、お召し列車がこの村を通るというのだ。
 お召し列車とは天皇陛下が乗車される列車のことだが、噂が真実であることは、すぐに校長の手で証明された。
 朝礼の場で、タワシのような白いひげを震わせたかと思うと、やおら校長は背筋をピンと伸ばしたのだ。

「かしこくも天皇陛下にあらせられましては、今週の金曜に、わが村をお召し列車で通過されると決まりました」

 騒ぎは小学校だけではない。
 村議会も同様で、さっそく正式な歓迎委員会が組織された。
 その大騒ぎをよそに、デンスケはデンスケで思うことがあった。

「天皇陛下のお顔を、ぜひ一度拝見したい」

 お召し列車の正確な通過時刻がわかったのは、校長が発表したからだ。
 その1時間前に全校児童が校庭に集合し、線路端へ向けて歩いてゆく(授業は中止になる)。
 線路際に到着するのは、通過の30分前。
 全員がその場で待つ。
 線路際の家であってもお召し列車を上から見下ろすことは許されず、2階のある家には警察官が現れ、上階の窓はすべて雨戸を閉めるよう命じるのだ。
 当日は踏切で両親の手伝いをするということで、デンスケは学校を早退する許可を得た。
 手伝いをしつつ、デンスケは掃除をし、窓ガラスを磨いた。
 線路から見える範囲はドブの中のゴミまで拾ったところで、そろそろ時間である。
 一張羅を身につけ、デンスケも両親も最敬礼の準備をしたのだが、

「お母ちゃん、おしっこ」

 両親は顔色を変えた。
 しかし出物腫れ物ナントヤラ。許可を出すしかない。
 デンスケは脱兎のごとくその場を離れた。
 踏切係の官舎には小さな庭があり、不釣合いに大きなクヌギの木が植えられていた。
 子供なら平気で登れるほど大きく、人目を気にしつつ、デンスケはさっそく樹上の人となったのだ。
 葉の間からこっそり見回すと、線路際もそこらの路地も、人々でいっぱいだ。
 例外なく村の全員がここにいる。
 手に手に日の丸を持ち、時々警察官がいて、警戒の目を光らせている。デンスケは絶対に見つかるわけにはいかなかった。
 樹上は見晴らしがよい。やがて時間が来たようだ。
 遠くに汽笛が聞こえ、真っ黒な蒸気機関車が姿を見せ始める。
 あの機関車がお召し列車を引いているのだ。

「…」

 声こそ出さないが、人々は大人も子供も老人も全員が立ったまま、頭を深く前に下げる。
 最敬礼というやつだから、警備の警察官たちまでが同じポーズをとる。
 つまり線路のまわりの人々の中に、お召し列車に目を向けている者など一人もいないということだ。
 ただ一人、樹上のデンスケを除いては。

「あの列車は何じゃ? お召し列車とはあんな形か?」

 子供の眼から見ても奇妙な列車だったのだ。
 お召し列車と言えば豪華客車を連ねたものだが、デンスケの目に映るのは、ただの貨車でしかなかった。
 それが機関車の後ろに続き、1両1両が材木を満載しているのだ。
 鉛筆のようにまっすぐに長く、切り倒されたばかりなのか、木の匂いがまだ立ち込めていそうな新しい材ばかりなのだ。
 村の上流には深奥山という山地があり、大変に質の良い木材を産出することで知られていた。
 あまりの質の高さに『深奥山の神杉』と呼ばれていたほど。
 それゆえに値段は、通常の杉よりもはるかに高い。

「あの貨車に積んであるのは、神杉ではないのけ?」

 踏切を過ぎると線路は山中へ入り、トンネルを越えた先には、大きな川を渡る鉄橋がある。

「やれやれ、お召し列車を大過なく見送ることができた」

 と人々がホッとした数時間後、その鉄橋上に貨物列車が停車したままなのが発見された。
 機関手も車掌もおらず、まったくの無人で放置されていたのだ。
 本当ならこの貨物列車は、お召し列車に道を譲るため、駅に留め置かれたまま待機する手はずになっていたのだ。

「それがなぜここにいる?」

 鉄道職員も警察官もみな頭をひねったが、貨車の積荷はすべて高価な神杉だから、総額がいくらだったかは見当もつかない。
 もちろん、お召し列車が通るというのは真っ赤なウソだった。
 宮内省から来たという身なりの良い紳士が数週間前に姿を見せ、村役場、警察署、駅をまわって指示を残していったのだ。
 高価な洋服といかめしいヒゲ、自信に満ちた話しぶりに、誰一人として疑わなかったそうだ。
 まんまと貨物列車を盗み出し、人目のない鉄橋に停車してロープをほどき、賊は神杉をすべて川に流してしまった。
 あの流れの豊かな川だから、別の一隊が下流で待ち受け、材木を回収するのも難しくはない。
 事実、河口まで徹底的な捜索が行われたが、杉材はただの一本も発見できなかったそうだ。

ねらわれた村

ねらわれた村

  • 小説
  • 掌編
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-01-03

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