雨が走る

ある日記
七月七日 天気:快晴

 「単純さ」とは何か。また「優しさ」とは。それは、私にはないものなのかもしれない。つまり、S女史に言わせれば「単純かつ偏屈な人間だよ、まったく君は」という訳だ。そして「序でに言うと、優しくも周りのことが見えていない人間でもあるね」という訳だった。単純な側面も偏屈な側面も、多くの人間は兼ね備えているだろう。優しくあることと周りが見えていないこと、この二つも必ずしも背反ではない筈だ。ということは、女史が詭弁を弄したと早合点するよりも前に、私の場合はそれが顕著だ、と指摘したかったという風に解釈してしまった方が頷ける。「それは私にはその傾向が強いということですか?」と、私は尋ねた。その返答はこうだった、「傾向なんてものはない、ただそうだというだけだよ」。或いは、私には不純物混じりでこそあれ「単純さ」も「優しさ」もあるのかもしれない。しかし、それはS女史という信頼に足る一人の人物が、つい余計なものを付け足さずにはいられなかった程、歪なものでもあるのかもしれない。

 何にせよ、私にはそれがどういう意味を持つのか未だもって判然としない。何せ、S女史からの指摘を受けた時の私は、半ば酩酊気味だったのだ。いや、S女史なら単に「酔っていた」で済ませるだろう。彼女は無駄なレトリックが嫌いなのだ。実際、私は耳鳴りと体温の上昇を訴えていた。心地の良い症状でもあったが、不健康な飲料によって齎される仮初の感覚に過ぎないだろう。これに関しては私にも多少、情状酌量の余地がある。私はS女史に絆されたのである。その結果として、S女史の家に転がり込み、アルコールを摂取してしまったのだ。S女史の家に転がり込むことも、アルコールをそこで摂取することも、初めてではなかった。むしろ、何度となく私は絆されていた。では、私とS女史は仲睦まじい間柄なのかと問われれば、少なくとま女史の方は「そうではない」と答える筈だ。私は学部二年であり、S女史は学部一年だ。私が飛んだ腰抜けでなければ、そしてS女史に思い人がいなければ、状況は別な様相を呈したに違いない。

 もしもの話をしていても仕方がない。また、過去の話など掻い摘んででなければ、収拾がつかなくなる。とにかく、私がしたいのは何度も言うように「単純さ」の話であり、「優しさ」の話である。野暮と嘲笑われそうな指針だが、元より瀟洒な人間ではない。私は真剣にS女史のことを考えた結果、やはりこの二つは相当重要な地位を占める言葉だと直感した。それは頻出語彙だからではない。私が完全に酔いきらずとも、正常な判断が出来ないときにこそ、S女史は核心に迫ったことを言う。これは私の記憶が定かならぬ内に普段使わぬレトリックを使いたいのだとばかり思っているが、変に勘ぐり過ぎだと言われそうだ。

 自身を物語の登場人物の内の一人と認識していても、酔ってでもいなければ「ここはポリフォニックだ」などとは感じないし、ひどく精神が追い詰められていなければ「これはモチーフは一体何を意図しているのだろう」などとは考えないだろう。そもそも、私はゲームや物語の中の一人という認識は持っていない。真に有効な手がかりは何なのか分からない。私の人生でもS女史の人生でも良いが、そこに主題を見出すとしたら、それは凡ゆる主題が混線し乱反射しているような物に違いない。到底一つの流れには出来ない筈だ。汲み取ろうと言葉を尽くすほど、離れていくもの、取りこぼすものもある筈だ。そして、私とS女史の関係を物語という風に解釈しても、あらゆる現実な形をとって出現する様々な問題を私たちはそれを完全に解きほぐせはしない。

 いや、変に空回りした思考をしない方が上手く行くようにも思われる。一方で、作為の糸のようなものを感じ出してしまった人間はどうすれば良いのか。何とかして関係を長続きさせようにも、日は驚くべき速度で移ろっていく。それらしい判断を下さぬことでさえ、一つの判断となり日常は変貌を遂げてしまう。生憎私は酔っており、大変精神的に追い詰められていた。なんのためでかは分からない。私がアルコールに入り浸り、心に重い物を感じているのには、大した理由はないのかもしれない。さて、こんなことを考えるつもりではなかったのに、どうしたこんなところに来てしまったのだろう。私は、本当はどうしたかったのか。

ある手紙
 私がかくの如く粛々と手紙なるものを書き出したのは、他でもない貴方──今更、手紙でも「君」では決まりが悪いでしょう。それに外聞も──のためなのですよ。ですから貴方もどうか粛々とこの文章をお読みなさい。いつもいつもお酒で拐かしてきた私が言うのも可笑しいでしょうが、どうかアルコールも摂らずに。
 「今になって何を言うことがあるのです」とお思いでしょう。或いは、「手ひどくはねつけておいて、さぞ気分が良かったでしょうね」と思いすらしているかも知れませんね。けれど、私の本心としては心苦しかったのですよ。無論、未だに拘っているのではないですが、気恥ずかしかったのです。単純さがどうの、優しさがどうの、どれだけ覚えているかは知りませんが、あんなに思いの丈を打ち明けてしまったことはありませんでした。私には精一杯だったのですよ、あれでも。
 貴方の他に好きな人がいたのは貴方も知るところでしょう。今でも彼とは交流があります。まあ、それは別の話だから止しましょう。それよりも貴方はあの頃、私の思い人とは即ち貴方だと、自分自身だと考えてはいませんでしたか。そんな思い上がりを何処かで私も感じていたのですが、ついそうでないとは言い切れませんでした。何故言い切れなかったかを言うほど厚かましくはないですが、私は貴方ほど腰抜けではなかったと思っております。
 さて、あれだけ激しく拒絶したのは、反射的な部分もあったと思います。それは防衛反応のようなものでした。それに、迷いもありました。私の若き日々はみな、飲み過ぎた貴方の背中をさすり続けるのに終始するのだろうかと。結果として、お互いが相手なしでは生きられぬような危うい関係は終焉を迎えた訳ですが、まさか貴方だってもう馬鹿な飲み方はしないでしょう。とすると、杞憂だったかもしれません。風の噂では貴方にも良い人がいると聞きましたから、取り消しても意味のないことでしょうが。
 単純でもなければ、優しくもない私の心にも、何かこんなものを書かせる気持ちが巣食っていたようです。過ぎてしまったことを、つい思い返すなんて、嫌ですね。長々とすみません、書き過ぎました。それでは。

ある日記 
九月九日 天気:雨

 横殴りの雨がしゅるしゅると吹いて、勢いよく排水溝や雨樋を走るのが物憂かった。唐突な雨はもう永久に過ぎ去らないような気もした。雨が絶えず降り続けるのだとしたら、それはそれで悪いものでもないかもしれない。
 あるきっかけで思い出すこともこともあったが、あまり書き残したくもないので消した。外ではまだ、雨が走っている。

雨が走る

雨が走る

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-05-18

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